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オタク論!/唐沢俊一・岡田斗司夫

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 岡田斗司夫の本はわりと好きで、店頭に並んでいるとつい買ってしまう。

 で、本書は月刊「創」に連載されていた(こんなのが連載されていたのに驚きだが)、唐沢俊一と岡田斗司夫の対談をまとめたもの。時代的には、過去2~3年より今…という位だろうか。

 読んでいて思うのは、唐沢にせよ岡田にせよ、もうヲタクなんてどうでも良くなったんじゃないかと…。こういう心境は私も良く理解できるよ。だって現代のオタクとは、「萌え」とか、おおよそヲタク思考から一番縁がないであろう要素がオタクを代表する趣味思考になっちゃってるもんね。これを大衆化という言葉でくくれるのかどうかわからないが、そもそも大衆化というコンセプト自体、ヲタク的思考から離れたところにある。
 古い考え方だ!っていわれれば、その通りとしかいいようがないけど。

 岡田が本書で言っていた「今ヲタクとして尊敬できるジャンルは、鉄道だけだ」という言葉は、私もなんだかとても納得できるなぁ…。いつの間にかオタク=萌えという概念がメディアによって作られ、それに向けてたくさんの人がオタクになって、オタク市場は拡大中!なんて記事を、最近では経済誌までで見たりするが、そういった作られたりブームで増えたオタクはヲタクではないだろう、と、古くからヲタクを知っている人達なら、すぐに分かると思うんだけどね。

 拡大するオタク市場などという言葉でひとくくりにするから論旨がずれる訳で、萌えを単なるブームと考えれば、所詮そんなモンなんじゃない?
 実際、旧来の定義でヲタクっぽい人ってのは、特に減っても増えてもいないのではないかと思う。いや、これからより一層、男子達が結婚などという旧来の価値観を捨てた人生を歩み始めるとすると、生活背景からヲタクの人口は増えていくとは思うけどね。

 もっとも、オタクなんて言葉は、元々そういった厳密な定義があった言葉な訳でもないし、なんとなく「それっぽい」という人を表す形容詞として捉えれば、今の萌えにうつつを抜かすオタク達もオタクで間違ってはいないと思う。
 そう考えると、オタクかヲタクじゃないかなんて議論そのものが、アホらしくなってきちゃうのもわかるし、オタクかどうかなんてどうでもいいじゃん…ってな心境も理解できる。

 ちなみに本書の裏テーマは「いかにカッコよくオッサンや爺さんになるか」だそうである。確かに仕事以外の知識が豊富な人は知的に見えるし、異性からの評価という点では、案外女の子ってウンチクを楽しそうに語る年上の男って好きだしね。そういう意味では、萌えばかりでなく、きちんとヲタクな生活を送ってきた人は、歳を取った後カッコ良くてモテる男になれるのかもしれない。それに伴って外見も努力せんといけないとは思うけど。

オタク論!/唐沢俊一・岡田斗司夫

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