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AIがあれば人は不要に?

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 最近こんな話が一部のメディア、あるいは意識高い系のWebサイト(笑)からよく聞かれるようになりました。なるほど…確かにAIがあれば人の介在が必要ない職業や現場は沢山ありそうです。

 だからといって「ほとんどの人が失業」とか「人は不要に」なんていう人は、社会の本質を理解できてないんじゃないかと。
 そもそも人間社会の歴史ってそこまで合理的なものでもないでしょう。今の人間が作る経済社会なんてのは、こういうと誤解する人も出てくるかもしれませんが、私が思うに半分は遊びみたいなもので、別にそれがなくても社会が回らない訳でもない。例えばこの前のエントリでオーディオについて書いてますけど、別にオーディオや音楽なんてなくても人は死なない筈ですが、そこで仕事をして富を得ている人は大勢います。

 人類の歴史をふり返ると、昔の人にとっての労働とは「食料調達」でした。全ての目的は自分とその家族のお腹を満たすための労働だったはずです。
 それが文明が発展し、農業や畜産業が進化して、全ての人が「食料調達」に携わる必要がなくなりました。だから多くの人は不要+失業したのです…というザツな考え方が今のAIが発展すれば人類は不要に!とかAIがあれば多くの人が失業する!なんて言ってる人達の論法です。つまり未来予測に想像力が欠けているのです。

 もちろん、社会の変革期には何らかの痛みが発生する可能性はありますが、極論として今の仕事全てがAIに置き換わったとして、残された人類は何をするのか?答えは決まっています。今の仕事では全く計れない価値観を持った行為に没頭するのです。

 それは、いまでいう遊びに全力出すってのが一番近いイメージになるかもしれませんが、ひょっとしたら全く違うものになるかもしれません。人としての優秀さを競うために殺し合いが合法になるかもしれませんし(労働力の確保が必要なくなる以上、社会の個としての人の価値は良かれ悪かれ今と違うものに変化するのは間違いありません)、あるいはラジオ体操が上手くできる人こそが社会の頂点を取る!…なんて意味不明な社会になる可能性もあります。
 というか、細かい変化には合理性を見いだせても、今の人類が数百年後の労働がAIに全て置き換わった社会にいきなり対面すれば、意味不明でトンチンカンな社会になっているのは間違いないかと。

 ただ、人は不要にならないでしょう。
 それは以前によくあったSFでコンピュータが人類を滅ぼす!なんて社会にならない限り、人は意味不明な中でそれぞれ時代に合った価値を創り出す、あるいは想像する行為を辞めないと思います。

 ということで、短期的に見れば、あなたの今の仕事がAIに取って代わり失業することもあるかもしれませんが、人が不要とされる社会は、人が社会を作り続ける限りあり得ませんので、ちょっとは安心しても良いのでは?
 同様にAIのお陰で人は9割失業する!なんて暴論も、失業はあり得ても、9割失業した人類社会がそのまま仕事もせずただ貧乏で死ぬだけの社会になるなんてのもあり得ない訳です。

人工知能と経済の未来/井上智洋

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