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電車から見える風景はどんどん厳しく、殺風景になっていく

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 これは、瀬尾まいこの小説「天国はまだ遠く」の一節。

 この小説自体は面白く読めたのだが、私としてはこの表題にある、

電車から見える風景はどんどん厳しく、殺風景になっていく

 という表現に、確かに理屈ではわかっても感覚では納得できないものを感じた。

 何故なら、私が地方に行って、どんどんと殺風景になっていく景色を見ていると、感じる事はこの作者とは全く正反対で、どんどんと厳しくまではともかく、風景から人の密度が減るに従い、そこにある人の足跡の、その力強さがどんどんと強くなっていく気がするからだ。
 それは、殺風景という表現ではなく、人が人としての足跡を大地に残しているんだという意志が、とてもピュアなものと感じられて、むしろ人のぬくもりをより多く感じさせられるような気がしてしまう。
 例えば、夜のローカル線の車窓で、全く街灯も人の気配もない場所で、ふと月明かりに浮かんだ森の中のあぜ道などが見えると「ああ…人はこういう場所でも、あのあぜ道をたどってきちんと活動しているんだな」などと、当たり前の事かも知れないのだが、そういった事にとても感銘を受けてしまうのである。

 まあ…この話に結論はないんだけど、ただそんな事を感じているよ、という話で。

天国はまだ遠く(新潮文庫)/瀬尾まいこ

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