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命の価値

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 この歳になってちょっと昔のティーン向けSF小説やアニメなどを見ると、命の価値って昔と今では違うんだなぁ〜と思う時があります。

 例えば、割と有名な日本人の巨匠(といわれる?)作家のSF作品の中でも、シリーズが進むにつれて大量に人が死ぬ描写が増えてきたりするのですが、改めて思うとそれらを悲劇としてじゃなくてギャグみたいなノリで書いてるんですよね。主人公の美少女2人がちょっとしたミスで惑星を吹っ飛ばすなんてエピソードもあったりして、現在のノリだとちょっと引く(私は昔でもちょっと引いていた)んじゃないかと思うんですけど、少なくとも世間ではそういうのもギャグの1つとして認識されていました。

 人間ではありませんが、昔の円谷作品である「恐竜探検隊ボーンフリー」というテレビ番組も、シリーズ一作目は「恐竜を保護する」といったドラマなのですが、シリーズが進むにつれてなんとなく恐竜が死ぬエピソードが増えてきた感じで、その続編となる「恐竜大戦争アイゼンボーグ」では既にサブタイトルに「戦争」って文字が入っている事から察するように、恐竜軍団との殺し合いになっていました。そういえば「エイリアン」という映画もシリーズ二作目には「今度は戦争だ!」なんてキャッチがついてたっけ?

 というように、1980年代頃の時代とは、何故かこういったメディア作品で「命」の価値がかなり低下していた時代だった気がします。大ヒットしていた映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」だって、メインクルーみんな特攻で死んじゃいますし(続編では何事もなかったかのごとく生きていますが)、その数年後に放送されたアニメ「伝説巨神イデオン」では、知的生命体全て死亡…もっともヤマトとイデオンは命の代償についてかなりねちっこく描写されていましたから、命が軽いって訳でもないかな?

 命は尊い!人の命は地球1つよりも重い!なんて考え方って、実はそんなに昔からあった訳ではなく、古い文学を読んでいると、割と人の命というか、死については淡々と書いている描写も多いです。考えてみれば人の死を見るのが珍しくなかった時代ですからね。それこそ戦争にでもなれば大量に人の死体を目撃することになりますし、人の死についても当然ながら現代よりも冷静な事象として受け止めていたでしょう。
 逆にいえば、一生の間にほとんど人の死…それも病室などではなく屋外でののたれ死になどを目にする機会がない今の先進諸国の人達にとっては、人の命の重さというか、人の命の価値というモノがよくわからないってのが本当のところではないかと。

 以前もどこかで書いた記憶がありますけど、例えば江戸時代、勝海舟の父親である勝小吉が書いた本には、記憶で書き起こしますけど、笑い話としてこんな一文があります。

 「生まれた子供が死にそう?どうせ死ぬなら速く死んだ方がトクだ」

 これは今の価値観でいうと非人道的というかかなりひどい考え方ではあると思うのですが、冷静になって考えてみると、あの頃の時代の人の命とはまさに労働力そのもので、生きて労働に従事して富を生み出すことが命の価値でした。そのため子供にある程度の育成コストをかけてから死なれるよりも、生まれてからまだほとんど育成コストを投じていない時期にサッサと死んでくれれば、当然無駄な育成コストをかける必要もなく、夫婦は次の子作りに移れるって話でもあり、ここには「人の命」を冷静に実用品として捉えていた時代背景が想像できる訳です。

 こういう細かいエピソードの他、国家による徴兵制度なんてのも、命を実用品として捉えている故の話でしょう。よく戦後に書かれた小説では、息子宛に政府から赤紙が届いて、母親はなくなく息子を戦地に送るなんて悲劇のエピソードがありますが、これは戦後社会向けに作られたエピソードである事が多く、当時の価値観ではもちろん悲劇ではあったでしょうがある意味みんなそうしていたわけです。
 息子が自分の意思で戦地に赴くのならいざ知らず、他人に強要されて戦争に行くとか、今のように人の命が無限大に近いインフラ的価値を持つ世の中だと到底容認されない判断でしょうが、これは人の命に対する価値観が今と違うとしか言いようがありません。

 そういえば、昔の陸戦でよくあった、戦場でも兵隊を機関銃の前に突撃させるなんてやり方、兵士の命を大事にするとかしないとかそういう意味でもなく、今ではそんなアホな作戦たてませんよね。これも「人の命なんてほっとけば生えてくる」みたいな価値観が根底にあったから、単一の陣地攻略戦で数百人死んでもあまり気にしなかったのでしょう。
 もちろん今では兵隊の命は貴重なモノですし、それよりも工業化によって、人の命を差し出すくらいなら、改良された兵器を投入する方がずっとコスト安なので、人道的な見地とは別な視点でも、そういう無駄に人の命を捨てるようなやり方はしません。これも冷静に書くと、現代は命の価値が大多数の工業製品を上回っている社会構造故の話かと。

 いろいろな時代の小説、あるいはノンフィクションなどを読むとき、大体私は結構その時代の人の命の価値について考えます。そうでないと価値が読み解けない文章も意外と多いですし、また逆に、今の時代って少なくとも命を失いたくない人にとっては、割と最高な時代なのかもとしみじみ思ったりもします。

宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八(SB新書)/小野雅裕

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