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▼2008年03月23日

光の惨劇

080323-02.jpg 田中長徳氏の言葉だと思うけど、写真を称して「光の惨劇」というのは、なかなか文学的でよろしい表現だと思う。
 確かに、フィルムの時代の写真というのは、カメラという名前の暗箱に、一瞬の光を入れてそれを感光剤に焼き付ける。フィルム側からの表現としては、まさに一瞬の光で身を「焼き付け」られる訳で、その様子はまさに惨劇といえなくもない。

 デジタルの時代になって、この写真の原理…というか、仕組みというもっとプリミティブな感覚を忘れがちになっている。現在の感光体であるCCDは、光の一撃などモノともせず、すぐにその身をリセットさせて、新たな光を受け止める事ができる。シャッターはいくらでも押す事ができ、またその記憶媒体は、カメラ内に装備されているものだけでも1,000枚を超える容量を持つ記憶領域を持つものもあり、また家に帰ればその保管場所であるHDは、実質無限大である。

 だから写真の価値が失われた…などと言うつもりはない。が、シャッターが写し取ったその光に対する敬意は失いつつあるのかな…という気がする。特に仕事上必要とされるレタッチ処理などはもはや仕方ないと諦められても、通常の写真にレタッチと称する色彩加工、写真修正を施すのは、やはりその感光体が光を受けた時間に対する一種の冒涜ではないか…などと感じてしまうのだ。そんな事言いつつも、この私だって、ホワイトバランスくらいの調整はしますけどね。

 写真は既に試験運転に入っている「舎人ライナー」。こういうハイライトが強い写真は露出選択に迷うんだよな…などという悩みは既に記憶の彼方に行ってしまったくらい、デジタルという写真はとても簡単に見たままの画が撮れるようになったものだなと、つくづく思う。

OLYMPUS E-410 + Macro Zoomatar D 40mm F2.8

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コメント

ちょっと前に銀塩カメラに見切りを付け
ボディもレンズも全部(大した量ではないですが)
中古屋に売り飛ばしました
 銀塩の終焉と共に
 日常の記録は文字で残すようにしました
 文字は色褪せません
[594]


文字はいいですね。
確かに日記は後で読み返すと、実に色々な事がよみがえってきます。

もっとも、実生活で日記を付けたことはないなぁ(笑)。

デジタルの写真は、一瞬で全てがなくなってしまう場合もあるので、やはり長期保存には向かないのかもしれませんね。

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