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妊婦に気づいて席を譲って

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 勘違いも甚だしいと思う

 キツイ言い方をすれば、老人になるのはともかくとして、妊娠は自分達で選択した道だろう。そういった人に対して席を譲ってあげるのは、あくまでも譲る側の善意だ。電車で立っているのが辛いのなら、必ず座って乗車できる時間に外出すべきだ。それか女車両に行けよ。空いてるんだろ。

 私も妊婦がいたら席を譲ってあげるとか、そういう善意はとても美しくていい事だと思うが「電車で席を譲ってくれる人はほとんどいなかった」などと憎まれ口を言うバカ妊婦に何故進んで善意を見せなければいけないのか。甘えるのも大概にして欲しい。
 大体私の母の世代は、妊娠しているからって家事などの仕事はぎりぎりまで休まずこなしていたし、公共交通機関で特別扱いなんてされなかったそうだし、それが当然だと思っていたそうだが。逆にさりげなく手を貸してくれる人とか、そういう優しい人は多かったみたいだけどね。

 こういう人間は頼むから外出を控えてほしい。世間はあんたらバカップルのために回っている訳ではない。もっともね、きちんとお願いされれば私だって席くらい譲りますよ。逆に他人に頭も下げられないガキはガキなど作るなと言いたい。

 ついでに言うと世間で騒がれている少子化問題なんてのも個人的には興味ないので、みんなそんなに無理して子供作らなくてもいいのに…とも思う。

|妊婦に気づいて席を譲って|


コメント(19)

 ブログの内容について「?」あり。
「電車で席を譲ってくれる人はほとんどいなかった」というのは妊婦の思いあがりではなく、「妊婦マーク」を提示しているにもかかわらずそれをなかなか周囲が理解してもらえなかったということじゃないのかな?

 妊婦だったら、外に極力出ないとか、外へ出ても混雑を極力避けるようのするのは当然かもしれないけど、日々生活しているとそうも出来ない状況にもなるよ。混雑している電車に乗るとかね。
 お腹が膨れていれば周囲も「妊婦」だと理解してくれるけど、妊娠初期の場合はお腹が膨れていないので、周囲もなかなか理解してはくれない。だからといってお腹が膨れていないのに「妊娠しているので席を譲ってもらえませんか?」とも言いづらいと思うよ。
 そういう時の意思表示として「妊婦マーク」を使うんだと思うよ。ただそのマークの世間の認知度が低いので嘆いているんだと思うよ。
 妊婦だって自分が動きづらいから、席の空いている方に行くとは思うよ。その方が楽だし。それが混雑している車両にいるのは、自ら望んだ訳ではなく、やむなくそうなってしまったんじゃないのかな?。

 妊婦は特殊な状態だから席を譲るのは「善意」という以前に「当然」。それは相手がどう「勘違い」をしていようとも。
 実際、目の前に妊婦に立たれて、自分は席にずっと座っていられるか?。相手が勘違いしてたとしても、妊婦を目の前にして座り続ける方が苦痛だと思うけど。
 「頼めば譲る」と書いてあったけど、普通、立っている人が「席を譲ってくれ」と呼びかけてくることってあまり無いよ。大抵は頼みづらいし。そんな時のための「妊婦マーク」なんじゃないのかな?。
 妊婦、お年寄り、ケガ人、ハンディキャッパーなどが自分が座っている前に立ったら、向こうが頼まずとも率先して譲るのがマナーじゃないのかな?。

 リンク先の記事にあった女性の発言も、文面から見ると「勘違い」しているようには思えなかったけど。
 妊婦マーク無しで言っていれば確かに「勘違い」だけど、妊婦マークを付けて「妊婦です」と意思表示をしているにもかかわらず周囲に理解されないのなら、記事での発言も至極当然のものと思うけど。
 
 妊婦もある程度お腹が膨れれば安定期に入るので安心は出来るけど、リンク先の記事にもあるように、妊娠初期はまさに安定期前なので激しい悪阻が来たり気を付けないと流産の可能性だってある。そんな状態の女性に「甘えるな」はちょっと無いんじゃないのかな?たとえ妊婦が「勘違い」をしていても。
 妊婦だからといって、ずっと家にいるという「甘え」が許されないのが現実なのだから、外で妊婦に出くわしたら、ある程度の配慮はすべきだと思うよ。
 お腹が出ていなくとも妊娠は妊娠。しかもデリケートな時期だ。しかし周囲がなかなか理解してくれない。特に男なら尚更だ。
 それを判ってもらうために「妊婦マーク」を付けて意思表示をしているのだから、それが「席を譲ってほしい」という頼みにもなっている。だから直接頼まずとも、そのマークを見てもらって理解してもらうことになる。
 だが妊婦マークは世間的に認知度が低いためになかなか理解してもらえない。そこがリンク先の記事の女性の不満なんじゃないのかな?。内容は勘違いとは思えなかったけど。

 今は亡きウチの祖母が「お産婆さん」で昔、自宅が診療所だったこともあって、妊婦がウチに行き来しているのを幼い頃から見ているせいか、どうしても妊婦寄りに見てしまうけどね。
 それでもリンク先の記事は腹の立つ内容だとは思わなかったけど。

 
 

投稿者: たつや | 2007年12月28日 20:22



ん?たつやさんこそ論点がずれているのでは。

別に妊婦に優しくするのがダメといってる訳ではなく、マークをつけた妊婦が特別扱いされない事に対して、それは思い上がりでは?といっているのですが。
例えば目の前に座っている人は、健康そうに見えるけど腰を痛めているかもしれない。あるいは何らかの障害を持っているかもしれない。まあ…ややへりくつっぽい言い方ですが。それに対して自分が席を譲られないからって「電車で席を譲ってくれる人はほとんどいなかった」といわれても困りますよね。

昔雑誌の「NAVI」で「この車は赤ちゃんが乗っています」というマークで猛烈な論争が起きていました。この問題はそれに似ているな。

善意は強制されるものではありません。それこそみんなが「善意」で行うべきものです。この手の問題は善意と正義と道徳と受ける期待値としての善意?がごっちゃになるから混乱しがちです。

それと、妊婦マークが理解してもらえないなんていってもらっても困りますけどね。だって知らない人は全然知らない訳ですから。
もっとも、この件で私はこのマークの存在を知った訳ですから、多少は気を遣おうかなとは思いますけど。

投稿者: よっち | 2007年12月28日 20:53



 論点はズレていないよ。「妊婦は特別扱いすべき」と思っているから。
 席に座っている人が何らかの障害があるために席を譲れないことはあると思うけど、女性のコメントに「ほとんどいなかった」とあるように、複数回同じ状況で同じ目に遭っているということだから、全部のケースが障害者ってわけじゃないはず。それだけ「妊婦マーク」が世間に浸透していないということを言いたかったんじゃないのかな?。
 記事の女性が「電車で席を譲ってくれる人はほとんどいなかった」と言ったのは「妊婦を目の前にして席を譲らないのは不誠実だ」というわけではなく、相手に、自分が妊婦だとわかってほしいのにそれが伝わらずリアクションが無いことでシステムが世間に浸透していないことに不満を感じているんじゃないのかな?それに自分が妊婦だと伝えることは単に席を譲ってほしいからだけでなく、周りの人達に迷惑をかけるかもしれないというカミングアウトだと思うよ。

 妊婦が「席を譲ってほしい」と思うのは本音だと思う。このくらいなら善意の強要とも思えないけど。「私は妊婦なんだから、私に席を譲るのは当然だ」となるとこれは傲慢だけどね。
 記事の内容を読むと、そこまで傲慢な感じには思えなかったけど。
 「席を譲ってもらえなかった」というのは「乗客」に対して怒っているわけでなく、妊婦マークが知られていない「現状」に苛立ちを感じていたんじゃないのかな?。記事の文面からするとそう思うんだけど。

「妊婦なんだから特別扱いしてほしい」というのは傲慢でも善意の強要でも何でもない。逆に妊娠をカミングアウトすることで不測の事態を防げることだってある。周りが妊娠を知っているのといないのとでは対処が全く違ってくる。
 妊婦だということを利用して傍若無人に振舞えば話は別だけど、「席を譲ってくれる人はほとんどいなかった」と思うぐらいなら正直な感想だし、なにも咎められることは無いと思うけど。しかも「席を譲ってくれなかった」という言葉の奥に、「妊婦アピールをしているのに通じていない」という、乗客よりもシステムの不備の方を責めているんだと思うよ。
 だとすると記事の女性の意見は傲慢ではなく、善意の強要をしているわけでもなく、ただの正直な感想だと思うよ。しかもそれが周りに不快感を与えるほどの発言でもないし。
 

投稿者: たつや | 2007年12月28日 23:39



特別扱いするかしないかは個人各々が判断すればいい事で、それは私が論じている事ではありませんし、またそのようなシステムがあったからといっても、それに従う理由もありません。

私も妊婦に限らず、困った人には親切にすべきだと思いますが、それをシステム化して、そのシステムが浸透していない現状に不満…ってのもおかしいのでは?
逆に知っていてそのシステムに従わない人は不誠実なんでしょうか。

私は元の記事を読んで、答えている人は単純に苛ついているんだろうなと感じましたし、そこで見解の相違があるのならそれまでですが、それらの善意をシステム化して、半ば善意の強要みたいな風潮に持っていく事には非常に違和感を感じます

妊婦を始め体の不自由な人に席を譲る事はいい事だと思いますが、逆に席を譲らない事は悪い事でしょうか?
私がこの記事を読んで、ややヒステリックな形でエントリーを書いたのは、結局この手の話題はどんどん進行するに従い「譲らない人間は悪である」という形に落ち着くのが目に見えているからです。

繰り返しますが、そのようなマークがあろうと無かろうと、法律で規定されてない以上、席を譲るのは個人の自由です。その現状に「苛立ち」を感じるという理由にも違和感を感じます。

投稿者: よっち | 2007年12月29日 00:28



 「妊婦マーク」は、外見上では妊娠していることが判ってもらえない人が周囲に「妊娠している」ことをアピールする「手段」だよ。実際、そういう印でもついていないと妊娠初期の人が「妊婦」だとは周りに判ってもらえないからね。
 「妊婦マーク」を付けている人に席を譲らないことは法的な罰則は無いけれど、実際問題、自分が座っている席の前に「妊婦」が立っていたらどうする?席を譲る譲らないは自分の自由だし、譲る義理も理由も無いとしても、妊婦を目の前にしてずっと席に座り続けられるだろうか?。自分が席を譲れない正当な理由(病気、肉体的負担など)があるのならともかく、自分が健康体であった場合、座り続けることに罪悪感を感じないか?。妊婦を目の前にして平然と席を座っていられる方がちょっと神経を疑うよ。

 「外見上、明らかな妊婦」や「ケガ人」、「外見上、明らかなハンディキャッパー」などは「見た目」で困っている人と判るから周囲もケアしやすいけど、妊娠初期は外見上では妊娠していることが判りづらいから、「妊婦マーク」などある程度システムとして打ち出さないとなかなか人々に理解してもらえないと思うよ。システム化は人々に理解させるための手段だよ。システムというより「新しい公共マナー」として考えた方がいいかもしれない。「列車内では携帯電話はお控えください」というのと同じ類だと思えばいい。
 システムにすることはなにも悪いことじゃない。公共マナーとして浸透させるための手段だからね。これは「善意の強要」ではなく、「新しい公共マナーを認識させる」ためだよ。
 これは「妊婦マーク」を推奨している団体だけでなく、できれば鉄道会社が大々的にキャンペーンを展開してシステムをしっかり乗客に理解させるようにすればいいと思う。今まで会社がそういう配慮をしなかったため「妊婦マーク」のシステムが浸透せず、せっかくの新しい試みもうまくいかず、システムを利用する妊婦が不満に思うのも当然だと思う。
 「システム」は人が持つ「純粋な善意」とは言い難いからそれに従うことに反発もあるだろうけど、「妊婦マークをつけた女性に席を譲る」ことが公共マナーになった場合、「システムに従う理由は無い」というのはどうだろうか?システム云々はともかく、妊婦に席を譲る理由はないということなのかな?「システム」という言葉はちょっと悪いから「マナー」として考えると、その行動は人としてどうだろうか?「法律で制定されていない以上、席を譲るのは個人の自由」というのもどうだろうか?法律で制定されない限り妊婦マークの人に席は譲る必要は無いってことか?そんな理由で妊婦を目の前にして平然と座っていられるのか?。
 さしたる理由も無いのに妊婦に席を譲らないのは「悪」だ。言葉は悪いが「当然のこと」だ。またシステムを知っているのに確固たる理由も無く従わないのは「不誠実」なのも当たり前だ。知っているだけに尚更性質が悪い。

 善意は大事なものだけど、善意だけでは人は動かないんだよ。妊婦に席を譲ることは頭では判っていても周囲の目が気になったりしてなかなか実行出来なかったりするんだよ。特に大阪の場合、席を譲るのが「エエかっこしい」と見られる風潮があるらしく、なかなか席を譲るということがなかったらしい。
 そこで近鉄だかどこかの鉄道会社が80年代に「優先席撤廃、全部の席が優先席です!」という、乗客の善意に訴えるキャンペーンを打ち出したんだけど、これが見事に失敗。「着いた席は自分のもの」という大阪気質と「エエかっこしい」を嫌う風潮がその原因らしい。
 それが最近、優先席のスペースを復活させたところ、席を譲る人が増えたという。それは「優先席だから人に譲るのは当たり前」という「言い訳」が出来るようになったためらしい。
 「妊婦マーク」の件も、「システム」だからという言い訳が出来れば席を譲る人も増えるんじゃないかな。
 「システム」は人を縛ったり強制するためにあるのではなく、人を行動させるための「便宜」だよ。人間関係を円滑にするためのマニュアルでもある。それに反発するのは筋違いなんじゃないのかな?

 「妊娠」とはデリケートな状態だから特別な扱いをするのは「当たり前」だ。席に座っている各個人の判断は特別な理由がある場合を除いてこの際まったく関係ない。要は妊婦に対する「気遣い」があるかどうかだ。「席を譲るのは個人の自由」ではあるけれど、「妊婦を立たせてまで自分が席に座わることを保持したい自由」は、果たして正当な「自由」と言えるのだろうか?。
 自分が健康体である場合、自分の前に妊婦がいたら、四の五の言わずとにかく席を譲ること!「席を譲らない事は悪い事でしょうか?」と書いてあったけど、正当な理由がある場合を除いては当然だ。どう考えてもそこに落ち着くのは、「当たり前だ」。逆に、妊婦に席を譲りたくない理由って何なんだ?

 「妊娠」は、経験者や当事者以外ではなかなか理解しにくいものだ。そのため妊婦に対しての知識は世間一般に広まりにくい。だから「妊婦マーク」というシステムを作って世間に広めようという運動は悪いことではないはずだ。これは席を譲ることを強要するためにあるのではなく、妊婦であることがどれだけ大変なのかを理解してもらうためのものだから。
 そういう境遇の妊婦を目の前にして「席を譲るかどうかは個人の自由だから」と譲らないことの言い訳として相手に言えるのか?「個人の自由」よりも「相手への思いやり」の方が優先するのが人間なんじゃないのか?

 妊婦だからといってずっと家にいられることは難しい。どうしても外に出なければならないこともある。迷惑をかけないように女性車両に行く場合もあるだろうけど、妊婦のすべてがそこに入れるわけじゃない。止む無く一般車両に入ってくることもあるはずだ。それをむげに「他へ行け」呼ばわりではちょっと冷たいんじゃないかな?。
 もう少し妊婦の立場になって考えた方がいいと思うよ。妊婦というものは相当体に負担がかかるものなので、妊婦の負担が軽くなるシステムが出来ればそれを利用しようと思うのは当然だ。妊婦からすれば、やっと妊婦という立場が世間的に認識され、負担を減らすことができるようになると思っていたのに、実情はそれが世間的に生かされていないので当然不満になるよ。その不満を「我儘」だとか「思いあがり」だとか「勘違いもはなただしい」といってバッサリ斬り捨てるのはちょっと乱暴なんじゃないかな?

 

投稿者: たつや | 2007年12月29日 04:18



神経を疑うとかそういうのはまた別問題では?

マークをつけても何をしてもいいけど、私は元の記事で「親切にされるのは私たちの権利」というような臭いを感じました。だからある意味とてもムカッときたのです。

個人個人が親切とか不親切とか、そんな事は問題にしていません。親切にするとかしないとか、そんな事は子供じゃないんですし、自分自身が考えればいい事です。

ただ親切しない人が悪者扱いされるであろう…あるいは神経を疑がわれる?事に疑問を持っています。

例えば妊婦が立っている前で、仕事帰りのおじさんが疲れた感じで座っていたら、おじさんは神経を疑われます?また、その神経を疑っている人に親切心と善意を感じる事はできますか?

親切は、親切をしてあげようと思った人が進んでする事です。それこそ、決まりとかルールとか法律に縛られて行う事ではありませんし、親切にされなかったからといって文句を言われる筋合いのものでもありません。

微妙に別のエントリーとも絡みますが、私は切れて反省しています。

そんな決まりが無くてもお互いに助け合える世の中になるといいですね。

投稿者: よっち | 2007年12月29日 19:58



結局のところ、今の世の中は善意が無い人が多い世の中になってきているのが現状なんですよ。
妊婦を見ても席を譲らない人は大勢居ます。善意を期待するのが悪い事ではないですし、妊婦を特別扱いするのも悪いことではありません。
善意の無い世の中になってしまったのであれば、システムとして組み込みのが正統であると私は考えていますので、よっちさんの考えとは真っ向から対立しますね。
世の中になぜ優先席があるのか考えた事ありますか?又、各種の規則等があるのはなぜですか?
おのおのが個人で考えて行動すればよいと言うのは、まさに自分勝手な言い分である事に気が付いた方が良いと思いますけど。

投稿者: sumi | 2007年12月30日 10:19



身勝手といわれてもな。

ま、そういう人を見て「身勝手だ許せん!」と思うのも個人の自由なので、好きにしてくれとしかいえません。

その身勝手な人が増えた現実を変えるのではなく、ルールで縛り付けるというのも…ま、それはそれでアリだと思いますけどね。私はごめんですが。

投稿者: よっち | 2007年12月30日 10:52



現実を変えるのに必要な事って何でしょうね?
色々なキャンペーン打って、強制的に善意の意識を植え付けることも、結局は社会のルール(マナーともいえますね)を植えつける方法だと思いますよ。
もちろん、善意の押し売りも、善意の強制も私は好きではありませんが、少なくとも弱者や社会的に見て保護すべきであろう人たちを社会として優遇するのは当たり前の世界であるべきであると思います。
ただ、それが、単なる個人の考える善意だけに担保される世界は非常に脆弱であるとも言えますよね。
その善意と言う意識の土台となる部分はどこにあるのかを考える必要も有ると思いますしね。
私の言ってる事って抽象的なのかもしれませんが、善意と言うのは土台となる常識が違えば悪意にも変わってしまいます。善意を考えて行動すれば良いと言うのは、個人個人でバラバラの考えを前提にしているとは思えません。よっちさんの考える善意と他の人が考える善意は全く違うものかもしれないんですから。
私が身勝手と言ったのは、まさにこの部分なんですよ。人の考えや行動はバラバラですので、善意の土台になる部分をどのように担保するのかという部分がすっぽり抜け落ちてるから、あえてコメントしていますし、よっちさんの考える善意ある行動がどのような行動基準からきているのかによっても、よっちさんの言い分の取り方がかわってしまいますから。
ですから、最低限守らなければいけないルールやマナーは強制されてしかるべきだと考えています。
最近でこそ、少なくなってきたとはいえ、飲酒運転だって、本来善意がある人が多ければわざわざキャンペーンを打つ必要は無いですし、歩きながらの喫煙だって皆が善意を持っているのであればなくなっているはずですよ。
ある行動に善意を感じるか感じないかは受けた人の勝手であると言うのも分かりますし、それを施す人の勝手であると言うのも分かりますが、それは善意に頼ったものであってはいけないとも言えると思いますけどね。
善意ではなく、「それをするのが常識である」と言う根本となる部分を多くの人の心に如何に刻むかって事が重要だと思います。
そのための強制であれば私は喜んで賛同しますよ。

投稿者: sumi | 2007年12月30日 13:24



うーん、よっちさんの女性の話題に関するエントリーを全て見返してみたのですが、結局よっちさんは女性が嫌いなんでしょ(^^;
どうにも、女性の話題を見てると、単にヒステリックに反対してるようにしか見えないんですよね・・・・・
まぁ、その気持ちも分からないではないですが。

投稿者: sumi | 2007年12月30日 13:33



今度は女ぎらいか…。なんでもいいけどね。

この前に投稿された長文コメントは、後でよみます。今私が嫌い扱いされてる、女性様と一緒なので。

なんか一連の書き込み読んで、私は妊婦見ても優しくしない冷血男と思ってる人多いんだろうな。どうでもいいけどさ。

投稿者: よっち | 2007年12月30日 14:32



 「妊婦に対して優しくない」と思っているわけでなく、記事にあった女性の発言が「善意の強要」や「権利を持っている思い上がり」だと感じてしまったから、素直に受け止めたくないってことじゃないのかな?実際妊婦が目の前にいたら席を譲ってくれると思うけどね。

 記事にあった妊婦の発言は「思いあがり」としたところに誤解があるんじゃないかと思ってこっちはその誤解を解くためのコメントをしているわけだけどね。妊婦のコメントは、譲らなかった乗客に対して悪意を持っているのではなく、「妊婦マーク」という優先権を持っているのに世間的な認知度が低かったため通用しなかったことに対する不満だと思うよ。

 ただ実際問題、妊婦を目の前にして席を譲らないのは、「自分が肉体的や体力的な問題がある」場合なら仕方が無いし、責められることはない。妊婦マークの意味を知らなかった人も、またこれも仕方がない(妊婦マークを付けている人はお腹が膨れていなく、見た目では妊婦とわかりにくい)。
 しかし相手が妊婦だと判っていて、譲れない確固たる理由も無いのに席を譲らないのは、やっぱり人として問題はある。妊婦を目の前にして「席を譲るのも譲らないのも個人の自由」などというのは、「正しい自由」ではない。妊婦を目の前にしたら「譲れない理由が無い限りは、譲るべき」が正道だ。それは規則や公共マナー以前に人としての「心得」だ。それに席を譲ることはそんなに負担のかかる作業ではないはずだ。大分部の人が「無理なくできる行為」だ。それなのに理由も無く席を譲れないというのは、人から責められても仕方のないことだ。
「席を譲るのは個人の自由」ではあるけれど、それを言うなら自分は「席を譲る側の人間」でなければならない。
これを自分が席を譲らないことの言い逃れにしてはいけないからだ。

 ルールなど無く、お互いが助け合える世の中ならベストではあるけれど、「妊娠初期の妊婦」というのが世間一般によく知られていないため、それを知ってもらうためにシステムを作らざるを得なかったのだと思うよ。
 システムが始まる時はどうしても「規則的」になるよ。これは仕方に無いことだ。これが「新しい公共マナー」になり、規則ではなく「一般常識」レベルになればベストなんだけどね。

 

投稿者: たつや | 2007年12月30日 15:45



>権利を持っている思い上がり

結局その部分での解釈の違いですよね。確かに元記事はややキツ目に書いてますけど、善意が義務化する事において、私は反発しているのであり、善意を否定している訳じゃないんだけど。

ま、その辺は人それぞれいろいろだと思いますが、マナー云々を語っている人が他人(しかも見ず知らずの人ならともかく一応知り合いなので相手は私を明確に頭に思い描いて語っているって事だよね)に向かって「自分勝手」だの「女嫌い」だの、罵声を浴びせる事についてマナー違反だと思っていないというのが不思議でなりません。

たつやさんみたいに見解の相違について語るのなら、多少熱くなってもそれはそれで私も思うところをぶつけられますけど、人格攻撃までされるとはな。ま、どう思われようがどうでもいいけどさ…。

ちなみに、確かに私は昔から女性に「女にも容赦ない事よく言うよね」とか言われる事多いです。
だからといってそれが原因で嫌いとか言われた事ないけど…というか、本当に嫌いになったら口には出さないか(笑)。

投稿者: よっち | 2007年12月30日 18:21



私は別に人格攻撃してる訳ではないですよ?
よっちさんのエントリーやコメントを読んで、率直に感じた事を書いただけですし、私が身勝手な事を言っていると思われるのであれば率直に、「身勝手じゃないの?」と書いて貰って構いません。それはルールやマナー違反に類するものとは感じないのですが。

私が論点に持ってきているのは善意の定義って部分なんですよね。たつやさんの言葉を借りると「人としての心得」にあたる部分です。
「人としての心得」が希薄になってきている現状があるから、妊婦マークというシステムが考案されたのでしょうから、人としての心得や善意を有る一定の割合でルール化したりするのは現状仕方ないのではないかと言いたいんです。それに違和感を感じるのはよっちさんが善意の本質を知っているからだと考えているのですが、反面、善意というのは個人個人が勝手な方向性で考えていれば万事OKという様に発言しているようにも感じたので、反論としてコメントしています。
私の論点がずれているのかもしれませんが、決して人格攻撃をしている訳ではない事だけは明記させて頂きます。

投稿者: sumi | 2007年12月30日 21:54



>率直に感じた事を書いただけですし
 ま、その件いいですよ別に。私はこの先この件を引きずるつもりはないですけど、素直に感じた事を書くというのが、どれだけ危険な事か、他人のマナーを考える前に、自分自身のマナーについて考えた方がいいのでは?

あなたがポイントとしている「人としての心得」なんて元々私は話題にしていないし、それについての話はたつやさんと既に何度も話をしているし、またその議論に結論をつける必要性も感じていません(もちろんたつやさんの意見はたつやさんの見識として尊重いしますが)。それを「まさに自分勝手な言い分である事に気が付いた方が良い」などと高圧的な態度で来る方に対して、同じような話題を蒸し返してコメントする必要がありますか?

もし、同じ議論を繰り返したいのなら、ご自身が責任を持つ場で好きに行えばいい事です。おそらく私は参加しませんけど。

また、他の方がこのエントリーに疑問を感じられたというのであれば、最低限他人を尊重する立場でのコメント、またこの場は他人の意見をまとめたり指導したり収束させる場所ではない…という条件を理解いただけるのなら、私もきちんとコメントさせていただきます。
この段落については、このブログ全てのエントリーに当てはまる事ですし、他のブログでも当てはまる事だと思いますけどね。

もはやこの件に対する説明責任は感じていませんが、このエントリーを見ている他の人もいらっしゃると思い、一応私の今の見解を記しておきます。

あと、くどいようだけど、このコメント(エントリーではない)に対する意見があるというのなら、ご自分の場で勝手にやって下さいね。私は今のところこのスタンスを変える気はありませんし、議論する気もありません。

投稿者: よっち | 2007年12月31日 18:24



確かにバカ妊婦多くて嫌いだ。
妊娠してるから偉いのかと疑問…
妊娠してたら、電車もラッシュ避ければ良いだけ、同じ女性として疑問です。
無計画に妊娠するのは駄目ですね…。
ちゃんと貯金あって妊娠しようと考えてするなら良いですけど。赤ちゃんがうまれても、ペットみたいに育てて常識無い子に育つのも嫌だし、今はこんな親ばかりで気持ち悪い。

投稿者: mo | 2008年06月17日 11:55



もう元記事が読めませんけど…。

まあ、彼女達に事情があるのは判りますし、別に彼女達に親切にしてあげる事はいい事だと思いますし、私も気がつけば親切にします。

だからといって「妊婦マークに」気がついてもらえなかった…なんて批判されても困る…という事ですかね。

投稿者: よっち | 2008年06月17日 15:58



まったくもってその通りだと思います。
好き好んで妊娠したのに、席を譲れって何を考えているんでしょうか?
それに、マタニティーマークなんて必要ないと思います。たまに、他の人のブログで席を譲ってもらいたかったけど恥ずかしかったから隠した、とか書いてる人がいますが、隠すぐらいなら妊娠するな、マタニティーマークなんか所持するなと言いたいです。
最近の妊婦はバカばっかりで本当に嫌になります。

投稿者: yui | 2010年02月25日 16:16



昔は私も書き方が過激だったなぁ…(笑)。

それはさておき、私がこのエントリで言いたかったことは、
「善意を受けられなかったことに腹を立てられても困る」って事ですね。

妊婦がいれば席を譲るのは良いことだと思いますし、そういう社会は住みよい社会だと思いますが、
それが逆に「妊婦に親切にしなかった人は悪」みたいな思想には反対です!って事です。

しかし…マタニティマーク恥ずかしがる人ってのもいるんですね。

投稿者: よっち | 2010年02月25日 17:04



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