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「フクシマ」論:原子力ムラはなぜ生まれたのか/開沼博

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20111203_02.jpg まず始めに認識して欲しい部分は、本書はあの「フクシマ3.11」以前に書かれた文章だという点。しかし、原子力と地方を結びつける問題、そして原子力の近くで暮らしている人達の葛藤の描写などは、あの事故後においても色あせない、鋭い視点で描かれている。というか、フクシマ以前にも、原発関連の問題点を指摘した本は沢山あったが、本作以外であの事件以降でも通用する本はあまりないのではないか?そんな気すらする。
 本書では、そのような「原発と地方」という単純な対立構造ではなく、地方の抱える問題点、原発と暮らす人達の葛藤を描き出す。なかなかエキサイティングな文章であった。

 地方の村が発展し、いずれは都市と同様になるという幻想。戦後の日本社会とメディアは、無意識かもしれないが、そのような思い…あるいはそのような目標を日本の地方に植え付けてしまった。
 今はわらぶき屋根の田舎ではあるが、将来はコンクリートの建造物が建ち、道は真っ直ぐ綺麗に整備され、閑農期には出稼ぎに出る必要もなく、一年中家族が笑って過ごせる社会。言い切ってしまうには乱暴な面もあるが、しかし、バブル期の交付金で日本各地に建てられたハコモノ施設は、権力の癒着構造などでは説明しきれない、コンクリートへの憧れがあった部分は否めないだろう。

 話を福島に移せば、今福島県で原発がある地域は、かつて「福島県内のチベット」などと揶揄されていた場所。農地に使うには生産性が低く、また漁業を行うのにもまともな港が作れない…といった地域である。この地域は私も何度か訪れた事があるのだが、台地状の土地には松林が覆い茂り、付近の小さな浜を巡り争いが絶えず、戦後は日本で一番小さな漁港を作り苦労の末に運用せねばならなかった場所である。今は原発があるから産業があるけど、正直それがなければ何もないよな…と、あの当時も思った記憶がある。
 ちなみに福島県内でもう一方のチベットと言われていた檜枝岐地域は、戦後日本最大の水力発電所の建設に伴い、大幅な県民所得の上昇を達成した時代があった。その評判は、当時の福島県内でも知れ渡っていたであろう。あの当時、日本国民には原発に対するアレルギーもあまりなかったし、東京電力という日本屈指の大企業がオラが街に進出してくることを反対できる雰囲気ではなかったことは容易に想像できる。
 そして、その雰囲気は、あの3.11のちょっと前、世界で反原発が叫ばれていたあの時代でも同様であった。

しかし、なぜよりによって福島原発への恐怖から逃れてきた者が、わざわざ柏崎原発のお膝元に逃げるのか、疑問に持つ者もいるだろう。答えは単純だ。「それ」で喰ってきたからだ。

 この問題、感情的になるとつい「多額の交付金をもらってきたのだから今更被害者ぶられても…」「それみたことか、原発など受け入れるからこういう結果になる」「私達の電気を支えてくれた福島の人達が犠牲になることは許されない」などと語ってしまいがちではあるが、原子力の安全性・危険性・経済価値は別にすれば、都会と地方という、同じ日本国内ではあるが、その環境・価値観の違いを是正したいと夢を見る人達にとっては、ある種麻薬のような政策にも問題があるのかもしれない。そして日本の地方は、原発以外でも様々な助成金をもらっている自治体が今でも数多く存在し、その多くは、役割が終わったから終了しましょう…という議論すら許されない中にある。

 やや位相はずれるが、日本の都市化政策と、ある時点から突き放されたように語られるようになった地方自治。しかし、このシステム、この日本の中で、本当に「地方自治」なんて可能なのか?本書を読むに辺り、そのようなことも考えてしまった。

 装丁は、一定年齢以上のエディトリアルデザインを行ってきた人にとってはヒーローである「戸田ツトム」氏によるもの。以前の作品に比べると大分おとなしいというか普遍的なデザインになってきたが、彼の美意識は、このような社会問題を扱う書籍にはとても向いているなぁ…と思った。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 25mm F2.8


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