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なぜいま人類史か/渡辺京二

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 ちょっと前に読んだ「逝きし日の面影」という本が面白かったので、その本つながりで買ってみました。で、今読んでいるのですが、その中の第二章である「共同体論の課題」という文章(というか講義)で、「人類はすでに共同体から離脱したのです。」という部分があり、なるほどなぁ…こういう考え方もあるか、と思いました。

 私的に、ただ漠然となんですが、人間社会というのは、原始共産制社会から、様々な形の共同体を経て、そして今、資本主義社会下において、国家主義として生きているわけで、つまり、社会の共同体というのは、テクノロジーの発展と共にどんどん巨大化していくと思っていました。その結論として、よくSFなどで描かれているのが、地球連邦、あるいは銀河連邦といった大規模な共同体です。そして、そのような巨大共同体の中での社会は、当然ながら緩やかな社会主義体制への移行が伴わなければ社会が成り立たなくなる訳で、故に人類社会の進化のベクトルは、社会主義体制の方向に向いているとばかり思っていた訳です。

 ただそこで、さっぱりとした文体で、「人類はすでに共同体から離脱したのです。」などと書かれてしまうと、「そうか、そうきたか!」と、頭の中で根拠もなく納得してしまったのでした。

 つまり人間は、近代において共同体社会から、資本を軸とした個人主義社会にシフトしてきたのではないか、そういう事みたいです。渡辺京二は続けて「人間は共同体という古き衣を脱ぎ捨て、もう返れない『個』の世界に移動したのである」と言っています。なるほどね、確かにそういう考え方もあると思います。

 この考え方について、私自身は正しいとも誤っているとも思いません。というか、判りません。ただ、かつての社会が持っていた、階級闘争史観とは無縁な、緩やかな共同体社会という楽園は、今の状況を見ると、しばらくの間人間社会に復活することはなさそうです。まとまりのない感想文で申し訳ありませんが。

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