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▼2022年03月06日

ワルプルギスの夜/グスタフ・マイリンク

https://live.staticflickr.com/65535/51921279554_69040ee0ea_m.jpg おそらく去年の11月位に買っている。ようやく読了。

 購入の動機は「そういえば、国書のワルプルギスの夜、買っとこうかなぁ〜」なんて気楽なものあったが、2021年11月当時、調べてみると、ゾンアマではプレミア、他のオンライン書店の在庫を調べると、唯一ジュンク堂の渋谷店で在庫が残っている状態。さっそく取り置きしてもらって購入。ひょっとして日本最後の店頭在庫を確保したかもしれない。

 国書刊行会がリリースするこれら幻想文学集は、この手の嗜好を持つ人たちからは国書税…などと呼ばれているようで、そもそも文学についてはさしたる知識も興味もない自分が購入してしまってよかったのか?は別にして、このマイリンクは知っていたし、ワルプルギスの夜については新刊の当時から知っていた。
 というか、マイリンクはそのうち読んでみようかと思っていた当時「ワルプルギスの夜」という、ある種ヲタにとってはキャッチーなタイトルの本が出たので、そのうち買ってみよう…と、頭の片隅にずっと残っていたのであった。
 まぁ、在庫なくなる前に気が付いて確保できて良かった。

 内容については…まあ、色々な所で語っている人もいるし、解釈についても色々みたいだから、ゾンアマのレビューや、Googleで感想を検索して読んでみて下さい。何となく雰囲気わかると思う。

 個人的に惹かれたのは、白いドミニコ僧という長編で、「尸解(しかい)」と「剣解(けんかい)」という言葉。巻末の解説には当時のマイリンクが、“アウグスト・フィツマイヤーという同年代の東洋学者の論文「尸解と剣解」からこの概念を教わったといわれる”とあるが、こんな言葉は当然知らなかった。
 この通り、これらの小説にはマイリンク自身が傾倒していたといわれる東洋的概念がふんだんに登場し、それが中世ヨーロッパ的なオカルト思想と相まって、独特の世界観を醸し出している。

 翻訳者は巻末の解説で「どうしてマイリンクはこれほど変てこりんな小説をかくのだろう」とも書いているが、私としてはこのような小説が当時のプラハ(第一次世界大戦の前)で、受け入れられ読まれていたという方が驚きだ。
 本書に収録されている小説はさほど売れた訳でもなさそうだが、もうひとつのマイリンク代表作である「ゴーレム」は、当時としては爆発的に売れたとある。次はこっちを読んでみよう。

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ワルプルギスの夜:マイリンク幻想小説集/グスタフ・マイリンク
ゴーレム/グスタフ・マイリンク

▼2020年05月31日

BL(武士らいふ)創刊号を入手しました

https://live.staticflickr.com/65535/49954871457_d9e8442865_m.jpg ここ数年、東国武士がブームだったりします。

 …いや、ホントかどうかはわかりませんけど、吉川弘文館では“動乱の東国史”なんてシリーズが出版されたり、のぼうの城のヒットや昨今の山城ブーム…中島卓偉のお城に行こう!って面白いですね…とか、それらの現象が重なり合って、いままで自治体が発行する地方史くらいでしか読めなかった東国武士の歴史も、大分メジャーになってきました。

 そんな中、去年の夏頃だったかな?密かに出版された同人誌「BL」…というと、アレな本みたいでなんですが、武士らいふという同人誌。
 昨今は同人誌といってもジャンルが多様で、このような読み物系同人誌も増えているのですが、本誌が珍しいのは付録にシミュレーションゲームがついていること。
 きちんと打抜き加工されたカウンタとか、これ印刷代高そうとか業界人っぽい余計な心配をしてしまうのですが、ゲームはその名も「羽根倉合戦」といいまして、1351年の南北朝時代に、今の埼玉県荒川にかかる今の羽根倉橋付近で行われた闘いだそうです…って、知らねーよなそんなの(笑)。自分もこの本の案内があるまで、県民のくせに全く知りませんでした。

 この時代の東国…関東平野といえば、見渡す限りの葦の原。はっきりいって人なんて住んでるの?みたいな世界でした。
 以前のぼうの城でお馴染みの埼玉古墳群までブロンプトンで出かけたことがあるのですが、その帰り道で田舎道をのんびり走っていると、途中葦に覆われた一帯が出てきまして、なるほど…江戸時代より前、中世以前の関東平野ってこんな風景だったんだろうな…などと考えながら走っていたことがあります。
 実際、江戸時代の前の関東の村といえば、埼玉県では川越以西と大宮付近、北は群馬県の足利辺りまで大きな都市はなく、東に至っては見渡す限りの葦原で、その中に下総台地がまるで半島のように突き出ていました。
 利根川も荒川も今みたいに堤防があってきちんとした川筋があった訳ではなく、適当にその辺を流れていたという感じ。なので大雨が降れば下流は湿地帯と化しますし、家を作ろうにも雨期にはすぐ水に囲まれてしまいます。個人的にこのような東国の水運・交通史には興味があり、このブログでもいくつかエントリ書いていますが、つまり関東平野は今と全く違った風景だったということ。
 資料が残っているのかわかりませんが、おそらく当時の西日本の都の人達と、関東の東国に住んでいる人では、人種的にも少し違いがあったかもしれません。鎌倉時代の武士とか背が高かったなんて話もありますし、また鎌倉時代の武士道とは、今私たち日本人がイメージする武士道とは全く異なり、目的のためには手段を選ばずな考え方です。卑怯とか何だとか気にせずまずは勝たねばご主人様に奉公も叶わず、といった極めて実践的な思想だったりしました。

 それはともかくこのBL…武士ライフ、同人誌として、東国武士好き…それもおそらくかなりのマニアじゃないと知らないような戦闘を題材にしたシュミゲを付録(正直ゲームと本どっちが付録かわからんが)にして発行されるという噂はシミュ友から聞いていて知ってはいたのですが、なかなかフロンティアな分野に挑むなぁ…なんて思っていたら、通販開始して割と瞬殺だった模様。ひょっとして富士見市とか朝霞市付近のシミュゲファンが全て買い漁ったのではないか?というくらい綺麗に消えましたね。オクとかでも見たことないです。

 そんな発行元でも本当に在庫がないという同人誌、ふとツイッタラーを見ていたら、この武士ライフ発行人が「ここどこ」などというクイズを出題しておりまして、結構日数経ってたようなのでアタリ出ているかな?と思いつつ解答したらなんと私が初当てだったらしく、プレゼントで頂いてしまいました!ありがとうございます。

 まだきちんと内容も読んでいませんし、付属のゲームもプレイしていないのですが、観応の擾乱についてはまずきちんと本を読まんとダメだな。なんて考えています。なにせ記事を読んでも登場人物誰も知らんw状態なので。

 第2号は結城合戦が題材だそうで、これも知らん!wといった内容なのですが、結城市内は何度も出かけていますので、正直羽根倉合戦よりは興味あるかも。

 今まで、シュミゲは好きで本ブログでも何度か取り上げているのですが、別な興味から調べていた東国史とこのような形でリンクするとは、久しぶりにインターネット経由で知の連鎖を実感できた気がしますね。ありがとうございました。

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 この写真は今年の冬に友達と出かけた、羽根倉合戦時に難波田勢の居城だった城跡を整備した難波田城公園。今では城跡公園というより、埼玉県の古民家・古民具を紹介した公園といった趣。昔ながらのオモチャで遊べる広場もあって、そこで数十年ぶりにホッピングとか楽しんできました(笑)

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▼2019年06月29日

1本5000円のレンコンが馬鹿売れする理由/野口憲一

https://live.staticflickr.com/65535/48147918226_768cc1271c_m.jpg 皆さんレンコンとはどのような環境で育っているかご存じでしょうか?つか、泥水の中で育つという漠然としたイメージの他は、意外と知らないんじゃないかなと思います。

 まぁ…自分もそんなに詳しいわけじゃないのですが、茨城県の土浦市レンコン畑付近は、別荘への行き帰りにクルマでも自転車でも良く通る場所で、友達と一緒にいるときは「きっとこの辺りにはレンコン栽培で財をなしたレンコン御殿があるよ」なんて冗談で話したりしているものです。

 秋のシーズンになると、たまにレンコン畑で収穫している人を見かけたりするのですが、その姿は見ているこっちが不安になるくらい深い泥の中を農家の人が歩いています。ただ、私にとってはある意味他人事なので「大変そーだなー」なんて思いながら通り過ぎるだけなのですが。

 で、この本。
 表題にある1本5000円が、自分でレンコンを買う経験がほぼない自分にはどれだけすごいのかよく判らないのですが、とにかくすごい付加価値を付けた製品だというのは理解できます。確かに今の日本の農業は合理化が求められるとはいえ「生産するほど儲からなくなるシステム」というのは理解できます。もっとも個人的には全ての農産物が「生産するほど儲からなくなる」ばかりではないとは思っていますが、確かに米などはその通りだと思います。良くも悪くも日本の農業はJAに首根っこ抑えられてますからね。

 内容には触れませんが、面白かったです。割と一気に読めましたが、本書の例はあくまでも成功体験です。日本の農業がこの事例を参考にすれば復活するという話ではないと思いますが、少なくとも農業に対する考え方は、この著者のようにもう少しラジカルであるべきかなと思いました。

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 ちょうど、去年この辺りを走った写真が残っていました。この本に登場する野口農園は、この写真のもう少し右側の方にあります。
 しかし…レンコン畑は元々米を栽培していた場所だということは知りませんでした。私はもともとこの辺は底が深い沼地で、田んぼには向かない土地なので、稲作ではなくレンコンを栽培することにしたのかなと思っていましたが、間違いのようです。昔はお米を作るよりレンコンを栽培した方が儲かったとのこと。

 ちなみに、この地区、霞ヶ浦に着き出した半島の東側では同じ低地でも稲作が主流みたいで、高浜側では何故レンコン栽培があまり盛んでないのか、何か理由があるのかな?
 その辺り一帯の米農家については、今井正監督の米という映画の舞台になっているので、興味がある方は是非ご覧下さい。

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▼2019年04月05日

SPI/HJ War in Europe

PB100815 そういえばこのゲームを紹介していなかった気がします。

 こちらは往年のシミュレーションゲーマーにはお馴染み、SPI「第二次欧州大戦」というシミュレーションゲーム。
 日本では(海外でもだけど)伝説とされているビッグゲームで、第二次欧州大戦の全てを師団規模でシミュレートしようという無謀な試みの元デザインされたゲームです。
 もっとも当初は「War in East」と「War in West」という東部戦線と西部戦線を扱う2つのゲームだったらしいのですが、それを合体して(おそらくついでにアフリカ戦線も統合して)出版されたゲーム。なので、本来は東部戦線と西部戦線で微妙にルールが異なっています。それを統合ルールでやや強引に1つのゲームにまとめてある…らしい、というのも、自分はこのゲームをまだプレイした事がないので詳細は分かりません。

 これだけ大規模なゲームながらも、ルールはさほど複雑ではなく、手元にあるタクテクスNo.5を参照すると、ゲームとしての難易度は4〜10(最高が10)とされています。実際の所は難易度4に近いというのが真相のようで、ゲームとしては割と単純(大味)ではありますが、これだけの規模のマップとユニット数なので、全てのユニットを統べるには当然難易度は上がります。キャンペーンゲームを行う場合は、単純に連合国と枢軸軍というプレイヤーだけでなく、3〜5人程度のでのプレイが推奨されているくらい。

 写真だとわかりにくいですが、マップはSPIサイズのフルマップが9枚。これは家具を置かない6畳間のスペースでようやく広げられるくらいの面積で、更にチャート類を展開するスペースや、当然プレイヤーのスペースもあるので、キャンペーンゲームを行うには、なんだかんだで12畳程度の部屋がないと快適にプレイできません。

 コマの総数は3,600枚程。
 当然キャンペーンゲームとなると、ちょっとプレイ時間が想定できないほどの時間がかかる訳ですが、それでもこのゲームが名作とされていて、更に実際プレイしたという記録が比較的多いのは、19ものシナリオが含まれていることと、ショートシナリオをプレイする限りは、割とプレイアブルで、休日の半日を費やせばプレイできてしまうという部分にあるのかと。
 それに比べると、本ゲームの太平洋版ともいえる「War in The Pacific」については、プレイしたという記録を殆ど見たことがないので、やはりプレイされるゲームとは、常識的な時間と手間で、更に魅力的なシナリオが含まれているかというのが重要なんでしょう(ちなみに季刊タクテクスのNo.5には、このWar in EuropeとWar in The Pacificを連結するという無謀も過ぎる追加ルールが掲載されていますw)
 本ゲームも、さすがにキャンペーンゲームは無理でも、シナリオを順次こなしていけば、第二次欧州大戦のアウトラインがきっと理解できるのではないかと思いました。

 

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↑マップを広げていたらうちのニコが偵察に来ましたw

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▼2019年01月07日

SPI/HJ War in The Pacific

https://farm8.staticflickr.com/7815/45816484584_d048ce329f_m.jpg 年末のエントリに引き続き「顔がシミュレっちゃった〜」話題ですが、こちらはSPIが発売していた「WAR IN THE PACIFIC」というゲーム。

 当時発売されていた「WAR IN EUROPE(邦題:第二次欧州大戦)」の続編ともいうべきビッグゲームで、第二次欧州大戦同様、太平洋戦争の全てを再現しようとしたゲームです。デザイナは同じくJ・F・ダニガン氏。

 ちなみに数年前に米国のDecision Gamesというメーカーが、本ゲームに改良を加えたSecondEditionを$350で発売しています。また日本のサンセットゲームズというメーカーがこのSPI版の再販を目指しているそうですが、本当に発売されるのかな?

 このWAR IN THE PACIFIC、同社の第二次欧州大戦程でもないのですが、マップは22×34インチのSPIフルサイズ7枚の広さとなっており、更にマップ以外にもさまざまなチャートを展開する場所が必要になるため…なんというか、一般的な日本家屋ではプレイする場所に困るといったゲーム。
 この7枚のマップは、全地球面積の30%を含むそうで、メルカトル図法を基準としているため、ヘクススケールも赤道付近と上下では微妙に異なっています。こんな広大な空間を、実質日本とアメリカの2カ国が戦場にしていた訳ですから、太平洋戦争のスケールってでかいなと改めて認識しますね。あ…国産のこの手のゲームと違い、マップにアメリカ本土は含まれていません。なぜなら、日本軍がアメリカ本土に進出するSFな状況は当然想定されていませんし、現実として当時の日本の空母にバルキリーでも搭載していない限り、米国本土への上陸なんて不可能でしょう。

 それはさておき、このゲームのキモは、しつこいくらいに面倒くさい補給ルールにあります。全ての部隊は行動するために補給物資を消費し、その補給物資は基本的に本国から輸送しなければなりません。また、大規模な拠点には輸送艦を使い物資を輸送できるのですが、最前線にいる部隊までは駆逐艦などの軍艦に荷物を載せ替え、まさに鼠輸送を行う事となります。
 その輸送艦の補給路は、海上に補給ルートを設定し、決められた距離内に配置したマーカーをつなげていく必要があります。という感じで、本ゲームでは補給活動がとても重要視されたルールとなっており、プレイする度に補給路の設定とその重要性が学べるという話です。ちなみに私はまだプレイしていないので、その辺の感覚はルールブックを読んだところで想像するしかないのですが。

 マップの範囲としては思いっきり戦略級ですが、登場する軍艦は駆逐艦を除き単一ユニット。駆逐艦は「駆逐隊」というおよそ4隻1ユニットの単位となっていますので、元気よく「なのです!」とか「クソ提督!」とか言いながら駆逐隊ユニットを動かすのもアリかもしれません。

https://farm5.staticflickr.com/4846/31531924127_559ef7bfe8.jpg

 写真はマップを広げた図。この果てしない海上ヘクスの量を見ると、太平洋で戦争やるって大変だったんだな〜と思います。例えば日本軍がガダルカナル攻略戦を行うためには、日本本土からラバウルまで商船の航行ルートを確保して、その後前線のガダルカナル島まで駆逐艦などを用いて補給物質をせっせと届けなければなりません。
 本ゲームはこの辺の補給ルールが精密化されていて、例えラバウルまで届けた補給物資は、現地で駆逐艦などのユニットに載せ替えるために時間を消費しますので、好き勝手にユニットを動かして攻撃ができる訳ではありません。そのため、補給物資の輸送タイミングから逆算した攻撃計画が必要になります。また、キャンペーンゲームでは、登場する艦船はおよそ1年サイクルでドック入りさせて整備を行わなければならず、定期的に使用ユニットは本国(連合軍の場合はハワイなどの拠点)に帰還させるタイミングも考えなければなりません、そのうえ前線までの商船の輸送ラインは敵の攻撃には脆弱なため、それらを防衛する必要があります。

 ゲームの進行上そういう「艦船の性能」に頼り切った作戦を行うことが難しく、となると結局の南国の補給ポイントや南国までの補給路を日本軍の限られた資源では全て維持することが不可能で、まぁ…戦争の行く末はなるようにしかならない訳です。

 キャンペーンでのゲームの勝敗は、日本軍が連合軍(アメリカ軍)に対して戦果を上げれば上げるほど、ゲームの終了ターン数が短くなり、最終的にゲーム終了までに日本軍の生産力がゼロにならなければ日本の勝利、これは日米間での和平交渉が始まったという状況なのでしょう。逆に連合軍は日本の生産力をゲーム終了までにゼロへ追い込めば勝ちとなります。日本軍が破竹の進撃を行い、アメリカ本土を制圧するなんて条件はありません…というか無理です。その辺は繰り返しますが「なるようにしかならない」状況でどれだけ日本は連合国に抵抗できるか?というゲームです。

 本ゲームがアメリカで出版されたのは、確か1970年代中盤だったと思いますが、この日本語版が発売されたのは1989年だったかな?初版からおよそ15年経ってからの日本語化だった訳ですが、その当時…というか今でも、戦争をやるには膨大な物資と事前準備が必要で、なおかつ、お互いの強力な艦隊はなんのために必要とされたのかが、ここまで分かりやすく実感できるゲームは、なかなかないみたいです。

 もちろん補給戦以外にも、タクテクス75号に掲載されたガダルカナルシナリオのリプレイ記事を読むと、艦隊戦もそれなりに楽しめそうです。戦闘は事前計画に基づき行われ、それぞれの戦闘解決順が細かく決められます。その順番によっては味方の大損害につながったり、あるいは奇襲攻撃が大成功に終わったり、その辺は割と運の要素も多めに含まれているみたい。この点は陸戦ゲームではあまり由とされませんが、当時の空母戦で勝利を収めるには、運の要素もかなりあったようなので、逆にリアルかもしれませんね。

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 かつて、太平洋戦争シミュレーションの二大巨頭とされたVG PACIFIC WAR(右)と並べてみました。箱の厚みは4インチボックスとされるWAR IN THE PACIFICの方が深いのですが、PACIFIC WARは全てユニットを切り離して懐かしのホビージャパントレイ4つに入れてあるので、その分箱が閉まりきらずに深くなっています。

 左、WAR IN THE PACIFICのボックスアートは、日本の特攻機により炎上している米空母バンカーヒル。右、PACIFIC WARのボックスアートは、米空母のワスプから発艦するヘルキャット…かな?
 パッケージアートはどちらもカッコいいですが、WAR IN THE PACIFICの方がより緊張感があって好みです。

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 こちらはタクテクス75号に掲載されていた通信販売のご案内。このゲームは限定で800個ほど制作されたそうで、この製造個数が正しいなら、うち事前の予約で642個程度は捌けたということでしょうか?
 当時の定価は23,000円で、それなりに高価なゲームだったと思いますが、あっという間に売り切れになったそうです。少なくとも自分は店頭で見かけたことがありません。

 もっとも、この5年くらい前に日本語版が発売された「第二次欧州大戦」は、限定2000個生産で事前の予約分のみで品切れだったそうなので(ごく少数、直営店であるポストホビーの店頭に並んだようです)、それに比べればこの時代、日本のシミュレーションゲーム市場もかなり縮小していました。
 雑誌のタクテクスも、この後77号で一端休刊し、およそ半年後に季刊誌として再スタートしますが、それも7号で休刊となり、シミュレーションゲーマーにとっては、長い冬の時代の始まりとなります。
 ファンタジー/SF系のゲーム以外で、ホビージャパンから単独のパッケージとして発売されたウォーシミュレーションゲームは、このWAR IN THE PACIFICが最後だった気がします。

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▼2018年08月30日

本を(あまり)買わない生活

P8300420 本を買わない生活にした…というか、ここ数年は本が必要な時、電子書籍→図書館→新本…という順番で入手することにしています。その事を前のエントリでチラッと触れたので、改めて最近買った本を集めていると、こんな本しか買ってない(笑)
 どれも、電子書籍版はもちろんのこと、私が通える範囲内の図書館にはない本なので、結局お金を出して買う本はこういうモノばかりになります。

 左から「海の京都」。これは去年だったか一昨年だったかに、京都の丸善で買いました。前半の京都の部分は読んだのですが、那覇の部分は土地勘もないのでなかなか読み進められない。
 次は「ブラジル先住民族の椅子」。こちらは展覧会にいって買ってきた本。
 中央手前が「中世日本海の流通と港町」。こちらは以前紹介しましたが、既に読んでいるのに買ってきた本w。
 最後右が「景観形成の歴史地理学」。これはどこかに出かけた際に寄った図書館で目にして思わず、買わねばの娘と思って買った本。
 他、J・ウエップ先生の人文地理学という本も買いましたが、こちらはどこにしまったかな?

 その他で買っているのは古本ですかね。古本なら割と買っていますが、それでも単行本はあまり手を出さなくなりました。ただ古い雑誌は、資料集めのつもりで安ければ買ってしまうという感じ。

 上記の本でいうと「海の京都」は確かに本屋さんで見つけて買った本。それ以外は全ておそらくインターネットをきっかけに見つけた本ですね。それもアマゾンのお勧めとかそういうのではなく、普通にWebサイトを見ていた中で紹介された本だったり、何らかの知識に刺激を受けてネットで探した本だったりします。

 本屋さんには「本が選べる・買えること」以外の本質的な価値がある。:Book & Apps

 よく「本屋さんには出会いがある」なんて言いますけど、そういう出会いがある本屋って、実は日本でも首都級(?)の大都市にある大型店舗しかないです。確かに小さな店舗でこだわりの品揃えを売りにしている本屋さんもあったりはしますが、東京だと高円寺界隈(?)そんなような地域にしかありませんというのは極論か、ま、とても少ないことには間違いありません。日本全国のほとんどに場所にある本屋さんは、基本的にPOSシステムの販売管理情報から集められた効率的に売れる本を在庫しているだけで、そういう本屋さんではハッキリ言って本好きな人達がよくいう「新たな本との出会い」はあまり期待できないのでは?。売れてる(売りたい)本との出会いは可能だと思いますが…。
 なので、実のところ日本に住んでいるほとんどの人は、本屋さんで新たな本、未知な本との出会いなんていうほど体験できていないのではないかと。もし新たな本との出会いがほしいなら、図書館にいった方が効率的ですし、更に今でははネットで調べた方が色々な本が見つかります(見つかったけど買えない本も多いですが)。アマゾンのお勧めばかりだと読む本が偏る…なんて言ってる人は、多分普段からさほど本を探していないしあまり本を読んでいない人なんだと思います。

 ちなみに、私は週に1〜2回ですが、アマゾンで電子書籍や検索ワードで拾ったリストを最後…あるいは100P位まで追っていくということをやっています。アホらしいなーと思ったりしますが、これはこれで面白い本が見つかったりするので、定期的にアマゾンの検索結果を掘ることはお勧めなのですが、アマゾンで本が見つからないっていってる人は、ネットだとそういうリアル書店でじっくり棚を追うような探し方ってしてないのかな?
 私は普段からそんな事をしつつ、更にアマゾン以外でも本に出会って、また「こんな本ないかな?」なんて思ってネットを使って本を探したりする訳で、最近ですとリアル本屋さんってひと月に1度?位しか行ってない気もしますが、私は本との出会いには全く困ってないです。むしろ少し情報遮断しないと消費するのに追いつかない。

 上の記事によると、現在日本国内にはおよそ12,000件の本屋さんがあるそうで、それが多いと思うかどうかは人それぞれだと思いますが、私は以前こう書きました
 実際のところ、12,000件とは言いつつも、おそらくそのうちの10,000件以上は、得にこだわりもなくPOSシステムの在庫情報に従って売れる本を置いている本屋さんばかりだと思います。

 この辺少し辛辣に言いますけど、この状況って、相対的にノイズが増えて知りたい情報にたどり着きにくくなった今のインターネットと似ているかも。多分もっともっと本屋さんが減って、同業から余計な競争をしないでも健全に経営ができる程度までにならないと、世の中の本屋さんは面白くならないんだろうなって気もしますが、そうなると出版社の方の体力がもつのか?って話にもなって、なかなか難しいですね。

 特に結論はありません。

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景観形成の歴史地理学/石井英也(著)

▼2018年08月15日

よろこびの歌・おわらない歌/宮下奈都

https://farm2.staticflickr.com/1817/43996808552_bf10bf8d35_m.jpg ちょっと前にKindleの日替わりセールで買った本。
 履歴を見ると6/26日に買っていて、ついでにどうせ読むだろうと思って同じ日に続編の「おわらない歌」も買っていたみたい。読み終えたのが一昨日の月曜日だったから、間にいろいろ挟みつつ読んでいたようです。

 著者の宮下奈都さんは、37際のときに小説家デビューしたそうで、年齢は私と同じなんですね。だからという訳ではないですが、物語の中で登場するJ-POPの数々が「世代だなぁ〜」と思いながら読んでいました。

 夢中になって読みふけった…という事はなく(それだったら買った当日か翌日に読み終えてる)、毎日の通勤中や、外出時に一休みしてるカフェとかでちょっとずつ読んでいた感じ。

 面白かったので皆さんも是非!とまでは言うつもりないのですが、たまにはこういう爽やかな青春小説とかも読んで、あたまの中もなんというかリフレッシュしとかないとダメだなと思いました(笑)

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よろこびの歌/宮下奈都
おわらない歌/宮下奈都

▼2018年07月05日

キンドール男爵のOasisをゲット!

P4120144 何故か昔からKindle端末のことを心の中で「キンドール男爵」と呼んでしまう。この現象はなんなんでしょう?
 と、特に話題にもしていなかったのですが、そういえば私、キンドルのオアシスを買っていました。しかも1度Wi-Fi版を買って3G版に買い直すというアホな事までしでかして(笑)

 キンドルについては、以前paperwhiteの3Gモデルを買っていて、しばらくは気に入って使っていたのですが、どうもこの時代のKindleは画面解像度が低い(まだレティーナ系の解像度ではない)ことと、端末に本が100冊程度に入った辺りから、とたんに動作のレスポンスが遅くなってしまい、あまり実用的に使えなくなってしまいました。
 それと、その頃はあまりマンガを買っていなかったので気にしていなかったのですが、やはりマンガをこの端末で見るのは色々と厳しい。ただ、電子ペーパーは実に読みやすいなと感じていたので、いつかはもう少し動作がキビキビしたKindle端末に買い換えよう!とは考えていました。

 そんな中2017年の秋頃ですかね、防水になったKindleOasisが発売になり、お風呂での読書も可能になったので、早速飛びつきます。
 その時買ったモデルは、32GBのキャンペーン情報無しWi-Fiモデル。3Gモデルについてはその時では「Kindle端末から本を買った経験もないし(やってみればわかりますが手持ちのスマホで買った方が100倍は便利)、Wi-Fiモデルで問題ないだろう」と考えていたのですが、実際に使い始めると、やはり以前買ったときのように3Gモデルでこそ電子書籍は際立つなと実感します。
 特に思ったのが、読んだ位置の同期、メモ、ハイライト、SNSへの投稿…はどうでもいいですが、とにかくそういった読書情報がリアルタイムで全ての端末と同期していることこそが、電子書籍の醍醐味ではないかと。Kindle端末を家、もしくは完全にWi-Fi環境下でしか使わないのであれば、これらの機能はあまり意味がないのかもしれません。ただ、外出時にKindle端末を使う人であれば(そしてこれら電子書籍の機能を享受している人であれば)絶対に3Gモデルを選択すべきでしょう。
 私の読書スタイルとして、複数の本を同時進行で読むことが多い上に、例えば込んでいる電車内ではiPhoneのKindleアプリを立ち上げて続きを読むということも多くあるので、どんなシーンでも読書位置の同期が取れているのは実に便利なのです。更にメモ機能などもイチイチWi-Fi環境下で同期ボタンをタップする必要もなく、3Gモデルであれば、ある種のコピペ的にいつでも文章の一部を別端末へと抜き出すことができます。これらを考えれば、価格にしておよそ4,000円は充分モトが取れるだけのメリットがあると思います。
 それに日本の公衆Wi-Fiは、アクセスにブラウザからのログイン動作を強いられるものばかりで、Kindle端末だと自宅外でのWi-Fi運用は使うにあたり想像以上に制限がかかります。WWWブラウザがきちんとしているFire系統のタブレットならあまり気にならないかもしれませんけど。

 とは言いつつも、実際Wi-Fiモデルを買った後に3Gモデルを追加購入する訳にもいかないし…なんて思いながら、数ヶ月間Wi-Fiモデルで我慢していたのですが、ふと「中古でKindleOasis売却するといくらくらいになるのかな?」と調べてみたら、何故かわかりませんけど、KindleOasisって恐ろしくリセールバリューが高いんですね。このエントリを書いている現在でも、じゃんぱらの中古を検索してみると何故か新品の買値とさほど変わらない。一体どういうことなんでしょうか?
 もちろんじゃんぱらなどの中古販売店に買い取りを依頼すると、売値よりかなり安く買い叩かれるでしょうが、こういう相場ならヤフオクで売れば新品とさほど変わらない値段で売れるのでは?と考えて出品。綺麗に使っていたとはいえ、落札額は驚きの新品購入時から-2,000円程度という高値で売却!これならと即3Gモデルを注文してしまいました。すげーなKindleOasis。

 写真は落札物を発送する前に届いた3GモデルとWi-Fiモデルを並べて撮影したもの。手前のグリップ部分の一部がプラ製になっているのが3Gモデル。重さはどっちも193gで全く変わりませんでした。この話が大体今年の3〜4月くらいの話です。で、その後は3Gモデルで新たにKindleOasisライフを満喫しています。あ…そうそう、当たり前ですがどちらも広告付きモデルは買っていません。

 実際の使い勝手ですが、まずは防水である事が最大のメリット。お風呂場で使えるという事もありますが、濡れても壊れないという安心感は、日常使いでもストレスフリーですね。手を洗った後などでも躊躇なく端末に触れますし、雨降りの日など例え屋外で使わないにせよ、傘を畳んだ後の湿った手で端末に触っても気にしないで済むのは嬉しい。以外と日常って水滴に溢れていますからね。
 他はやはり物理的なページ送りボタンが秀逸です。このボタン、デフォルトでは上ボタンがページ送り、下ボタンがページ戻しになっているのですが、設定で上下逆にもできまして、私は下ボタンでページ送りに設定しています。このボタンは左右反転しても同じように使えますので、端末を手で持ちかえるときでも問題なし。
 画面サイズはカラーのFire系列を除けば、現行Kindle端末では一番大きい。そして高解像度なので、マンガなどでもむしろKindleで見たほうが綺麗に感じます。この点は現行のpaperwhiteでも一緒かな?
 バッテリの保ちですが、当初公称で6週間と謳っていましたが、もちろんそんなに保ちません。読書好きな人が少しヘビーに使えば2〜3日で充電が切れると思いますし、朝から一日中読書といった用途だと、1日保たないかも。ただ、そういうモノだと思って適度に充電していれば困ることはありません。そもそも公称されているバッテリの時速時間は「通信機能OFFで1日30分の利用で数週間」という読書好きに言わせると「なめてんのかわれ!」といった条件なので仕方がない。ただ、実感としてはスリープしっぱなしでもおよそ1週間程度でバッテリが空になるような気もします。まだ電池切れにしたことはないのですが、放っておいても想像よりバッテリ消費している印象です。

 本体に装着するケースとカバーですが、こちらについてはいくつか試した結果、なんだかんだで評判がイマイチだった純正が最も優れていると感じています。

 まず初めに試したのがこのようなスリーブ状のカバー。こちら、カバーとしては全く問題はなかったのですが、やはり端末を取り出したり収納したりするときに、本体のスリープボタンを押さなければならないのが意外と面倒くさい。

 なら!と次に手を出したのが、スマホみたいに本体をパカッとはめ込む形のこちらのケース。これだと本を読み始めるときに、前面カバーをめくるだけで自動でスリープから復帰しますし、本を読み終えるときもカバーを閉じるだけで自動スリープします。やはりこれでないと…と思って使い始めたのですが、まず不便なのがお風呂場などに端末を持ち込むとき。当然ながらこのケースを本体から外さなければならない訳で、これが意外と力が必要で面倒くさい。更にこういったケースを装着すると、せっかく薄くコンパクトなKindleOasis本体が、かなり分厚く野暮ったくなってしまうんですよね。なのでこちらも不採用に。

 結局、それなりに値段はしますけど、純正の専用カバーがなんだかんだでKindleOasisの利用シーンを一番理解しているようなので、仕方がなく買いました。ただ、こちらのカバーは長らく欠品、というかもう製造されないんじゃないですかね。私が注文したときも本革製でミッドナイトという青系統の色しか手に入りませんでしたので、それにしました。むしろそれよりも安いファブリック製だと濡れても平気なのでそっちの方が良かったのですが、手に入らないものは仕方がない。
 ちなみに、何故製造中止になっているのかというと、どうやらこのカバーの用途をあまり理解せず買った顧客が多かったのが理由みたいです。買ってみるとわかるのですが、このカバー、磁石で本体裏にくっつくのですが、保持力はさほど強くありません。強くないといいつつも普通にカバーとして使う分には全く問題ない保持力なのですが、どうもこの部分をユーザーが勘違いしているようで、磁石が弱くて落下したとかそういうクレームが多かったようです。私としてはこの適度なカバーの外しやすさがむしろ風呂場に端末を持ち込むときなど、パチパチと気軽に本体・カバーを分離できるので、実にいい塩梅と思っていたのですが。こうやって気軽に外せることが逆に低評価につながっていたみたいですね。
 また、純正カバーは本体四隅を保護せず、あくまでも背面の一部と表の液晶面のみのカバーなので、これを装着しても本体の大きさが肥大化せず、またカバー分の重さが気になるのならその場でサクッと外してしまえばいいので、私としてはとても気に入っています。

 KindleOasisを買ってから、再びKindleでの読書は増えましたね〜。もちろん私は紙の本も読んでいますが、基本的に何冊も同時進行で読むタイプなので、今まで紙の本で読んでいたリソースの一部ががKindle分に振り分けられたということ。Wi-Fi時代からの数ヶ月でKindle本は100冊程度(マンガや雑誌を除く)は読んでいるのではないかな?買ったものやアンリミテッド含めてですが、これだけでも元はとれている気がします。

 あと、ここは極めて個人的なアホらしいポイントなんですが、電車内やスタバ(笑)で電子書籍を読んでいるときも、スマホやタブレットで読んでいるより、Kindleなどの専用電子書籍端末で読んでいる方がカッコよく見える気がします。なのでスタバとかでMacBookAirを超えるドヤをしたいひとは、paperwhiteでもいいから買って持ち出すといいよ(笑)

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↑スタバでKindleドヤw

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▼2018年06月17日

クワトロ・ラガッツィ

https://farm2.staticflickr.com/1723/28955387828_aa35187a5a_m.jpg 時に「損した!」と思う本があります。

 ひとつは、文字通り「買って損した」というつまらない本。もうひとつは「早く読まなくて損した!」という本。本書はその「早く読まなくて〜」という本でした。

 天正遣欧少年使節団、おそらく歴史に興味がある方ならこの名前を聞いたことがあるでしょう。1590年(天正18年)に日本から欧州に派遣された4人のキリスト教使節団です。

 私もかつて、天正遣欧少年使節団に関する本を読んだことがあるのですが、当時日本に訪れていたキリスト教宣教師が、日本におけるキリスト教の布教を報告するために、日本人を欧州へ派遣した…という程度の認識しかありませんでした。ただ、その使節団も、欧州側からの視点から見ると全く違ったものとなります。本書はその少年使節団を、主に欧州側からの資料を基に解き明かそうとする試みとなります。

 この天正遣欧少年使節団ですが、私たち日本人の認識としては、せいぜい…

 ・当時の宣教師達がキリスト教に改宗した日本人少年4人を欧州に派遣した。
 ・彼等がヨーロッパから帰ってきた頃の日本はキリスト教が迫害されていて、彼等の帰国後は過酷な運命だった。

 という程度ではないかと。
 つまり、上記には何となくですが「欧州から来たキリスト教宣教師が日本人を欧州に派遣した」という、日本側からの視点しかありません。
 では、何故彼等が欧州へ派遣されることになったのか?案外その疑問に答える資料は、日本側からはあまりありませんでした。それを本書の著者である若桑みどり氏は、天正遣欧少年使節について、欧州側からの資料を元に解き明かそうとします。

 後のキリスト教徒迫害の歴史を知っている私たち日本人からするとちょっと意外ではありますが、当時の日本、織田信長の治世下であった日本は、世界的に見てもキリスト教の布教が大成功した地域であり、当時は九州総人口の訳2割がキリスト教に改宗したといわれています。
 また、逆に当時の欧州のキリスト教では、カトリックとプロテスタントという2つの宗派が、互いに信者数を増やすために争っていて、そんな中、東洋の果てからはるばるローマを訪れた日本人少年4人は、キリスト教でいう「東方三賢者」に例えられ(メルキオール、バルタザール、カスパールといえばアニヲタの方ならよくご存じかと)、当時のローマ教皇からは熱烈な歓迎を受けたそうでした。あれ?少年使節は4人ではないの?と思った方は、是非本書をお読み下さい。

 私は文庫版の上下巻を読んだのですが、本書の上巻はまさに、そういった日本でさしたる歴史上の役割を演じたともいわれてこなかった天正遣欧少年使節について、欧州では如何に期待された大事件であったかを知ることができる驚きの章でした。但し下巻の方はちょっと評価が分かれます。

 本書の中で、男性が書いてきた歴史書についての批判が数カ所ありましたのであえて書きますけど、逆に女性が書いた歴史書の多くには、全てとはいいませんが一定のパターンがあります。それはヒエラルキーが厳密に決められていること。つまり彼女らが書く世界の中では、絶対的に正しい価値観とそれ以外がはっきり分かれていること。
 これは塩野七生氏が書くローマ人の物語などでも同様ですね。あの本の中のローマ人は、超絶超人の絶対的な存在で、彼等の価値観こそが正しく、彼等こそがまさに文明を作ってきた、そういう単純な世界認識です。

 もっとも、その手法が悪い訳ではありません。その世界におけるローマ人の価値を絶対的なものとして設定したお陰で、ローマ人の物語は読み物として大変読みやすくわかりやすい。あれを歴史書と言われるとちょっと疑問ではありますが、ローマ史を知るきっかけとしてはとても良い書籍だと思います。

 そのような本を、私の友達は「少女漫画」と称していたのですが、このクワトロ・ラガッツィもそんな世界観で読み解くとわかりやすい。
 著者の若桑みどり氏にとって、絶対的な価値はヨーロッパ・カトリックのキリスト教にあり、それを迫害した豊臣秀吉、そしてその後の徳川治世は悪であるという、単純でわかりやすい世界観の元に本書は描かれています。

 故に「当時のポルトガル・スペインにとって日本を武力制圧する意思は全くなかった」とか「徳川時代は日本が世界に対して目を塞いだ暗黒の時代」のようなステレオタイプな描き方をするのですが、わかって読む分には、本書では世界観と価値観が統一されているので、実にわかりやすく読み進めることができます。うん…徳川家康許せないよね(笑)

 それはともかくとして、私たち日本人が何となく思っている「天正遣欧少年使節団」についての歴史的意義を、別な視点から再確認できるきっかけとして、本書はとても素晴らしいと思います。
 単行本は分厚くて読むのイヤになるボリウムですし、文庫本も上下巻でそれぞれびっしりと500ページ以上ある大作ではありますが、冒頭の展開に心つかまれた人なら、一気に読み進めてしまうだけのパワーがこの本にはありました。

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▼2018年06月03日

戦車に注目せよ!

https://farm2.staticflickr.com/1736/42469098222_765d88d435_m.jpg この本は、無類の戦車好きである秋山優花里…もとい、ハインツ・グデーリアンが書いた文章を集めた本。700ページ以上もある分厚い本でそれなりのお値段なので図書館で借りてきて読みました。どうでもいいけど、こういう本こそ電子書籍化してほしいものです。

 グデーリアンと言えば、ドイツ装甲師団創設者の1人。
 第二次世界大戦の開戦時には、鮮やかな電撃戦でフランスをあっという間に蹂躙してダンケルクへイギリス軍を追い詰める事に成功し、ドイツ軍に完全勝利をもたらした指揮官。
 もっとも誤解している人がいるかもしれませんが、ドイツによるフランス侵攻作戦を立案したのは彼ではなく、マインシュタインです。当時のドイツとフランスの国境は、フランスによって作られたマジノ線と呼ばれる大要塞で塞がれていたのですが、マインシュタインはそのマジノ線への直接攻略を避け、要塞化はされていませんでしたが、当時大軍による侵攻が不可能とされていたアルデンヌの森を装甲師団で突破する作戦を立案します。
 他のドイツ参謀から「そんな作戦は無謀」といわれていましたが、その中でひとり「出来らぁ!」と声を上げたのが、猛将秋山!…じゃなかった、グデーリアン(当時は中将で軍団長)でした。

 その後のグデーリアンの活躍ぶりは、対フランス戦の大勝利の通り。彼の侵攻があまりにも「出来らぁ!」過ぎて、当時のヒトラーもさすがに不安になって謎の装甲師団の停止命令を出したり、グデーリアンはそれをまた無視して進軍したら参謀本部から怒られてようやく停止したとか、彼の猛将、韋駄天ぶりは、規律を重んじる当時のドイツ軍らしからぬものだったそうです。
 さらにグデーリアンは戦場においても後方に引っ込んでおとなしくしているような指揮官ではなく、セダン(だったかな?)の突破作戦時には、最前線でフランス軍の機関銃に晒されながら仮設橋を構築中の工兵部隊の所にまで出張って檄を飛ばし、現場の兵士から「いいからひっこんでろ」と後に連れてかれたりと、まさに「韋駄天ハインツ」の名の通りの活躍ぶりを見せつけました。
 もっともこの、グデーリアンの「優秀な現場監督」ぶりは、ある意味彼の評価を分けるポイントでもあります。

 本書の白眉はなんといっても、本書のタイトルにもなっている「戦車に注目せよ!」という論文かと。
 この論文では、第一次世界大戦で登場した戦車という兵器、それが戦場で如何に有効で、将来の戦争を支配する兵器になるか、そしてその運用法、装甲師団を要した軍隊の作戦についてなど、様々な提言を行っています。
 細かい記述には時折「んんっ?」となる部分もあるのですが、翻訳者のあとがきにもあるように、彼は歴史家ではなく、あくまでも優秀な軍人でしかないので、細かい部分の誤りを指摘しても仕方がないでしょう。本書巻末の解説には細かすぎるほどの間違いの指摘がありますが、個人的にはそういう兵器のスペックの思い違いよりも、彼が考える戦場におけるドイツ軍兵士とフランス・イギリス軍兵士の描写に少し違和感を覚えたかな。

 後半は、グデーリアンが第二次世界大戦後に発表した記事や論文で、正直この辺りの認識はかなりガッカリな印象。彼が認識していた戦後の世界観を簡単に説明すると、「世界は共産主義者に支配されつつあり、その魔の手から世界を救うため、西側の軍隊はもっと軍事力を増強すべき。偉大な我がドイツの東端は本来タンネンベルグよりも東であり、西側諸国の軍隊は偉大なドイツ復活のためにもっと真剣になってほしい、ただしフランス人は信用できん」といった趣で、今となっては(当時でもか)割と残念な考え方。
 また、グデーリアンの戦後の文章を読んでいて感じるのは、彼にとっての世界とは、ドイツとその周辺だけで、それ以外には全く興味がなかったのかなと。特に第二次世界大戦で一緒に闘った我々日本のことなんて、そもそも認識すらしていなかったのでは?戦後の海軍力についてもチラッと触れていますが、太平洋地域の情勢には全く触れず、彼にとっての海軍理論はドイツ沿岸のことにしか興味がなかったのでしょう。

 わかりやすく言うと、グデーリアンは優秀な軍人、それも「デキる現場監督」ではありましたが、それ以外では決して博識で教養溢れているといった人間でもなかったようです。戦後の論文を読んでも冴えない理論ばかり展開していますし、その背景にはやや排他的とも思える愛国者ぶりが伺えます。今風に言えば「ネトウヨ」みたいな性格かも。

 とまぁ…世界の軍事研究者と日本のグノタの方達から「偉大なるドイツ装甲師団の神」と称されるグデーリアンの人間像を、良くも悪くも深く理解できるという点で、本書はとても面白い本です。私も初めは700Pもあるのか…なんて思っていましたが、読み始めると止まらなくて、前半1日、後半1日みたいなペースで読んでしまいました。
 軍事史などに興味がない人にはさすがにお勧めできませんが、少しでも戦車という世界に興味を持つなら、戦車がどのようにして生まれて、どんな考え方の元に発展してきたのかを読み解く資料として、とても有意義な本だと思います。秋山殿のファンにもお勧めだよw

 最後に「そうはいかない!西ドイツの姿勢に関する論考」より「誹謗中傷の排除」の一文を引用します。

 国家崩壊のこの方、ドイツのジャーナリストの大部分は、軍人という存在の全てに対し、ことあるごとに、あらゆる種類の毒々しい侮蔑、愚弄、卑劣な言葉を浴びせかけてきた。誹謗中傷や悪罵の量たるや、おそらくわが国民、あるいは地上のどれか他の国民の歴史にも類を見ないほど、とほうもないものだった。それらが、自らの使命は神聖であると信じ、国民のために命を懸けてきた人々に対して、まきちらされたのだ。そうした事態は、今日に至っても、ほとんど変わっていない。現在、いくつか勇気ある報道機関は、真っ当な論調を導入し、公正を付そうと努力している。が、ジャーナリズムの多くは、古い憎悪と国民の恥や不名誉を流通させようと操作しているのだ。

 当時のドイツの社会情勢がどのようなものだったかわかりませんが、日本ではこうした敗戦直後に勝ち馬に乗ったジャーナリスト(に分した扇動家)がまだまだのさばってますね。
 戦争に負けた国はどこでも同じようなもんだなと思うと同時に、このように戦争そのものの議論と考察を抹殺してきた日本は相変わらずこの分野では遅れているなと感じました。
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▼2018年05月31日

おとこのこ妻に悶える

 ヤバいもんを見てしまった…。

 何がヤバいって、サンデーのWebサイトで時間限定無料公開(このエントリ書いている時点で48時間と書いてある)されている「おとこのこ妻」というマンガで、これは何かに目覚めそうw。

 考えてみれば、ちっちゃくて気立てが良くてかわいくて、そしておとこの娘…なんて、世の男性にしてみればまさに理想を具現化した妻【パートナー】なんですよ。
 そもそも実物の女はつきあうと色々めんどくせーしすぐ調子にのるし銭湯一緒に入れないし連れションもできないじゃん(笑)
 それがおとこの娘をパートナーにすればそんな心配も無い(?)わけで、近頃おとこの娘のマンガが他でも流行っているのもわかります。みんなもうエロなんてどうでもよくてただ癒されたいんだよね。

 この主人公のユキちゃんですが、元々女装が趣味って訳でもないみたいで、夫のコーさんがそういう趣味なので付きあってあげてるみたいですね。それもまた献身的でいいじゃないっすか。ちなみにユキちゃんは6話で男性用の銭湯へ夫と普通に入っていますので、普段女装しているからといって、他の男性に身体を見られるのがイヤだとかそういう面倒くさい属性もないようです。ちなみにこの回ではユキちゃんのぽぽぽ…ぽこーち(爆)がチラッと見えますので、男の娘フリしていて実は女!なんてガッカリなオチもないみたい。

 一応彼等は「結婚している」と言い張っていますが、かといって今の同性結婚を認めない制度と闘うとかなんだとか、そういうめんどくさい事も考えている訳ではなく、単に好きだから一緒にくらしているというスタンスなのもさっぱりしていて良い。結婚のきっかけになったエピソードも単純ながらなかなか感動する展開で、不覚にもちょっと泣きそうになりました。

 近頃は、カミングアウトとかダイバシティとか多様化だとか、この手の同性愛を巡るエピソードは、油断するとやや面倒くさい方向に行きがちではありますが、こういう純粋に好きな人同士がくっついてイチャイチャしてるって作品は、なんだか心が洗われるような爽やかな感動と、あとちょっとヤバい方面の嗜好が刺激されて、実に至高の読書体験でありました。
 アマゾンのレビューを読んでいても「自分はLGBTに対して…」的なイカついこと考えていたであろう人達が撃沈されていく様がたくさん投稿されていて実に草です。

 無料公開が終わったらKindle版買うかw。

おとこのこ妻(1)/クリスタルな洋介

マイオーディオライフ2018

 オーディオ趣味で一番楽しいのは、他人の部屋をみること?だったりします。

 ただまぁ…実際にはいきなりオーディオファイルの方の家へ押しかけて「音聴かせて下さい!」なんて言える訳もありませんし、となると普通では、お友達でオーディオに凝っている方の家を見つけて、そこへたまに遊びに行くという経験しかできないのです。
 それと、ちょっとアレですけど、あまり親しくない他人のオーディオ部屋に行くと、どうしても「褒める」以外の反応ができなくなるってのもありますし。

 そんな方にピッタリな本が、この「マイオーディオライフ2018」です。

 オーディオのプロ(例えばライターなど)の方にとっても、オーディオ部屋の取材というのは結構大変なようで、古くは五味康祐氏による「オーディオ巡礼(季刊ステレオサウンド)」や、菅野沖彦氏によるレコード演奏家訪問(季刊ステレオサウンド)、長岡鉄男氏の「オーディオクリニック(FMファンとか色々)、その他オーディオユーザーへのお宅訪問記なんてのはいくつかありましたが、記事や特集の数としてもあまり多くはありません。
 それと、ハイエンダーな前記2つは別としても、ほとんどは「クリニック」や「アドバイス」目的の訪問記だったりして、となるとどうしても現状の音に不満を持っている人がメインになってしまい、その人が何を思ってこんなオーディオ(失礼)にハマってしまったのかがやや見えにくいのが残念でした。

 ちなみに、長岡鉄男氏のオーディオクリニックは、今でも単行本を自分の教科書にしていて、年に1度くらいは読み返します。改めて彼の記事を読み返してみると、ほとんどの事例で余計なインシュレータやアクセサリを外すということをやっていて、世間にある「長岡派はすぐに鉛のインシュレータとかおもりをアンプに載せたがる」って印象と真逆なのが面白い…って、話がずれました。

 ということで、この山本さん(面識ございますのでさん付けで呼ばせて頂きますが)によるオーディオムック、既にシリーズ3冊目になります。1冊目については「マルチフォーカスチューニング」というクリニック形式をとっていますが、2〜3冊目はよりユーザーの訪問記風になっています。
 ヒガミではないですが、ステレオサウンドの「レコード演奏家〜」までいってしまうと、庶民とはあまり縁のない雲の上の世界の話って気になりますが、このシリーズの本で紹介されている方達は、もっと普通のオーディオ好きな方…といったラインを狙っている印象。
 個人的に、オーディオユーザー訪問記は「専門誌よりも一般紙(BRUTUSなど)で紹介されている記事の方が面白い」と感じていたのですが、このオーディオライフのシリーズはそのラインにも近くて、マニアックすぎない、でもオーディオ好きが伝わってくるという実にバランスが良い訪問記で、読んでいてとても面白い。
 中には「とてもじゃないが真似できない」って人も登場しますが、それでも皆さん、それぞれの生活の中でオーディオを楽しんでいて、そうそう…そういう人達が普段どんな環境で音を聴いているのか“出歯亀”させて頂くのが一番楽しいんだよ〜なーんて思いながらページをめくっています。

 もちろん、オーディオ専門誌におけるマニアックな記事も大切だと思うのですが、それに比べて今も昔もオーディオ雑誌からは、オーディオが好きになった生活というのが中々みえてきません。なので、今オーディオに興味がない人でも、この本で「オーディオが好きになった結果」を体験してみるのは楽しいのではないかと。

 著者の山本さんは、Webでオーディオとの生活を公開されていますが、文章が決してオーディオ一辺倒でないのが、実にリアルなオーディオライフという感じで面白いです。
 そういえば、山本さん自身もステレオサウンドNo.138号で、菅野沖彦氏によってレコード演奏家としての訪問を受けています。あの記事にはまだパーペチュアルのDACがあったりと懐かしい。マイオーディオライフとは立場が逆なので、山本さんのオーディオ観に興味がある方はそちらの記事もお勧めです。

 ちまなみに、私も個人的に今まで色々な方の部屋のオーディオを体験させて頂きましたけど、その度に「いい音だなぁ」とか「これはちょっと…」など感想は色々ですが、それと同時にほぼ100%感じる事は「はやく家に帰って自分のオーディオ聴きたい」だったりします。
 これは音を聴かせてくれた人のオーディオが自分より上か下かという事ではなく、やはりなんだかんだで完全に自分の好みだけで機材を調達しセッティングした音というのは自分にとって一番馴染むということかもしれません。ただ、他人の音を聴いてから少し音の軌道修正をしてみようか?なんて思ったりすることはよくあります。それと自分が知らなかった世界…機材や音楽その他セッティング方法などを知ることができるのは、やはり楽しい体験です。

 そんな風に他人のお部屋におじゃましている気分で、自分の家の音を聴きながらパラパラとページをめくるのがこの本の正しい読み方かも。続刊(があれば)も期待しています。

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↑本書は出版社様より贈呈頂きました。
何故かは読んでみてのお楽しみ。

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▼2018年05月24日

基礎から始める大砲のおはなし

P5241233 考えてみれば「大砲」をきちんと紹介した本ってもの凄く少ないのです。海外ではよくわかりませんけど、そもそも「砲兵」の役割をきちんと紹介している本は日本語だと少ないのでは?

 どうしても日本のグノタさんは、兵器のスペックを丸暗記したり「レオパルト210式どっちが強い?」みたいな部分ばかりに関心が強すぎるようですので、それらを支えるシステムや、大砲・砲兵部隊・工兵に関する資料はあまり目にすることができません。

 戦場における大砲の役割は?というと、もちろん時代によってもある程度変化しますが、最大の役割は敵の中に突破口を作ることにあります。
 第二次世界大戦時には、ドイツ軍の電撃戦が持てはやされたせいか、大砲を運用する砲兵の役割はイマイチ地味な印象になりましたが、逆にドイツ軍がソビエト軍を潰せなかった理由のひとつが、ドイツ軍における砲兵戦力の不足です。ソビエト軍は伝統的に砲兵戦力を重視していて、大量の大砲で敵陣を広く制圧した後に大軍で突撃するというのを、陸上戦闘の基本ドクトリンとしていました。
 結果…かどうかはともかくとして、ドイツ軍はソビエト軍が放つ雨あられのような砲撃に進軍を阻まれ、だんだん身動きが取れなくなってゆきます。

 近代戦ではそういった陸上戦力に対する支援任務を、大砲から航空戦力へとシフトさせていったのですが、現代戦ならともかくとして、第二次世界大戦時の航空機では、天候が悪化すると出撃できませんし、また陸上兵力の進軍に合わせて前線で飛行場などを整備する必要があったり、当時のドイツ軍だとバルバロッサ作戦初期のまだ準備がしっかりしていた状況ならいざ知らず、ソビエトの広い国土では、冬の天候悪化や春の泥濘地、伸びきった補給線などの悪条件が重なり、ドイツ軍の航空機は当初計画されていた通りの航空支援任務を果たせなかったようですね。

 それはさておき、この本は「砲兵」というより、まさに「大砲」を趣味とする人達向けに書かれている薄くない同人誌で、底本はソビエトの砲兵向け教本みたいですが、大砲が何故飛ぶか?から始まり、大砲の歴史や仕組み、そして実際どのように打って当てるのかまで、実に詳しく解説してあります。
 一般ウケはしなさそうですが、こういうのこそ、まさしく「同人誌」って感じですばらしい。考えてみれば大砲を主役にした本って日本ではあまり存在しなかったのでは?

 大砲の本といえば、かつては村田蔵六が最新の砲術書に萌えていたり、高野長英が三兵答古知幾を訳して捕まったりしたシーンが、みなもと太郎の風雲児たちで後半のクライマックスとして描かれていますが、これらの本は日本の近代化のために多いに役立ったジャンルの筈なのです。ただ、現代の華やかな兵器達に比べると、趣味のジャンルとしても確かに地味な印象ですね。

 本書は一般書籍ではなく同人誌なのでアマゾンなどの一般書店では買えません。こちらのサイトから買えます

P5241236
↑趣味としての大砲w、内容は文字びっしり系です。

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital ED 12-40mm F2.8 Pro

中世日本海の流通と港町

P5241229 高いです!ハッキリいって研究職でもない私のような凡人が買うには高い…けど仕方ないですよね、一般書籍ではなく研究書なので。でも私にはこの本を買わなければならない理由があったのです!

 もっとも、買うにしても急ぎではなかったのですが、最近調べてみるとアマゾンからは正規の在庫が消え始めたので、ボチボチ手にしておかないと在庫終了かなと。
 一応古本屋さんでも探したのですが見当たりませんでしたし、下記の理由からきちんとリアルな本屋さんで購入することにしました。

 実はこの本、既に読んでいます。
 で、何処で読んだのかというと丸善の店内(笑)

 面白そうな本だなと思って店内にあるベンチで読み始めたら止まらなくて、その場で約2時間…3時間は経っていないと思いますが、最後まできっかり読んでしまいました。それもあわてて速読で読んだという訳ではなく、途中スマホのGoogleマップなどを使いながら紹介されている地域の地形を確認したりして、なかなか味わい深く読破させて頂いたのですが、さすがにちょっと悪いかなと。
 それと、この本で紹介されてた地域については、別な本なども参照してもう少し調べてみたいと思っていた、というのもありますので、同じ書店で買い直した(?)次第。

 内容としては、日本海側中世港町についての研究成果。私好みなのは、それぞれの地域について景観についての記述が多目なこと。
 この本の内容では、丹後府中以西、中国地方の港町はまだ現地を見た事がありませんが、石見温泉津などは是非現地を訪れて景観を確認してみたいものだと思いました。

 私の読書生活にとって、これらの交通・物流を初めとする人やもの、または軍勢などの移動や生活については主要なテーマのひとつでもあり、このような内容の本については、ついついお金をつぎ込んでしまいますね。
 私の読む本のラインナップを見ると「ひょっとして歴史や民俗学好き?」みたいに思う人もいるかもしれませんが、実のところは、そういう動機で本を選んでいるのではなかったりします。

P5241232
↑越中氷見について。こういう図をハァハァいいながら眺めています。

OLYMPYS E-M1 + LUMIX G 20mmF1.7

中世日本海の流通と港町/仁木 宏・綿貫友子(編集)

▼2018年05月02日

本と電子化(主にKindle)について

 本は紙じゃないと味わいがない…みたいな意見がかつてはありましたが(いまでもある?)、私の場合は昔から本の電子化にはポジティブな気持ちでした。さすがにCD-ROMで販売されていた時代のよくわからない電子書籍やケータイ小説には手を出しませんでしたが、アマゾンがKindleフォーマットの電子書籍を販売し始めた頃から、徐々に自分で買う本は電子化にシフトしています。
 ただ、欲しい本の全てが電子化されている訳でもないので相変わらず紙の本も買いますが、本エントリで後述する特別な理由がなければ、ここ数年はKindle版を購入しています。

 Kindle端末については、日本での初代(?)Kindleから、Oasisのwi-fi、そしてOasisの3Gモデルと私はそれなりに使ってきました。移動中はKindle端末の他、iPhone等のスマホでも本を読みますし、自宅ではiMacでどーんとフル画面にしてマンガを読んだりもします。こういう使い方だとやはり電子書籍は便利ですね。
 問題は将来に渡ってAmazonという会社のサービスが存続してくれるか?という話ではありますが、例えKindle版だけで出版された本があっても、社会的には誰かがアーカイブしてくれているでしょうし、私個人の話でいうと、多分生きている間はそういった心配をする必要もないのではないかと。

 電子書籍で最大のメリットは、やはり保管場所がほぼ不要(ゼロではない)ことでしょう。
 というか、巷で本好きを自称している方が電子書籍に反対している理由がその辺でよくわからなかったりするのですが、蔵書場所の問題は、本をよく読んで買っている人にとっては割と深刻な悩み。
 自分の場合は通称奥の院(書庫兼倉庫部屋)を持っているので、蔵書場所については普通の人(?)よりもちょっぴり恵まれているかなと思うのですが、それでもスペースは慢性的に足りていません。書庫の整理でいうと、奥の院を使い始めてからも既に3回ほど大がかりな在庫整理(売却)を行っています。それでもなかなか本を置いておける場所というのは充分なスペースが確保されれている訳でもなく、机の回りには、しまう場所も無い読みかけの本が積み上がったりしている状況。
 それも電子化されていれば、蔵書スペースは実質ゼロです。今までKindleで買った本が読み放題やマンガを除いても既に数百冊ありますが、これが奥の院に収まった時の場所を考えると、電子書籍って省スペースでいいなーと思います。過去に買った本を探すときも、本棚散らかさないで済むしね。

 Kindleの本で不満なのは、ラインナップが漫画や小説、そしてビジネス書…ビジネス書の場合は割と流行り物系のすぐに店頭から消えるような(ようにに見受けられる)内容の本に偏っていること。そして残念ながら私が欲しいと思うジャンルの本はラインナップが乏しいです。
 巷で「Kindleで読書ライフ満喫しています!」系のブログを見ても「みんなビジネス書大好きだよね〜」としか思えないブログが多く、この辺はもう少し日本の出版社がちゃんとした本(?)も積極的に電子化してくれないとなぁ…なんて思っています。

 私はKindle Unlimitedのサービスにも加入したりしていますが、ここのラインナップも正直かなり微妙で、公開されている本を見る限り、一般的な読書家にはあまりお勧めできません。上記で書いたように、ビジネスが書大好きでいつもキャッチアップとかアグリーとか頭の中で唱えてるような人ならいいのかもしれませんけどね。

 まー読み放題で公開されている本なんて、基本は内容に普遍的な価値があまりないモノ、普遍的に価値があるモノは金出して買えってことなんでしょうから仕方ないのかも知れません(もちろん私にとって価値がないだけで価値を感じている人もいると思います)

 私にとってのアンリミテッドは、コマンドマガジンと、オーディオ系の雑誌が定期的に公開されていること。それと1ヶ月に2〜3冊は読んでもいいかも?って本がある事かな。特にコマンドマガジンは一冊4,000円弱の値段で、ゲーム付という事もあり書店で中身を確認できない仕様なので、購入前の内容確認と、バックナンバーの記事を1ヶ月に1〜2度漁るだけで元はとれます。これがなくなればアンリミテッド解約すると思います。
 それとたまにキャンペーンで公開される漫画を読みあさったり…数ヶ月前には期間限定無料公開で「ミナミの帝王」を50巻位まで一気に読みましたけど、おかげでAmazonのオススメがミナミの帝王で埋め尽くされてしまって邪魔w。

 電子化もそうですが、最近では「紙の本を所有すること」をなるべく止めるようにしています。具体的にはKindle化されていない本は図書館で借りるということ。もちろんお金が助かるというメリットもありますが、メディアとしての紙の本はもういいかな?なんて思い始めている面も大きいです。電子化されていない本はとりあえず借りて読んで、手元に置いておきたければ購入する。それでいっかなと。

 それでも電子化もされていなくて、図書館にもない本というのは意外とありますので、そういう本は仕方がなく買ったりするのですが、コンテンツとしての本は電子化されている本の方がずっとハンドリングもいいし読みやすいし、更に使い勝手でも、Kindle本の場合はワンタップで気になる文章をクラウドにメモで残すことができますし、個人的には既に紙の本は紙で印刷されているメリットを感じません。
 ただ、出版社にとっては全て電子化オンリー、もしくは全てを電子化する訳にもいかないでしょうし、あまり部数の出ない研究書などは、もはや小売りではなく公費による公共図書館や学費購入の売上で生計立ててる出版社も多いみたいなので、そういうエンドの消費者に対するサービスにはあまり積極的でない出版社も多いんだと思います。ま…これも出版価値の多様性といえばそうかもしれないので仕方がないのかもしれませんけどね。

 ちなみに、最近ではあまりブログのネタにもしなくなりましたが、ここ1週間程度で読了した本です。漫画や雑誌は含めていません。

 1:電撃戦という幻(上)【図書館より借覧・非電子本】
 2:電撃戦という幻(下)【図書館より借覧・非電子本】
 3:入門・ブローデル【図書館より借覧・非電子本】
 4:忘れえぬ歳月【図書館より借覧・非電子本】
 5:エドワード・ルトワックの戦略論【Kindle版】
 6:絶滅の人類史【Kindle版】
 7:異世界にドラゴンを添えて【Kindle版】
 8:海民と日本社会【Kindle版】
 9:自分探しと楽しさについて【Kindle版】
 10:戦国の合戦【Kindle版】

 GW中なのでここ数日は比較的読んでいる方です。逆に1ヶ月でほぼ本を読まない時期もあったりします。
 こうやってみると、割と専門書的な本ほど電子化されていませんし、逆にいうと電子化してほしい本は、リストの上の方にある専門的な本だったりします。なんたって厚いし重いし。
 ただ、そういうジャンルの本ほど、電子化に否定的な読者が多いんだろうな…というのも理解もできますけどね。

 Kindleの本は、大体いつも10冊以上は並行的に読書しています。本のこういう使い方が容易なのがKindle化された本、最大のメリットですね。本を並行的に読むことに抵抗がある人って結構多そうですが、私の場合はKindleがない時代から、持ち歩く本と自宅で読む本、風呂場で読む本、そしてトイレで読む本など、あちこちに本を置いて並行的に読んでいたので、今ではKindleOasisとiPhoneを持ち歩けば、既に所有している本を色々な場所でつまみ読みできるのが嬉しいです。

 このエントリには特にオチがある訳でも無いのですが、GW中で籠もって本を読んでいる最中なので、何となく本についてちょっと書いてみたくなりました。

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↑漫画ですが「キャッチー・イン・ザ・ライム」が面白かったです。

OLYMPUS E-M1 + LUMIX G 20mm F1.7 II

▼2018年03月18日

街に本屋さんが多すぎる!

 今朝ニュースを見ていると、名古屋の児童書専門店メルヘンハウスが閉店するという話題をやっていました。なるほど…確かに少子化だもんな〜子供向けメディアは辛いよなぁ〜ポンキッキも終了するしなぁ〜なんて思って見ていると、ニュースの姿勢としては、児童書と言うより本屋さんの総数が減っているから、みたいな話題を取り上げていましたね。
 最後まで見なかったのでオチがどうなっていたのか分かりませんが、この児童書専門店閉店については、本屋さんの減少よりも昨今の少子化の影響なのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。

 若い人が本を読まなくなった!

 という話は、なんだか自分が生まれた頃から聞いている気がしますが、ここ10年位の町の風景を見ていると、確かにみんな本を読まなくなったようです。昔は通勤中の電車に乗ると、週刊誌とか少年ジャンプとか片手に持ってる人沢山いましたからね。今だとそういう人はすっかり見なくなりましたので、なるほど…日本人は本を読まなくなったのかもしれません。

 といいつつ、もう少し考えてみると「読書ってなんだ?」みたいな気も実はします。
 海外だといわゆる書籍を売る本屋さんと、雑誌やコミック(海外のコミックはほぼ雑誌形式)を売るマガジンハウスが割と分離しています。私は不幸ながら海外には生涯一度しか出かけたことがないんですが、その時に町をふらついて入った本屋さんは売り物が全て本。当たり前ですけどね。そしてちゃんとしたお店の形をしています。で、いわゆる雑誌を売っているマガジンハウスは、日本で言うたばこ屋さんみたいに人通りが多い街角にちょこんとあったりします。実はたばこ屋さん利用したことがないのでよくわからないのですが、そんなノリだと思って頂ければ。あ、実は渡航経験が一度ってのも自分は不幸だと思っていません(笑)

 何が言いたいのかというと、最近の読書離れって数字が大きいのは雑誌やマンガ離れだったりして、実はほとんどの人はそういうちゃんとした本を元々読んでなかったのでは?って思うのです。もちろん、雑誌にだって立派に読書と言えるないようようなモノもありますし、書籍にしたって「これが読書?」みたいに感じるモノも結構あったりしますが、そこは大雑把に考えていたければと。

 ここからは完全に私の個人的な印象でしかないんですが、そもそも上記に書いたような偏見で考えると「読書」をしてる人って元からそんなにいたのかな?なんて思ったりします。自分が働く業界はどちらかというと本を読む人が平均より多い業界なのではないかと思うのですが、にしたって以前も書いたように「お勧めの本はなんですか?」なんて聞かれることもあったりと、決してみんなが読書まみれになっている訳ではありません。そう考えると個人的に「実は本屋さんの数ってまだ多すぎるのでは?」なんて思ったりするのですが、そういう話を数少ない読書好き…な人に話すと怪訝な顔をされることがほとんどです。

 統計を見ると、2017年の時点で日本全国には書店が12,526店あるそうですが、それを2016年の全国の自治体数で割ると、一自治体毎に平均7件強の本屋さんがあることになり、そう考えると本屋さんの数ってすごく多い気がしませんかね?もちろん本屋さんが日本全国平均して散らばっている訳ではありません。
 うちからそう遠くないつくばみらい市では市内に本屋さんがないなんて状況もあったりしますけど、現地を知っている人間からすると、ここはつくばエクスプレス開通前だと本屋さんどころかまともなショッピングセンターすらない地域だったので、そりゃそうかなと。

 今時は本を読んでいる人に比べて、音楽を聴いている人は圧倒的に多い訳ですよね。
 通勤中の電車内を見ていても、本を読んでいる人はすっかり消えましたけど、耳にイヤホンやヘッドホンをかけている人はかなりの数がいます。この全ての人が音楽を聴いているのかはわかりませんが、それを考えても、今では読書をしている人よりも、音楽を聴いている人の方が圧倒的に多いであろうことは想像がつきます。

 で、ここで全国のCDショップ数を調べてみると、本屋さんと違ってちゃんとした統計が見当たらないのですが、日本レコード商業組合に加盟しているCDショップの数は、2010年の時点で約700店だそうで、今だともう少し減っているんでしょうかね?これを先程と同じ2016年の自治体数で割ると、自治体毎に平均0.4店となり、これが多いかどうかは別にして、少なくとも読書と比較して街で音楽を聴いているだろうと思われる人の割合を考えてみると、本屋さんに比べてCDショップは圧倒的に数が少なかったりします。

 もっとも、ここにはCDレンタル店は含まれていませんので、それを加えればCDショップ数は全国であと2,000店くらいは増えるのかもしれません、でもそれを言ったら本にだって図書館ありますしね。図書館は全ての市町村にあるとは限りませんが、ほとんどの場所に存在するでしょう。しかも図書館は無料です。

 話は変わりますが、図書館を利用する度に「音楽と違って読書が趣味の人って行政からこんなに優遇されちゃっていいのかな?」なんて思ったりします。時には出版社や著者の方が気の毒に感じる事もありますが、こういうシステムなんだから、もちろん私もありがたく利用させてもらってます。この週末も敢えて品のない書き方させてもらうと、金額にして11,800円(税別)分の本を借りてきました。うち2冊はもう読んだので、明日にでも予約済みの別な本と貸し出し交換してきます。これ全部無料ですよ!すごくないですかね。実は街の本屋さんの閉店が加速してるのって、こういうやりすぎとも思える行政の図書館サービスにも一因がある気もしますが、このシステムは出版関係者から叩かれてるの見たことないです。一部のベストセラー本以外は公費での図書購入も出版社にとっては重要な売上だからなんでしょうけど。

 脱線しましたが、友達に出版社に勤めてる人とか、ライター業やってる人とか、漫画家さんとか、そういう人達がいますので、あまりこういう事を書くのもアレかもしれませんけど、やはり統計で見ると、まだ本屋さんって多すぎるんだろうなと思います。

 こういう事書くと「おまえは街の書店がなくなってもいいのか?」なんて怒る人もいるんでしょうけど、全然そんな事はないです。というか、昔は旅行先で本屋さんに寄るのが大好きでした。
 ただ、最近ではあまり積極的には寄りません。何故なら日本全国何処でも本屋さんに並ぶ本が同じになってきたから。もちろん、POSシステムを使って売れる本だけを並べるってのは、短期の視点のみで考えれば正しいんだろうなと思います。売れる本を置けば売上立ちますからね。

▼2016年06月25日

漂流の島〜江戸時代の鳥島漂流民達を追う

IMG_7649.JPG 副題に「江戸時代の鳥島漂流民達を追う」とあり、鳥島という言葉に反応して買ってしまいました。

 鳥島といえば今は無人島…というか、歴史上有人だった時代は明治時代の一部、そして太平洋戦争中から気象観測所が廃止されるまでのごく短い期間となります。その中で街らしい体裁を持っていたのは明治時代のみでしょうか?周囲は断崖絶壁に囲まれている上に、島にある山は活火山でいつ噴火するか分からないという状態。
 この本で知ったのですが、明治時代にはアホウドリの捕獲で財をなしていた島唯一の村が水蒸気爆発で吹っ飛んだ…という、なかなかに壮絶な島です。現在こちらの島は絶滅危惧種となったアホウドリの貴重な生息地として、厳しく立ち入りが制限されているとのこと。もっとも行きたくても普通の人ではたどり着ける場所にある島ではないのですが…。

 ただ、この南海の孤島に命を助けられた人は何人もいます。その中で最も有名な人物は、幕末に活躍した「ジョン万次郎」。彼は鯨取りの漁師でしたが、四国土佐沖で乗っていた船の舵が壊れ、そのまま漂流して鳥島にたどり着きます。この鳥島はちょうど日本の南を流れる黒瀬川(黒潮)の通り道にあり、江戸時代にはジョン万次郎の他、何人もの船乗りがこの島に漂着していたそうです。

 もっとも漂着できたとしても、食料も水も何もない島ですから、沢山の人がこの島で命を落としています。ただ、中にはがんばって生き延びて、海から漂着する木材などで船を作り八丈島へ脱出した人、または時折通りかかる外国の捕鯨船(この島は太平洋で捕鯨漁をする帆船の目印になっていた)に救出されたりする人もいました。ジョン万次郎もそれらの捕鯨船に救出された1人です。

 ということで、日本の海難史的にはなかなか重要な島ではあるのですが、この島について語っている本はほぼありません。江戸時代の漂流話を小説にしている本は何冊かあるようですが、現地に上陸して島を調査しているという本については、私は知りませんでした。なので本屋さんで「鳥島」の文字があるのを見て、オッ!と思って買ってしまったのです。

 本屋さんで歴史書のコーナーに並んでいたのですが、本書は歴史書ではありません。いうなれば「鳥島に上陸したルポ」です。ただ、その目的が自然環境調査ではないことに意義があります。というか、江戸時代の漂流民について知りたくて鳥島に上陸した記録はこの本が初なんじゃないですかね。というのも、本書に書いてありますが、今の鳥島は「アホウドリの生態・火山活動の調査」以外の目的では、ほぼ絶対に上陸許可が下りないからだそうです。
 この本の著者も、名目上は火山活動の調査で初上陸を果たすのですが、実際の興味が江戸時代の漂流民にあったことから、再度上陸許可が下りることがなかったとのこと。この辺は、おそらく役人同士の権力争いや管轄争いのせいなんでしょうけど、読んでいて不愉快な気持ちになりました。

 ということで、本書の内容はかなり未完な感じです。ネタバレな感じではありますが、あとがきにも「刊行後何十年も経ってからこの本を手にする人がいるかもしれない」とあります。少なくとも今の時代は江戸時代の漂流民や、明治時代の離島文化史を調査するために鳥島へ上陸することは不可能ですが、遠い未来なら上陸可能になるかもしれない…という望みと共に締めくくられています。

 結果としてはそういう話ですが、それに至る過程…鳥島への上陸許可を得るまでの話、上陸までの話、そして上陸してからの現地活動などは、読んでいて引き込まれます。過酷な島の環境と、人が暮らすインフラが全くない場所での生活、こういう体験は今の時代ではなかなかできませんね。

 現在日本には6,847の島があるとされており(周囲0.1km未満の岩礁などは除く)、そのうち人が住んでいる島は305島しかないそうです。こうやって考えると、日本にもまだ人跡未踏の場所は数多く存在するのかもしれません。

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▼2016年06月12日

ツバキ文具店/小川 糸

 長い間本を読んでいると、いわゆる「ジャケ買い」ならぬ「タイトル買い」をする本があります。このツバキ文具店もその一冊で、小川糸という作家について、今まで読んだことがなかったのですが、何となくタイトルと表紙のイラストに惹かれて購入。どうでもいいけど、最近では新刊の本もビニールで覆われて中が読めなくなっているのね。購入したのはアキヨド7Fの有隣堂だったんだけど、なんだか世知辛い世の中です。

 そういえば自分の場合、いわゆる小説というジャンルはあまり読まないのです。年間多くても10冊行くことがない。ついでにいうと、ここ2ヶ月位の間、まともに本を読んでいなくて、たまにこういう短期間の本離れの時期はよくあるので気にしていなかったのですが、何かの本がトリガになって、また読書量が一気に増えるという事が多い気がします。この本はまさに今回のプチ読書離れのトリガになった本でした。

 内容は、鎌倉の文房具屋であり代書屋でもあるお店を継いだ女性のお話。夏・秋・冬・春といった章立てになっています。文房具好きな人にとっては、登場する文房具の描写がタマランそうですが、むしろ自分は作中に登場する食べものの方が気になりました。そういえば、最近の文芸小説ってみんな食べものについての描写が凝ってますよね。これもブームのひとつなんでしょうか。あと、作中に登場する代筆の手紙の実物(?)が掲載してあるのも面白い。手書きの文字ってのはいいですよねぇ。

 他、実在する鎌倉のお店も多数登場して「あ…この店入ったことあるな…」なんて事を考えながら、1日一章というペースを守って読みました。小説の場合は一気に読んでしまうとなんだかもったいない気もしますからね。

 ネタバレになるので書きませんけど、ラストは不意に涙ぐみそうになりました。

ツバキ文具店/小川 糸

▼2016年01月18日

三省堂書店でデビットカードが使えずレジで驚愕した件w

 先週の金曜日、会社が終わって三省堂書店神保町本店に寄ったのですが、2冊ほど持ってレジに出して、支払いをいつも通りの「デビットカードで」と伝えたら、渡したカードをゴソゴソやったあげく「申し訳ございませんVISAのデビットカードしか使えません」と言われました。
 VISAのデビットカードってなんだそりゃ?(もちろん意味はわかってるけど)と思いましたけど、使えないモノをゴネても仕方ないので「そうですか」といってそのまま帰ってきました。もちろん本は買ってません。つか、そのうちの1冊は帰りの電車の中でAmazonにて注文して買い物は終了。

 そういえば、書泉もブックマートを閉める半年位前から急にデビットカードが使えなくなりましたし、三省堂もヤバいんですかね。教科書検定の不正接待問題とかあったばかりだし。

 しかし…実店舗がネット書店に追われてるとか取って代わられるとか言われてるこの昨今に、いきなり決済手段を減らすってのはすごいなーと思います。なんたって、顧客サービスを切り捨て始めてるんですからね。
 その当日に買おうと思ってた本の合計額は5,000円弱でしたが、銀行に行っても基本的に現金を5,000円しか下ろさない(銀行に下ろしに行くのは財布の中身が1,000円切ってから)な自分にとっては、当然そんな金は持ち歩いてないのです。だったらクレカで決済すれば?と言われる方もいると思いますが、それならAmazonで注文しますよね。その場で読みたいのならともかく、持って帰るの重いし(笑)
 それと、クレカ払いはやはり決済にひと月くらいのタイムラグがあるので、個人的にはデビットカードが使える店舗なら、デビット払いを優先してます。なので、三省堂がリタイアした中、現在自分が把握してるデビットカードが使える大型書店は丸善だけになっちゃったのかな?

 じゃ…この先三省堂には行かないのかというと、そんな事はなくて、最近ではリアル店舗に行ったときは、気になる本をスマホでAmazonの欲しいものリストへ突っ込んでます。いわゆるショールーミング用途ですな。だってその場でリアル店舗である故の優位性だったデビット払いが使えないんだから仕方ないよね。すぐに読みたい本ならともかく…。
 自称本好きリアル書店好きの方達にとってはちょっと不愉快な話かもしれませんが、自ら顧客サービスの合理化を進める業界に対しては、消費者側だって当然ながら利用方法の合理化を行うわけです。

 それと、以前では「リアル書店にはネット書店にはない新たな本との出会いが」とかよく言われてましたけど、最近だとネットの書評(プロアマ問わず)で本を知って買う機会の方が増えてきたと感じてきてます。となると、この先リアル書店って本当に必要なのかな?なんて気もしてきちゃいますね。

 そうそう、ネット系の本屋さんと言えば、既存の大手取り次ぎがやってるe-honというネット書店では、在庫アリで注文した数日後に「売り切れました」とかいう連絡が来るという目に2回程あいまして、つまりこの対立軸としては、リアル書店とネット書店の優位性云々ではなく、単に「既存取り次ぎ+傘下のリアル書店」がダメなだけなのでは?と思いました。

 ちなみに買おうと思ってたもう1冊の本はこちら。
 家帰って検索したら千代田区の図書館にあるみたいなので、そちらで借りることにしましょう。

▼2015年11月23日

沈黙の山嶺/ウェイド・デイヴィス

 エベレストのエントリ書いて思い出しましたが、少し前に「沈黙の山嶺」という本を読んでいたんですよね。

 世界の登山史の中で、ジョージ・マロリーほど有名な人はいないでしょう。また同時に、登山史上最大のミステリとして、彼はエベレストの山頂を踏んだのか?という議論は夢枕獏による小説、神々の山嶺でもネタにされています。

 本書は副題に「第一次世界大戦」とありますが、上巻の前半はひたすら第一次世界大戦における悲惨な戦闘の描写が続きます。私達日本人にとって第一次世界大戦とは、あまり馴染みのない戦争ではありますが、機関銃と塹壕、そして戦車、毒ガス、街の地形が変わるほどの超絶な激戦等、ヨーロッパ人には今でも深く染みついている負の記憶です。日本人には信じられないかもしれませんが、今でもその当時の戦場だった地域は、不発弾だらけで立ち入り禁止になっている場所が沢山あります。当時のデータも残っていないでしょうし、もう永久に処理されないかもしれません。

 そんな悲惨な時代を乗り越えた強靱な青年達が、当時はGoogleマップはおろか、ネパールとチベットの地図すらない場所にある、世界最高峰のエベレストにアタックします。

 一言でエベレストに登るといっても、その当時はエベレストへの行き方すらわかっていませんでした。そのため当時はイギリスと不仲だったネパール側ではなく、チベット側から何度もエベレストを目指しては引き返し、ようやくエベレスト本体へのルートを確保するまでに、数回の遠征を要します。
 そして、そこから更に、エベレストに登るためのルート探し。更に膨大な補給物資のルート確保や、酸素の問題など、登山に関するありとあらゆる難関が遠征隊を襲います。そういえば自分も初めて知ったのですが、そもそもこの遠征費用の確保も大変だったみたいですね。何となくですが、イギリス政府が威信をかけて金出しまくってたのかと思ってましたが、事実はどうやら違っていたみたいです。

 ま、その結末については既に有名な話なのでここでは書きませんけど、登山史に興味がある方なら夢中になること間違いナシだと思います。上下巻揃えるとそれなりに高くつきますが、お勧めです。

▼2015年02月01日

ラノベとの境界の彼方

 昨日に引き続き、本の話。

 別な人と本について話していたんだけど「ラノベとか読んだことないんですよね」という話になり、そういえば「ラノベと普通の小説の違いってなに?」みたいな話に。

 違いと言えば…表紙にいかにもアレな絵が入っていたり、そんな所かな?としか結論は出なかったけど、実際問題ラノベと純文学なんて、書いている人(あるいは売る編集者)が「これはラノベ」と言えばラノベだし「純文学」といえば純文学だろう。自分もラノベとかあまり読まないが、そんな程度の差でしかない。
 また、最近ではいわゆる「ラノベ文庫」なレーベル以外で、各出版社がラノベ的にアニメ絵を表紙や挿絵に使った小説も沢山出てきて、ますます違いがわかりにくくなっている。

 ジャンルから想像する内容でラノベと言えば、ラノベの内容は荒唐無稽な話が多いし、萌えばかりだし、そもそも設定に無理がある…なんて考察もあるかもしれないが、それを言ってしまえば普通の小説だって荒唐無稽な話は多い。

 例えば私が比較的好きな川上弘美の作品では、ある話では主人公がヘビになったり、別な話では幽霊になって多数の女とヤりまくったりと、ラノベ真っ青なご都合設定とも言える作品があったりするが、彼女の作品は「ラノベ」にはカテゴライズされない。
 また、もうちょっと古い小説になると、川端康成の作品なんて、いい歳したおっさんが赤ちゃんプレイしたり、旅の途中で出会った14歳ロリ少女の後を付け、風呂場を覗き見したり(しかもその少女は全裸で立ち上がって主人公に手を振るなんてオマケ付き)、こちらもまぁ…萌えという視点ではラノベには決して負けていない(笑)

 思えばこの手の「若者向け大衆小説」というのは、いつだって今でいうところの「ラノベ」的扱いをされてきた。例えば、江戸時代の東海道中膝栗毛などは、いわゆる「滑稽本」とされて、ちゃんとした本という扱いではなかった。
 江戸時代当時のいわゆる「ちゃんとした本」というのは、私達が普段口にしている口語体とは全く異なり、例えば「也」などという言葉は、当時の本で多用されていたからといって、普通の人が「也」とか喋っていたわけではない。
 これらの本で、初めて口語体による記述で書かれたものは、ホントかどうかわからないが、勝海舟のオヤジである勝小吉による夢酔独言とも言われ、当時としては画期的な手法であったが、まともな本として扱われなかったようである。

 その後、皆さんご存じの夏目漱石が、私達が普段口にする言葉ととても近い言葉で小説を書き始め、やがてそれらはベストセラーとなってゆくが、彼の小説だって出版当時は「言葉が乱れている」とか結構さんざんな評判だった。だが、結局それらの読みやすい文章は、若者を中心に支持を得て、やがて漢文を知らずとも誰でも読むことができる大衆小説として受け入れられてゆく。

 その後、大正デモクラシー時代や、戦中などの世相で小説は随分様変わりしてゆくのだが、やはり若者向けの小説は、恋愛もの…特にしがない青年がふと出会った美少女と恋に落ちて…みたいな話が多く、あまり高尚な扱いはされなかったようだ。

 戦後はミステリ小説ブーム、更にSFブームなどがあったが、それらの小説が主流になる頃から、戦前・戦中のご都合主義的恋愛小説が「純文学」などと呼ばれるようになり、どことなく一段上の扱いをされるようになった。

 そして、そのようなSFブームの中、現在のラノベに通じる直接の源流扱いとされる作家が生まれる。それが皆さんご存じの「新井素子」だろう。彼女の文体は、いわゆる漫画的擬音をそのまま文字にしてしまった事が特徴。「はふっ!」とか、既にマンガ文化に触れた読者でないと何を言ってるのかわからなかったと思う。
 そしてその頃多くの少女(少年)達を虜にしたコバルト文庫、朝日ソノラマ文庫などを経て、角川や電撃など、ラノベ全盛の現代につながってきたのだ。

 そう考えると、古くから本を読んでいた人達は、いつの時代も新しい表現で書かれた小説を、多少小馬鹿にする伝統が常に受け継がれていると言える。
 自分の記憶にあるところだと、今でこそ新井素子とか読んでも低俗扱いされないが、昔はヘビーなSFファン達から「マンガ以下、低俗すぎる、SFをなんだと思っているのか」などの批判も多かった。そしてそれらの批判は、現代オッサンやオバサン達が「今の若い子はラノベとか漫画みたいな小説ばかり読んで…」みたいに考えている心境に近いのではないかと思う。

 つことで、今ラノベを沢山読んでいる人達も、あと数十年すれば、今のラノベは少しだけ高尚なジャンルになるかもしれないので、あまりラノベとかなんだとか気にせず、好きな小説を読んでいればそれでいいのではないでしょうか?という、特に結論もないお話でした。

▼2015年01月31日

お勧めの本はなんですか?

 会社の人と話していたとき、ふとこんな事を聞かれた。
 どうやら最近本を読んでいないので、また読みたいとのことらしい。「えっ?お勧めの本と言われても…」と、自分は困ってしまったのだが、落ち着いて考えると、この種の質問は、むしろ普段本をよく読む人ほど返答に困るとう面白い事例なのかも…と思った。

 同様の質問は、例えば音楽や映画、クルマや自転車でもいいし、ヲタっぽくお勧めのアニメは?なんて聞かれたときも同じかもしれない。これらのように絶対解がない分野での質問は、むしろその分野のエキスパートよりも、あまりそれらに接していない人に質問した方が、すぐに答えが返ってくるし、案外正しい事も多いのではないかと思う。

 例えば「お勧めの本」と聞かれて、普段から沢山本を読んでいる人は何を勧めればいいのか困ってしまう。それは自分の中で処理しなければならない情報が多すぎるからだ。
 「じゃ、最近読んだ本でいいから」と言われても、このブログでネタにした一番最近の本は「エア・パワーの時代」である。とてもじゃないが、最近読書をしてないので本を読み始めたい…って人に勧められる本ではない。「じゃ買った本は?」と聞かれると、このエントリを書いている時点でもっとも最近買った本は、大阪の古本屋さんに注文した「日置川町史・中世編」である。まともに答えても会話がそこで終わってしまう(笑)

 逆に自分があまり本を読まずに、年に数冊程度読むくらいだったらどうだろう。基本的に本を読まずに、年に数冊本屋で本を買う程度なら、きっと誰でも知っているベストセラ小説やビジネス書しか読んでいないだろうし、それなら無理なくお勧めできるかもしれない。それは今流行のピゲティの経済書かもしれない、あるいは村上春樹とかかも。なんせ年に数冊しか本を読んでいないのだから、選択肢が少ないのですぐ選べる。というか一年以内に読んだ本全てをお勧めしたって問題ないだろう。これならおそらく会話のキャッチボールが成立しそうだし、多分お勧めされた方も満足して読んでくれそうだ。

 そういえば、自転車なんかも同じかもしれない。仲間内でのSNSで、新しく「自転車買いたい」と言う人が出たりすると、やれロードレーサーにしろとか、小径車がいいよ、とか安いクロスバイクを買ってパーツを高級品に変更しろなどと無茶言う人が出たりする。おそらくこの手の質問の趣旨は、「ママチャリでもいいけどもう少し長い距離を走りたい」である事が多く、それに対する最適な解答は「5万円前後のクロスバイク」だったりするんだろうが、マニアに尋ねるとそこに落ち着くまでの課程がエラく遠回りになったりする(笑)

 ということで、何か新しいモノを買いたい、何か新しいことをしてみたい…と思ったら、話が長くなるので、質問の対象にハマっている人には聞いちゃいけないよ…という結論なのか?

 ちなみにその時の私は、インターネットで新聞社が出している書評ページを開いて「この杉山正明氏のモンゴルの本はお勧め、それとMac使っているなら、こっちのジョナサン・アイブの本も面白いと思うよ」と、半分他のメディアに頼った、極めて無難な返答で済ませておきました。

 「本のお勧めとか漠然過ぎて答えられるわけない!」とか、この手の質問でちょっとイラッとする読書家の方もいるとは思いますが、このようなザックリとした質問にも適切な解答をすぐに出せると、ちょっとカッコいいかもしれないなぁ…。

 あ、このエントリで登場した以下の本は本当にオススメしますので、最近あまり本を読んでいない人も是非どうぞ。

▼2014年12月31日

BRUTUSの本特集をながめながら、それでは良いお年を…

R0324470.JPG 毎回買うと決めている「BRUTUS」の年末本特集。今年も買いました。

 去年の特集タイトルは「本があれば大丈夫」だったっけ?それに比べると今年は「読書入門。」と、結構ストレートなタイトルですが、内容は去年同様なかなか面白い。
 早速数冊読んでみたい本があったので、東京に帰ったら買いに行こう…と思ったら、今ではKindleでこの場で買えちゃうんだよね。まだ買ってないけど(笑)

 つことで、今年は読書量的には結構少なかった。ただ、その分心に残る読書ができたような気がしています。来年はどんな本を読もうかな。

 それでは、皆さん良いお年を。

RICOH GR


エア・パワーの時代/マーチン・ファン・クレフェルト

IMG_5208.JPG ずっと読もうと思っていたのですが、高くてなかなか買えなかった本。なので図書館で借りてきました。
 もっとも「高くて…」というより、部屋にもう本の数増やしたくないんだよね。Kindleで出ていたらそっちで買ってました。税込みで5,000円位になりますけど。

 それはそうと、この本の著者であるマーチン・ファン・クレフェルトという人は、グノタの間で永遠の名著といわれる「補給戦―何が勝敗を決定するのか」の著者でもあります。その彼が書き起こしたエアパワーの本なのですから、そりゃもう内容についてはワクテカです。

 戦争における航空兵器とは、当然ながら時代と共に大きくその役割を変えています。戦争における初期の航空機は、戦闘を行う機械ではなく、偵察や大砲の弾着観測を行っていました。
 それが、テクノロジーの進化と共に航空機は大型でパワーを持つようになり、都市爆撃などの任務に使われるようになります。その頃にイタリア人であったドゥーエが「制空」という概念を提唱し、それが世界の空軍関係者達の中で標準のドクトリンとなってゆきます。

 そして時が過ぎ第二次世界大戦が終わった現代、かつての先進国家VS先進国家という戦争はすっかり姿を消し、空軍はその強大な力を持て余すようになってしまいました。
 強力な敵師団に対して、爆弾やミサイルを雨あられのごとく降らせる作戦は、現代戦では殆ど行われなくなり、超高性能を誇るステルス攻撃機や爆撃機を戦場に投入するコストと、得られる成果のバランスが割に合わなくなってきました。例えば、現代では例え軍事予算が潤沢なアメリカであっても、B2爆撃機を1機でも作戦で失うことは、国家規模の損失と見なされます(故にB2爆撃機は激戦地には投入されないという本末転倒な結果になっています)。つまり、従来型の「大空軍」的思想は、これからの時代にそぐわない。それがこの本の結末です。

 おそらく、軍関係者の人達は薄々気が付いていたと思うんですよね。例え精密誘導弾でピンポイントの作戦目標を撃破できるにせよ、それにかかるコストと得られる戦果のバランスが大きく変わりつつあること、そして現代の戦争では、そもそもエアパワーを投入すべき固定作戦目標が存在しないケースが多いことなど…。

 やや高価ではありますが、軍用機や空軍戦略に興味がある方は、是非ご一読を。

iPhone6 Plus


▼2014年10月06日

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?/池上彰

IMG_4828.PNG ひと月くらい前にKindleのセールで買ったんだけど、実に良い本だったので紹介。テレビでお馴染みの「池上彰」さんの本です。

 近頃の大学教育は「専門性」が重視されるようになり、いわゆる「教養」としての学部は随分とスミに追いやられていると聞きます。しかし、例え医学部だろうと理系だろうと文系だろうと、広く社会に対する「教養」は身につけておかなければならないと、ある種当たり前の事ではあるのですが、そういった教養をおろそかにしてきた学生、あるいは大人達に向けたガイドブックといった構成です。

 第一章が「宗教」
 第二章が「宇宙」
 第三章が「人類の旅路」
 第四章が「人間と病気」
 第五章が「経済学」
 第六章が「歴史」
 第七章が「日本と日本人」

 となっています。それぞれの章は、ヨーロッパの大学で学問の基本とされる「自由七科」を踏まえ、池上氏が考える「現代の自由七科」だそうです。

 正直、それぞれの章の内容についてはかなり薄いもので、各項目に詳しい人にとっては物足りないかもしれません。おそらく池上氏もそれを踏まえた上で、自分の専門外である「宇宙」と「人類の旅路」については、かなりサラッと流しています。
 しかし、彼がニュースなどの現場で働いていて詳しくなったであろうジャンルについては、アッサリした内容ながらも結構鋭い視点が盛り込まれていて面白いです。
 例えばどうして中国で鳥インフルエンザは変異するのか。もちろん専門にその情報を追っていた人なら判っているのでしょうが、日々の報道でこのような結論を導きだす手法はさすがなものです(理由については本をどうぞ)
 他、歴史や日本人についても、池上氏が考える歴史感や日本人感が短いながらも判りやすく説明されています。

 インターネットが普及した中、それこそ情報はいくらでもネットにアップされているため、知識や教養は情報と誤解してしまっている人が多いと言われるようになりました。
 ただ、結局は目の前にどれだけの情報があろうと、それを自分でひとつづつ結びつけ結論を得るためには、知識や教養が必要となります。その知識のベースとなる…つまり基礎教養ですね、を身につけることは、理系だろうが文系だろうが医学部だろうが芸術学部だろうが、全ての人にとって大切なことです。

 また、本書の中に「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる」とありますが、まさにその通りですね。近頃の大学は就職予備校と化し、働くための実践的な知識などを重視して教えている学校も多いようですが、今役に立つ知識は、まさに今働いていて実践の場にいないと役に立たない訳で、池上氏の言うとおりかもしれません。
 それにくらべ、自分に身につけた教養は、この先人生を支える基盤になる!そうで、確かにその通りだなと思います。自分もそんな教養を身につけたかった(笑)

 ちなみに、ここから先は私見ですが、例えば海外のギーグ系ニュースサイトでは、もちろんギーグが喜ぶニュースがメインなのですが、割と科学ネタ、歴史ネタ、そして政治ネタなど、いわゆる「教養系」のネタが多いような気がします。これも大学教育で教養課程を重視するスタイルの賜物なのかなと思いますね。有名どころでは、ギズモードギズモード・ジャパンでは、紹介される記事のジャンル数が全然違っています(それでもギズモード・ジャパンは頑張ってる方だと思いますが)

 本書は、それら基礎教養への答えを与えてくれる本ではありませんが、それらを再び修めようとする人には、とても良いガイドブックになると思いました。

 

▼2014年08月16日

主人公は小学生女児!夕焼けロケットペンシルがすごく良かった件

9190z-DhOfL 女児ですよ!小学生女児!!JSですよ!!!

 先日ふらっと寄ったブクオフで、小学生女児の絵に 文具店の看板を持ったイラストに引かれて立ち読んでみたのですが、これがすごく良かった!もうホロッときちゃう。

 ザッとあらすじ書くと、主人公の少女は、売れない文房具屋さんの娘で、母親が家を出て行っちゃってて、父親はネトゲばかりでまともに仕事しない境遇の中、お店をたて直そうと頑張ります。そんな中彼女は、途中で出ていった母親に会ったり、漫画家の年上のお兄さん好きになっちゃったり失恋したりと、色々と年頃の少女にありがちなことを経験しならがら、最後はまぁ…ハッピーエンド。
 全三巻というボリウムも丁度良いというか、ごめんなさい、ブクオフで全て制覇してしまいました。読むのとまらないんだもんw

 つことで、せめてもの償いとしてこちらで紹介させて頂きますというか、この感動を皆さんと分かち合いたい!
 終わってみれば、結構オーソドックスな家族ドラマだけど、こういうストレートなのはやはりクるね。この歳になると。

 あと、文房具好きの人にも結構楽しめるんじゃないかな。あまりクドい描写はないですが、作者はきっと文房具が好きなんだろうな…というのがほんのり伝わってきて、それもまた心地よいです。画像はゾンアマから。

▼2014年08月07日

フェアレディZ開発の記録/植村 齊

IMG_20140731_072642 フェアレディZといえば、マツダのロードスターと並び、日本車の中ではとても成功したスポーツカーです。
 1970年代に米国で販売が始まると、その価格の安さと高性能ぶりから、たちまち大ヒットとなり、当時安価なスポーツカーと言えばMGトライアンフが主流だった中、中規模なスポーツカーメーカーを軒並み蹴散らし米国撤退に追い込んでしまった、日本車にとってある意味伝説の自動車だったりします。MGユーザーの自分としてはちょっと複雑な思いではありますけど(笑)

 そのフェアレディZに関する歴史ですが、米国で初めて大成功を収めた日の丸スポーツカーとして、様々な伝説が語られているようです。特にフェアレディZの生みの親とされているミスターKこと片山 豊氏にまつわるエピソードについては、ドラマチックに語られる事が多いみたい。

 本書はそんな「片山氏一辺倒」であるフェアレディZ誕生神話に、若干の冷や水を浴びせるような内容。著者の植村 齊氏は現在書道家として有名らしいですが、実は昔日産車体に勤めていて、フェアレディZのボディ開発にあたった1人でもあります。

 その彼が本書で書いていることを一言でまとめますと「フェアレディZは売れる車として企画された商品」だということ。つまりZ誕生秘話で良く語られる「1人の技術者の情熱が生み出した」というストーリーではなく、ちゃんとマーケティングを行って、ユーザーのニーズをくみ取って、当然ながら会社として何度も修正や承認を得て誕生した車だだそうです。ま、当たり前と言えば当たり前なんだけどね。

 そのため、プロジェクトXで紹介されたフェアレディZ誕生秘話は、そのほとんどが大げさに語られた演出だとのことで、植村氏に当時NHKから取材があったときも、ストーリーありきの取材姿勢に少なからず違和感を感じていたそうです。
 しかし、当時は会社としてそのストーリーに対して文句を付けようという風潮ではなかったので、それはそれでアリかと思って、当時は番組取材班に対してあまり意見しなかったらしく、ただ後年、それらのエピソードを全て否定しないにしても、Zの開発現場にいた人間として、本当の事は書き残しておこうと思って書いたのが本書だとのこと。

 1人の情熱が会社を動かして革新的なスポーツカーを誕生させた!確かにスポーツカーを売るためのエピソードとしてはこちらの方が世間に対してウケはいいと思いますが、当然新規の自動車を一台制作するのは、大メーカーだとしても大変ですからね。社員個人の好き嫌いで新型車が簡単に出来る筈はない訳です。
 Zの製造にあたっても、如何に既存の自動車からパーツを流用するか。またその調達コストを如何に抑えるか。その中でバランスの良いスタイリングや、スポーツカーとしての性能をどう両立するかなど、割と生臭い話も書いてあります。

 ちなみに、後出しジャンケンみたいで恥ずかしいのですが、私がNHKのフェアレディZの回を見たとき、あまり共感できなかったというか、コレ本当なのかな?と少し思っていました。
 何故ならこのプロジェクトXのエピソードは、1980年代後半に出版された、デビット・ハルバースタム氏による「覇者の驕り」のエピソードまんまだったからです。なので、内容の信憑性というより、当時NHKが作成していたNスペ「自動車」の焼き直しだね…って感じで。もちろん、その当時に本当のフェアレディZ開発現場がこうまで違うという話があるとは思ってもいませんでしたけど。

 ということで、ミスターKの伝説もある意味フェアレディZが作った伝説の一部であり、片山 豊氏の功績を否定するものではありませんが、それらを全て含めたストーリを作った技術者の後日談として、なかなか興味深く読むことが出来ました。あと個人的には、MGFがちょっと紹介されているのも嬉しかった(笑)

 クルマ好きの方は、是非呼んでみて下さい。
 それと、プロジェクトXのタネ本である「覇者の驕り」も、私は確か中学生か高校生の頃に読んだ本なので、今となっては内容が古いと思いますが、当時はとても面白かったです。現在は絶版みたいですけど(英語ならKindleで買える)、また読み返したいな。

Nexus 5


▼2014年06月09日

かばんとりどり/ウラモトユウコ

P6080096.JPG 本屋のコミックコーナーで発見。タイトルとPOPを見ると、ついにカバンフェチ向けのマンガが誕生したのか?と思ってそそくさと購入。早速家に帰って読んでみました。

 読んでみると、いわゆる「カバンフェチ向け」の話ではありませんでしたね。普通に恋愛模様を描いた短編集といった感じ。でももぁ、面白かったのでいっかな。

 巻末のあとがき?については、カバン好きな人も少しは楽しめるイラストエッセイが掲載されていましたので、なんだかんだで私は満足しましたけど。

OLYMPYS XZ-1


▼2014年06月05日

monoマガジン6/16日号を買ってみました

New photo added to  何年ぶりかのmonoマガジン。今では雑誌は殆ど買わなくなりましたけど、個人的には読みたい記事が3つ以上あれば買うことにしています。で、買った理由は特集記事の「ちっちゃいクルマ」と、オーディオテクニカの記事、それとラジオの記事があったから。

 で、表紙になっている「ちっちゃいクルマ」特集ですが、やはりクルマはちっちゃい方が楽しいですよね。自分で買ったかつてのローバーmini、そして今乗っているMGFですが、ミニはもちろん、MGFも最近の車に比べるとけっこうちっちゃいです。

 最近ではこういう「小さなクルマ」はとても数が少なくなりました。四隅のサイズでこそニッポンの軽自動車は小さいですが、あれら1Box化した軽自動車は「小さい」とは言えませんし、新生BMWミニだって私のMGFより大きいです(今では3ナンバーだっけ?)

 近頃は安全規制を満たすために、小さなクルマは作りにくくなっているようですが、やはり運転席に乗って「四隅に手が届く」感覚のクルマで街を走ると、自分の身体が本当に自由になれた気がして楽しいものです。大きなクルマだとね…この辺そういう感覚になれないんだよな。

 しかし何故だか知りませんが、私は昔から小さなモノが大好きなようで、もう一つの移動手段である自転車も小径車であるブロンプトン(もっとも小径に魅力を感じたのではなく小さく折りたためることに魅力を感じている訳ですが)が大好きですし、家にあるオーディオセットも性能の割にはとても小柄な製品を使っています。特に大きなモノ・製品がキライという訳でもないのですが、単に「小さなモノ」が好きなんですね、きっと。そういえばSONYのウォークマンとかも大好きでしたし。

 という感じで、久しぶりに雑誌を眺めるのも楽しいものだな…なんてね。

iPhone 5


▼2014年05月07日

いとみち/越谷オサム

P4279049.JPG もう3巻になりましたか。一応オビには「完結編」と書いてあるのですが、おそらく「いと」編が完結で、その後ニューキャラクターの「こま」編がスタートするのではないかという疑惑。

 つことで、2011年に第1巻がでて、2012年に第2巻が出ましたが、1年間を置いていよいよ完結編となりました。今回の話はどちらかというと、1~2巻で書き残した伏線やエピソードの回収編という感もあり、小説として面白いというか、いろいろな事が片付いて行く、読者からすると納得編みたいな感じ。

 残念ながら本巻でいとは、あまりメイド喫茶に出動しませんが、それでも最強萌え属性の数々を備えたいとっちはカワイイですね。小説としても綺麗な形で終了しましたので、とても読後感がサッパリとして良かったです。

 ま、続編については、出るなら読むと思いますけど、かといって続編ほしいという感じでもない、爽やかな完結編でした。

OLUMPUS E-1 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro


いとみち/越谷オサム
いとみち 二の糸/越谷オサム
いとみち 三の糸/越谷オサム

▼2014年03月24日

約100人のブックカバー展に出かけてきました。

P3249039.JPG 思えば、本屋さんでブックカバー断るようになったのはいつ頃からだったでしょう。
 子供の頃の私は、むしろ本屋さんでブックカバーを付けてもらうのが大好きで、特に、少ないお小遣いを貯めて買った本は、ブックカバーも含めて大切にしていました。

 また、地元の本屋さんも、今のように単に上下を折り返して表紙と裏表紙に差し込むような、簡単なカバー装着ではなく、一冊一冊、本屋さんの名前とイラストが描かれた紙の上で、ハサミやテープを使って、本を丁寧にカバーしてくれたのです。
 なので、一冊本を買うと、レジで2〜3分待たされることもあったのですが、そうやって包まれたブックカバーは、分厚い本を読み終えるまでちゃんと本をカバーしてくれていました。

 そのブックカバーが、多くの本屋さんで、単に上下を折り返す簡易的なやり方になったこと(実際あのやり方カバーがすぐ外れるし、本読むのに邪魔なんだよね)、それと、大手書店が広告代理店と組み、ブックカバーに宣伝を入れるようになったこと。
 その頃から、私は本屋さんでブックカバーを断るようになった気がします。広告入りカバーの、あのつるんとした手触りも嫌いだったし。

 ということで、前置きが長くなりましたが、渋谷パルコで開催されている「約100人のブックカバー展」に出かけてきました。
 こちらは、様々なイラストレーターやデザイナー、作家やショップの人が、架空の本屋さんの架空のブックカバーをデザインした展覧会で、更に嬉しい事に、展示されているそのブックカバーは買うことも出来ます。お値段は好きなのを5枚選んでセット価格525円。

 用紙や印刷なども、実際本屋さんで使われている、ざらざらした紙、また少し粗い印刷が再現されており、本が好きな人にとっては、この紙やインクの感覚も懐かしい感じ。私も、適当に選んで5枚程買ってきてみましたよ。

 この歳になると、多くの人はある意味「欲しい本は何でも買える」経済力があったりするので、子供の頃や学生の頃感じていた、頑張って数千円の本を買ったときのあの特別な思いや、“してやったり感”は、遠い記憶になっていると思いますが、そんな本を丁寧にカバーで包んでくれた本屋さんの記憶が、このざらついた紙に触っているとよみがえってくる気がします。
 本の記憶って、もちろん内容や表紙のデザインもありますけど、思ったよりも、本屋さんで付けてくれるカバーだって思い出の一部なんだなと。

 もう開催期間少ないですけど、本が好きな人は出かけてみては如何でしょうか。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digiral 50mm F2.0 Macro

▼2014年03月09日

見聞巷談/宮本常一

P3099037.JPG 俺達のみやもっちゃんが書いた、主に短文をまとめた本。
 編者が田村善次郎氏なので、おそらく最近順次刊行されている、宮本常一公演選集からのスピンオフ…っていうとなんだか今風すぎるけど、公演選集をまとめる過程で色々出てきたのではないでしょうか。これらの文章、宮本常一著作集には収録されているのかな。

 長くてせいぜい2P前後、短い文章であれば本当に2〜3行程度の量なので、結構読みやすいかと考えがちですが、単文集ってのは、その都度頭の切換が要求されますので、結構読むのに疲れるのです。にしても、読み始めるとなかなか止まらないモノで、私は本書をおおよそ二回に分割して読み切りました。

 短文で、なおかつ今も存在するような一般雑誌、あるいはメディア向けに書かれた原稿も多く、普段の宮本常一ではあまり書かれないような世相の色が付いた文章も多いです。なる程と思ったり、イヤそれは違う、と思ったり、色々でした。

 あと、読み終えて思ったのは「この時代の老人達ってバイタリティーパナいな」ということ。これは別に宮本常一だけではありません。前世紀のうちに寿命を迎えてしまった人達の文章を読むと、既に還暦を過ぎているのに「人を集めて○○をやろうと思う」とか「こうやってこんな風に考えたのでやってみようと思う」という結びがすごく多い。
 また、それらの事柄の多くが、割と身近で実現可能な事というのも、またすごいと思います。というか、近頃のご老人が書くエッセイって、何かをやってみようと思う…という文章がとても少ない気がしていて、私はこう生きてきた…とか、私の経験からこれはこうだ…とか、あるいは個人でなにか出来る訳でもない政治とか国際情勢について語ったりなど…が多いような。

 と…宮本常一に関係ないこと語りましたけど、やはり老人になっても、自分の身の回りで何かしよう!と思い続けることは大切だなと思いました。

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百姓たちの水資源戦争/渡辺尚志

R0320677.JPG 日本史の素晴らしい所は、プロ、アマを問わず、このように様々な視点から新たな資料を探し出し、どんどんと新たな解釈、事実が追加されてゆくことだと思います。
 なので、10年前に書かれた江戸の歴史本など、大筋で大きく変わっている所はさすがに殆どないとしても、細かい解釈の違いは結構あったりします。

 そして、この渡辺尚志氏は、古民家から発見された古文書などを丹念に調べ上げて、従来の「武士階級から虐げられる一方の百姓」というステレオタイプの歴史感とはまた違った、新たな発見を何冊も本にまとめておられます。今回の新刊もそのひとつ。こちらではそのなかの「水利権」について調べられています。

 第一章は、江戸時代当時の水利権についての考え方、そして第二章がまた面白いのですが、大阪の大和川流域、藤井寺市周辺に残された古文書を元に、実例として水資源に関する様々な争い、裁判などをまとめています。

 色々面白い例があるのですが、その中で特に興味深かった点をざっくりと大筋だけまとめますと、例えば、江戸時代に争われた水に関する争いは、おおよそ「慣例主義」というか、昔はどうだったか…という視点に基づき判決が下されていたのですが、そちらが明治維新を迎え、西欧から「個人所有」という概念が入ってくるにつれ、判決もまた変化し始めます。
 つまり、従来は川を流れてくる「水」あるいは「水源」は、それに関わる共同体皆の財産であったという意識が、西欧的法律解釈の流入により、ここのため池の所有者は誰、そしてこの水源の所有者は誰であるというように、水という資源に対して「所有」が行われるようになった事。
 そして、その結果従来は慣例主義であった水資源に関する争いも、徐々に所有者の意向が有利になり始めた…ということらしいです。

 従来…というか、今でもそうですが、江戸時代から続く日本の農村の暮らしぶりが大幅に変化したのは、明治維新ではなく、戦後高度経済成長期と言われています。
 しかし、単純に目に見える「モノ」以外で、こういった精神構造の変化も、農村の変化を語る上で見逃せないと書かれており、成る程…と思いました。

 文章も平易で、普段こういった歴史関係の本を読んでいない人でも読みやすく、それでいて「自分達の意志」で自治に励んでいた江戸時代の農民像が、判りやすく学べると思います。
 学校で「江戸時代の農民は全国何処でも搾取される一方だった」と習ったままの人は、一度このような最新の歴史観が書かれた本を読んで、アタマをリセットしてみるのもイイかも。

RICOH GR


▼2014年02月23日

聡明な女は料理がうまい/桐島洋子

P2239034.JPG なにやら挑発的なこのタイトルですが、年末に出たブルータスの本特集2014で紹介されていた本。

 オビには「70年代のベストセラー、待望の復刊」とあります。初版(というか新装版)の第一刷が2012年9月。今回買った本は第二刷で2014年2月なので、あの特集に合わせての増刷かな?反響が多かったのでしょうか。

 読み始めると、1970年代的文章というか、ある種時代がかった雰囲気にのまれそうになりますが、ちょっと変なのはその気取った表現だけで、文意についてはとても普遍的で今の私達にも通じる事が書いてあります。つか、すごいよね…この人って。

 ウーマンリブ的な部分に幾つも触れてはいますが、これもまた時代なんですかね。因みにこの著者は世間で言われている所の「リブ」的人生論には全く興味がないようで…って当たり前ですよね、この人の生き様を見れば、男女の違いとかそんなの超越してる、とてもエネルギッシュでスタイリッシュな生き方をしてます。

 で、表題にもある「聡明な女は料理が…」ってのは、わかる気がするんですよね。私は別に女じゃないですが、料理というのは綿密な計画性と大胆な実行力…が求められる行為だよなぁと思います。
 確かにこれって、いわゆる世間で言われるステレオタイプとしての「女性的」な行いではないと思うんですよね。なので、女性に限らず男性でも、料理がうまい人が「聡明」ってのは、私も多いに賛成です。

 女性の家事が大変なのは、実はそれぞれの作業そのものではなく、毎日決められた資源(冷蔵庫の食材・資金)などを頭に置きながら、料理、洗濯、掃除、買い物、そして時には育児といった多くのことを毎日自力で計画を立て、実行しなければならないことだとの意見もあります。
 つまり、料理に限らず家事全般をちゃちゃっと片付けられる人は、自己計画能力と判断力に長けているわけで、そりゃ頭ちゃんと使う人じゃないと出来ないよね…と納得。

 前半がエッセイ、後半は短い時間の中でちゃちゃっと作る事が出来る料理の実践レシピが載っていますので、ある意味おトクな本かもしれません。

 あと「ツノっぽい」という表現は、なかなかイイな思いました。そそ、食欲だけでなく性欲も旺盛な人は魅力的だよね。

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宮本常一公演選集3:都市文化と農村文化

R0320625.JPG 農文教から出版されている、我らがみやもっちゃんの公演選集も、3巻まで発刊されました。

 しかし、相変わらずこの人の話は、本当に全てアタマに入れたいというか、素晴らしい見識ばかりです。また、知識の量が異常です。
 この本は、原稿用紙をまとめて出版しているのではなく、宮本常一がその口で語ったことを文章にしているわけですから、恐ろしいものです。
 そして、ひとつの事例に対しての枝葉末節まで知り尽くした上での公演は、生で聞ければさぞ面白かったに違いありません。

 本書の初版発行日は、奥付によると、2014年1月28日になっていますが、だとすると次の4巻は3月末ですかね。今から楽しみです。

RICOH GR


▼2014年02月10日

RDG・レッドデータガール/荻原規子

P2109024.JPG 怒濤のカドカワ電子書籍70%オフ期間を利用して購入(セール期間はもう終わっています)
 このお話、以前アニメにもなっていましたよね。確か1話を見た記憶がありますが、アニメの方の泉水子は、原作で描写されているところの、ちんちくりんな少女ではなく、今風なアニメ的美少女にアレンジされていますので、正直アレな気がします。自らの容姿にコンプレックスをもっていてこその泉水子だと思うのです…こちら、旧版の表紙、酒井駒子氏に描かれた泉水子の方がそれっぽくていいです。

 それはそうと、原作は面白い。こういうジャンル、なんていうんでしょうね。ジュブナイル小説とも言えない気がするし、もちろんラノベではない(現在ラノベ風表紙で再販されてますけど)、高学年向け児童文学なんですかね。
 丁度仕事でクソ忙しい毎日だったのですが、割と止まらず、結構短期間で全6巻制覇したという感じ。

 この小説読みながらずっと思っていたのですが、泉水子って、いつも一生懸命自分の事とか他人のこととか考えてるんですよね。みんな自分の事とか他人のこととか、いつもこんな真剣に考えているのかなぁ…と。申し訳ないですけど、私の場合、1人でいるときに他人のこととか全くといって良い程考えてないです(笑)。この辺がリア充と非リア充の差なのではないかと、読みながら思ったりも。

 その他、式神とか山伏とか、世界設定が厨二設定全開だったりするんですけど、主人公を始め周りのキャラ達が、分相応に幼い思考の持ち主なので、あまり違和感はありません。全6巻の間、中だるみもなく、常にハラハラどきどきしながら読み続けられました。

 最終巻、読み終えてしまうのが少しもったいないな…と思った小説は、久しぶりかもしれません。

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▼2014年01月03日

古本屋さんに本を買いに出かける

R0320334.JPG セコい話ですがw、最近ではちょっと「お高い」本が欲しくなると、ついついネットの古本屋さん検索を利用してしまうんですよね。そこで在庫を発見すると、実際に買いに行くという流れ。

 で、この前でかけてきたのは、東京は京王井の頭線「駒場東大前駅」近くにある河野書店というお店。静かな住宅街の中にある、とても雰囲気の良い古本屋さんでした。

 最近では、新刊を扱っている普通の店が、軒並み店構え、ラインナップ共に画一化されていく中、昔ながらの本屋さんの個性ってのは、古本屋さんの方が濃く残っている気がします。
 私がネットで見つけた古本を、通販を利用せずにわざわざ出向いて買いに行くのは(行けば売り切れてたというリスクを承知の上)、やはり、こういう本屋さんの雰囲気が好きだからじゃないのかな〜と。

 あと、自分が欲しい本が売っていた本屋さん、他にどんな本が並んでいるかも興味ありますよね。ひょっとして自分が知らなくて面白そうな本に出会えるかもしれません。この当日も、目的の本以外に数冊買ってしまったし。

 こういう楽しみがあるから、アマゾンがあろうと、会社の近くに三省堂本店などの大型書店があろうと、理由を付けて各地の古本屋に出かけていくのです。

 ちなみに、この日買いに行った本は、以下のリンクから。

▼2013年12月15日

灘渡る古層の響き/稲垣尚友

PC158830.JPG 柳田圀男が提唱した民俗学の中で、特定委地域を絞り込んで研究対象とする分野を地域民俗学といいます。こちらの本もその分野に含まれるのではないかなと。

 この本の舞台は、鹿児島県トカラ列島平島、島ではあるのですが、周囲を断崖に囲まれており,集落はおおよそ標高200m前後の辺りに位置しています。最近では金環日食で話題になりましたが、基本的には訪れる観光客も滅多になく、モノ好きな釣り客がたまに訪れるような人口80人程度の小さな島です。

 この本は、その島で行われていた町営放送の記録を辿りながら,昭和47〜48年前後に島で起きた事件を追い、島の生活を疑似体験しつつ、少人数で育まれている村の生活を明らかにする…といった趣旨なのかどうかは知りませんけど、ま、そんな本です。

 だって、本の第一章から「人のヤギの耳を切らないで下さい」です。
 島で飼育されている山羊について、誰かが勝手に耳切(耳を切る形により所有者を識別している)したことについて、こまった島にいる役場の駐在員さんが、放送で止めるように呼びかける…という話。
 ぶっちゃけ、その当事者以外にとってはどうでもいい話ではあるのですが、こういう細かい事件一つにしても、この村の特異性というか、さまざまな生活についてのリアルな実情が浮かび上がってくるのがとても面白い訳です。
 また、行政から派遣された役所の駐在員と、村の顔役である総代との権力の二重構造なども、村の生活には薄いながら影を落としていて、「あ、共同体生活ってこんなものだよな」などと、なかなか興味深く、また納得出来たりします。

 他、本書では結構な数の島の写真も掲載されており、これがまた素晴らしい。島の生活っていいな…とは安易にいえませんけど、やはり、失われた日本の農村、山村の写真は、どこはかとなくノスタルジーを感じます。
 また、更なるオマケとして、この本では紹介されている町営放送が収録されたCDまで付属!なかなかお得な感じです。

 実はまだ、半分程度しか読んではいないのですが、久しぶりに素晴らしい本だなぁ…と思って紹介しました。読み終えたらまたどこかでネタにします。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


▼2013年12月07日

空母入門/佐藤和正

R0320242.JPG お馴染み光人社のNFシリーズ文庫。Kindle化していたのでつい買ってみました。

 タイトルに「入門」とあるように、空母それぞれについての詳細スペックを記すというより、何故航空母艦が作られ、その後どのように進化していったのかを、それぞれの艦についての歴史を織り交ぜながら俯瞰するといった内容で、なかなか面白かったです。

 私は知りませんでしたが、船から飛行機を発進させ着艦させるというアイディアと実践は、ライト兄弟の初飛行からたった7年後の事だったんですね。その、世界で初めて船から飛行機を発進させ、着艦させることに成功した国はアメリカでした。

 そのアメリカの実験を知り、同じような船が出来ないか…と考えて試行錯誤したのが、当時の日本とイギリス。そして、そのアイディアは世界初の水上機母艦「若宮」となります。その後、日英では、水上機以外にも固定翼機運用を目指して改良が進み、イギリスでは改造空母フューリアスが生まれ、その後、日本は世界初の正規空母、鵬翔を竣工させます。

 そうなのです。空母を発想し制作し発明したのは、私達日本と、イギリス、アメリカです。この三国によって、航空母艦の基礎は作られました。

 また、本当に誤解している人が多いなと思うのですが、日本海軍は大艦巨砲主義を捨てなかった訳ではありません。むしろ当時の列強で一番速く戦艦に見切りを付け、戦艦建造を辞めたのは日本だったりします。
 なので、大和型戦艦を日本海軍の技術力の頂点と考えてしまうのは間違いで、例えば空母瑞鶴に搭載されている主機は、大和型よりも出力が大きく高性能なのです(アルペジオ8巻で重巡タカオが海域強襲制圧艦ズイカクのエンジンパワーに驚くのはそのせいなのです)

 その後の空母史は、恐らく皆さんご存じの通り。日本海軍によって生まれた「空母機動部隊」という編成は、今までの海戦を全く別な戦い方に変えてしまいました。海の主役は戦艦から空母になり、1回海戦を行う度に、おびただしい数の艦載機と燃料、そして人命を失う、ある種消耗戦となります。

 空母戦を陸上戦闘に例えて考えてみると、戦争の近代化というのは基本的に全て同じ事に気がつくはずです。
 戦場という空間に、機械化された火力を際限なくつぎ込む近代地上戦闘。地上での戦いが、鉄道やトラックなどを用い、古代の戦争では考えられない程の人員と兵器を集中運用出来るべく進化したのと同様、海の戦いも空母というプラットフォームを用いて、戦場におびただしい数の人員と兵器・火力を投入する事が可能となりました。
 かつての大艦巨砲主義時代に見られた、強力な主力艦が中心となって敵艦隊を殲滅するというヒロイズム溢れた戦いとちがい、空母同士の戦いは、まさに海上の国家総力戦。海の上の戦いは、より凄惨なモノへとシフトしてゆきます。

 そんな中、本当にどんな本を読んでも感心させられるのですが、アメリカ軍の臨機応変さは本当にすごいと感じます。
 太平洋戦争でアメリカが日本に勝った理由は、暗号解読に成功したからとか、そもそも国力がすごかった…などと、今の日本人は老人も若者も負け惜しみなのか、アメリカが戦争で勝ち続けている根本の原因を考えようとしません。

 アメリカが第二次世界大戦で勝利し、冷戦でも勝利し、世界唯一の超大国になった理由は、アメリカ人が常に戦争という事象に対して、いつも極めて誠実であるからなのです。

 そんな事を考えながら、空母の歴史について楽しく学べました。光人社NF文庫は結構当たり外れが大きいのですが、こちらの本はなかなかよかったですよ。

RICOH GR


▼2013年11月07日

人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか/高城 剛

PB070296.JPG HONZのこの記事読んで興味を持ち、思わず購入。書評通り、とても面白かったです。

 本書に登場するのは、フランスとの国境に近い、スペインバスク地方にある「サン・セバスティアン」という街。バスク地方と言えば、自転車好きにとっては、あのインドゥラインの故郷ということで耳にしたことあるかも。

 スペインの人口4,500万人に対しての18万人都市なので、本書を読んでから想像するほど小さい街でもないかもしれません。日本の人口比率で考えると、大体40万人都市でしょうか。ザッと上げてみると、福島市・郡山市・水戸市・高崎市・前橋市・長岡市・長野市・松本市・沼津市・などなど…。ま、そんな規模の都市をイメージすると判りやすいのかも。

 で、サン・セバスティアンが何故すごいのかというと、こちらの街、この規模の街の中に、英「restaurant」誌が選出する、世界でTOP-10に入るレストランが二軒もあるそうなのです。美食に縁が無い私には、これがすごいのかすごくないのか、本を読んでいるときにはよく判らなかったのですが、「群馬の高崎市内に世界のTOP-10に入るレストランが二軒もある!」と考えれば、確かにすごいかもしれません。

 その他、詳しい話はこの本を読んで頂ければ判ると思うのですが、この「サン・セバスティアン」が、上記のような大成功を収めた理由は、食のオープンソース化にあるそうです。
 つまり、フランス式、あるいは日本もおおよそ同じだと思うのですが、厳格な師弟制度を否定し、食を科学として捉え、その情報をオープンにして、更なるアイディア、改良をフラットに求めるというものでした。こちらはコンピュータ業界ではお馴染みですよね、UNIXとかLINUXとか、そういう世界に似ているのかな。
 結果、サン・セバスティアンの街は、美食で溢れ、海外からの観光客も増え、街にも活気が戻ってきたとのことです。

 またこの事例は、日本が観光立国として進むにあたってのヒントにもなると著者は書いています。そして、アホみたいにゆるキャラばかりつくる、日本の観光政策についても批判しています。たしかに…そんな頭のねじが緩んだ観光振興策じゃ、パッと話題にはなっても、10年後とかどうしようもないよね。

 製造業が衰退する中、日本だけでなく、この先世界の主要産業は「観光になる」という主張は、ちょっとどうかな?と思いますが、確かに、何かと協会や組合を作って外部への情報発信と情報収集を遮断しがちな日本社会には、このサン・セバスティアンの成功例は耳が痛い事例ではないでしょうか。多分今の日本人にはマネ出来ないんでしょうけど。
 そうそう…最近読んでいる別の本ですが、この閉鎖的な産業構造は「商店街は何故滅びるのか」の考察にも結構重なる部分があるなと思いました。

 もちろん、オープンソース化が全てを解決する訳ではありません。特にその供給元にとっては、時に厳しい決断となる場合も理解します。
 しかし、そのまま伝統や知識・知恵などが、先細りで消え去ってしまうよりは、ずっと前向きな取組み出あることは間違いないと思いました。

 最後にちょっとだけ不満を。自称「ハイパーメディアクリエイター」なら、自著は電子書籍でも販売してほしいものデース。

OLYMPYS XZ-1


▼2013年11月04日

国家はなぜ衰退するのか/ダロン・アセモグル

PA270274.JPG 私達が所属している「国家」には、何故強弱があるのでしょうか。何故貧富の差があるのでしょうか。言っちゃなんだけど、皆さん何となく想像はついているんじゃないかと思うのですが、概ねそんな感じの分析がなされています。

 別にネタバレしても関係ないと思いますので、敢えて書きますけど、この本が言うところの国家の繁栄、そして衰退は、生み出された利益が国民へ適切に分配されるかどうか…によって決まるといいます。つまり、人種の差、地政学の差は、決定的なモノではないらしいです。

 冷静に考えてみると、確かに国家の栄枯盛衰とは、そんなものかもしれません。古くはローマ帝国から、大航海時代のヨーロッパ、その後に起きる産業革命と植民地主義、更に日本の急速な近代化。それぞれの時代で富を独占した国は、平等な法律により、膨大な利益を国民へと正しく還元することで、国体を強化してきました。

 と、こういう話をすると「大航海時代のヨーロッパの何が平等なの?」とか「日本には士農工商という歴とした身分制度がありましたけど?」などと、旧態依然とした階級闘争史観を持った人たちが反論してくるかもしれませんが、これらの国は歴史的尺度で見ると、概ね平等な社会でした。
 ホントの独裁者ってのはマジすごいですからね。それこそ、アフリカや共産主義国家の独裁体制を勉強した方がいい。また彼等は、自国民が商業で稼いだ金を意味もなく没収とか、裁判ナシでの国民処刑とか、あまつさえ気に入らない人間は奴隷として海外に売り飛ばすとか、やりたい放題してました。そして、そういう国は当然衰退しますよ!という…ある種当たり前な事例を、本書では丁寧に解説してあります。

 個々の事例については、ちょっと怪しい部分もそれなりに見受けられるのですが、私も概ねこの著者の意見には賛成する気持ちで読み進められました。
 所々、アメリカ的理想自由主義の色が濃すぎな部分もありますが、個人の成果が適切に個人へ還元され、その一部が共同体に還元されること…そういう体制じゃないと、確かに常識として国と社会が繁栄するはずもありません。

 また、現在のアフリカが何故いつまでも貧困のままなのか。その理由もよくわかる気がします。国民が国家を信頼しない国に繁栄などある筈もありません。

まだ軍隊に行くのがエリートなこの国が、王家という中枢を失ってみろ。国を海外に売り飛ばす奴がでてくるぞ。

 上記は記憶で書いているので細かいところで間違いがあるかもしれませんが、これは「エリア88」というマンガの中で、サキ・ヴァシュタールがアスランの民主化について発言したセリフです。本書を読んでいて、ふと上記のセリフを思い出しました。

 社会や国家が信頼出来ない民族は、他人も信用出来ないため、何よりも血縁関係を大事にします。つまり、そのような国民が大勢いる国家は、形だけ近代化しても、自力で国家としての繁栄は成し遂げられない集団だということです。
 多くの国民が、国家という概念を理解せず、しかし国際社会で国家として存在しなければならないアフリカ諸国(+アジアのあの国)に、真の意味での繁栄が訪れる日は、まだまだ先なのかなとも思いました。

 そうそう…写真にもありますが、こちらの本は上下巻ともKindle版を買いました。こういう重い本がKindle化されるのは本当に便利で嬉しいです。

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神田古本まつりに行ってきました

R0312301.JPG 神田神保町で開催されている神田古本まつりに出かけてきました。つか、金曜日会社帰りにも寄ってきたんだけどね。

 古本とか、買うつもりで出かけてしまうと、何冊買ってもキリがないので、今年は見物ムードで出かけることに。で、私としては「本屋さんで既に買うと決めた本があれば買おう」という縛りをつけました。

 しかし、本が大好きな人って沢山いるよねぇ。というか、逆にこの規模のお祭が日本最大級ってのは、読書人口が減っているって事なのか…よく分かりませんけど、お年を召した男性女性が物欲ギラつかせている姿は、なかなか見ていて楽しい感じ。

 あと、神田三省堂の裏道では、好例の出版社直販セールが行われていています。こちらではおトクに本が買えるのも嬉しいのですが、その他、色々小さな出版社の本を、会社別に眺めることができるのも面白いですね。

R0312304.JPG つことで買ってきた本は、森話社の「海の熊野」という本。以前から買おうと思っていたのですが、こちら定価が3,500円なのでチト高い。それが、買値は明かしませんが、バーゲン価格で手に入れられたのは、とても嬉しいです。古本まつり行って良かった。

 他、欲しい本は沢山ありましたけど、上記のMyルールを頑なに守り、がまんがまん!買わないで本を眺めるだけで満足することにしましたよ。

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海の熊野/谷川健一・三石 学

▼2013年10月28日

バイバイ、ブラックバード/伊坂幸太郎

PA050265.JPG ちょっと前の話なんだけど、文庫化されたようなので買ってみました。

 なんでも、二股ならず五股をかけていた主人公が、ひたすら女と別れるだけの簡単なお仕事…(笑)をテーマにした小説だということ。
 年がら年中、人から捨てられるばかりで、こちらから別れ話なんて高尚なことは一生経験が無いであろう私ではありますが、ひょっとしたら何かの時の参考になるかと思って読んでみます。

 このお話は、繭美という女性がキーになっています。これがまたすごい大女でブスで粗雑でガサツ、オマケに性格が悪いという最低最悪な女なのですが、読み進めるにつれて何か憎めない感じになってきます。
 逆に主人公の星野と付きあっていたという女達の方が、なんとなく不気味な気がしました。私には経験が無いので知りませんけど、男女の付き合いってあんな簡単なコトからホイホイ始まるものなんでしょうか?

 つことで、五人との女の別れがオムニバスアルバムのように展開していき、とても気軽にサクッと読めてしまった小説でした。文体も軽快で、また、悲しいシーンにもちょっとしたユーモアの雰囲気があって、とても面白かったです。

 ラストのオチについて、アマゾンのレビューを読むと納得いかない人が結構いるようですが、ああいうサッパリとした終わり方も良かったですね。
 また、彼の他の小説も読んでみたくなりましたよ。

RICOH GR


▼2013年10月27日

宮本常一公演選集1・民衆と文化史

PA270272.JPG みんな大好き!みやもっちゃんの公演選集です。農文教から発刊されておりまして、以降は2ヶ月に1冊程度のペースで発刊される模様。

 私が彼の著書に魅力を感じる訳は、彼の学問には、過去を向いた研究室の学問ではなく、常に未来を見据える提言が含まれているからです。

 本書の中でも彼は「社会問題というのは1日で出来るものではなく、背景には歴史があり、その歴史を調べると人々が何を目指して生きてきたのがわかる、それを体系化したい」みたいな事が述べられています。

 民俗学者というと、よくわからんお寺や祭りを調べるだけの印象がありますが、彼の民俗学は、日本民衆の生き様をリアルに伝えると共に、彼自身、日本の農村を豊かにするため、農作物の栽培方法や文化を様々な土地に伝えたりしています。戦後の日本、宮本常一のおかげで新な土地で栽培を始めた農作物は結構多いのです。

 私自身「歴史学者や民俗学者は現代の社会問題や犯罪に対して積極的に発言すべき!」と思っていますが、彼のように集めた知識を正しく日本の未来に向けて活用しようとする歴史学者や民俗学者が少ないのは残念なことだなぁ…と思います。

 もう、一冊丸々引用しまくりたい程珠玉の言葉で溢れているのですが、その中でちょっと面白い部分を引用。

日本人ほど時なしにものを食べる民族はなかったのではないかと思います。定期的に三食を守って、それ以外にはものを食べないという欧米流の生活ではなくて、やたら食べ、そして日常の三回の食事の時にはあまりおかずは食べません。これが、いつ行っても喫茶店が賑わっているという文化を生み出してきたのではないでしょうか(中略)そのおかげで東京の飲食店は繁盛し…

 これだけを読むと「え?日本人ってそんなに間食多いかな」と思ったりもするのですが、それは私達が戦後、学校生活や会社勤めで時間に縛られた生活を送っているためであり、ここにたどり着くまでの圧倒的な彼の経験に基づく話を読むと、確かに日本の飲食店数はとても多く、時間に支配されない休日などは、あまり時間に関係なくお客入っているよなぁ…と考えたりするのです。

 そういえば、ミシュラン東京の編集に際し審査員の方達が、日本の飲食店数は、他の大都市に比べ桁違いに多いと発言していました(東京約16万、パリ約1.5万、NY約3万、らしい)。日本にいると意識しませんが、外国から見ると日本は飲食店が多く繁盛しているのは事実なのでしょう。これは、宮本常一が言うように、過去の日本の間食という風習が、現代の日本にも通じている例なのかもしれません。

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▼2013年10月26日

「城取り」の軍事学/西股総生

R0312235.JPG 前のエントリで書いた、初Kindle購入本。早速読んでみました。

 私は普段から「お城」について、特別な興味を持っていた訳ではないのですが、やはり、日本史、合戦史、ならびに交通史への興味から、お城についてもそれなりに気にはしていたというレベルです。
 しかし…日本の城研究がこっちの方向に行ってしまっていたんだなぁ…というのは、この著者の主張と同様、嘆かわしいと思いました。

 「城」とは何か?と問われれば,もちろん「戦う」為の施設であります。江戸城や名古屋城、大阪城など、領土本拠地としての天守をもった城ならともかく、多くの城は戦うためだけに作られている訳で、全ての城に城主などいる訳がありません。また、大規模な城ならともかく、山城程度が全て領主勅命により建設される訳もなく、現場の司令官が現地制圧のため、あるいは敵を迎え撃つために急造したモノも多いはずです。近代戦における塹壕陣地とかトーチカみたいなノリで。
 そう考えると、確かに日本の城跡のほとんどに、城主や誰によって作られたかの詳細なデータが有る訳も無く、確かに著者の言うとおり「城跡の説明板は読むな!」という主張も、極論とは言え、確かにそうかなぁと思ったりします。

 また、日本の城研究の多くが、戦闘的視点に欠けていたというのも別な意味で衝撃を受けました。だって…私は山城の跡とか見たら思わず「この城は今私がいるこの道を監視するために作ったんだな」とか「このルートを攻略するにはあの城が邪魔だなぁ」とか、普通に考えていたからです。

 もっとも、この影響はやはり学生時代にシミュレーションゲームにハマっていた影響なのかな…と思ったりもします。緩やかな丘陵地や川沿いの地形を見る度に、ごく自然に「ここに軍団を展開するにはこの位置から見下ろす位置に陣をはって…」みたいな事を、いつも考えたり。そういえば京都に行ったときもそんな事考えたりしてたし…(笑)、これもまた極端かもしれませんけどね。

 そんな私にとって、本書の城と地形に対する考え方は、ホントにすんなりと頭に入ってきて、とてもエキサイティングでした。また、にゃんぱす紀行で寄った青山城についても詳しく解説してたのはよかったです。最近に現地を見たばかりの城なので、とても理解が深まりました。

 例えば、本書に掲載されていた長野盆地の山城群ですが、多くの人は「なんでこんな山の中にいちいちお城築くんだろう…」と思ったりすると思うのですが、現代の地形と戦国時代の地形とは意味が違います。例えば、長野平野の都市部にあたる大部分は、開拓が始まるまでは葦に埋もれた湿地帯であり、現代のように固い大地ではありませんでした。

 これは関東平野にも言えることで、関東の古道である「鎌倉街道」が、どうして山地の方を通っているのかというと、私達が今想像する「関東平野」は、これもまた葦で覆われ、雨の度に地形が変わり、馬車などはもちろん、馬の移動にすら苦労を強いられる湿地帯なので道にならなかったからです。今の関東平野の大部分は、江戸時代…もしくは明治時代以降、河川の整備によって固い大地に生まれ変わったものです(余談ですが稲作ですら日本で始まったのは丘陵地からでした)
 そのため、昔の道は案外山の中を通っていたりすることが多いのです。

 そんな予備知識を持って、本書を読んだり、城跡を訪問したりすると、その意味がとてもよくわかると思うのです。現代の私達が「何好き好んであんな山の中に…」と思う場所も、実は昔の道を見下ろせる場所だったり、あるいは山間の峠を容易に封鎖出来る場所に立っていたりします。

 昔の地形や風景を想像しながら、本書を片手にGoogleマップで位置を確認するとか、歴史好きの方なら結構楽しいのではないかと。というか、私は楽しかったです。

 この西股総生という方は、もう一冊「戦国の軍隊」という本を書いていらっしゃるようですが、こっちも読みたいのですが、まだKindle化してないんだよね〜。なのでしばらく後回しかな。

RICOH GR


▼2013年10月19日

セール中のkindle paperwhite 3Gを買ってみた

EA190352.JPG そろそろ電子書籍な気分?って訳でもないですが、最近ゾンアマさんで本を買おうとすると、意外とKindle対応の本が増えてきたな…と思っていたのです。

 そんな折、ブログ友達のakiratch氏が、どうやら最近Kindle版での漫画購入にはまっているらしく(この辺わかりにくいのですが、彼がKindleというハードウェアを持っているかは不明)イニDとかFとか全巻揃えたみたいな事を顔本の方で書いていたので、だんだん興味を持ってきました。

 去年の販売時前に一度予約しましたが、時期尚早かと思い予約を一旦取り消した経緯もありましたが、そろそろいけるのかな?と思って、新型機発売にともない10月20日迄の限定でAmazonでセール中になっているkindle paperwhite 3G(2012年版)を購入。昨晩無事手元に届きました。


● 司令官、Kindleに3G回線があるじゃない!

 私がKindleというハードウェアの中でpaperwhiteを選んだ理由はハッキリしていました。

 上級機であるfireなどのカラーディスプレイ付きKindleは、私が持っているiPadと競合します。というか、それを使うならiPadでKindleアプリを使えば充分なのです。
 fireよりもpaperwhiteが優れている点は、電子インクによる可視性と、2週間保つというバッテリ、そして本体が軽量にできていることにあります。特に本体重量は、一般的な文庫本の平均よりも軽いとされる222gです。つまり、持ち出して「本を読む」事に特化したハードウェアであるのが魅力です。

 次に、何故wi-fiモデルではなく3Gを選んだかというと、値段も安かったというのもありますが、やはり「何処でも本を買える」というソリューションに魅力を感じていたからです。それと、私が今までKindleで本を買うときは、iPhoneアプリで殆ど外出先というシチュエーションが多かったからというのもあります。
 私の場合は普段はPocket Wi-fiを持ち歩いていますので、実はKindleが3Gモデルである必要性はかなり薄いのですが、やはりガジェットの基本はスタンドアローンでネットワークにつながってこそ!
 実際は3Gネットワークで外出時に本を探して買うというより、失礼な話ですが、本屋さんで見つけた面白そうな本のKindle版があるのか?をその場で探して買う事の方が多い気がします。
 あ、ちなみにKindleの3G通信は無料ですが、KindleストアとWikipedia以外の閲覧は制限されてますよ。無料なので仕方ないですね。

 最後に何故セール中とはいえ旧モデルを買ったのかというと…このkindle paperwhiteというハードウェアは、ハードウェアに価値を見いだすビジネスモデルではないからです。
 Kindleというソリューションの価値は、当然ながら端末ではなく、購入したコンテンツにあります。私達はそのコンテンツを、iPhone、iPad、アンドロイド端末、PC/MAC(日本のアマゾンではまだみたいですが)、そしてKindleのハードウェアを使って利用できます。kindle paperwhiteという端末は、その中でひとつの閲覧手段でしかありません。だったら、何も最新機種ではなく、型落ちの安い品を2年程度で使い捨てにしていった方が合理的な気もしますし、今頑張ってニューモデルを買っても、結局1年経てば同じです。
 更に私の場合は、iPhoneもありますし、iPadもあります。kindleで買った本をカラーで大きく綺麗なディスプレイで見たいなら、iPadで見ればいいのです。paperwhiteは、あくまでも外出先で文字を読むための端末であればそれで充分。最新スペックのハードウェアである必要はありません。

 私がすぐに旧モデルになるpaperwhite 3G 2012を選択した理由は、以上です。


● じゃーん!Kindleの使い勝手を紹介するわ

 ということで、私にとって初の電子インク端末ですが、これは想像以上に本を読むのに適していると思いました。
 記念すべき、kindle paperwhite内からの初購入書籍は「城取りの軍事学」という本。本屋さんで買おうか迷っていたのですが、Kindle版があるのを見つけたので。

 早速読み始めてみると、Kindleの書籍は、一般的な本のように、手や指でページを押さえながら読む必要もないし、暗いところでもディスプレイ自体が発光していますので、とても読みやすい。私はまだ老眼のケはありませんが、文字サイズを自由に変えられるというのは、お年を召した方にとってもすごく便利だと思います。

 また、私の読書スタイルとして、複数の本を並列で読むことが多いので、常にカバンの中には2〜3冊の本を入れて歩いているのですが、これらの本が全てKindleで買えるならば、この端末一台を持ち歩けばそれで済むこととなります。そうなると毎日の荷物が劇的に軽くなってこれまたとても便利です。

 逆に欠点というか、少し気になるところは、液晶の反応速度が遅いこと。
 これが気になるのは読書中ではなく、スリープ解除時にパスワードを入力するときや、内蔵ブラウザでアマゾンの本を検索する時など。もう少しキビキビと反応してくれるといいなと思いますが、本を読んでいるときにはあまり気にならないので、別に問題ないかな?

 あと、これはKindleではなく電子書籍全般の欠点だと思いますが、ページのあちこちを行ったり来たりするような読み方がめんどくさいかも。例えば今読んでいる第五章の登場人物について、ちょっと生い立ちを忘れたので第一章に戻って…みたいにパラパラーとページをめくるやり方が印刷本よりもやりにくい。栞やブックマーク機能を使いこなすって方法もありますが、そういう事でもないんだよね。


● 堅苦しい活字本より、やっぱコミックよね!

 つことで、活字本が読みやすいのはわかったとして、コミックはどうなんでしょう?と思い、前のエントリで紹介しました「のんのんびより」の原作コミックKindle版を買ってみましたよ、にゃんぱす〜。

EA190346.JPG コミック本の場合、活字本に比べデータ量が多いので、3G通信でのデータダウンロードが制限されています。購入手続きはできるのですが、Wi-fi環境がなければ端末に購入した本を持ってこられないのです。ま、仕方ないですね、無料の3G通信させてもらってる訳ですから、あまりトラフィックを占有する訳にもいきません。

 さすがに絵のデータはちょっとは違和感あるのかな?と思いながらもページを開いてみますが、思ったよりもちゃんと読めるというか、読みやすいですね。カラーページもキレイにグレースケール化されています。むしろ、最近のマンガは余白をタチまで使ったり、ノド(本の中間で閉じてある方)元まで絵を描き込む作家が増えていますので、一般の本と違って1P全体がクッキリ真っ直ぐ表示されているのは、生原稿を見ているようで何か新鮮な感じがしました。

 カラーページについては、私の場合は別にiPadがありますので、こちらも問題ないですね。ただ、paperwhiteオンリーで漫画を買って見る環境だと、当然カラーページはカラーで見られませんので、印刷版よりも少し割安とは言え、Kindle版だけだとちょっと欲求不満になるかもしれません。


● kindleの魅力はどう?へ?気付かなかったの?ひっどーい!

 ということでまとめですが、これが約1万円の価値があるハードウェアなのか?と言われると、ハードウェアとしては1万円の価値ないと思います。というか、kindle paperwhiteはそのような製品とサービスではありません。

 ではこのkindle paperwhiteの何処に価値があるのか?というと、本を沢山買って沢山読んで、アマゾンに魂を売ってもいい人にとっては、素晴らしい読書ソリューションです。
 なんたって、買った本を何千冊も(公式では2,000冊だっけ?)持って歩き、自由にいつでも閲覧出来るんです。しかも物理的に本を収納するスペースは必要ありません。特に旅行に出かけるときなどは便利でしょうね。本って意外とかさばりますし、長期の旅行だと暇つぶし用の1冊じゃ足りません。

 同様のサービスでは、楽天のkoboがありますが、Raboo切り捨ての顛末を見る限り、あちらに魂を売るつもりにはなれません。
 もちろん、アマゾンが未来永劫のサービスだとは私も思っていませんが、国内のkoboサービスなんて気まぐれな楽天のこと、来年にサービス終了のアナウンスが出ても、別に不思議じゃないですからね。

 どちらかというと、この手の電子書籍端末には否定的な方で合ったワタシですが、スマートフォンで読む電子書籍と、専用Kindle端末で読む電子書籍では、コンテンツの評価すら左右しかねない程、メディアとしての差が実感出来ました。

 電子書籍という形態にあまり抵抗がなく、普段からそれなりに読書を楽しんでいるなら、これらの電子インク端末は、知的エンタテイメントのより良いパートナーとなってくれると思います。

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▼2013年08月14日

鉄砲を捨てた日本人/ノエル・ペリン

P8140004.JPG 歴史の本としての体裁を取っていますが、実は思想書と言った方が正しいかもしれません。

 私達日本人が初めて「鉄砲」を手にしたのは、1543年9月23日、種子島に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人が持っていた火縄銃を手にしたときです。時の種子島島主がその銃に興味を持ち、二千両という破格の値段で買い取ります。そして、丁度戦国時代だった日本の隅々にまで広がってゆきます…というのが、歴史の教科書で習う記述です。

 でも、冷静に考えると,今まで見たこともない「鉄砲」と呼ばれる武器を、たった二丁買い取っただけで、すかさずコピーしてしまう当時の日本の技術力には驚きますよね。しかも、場所が「堺」や「国友」という技術者の街ではなく、種子島という田舎(失礼)であることも注目だと思います。これは、当時の日本で、銃製造に必要なレベルの製鉄・冶金技術が国内で普遍的に広まっていたという証拠になります。
 本書では「日本刀制作の技術があったので銃の製造は容易だった」みたいに書いてありますが、当然ながら日本刀制作技術だけで銃の制作はできない訳で、当時の日本の鍛冶職人達は「鉄」という素材について、幅広く深い知識を共有していた…ということになるでしょう。

 因みに、現代においても銃の設計と製造というのはそれなりに大変なことで、コピー品のAK-47製造はともかく、独自に高性能な銃を設計・製造出来る技術を持った国は限られています。完全オリジナルに近い銃を製造できるのは、アジアでは今でも日本くらいかな。
 激しい衝撃と温度変化、並びに粗雑な扱いに耐え、暴発などを絶対に起こさないようしかも安く設計しなければならない銃とは、火薬や冶金などに高度な技術と経験則が求められ、コピーは簡単でも、オリジナルの設計はなかなか難しいのです。

 で、16世紀に戻りますが、当時の日本人は、その二丁の銃を元に、様々な改造…再設計を施し、日本国内で大量生産を始めます。呆れたことに、その数は全世界の銃を合わせた数よりも多いとされていて、戦国の日本国内は大量の銃で埋め尽くされます。
 やがて、秀吉の時代になり、日本が平定されてゆく中で余り始めた銃は、逆に東南アジアへと輸出されるようになります。その時の日本製火縄銃の評価は、それなりに高いモノだったようです。

 で,ここからが本題なのですが、世界の全てを合わせてもまだ多いとされる銃を、日本社会は何故か捨ててしまいます。もちろん、秀吉の時代に行われた、刀狩りなどによる在野の武器強制徴収政策や、次の徳川幕府による徹底した軍縮命令(武家諸法度等で、銃はもちろん、城、刀、軍備など幅広く縮小させられた)によるものではあるのですが、刀については、なんだかんだで皆手放さなかった割に、大量の銃だけが綺麗さっぱりと日本国内から消えてゆったという現象は、お上からの命令だけでは説明しきれないと思うのです。
 この著者は、その理由を日本人特有の「美意識」に求めていますが、私としてはなかなか納得できるモノではないな…と考えたりします。

 当時の日本人が、そろそろ終わりにさしかかっていたとは言え、野蛮な植民地政策をとっていた西欧諸国すらびびらせる程の重武装を、たった100年程度で放棄してしまう事は、確かに世界史上では大変珍しい出来事かもしれません。
 しかし、お隣の大国中国を見ても、大戦乱の中、中国を統一した王朝は、割とアッサリ軍備を解体してしまい、その隙にまた北方蛮族に襲撃されて慌てるというマヌケな歴史が何度かあったりするので、この軍縮という考え方は、ひょっとしたら、アジア的価値観の中でもう少し説明できる現象なのかも…とも思ったりします。

 また、ここであまり突っ込んだ説明はしませんが、象徴的な日本国の皇帝である天皇家は、歴史上軍隊を殆ど所持していませんでした。
 武士の前の時代、象徴ではなく実質の皇帝であった時代にも、天皇家は私設軍隊を所持せず、必要な軍備は傭兵を用いて対応していましたし、また、用が終わればその軍事力を維持しようとせず、アッサリと解雇したりしていました(だからこそ職と食を失った武士が団結し、後の武家社会が始まったとも言えるのですが)
 何が言いたいのかというと、私達日本人は、昔から軍事力については血をもたらす「穢れ」として、忌み嫌っている部分が多かれ少なかれあったということです。この考え方は案外現代人である私達にも受け継がれていて、現代の反戦運動についても、理屈ではない部分での軍隊への嫌悪感は、この「穢れ」の思想が続いているのではないかな?と思っています。

 そんな日本人だからこそ、軍事力の象徴であった「銃」を、割と当然のように捨ててしまったのかもしれませんし、その心境は、残念ながら私も普通に理解できてしまうのです。だって…必要ないのに軍備増強してても仕方ないし(笑)
 なので、本書で言うところの「美意識」というのは、西欧的価値観による後付設定なのかも…と思ったりもしました。

 ま、色々とダラダラ書きましたが、本書は、世界史上でも珍しい、江戸時代前期に起きた「軍縮」にスポットを当てた思想書として、なかなか面白いです。しかし、この思想が現代の核軍縮理論にそのまま結びつくのか?といえば、ちょっと疑問ではありますし、少しユートピア的過ぎるかもしれません

 何故なら、私達日本人はイザ軍備が必要とあらば、すぐに周辺諸国が引く程に重武装することを繰り返している訳ですから。

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▼2013年07月30日

太平洋の試練/イアン・トール

P7271860.JPG 少し前に読んだ本なのですが、艦コレ始めた記念で今更紹介。副題には「日本が戦争に勝っていた180日間」とあります。

 先の太平洋戦争について描かれた本で、個人的には、戦後日本人が書き起こした本は、あまり内容について信用できない気がしています。
 何故から当時の軍部の情報分析能力について問題視することが多い割には、それらの本の著者達も、「硬直していた組織」とか「大艦巨砲主義から抜け出せなかった」とか、はたまた「烈風があと1年早く完成していたら(藁)」など、まともな客観的分析を行っているとは思えないからです。
 ちなみに、組織については当時の軍の人事を調べると、日本軍だけが年功序列型の硬直した組織ではありませんでしたし(むしろヨーロッパの方がヒドイ?)、世界で最初に戦艦建造を止めた列強は日本だったりします。

 そのように、負けた側ばかりの資料や証言を並べ立て、失敗の本質を探ろうとしたり、反省会を行っても、無意味だと思うのです。
 何故なら、太平洋戦争当時のアメリカ人は、本気で日本に負けるんじゃないのか?と思って、日本を真剣に恐れていたからです。

 この本は、日本人としてなかなか冷静になりきれない、太平洋戦争という事象のドキュメントを、アメリカ人らしいクールでドライな視点でまとめています。

 正規空母の集中運用という破天荒な戦術による戦果の恐ろしさ、日本兵による正確で冷静で秩序ある行動がもたらす、戦争序盤における破竹の進撃など、序盤のアメリカ軍とアメリカ国民は、日本軍の恐怖に支配されていました。
 しかし、日本における膨大な情報を分析したり、特に決定的なのが、日本人の軍組織、用兵術を真剣に研究し学んだことにより、アメリカ人は少しずつ自信を取り戻してゆきます。

 当時の日本軍や、今の日本人に決定的に足りない部分は、そういった事実を冷静に分析し、相手の行動や戦術を客観的に検証し、行動に移すということではないかと私は思います。内輪同士で自己反省文ばかり書いていても、状況は改善しませんし、未来の教訓にはなり得ません。

 他、本書の内容としては、空母戦のすさまじい描写が印象に残りました。飛行甲板に爆弾が命中し、後半に穴が開き爆弾が炸裂し、火災が発生する中、船体は火による高温で触れなくなるくらいに熱くなり、飛行甲板とキャットウォーク上には、多数の死体が散乱するなど、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図です。私が知らないだけかもですが、被弾した空母における地獄の船内状況を、ここまでリアルに書き起こしている本は、少し珍しいかも。

 ちなみに当時の空母戦とは実質消耗戦でもあり、1回の出撃で戦果を出すには、確率として搭載飛行部隊の攻撃隊1個を失います。これは日本軍も米軍もほぼ同じです。両軍におけるその拮抗した戦力バランスが崩れたのが、ミッドウェイ海戦で、日本軍は、正規空母4隻という損耗もさることながら、同時に4隻×2〜3個の搭載航空部隊を失いました。
 ボロ負けした日本軍ですが、次の南太平洋海戦では辛うじて勝利し、アメリカ軍の稼働空母を0にする大戦果を上げますが、多数の優秀な乗務員、航空兵を失っているため、日本軍の反撃はここまで。後はジリジリと負け続けてゆきます。
 ミッドウェイでの敗戦がなければ、ガダルカナルでの無駄な消耗戦を行わなければ、手持ちの航空隊をあと数回運用するチャンスがあった訳で、よく言われるように、日本の敗戦を1年位は遅らせることが出来たかもしれませんね。

 日本の戦史では突出して資料の多い太平洋戦争ですが、アメリカ人がアメリカ人の視点でまとめた本というのは、そんなに多くないです。
 そういう意味で、本書は、あの戦争をアメリカ人がどう捉えていたのかがリアルに記されている貴重な資料であり、また、それに繫がる戦後、何故アメリカは日本を全力で支援し復旧させたのかも理解できる気がします。

 当時のアメリカ人は、本当に日本人が怖かったのです。

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▼2013年06月17日

蔦屋書店フォレオ菖蒲店へ出かけてきました

P6161687.JPG 開店当初はかなり話題になった店舗です。スーパーマーケットが郊外中心にシフトする中、本屋さんの中心も、都心ではなく郊外へシフトしてゆくのか…とかね。

 この手の「郊外型超大型書店」は、既に北海道地方で展開されているコーチャンフォーが嚆矢です。ただ、北海道地方ではそれなりに成功を収めていても、本州…というか、関東圏への進出はありませんでした。

 そのコーチャンフォーでの成功(?)を横目にしているのか知りませんけど、全国最大規模の書店チェーンを展開するTSUTAYAも、郊外に超大型書店を誕生させました。それがこの蔦屋書店フォレオ菖蒲店です。
 開店は2012年3月17日だったらしいので、オープンして一年ちょっと経った訳ですね。本屋さん大好きな私としては、もっと早く行きたかったのですが、色々あってようやく昨日に初訪問でした。

 写真ではイマイチ伝わりにくいですけど、店内に入ると、だだっ広い単一フロアが果てしない感じで、期待が持てます。ザッと一回りしてみると、店内の構成はコーチャンフォーとよく似ていて、書籍フロアが全体の2/3程度?その他が雑貨や文房具品、CDなど。
 CDはこれもコーチャンフォーの印象に似ていて、国内盤の在庫がキッチリ揃ってます。クラシックやジャズの在庫は豊富でした。

 肝心の書籍フロアは、これもまただだっ広く、どんな本が何処にあるのか、事前に一回りしないと目的の本にたどり着けません。ま、悪くはないですね、この本に埋もれる感覚は。それと素晴らしいことに、店内にはおトイレがあり、既に都市伝説と化している「本屋に行くとうんこしたくなる」派の人も安心です。

 私は取りあえず店内をザッと一回りしたあと、併設されているタリーズコーヒーで一休み+ドヤリングを嗜んでました。

 ここのタリーズコーヒーの素晴らしいところは、併設されている本屋さんでまだ未会計の本を最大二冊まで持ち込めること。つかコーヒー飲みながら立ち読みというか座り読みができてしまう訳で…こういうの出版社的立場からするとどうなんだろうと思いながらも、ユーザーからするとなかなかありがたいサービスです。小説とかならその場で全部読めちゃうと思うけど、いいのかな?

 その他、客層を色々観察してみると、私は久喜市という土地柄をよく把握している訳ではありませんが、いわゆる「郊外のスーパーに買い出し」層とは少しスタイルが違うような気がします。
 それに、私みたいにボッチで来ているキモヲタ的お客さんはあまり目立たず、オシャレしたプルカツ共wや、家族連れが多い印象。また、家族連れの方は、カゴに何冊も本を入れてまとめ買いしている人も大勢いました。データがある訳じゃないですが、客単価は比較的高いのかもしれません。

 確かに、本好きな一家にしてみれば、午前中からやってきて、タリーズで軽食でもとりながら、店内の本を読んで、その後は好きな本をまとめ買い…みたいな休暇の過ごし方は、ある種理想的かも知れません。家族で過ごせる本屋さんって、ありそうでなかなか無いからね。

 ということで、いい事づくめみたいな蔦屋書店フォレオ菖蒲店ですが、肝心の私は一冊も本を買わなかったんですよね〜。面白い本があれば買う気マンマンだったし、面白そうな本も確かにあったのですが、どうもそれが購買衝動にまで向かないというかね、そういう本屋さんってあるでしょ。そんな感じでした。

 思うに、今私たちが「リアルな本屋」に出かける理由って何かというと、自分が知らない本と出会ったり、知ってはいても、思わぬ面白さを見つけたりと、そういう「発見の場」としての理由が大きいと思うんです。知っている本を買うだけなら、正直アマゾンでも全然構わないんです。通販への抵抗とかそういうのを抜きにすれば、送料無料だし日本全国何処でも数日後には届きます。
 でも、それだけじゃ知識欲が満たされない!のかどうかわかりませんけど、そういう新たな発見の場として、今のリアル本屋さんは本好きな人に求められているんじゃないかと。

 で、そういう視点から見ると、この蔦屋書店フォレオ菖蒲店は、本の数は多いけど、本屋さんとして何を売りたいのか、何をお勧めしたいのかがあまり見えてこないんですよ。もちろん、入り口付近には「おすすめの本」コーナーはあるんですが、なまじ面積が広いだけに、そのコーナーが印象に残りにくいんです。
 ヴィレッジバンガードを見習えとは言いませんけど、ただ大きな本屋さんというだけではなく、本屋さんとして何を売りたいか、何を買ってほしいのかが、もっとお客さんに伝わる売り場になっていれば、知的エンタテイメントな本屋として、もっともっと繁盛するんじゃないかと思います。同じグループだったら、代官山のツタヤを参考にしてみてもいいんじゃないでしょうか。

 とはいいつつも、今でも都心からのドライブ先として、本好きのお客さんから選ばれるポテンシャルはあるんじゃないかと感じます。今回敢えて「高速道路」を使って行ってみたのですが、東北自動車道浦和料金所から最寄り白岡菖蒲インターまで、ETCで650円。しかも店舗はインターすぐそば、渋滞がなければ浦和料金所から店まで30分位?
 だからこそ、プロモーションもそうですが、何度でも行きたくなる売り場づくりをもう少し工夫すれば、本が好きな都心の家族層にもアピールできるのではないかと、そんな気がしました。

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▼2013年06月16日

英国一家、日本を食べる/マイケル・ブース

P6061633.JPG 「食」に関する本が続きますが、こちらは、このけったいな表紙に引かれて購入。とても面白かったです。

 内容は、とある英国人ジャーナリストが、フランスでの韓国系日本人とのやり取りがきっかけで、本格的に日本食というか、日本での料理を食べてみようと思い、家族4人と共に、数ヶ月かけて日本国内のあちらこちらに滞在し、様々な食を味わうというお話。

 本当は事前に出版化を視野に入れた「取材旅行的」な休暇だったのかも知れないけど、まず、数ヶ月の間家族全員で仕事を休んで旅行できるってのがうらやましいよね。

 内容についてはあまり深く語らないけど、グルメシティ東京で毎日生活している割に、外食の体験があまりない私みたいな人間にとって、日本各地を巡る「食旅行」は、とても興味深く、読み出したら止まらずに一気読みしてしまいました。

 日本人に生まれる…日本で生活するっていうことは、本当に食に関しては恵まれているんだなぁ…と、しみじみ思いましたよ。この本は本当にお勧め。

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英国一家、日本を食べる/マイケル・ブース

ワカコ酒/新久千映

P6151665.JPG 出版の世界では「柳の下にドジョウは数匹いる」とも言われていて、ヒット作の模倣はわりと商業的に成功したりします。

 ま、本作も特定作品の模倣という訳ではありませんが、最近盛り上がっているライトな食べもの系ウンチク漫画のひとつです。本屋さんのポップに惹かれて購入。

 読んでみると、う〜ん、正直微妙かな。
 おいしいお酒と料理を味わった後の「ぷしゅ〜」という感覚も全く共感できないし、主人公の「私ちゃんと彼氏います」的アピールも、後半になると何度も出てきてちょっと鬱陶しい。つか、肝心の食に関するエピソードがどうも薄い気がします。思うに、キャラの設定年齢(26)が低すぎるんじゃないですかね。

 もっとも、ひねりも毒もなく追加の知識がつく訳でもない、正当派のお酒呑みマンガとして、それなりの需要はあるような気がしますので、普通の少女漫画というか、OLマンガとしては及第点ではないかと思いました。

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▼2013年05月19日

幕末外交と開国/加藤祐三

P5181467.JPG 本屋さんで見かけて立ち読み、面白くてすぐにレジへ持って行きました。

 本書最大の特徴は、幕末における「開国」という事件を、極めて冷静に分析していること。
 この時代の開国話というと、つい「日本はアメリカに恫喝されて開国を強制された」「いやいや…日本は恫喝などされていない、むしろアメリカを利用したのだ」など、あまり冷静な議論が行われていないように見えます。
 私が子供の頃などは、何も知らずに天下太平だった江戸時代が、ペリーの蒸気船を見ただけで、日本中がひっくり返ってあわてて明治維新へ向かった、などと教わりましたし、その後の時代劇や幕末マンガなどを見ても、多かれ少なかれ似たような印象です。

 と、私達はこの「開国」という事実よりも、「開国にまつわるエピソード」ばかりに振り回されています。

 ただ、もう少し冷静にこの幕末外交を考えてみると、当時の血に飢えた西欧諸国に対して、日本の幕府はよくもまぁ…このような困難な仕事を、1発の銃声もなくまとめ上げられたよな、と思わずにはいられません。
 結果、条約に不平等な条項は残りましたが、これは、当時の幕府が外交に不慣れであったという結果によるモノで、全体を見回してみると、日本としての国体と威信を売り飛ばさず、砲艦外交を迫ってきたアメリカ(こちらはそのように断言してもいいでしょう)に、よくもまぁ、冷静に対処したものだと思います。
 また、私達が「開国」という言葉で想像するペリーの脅迫じみた態度は、明治以降の学校教育によるものだというのも記載されています。

 もともと新書で発売されていたようで、そのせいか読みやすく、要点もコンパクトにまとまっていますので、幕末という時代に必要以上のロマンやドラマを求める向き以外なら、とても面白く学べる本だと思います。

 また、あの時代の外交はもっときちんと分析し知識とすれば、今の日本の外交にも充分活かせるのではないかと思いました。

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幕末外交と開国/加藤祐三

▼2013年03月15日

ガソリン生活/伊坂幸太郎

P3131067.JPG 最近ブログを書かなくなったのは、本を読んでいない…それも、恐ろしい勢いで読んでいないからなのかな?と思っています。おそらく、2013年に入って読んだ本(漫画のぞく)って、まだ4〜5冊しかないです。

 ただ、かなりペースは落ちているとはいえ、本屋さんで適度に本は買っていて、つまり未読の山が積み上がりつつあるのですが、そんな中、久しぶりの小説で、久しぶりに買ってすぐに読み切ってしまったのがこの本。

 主人公はなんと、緑色の「マツダ・デミオ」。カラーと時期的に、二代目のDY系かと思うんだけど、基本は、彼等クルマ達の会話で物語が進みます。だから「ガソリン生活」というタイトルみたいです。

 ただ、内容は、そういった前振りから期待する程、クルマのお話でもなく、ミステリーというか、家族物語というか、つまり、車が好きな人達の話ではありません。そこがいいのかもね。

 もちろん、デミオが主人公なだけあって、様々な車が登場します。古いカローラGTや、タント、アテンザ…外車では、アウディ、ベンツ、BMWなどの定番の他、oldミニ、アルファ156や、シトロエン・エグザンティアなど…。微妙に車種によって性格の味付けはされているようですが、基本、クルマ達はオーナーの性格に似てくるらしいです。

 クルマが主人公なのに、クルマ達の物語が前面に出てこないという微妙なさじ加減のせいか、読み終えたときは、「あぁ…もっとクルマを大事にしよう。それと、事故は絶対に起こしちゃだめだなぁ」としみじみ思いました。

 ちなみに、この物語が朝日新聞に連載されていたときは、寺田克也による挿絵があったようで、そちらも別な本として出版されています。「寺田克也式ガソリン生活」だそうです。

 小説を読み終えた後、余韻に浸りながらこちらの絵物語を読むのもまた乙です。ただ、本編より先には読まない方がいいと思いますよ。

 しかし…小説の表紙にある緑のクルマは、もう少しデミオっぽくしてもいいのにね。

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ガソリン生活/伊坂幸太郎
寺田克也式ガソリン生活/寺田克也

▼2013年01月23日

MEAD GUNDAM

P1220657.JPG 発売当初、買おうと思ってるうちに市場から一気に消えて、あっという間に古本がプレミア価格になってしまったんですよね…って、そんな事ばっか言ってる気がしますが(笑)
 つことで、復刊ドットコムでリクエスト送ったのが、確か2004年頃だったでしょうか。長かったですね。海外デザイナーによる書籍のせいか、権利的な所をクリアにするのが大変なのかな?と思っていたのですが、とりあえず無事復刊し、昨日それが手元に届きました。ゾンアマでも売っていますが、もちろん私は復刊ドットコムから購入しましたよ。

 ∀ガンダムのデザインは、発表当時、随分と叩かれたモノですが、実際にアニメーションとして動くシーンや、立体化されたときの完成度を見るにつれ、普段口の悪いヲタ共も沈黙し、賞賛していった課程が面白かったですね。
 私も始めて見たときは、正直「カッコ悪いな」と思っていたのですが、放送第1話を見て考えが変わりました。やはり、稼働する立体として練り込まれたデザインは、動いてこそ価値があるなぁ…と。

 私は∀までのガンダムについて、大河原氏がデザインした初代ガンダム以降、後付ゴチックな部分ばかりが肥大化し、進化してきたカトキ風と呼ばれるデザインに、ちょっとした冷や水を浴びせたのではないか?と考えています。
 その後のロボットデザインで、直接シド・ミードのラインを真似た人はいませんでしたが、全身に不格好な箱ばかりをつけて、いたずらに線を増やすばかりだった日本のアニメのロボット達が、∀以降、線は多くても、シンプルなフォルム前提にしたスタイルへと変化し始めたような気がしています。ミード氏のデザインは、日本のアニメーションデザイナーにとっても影響は大きかったのではないかと。

 本書は、膨大なスケッチも楽しいですが、アメリカと日本で交わされているモビルスーツのデザインについてのやり取りも面白いです。

 日本製の巨大ロボットヒーローというものをあまり理解していなかったシド・ミード氏に対して、日本側のスタッフが、モビルスーツは工業製品とは違い、大勢の人アニメーターが手で描いて動かすモノで…みたいなメモが残っていて、工業デザインとアニメーションデザインとの違いについても、丁寧に説明していました。
 意外かもしれませんが、極めて立体構造物的に考えられたと思われがちな∀も、当時のサンライズスタッフは、あくまでも「アニメーションの登場メカ」という意識はブレなかったんだな…と、感心しましす。
 その中でもミード氏は、「球体に見えて実は楕円のフォルムをした頭」という、アニメーションメカ的には普通やらない面倒な立体造形も取り入れていて、単なる静止画としてのカッコ良さではなく、軸足はあくまでも立体物にありました。日本側のアニメーションメカとしての主張と、ミード側の工業デザインとしてのロジックが合わさり、∀は立体物となると、素晴らしい造形になりました。

 ちなみに、シド・ミード氏ですが、彼は「宇宙戦艦ヤマト」のデザインも行っているんですよね。あのデザインも、当時は賛否両論でしたが、今では日本型宇宙戦艦の新しいフォルムとして、その後小林誠氏のデザインなどにも影響を与えたような気がします。ヤマト…ガンダムと来て、次はエヴァンゲリオンのデザインでもやるのかしら?(笑)

 とにかく、アニメーションが好きな人はもちろんですが、工業デザインが好きな人にとっても、作品が生み出されるまでのドキュメントとして非常に面白い本です。

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▼2013年01月03日

古代日本の超技術/志村史夫

P1030432.JPG かつての日本人が持っていた失われた技術について、ザッと俯瞰した本。
 技術についての本ではありますが、内容的には、あまりむつかしいことは書いていないので、サッと読むことができます。

 五重塔の心柱から、古来木造加工技術、昔の瓦の脅威、有名どころでは日本刀や大仏建立について、また、縄文時代の三内丸山遺跡など…。

 私的に「オッ!」と思ったのは、昔の瓦についての話と、釘の話かな。

 昔の瓦は湿気をよく吸い、そして外に逃がす働きがあり、現在の製法で作られた瓦を、そのまま木造建築に使ってしまうと、瓦の裏が結露してしまい、木造建築が早くダメになってしまうらしいです。

 それと、奈良の法隆寺で使われている釘は、1,000年以上の歳月が流れていても、サビもせずそのままの強度を保っているとのこと(もっとも、古代木造建設では釘は応力を受けない作りではありますが)。その秘密は玉鋼…たたらで作られた鉄にあるのではないかとのことです。

 もちろん、古代の技術が今の工業技術よりも優れていた訳ではなく、それらの技術は現代において、経済性・生産性の観点から不要になった技術だというのがほとんどです。
 にしても、まともな計測器や分析機がなかった時代、1,000年保つ木造建築や塔、そしてそれらを支える釘を作ったことは、本当に脅威ですね。

 ちなみにこういう話になると「例えば五重塔さ〜地震に強くて残ってるんじゃなくて、残ってるのがたまたま地震に強かっただけでしょ〜」とか言う人がいますが、記録を調べても、火災での焼失や人為的破壊行為で失われた例は何件もありますが、震災でそれらの塔が倒壊した記録は、不確定な1件を除き、日本史上ではないそうです。

 私は、こういう「古代の技術」について、日本人だけが得に優れていたというよりも、日本人がそれらの技術の多くを、現代にまで脈々と受け継いでいることが素晴らしいんだろうなと思いました。

 ちなみにお隣中国でも、西暦1,630年頃に「天工開物」という、当時の様々な工業技術が記された本があったらしいのですが、その存在はすぐに忘れられたようで、むしろその本が日本に伝わり、戦国から江戸時代を経て、明治の世の中になっても日本で伝えられていたのが、中国(当時は中華民国)の留学生が持ち帰って中国で広まったらしいです。

 現在では「職人軽視」と言われる事の多い日本社会ですが、といいつつも、それらの技術についての伝統は、世界の中でもきちんと伝え続けている社会構造なんだろうなぁ…と思いました。

 だって、そうじゃなければ、最新建築のスカイツリーに、世界最古の木造建築である法隆寺五重塔にも使われている“心柱”の技術を採用しよう!とか、考えないんじゃないかと思います。

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メンヘラちゃん/琴葉とこ

P1030433.JPG メンヘラな生き方の参考になるかと思って買ってきました。

 この漫画を書いた人は現役JKだそうです。というか、書きためていた頃はJCだったそうで、なかなか末恐ろしい才能です。

 内容としては、メンヘラな女の子と健康な男の子と病弱な女の子が繰り広げる、ハートフル・メンヘラ・ストーリーって感じで結構面白いです。

 というか、作者もマジで鬱なんかな。
 物語の序盤から、下巻の終盤にかけて、登場人物達の心象が徐々に変化してゆく描写は素晴らしいと思います。

 私としては、主人公メンヘラちゃんのこのロイコクロリディウムを思い出させる目が好きです。

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▼2012年12月23日

エキストラバージンの嘘と真実/トム・ミューラー

PC200113.JPG 皆さん、オリーブオイル食べてますか?私も毎日もこみち並みにオリーブオイルを口にしています。
 しかし、そのオリーブオイルが偽物だとしたら…わかりませんよね、オリーブオイルが本物か偽物かと言われても。

 本書は、そのオリーブオイルの疑惑を明らかにしてくれる本。なんでも、NYのスーパーマーケットで売られていた“エクストラバージン”のオイルは、その殆どが“エクストラバージン”の品質とはほど遠いレベルのオイルで、なおかつ、中には粗悪なオリーブオイルに混ぜ物をして売られていた製品もあるとか。わかりませんよね、そんな事言われても。

 例えば、日本人であれば“醤油”を偽造したのであれば、案外すぐにバレるんじゃないかと思うんですよ。しかし、オリーブオイルの香りなんてね。普段直接オリーブオイルを飲む習慣のある日本人は殆どいませんので、……わかりませんよね、香りとか言われても。

 でも、本場イタリアでもそうだったんだなぁ…と。もっとも日本人だって、ごま油とかサラダ油とか偽造されたら、多分わからないと思いますけど。

 思えば、ここ10年位、エキストラバージンオイルって随分安くなったよなぁ〜とは思っていたんですよ。
 私が料理にオリーブオイル使い始めた頃は、さすがにエキストラバージンオイルはちょっと高くて、特別なオイルだという認識がありました。でも、今スパーマーケットに行くと、エキストラバージンオイルと普通のオリーブオイルって、そんなに値段変わらないんですよね。ラベルのブランドによっては、価格が逆転している製品すらある。
 あと、香りが以前よりしなくなりました。昔のオリーブオイルって、独特な香りがまた楽しいものだったのですが、一部の苦手な人達がいたようで…最近では香りが殆どしなくなりました。両方ともおかしいとは薄々思っていたのですが、ま、日本は円高だし…と、あまり深くは考えていませんでした。
 しかし、この本を読むと、500mlで1,000円以下で売られているエキストラバージンオイルは、もう買いたくないな…と思いました。そりゃそうだよね、冷静に考えてみればエキストラバージンって、いわゆる“一番搾り”な訳で、世界中のスーパーマーケットの棚を埋める程、流通するはずがありません。夏になると全国のスーパーでも売られるようになる“国産ウナギ”みたいなモノですかね。なので、日常で料理に使うオリーブオイルは、中途半端な価格の輸入品より、国産の普通のグレードのオイルを購入した方が絶対安全な気がします。

 もっとも、そんな中でも、地に落ちたオリーブオイル界を健全に復活させようという努力をしている人達はいるみたいです。そう考えると気分も少し明るくなります。本書で紹介されていたコチラのオリーブオイルとか、買ってみたくなりますね。本書の出版で、人気出て品切れとかありそうな話ではありますが。

 内容は、むつかしいモノではなく、短い章立てのルポをまとめた体裁となっているため、読みやすいです。日常でオリーブオイルを使っている方、またMOCO'Sキッチンのファンの方は、一度目を通しておいた方がいいと思います。

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▼2012年12月09日

ドッグファイトの科学/赤塚聡

PC090071.JPG 空戦の大原則。「運動エネルギーが多い方が有利」。「速度と高度は等しく運動エネルギーに変換される」。

 つまり、空戦は速度が速い方が有利。また、速度が足りなくてもその分高度がある方が有利、ということになります。この原則は本書だけでなく、空戦について解説している本、全てに書いてあります。

 私もですが、この原則が頭でわかっていても、なかなか感覚で理解できないんですよね。なんせ、人は地上…つまり二次元で生きている存在ですから。

 つことで、本書のように、実際空を飛んでいる人が実例を書くとわかりやすいですね。
 例えば、敵機の後から速い速度で進入したときは、ブレーキをかけるのではなく、一度ホップして速度を高度に変換するんですよ。そうすれば、運動エネルギーを捨てることなく、敵機の後を追尾し続ける事が出来ます。
 そして、空戦でもっとも恐れることは、激しい旋回や特殊なマヌーバを繰り返して、運動エネルギーを失ったまま戦域に留まることです。これは絶対に避けなければなりません。

 私も学生の頃はそれなりに空戦に興味を持ち、友達と一緒に様々な空戦のシミュレーションゲームをやってみました。でも、頭でわかっていても、なかなか3次元の機動というのは、うまく利用できないんですよね。
 それと、フライトシミュレーターのようなゲームをやってみても、どうしても旋回で相手の後を取ろうとしてしまう。でも、実際の空戦は違うんですよね。何故旋回力に勝る零戦が、旋回力が劣るけど馬力のある米軍機に苦戦するようになったのか、本書では実にわかりやすく書いてあります。

 おそらく、今生きている人の99.99999%の人にとって、空戦のロジックなんて知らなくてもいい事だし、知っていても人生で役立てる機会はないでしょう。
 しかし、テレビアニメや映画で目にする空での戦いが、実際は物理に支配された現象であるという、驚きの世界を知るのは悪くはないと思います。

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▼2012年12月08日

ブラック企業/今野晴貴

PC080033.JPG その名も「ブラック企業」です。何たるストレートな書名(笑)。しかし、読んでみて色々と考えさせられる本でした。

 本書の第1章では、ブラック企業との関わりを、主に個人の視点から眺めてゆきます。人が、如何にブラック企業において破壊されていくか…そんな話。ま、この辺は皆さん、ネットや何やらでそれなりに情報は得ているでしょうし、噂も聞いているでしょう。全くえげつない話です。

 問題は第2章の方かなぁ…、ブラック企業が日本を滅ぼすという視点。確かにその通り。本当につくづくそう思いました。
 因みに、本書で実名が出ている企業は「ウェザーニューズ」「ローソン系列のSHOP 99」「ワタミグループ」です。その他、著者が一番書きたかったであろう企業が、近年の流行で世界的なアパレルブランドへと躍進したX社。もうおわかりでしょう。ちなみに本書の事例に近い例が、こういった検索を行うと沢山出てきますが、偶然でしょうか。

 これら「ブラックとされる企業」が、本来企業側の責任で負担しなければならない、治療費や生活保障費をただ乗り、つまり「フリーライド」しているという視点は、成る程なと思わされます。
 そして最近のメディアにある「若者は昔に比べすぐに仕事を辞める」や「すぐに生活保護をもらおうとする」という論調が、少なからず上記を含めたブラック企業達が暗躍する要因になっているとも書かれています。つか、そんなブラック企業の総帥が東京都の首長になろうとしてたんですね。おそろしい…。そして、それらブラック企業は、日本の若者を焼畑的に消費し尽くした後、

 ブラック企業はこれらのコストを日本社会へ押し付けることで急成長し、グローバル企業へと羽ばたいてゆく。第1章でみたX社はその好例である。X社が業界で世界的な企業になる過程では、彼等に「選別」され、「使い捨て」にされた若者たちが鬱病に苦しみ、その治療の負担は日本市民の税金・社会保険料で賄われる。

 と書かれています。そうです、ブラック企業で心を破壊された人達をケアする為のコスト負担は、その要因をつくったブラック企業ではなく、私達日本国民が負担させられているのです。何が社内英語化でしょうか。笑っちゃいますね。

 残念ながら、日本のメディアは総じてブラック企業達の見方です。テレビでは度々「若者達が折角入社してもすぐに辞めてしまう」「今の就職難は企業をえり好みしているから」や「生活保護受給者を減らすために現物支給を」などといったリポートが繰り返されます。
 そのため、私達は無意識での思考として「なんだかんだで若者は会社をすぐに辞めるよね」「辛い環境でこそ頑張れて1人前」「生活保護受給条件をもっと厳しくしろ!」と考えてしまいがちです(ちなみにナマポ問題について私は「例の吉本芸人」の行為は絶対に許せないと思いますが、安易な基準やシステムの変更には反対です。問題は既存のシステムを恣意的に利用する受給者と、逆に公正な運用を妨げる役人が多い事が問題なのです。現行法の適正な運用を行えない限り、いくらルールを変えても無駄です。)
 例えば数年前に「ブラック会社に勤めているんだが、俺はもう限界かもしれない」という映画がありましたが、こちらはまごう事なきブラック企業を賛美した映画です。私は公開当時からTwitterとかで「ばかじゃね?」とか言っていましたが、つまり、こんな社会的犯罪行為をお涙頂戴映画に仕立てちゃうんですから…って矛盾すら考えない程、みんな普段から、ブラック企業側の視点に立って考えてしまっているという事でしょう。これは、日本国民みんなが反省しなければなりません(ついでにこの映画を作った監督を始め脚本家達は自らがやった仕事の意味を猛省してほしいものです)

 これから就職しようとする人だけではなく、今働いている人全ての人が、こういった本を読んで、労使との健全な関係について考え直さない限り、日本の社会に未来は無いでしょう。そして口を開けば「グローバル化」と言っている経営者達が、何故日本を脱出したがっているのかのカラクリについても、その意味を考えなければなりません。

 あと、これが一番大事だと思いますが「ブラック企業の味方をする、もしくは製品・サービスを買う」事を、みんなでキッチリと止める事ですかね。本書を読んで、つくづく思わされました。

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▼2012年12月06日

なりひらばし電器商店/岩岡ヒサエ

PC060031.JPG 東武伊勢崎線…今では東武スカイツリーライン()笑、の駅構内で買ってきました。

 さすが地元とあって、ベストセラー本の真ん中に置いてありましたよ。
 私は不勉強ながら、このマンガのことはサッパリ知らなかったのですが「なりひらばし」という地名のタイトルに惹かれて購入。そういえば「業平橋」の駅はもうないんだねぇ。

 買ってみて知りましたが、実はSFだったんだね、このマンガ。意外とシュールな世界観。
 あと、主人公の女の子が全く美少女じゃないってのも好感が持てます。マンガってのは、たまに、こういった普通では考えも付かないことをやらかしてくれるから、なかなかやめられません。

 物語がなにを目指しているのか、イマイチよくわかりませんけど、続刊が出たらまた買ってみたいと思います。

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いとみち・二の糸/越谷オサム

PC050029.JPG 以前読んだ「いとみち」続編出たんだ!思わず購入しました。

 サックリ読んでみたけど、今回は「いと」のキャラ立ちまくりだった前作と違い、割と普通の青春小説っぽくなってました。しかし越谷オサム氏の小説は、相変わらず読後感がいいねぇ。なにやら自分にいいことがあったような気分になれます。

 終わり方が何となく続編ありそうな雰囲気だったし、高校一年、二年、そして三年と揃った方が物語的にはまとまり良さそうですが、個人的には続編あってもなくてもどちらでもいいかな。

 むしろ表紙絵的には「アニメ化」とかされそうで、そっちの方はちょっと心配。わぁ的には、あまりアニメ化とか漫画化とかしてほしくない、読後の余韻をいつまでも感じていたい作品です。

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いとみち/越谷オサム
いとみち・二の糸/越谷オサム

▼2012年12月02日

きゃんでぃっど/小幡休彌

PC024249 秋葉原にある書泉という本屋さんの3Fだったかな…、カメラ書籍のコーナーに、何故かずっとこの小説が平積みになっているのです。確か、店員さんによる吹き出しのポップもあったと思うのですが、内容は覚えていません。

 で、そのカメラ本のコーナーに行くたびに目にする訳で、何度か通っていると、だんだん気にするようになってくる訳です。
 「どんな本なのかな?」とか「どんなキャラが出てくるんだろう?」とかね。

 そして、おそらくですが、何度か売り場に行くうち、4〜5回目くらいで、めんどくさくなって買ってしまいました。もうパッパと読んだる!って勢いで(笑)

 つ事で内容ですが、ラノベです。いや…確かに帯には「写真、好き?」とありますが、別に写真以外でも成立する物語のような気もしますし、そういう意味では、ストーリーに対して、カメラや写真がびっちりと深く関わる話って程でもないです。

 まーでも、ソレこそが正当な「ラノベ」なのかな、って気もします。なので、本書は正しくラノベが好きな人にはお勧めしますが、逆に言えばラノベのお勧めどころってのを、私が良く理解していませんので、本当はお勧めの本じゃないのかも知れません。
 でも、カメラや写真好きで、それら目当てで買って読むのはあまりお勧めしません。

 いや、私としては、サクッと読めたし案外楽しめたので、それなりに肯定的な評価しますけどね。あと、主人公がオリンパスの一眼レフ使ってるのも、ポイントちょっぴり加算です。

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▼2012年12月01日

新創刊!Gaudioを買ってみました

EC010545.JPG PC Audio Fanという雑誌が、装いも新たに新創刊して、今度はGaudioだそうです。オーディオ雑誌は久しく買っていないのですが、創刊号だそうなので買ってみました。

 お値段は1,500円。付録にハイレゾ音源が入ったDVDディスクが付いてきます。

 ザッと眺めてみると…判型もそうだけど、特集記事の構成とか、中程にあるユーザー訪問記とか、後半のソフト特集とか、なんだか懐かしのAV FRONT誌を彷彿とさせます。金かかってそうだなぁ〜。

 中身は、組み合わせ系の記事と、新製品紹介。そして、ユーザー訪問記は面白いですよね。昔のAV FRONTでも、長岡鉄男の訪問記が一番楽しみだったし。あと、ソフト紹介に多くのページを割いているのも好感が持てます。普段自分があまり聞いていないジャンルのディスクとか、買ってみようかな?とか思っちゃいますね。

 一時期、この国ではオーディオという趣味が死滅しそうでした。あれ程あったオーディオ雑誌も、最不況期には「STEREO」と「STEREO SOUND」位になった時期もありましたね。それが知らない間に、今ではアキヨドのオーディオコーナーで、オーディオ雑誌だけで棚が一つできる位の盛況ぶりです。つかね…ヨドバシカメラでオーディオ用の真空管が買える時代が来るとは想像もしてませんでしたよ。

 ということで、この雑誌が売れて、また世の中でオーディオが流行って、みんながいい音で音楽を聴ける時代が来るといいですよね。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


▼2012年11月30日

日本全国ご当地スーパー掘り出しの逸品/菅原佳己

EB300542.JPG 私としては、この楽しさがわかってくれる人がいただけで、もう内容関係無しに速攻ゲットの本でしたよ。

 つことで、これは、全国ご当地のスーパーマーケットで見つけた「逸品」をまとめた本。帯にある「観光よりもおもしろい!」ってのは、私も本当にそう思います。ズッカズカの中の人によるイラストも可愛いです。
 みんな。地方に旅行へ行ったときは、おみやげやさんなんて回らずにスーパーマーケットに入ろうぜ!

 かくいう私も、このブログで「スーパーマーケット巡り」としてエントリを建てたことはありませんが、随所にてチラホラと、スーパーマーケット愛を語っております。
 とにかくスーパーマーケット大好きなんですよね。さすがに友達などと旅行しているときは「スーパーマーケット寄りたい!」とはなかなか言い出せませんが、単独旅行の時や、彼女さん(笑)などと旅行するときは、全然遠慮せず、ちょっと見たことがない看板があると、つい駐車場に車を止め、食品売り場の海へ探検に出かけてしまいます。

 最近では、大手の流通網も発達したせいか、地方のスーパーでも「売り場の棚が全然違う!」って未知の体験は殆どなくなりましたが、それでもよく目をこらすと、なにやら見たことがない変な商品(失礼)が、必ずある筈です。

 特に面白いのは…やはり乾物系や加工食品の棚でしょうかね。もちろん生鮮食料品のコーナーは、その地方色が結構出ていて、それなりに興味深いモノだったりするのですが、どこに行っても茄子は茄子なので…。
 ただ、その茄子をちょっと加工した製品になると、なにやら見たことないパッケージや、脱力系の商品名、会社名が印刷されたモノがあったりします。

 あと、麺類のコーナーは地方によって違いが大きくて面白いですね。もちろん、インスタント系の麺類もそれなりに違いはありますが、生麺のコーナーだと、ここはもう地方によってまちまちと言っていいでしょう。
 色々買っていっても、結局食べきれないし破棄してしまうことが多いので、地方スーパー巡り中は、本当の乾物しか買わないようにしているのですが、つい食欲に負けて、ご当地麺を買ってしまうことも多いです。

 他、棚に特色があるのは調味料のコーナーでしょうか。醤油・味噌、ソースは、最近「地ソース」なんて言葉もできる位の百家争乱状態。その地方の地名が記された風格のある生醤油や、見たことない色したお味噌、そしてその地方独自の名産系フレーバー入りのソースなど、みんな買って帰りたくなるくらいの愛くるしい製品達で埋まっています。

 そういう、地方スーパーの棚を目の前にすると、本当に幸せを感じてしまいますよね!ねっ!!

 と、語り始めるとキリがないので、この程度にしておきますが、とにかく、私達が普段出かけているスーパーマーケットは、かくもこれだけ細部のディティールが違うものなんです。
 皆さんも、もっとスーパーマーケット達に愛を注ぎましょう。きっと、自分が今まで体験したことのなかった新たな味に出会える筈。

 本書については、著者が関東圏出身のようで、残念ながら関東圏のスーパーマーケットで売られている逸品については掲載されていません。
 でも、本気になれば地方別…いや、県別にだって、ご当地スーパーマーケットで売られている製品本は作れそうな位、この国には独自商品が沢山眠っています。

 それら独自商品って、他県や他の地方の人からすると「なんだこれ?」と思うモノも確かに多いのですが、逆に言えば、このグローバル化された社会でも、その変な食品を求めている人がその地方には存在し続けている!って考えると、なんだかすごくないですか?

 私は、この本がブームになって、スーパーマーケット巡礼という趣味が、きちんと社会的に認知される日が訪れるのを願っています。そして、旅行してお土産屋に行く暇があるなら、その土地のスーパーマーケットに行こうぜ!と。

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督促OL修行日記/榎本まみ

EB300540.JPG 帯にある「今度電話してきたら、ぶっ殺す!!」というキャッチが素敵です。

 ということで、巷ではそこそこ話題になっている本。レジの近くで平積みになっているので何となく買ってみました。

 内容は…まぁ、タイトルと帯から想像する通りなんですが、それなりに面白いです。不幸な職場の中でも諦めず、前向きに頑張る姿が眩しい…

 って、ストレートに読むとついそんな感想になってしまうんですが、なんか怪しいんですよね、この本の内容。

 まず、前半で語られる過酷すぎる勤務体系ですが、朝の7時出勤で終電まで(半年後事務所にPCが導入されてから21時位に帰れるようになったらしいですが)の勤務。どうやら定時が9時から18時までのようですから、単純に考えて1日の時間外勤務が朝2時間+夜5時間で7時間…。これが20日続いただけで、時間外勤務は140時間。更に休みも定期的にもらえていないみたいなので、月間で200時間程度時間外勤務してる計算になるでしょうか…。
 たとえみなし残業代が含まれているとは言え、本書からイメージする、それなりの規模の会社では、到底許される勤務体系ではありません。ましてや、この手の「人材使い捨て」ビジネスでは、退職後に訴えられる可能性も大きい上に、労働局にも目が付けられやすく、最近では就業規則も厳しくなっています。特にテレアポ系の会社では、激しい社員の入れ替わりを無くすため、正社員に対してはそれなりの福利厚生を提供している所が殆どです。
 ということで、本書に書かれている実態がその通りだと考えれば、実は著者が勤めている会社は、サラ金の取り立て業務をメインにしているような、かなり小規模な債権回収会社ではないかと…そうでないとつじつまが合いません。

 あと、まともな信販系会社の債権回収部門(テレアポ)で、そんなに毎回毎回侮蔑の言葉を浴びせられるもんかな〜と思います。この辺フィクション入っているんでしょうけど、ちょっと実態からかけ離れすぎというか…やはり本当はサラ金の取り立て業なんでしょうか。

 という、少し怪しい部分を除けば、それなりに笑いあり涙あり、ちょっとした感動気分も味わえたりと、なかなかおトクな本でした。ただ、本書で人との交渉術が学べるかというとそれはない(笑)

 主人公が年端のいかないOLさんということで、半年後くらいにしれっとドラマ化とかしそうな、ややステマ臭も感じる所ではありますが、ステマだろうと何だろうと面白ければそれでいいと思いますので、そういう意味では読んで面白い本でした。あ、作者のブログはこちらになります。

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督促OL修行日記/榎本まみ

▼2012年11月24日

34歳無職さん②/いけだたかし

PB244222.JPG 続刊が出るとは思ってなかった34歳無職さん。で、更にまだ続くとは思ってなかった34歳無職さん。第2巻は、1巻と少し違って、ストーリーが進行してゆきますね。基本Webでの元ネタ通りです。35歳になったら就職しちゃうんでしょうか。

 つことで、無職の生活ぶりを堪能したいのなら第1巻から読んだ方がいいです。というか、2巻からだと、状況がよくわかんないかも。

 しかし、この無職さん。前も書いたけど、無職のワリにはしっかりした生活してるよね。自分とか今は無職じゃないけど、無職の時代とか毎日ねまき以外着てませんでしたわよ。

 あとまぁ…そこそこ手持ちにお金あると、無職生活ってのは実に楽しい。ちなみに自分は無職になるとアクティブになります。みんなも是非無職生活お勧めですよ!ビバ無職!

 とは言ってますが、やはり収入が途絶えるってのは精神的に不安も大きいし、家族持ちだとそんな事も言ってられないでしょうね。
 でも、昨今の終身雇用制度崩壊を見ていると、人生の中で1年位無職でフラフラしている時期ってのは、みんな普通に経験することになってゆくのではないでしょうか。案外、そんな社会情勢から、面白い文化とか、生き方が始まってくるかもしれません。

 失業…と言ってしまうと欝になりますが、大人になってからの長い人生、一度位は無職で1年位過ごしてみるのもいいなと思います。
 とくに、仕事しないで生活していくと、ありあまる時間の全てを自分でマネジメントする必要に迫られますので、将来仕事に復帰したときも、マネジメント能力やスケジュール管理能力が鍛えられますよ…たぶん。

 あ、自分はもう充分無職生活堪能しまくってきましたので、そろそろ控えなければなりませんが、また無職になりたいなぁ。お金くれて無職でいられる方法ってないもんかしら。

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▼2012年11月23日

少女系きのこ図鑑/玉木えみ・飯沢耕太郎

PB214200.JPG なんとまぁ…ニッチで素敵な本が出たもんです。これは素晴らしい本です。少女ときのこです。

 山を歩いていつも思うのが「きのこっていいよなぁ…」ということ。とくにカラフルなきのこを見つけたときは、その草木の中でその異様を放つ存在感に、…ひょっとして地球外の生物か何かではないか?みたいに感じてしまう程です。

 ということで、私もマニアって程ではないですが、きのこや冬虫夏草の図鑑はもっていて、時折きのこの写真や図説を眺めるのが好きなタチだったりします。そういうインドア系きのこファンとしては、山に入ってのきのこ狩りとか、憧れてしまいますね。

 そういえば、本書のあとがきにもありますが、天然のタマゴタケは、見ると絶対にきのこ好きになります。この著者も、きのこにハマった訳は、天然のタマゴタケを見たからだそうです。

 私も山に生えている状態ではありませんが、苗場山麓の赤湯温泉のご主人が採ってきたタマゴタケを見たときは、思わず「くいたい…」と口にしてしまう程の衝撃でした。形もすごいけど、どうしてあんなに美味しそうなんだろう…的な(笑)

 本書の学術的な価値についてはわかりませんけど、実はこういったきのこ類の図鑑って、写真よりもイラストの方が特徴が掴めて判りやすかったりするんですよね。
 私も普段からこの手の嗜好(少女もそうだけどきのこの方ね)があったりしますので、その知識の範囲内だと、イラストのきのこ達は実に特徴が判りやすく描いてあるなと思いました。
 あと、少女達も可愛いですね。きのこと少女のイラストというと、なんだか「とんがり帽子のメモル」を思い出します。

 そして、私はきのこを食すことについては、そんなに興味はないんですが、紹介されているほぼすべてのきのこに「食べられるか食べられないか」の記載があり、きのこの価値は結局そこなんかい!と思わず突っ込みを入れたくなります(笑)が、実際山できのこ狩りを楽しんでいる人にとっては有用な情報でしょう。

 もっとも、確かに山で見る愛くるしいきのこの姿を見ると、思わず口にしたくなる気持ちはわかりますが、野生のきのこは変種も多く、専門家に同定してもらわないと危険ですので、注意しましょう。

 私は普通に本屋さんで買いましたが、書店によってはポストカードなどの特典付きもあるようですね。アマゾンのリンク貼っときますが、そういうお店で買う方がおトクかもしれません。図鑑という名前から少し大きな判型を想像してしまいがちですが(わたしも大型本コーナーから探してた)、写真にもあるとおり、B5サイズ大の書籍ですよ。

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少女系きのこ図鑑/玉木えみ・飯沢耕太郎

▼2012年11月20日

みさおとふくまる/伊原美代子

EB190519.JPG この本、恥ずかしながら「カラパイヤ」で知ったんだけど、こんなに素晴らしい写真集があるとは。つことで、昨晩本屋さんで購入してきましたよ。

 写真集なので、あまり語る事もないんだけど、ネコ好きの方は全員必ず買うように。また、ネコ好きじゃなくても動物好きの人なら、そして、動物あまり好きじゃなくても、絶対買って後悔しません。

 写真を見て、こんなに和やかな気持ちになって、またほんのりと泣きそうになったのも久しぶりかもしれません。あ、悲しい成分は全然ないのでご安心を。でも何となく涙腺が緩んでくるんだよなぁ。私も歳をとりました。

 ちなみに「みさおさんとふくまるさん」の日常は、こちらのブログで公開されています。

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みさおとふくまる/伊原美代子

▼2012年11月18日

ロジスティックス入門《第2版》/中田信哉

EB180516.JPG 「ロジスティックを後方と訳すのは間違いだ」と言っていたのは、軍事評論家の江畑謙介ですが、この本でも同じような疑問から始まり、ロジスティックという本来の意味と、日本語としての伝わったときの解釈を整理することから書き始められています。つまり「ロジスティック=物流」というのは間違いなんだなと。

 元々「ロジスティック」という概念が、軍事行動を指していたことには変わりありません。それは、軍隊という集団が非常時を前提とした組織であり、一般社会から完全に独立した社会を形成できることと、その際に必要な物資やマネージメントを自ら管理する必要性があったからです。

 個人的には、ロジスティックの達人といって思い出すのが、古くは「項羽と劉邦」で、劉邦を支え続けていた蕭何でしょうか。彼を単なる「補給担当」として考えてしまうと、その功績を誤解してしまうかも。

 とはいっても、私を初めとする一般の人にとって、ロジスティックを実践する機会はほぼありませんし、わかりにくい概念であることには変わりありません。強いて言えば「物流」が、モノの輸送についての概念だとすると、ロジスティックはモノを動かす為のマネジメントとも言えるのかも知れません。それは、単なる流通の効率化に留まらず、時には企業ブランディングまでに関わることがある、アクティブな活動とも言えるようです。

 ま、そのロジスティックについては本書を読んでもらえればいいとして、今回この第2版で追加された最終章「リスク管理とロジスティック」という部分はとても興味深かったです。

 以前、阪神淡路大震災が起きたときに、災害時の食料や必需品の運搬について、ロジスティックス的議論が高まったことがありましたが、神戸を中心とした東西の物流断絶という戦略的視点はともかくとして、被災地が比較的狭い範囲だったこともあり、マネジメントの必要性がそれ程大きくなく(もちろん無いわけではない)、ある意味力業での物資補給と運搬ができましたが、先の東日本大震災では、被災地域が日本の陸上面積1/4にも達する広範囲であり、当然、それらの地域に対する物資運搬には、戦術から戦略までの広範囲なマネジメントが必要とされました。
 例えば、被災へ向かう高速道路の復旧もそうですが、被災地へ向かったトラックの帰りの燃料を確保するための補給廠を設置する必要に迫られたりと、単にモノを運ぶ以上の総合的マネジメントが必要になりました(ちなみに平時からこれらの能力にもっとも長けているのが軍隊です)

 本書では復旧に当たって三つのステップがあるとかかれており、

 1:3日以内
 2:1週間以内
 3:1ヶ月以内

 の優先順位をつけ、復旧活動に当たるのが大切と説かれています。この概念はわかりやすいです。

 なんせ、被害を受けた地域というのは、情報も寸断されていて大局が見えていませんからね。私もあの日は「TXなんで復旧しないんだしね!」とかTwitterで書いていましたが、後からその被害を知ったら「あ…ごめんなさい、もうしません」となったし(笑)。復旧にあたる人にとっても、復旧を受ける側にとっても、このようにわかりやすい作業プロセスを明示化していると混乱が少ないでしょう。
 あとまぁ、民主党政権はバカだのクソだの言ってましたけど、復旧に当たった役人達はいい仕事しましたよね、改めて思い出すと。特に被災した高速道路は、一部を除き、翌日から1週間程度で殆ど通行可能になりました。これは確かに驚異的復興スピードであり、きちんとした戦略眼をもった活動でありました。

 話がずれてきましたが、この最終章だけでも読む価値があるなぁ…と思いました。新書だしサクッと読めるので、物流に興味がある人は、立ち読みでもいいから目を通すべきかなと思いますよ。

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▼2012年11月11日

スズキさんの生活と意見/鈴木正文

 ということで、前のエントリで書いた「スズキさんの生活と意見」という本について書いてみる。

 彼の文章は昔から好きで、特に好きな点は、自分を「左翼」と称しながら、社会の中で常に反抗…じゃないな、自分のスタイルを貫いて生きているのが文章から垣間見える所。

 このブログやTwitterなどで日々「クソ左翼」とか罵っている私だが、私の思想の本質は「アナーキズム」であり、どちらかというと左翼的思考に近い。これは「左と右は一回りして似ている」などという、わかってるんだかわかってないんだかのような考えではなく、やはり本質的に、右翼と左翼は違うと思っている。
 しかし、今世の中に蔓延っている「左翼的思想」とは、単なる中共や売国奴達…少し古い言い方をすれば、日本の体制をひっくり返して赤化する事を夢見ていたアホ共の末裔でしかない。スターリンはどれだけ人を殺したか、中国の文革でどれだけの人がこの世から消えたのか、今チベットで何が起きているのか…これらを総括できない日本の自称「左翼」思想は、全く評価に値しない。あなたが無差別殺人をこよなく愛するのであればまた別だが。

 でも鈴木氏の思想は多分違う。この本に書いてある細かな部分では、私と考えを異にすることがあるが、それでも彼の根本にある思想は「人は自由であるべき」とでも言うのであろうか。その考え方はとても賛同できるし尊敬できるのだ。

 このエッセイは、今世紀から2010年位の間に書かれた文章なので、それなりにちょっと前の世相を反映している。特にその中間に起きていた「リーマンショックによる世界的大恐慌」について、要約すれば、こんな時代にわざわざ倹約する必要もないし、好きな人は贅沢をすればいいし、今まで倹約していた人は倹約を続ければ良い、といった文章を何度も書いている。
 確かに改めて思うとあの時代の空気感は異常だった。みんな、今までやってきた仕事が、ある日理由もなく消えたような喪失感を感じていた。その要因がアメリカでのリーマンブラザーズ崩壊という、バブル崩壊やIT危機のようなわかりやすい理由がなかったから、私達日本人は、何故今日から世界が不況なのか、よくわからないまま、収入を下げ、今までの仕事を失い、今の自分を理解する前に、ハローワークに殺到したりしたのだった。

 その頃の自分は何をやっていたのかと改めて思い出せば、確かにリーマンショック以降の不穏な空気がイヤになって、衝動的に仕事を辞めてしまった私は、世の中の不況ムードに反抗するかのように、赤いオープンカーで北海道へ旅行に行ったり、ロードレーサーを購入して、毎日のように100km〜200km走っていたり、上質な服を買ったり、毎晩ワインを飲んだくれていたりした。
 端から見れば、職を失い、ハローワークで少ない求人票に群がる惨めな中年に見えたかも知れないが、思えば、仕事はそのうち見つかるだろうと、そんなに心配してもいなかったのかもしれない。どちらかというと、毎日遊んでいるのもバツが悪いので、仕方なく週に2〜3回のペースで就職面接を入れ、都内に出かけては、面接で落とされるというのを繰り返していただけのような気もする。

 ま、私が今こうやって、それなりの規模の会社(但し薄給w)で働いていられるのも、薄氷を踏むような幸運が連なった上での話でしかないのかも知れない。あの頃の自分は精神が崩壊しそうだったが、でも、少なくとも仕事がないことで、私は自分のスタイルを変えなかった。自分のしてきた仕事の種類は変えなかったし、今を食いつなぐためだけの仕事もしなかった。自分で言うのもナンだが「左翼」や「反体制派」を名乗るくらいなら、それくらいの気概はほしいものだと思う。

 生きる事は辛いことだ、でも、その中でも、自分がどう生きてゆきたいのか…それを自問するためのヒントが、この本には書いてあるような気がする。

 大人になって、人生に迷う人には、是非読んでほしい本。

あの頃、クルマはネットワークマシンだった

PB114193.JPG 自動車が若者に売れなくなっているみたいです。もっとも、若い人だけじゃなくて、中年の働き盛りの世代や、お年寄りの人にもあまり売れていないようです。

 その原因を、自動車メーカーや自動車ジャーナリズムの方達は「運転する喜びの喪失」といい、社会学者は「若者の減少」「都市化による自動車の必要性の減少(と考えちゃうのは都心西側に住んでる世間知らずの学者でしょうか?)」といい、経済学者は「税負担の増大」とか言っています。

 でもね、「税負担の増大」はともかくとして、上記の理由は自動車を買わない理由にはならないなーと思います。
 何故なら、地方ではどんどんローカル線やバス路線が消えてゆく中で、自動車の必然性は昔よりも逆に上がっているからです。また「運転する喜び」については、スポーツカーが売れない理由にはなっても、自動車が売れない理由にはならないかなぁ…と。

 あの夜、まだクルマはもちろん免許ももっていなかった僕は、クルマっていいなと思った。Bのコロナがなければ、AもBも僕もあのとき集まらなかっただろう。Aはひとりアパートに取り残され、Bと僕は何も知らずに寝ていただろう。Bにコロナがあったから、AはBのところに行き、ふたりは僕のところにやってきて、かの女がでていったその日の晩のうちに3人で平塚に行くことができた。シートが倒れてくるコロナがあったから、Aは平塚の商店街でその夜、ひとりバカヤロウと叫びながら泣くことができた。

 これは、写真にもある「スズキさんの生活と意見」という本126Pの引用。彼はEngineという月刊誌を創刊し、編集長として働いてきた人です。その前は月刊NAVIという雑誌の編集長も務めていました。

 私は、この本のこの引用した部分に、かつての私達がクルマに望み、期待していた部分が集約しているなぁ…と思ったのです。

 以前私がTwitterでつぶやいた中で「若者は常に人とつながれるアイテムにしかお金を出さない」と書き込み、それなりのRTやFAVをもらったのですが、あの時代のクルマは、まさしく「人と人とがつながるアイテム」でした。

 あの頃、本当に東京都内の駅沿いに住んでいた人ならいざ知らず、二十歳前後の仲間が、夜どこかに集まってみんなで過ごすという遊びは、クルマというアイテムがなければほぼ成立しません。だれかクルマを持っている人が、誰かと電話で連絡を取り、そして別の友達を拾いに行き、その流れでまた別の友達を拾いに行く…。もちろん全員が知り合いの場合が殆どですが、たまには「○○の友達」という、あまり面識のない人が、その車内の空間を共有することがありました。

 また、男女とのつきあいにもクルマは必須アイテムのようなモノでした。彼女を迎えに行き、初めて夜のデートで横浜に行ったのも、クルマがあればこそです。
 また、車の中で異性を口説いたり口説かれたり…、まだ個室カラオケも少なく、漫画喫茶もない時代には、そういうパーソナルな空間はクルマの中にしか存在しませんでした。

 そこで、尽きることがないおしゃべりを楽しみ、車窓を眺めながら、知らぬ間に夜は白んでくる…そんな青春時代を過ごした人はきっと沢山いたはずです。
 バブル期のテレビや雑誌の中であった、オシャレなバーで仲間同士朝まで過ごす…なんてことは、せいぜい年に数回でしょう。例えバブル期でも、若い時代ってのは、そこまでお金を持っていませんでしたから。

 しかし今では、そんな友達とのコミュニケーションも、携帯電話やインターネットで代替できるようになっています。
 例えば、最近流行の無料通話アプリやスカイプを使えば、日曜日の午後など何となく家でブラブラしているときでも、友達どおしで接続し合い、それぞれ時間を気にせず、適当に会話しながらずっと過ごすことができます。直接会って話す必要はありません。

 異性とのコミュニケーションも、実際の行為はともかく、帰宅後にお互いスカイプを立ち上げれば、それこそ同棲生活のような、生活の中での自然な会話のやり取りができてしまいます。

 それらを「バーチャルな人付き合いでうんたらかんたら…」と否定してみても仕方ありません。ただ、あの頃、私達と仲間達を結びつけるため絶対に必要だったクルマは、なくても済むようになったのです。

 そして「若者の自動車離れ」という批判や危機意識は、そもそも成立しないということを、デジタルデバイドの向こう側にいる大人達は理解出来ていないのかもしれません。

 でも、若い人達はきっと昔からあまり変わっていないよ、と、私は思ったりしたのです。この本のこの部分を読んで。

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▼2012年10月15日

彼女のひとりぐらし/玉置勉強

PA153925.JPG ふだんよく行く本屋さんで、3巻が推しされていて、見本冊子をサクッと読んだら面白そうなので、1巻探して買ってきた。
 探し始めると、書泉グランデとかにもなくて、結構何件も本屋さんをハシゴしたのだが、とりあえず無事ゲット。おもしろい。

 しかし、最近は「女のひとりぐらし」系マンガが旬だよね〜。34歳無職さんとか、花のズボラ飯とか…。

 では、男のひとりぐらし系マンガはないのかと考えると、こっちはすぐに下ネタに走っちゃうからダメなんだろうなぁ。女が主人公だと、男の私が読んでいても「一定以上の下ネタには走らない」的安心感はあるので。

 しかし、にしても無駄に絵がエロいと思ったら、この人「東京赤ずきん」の作者か。あのマンガ、まだ売ってるのか発禁になってないのか。自分はきらいじゃなかったけど、なんせ、マジキチなロリ系殺戮マンガだったし。
 あの連載は、確か青年誌じゃなくて少年誌だったよな。あの頃に比べれば、今の少年誌は随分おとなしくなったモノか?

 3巻で完結らしいので、続きを買ってみようと思うのですが、1冊800円+税もすんのか。マンガって知らない間に高くなったよねぇ。

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▼2012年09月17日

巨大津波は生態系をどう変えたか/永幡嘉之

P9133644.JPG あの震災後、徐々に東北は復興に向けて動いている。その動きが遅いのか適正なのかはそれぞれの判断に任せるとして、被災地の生態系についてはあまり考えていなかった…というか、多くの人も私と同様、あまり考えていなかったのではないだろうか。

 本書は、あの大震災後に、東北の貴重な生態系をリポートしたドキュメントである。

 あの震災で、特に東北の沿岸部は津波によって甚大な被害を受けた。もちろん人的被害もさることながら、自然環境についても損害は大きい。そして、現代における自然環境災害の特徴として、一部の自然環境の破壊が、そこを住処にしていた種の全滅に直結しやすいということらしい。

 例えば、私も大好きな景色だった仙台空港付近の沿岸低地帯。あの辺りは淡水の沼が各地に点在していて、それらの沼には固有種といっていいような貴重な生物が点在していたらしい。そして、1回の津波でそれらの環境は破壊され、津波が引いても、土壌は塩化し、水は淡水から塩水に変わり従来の淡水生物は生きてゆくことが出来ず死んでゆく。ここまでなら当然というか仕方ないと思ってしまいがちである。

 ただ、著者は、これは現代における固有の問題であるとしている。つまり、震災前から周辺で開発が進んでしまったおかげで、各生物の生息地は一定の範囲に閉じ込められ、外部との交流が不可能になった。その状態で生息地が全滅してしまえば、将来…何年か後にその環境が復活しようとも、その場所に固有種は戻ってこない。
 これが昔であれば、大部分の生物はパッチワークのような生息域を持っていたわけではなく、中心となる生息地から、グラデーションのように周辺へも広がっていた。その為、中心の環境が一度破壊されても、その後元に戻れば、周辺で生息していたその種が元の場所に戻ってゆく。

 今回の震災における津波被害の自然環境における甚大さは、そういった自然回復の方法がなくなってしまった事にあるとのことだ。

 他、沿岸樹木や植物への被害は、津波の直撃波以外でも、その土壌が塩化することにより、むしろ植物の成長期が訪れる夏頃から深刻になるといった話も。
 寒い時期に起きた津波なので、波の直撃に耐えた植物、あるいは、河川に海水が逆流し、その時は大丈夫だった植物も、その年の夏、あるいはそれ以降の成長期に、根から吸い上げる塩水のために枯れてゆくという事例は多いようだ。そういえば、あの奇跡の一本松も同じような経過を辿っていた。

 更に本書では、自然環境への影響だけではなく、復興ばかりを優先…というか、復興だけを考えた沿岸再生事業にも少しだけ疑問が投げかけられている。
 例えば、従来の法律では沿岸部で大規模な工事を行う場合「環境アセスメント」という手続きを踏んで、地域で生息する自然環境を調査した上で工事が実行される決まりなのだが、震災以降その手続きを免除する事例が相次いでいるそうだ。
 もちろん「そんな手続きを行っている場合ではない」という意見もあるとは思うが、この「環境アセスメント」の免除については、地域ごとにおいて温度差があったようで、逆にその手続きをしっかりと守っている自治体に対しては「細かい手続きを免除するのが被災者のためだ」といった批判もあったようだ。ま、どちらが正しいかは、被災現場を見ていない私には判断できない。

 というように、本書は「とにかく被災地を一刻も早く元通りにしなくては」という一元論に対する、ちょっとした冷や水にも感じた。

 あの震災で被害を受けたのは、住んでいた人間だけではない。様々な動植物も甚大な被害を受けている。私の中で、そのような視点が追加されたことは、本書を読んでとてもよかった事だと思っている。

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▼2012年08月30日

ニホンカワウソ絶滅報道を聞き「ガンバとカワウソの冒険」を読む

E8300129.JPG 先日、ニホンカワウソが遂に「絶滅種」と認定されてしまいました。確かに悲しいことですが、既に30年以上目撃例がない訳で、仕方がないでしょう。

 もっとも、今、絶滅種に認定されたとしても、その前と状況が変わったわけではなく、やはりニホンカワウソは生きているかもしれないし、やはりこの世にいないのかもしれません。

 「ガンバ」といえば、出崎統監督によるアニメーション「ガンバの冒険」が有名ですが、この物語にはもちろん原作があり、「グリックの冒険」、「冒険者たち(ガンバの冒険原作)」、そして本作「ガンバとカワウソの冒険」という3部作となっています。
 こちらの本は読んだことがなかったので、カワウソのニュースを聞き読んでみようと本屋さんで購入してみました。岩波少年文庫046番に収録されています。

 本作が出版されたのは1983年。あとがきによると、1970年代頃から構想を練っていたようで、著者は、四万十川にも取材に出かけているとのこと。その頃にはまだ、四万十川流域ではニホンカワウソの目撃例もチラホラあったようです。最後の目撃例とされているのが1979年とのことなので、運が良ければ著者もカワウソを目撃できたかもしれませんが、会うことは出来なかったと書かれています。

「青淵に 獺(うそ)の飛びこむ 水の音」

 という、作中の短歌も悲しげですが、本作は現実で「カワウソが絶滅した」年代に書かれているわけではありません。それを頭に入れて読むと、この作品におけるカワウソは、ノスタルジーではなく、今消えゆく生き物達への警鐘なのかと感じます。

 結果として、1979年以降ニホンカワウソは目撃例がなく、絶滅種とされてしまいましたが、本書を読みながら、まだ日本のどこかで生きているかもしれない彼等に思いを馳せてしまいました。ひっそり生きていてくれるといいなぁ。

 あえてストーリーには触れませんが、四の島(四国?)の自然描写が本当に素晴らしく、また、作中の挿絵も、とても美しく愛らしい動物たちが描かれており、是非手にとって、読んでみることをお勧めします。ただ、岩波書店の本なので、少し大型の店舗にいかないと、売っていないかもしれません。

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▼2012年08月29日

くずれあるき・さぼうめぐり

E8280114.JPG 山に行って見つけると、つい萌えてしまう「くずれ」をテーマにした同人誌

 このシリーズは他にも「崩壊地ブック1〜3」が発行されており、当然買いました(笑)
 個人的にダムは「すげーなー」という以上の感銘は受けないんだけど、崩壊地を目の辺りにすると、大地のエネルギーに身震いするというか…つまり私の嗜好はそっち方面な訳。

 内容については、前作が崩壊地そのものの案内中心だったのに比べ、本書はもうすこし「くずれ」や「砂防ダム」についての技術的解説が加えられていて、くずれ入門編としては、本書が一番適しているかもしれません。

 購入場所はお馴染み「COMIC ZIN」でした。

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中国化する日本/與那覇潤

P8293596.JPG 一言で言うと「ひどい本」。

 タイトルから想像して「従来の日本中心史観を見直して中国から日本の歴史を…」みたいな内容を期待していたのですが、結果、終始「中国って実はエラい、でも日本人は昔からダメ」と言い続けているだけで、しかもその論調も一貫した底本、または批判姿勢に基づいているのならともかく、日本を馬鹿にするときは、資料の一部を曲解したり、ネットの文章を引用したり…。

 ま、ご本人は日本人ではあるみたいですが、中国に明治維新がなくて悔しいんだろうな…というコンプレックスしか感じませんでした。つか、半分読むのが限界だったよ。

 「明治維新ってなんで起きたの」と学生に聞けば、10人が10人「ペリーが来航して、開国するかしないかで混乱があって…」と答えますが、そんな程度の理由で維新が起きていいのでしょうか。ここでもまた、中国史を参照するのが有益です。お隣の国・清朝では同じころ、アヘン戦争・アロー戦争と欧米の侵略が相次ぎ、一時は首都北京まで制圧される(1860)という状況になるわけですが、だからといって王朝がつぶれましたか。20世紀初頭に辛亥革命が起きる(1911)まで、その後半世紀も清朝はもったじゃありませんか。
 それにもかかわらず日本だけが「たった四杯の上喜撰(蒸気船)」程度の小さな衝撃で「夜も眠れず」、あっさり(事実上の)王朝交代まで行ってしまった、その「安っぽさ」。

 全編というか、読んでみた半分程度まではずっとこんな調子。更に何故か文中でネット言論(2chのことです)を何度も馬鹿にしていながら、自らの主張もなんだか2chのまとめブログをつなぎ合わせたようなモノで、都合がいい所は「定説です」「当たり前です」を繰り返す、非常に価値の薄い文章。
 あ…あと著者は、史上初めて紙幣経済(信用経済)を築き上げた世界帝国、モンゴルも気に入らないようです。

 そういえば、反日的な2chまとめブログって目にしないような気がしますが、そういうのが好きな人にはお勧めかもしれません。

 あと、日本は駄目だという文章を読んで、自分が「知的」だと思いたい方にもお勧めです。実際本書は、書評で割と評判良いのですが、今更ながら、書評書く人ってインテリじゃなかったんだね。

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中国化する日本/與那覇潤

▼2012年08月27日

最果てアーケード

P6273347.JPG 小川洋子さんの新刊ですね。ちょっと前の話なんですが、発売と同時に買って読みました。
 というのも、その前にコミック版の「最果てアーケード」を読んでいたからです。

 物語は…ネタバレしても構わないよね。小さなアーケードで暮らす女の子が主人公で、でも、その主人公は、かつて街で起きた大火事で死んでしまっていて、その死を理解できていない女の子が、自分の死についてすこしずつ実感してゆくという話。

 登場するアーケードのお店も、なんとなく「死」をモチーフにしたお店が多くて、読者も何となく命について意識させられながらも、ラストはよくわからないというか、主人公が生きているのか死んでいるのか判らない不思議な雰囲気の中物語が終わります。

 先にコミック版を読んだのですが、どちらもオススメです。また、小説版はそもそもコミック版の原作に使う事を前提に書かれた話で、こちらも文章が明快で理解しやすい気がします。そして、ラストの意味についても、小説版の方がわかりやすいかもしれません。

 最近重版がかかったのか、大きな本屋さんでは、再びこの小説が積まれているのをよく見かけます。面白い本でしたので、興味がある方は是非手に取ってみて下さい。

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▼2012年06月17日

ローマ法王に米を食べさせた男/高野誠鮮

P6173334.JPG きっかけは100式管理人の別サイト「IDEA*IDEA」の記事を見た事。なかなか面白そう…と思ったのだが、ゾンアマでは既に品切れ。
 本屋さんの在庫を調べられるこのサイトを使って、売ってる場所を検索したら、丸善の日本橋店に売っていたので、直接行って買ってきMASHIた。

 書評にもあったように、展開がとてもスピーディーでドラマチック、あっという間に読み終えてしまいましたよ。

 もちろん、全ての公共事業がここまでうまく進む訳はないというのはわかっているのですが、でも、この高野さんみたいな情熱があれば、日本はもっとうまくいくのになぁ…と思いました。
 あと、冒頭で登場する著者の上司は、もし実在するのであれば、名誉毀損、もしくは石川県の人事委員会に訴えた方がいいのではないでしょうか。いや、どうせこんなのばっかりなんだろうな、公務員って…。

 つことで、光陰矢のごとしに発行され絶版になるビジネス書なので、そろそろ手に入りにくくなっているようですが、みんなで注文すればまた重版があるかも知れません。

 ゾンアマでは品切れなので、興味がある人は地元の本屋さんに注文してみては如何でしょうか?私も自信を持ってお勧めできます。ホント、面白かったよ。

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▼2012年05月20日

僕らのご飯は明日で待ってる/瀬尾まいこ

P5132981.JPG 瀬尾まいこ氏の本は、出たらつい買ってしまうなぁ。つことで、最近新刊が出たようなので買ってみました。

 こちらの本は、自称コミュ障(※でも多分イケメン)が、ちょっと不思議ちゃん入った女の子に振り回されるというお話しで、章立てもキレイに「起・承・転・結」に別れていますね。

 女と別れてすぐ同棲生活してまた元の女に戻るとか、まったくもってけしからんというか、リア充爆発しろ的小説ではあるのですが、なぜかそういった修羅場も、瀬尾まいこ氏にかかると、ほんわかと心温まるお話になってしまいます。不思議です。

 そういえば、本作ではいつも爆発している、もはや瀬尾節といってもいい「おいしそうにごはんを食べる」描写が少しモノ足りなかった気もします。彼女のファンとしては、そこがちょっとだけ不満かも(笑)

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資本主義は海洋アジアから/川勝平太

P5132982.JPG いわゆる「学校で習った世界史」を否定する本。というか、学校の歴史では、積み重ねの事実の中に「史観」という概念が欠けているのが問題なのかもしれないが、そこまでを学校教育に求めるのも酷かもしれない。

 本書では、タイトルの通り「資本主義社会は、封建制や帝国主義としての流れで始まったのではなく、貿易という独自の価値観がベースとなって始まった」という説が唱えられている。
 つまり、人類は昔から歴史で言われていたように、原始共産社会から、古代、中世、近世、近代、といった順で進化してきたのではなく、その社会構成や価値観は、地域によってバラバラに進行してきたよ、という事。

 そういえば、高校生の頃だったか歴史の先生と話していて、私が「日本にはいわゆる西洋にある『中世』って時代ないですよね」と質問して、うやむやにされたことがあるが、日本に歴史上の分類としての中世がある云々は別にしても、それを社会構造ではなく、西洋社会を基準とした西暦を用いて世界を時間軸まで含めて分けてしまうのには無理があったと思う。

 日本が近代化した直前には、鎖国を行っていた徳川時代が挟まっているので、どうも日本は「海洋立国」であったという概念が、特に歴史では薄いような気がしている。徳川時代の日本人は、東南アジアにも積極的に出かけていって、様々な場所で「日本人村」を作り自由に活動していた。
 また、徳川時代であっても、日本列島の海の周りは、千石船が縦横無尽に走り回り、それらの船が朝鮮などに出かけていった事例も割とあったようである。

 司馬遼太郎が言う所の「明治維新は軌跡」ではなく、やはり日本人の気質として、近代社会に適応しやすい状況が揃っていたのだろう。

 本書では、日本を、同じユーラシア大陸の端であるイギリスと比較しているが、その論調には少し無理があるなと思う所はあっても、気軽に読めるし、今の歴史学の動向を知っておくのには、コンパクトにまとまっていて宜しいのではないかと。

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午前零時の自動車評論/沢村慎太朗

P5132979.JPG 前作「スパーカー誕生」では、とても精緻な分析を読ませてくれた沢村慎太朗氏の評論集。期待ワクワクで買ってみました。

 読んでみた結果としては、面白いけどちょっとキバっちゃってるかなぁ…という印象。なんだか文章内で無理にワイルドなキャラを作っている気もするのだが、今時そういった「ちょいワル」的なキャラは少し古いんじゃないだろうか?もっとも、この時勢自動車雑誌を買っている人達に向けての文章は、そういうタッチの方がウケるのかもしれないけど、単行本で読む文章としては少し違和感を感じた。

 例えば、トヨタ車の「後席リクライニング」に付いての記述とかね。氏の主張は本当にもっともだと思うし、日本製セダンの多くは、見た目優先の屋根の低さから、後席の居住性を誤魔化すために、かなり寝そべった座角のクルマばかりだった。そもそもリクライニングしようとしまいと、三点式シートベルトではサブマリン現象バリバリなんだろうなぁ…と。ついでに言うと、日本車の後席に坐ってると疲れやすいのもあの角度のせいだろうし。
 ただ、ああやってわざわざ激高を煽った形で主張するのは、単行本では逆効果かなと思った。

 他、軽トラについての記述も面白かった。無個性と言われながら、エンジンと駆動輪が、各社ともFF/MR/RRと、ここまで個性ありまくりというか無秩序なジャンルは、この日本では珍しいね。本書ではスバルのRR方式に軍配を上げていたようだが(というか消えゆくスバル軽へのオマージュ記事なので仕方ないが)、積載状態だとスバルのRR方式は、前輪が跳ねてばかりで怖いという意見もアリマス。

 前作の「スーパーカー誕生」からすると、すこし文体は変わっていますけど、あの本を楽しめた人には、この本も面白いと思いますよ。

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午前零時の自動車評論/沢村慎太朗
スーパーカー誕生/沢村慎太朗

▼2012年05月06日

87CLOCKERS 1/二ノ宮知子

P5062975.JPG オーバークロックを題材にしたマンガ?なんだそれ…と思って買ってしまった。

 読んでみたのですが、ちゃんとマンガとして成立しているのがスゴイ。パソコンのオーバークロックなんて、何のことやらサッパリわからない人でも、普通に恋愛マンガとして楽しむことができます。
 というか、よく考えてみれば、前作の「のだめ」だって、音楽のことだからみんな判ったつもりになってるけど、ホントはあっちも極狭いマニアの世界を舞台にした恋愛ものだったし、それに比べれば、オーバークロックの方が参加人口は多くメジャーな世界なのかもしれません。

 どっちの方向に行くのか楽しみではありますが、PCのオーバークロックを題材にしたマニアックなマンガという色眼鏡を外しても、ちょっとおかしな人達の青春マンガとして楽しめるんじゃないですかね。故に、そういうマニアックな題材を求めて読む人には物足りないというか、文句の一言や二言、付けないと気が済まないのかもしれませんが。

 ちなみに、なぜか世間的に自分は「PCに詳しい」と誤解される事が多いのですが、全然詳しくないのであしからず。オーバークロックはもちろん、PCの自作すらやった事ないです。

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▼2012年05月04日

戦略論大系・孫子/杉之尾宜生・戦略研究学会

P5042779.JPG 底本は「宋本十一家注・孫子」だそうである。現存する孫子は底本により章などが異なっているらしいのだが、概ねこの版が原型に近いとされているようだ。

 孫子の本は数多く出版されているが、多くは意訳・妙訳が多く、実際の孫子を学べる本は、岩波文庫など、割と堅めの書籍でないと、何が書いてあるのかわからなくなってくる。中には「孫子は平和主義者で反軍国主義者」みたいな怪しげなものや、経営を学ぶにはまずは孫子から!などと、それはそれで価値があるのかもしれないが、少なくとも孫子を知るにはあまりどうでもいいような本が多い気がする。そもそも、日本人のオッサンは孫子大好きだしね。

 また、孫子とよく比較される書物として、クラウゼヴィッツの「戦争論」があるが、お互い有名な本である割には、きちんとした内容を把握している人が少ないのではないかと思う。

 ということで、実は昔も岩波文庫版の「孫子」は読んだ記憶があるのだが、内容も既に覚えていないし、最近はこの「戦略論大系」という書物を少しずつ読んでいるので、その一環として購入してみた。なぜなら、孫子の訳文の他、後半の解説文にも価値があるのではないかと思ったからだ。単に訳文だけを読みたい人は、岩波文庫版を買った方が安上がりだし。

 孫子という書物がすごいなー、と思うのは、これが単なる戦争の為の書物に留まらず、国家運営の基幹にも言及していること。つまり、クラウゼヴィッツの「戦争論」が作戦級であるとするなら、「孫子の兵法」は戦略級であると言える。
 目の前に与えられた「戦争」という現実に対処するのが戦争論であるなら、孫子の兵法は「闘わずして勝つ」という有名なあの言葉にあるとおり、もう少し戦争という事象に対して俯瞰して眺めているようでもある。

 最近やったゲームのせいで、うかうかすると孫子が強制脳内変換されてしまい(笑)こちらのビジュアルが頭にちらついて、ちょっと萌心を感じながらも楽しく読むことができたのだが、それぞれ語っている言葉は極めて簡素であり、普遍的価値観に基づく非常に洗練された文章だなと感じた。
 それゆえに、現代ではおっさん達格好の餌食になって「孫子と言えば脂ぎった経営哲学」みたいなイメージが付いちゃってる気もするが、これもまた、日本人である私達が、広く孫ちゃん先生を愛しているゆえんなのですよ〜。

 この「戦略論大系」版は、それぞれの言葉に、原文と読み下し文、そして和訳が付いていますので、真面目に学習したい人は、研究素材としても便利かもしれない。また、後半の解説文もなかなか読ませる物があり、私としては価値はあったと思う。

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孫子(戦略論大系)/杉之尾宜生・戦略研究学会
新訂・孫子(岩波文庫)/金谷 治

のうりん/白鳥士郎

E5049683.JPG 今農業モノが熱い!のか?

 銀の匙を読んだ勢いで、もう一つ、若人(わこうど)達の農業物語を読んでみるのじゃ!と思ってつい買ってしまった「のうりん」。読んでみたらこりゃひどい…という小説でした(笑)

 まず表紙の絵からちょっと恥ずかしいので、普段は本屋さんでもカバー断る私も、慣れた手つきで商品にカバーを装着する店員さんを静止できませんでした。
 ま、表紙さえ見られなければ良いかと思って口絵のカラーイラストを飛ばして電車の中で読み始めると、数ページ後には、パイオツを手で隠した上半身裸の女の子イラストが出てきて、思わず本を閉じる羽目に。その後は警戒して電車内で読めませんでしたよ。

 内容は、現在高齢化が進んでいる農業の実態を若者達の活動を通じて鋭くえぐる社会派小説ではなく、単なる萌え小説でした。でもまぁ…こういうのが人気出てナウなヤングに読まれるのは悪い事ではないのかと。

「確かに無精卵に比べて有精卵は手間がかかる。雄鳥を飼い、交尾させる必要があるからな。しかしそれと栄養価は全く別の話だ。両者の間に成分的な違いは存在しない」

 あ、そうなんですね。高いし、何となく少し栄養価が違うとか思ってました。これは知らなかった。ちなみに、無精卵とは「ゴムをつけたときの卵だっ!」だそうです。

 あまり内容には触れても仕方ないのですが、全体的にはヲタ向けに媚び媚びの小説で、ダメな人はとことんダメなんじゃないかと思いますので、買う前には触りだけでも立ち読みしてからの方がいいです。自分も最後まで読むのは結構しんどかったので(笑)

 正直、続刊を買うかどうかは立ち読みしてから決めることとするにして「農業すること自体が、土を傷つけることなんだよ」ってのは確かにそうかもしれませんね。

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▼2012年05月03日

科学嫌いが日本を滅ぼす/竹内 薫

P5032760.JPG 確かに、身近では科学の話題は何となく嫌悪されている気はするし、日本で発行されている科学雑誌も極めて低調。というか、そもそも少年少女向け小説(もともと少女向けはあまりなかったか)に、科学ガジェットが存在する事もめっきり減った。
 今の子供達に「ワープとは時間と空間を跳躍すること」といっても理解してもらえないかもしれない。

 科学的である事、理論に基づいた実証は、いつの頃からか、日本では「理屈っぽい、ヲタっぽい」というレッテルを貼られるようになっている気がする。
 特にメディアではその傾向が顕著で、報道されるニュースは科学的冷静さを持った話題はどんどん減り、被害者意識を振りかざしたエキセントリックな映像ばかりになった。

 みんな忘れているかもしれないが、日本は「科学力」で経済発展を遂げてきた国だ。その国民…というか、政府が科学を軽視する傾向は一体何なんだろうか?昨今の「はやぶさ」にしても、国民的人気(それがお涙頂戴的価値観だったというのが皮肉だが)がなければ、プロジェクト自体潰されていた。
 一方でスーパーコンピューターの仕分けでは、元グラビアアイドルのバカ議員が「2位じゃダメなんでしょうか」とか平然と抜かす。国民を代表する職業に就いている連中ですらこうなのだ。 

 日本のマスコミで、今流行っているのが、今回の大地震と大津波を「想定できたはずの人災」にすり替えようとする動きだ。脱原発・反原発の市民団体が、これまで何度も東京電力に「地震や津波で原発が破壊される可能性がある」と、申し入れをしてきた、というのである。つまり、原発事故は誰でも想定できたはずであり、人災だというのだ。(中略)
 しかも、こういった「人災論」では、なぜか、高さ10メートルの防潮堤は、ほとんど問題になっていない。被災した各地に備えられていた防潮堤が完全に機能していたら、2万人近い死者・行方不明者の多くは被害に遭わなかったであろう。だが、マスコミのほとんどは、防潮堤については何も言わず、原発の備えだけを問題にしている。まるで、防潮堤を襲った津波は「想定外」だったが、原発を襲った津波は「想定できたはず」と言っているようだ。

 科学的冷静さを失った、ムードばかりを煽る日本のメディアは、上記の矛盾点にきちんと答えられるのだろうか。そして、私達も知らず知らずこのような「後出しじゃんけん的」というか「勝ち馬に乗りたがる」的視点になっていないだろうか。もう一度、自分自身も反省したいものだと思う。

 また、同じ章には「思想的な大声のせいで、科学的発言がかき消されて…」ともある。福島原発という重大事故を目の前にしても尚、この国のメディアと国民は、原発反対派も賛成派も全く冷静で科学的な議論ができていない気がするのは、気のせいなんだろうか。

 科学力を失った日本には、もう何も残らないのだ。

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▼2012年05月02日

デンキ街の本屋さん/水あさと

E5019672.JPG 久しぶりにマンガ立て続けに買ってるな。こちらもいわゆる「働き系マンガ」ですかね。先程の銀の匙とはうって変わって、大都会!世界の趣都アキバを舞台にしたヲタクマンガです。

 真面目に内容を考えるマンガでもないので、内容をマジメに語っても仕方ないですね。

 ひおたんもカワイイし、先生もキュン萌えだし、一巻冒頭で登場している男性店員は知らない間に消えてたな…とか、店頭ディスプレイとかエロ本Gメンとか、突っ込みを入れようと思えば色々入れられるのですが、そんなに深く考えて読んでも仕方ない。働くことが楽しそうでいいなーという感想でした。

 ちょっと意外なのは、主人公(?)とヒロイン(?)どうしでくっつく展開にならなさそう…って事かな。絵もカワイイし、表紙から入っても、問題なく楽しめる漫画だと思います。

 そそ…あの花ファンの方には、めんまが生きていて東京の大学に進学したらこうなった…という、妄想陵辱プレイ全開で脳内変換して読んでみるのも乙かと。ヒロイン髪の色までそっくりだしな(笑)

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銀の匙 Silver Spoon/荒川 弘

E5019674.JPG ネットでも評判いいし、本屋さんでもやたら推しPOPが目に付くので買ってしまいました…というか、ホントは三巻の初回限定版に付属してたスプーン目当て(笑)。開封したら、ずっしりと重くメッキも分厚くて、産地はなんと国産、新潟県は燕三条製でした。で、三巻買ったら一巻も買わねばと思い、まとめて大人買い〜。

 で、サックリ読んでみましたが、まぁ…面白かったかな。正直、事前に期待していた程でもないけど、なかなか良いマンガなんじゃないでしょうか。

 最近はナウなヤング向けマンガや小説で、色々とネタ切れのせいなのか、このような「仕事の現場」ネタ的なストーリーが増えてきているのはよいことだと思います。このマンガも、舞台は農業高校で学生だけど、学習内容がそのまま農業や畜産の仕事と直結しているのでね。

 ちなみに、自分の親は北海道の農家出身なので、中途半端に現場を知っているせいか、色々と共感できたり反発したりするエピソードがあって、それはそれで楽しめました。
 例えばTwitterでも書いたけど、北海道の米がおいしくなったのは最近の話で、それまでは炊きたてだろうが精米したてだろうが、埼玉県標準米に著しく劣っていたなぁ。今でも道内全ての田んぼで収穫されたお米が等しく美味しいわけではないのではないかなぁ…なんで、取れたての食材全てがおいしいわけじゃないッスよ…とか、逆にトウモロコシはもうガチで、採れたての焼きトウモロコシの旨さは本州では絶対に味わえないのではないか?など。
 あと、日高地方で採れた昆布を現地から送ってもらうと、関東で一袋2,000円とかで売られてる高級昆布買うのがアホらしくなります。鮭とラーメンもね(笑)
 ただ、ラム肉だけはいつまで経っても慣れません。今でもおいしいとは思えないかな。

 畜産の方については、良くも悪くもああいう書き方はちょっと鼻につきます。私も全ての事例を知っている訳ではありませんが、食肉に対してみんながあそこまで割りきったりドライだったり、そんな事はなくて、食材を殺す、ということに慣れはするけど、考えてることはこっちの人間とあまり変わらないという印象。
 現に友達で実家が養鶏場だった女の子は、大人になってからも、もう絶対に鶏肉とか口にしたくない!鳥絞めてるの見るのが怖い…とかいってたしね。別に畜産業だからって、人として特別な能力を持ってる訳じゃなくて、都会のサラリーマンと一緒ですよ。

「君らが子供の頃から親がちゃんとしたもの食べさせてくれてたんだべ。」

 子供の頃からちゃんとしたモノ食べてない私としては、このセリフも少し気になったのでした。ちゃんとしていない食べものが何かという事には触れられていませんでしたが、その辺で売ってるインスタント食品だって、開発者側からすれば極めて真面目に作ってる商品な訳でね。全てが野生で採れたて地産地消が正しい訳じゃないのではないかと、ちょっと反発してしまった次第。

 という訳で、大人になった今でも、インスタントラーメンとか、味の素とか大好きなんですが、なにか?(笑)

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▼2012年03月21日

電子書籍版を買って損した気分?

IMG_0023 仕事柄(藁)電子書籍にも慣れておかないといけないなぁ…と思って「テルマエ・ロマエ」だけは電子書籍版を買い続けています。販売元はBOOK☆WALKERです。

 で、購入してみた感想としては、価格も450円と、個人的には紙の本に比べてあまりお得感を感じない上に、紙の本についている様々な特典なども無い訳で、ハッキリいうと非常に満足度が低い…というか、買って損してる気分です。

 でもねでもねっ…電子書籍のいい所は、対応デバイスさえ持ち歩いていれば、いつでも手軽に読めちゃうゾ☆!…って部分だと思うのですが、そのアドバンテージすらもあまりないという証拠画面(笑)

 おそらく、電子書籍配布元システムの都合なんでしょうが、こういったアップデートは私が認識しているだけで、既に3回位ありました。例えば、写真の画面では「バージョンアップが必要です。バージョンアップしますか?」と聞かれていますが、バージョンアップしない選択はありません。そもそもしないと読めないので、するしかないのです。

 で、このバージョンアップですが、またエラく時間がかかり、環境にもよりますが、Wi-fi下で10分程度、3G回線だとそれこそエンドレスに近い時間がかかります。当然その間、購入した電子書籍は読めません。
 こんな事が度々あるだけで、一般の人はもう「電子書籍はこりごり」とか思っちゃうよね。それが狙いなのかもしれませんが。

 他、販売サイトでもう少し大規模っぽいシステム改修が入った時があって、その時はWebにアクセスしてアカウントの移転作業を行った後、購入した全ての電子書籍を再ダウンロードとか、なんかの苦行かこれ?みたいな事もありました。
 自分はまだ「研究目的」とかいう大義名分がありますけど、そもそも、こんな未完成なシステムを客に売りつけようって考え方がスゴイと思います。

 今はまだPCリテラシーというか、それ系になれている人達が主に買っているから構わないのかもしれませんが、日本のPC向け電子書籍マーケットというのは、かくも酷いもんなんだと認識できただけで、お金払い続けてる意味はあったのかもしれません。ちなみに、


 とかさりげなく恐ろしい事書いてある電子書籍販売サイトもあるのですが、購入して1年後にシステムアップデートされたら、自動的に購入した電子書籍は破棄扱いですかね。まさかとは思いますが、ここまでワザワザ使いにくいシステムを運用させている事を考えると、そのまさかの懸念は充分あります。

 電子書籍については、売る側の意向と買う側の意向がどうもマッチしていない印象で(そういう意味で出版の現場は割と前向きみたいです)、電子化する事によって仕事を奪われる人達、組織、会社…色々な権利と思惑が渦巻いてゴチャゴチャやってるうちに、結局Amazonが全てをさらってゆく、って結果になるんだろうなぁ…と感じています。

 音楽については、以前より音楽を作っていた側、売っていた側は色々大変みたいですが、大雑把に言えば、利用者側はiTMSやAmazonで音楽が売られて便利になったと実感しちゃってる訳で、何が正しいのか判りにくい話ではありますが、やはり大半のエンドユーザーが満足しちゃってる姿が概ね正しいんだと私は思います。

 さて、日本の出版社と電子書籍は、そういう方向の未来を見据えているのでしょうか?

テルマエ・ロマエ IV/ヤマザキマリ

▼2012年03月20日

胸いっぱいの愛を/広谷鏡子

E3209274.JPG えーと、超リア充小説です。以上…。

 では話にならないので(笑)、もう少し真面目に解説しますと、出会いは丸善のオアゾ店。注目書の中に並んでいて「おぉ…正当派青春小説やね…」と目に留めたら、帯にある池上彰さんオススメ!というコメントに何となく惹かれてしまい、つい手に取ってしまって、そのまま買ってしまったという訳。
 ちなみに帯を読むと誤解してしまいそうですが、主人公は「ほんだきん」という名前ではありません。

 内容としては、超青春リア充爆発しろ!的な小説ではありますが、種明かしをすると、この小説の舞台は今から約30年前のお話となります。当時高校生活を送っていた女の子が、今になって過去を語るというストーリ。

 ただ、過去と未来を結びつけるトリックなどは何もなく、本当に今でいう私と同じ世代の人間が、高校生活の甘酸っぱくてキュンとくる日常を思い出しながら語っているという小説になります。えぇ…私には甘酸っぱい思い出もキュンとくる思い出も何もなかったですけどね。

 表紙のイラストでは、細身の快活そうな女の子に見えますが、じつはお尻が大きい事を気にしていたりと、美少女が美少女的描写になっていない所が、年を重ねた女性が一人称で過去を語る意味がある事なのかもしれません。実際…高校の同級生とかじゃ、誰にでも判りやすい「美少女」なんていなかったもんだよね。

 池上彰オススメはともかくとして、高校野球とロックと瀬戸内海というキーワード、何処かに反応した人にとっては、読んでみる価値がある小説ではないかと。読後感はサッパリとしていて、いい感じです。

 結果として主人公の高山桂子がリア充的人生を送っていなさそうな感じではあるのですが、やはり、若い頃に経験した宝石のような体験は、それだけで一生前向きに生き続けられるだけのパワーを秘めているものなのかもしれません。

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▼2012年03月11日

花のズボラ飯2/久住昌之・水沢悦子

E3109250.JPG 買ってきましたよ、特典でつくカード目当てでComicZINまで出かけて(笑)

 さすがうさくん、ズボラだけどどことなくエロイ感じの花さんがたまりません。今回はネコまんまとペヤングが登場したのも印象良し。
 もっとも…ズボラって割にはかなり手の込んだ料理作ってますよね。あそこに出てくる料理がズボラというなら、自分は生まれてからズボラ飯以外食べたことありません(笑)

 相変わらずゴロさんが登場しませんが、ひょっとしてピザなのかしら?

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花のズボラ飯2/久住昌之・水沢悦子

▼2012年03月06日

南極点のピアピア動画/野尻抱介

P3062716.JPG 著者の野尻抱介氏がいうに「初音ミクはSFである」そうだ。こんなこと言うと、またアンチSFファンに誤解与えそうな物言いですが、その持論を小説にした…って事ですかね。元々SFマガジンで発表されていた小説をまとめた単行本のようです。

 SFというジャンルがすっかり下火になった昨今、野尻の作品は懐かしのSF的香りに満ちていながらも、本作では「初音ミク」と「ニコニコ動画」をベースにしたソーシャルネットワークがもたらす未来と、異文明とのファーストコンタクトについて書かれていて、なんつーか今風です(笑)

 個人的には、動画コンテンツ全般にあまり興味ないので(これはもっと広義の意味で映画もテレビも最近はアニメもあまり見ない…ってこと)、その部分での感情移入が、おそらく著者が想定している対象読者平均よりも冷めた感情で読んでしまったと思うのですが、それでも面白かったです。もっとも、ぶっちゃけ「野尻抱介」氏の作品でなければ、絶対読んでいなかったと思うけどね。

 話を彩るアイテムは現代風であれ、ストーリーの骨子は極めて古典的SFというか、まだ未来が明るかった時代、ハヤカワSF文庫が本屋の角棚を占拠していたあの時代の懐かしい雰囲気。
 私個人の考え方としては、世界とつながるインターネットやソーシャルネットワークを得たからといって、人が本質的に変わることはないと考えているのですが、この小説では、それらのテクノロジーが“善意”の元運用されている方向に振れていて、それも読後感が清々しい理由のひとつだと思います。私が初めてインターネットに触れた前世紀も、ネットの中はこんな雰囲気で満ちていたなぁ…。

そうですね。水を四十リットル。灯油八.七リットル、もしくは木炭六.三キロ。窒素八百グラム–これは空気から取り出せますね。珪素は石炭を使うとすると、適当な土砂をバケツ一杯ほど。シリコンシーラントでもいいです。それから少量の元素を取り出すのに、サカナか肉を一キロほど

 あと動力として電気があれば、ボーカロイドの小隅レイたんが複製出来るみたいだよ…って、これはドラえもんの人間製造機だよね(笑)

 どうでもいいけど、作品中で「ふわふわの泉」に触れられていましたが、これは著者による出版社への「早よ再販せい」ってメッセージなのだろうか。表紙の絵がアレなのでなんですが、こちらも結構なSFなので、早く再販かかるといいですね。

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▼2012年03月04日

うさぎパン/瀧羽麻子

P3042704.JPG 私にとって「相性のいい」本屋さんってのはいくつかあり、そのうちの1つが、柏の葉ららぽーと内にある勝木書店公式サイトを見ると、ただものでは無い書店感が溢れているが、とにかくこの本屋さんは、私が普段探しているのとちょっと違うジャンルの本に出会えることが多いのである。何故か同書店チェーンで近隣にある新三郷ららぽーと店は全く琴線に触れないんだけどね。

 ということで、文庫コーナーに平積みになっていたこの本、帯にある「あぁ、この本に出会えて、本当に良かったぁ。」というベタなキャッチコピーに惹かれて手に取ってみたら、案外面白そうだと思ったので買ってみた。たまにはこういうもっこり…じゃない、ほっこり(用法違い)した本も読んでみたくなるもんなのだ。近頃は毛沢東とスターリンの虐殺に関する本を立て続けに読んでるもんだからねぇ…。

 私が好きな女流作家って、みんなとにかく食べものを「おいしそうに食べる」描写がうまいのだが、女性で作家になるためには、食べものを美味しく食べる描写を上手に書けることが必須条件なんだろうか…なんて思ってしまうほど、何故か食べものへのこだわりが多い作家にあたってしまう。
 この本も、タイトルから想像するとおり、表題作と収録作、両方とも食べものがキーになっているお話しである。内容はね…ま「リア充爆発しろ」ってなお話しなんだけど、たまには私みたいな非リア充も、こんな充実した青春時代を送った気分になりながら楽しんでもいいじゃない!ってな(笑)

 ちょっと心が優しくなれるというか、イライラしている時など、素直な気持ちになって読めば、心穏やかになれるかもしれませんよ。彼女の他の作品も読んでみようかな。

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北野武・超思考/北野武

E3049241.JPG 私達の世代にとって「ビートたけし」というのは、やはりヒーローであって、彼の発言のほとんどが極めて正論に思えてしまうことも含め、彼は紛れもなくヒーローなのであろう。
 これが、また別な世代の人間からすると違って見えるのかもしれないけどね。

 本書で語られている様々な事例は、本当に、どの項目を読んでも「ふむふむ」と納得できる事ばかり。やはり、自分で一から金を稼いで地位と名誉を得た人は違う。
 また、芸人は企業人と違い、その地位と名誉を後継者に継がせることは、ほぼ出来ない。なので、自分が感じて正しいと思ったことだけを、反撃を恐れずに言い続けることができる。

 残念ながら、世間で言われる「評論家・学者…というわれる論壇」は、ほとんどが雇われ人なのでね。あまり好き勝手なこといっちゃうと、ごはん食べられなくなってしまうんですよ。

そうかと思えば、詰め放題名人の主婦とかが登場して、ビニール袋にさんまだのミカンだのを沢山詰める裏技をレクチャーするニュース番組まであったりする。見ているこっちまで恥ずかしくなるような光景だけれど、本人たちはちっともそういう風には感じていないらしい。名人なんて呼ばれて嬉しそうな顔をしている。俺に言わせれば、ただ意地汚いだけの話だ。

 この話をどう思うかで、世代の断絶ってのはあるような気がするね。私はかろうじて「意地汚い」と感じてしまう世代だ。しかし「これは遊びの一環ですから、だれもマジでやってる訳無いでしょ」という意見も理解できる。
 それらの世代の人達は「安いものは安いなり」という価値観は既になく、もっとスマートに「コストパフォーマンス」という価値判断をする。これが良いとか悪いとかそういう話では無いのだが、でも、みんなが安物しか買わなくなれば、みんなの給料も安くなる…ってのは当たり前の話。

 ま、サクッと読むのに適した分量の割には、色々と考えさせられる事が沢山書いてありますので、若い世代の方も、本屋さんで一度手に取ってみては如何でしょうか。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


超思考/北野 武

サンクチュアリ/池上遼一

Ikegami 色々ありましてね…内容を把握する必要がありましたので、近所のブックオフで読んできました。1〜12巻まで一気に、つかれた…。

 つか、100円の棚に入ってましたので、面白かったら買ってみてもいいかなと思ったのですが、ま、一度読めば充分かなと。
 話の内容としては、現代版ケインとアベルみたいなもんでしょうか。ポルポト政権下のカンボジアから逃げ出してきた日本人少年2人が、日本にサンクチュアリ…を作るために、1人は表の社会で、もう1人は裏の社会から日本を支配しようと暗躍します。

 つか、読んでいるうちに「これ、どうやって落とし所つけるんだろ?」と思っていましたが、やはり最後はあっけないというか、こういう終わらせ方するしかないよな…みたいなお話しでした。食堂でラーメンが出来上がるまで読むには丁度いいお話しかなと(これは別に悪口ではありません)

 連載開始年は知りませんが、終了時はどうやら西暦1996年だったようです。丁度日本のバブルが終わってどうしよう…ってみんな思っていた時代の閉塞感の中で描かれた漫画なんでしょうね。今の時代に同じテーマで描かれると、また違った話になるんだろうと感じます。

 個人的には、作品の中でAUDI 80 B3系が登場していたのが懐かしかったなぁ。あのクルマは本当によかった。作品の中で「アメリカ車は売れないが同じ規制下でドイツ車は売れている」というセリフがありましたが、あの時代のドイツ車は紛れもなく世界一でした。
 その後…作品が終了した1996年頃から、日本車はぐんぐんよくなってきて、ドイツ車ですら日本国内では売れなくなってきたけどね。

▼2012年03月01日

34歳無職さん①/いけだたかし

E2299214.JPG どうでもいいけど「①」って文字、Winの方々は文字化けしてんのかな。○に1って事です。

 会議が終わって慌てて会社を出て、閉店ギリギリで寄った本屋さん。お目当ての本は買えたんだけど、もう一冊、レジに並んでたこのマンガをついつい表紙買い。買ってみたら、主人公の34歳無職さんは女の人だったんだと知りました。なんでも、当初はWebでの雑談から生まれたそうですが、元ネタはこれかな

 ちなみに自分も「無職名人」な生活送ってまして、友達やご家族にいつも心配ばかりされていますが、最近はその心配もされなくなった位の境地に達してます。大体「なんて会社に勤めてるんだっけ?」とか聞かれなくなったしな。会う度に「今どこの街に勤めてるの」とは聞かれますけど(笑)

 なので、この無職さんな生活には、今でも憧れてます。いやほんと…お金さえあればなんだけどさ。

 読んでいて「無職さんえらい!」と思ったのは、外出しなくてもキチンとお洋服に着替えていることですね。なんてお上品な生活でしょう。1人暮らしなのに、ちゃんと部屋の中でジーンズはいてたりスカートはいてたり、これがあんた、足立区界隈の女なら、寝る時から部屋の中から、へたすりゃ駅前への買い物だって、ずっとスエットのままですよ。足立区周辺に住んでる(笑)自分の場合も、さすがにお風呂入る時はスエット脱ぎますが、基本、寝てから起きてまた寝るまでずっと同じ服で過ごすとか当たり前です!
 かくいう私も無職時代…つか、有職時代でも休日なんかはずっと寝たまんまの服装。ま、私は足立区民じゃないけど、足立区まで歩いて5分の距離だしな…。

 読み終えて知ったのですが、この作者「ささめきこと」の作者だったんですね。そっちのマンガは、原作もアニメも全く見たことないですが、音楽は絶品なので、是非皆さんも聴いてみて下さい。いや、漫画もアニメも面白いのかもしれませんけどね。

 さーて、私の次の無職はいつになるかなぁ…。つか、そろそろ定年になる年齢まで、無職は自粛すべきなんでしょうけど(笑)

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▼2012年02月15日

戦略論大系(3)「モルトケ」

E2149000.JPG 近代の陸軍用兵の基礎を作ったと言われる、ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの著作と解説を収録した本である。

 近代陸軍用兵術の模範とまで言われる彼だが、残念ながら日本では、彼のテキストはほとんど出版されていない。その中でも代表作と言われる「高級指揮官に与える教令」は、かろうじて、芙蓉書房出版の戦略論大系(3)モルトケという本に収録されているが、長く品切れが続いており、手にするのが難しい。この度、ようやく本書を古本で入手して、読むことが出来た。

 目玉である「高級指揮官に与える教令」については、実にあっけないというか当たり前というか、それは私達が現代の戦争を知っているからであり、その古典に触れられたという事は実に有意義。
 部隊の編成や、指揮統制、行軍の原則、騎兵戦術、そして最大のポイントは指揮系統の一本化にあり、高級将校から下士官までの命令系統の統一を行い、常に連絡と報告を取り合って状況を確認、高級将校は独自に下士官、もしくは現場の兵士へ直接命令することは避けるべきという、軍組織における情報と命令系統の階層化、中央集権化を図った所にある。
 また、各指揮官に置いては、上級になればなるほど命令は包括的であることを求め、末端に行く程命令は臨機応変で具体的であるべきという、軍隊における上級と下級士官の役割にまで踏み込んでいることもポイント。

 というのも、当時の軍隊といえば、まだ中世封建主義的思想が色濃く残り、軍隊は国民のものというより、王族、貴族の持ち物であり、戦争で功績を残すことは貴族のたしなみ…のような風潮もあった時代である。
 フランスでは既に「国民皆兵」でナポレオンが大暴れして成功を収めた後ではあるが、まだヨーロッパ社会、特に東欧に関して「軍隊」は権力者の私物であり、その用兵術には標準とされる体系が存在していなかった。そんな時代において、軍隊に明確な「指揮統制」を用いたモルトケの思想は、今でいうと当たり前のことだが、当時においては革新であり、また反対も多かったようだ(もっともその近代的軍隊の創設に成功したドイツが「国家が軍隊を持つのではなく、軍隊が国家を持っている」といわれる国へと変貌したのが皮肉だが)

 それともう一つの特徴は、モルトケが用兵に取り入れた近代技術であろう。上記にある「連絡と報告」には、当時実用化されつつあった電信を用いることを主張し、また、軍隊の動員についても、当時ヨーロッパを網羅しつつあった鉄道などの輸送手段を積極的に利用するように努めた。

 また、大軍の存在意義は「攻撃以外にない」と規定しているのもユニークで、必要な場所以外でむやみに軍団の編成を行わないことを推奨しているのも面白い。

 たとえ話だが、仮に日本が北九州で外国の侵略を受け、急遽日本政府は軍隊を九州方面に派遣する必要があるとする。
 近代戦以前の常識では、東京で兵隊の動員を行った場合、動員場所の東京で軍団を編成して、そこから北九州へ行軍するというのが流れであったが、モルトケはその常識を覆し、動員場所での軍団編成を行わず、鉄道などの輸送手段を用いて兵隊を逐次移動させ、軍団の編成は作戦現地で行うとした。
 今でいえば当たり前の話なのだが、それを実現させるためには、膨大な人員と補給物資をタイミングよく集合させる必要があり、綿密な計画に基づいたダイヤグラム作成が不可欠になる。その当たり前が、技術的な制約や過去からの慣習という理由はあるにせよ、昔の戦争では行われていなかったのだ。

 また、鉄道網による大量輸送を伴った動員は、過去の戦争の例にある、単一の作戦での敗北が地域失陥につながるという常識も変えてしまった。つまり、1つの作戦で部隊が負けて損耗しようとも、事前に損耗率を計算して逐次戦場に予備兵力を動員し続ければ、一度部隊が負けて損耗しようとも、作戦を続行することが出来る訳で、この流れは、近代型の国家総力戦へとつながってゆく。

 モルトケと話はずれるが、その時代に行われていたオスマン(を代理にした英仏)とロシアで戦われていたクリミア戦争などは正にその例で、昔ながらの徒歩や馬車での軍隊動員を行っていたロシアに対し、英国は鉄道や蒸気船を積極的に使い、次々と増援部隊や補給物資を現地に送り続けていた。結果、地の利を持っているはずのロシアは敗退。もっとも戦局では有利だった英仏も「国家総力戦」を行ったツケが大きく、膨大な戦費負担に耐えきれず、誰が勝ったのかよくわからない結果として終わった(もちろんオスマンは大損こいたのだが)

 このように、国家総力戦の時代は「戦争で勝っても結果どちらが勝ったのか良く分からない」的な戦争の始まりを作った…というのが私の私見!頭痛が痛い(笑)

 本書について、19世紀東欧の歴史に詳しくない人は、むしろ後半の編者における解説文から読むことをお勧めする。私も近代プロイセンの歴史はよく知らなかったので、前半は理解が進まず、最後の解説まで読み終えてからまた読み返した所で、モルトケが言わんとしていたことが判ってきた気がする。
 ただ、中盤にある本書の目玉「高級指揮官に与える教令」については、非情に簡易で判りやすく、故にこの文章を読んだ後には、様々な戦争に関する書物を読んでみて、改めて考え直さなければ、妙な誤解を持ったまま「わかったつもり」になってしまう危険性をはらんでいるなと思った。

 本論と外れるが、個人的に面白かったエピソードは、数日前に読んだ「オスマン帝国はなぜ崩壊したのか」にあった、オスマンがボロ負けしたエジプトとの戦争時、モルトケがオスマンの軍事顧問として派遣されていたことが書いてあったこと。モルトケはエジプト軍を撃破するための有効な部隊配置と作戦を進言したのだが、それは当時のオスマン軍から無視され、結果ボロ負けをした…と書いてあるが、さて。

 あと、私は読んだことがないので知らないのだが、銀河英雄伝説に出てくる「ヤン」という将軍は、モルトケがモデルだとのことである。なんでも、背が高く寡黙で戦争よりも文学を愛し、人生の前半においては特に輝かしい功績もない地味な男…。という設定がそっくりらしいのだが。どうなんでしょ。

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戦略論大系(3)モルトケ/片岡徹也・戦略研究学会

▼2012年02月12日

オスマン帝国はなぜ崩壊したのか/新井政美

E2128975.JPG 副題に「憂国のポエジー」と記載されている。西洋列強が躍進する前には、世界の中心とも言えるくらいの繁栄を誇った、オスマン帝国崩壊を語った本である。

 本書の冒頭に「トルコはヨーロッパか?」という問いかけがある。私としては「トルコ」はヨーロッパに含めてもいいかもしれない。しかし「オスマン」はヨーロッパでは無いという認識だ。
 トルコとオスマン、何となく用語がごちゃごちゃになるが、基本的にこれらの言葉は、民族的にも国家的にも同一として認識してもいいと思う。ただ、昔はオスマン、今はトルコであり、そこに住む人達の気質は変わらないかもしれないが、西欧から見た国家としての体裁は大きく違う、という認識なのかもしれない。

 その国家の崩壊は、日本で言う江戸時代の始まり頃からスタートする。ウィーンの占領に失敗したオスマンは、その後躍進する西欧列強のプレッシャーをまともに受けながら、徐々に領土を割譲される。その中でも、当時のオスマンは、内部にイスラム教とキリスト教を含みながらも、極めてリベラルでフェアな国家運営を目指してゆく。それは、当時の西欧社会が目指していた進歩的国家体制の実現だったのかもしれないが、いかんせん時代が早すぎた。
 当時のヨーロッパは、内政的には王権から民主政治への動きでもがいていた中、対外的にはまさに「血に飢えた狼」状態であり。当然ながら東欧に進出しようとするフランス、オーストリア、プロイセン、そして南に活路を見いだしているロシア達の餌食になりつつあった。
 そういった地理的・文化的両面から東西の交差点に位置していたオスマンは、西欧各国のパワーバランスをうまく利用したつもりで危うげな対外外交を行ってきたが、結果として、ボスニア・ヘルツェゴビナは独立し、ギリシアも分離し、北ではルーマニアやセルビア、ブルガリアまでが半ばロシアの衛星国として独立してしまった。そして中東でも世界大戦後には、イラク、シリア、イスラエルなど、アラビア半島大部分の領土までを失ってしまう。

 個人的にトルコと言えば、戦略級シミュレーションの傑作と言われた、Avalon HillThird Reichのトルコ軍を思い出す。確か記憶では、赤地に黒で印刷されたユニットで、海軍戦力はほぼ皆無だったが、陸軍戦力はそこそこの数を持っていた。しかし、様々なルールでそれらの戦力を集中運用できず、結局なんのために存在してるのかよくわからない軍隊…という印象だった気がする。
 第二次世界大戦当時は、本書の内容からは外れる話ではあるが、なんとなくそういった国内の混乱をまとめきれないまま現在に突入してしまったのが今のトルコなのかなと、読後にはそんな印象を持った。

 ギュルハネ勅令の発令と、その後の近代化を目指すオスマンの姿は、同じ時代日本が必死に近代化しようとしていた時代にも重なり、何となく他人事には思えないエピソードが満載。トルコ人は親日家が多いらしいのだが、それは、同じような時代に西洋列強に対抗するために近代化を目指し、日本が成功を収めた影で、多くの領土を失いながらも国家として独立を保つことが出来た自らの歴史にある種の理想を重ねているからかもしれない。

 それと全く余談だが、少し前に読んだ「カザフ遊牧民の移動」という本で、何故トルコ人がカザフ人達をあそこまで親切に受け入れたのか…という理由が明らかになって通じた上でも、本書を読んだことは私にとっては非常に有意義だったと思う。

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ブローデル/地中海

_2108807 会社の近くにある古本屋(といっても日本一の古本街の一角ではあるのだが)で、セット売り10,500円で売りに出ていて、数日悩んだあげくつい買ってしまった(笑)。読まなければいけない本が貯まっているのになぁ。

 きっかけは、今の仕事で「地中海」関係のWebサイトについて企画していることから。なんとなく地中海についてググっていたら、この本にヒットしましたという訳。

 ブローデルの「地中海」は、歴史書としては古典ながらも当時は革新的な視点をもって描かれた書として有名だった。日本では藤原書店が頑張って翻訳版を出していたが、昔は一冊6,000円以上(だったと思う)した上に全5〜6巻だったはずだから、金銭的にとても手が出る本ではなかった。
 私も何度か本屋さんで立ち読みをしたが「読んでみたいけど高いよな〜」と思って手を出さずにいた。かといって図書館で借りてはみたものの、借り物の本ってのはあまり気合い入れて読まないものなんだよね〜。ちょっと読んで返却してしまった覚えがある。

 さすがに藤原書店側もちょっと高すぎると感じたのかどうか知らないが、その後に発売されたのがこの「藤原セレクション版」。全10巻で一冊1,200〜1,800円前後、税込みで全て集めても2万円弱で読破が可能ということで、それなりに売れたのか、安すぎて採算が取れなかったのか、割とすぐに絶版になってしまい、今では「普及版」という、あまり普及価格でもない4,000円前後、全5巻というボリウムでまとめられて出版されている。

 内容としては、かつての「人物・事件」を中心とした歴史記述ではなく、地中海という地域と気候、その他環境から生み出された歴史という視点で描かれたのが斬新であったらしい。
 私も試しに1巻だけ読んでみたのだが、なるほどなるほど…地中海はそのほとんどが山と接しているってのも、言われてみて改めて気がつく事実だよね。その沿岸部のほとんどは切り立った崖などで構成されている地域が多く、不覚にも地中海と言えばエジプトやベネツィアの平地に面した海を何となく想像してしまっていた自分はいきなり出鼻をくじかれた感じ。

 環境から歴史を語る視点というのは、日本では各民族学者達や網野氏を始め、その他在野の優秀な歴史家が沢山いるので、私的にはこの視点には馴染みすら感じてしまうのだが、西洋で、しかもこの本が書かれた1949年では斬新な考え方だったのかも知れない。
 歴史書の古典ということで、何となく難解な内容を想起してしまいそうだが、少なくともセレクション版の1巻については、地中海をまるで空から眺めて飛行しているかのごとく、発見と驚きの連続でドキドキしてしまう内容だった。

 今では自腹で購入して全て読むには2万円弱のお金がかりますが、普及版の1巻だけでも読んでみるのもいいいのではないか…と思いましたよ。自身の中の、地中海沿岸とイタリアの歴史感が少し変わるかも知れません。

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地中海(1)/フェルナン・ブローデル
地中海(2)/フェルナン・ブローデル
地中海(3)/フェルナン・ブローデル
地中海(4)/フェルナン・ブローデル
地中海(5)/フェルナン・ブローデル

君はラビットスバル・RS-3という三輪車を知っているか?

E2118968.JPG 超レアな写真集。購入場所は久しぶりに出かけた東京は四谷のアローカメラ。というか、お店のブログでこの本の販売を知って、慌てて買いに行った訳だけどね。ちなみに私が購入した分で最後でしたので、もう買いに行っても在庫ありません(笑)

 この車については、私も存在は何かで知っていたのだが、レストアされた現車が存在するとは知らなかった…というか、試作で破棄されていた状態のものを引き取ってレストアしたのが、この車だそうである。

 私が知らなかっただけで、最近は旧車イベントなどに結構出場しているようだね。こういう変態旧車大好きな私だけど、あまりイベントとかには出かけない方だから、よく知りませんでした。調べてみると2011年の秋くらいに発売されていた雑誌「Old Timer」でも特集されていたようだ。

 見た目のスタイルも奇抜な所ながら、この車(?)最大の特徴は、前輪のトレッドが可変であるという点。量販品が無いので実際どうするつもりだったのかは何ともいえないが、速度によって自動、もしくはスイッチで、前輪のトレッドを拡大することが出来て、カーブなどでの転倒を防ぐと共に、車庫に入れる時はコンパクトになるという、現在のサスペンション設計者が聞いたら腰を抜かすようなアイディアが盛り込まれている。
 私は勿論経験が無いが、この当時の3輪自動車というと、交差点などで結構“コテン”と転ぶことが多かったらしく、特にトラックタイプの三輪車だと起こすのが大変(そりゃそうだろうな)だったらしい。ま、ある意味のどかな話ではあるが、そのような事態を想定して対策しちゃう所が、元中島の技術者集団変態スバルらしい話でもある。

 このラビットスバル、今は故郷の群馬県太田市で公開展示中らしい。いつまで展示しているのか知らないが、一度見に行ってみたいなぁ…と思っている。それと、今年は旧車系イベントにも出かけるようにするかな。

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▼2012年02月01日

ダフニスとクロエー/ロンゴス

E1312801.JPG 白状します、こんなギリシア文学の古典をいきなり読んでみた訳は、写真にある萌え萌えなイラスト見たからです。
 このイラストは「萌える名作文学」という本に紹介されています。古今東西の古典小説を中心に、ヒロインを萌えの視点で見直したという…今流行の萌える○○読本シリーズですな。この世で萌えられないジャンルは何も無いね(笑)

 ということで、この萌えイラストに参ってしまった私は、たまには古典もいいかなと思って、ゾンアマで岩波文庫版を注文しようとしたら、どうやら絶版のようで、プレミアまでは行かないけど微妙な値段で取引されています。
 ま、岩波の文庫なら、BOOKOFFを何軒か回れば手に入るかな?と思ったのは甘ちゃんで、家の近所から都内の大型店舗まで何軒か見て回ってもまるで売っていない…というか、BOOKOFF行く度に余計な本がどんどん増える体たらくなので、ここは意を決して、今勤めている会社を抜け出し、近所、神保町の古本屋街へ。そこで絶版岩波文庫の在庫に定評がある@ワンダーというお店でようやく在庫を発見しました。

 お値段は1,050円。ま、絶版だからね。ちなみに私が買った版は1987年発行の第一刷。定価は350円だけど、物価の上昇率を考えれば…って事はないかな?いや…1987年当時の日本はバブルだったし、むしろあの頃より社会はデフレ気味。そう考えると、いくら絶版とはいえ割高な買い物だったかもしれん。

 で、前置きが長くなりましたが、読んでみるともう…ね、

「きっと今のわたしは病気なんだろうけど、どんな病気なのかわたしにはわからない。痛みは感じるけど、傷なんかどこにもない。つらい気持ちだけど、羊は一頭だって減ってはいないわ。こんなに深い木陰に坐っているのに、からだが焦げるように暑いとはねえ。茨の棘がささったことは何度もあったけど、泣いたことはなかった。蜜蜂に刺されたことだって何度あったかわからないほどだけど、ごはんはちゃんと食べられたわ。でも今の私の胸を刺すこの痛みは、そうした時のどれよりも激しいの。ダフニスはたしかにきれいだけど、花だってきれいだし、あの人の笛の音は美しいけれど、鶯の声だってそれに負けやしない。それなのにいまのわたしにすれば、そんなものはみんなどうでもいいものばかり。あの人の笛になって、あの人の息を吸えたらどんなにいいだろう。それとも山羊になって、あの人に飼ってもらえたら…。水だって意地悪ね、ダフニスだけをきれいにして、私が水浴びしてもなんにもならなかったのだから。」

 とかもう、今風に言うとメンヘラ少女的な恋心というかヘンタイ妄想爆発のイタい喪女みたいな感じです。でもクロエーたんは美少女なんだけどね。

 つー感じに、全編にわたりダフニスとクロエーがいかにお互い好きかを延々と語りやがり、読み進めるにつれリア充爆発しろと叫びたくなりますが、古典の割には翻訳がいいのか元の文章が優れていたのか、すらすらと読み進めることができます。
 あと、当然ながらふたりの間にはいくつか恋の障害があるのですが、一般的恋愛小説と違って、それらは割と簡単に解決してしまい、むしろダフニスとクロエーの人としての成長というか、エロ度のレベルアップが主体に話が進んでいきます…っていうか、一日に何度も接吻かまして、裸で抱き合って、それでもお互い何も無いってどういうことよ!リア充爆発しちまえ!(笑)

 といいつつ、やはり長く読まれてきた古典は古典。3世紀ギリシアの美しい風景の中の男女の恋物語という王道、たまにはこの世のヒネた視点を忘れ、素直で美しい感情に思いを馳せながら、若きふたりの命の営みを味わう文化的読書というのもいいものですよ。

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ダフニスとクロエー(岩波文庫 赤 112-1)/ロンゴス・松平千秋:訳
萌える名作文学 ヒロインコレクション/萌える名作文学製作委員会

▼2012年01月29日

カザフ遊牧民の移動/松原正毅

P1282665.JPG 久しぶりに面白い「自分が知らなかったこと」を読ませてもらったと思う。
 この本は遊牧の民であるカザフ人が、近代の国家・国境という波の中で自らの住む場所を失い、放浪の旅に出る…具体的には中央アジア、アルタイ山脈南にある「チンギル」という地域から20年をかけてトルコへと移住するまでを描いたドキュメントである。

 昔から中央アジア一帯は、モンゴル人の遊牧生活でのイメージにもある、広い草原を移動しながら生活していた人達が暮らしていた。それが、ソビエト連邦、そしてモンゴル人民共和国の成立、そして中華ソビエト共和国の成立が重なる時代から、彼等の生活は圧迫され始める。

 何も無かった草原地帯に国境線が引かれ、越境の自由を奪われることと、また近代国家(特に社会主義思想では)では、定住しない人々の存在は望ましくないとの考え方から、徐々に彼等の遊牧範囲は狭められ、また民族としての弾圧も行われるようになる。そのなかで、カザフの人達は自らの生活を守るために長い旅を始める。
 中国の領土からモンゴル領内へ、そしてモンゴル領内ではモンゴル軍の攻撃を受け、再び中国青島省に入ると、今度はその地域の馬歩芳という支配者より圧力を受け、彼等は逃げるようにチベット高原に向かう。

 チベット高原横断の下りは、この物語のクライマックスであろう。気温零下30度以下の永久凍土の上を、当然遊牧のための食料も無く、高山病への備えも無く、途中で散発的に襲ってくるチベット軍から逃げながら、カシミール地方へとたどり着く。

 カシミールでは彼等の難民としての扱いをどうするのか、カシミール行政局とインド政府、イギリス総督府などで責任のなすりつけ合いをしながら、結局カザフへの支援はほとんど行われなかった。
 その為、彼等は自力でカシミールの急峻な山脈を越えムザファラバードとタルナワにたどり着く。カザフの集団が街に入ることを恐れたカシミール行政局は、ここでようやく動き始め、彼等にテントを張る場所として屋外の収容所を与えた。しかし、その収容所は、高い気温と湿った土壌、適切な医薬品の不足のため、マラリア等の伝染病によりバタバタと仲間が死んでゆく。そして、その後に移動したペシャワールで、ようやく彼等に対する支援が少しずつ動き出した。

 その当時は、インドはイギリスからの独立を果たし、またパキスタンの分離独立と領有権でもめていた時代である。そんななか、遙か国境を越えてペシャワールにたどり着いた同胞のイスラム教徒(カザフ人はイスラムである)の支援についても、どことなく政治の匂いがするが、それでも、ようやくパキスタンへたどり着いた所で、彼等はひとまず命の心配から逃れられたとも言えるだろう。

 その後は、たまたまバイクでその地を訪れた新聞記者の口利きでトルコへの移住話が持ち上がり(ホントかな?)、ペシャワールで暮らしていたカザフの民は、トルコを目指すことになるのだが、そちらは冒険と言うより政治的な話になる。

 結果として、彼等はトルコで安住の地を見つけた訳だが、トルコでは主に皮革業に従事することとなり、一定の成功を得た人もいたようだが、そのかわり遊牧生活には終止符を打っている。既に陸地には無数の国境線が走る現在では、遊牧という生活はもう成り立たないのかもしれない。

 ただ、この話を「近代の政治に翻弄された遊牧の民の悲劇」と理解してしまうことにはやや抵抗がある。おそらく筆者も、そういう視点でこの物語を記したのではないだろう…と思う。
 特に、本書前半に描写されている、戦乱と逃亡、時には襲撃を伴う生活は、古来より行われてきた遊牧生活そのものの姿なのだろう。そういう意味で、本書で描かれているカザフの姿は、国境が無かった時代の遊牧らしい遊牧民最後の、リアルな記録を参照できた貴重なドキュメントではないかと感じた。

 本来の遊牧民の姿、そしてあまり語られることが無かった20世紀初頭の中央アジアの政治状況、そしてイスラムの人達の心温かさ…様々な視点から楽しむことができて、やや高価ではあったがとても面白い本であった。価格に抵抗を感じる人は、図書館で借りて読んでみるといいかもしれないね。

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▼2012年01月22日

ドゥーエ/制空

E1222791.JPG 軍事マニアではないとあまり馴染みがないと思う。ドゥーエとは、20世紀初頭にイタリアで活躍した軍人で、軍事思想家でもある。

 当時、第一次世界大戦で使われ始めたばかりの「航空機」を、本格的に軍隊のシステムに組込み、その作戦は陸軍や海軍の補助的な役割では無く、明確に独立して作戦を立てる組織を作らなければならない。つまり「空軍」という組織が必要である…と訴えた人であった。

 いまでこそ「陸・海・空」の3軍体制は先進諸国では常識ではあるが(アフリカの最貧国だと「空軍」をもてない国軍もある)、第一次世界大戦が終わった当時、航空機を独立した組織の元で運用する…という考え方は、反対というか多くの人は気がついていなかったのではないかと思う。

 空では、既にフォッカーを操るレッドバロンと呼ばれたリフトフォーフェンが撃墜王として活躍していた第一次世界大戦当時ではあったが、ワイヤーと布貼りのボディや主翼をもった飛行機が主力戦闘機として残っていた時代である。戦略爆撃などという思想は、確かに散発的にはドイツ帝国のゴーダGなどで行われたことがあるが、極めて限定的、実験レベルを超えない、作戦などとは呼べないレベルの話であった。

 その時代、ドゥーエは明確な「戦略爆撃団」を思想し、その運用母体としての「空軍」を組織することを呼びかけ、また、敵国内を自由に飛べる権利を戦争の初期段階で奪い取る「制空」という概念を確立した。その論文の翻訳が本書である。

 内容的には当然古い部分、現在の情勢には合致しない部分は沢山ある。特に対空攻撃兵器の進歩について、ドゥーエの予測は、その当時の技術の情勢にも通じていないように感じる。また、当然レーダーなどという近代防空設備は予想も出来なかったのだろう。

 しかし、戦争初期の段階でまず敵国の空を支配し、護衛機と多数の戦略爆撃機(ドゥーエは航空戦力は基本的に戦略的だと語っている)で敵国の奥地に進入し、通常爆弾・焼夷弾・そして毒ガスで構成された戦略爆撃を行えば、その被害は甚大な上、敵国民の士気を多いに削ぐことが出来、戦争を短期で収束させることが出来る…という思想は、彼が考えたほど楽観的では無いにせよ、第二次世界大戦でアメリカ軍が行った戦略爆撃、そしてその後のベトナム戦争(成功ではなかったが)、更に世界史上でもっとも成功したといわれる作戦、湾岸戦争・イラク戦争でも遺憾なく発揮されている。

 現在のアメリカ軍は、まず敵国の空の自由を奪い、航空優勢(現代戦では「制空権」とはいわない)を維持した上で、GPSを使った精密誘導弾で敵国軍の活動の自由を奪う。その上で圧倒的な火力をもった陸上部隊が、敵の航空兵力による奇襲を恐れる必要なく、自由に活動し侵攻し拠点を占領してゆく。正にドゥーエが100年近く前に描いた「空軍」による制空戦略そのものである。

 私達の日本も、ドゥーエの戦略空軍思想に敗退したと言ってもいいかもしれない。というか、本土による陸上決戦を行わず、空からの攻撃のみで日本はアメリカに屈服した訳であり、仮にその当時ドゥーエが存命だとしたら(彼は第二次世界大戦勃発前に死去している)、同盟国の敗退とは言え、自説の正しさを確信することが出来たであろう。
 ちなみに、空の作戦だけである程度の規模を持った国家が屈服した例は、今のところ太平洋戦争における日本の敗退しかない。ドゥーエが思い描いていた通常爆弾、焼夷弾、による戦略爆撃、毒ガスに代わり核が使われた部分は、制空を執筆した当時は考えも及ばなかったであろう。

 現在、空の戦力は大規模な戦略爆撃から、少量の精密誘導弾で確実に敵の拠点を破壊するやり方に変わってきている。また、レーダーに移らないステルス機の出現は、かつてドゥーエが考えていた「飛んでしまえば地上からの索敵は事実上不可能に等しい」という、100年前の空に近づいてきているようだ。
 都市を大規模に爆撃し敵国民を恐怖に落とし入れる作戦は現在では実行しにくくなりはしたが、先進国は、敵国の空を支配し、その上空を自由に作戦を行う権利を奪取することをドクトリンとしている事に変わりは無い。こんな時代だからこそ、空の作戦の基礎となった「制空」は、もっとたくさんの人に読まれるべきだなと思った。

 残念ながら、この「制空」については、戦前に日本軍が教本用として『制空と将来戦』として訳された例があるだけのようだ。私も日本語訳になっているとは最近まで知らず、ふと、この「戦略論大系」という書籍のシリーズに収録されているのを知ったばかりである。

 日本では軍事に関する書籍・リソース全般が諸外国に比べ圧倒的に不足しているらしいが、そんな中で地道に軍事思想の古典を翻訳してくれる出版社には頭が下がる。少部数発行みたいなので割高だが、空の作戦に興味がある人は、読んで損はしない内容の濃さであった。

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戦略論大系(6)ドゥーエ/瀬井勝公・戦略研究学会

情報の呼吸法/津田大介

E1222790.JPG ツイッター王子でお馴染み、津田大介氏の新刊です。

 ザックリと読んでみたのですが、面白かったです。ツイッターのいい所は「誤配」というのも面白い視点で、それがある種可視化しやすいのが、逆にメディアとしての信憑性を高めている…というのが私の持論だったのですが、概ね彼も同じような事を考えているようです。

 みんなが割と適当なことを思って書いて、基本はそれを眺めているだけなんだけど、面白いと思った情報は拡散していくし、間違いはRTで訂正されてゆく、そういうメディアのいい意味でのリテラシーがリアルタイムで起きてゆく所がツイッターの本当にいい所だと思いますね。この気楽さは、ブログは当然、FacebookでもGoogle+でもあまり得られないことかなと。

 それと、彼が「政治」のメディアに取り組みつつあるという話が出ていて、私は応援したいなーと思います。つかね…みんな日常で政治を語らなすぎ。「ブログで政治ネタはタブー」なんて言われてることと自体、日本の有権者は為政者から馬鹿にされているんですよ。

 喜楽に読める分量の割に、普段主にネットで情報を得ている人や、ツイッターやら何やらのSNSを使ってる人は、読んでみてもいいかと思います。つか、直接会える仲の人なら、私は読み終えたので、事前に言いつけて頂ければ、この本差し上げますよ(笑)

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▼2012年01月09日

知らぬ間に漫画デビューしていた(笑)

 いやまぁ…それだけのことなんですけどね。

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 ぶんか社から発売されている本当にあった笑える話という「山モコ」という漫画内の一コマ。山ガール目指す皆さんにとっては、山の楽しさと辛さがストレートに描いてある漫画なので、皆さんも読んでみてね。

 ちなみに、実際の自分はこんな可愛らしい感じじゃなく、もっとヒネた顔してるぜ(笑)

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ジョブズ伝説/高木利弘

20120109_01.jpg 今出版界ではジョブズ本バブルで、よく見るとこれジョブズ関係ねーんじゃ…という本まで散見されるようではあるが、こちらもそんな本の一冊かと思っていたら、なんとあの「MAC LIFE」を創刊した高木氏による著作ではないか!こいつはただの便乗本ではなさそうだと思い、早速買って読んでみる。

 当然ながら、内容は伝記のスティーブ・ジョブスと被る部分が多いのであるが、こちらの本はもう少し製品寄りというか、公人としてのジョブズについてフォーカスしている内容となる。様々な著作からの引用も多く、伝記版ジョブズからの引用もあり、より精緻にAppleとジョブズという人間の功績を追って行こうという姿勢なのかな?

 むしろ、今回の死去により、初めてジョブズという人間に興味を持った人は、こちら側の本を先に読んでから伝記にチャレンジした方が、内容がわかりやすいかもしれない。 

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ジョブズ伝説/高木利弘

▼2012年01月08日

自然の観察/昭和16年:文部省著作・発行

20120108_01.jpg 農文教から発行された、戦前、昭和16年に旧文部省から発行された、教師向けの理科指導要綱をまとめた本。

 専門書ではあるが、何となく立ち読みしたら、その内容の素晴らしさにビックリして思わず購入してしまった。

 カバーの裏折りには“「自然の観察に教科書は不要。強いてつくれば教師は教科書で指導して、子どもを屋外に連れ出すことをしなくなる」という趣旨から、教師用書のみを作成。”とある。

 内容はもう、指導書と言うよりはもはや文学と言いたくなる素晴らしい文章も、例えば第20課「とり入れ」では、

 このころの特徴ある野山の情景には、高く澄みきった大空や、田の面を伝わる黄金の波、みのった穂のおもおもしく垂れた様、ひびく鳴子に飛び立つぬむらスズメ、快く響き渡る脱穀機の音、せっせと働く村人の姿などがある。これらの情景に接しさせて、児童の心にみのりの秋を印象づけるように努める。

 などと、まるで農村の情景が目の前に広がってくるような名文だ。他にも季節毎の草花、虫、鳥、動物などへの記載も、目の前に季節の風景が思い浮かんでくるような書き出しから子ども達への指導について書かれている。

 こういう身近な自然への知識は、子ども達だけではなく、私達大人もすっかり忘れてしまった部分が多い。私も読み進めるにあたって「なるほどなるほど…」と思いながら読ませて頂いた。そして、一度読んでおしまいではなく、季節毎に該当の章を読み直してみようかなと思っている。

 この文章は戦前の日本で書かれた教科書。しかし、内容には軍国的・全体主義的匂いは全く含まれず、ただ目の前の自然に対して謙虚に科学的に観察されている姿勢は、戦前の学校教育へのイメージを覆す進歩的なものだった。このまま今の学習指導要綱に使ってもなんの問題もない、とても濃く、美しい指導書だ。

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復刊・自然の観察/文部省:日本初等理科教育研究会・日置光久

▼2012年01月05日

人生がときめく片付けの魔法/近藤麻理恵

20120105_01.jpg きっかけはこの記事を読んだことだったんですけどね、面白すぎますこの本。

 片付けのヘンタイ、片付けヲタクを名乗るだけあって、部屋のお片付けに対する情熱というか、本当に好きなんだなあ…というのがストレートに伝わってきて、部屋片付けるつもりない人でも、単に読み物として面白いです。
 著者が子供の頃の、片付けにまつわるはちゃめちゃな生活も実に楽しかった。

 ときめくか、ときめかないか

 が、モノを捨てる基準だそうで、ある意味判りやすく、判りにくくもありますが、ガラクタに囲まれて暮らしているのが落ち着くワタシにとっても、ストレートに伝わりました。実際に読後、ちょっとやってみようかなと思って、大きな段ボール一杯分ゴミを出しましたから。

 しかし、片付け好きが興じて家中のお片付けをしたあげく、

当然ながら家族から大変な非難と抗議を受けた末、ついに私に「片付け禁止令」が言い渡されました。

 とかすごいよね。大体、家族から片付け禁止令を言い渡される女の子なんて、世界でもこの著者くらいなんじゃないだろうか。

 片付けのヘンタイが語るだけあって、従来お片付け本のぬるさと違い「片付けは祭り、一気に短期に完璧に」とか「捨てるを終わらせるまでは収納を考えてはいけない」とか「片付けしすぎで病院に搬送されました」そして「片付けは嘘をつかない」とか、キャラ立ちまくり。
 この著者、巫女の経歴もあり、お若くて可愛らしいお姿なので、正直アニメ化すれば、新ジャンル「片付け」という萌え路線でも勝負できるのではないかと思うくらい(笑)。じゃんじゃん捨てまくりながらも、モノへの愛情が満ちあふれているのも好感度高いです。

 ま、綺麗な部屋に住むのも、いわゆる“汚部屋”に住むのも、人それぞれではありますが、お片付けが目的にすり替わってるような本が多い中、本当の人生は片付けが終わった後に始まる…とか、不覚にも目頭が熱くなるようなまとめもあり、さすがベストセラー、よく出来ているなーと思いました。

 部屋の片付けなんて興味ない…って人にも、とにかく面白かったので是非。

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▼2011年12月31日

レーシングカー|その設計と秘訣/レン・テリー:アラン・ベーカー

20111231_01.jpg 1975年に出版され、そのあとがきにですら「原書(英語版)が出版されてから1年以上経っているので内容は色褪せている」との断りがある。しかし、レーシングカー、いや、あなたの車がどんな風に設計され、どのような狙いで作られているのかを知るのには、非常に勉強になる本。

 この本、二玄社では既に絶版で、古本屋を探すしかないのだが、先日ブックオフで偶然発見!速確保。購入後近所のスタバに駆け込み、速、読み始めた。

 勿論、この本に記されている内容は、自動車設計者からすれば、基礎中の基礎で、専門家にとっては既知の内容ばかりなのかもしれない。ただ、私達一般のクルマ好きが読むには、内容も理解しやすく、また、1960〜70年代のレースが好きな人にとっても、その雰囲気が伝わってくるようで、ワクワクする。

 チャップマンストラットの利点と改善点、また、幅広タイヤ時代になり、WウィッシュボーンAアームはどうしてオフセットするようになったのか、オーバーステア気味のクルマを小改良でアンダーステアに調整するにはどうするのか…などなど、レースの実践の現場や、また、自動車のアナログ部分の作動原理が判りやすく理解できる。車の運転に興味がある人に広くおすすめできる内容だ。

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レーシングカー|その設計の秘訣/レン・テリー:アラン・ベーカー:武田秀夫

▼2011年12月28日

楽しい写真/いしたにまさき・大山 顕

20111228_01.jpg 白状しますが、渋谷のブックオフで購入しました。「謹呈」の栞が挟まったままで…みんなたるんでるよ!と言いたくなりますが、ま、いいでしょう。
 著者はブロガーでおなじみのいしたにまさき氏と、団地写真などで有名な大山 顕氏です。

 ということで、副題にはソーシャルメディアがうんたらかんたらとありますので、いわゆるデジカメで撮影した写真をネットに云々とい本かと思っていたら、大山氏の写真についての記事が、思ったよりも為になったというか、我が意を得たり!と思って、かなり面白かったです。

 自分は、いわゆる「銀塩」時代の写真表現と、デジタル時代の写真表現というのはかなり違うはずだ…と思っていて、写真をそういう視点から定義しているメディアは、既存写真+カメラ雑誌、デジカメ雑誌を見てもなかったのではないかと思っています。というか、絞りとシャッター速度と露出補正と構図…とか、デジタルの時代にはそんなモノに縛られる必要はないんですよね。

 かくいう私も、これは銀塩時代から心がけていた事なのですが「写真ぽい写真を撮りたくない」とはずっと思っていまして、被写体や構図的に安定した写真よりも、その場を記録した像がほしいんだよなぁ…とずっと思っていて、だから、初めてデジカメを買った時はもう嬉しくて仕方なかったです。それこそ現像代を気にせずに「へんなもの」を撮ってもいい訳ですから。

 その他、写真は公開されてこそ生き残る…というのも、ネット時代というかクラウド時代の新たな価値観かもしれませんね。本書を読んで、自分もあまり活用していなかったflickerへ大量に写真をアップしたのですが、そうすると、今まであまり反応がなかった自分の写真にも、★を付けてくれたりコメントくれたりする人がチラホラ出てきて、プロアカウント取得しちゃうか!と思っている最中です。

 勿論、従来の価値観における名作写真やアートな写真というのは、全く価値を失っていない訳で、それはそれで、また違った位相の写真の楽しみ方として残っていくのでしょう。
 ただ、デジタルカメラを使った写真の楽しみをこんなにわかりやすく解説してくれる本は珍しいのではないか?と思って、広く皆様に読んで頂きたいと思う次第ですよ…なんて、ブックオフで買ってあまり偉そうな事も言えませんが(笑)

 ちなみに、私は写真家さん達について、あまり知識がないのですが、知っている程度に好きという写真家は、ミーハーですが森山大道、そして、私が密かに目指したい写真の境地というのは、宮沢常一だと思っています。彼が日本中をオリンパスペンで撮影した写真は、芸術性は全くありません。ありませんが、あの日のあの場所をありのままに記憶に残すそのスタイルは、本当に見習いたいなと…。

 今はデジカメの起動も速くなったし、バッテリも長持ちするようになりましたし、大体フィルムに当たるメモリカードは、GB級が1〜2,000円程度で売っている時代です。迷うくらいならシャッターをバシバシ切って、どんどん何処かに公開しましょう。きっと、それはデジタルとネット時代に生まれた新たな写真の楽しみ方なのですから。

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▼2011年12月27日

愚管抄を読む/大隅和雄

20111227_03.jpg 愚管抄とは、鎌倉幕府成立初期に慈円という僧により書かれた歴史書。神代から承久の乱当たりまでを記した歴史書。この書が承久の乱以前、以降に書かれたかについては、どうも明確な結論は出ていないようである。

 この「愚管抄」が、歴史書として異質なのは、慈円が第三者的視点で正確な歴史を記そうとしたというより、歴史を印ながら世の「道理」をテーマにして書かれているのではないか?と言うような点にある。この辺の解釈について、私は学者ではないので何ともいえないが、そのように感じている。

 内容は難解で、そもそも「愚管抄」の現代語訳を読んでから本書に手を出すべきであったのかもしれないと、ちょっと反省しているが、中世日本のなかで、僧によって起こされた歴史書という特異な雰囲気は何となく伝わってきた。
 機会があれば、本書の著者による「愚管抄」の現代語訳があるそうなので、読んでみようかなと思う。

 さて、くるくると首相が交代し、公務員による腐敗を全く解決できない今の時代、慈円の言う「道理」はきちんと存在しているのだろうか。

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オオカミの護符/小椋美恵子

20111227_01.jpg 関東の武蔵野地方でよく見るオオカミの貼り紙。実は私も以前何処かでこの貼り紙を見たことがあり、確か写真を撮影していたと思うのですが、探し当てられませんでした。秩父方面の山に行った時だったと思うけど…。

 舞台は神奈川県川崎市宮前区土橋。今では東急沿線沿いたまプラーザ駅も近く、すっかりセレブ…まではいきませんが、大企業正社員生活安定の幸せ勝ち組さん…達(笑)が住む町に変貌していますが、この辺り、本格的宅地開発が始まる前は、武蔵野台地の一角としてのどかな田園風景が広がっていました。そこにあったオオカミ信仰を追っていく書となります。

 この「オオカミの護符」元々はドキュメンタリー映画だったそうです。本書はその書籍化となり、映画の内容を文章で紹介、補完した構成になっているみたい。ま、映画の方は見たことがないのでその辺は何ともいえませんが、本書を読み終えた後、映画の方も是非見てみたいな〜と思いました。

 ちなみに、私も埼玉の端っこに住んでいる身ではございますが、残念ながら自分が武蔵野文化圏に属していると意識したことは一度もありません。よく、関東圏の中世文化は「武蔵野」とひとくくりにされる事が多いですが、おそらく大宮の見沼田んぼ当たりを境に、武蔵野圏と江戸川文化圏に別れるような気がしています。例えば、長塚 節が描いていた「土」を読むと、いわゆる武蔵野文化圏とは全然違うよなぁ…なんて気もしています。

 話はずれましたが、読んでみると映画も是非みたくなりますね。本書の出版を記念して何処かで上映会でも開催されると嬉しいのですが、今のところ、作品を鑑賞するには、ささらプロダクションの直販DVDを購入する以外になさそうです。

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オオカミの護符/小倉美惠子
土(新潮文庫)/長塚 節

▼2011年12月26日

ツール・ド・フランス 勝利の礎/ヨハン・ブリュニール

20111226_03.jpg ランス・アームストロング、ツール7連覇の立役者、ヨハン監督の本です。過酷な自転車レースを勝つための練習方法やエピソードが満載!

 といいつつも、自転車ファンにとっては少し薄口かもしれません。ツールを制するための作戦が系統立てて語られているというより、様々な局面での印象的なエピソードを語っているエッセイ集に近い。タイトルから想像するような、ツールでの采配ロジックを期待するとちょっとハズレで、最強ロードチーム監督の人生論として読めばかなり面白い、という感じでした。

 その分、自転車マニア以外の人にも広くお勧めできる内容です。この本が沢山売れて、日本でもロードレースがもっとメジャーになってくれると良いなと思いました。

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ツール・ド・フランス 勝利の礎/ヨハン・ブリュニール

備えよ!!ロジスティクス・サポートとは何か!/矢澤 元

20111226_01.jpg カンプグルッペ・ゲンブンって、小林源文が立ち上げた出版社なのかな。とにかく、原文タッチの表紙イラストが目を引く「備えよ」という本。ロジスティックを解説している本だそうです。

 ロジスティックス…という言葉は、確定した翻訳語はないと思いますが、日本語では主に「後方支援活動」みたいな意味でとられることが多いようです。こちらの意味が間違いだということは、軍事評論家の江畑謙介氏も指摘しておられ、また以前には自分もこのブログで紹介しています
 私としては、いきなり本書を読み始めるより、江畑謙介氏の「軍事とロジスティクス」という本を読んでからだと理解が早いと思います。本書では、当然ながら戦時でのロジスティックスにも触れていますが、普段の商業活動で大切になる可動率と稼働率の違いと、それを上げるための工夫についてもフィクションを交えながら解説しており、軍事的なことに興味がない人でも充分楽しめるというか、為になる内容です。となると、ちょっとネタモノっぽい表紙デザインが少しもったいない気がしますね。

 あと面白いのが、かつての旧日本軍、陸軍の暴走ばかりが叩かれがちな中、著者の矢澤氏は一貫して旧日本陸軍の合理性を評価しており、特にガタルカナル戦においての海軍のデタラメぶりを指摘しています。ま、どっちが悪いという事も無いとは思いますが、主に点と線で展開し、ある程度の補給物資を自艦の中に携行する海軍に比べ、補給物資は基本携行できず、全て補給部隊に頼らざるを得ない陸軍兵士の方が、その辺はリアリストだったのかもしれません。

 この辺の精神主義、旧日本軍は解体されましたが、社畜とその仲間達へ形を変え、今の日本にもしっかり受け継がれていますね。どうにかならないもんでしょうか。

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▼2011年12月20日

女子学生、渡辺京二に会いに行く/渡辺京二

20111220_01.jpg 「逝きし世の面影」でお馴染みの渡辺京二氏と、女子学生の対談本。本屋で見た時は「あぁ、女子大生と渡辺氏を組み合わせて作った安易な企画なのね」と思って、おおむねその通りだったのだが、それでも渡辺氏の質問に対する答えにはとても光るモノを感じて、思わず購入してしまった。

 はっきりと言わせてもらうが、本書で投げかけられる女子学生の質問は、非常に安易で今風に言えば「厨二病」的項目が多い。ただ、それが女学生…というか若者がその時代に真剣に悩む事が出来る特権でもあるので、ま、そういうものなんでしょう。
 で、そういう若者のある意味くだらない疑問に対し、安易に迎合して「私は若い人の心をわかってますから」的態度をとメディアが多いのに対し、渡辺京二氏は割とばっさりと、常識に沿って切り捨てる。

 例えば第一章にある「子育てが負担な私達」という疑問に対しても「子育てが大変なのは当たり前」とか「旦那が働くのは嫁と子供のため、自分のために働いてる男なんていない」とバッサリ。
 子育てについては不勉強ながら未経験なので何ともいえないが、世の中の男が何故あんなに必死になってサービス残業までして働くのかというと、嫁と子供のため以外あり得ない…ってのは、渡辺氏が言うまでもなく、自分も男だからこそ理解できる真実。
 だって、私を見るとわかるでしょ。適当に遊べる以上の金を欲してないし、自分のためにしか生きてないから仕事すぐ辞めるし(笑)。男なんてそんなもんだよ…自分で守るべき家族がいないとね。
 で、世の中自己表現のために働いてる男なんて何処にもいない中、何故か女はメディアの洗脳なのかなんなのかわからないが、日々の子育てに埋没した自分のアイデンティティが…みたいなことを抜かす。そういう風潮にも渡辺氏は、やわらかい口調ながらもぴしゃりと諭しているのがある意味清々しい。

 他、最終章にある「無名で結構」というのも、今の世代の人間達には再認識すべき言葉ではないだろうか。考えてみれば当たり前のことで、世の中全ての人が、自分の存在意義を実現するために生きている訳じゃないし、そんな事は絶対に不可能。「自分は社会に必要とされていない」という幻想も「自分を必要とする社会なんてそもそもない」訳で、世の中の99.999%以上の人間は、自分以外でも簡単に代替が効く存在でしかない。
 だからといって、好き勝手やっていいという話ではなく、つまり世の中というのはそういうモノで、「自分が将来何になるか」等という悩みは、日本でほんの近代…それもここ数十年の話だけで、その前は極一部のエリート階級以外は、なんの疑問もなく親の仕事を代々引き継いでいただけである。

 昔がこうだったから、今もこんな事に悩む必要はない…と言っている訳ではなく、そういう意味で歴史を学んだり、世の中の見識を広めることが、自己をより相対化して眺めることができ、多くの決断に対してより良い判断ができるのではないか…みたいな事は本書には書いていないが、渡辺氏の結論はその辺にあるのではないかなと思った。

 本書が女子学生の質問だから故に成立した訳は、今の世の中、男子よりも女子の方が生き方のオプションが多く、より悩まなければいけない事が多いからなんでしょうね。逆に男子の方は生き方のオプションがあまりなく、大学3年生頃ともなれば、大企業に滑り込むため必死である。
 あまりジェンダー論を語りたくはないが、近代社会はある種女性の生き方に多彩なオプションをもたらした社会でもあり、そこは男子よりも女子の方が、より勝ち負けがハッキリと区別されている社会なのだろう。

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逝きし世の面影(平凡社ライブラリー)/渡辺京二
女子学生、渡辺京二に会いに行く/渡辺 京二×津田塾大学三砂ちづるゼミ

▼2011年12月18日

磁力と重力の発見1/山本義隆

20111218_01.jpg 科学史を扱った本。

 古代より、重力はさほど意識されていなかったにせよ、ある意味目の前でわかりやすく不思議な現象をもたらす「磁力」に対しては、様々な考察がされてきた。
 そして、地球は丸いと知られていた古代において、私達が球体から落ちたりしない訳は、どうやら磁力に近い力が世の中に存在し、その力はあらゆる物質から放出されており、その放出された力に引っかかった時、モノとモノとは引きつけ合う…そんな感じか。ゴメン、割とながら読みだったので、その辺は違ってるかも。

 西洋世界における科学というのは、古代にギリシア世界で一度ピークに達し、その後ローマの土着信仰に取り込まれ、魔術やまじないと融合し、理論整然とした体系から衰退し始める。更に西洋人達は「キリスト教」という宗教にのみ込まれた時、世の中における科学的視点をほぼ失ってしまう。聖書が科学を否定していたとは思えないが、科学的思想が語られていないことについては、後の人類にとって一種の不幸だったのかもしれない。

 その後、ルネサンス期において、西洋人達は教会と対立しながらも、科学的視点を徐々に取り戻してゆくのだが、その先の話は次の2巻以降になる。正直、読んでいてちょっと退屈ではあったので、続刊を読むかどうかはまだ微妙。

 科学史とは関係ないのだが、当時のイスラム社会の寛容性に対する記述が印象に残る。
 中世ヨーロッパといえば、世界的にはまだ文明の先進地帯ではなく、科学は勿論、文化や経済力においても、イスラム圏に劣っていた時代である。その時代にイスラム諸国達は、ある程度の制約はあるにせよ、自国内でキリスト教やユダヤ教を信仰することを禁じていなかった。逆に現在、科学や文化、そして経済力を西欧社会が独占している時代では、イスラム諸国はかつてより不寛容になりつつある。

 つくづく、歴史とは今を見る鏡だなと思った。

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▼2011年12月11日

風の中のマリア/百田尚樹

20111211_01.jpg ヴェスパ・マンダリア、いわゆる、オオスズメバチが主人公の小説。

 ハチが主人公のお話しといえば、みなしごハッチなどが思い出されるが、そういう牧歌的な物語ではなく、主人公であり、ワーカーでもある「マリア」は、その生涯を戦いに明け暮れ、自らの運命に疑問を持たないリアリストでもある。

 あまり書くとネタバレになるので内容には触れないが、とにかく面白く、一気に読んでしまった。ちなみに帯にある養老孟司先生の解説では

「ワーカーは、現代で働く女性のように。女王ハチは仕事と子育てに追われる母のように。この物語は「たかがハチ」と切り捨てられない何かを持っている。

 とありますが、正直何を言っているのかわかりません。物語は徹底してリアリストとして生きる主人公の生涯を追ってゆき、その壮絶な生き様は、男性論とか女性論とか、ンな陳腐なものではなく、読む者に生きる事への意味をストレートに問いかけてくるような気がして、読後感が清々しく、また命についてもマジマジと考えさせられる傑作であった。

 虫嫌いで更に想像力豊かだったりする人にとっては、ちょっとエグい描写があるかもしれないが、本当にお勧め。1〜2時間でサクッと読める分量なので、通勤時のお供にもどうぞ。

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▼2011年12月03日

「フクシマ」論:原子力ムラはなぜ生まれたのか/開沼博

20111203_02.jpg まず始めに認識して欲しい部分は、本書はあの「フクシマ3.11」以前に書かれた文章だという点。しかし、原子力と地方を結びつける問題、そして原子力の近くで暮らしている人達の葛藤の描写などは、あの事故後においても色あせない、鋭い視点で描かれている。というか、フクシマ以前にも、原発関連の問題点を指摘した本は沢山あったが、本作以外であの事件以降でも通用する本はあまりないのではないか?そんな気すらする。
 本書では、そのような「原発と地方」という単純な対立構造ではなく、地方の抱える問題点、原発と暮らす人達の葛藤を描き出す。なかなかエキサイティングな文章であった。

 地方の村が発展し、いずれは都市と同様になるという幻想。戦後の日本社会とメディアは、無意識かもしれないが、そのような思い…あるいはそのような目標を日本の地方に植え付けてしまった。
 今はわらぶき屋根の田舎ではあるが、将来はコンクリートの建造物が建ち、道は真っ直ぐ綺麗に整備され、閑農期には出稼ぎに出る必要もなく、一年中家族が笑って過ごせる社会。言い切ってしまうには乱暴な面もあるが、しかし、バブル期の交付金で日本各地に建てられたハコモノ施設は、権力の癒着構造などでは説明しきれない、コンクリートへの憧れがあった部分は否めないだろう。

 話を福島に移せば、今福島県で原発がある地域は、かつて「福島県内のチベット」などと揶揄されていた場所。農地に使うには生産性が低く、また漁業を行うのにもまともな港が作れない…といった地域である。この地域は私も何度か訪れた事があるのだが、台地状の土地には松林が覆い茂り、付近の小さな浜を巡り争いが絶えず、戦後は日本で一番小さな漁港を作り苦労の末に運用せねばならなかった場所である。今は原発があるから産業があるけど、正直それがなければ何もないよな…と、あの当時も思った記憶がある。
 ちなみに福島県内でもう一方のチベットと言われていた檜枝岐地域は、戦後日本最大の水力発電所の建設に伴い、大幅な県民所得の上昇を達成した時代があった。その評判は、当時の福島県内でも知れ渡っていたであろう。あの当時、日本国民には原発に対するアレルギーもあまりなかったし、東京電力という日本屈指の大企業がオラが街に進出してくることを反対できる雰囲気ではなかったことは容易に想像できる。
 そして、その雰囲気は、あの3.11のちょっと前、世界で反原発が叫ばれていたあの時代でも同様であった。

しかし、なぜよりによって福島原発への恐怖から逃れてきた者が、わざわざ柏崎原発のお膝元に逃げるのか、疑問に持つ者もいるだろう。答えは単純だ。「それ」で喰ってきたからだ。

 この問題、感情的になるとつい「多額の交付金をもらってきたのだから今更被害者ぶられても…」「それみたことか、原発など受け入れるからこういう結果になる」「私達の電気を支えてくれた福島の人達が犠牲になることは許されない」などと語ってしまいがちではあるが、原子力の安全性・危険性・経済価値は別にすれば、都会と地方という、同じ日本国内ではあるが、その環境・価値観の違いを是正したいと夢を見る人達にとっては、ある種麻薬のような政策にも問題があるのかもしれない。そして日本の地方は、原発以外でも様々な助成金をもらっている自治体が今でも数多く存在し、その多くは、役割が終わったから終了しましょう…という議論すら許されない中にある。

 やや位相はずれるが、日本の都市化政策と、ある時点から突き放されたように語られるようになった地方自治。しかし、このシステム、この日本の中で、本当に「地方自治」なんて可能なのか?本書を読むに辺り、そのようなことも考えてしまった。

 装丁は、一定年齢以上のエディトリアルデザインを行ってきた人にとってはヒーローである「戸田ツトム」氏によるもの。以前の作品に比べると大分おとなしいというか普遍的なデザインになってきたが、彼の美意識は、このような社会問題を扱う書籍にはとても向いているなぁ…と思った。

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▼2011年11月13日

本音で語る沖縄史/仲村清司

20111113_01.jpg 沖縄の歴史と聞いて思い浮かべるのはどんなことであろうか。
 海の中にある平和でのどかな王国。江戸時代の薩摩による圧政、そして戦中の沖縄戦における悲惨な結末…どれも間違いではないが、どうも「沖縄の歴史」というフレーズで語られる言葉には、何らかのイデオロギーやユートピア願望など、本質以外の部分ががまとわりついているイメージが多い気がする。

 ということで、そのようなイメージで語られていた沖縄の歴史について、もう少しニュートラルな史観で語ろうというのが本書の趣旨。実際、私も日本史に付随する沖縄の歴史についてはある程度知っていても、沖縄の歴史そのものはよく知らない。面白そうなので読んでみることにした。

 読み進めていくと、のどかな海上の王国、貿易立国で人々が豊かに暮らしていた牧歌的なイメージとは少し違い、ま、どこの国も歴史なんてこんなきな臭い面があるよね〜という感じではあった。
 特に琉球王朝への八重山支配について、また悪名高き人頭税については、江戸時代の薩摩在番ばかりが悪者にされる理由もねーよなー、とも思ってしまう。

 気高き海上の貿易立国である琉球史もまた真実ではあるが、常に日本と明(清)の顔色をうかがいながら危うい綱渡りで国家を運営してきたのもまた事実。また、

薩摩の侵攻に始まって、この琉球処分、そして沖縄戦といい、王朝時代からこの島はつねに戦争によって世代わりを重ねてきた

 という著者の文章も、もの悲しいながらも真実である。これは日本国も同じか…。

 位置付けは入門書であるとは思うが、沖縄史についての予備知識がないと、意外と読んでいて辛いかもしれない。私もちょっとわからない部分、わかりにくい部分が多々あった。それでも、ベーシックな知識としての沖縄史の概略を学習できたことは、本書を読んでみて良かったと思っている。

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▼2011年11月06日

自分のアタマで考えよう/ちきりん

20111106_07.jpg 聞けば彼女は有名ブロガーらしいです。私もひょんな事からちょっと前にこのブログのことを知り、丁度本が出版されると聞いていたので、本屋さんに並んでいた本を手に取ってみたら、意外と面白そうなので購入してみました。

 この本に書かれていることは、タイトルの通り「自分で考えよう」という事。データだけを見て考えたフリをするのは止めようということです。よくこういう人いますよね。何となく情報通っぽいけど、実は全てメディアやネットのコピペ情報だったりするような。

 かくいう私も、常日頃「考える」努力はしていますが、残念ながら世間から得られる情報の全てを「考え」ている暇はありません。ただ、データーから得られる結果を自分で考える…努力はしているつもりです。

 例えば本書で語られる自殺率の話。最近自殺が増えています…大雑把に言えばそうなんですが、だからといって行政が「女性の生活相談」みたいな対策を行っても無意味なんです。何故なら女性の自殺はほぼ増えていません。増えているのは、1990年代終わりの経済危機で、経済的な理由で自殺する男性が増えているからです。でも、結果の数字しか見ない人は、こういう現実を知りませんし、また行政に対して無茶な要求もします。また、行政側も知ってか知らずか、本質的な対策を行う事は往々にして難しいので、表層データを鵜呑みにしたトンチンカンな対策を行ったりします。ま、これはある程度確信犯なんだろうな〜とは思いますが。

 ということで、普段から考えること、あるいは考えたいと思っている人にとって、この本は割とサックリ読めてしまうと思います。あ〜そうだよね、と、共感を得られながら読めるからです。

 つことで、折角なので、本書の内容について、私が考えた見解が違う所も書いておきましょう。まず、日本の不景気の所で語られる「日中韓の近代100年の歴史」について、前半50年を全て暗黒時代…とくくってしまっている点。本書は歴史書ではないので仕方ないかもしれませんが、「3国共暗黒時代」と言い切ってしまう所はもう少し考えた方が…と思いました。
 あと、末の方で語られるNHKとCNN、BBCとの違い。違いの方は特に異論ないですが、NHKの報道が震災で変わった…というのはちょっと違うかなと。私が考えるに、あの震災時にNHKが人名つき安否情報を出さなかったのは、第1に被災者の名簿を収集する手段がなかったこと。第2に被災範囲と被災者があまりにも多くて、広域を対象とした放送という手段では全ての氏名を公開することが実質不可能だと判断したから…ではないかと。ただ、教育テレビでは限定的に被災者の安否情報を実名で流していたし、NHK総合とNHK教育の役割分担がよりキッチリしてきたのは、変化かもしれませんね。事象が進行中なので云々…という理由もあったかもしれませんが、チと違うかなと思いました。
 ま、これは何が正しくて間違いか…という話でもないので、本書を読んだ皆さんも、色々な考え方があると思います。

 思考のマトリクス化については、多いに参考になりました。私はこの部分がまるで駄目なんでね。次に企画書書く時には、彼女のやり方を多いに参考にしようと思いましたよ。

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自分のアタマで考えよう/ちきりん・良知高行

ねこモコぐうすか/いさやまもとこ

20111106_02.jpg 猫の飼育書シリーズ第二弾!全てのネコ生活者必読の書!なのかは知りませんが(笑)、そうだよいさやまさんもネコ本出してたじゃん!と思って慌てて購入。
 初版が1998年と古いせいか、本屋さんでもあまり売ってないです。ネットを検索しまくったら、新宿のジュンク堂で在庫を見つけ、ニュートリノの速さ…はもう古いか、光の速さで購入してきましたよ。

 しかし…ネコ好きなのは存じ上げていましたが、改めて読んでみると、想像以上に濃厚なネコ生活ぶりですな〜。このマンガに登場する「ドロちゃん」は、私もよく遊んで頂いております。

 私の家もいろんな動物と暮らしてきましたが、確かに動物を飼っているのか、動物に飼われているのかわからなくなってくることはありますよね。
 そこまで極端な話ではなくても、「動物にお世話されているのは自分だ」ってのは、いつも実感してます。今までお世話になったいぬさんいいたちさんぶんちょうさんいんこさんその他諸々と、今のねこさん達、ありがとうございます。

 ちなみに巻頭グラビアには、登場するネコちゃんの秘蔵写真に混じって、髪の毛の赤い(!)いさやまさん写真が掲載されておりますよ。

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いとみち/越谷オサム

20111106_01.jpg 「背がちっちゃくて黒髪ロングでメイド服で貧乳で泣き虫でドジッ娘で方言スピーカーで、おまけに和楽器奏者?あんた超人か」という萌え属性ありまくり主人公の青春小説。私も本屋さんで黒髪ロングの萌え絵に釣られて購入。元はケータイ小説なのかな?

 実は越谷オサム氏の本は「陽だまりの彼女」という本を読んでみようと思っていたのです。よく行く本屋さんで面白そうなポップで宣伝されていたので。ただ、何となくあの表紙の絵が気に入らんなーと。
 そんな最中、別な本を買いに訪れた新宿のジュンク堂でこの本を見つけて、メイド絵にフラフラと釣られて買ってしまった訳です。

 で、読んでみたらすげー面白かったんですよ。
 最近の作家さんにありがちなテンポの良い文体で、家に帰ってお風呂で読み始めたら、そのまま最後まで一気に読了してしまいました。フィクションだとわかっていても「わぁも、こんな青春時代おくりたかったんず」と思ってしまう、全編にわたり爽やかな空気に包まれたような雰囲気が良かったです。

 いとっちの「こう、ドキドキして、わぁもあんな具合に言っでみたいなって」ってセリフが、すさんだわぁの心にも、妙に染みこみましよ。人間いくつになっても「なりたい自分」ってのを持ってみたいものですね。

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いとみち/越谷オサム
陽だまりの彼女(新潮文庫)/越谷オサム

▼2011年11月03日

ネコの飼育書

20111103_01.jpg ネコと暮らすにあたり、飼育書を買ってみる。

 まずはお迎え前に買った「0才からのしあわせな子猫の育て方」という本。いままで犬とイタチは飼ったことあるけど、ネコは初めてなので知らない事が多いだろうと思い、基礎知識の習得のため購入。内容はわかりやすいし、私にとっての初めての知識も沢山あった。

 次はお馴染み野村獣医科の野村先生が書いた「Dr.野村の猫に関する100問100答」こちらの本はどちらかというと副読書的というか、猫暮らすための知識というより、猫という動物の習性と家庭での行動など、ペットとしてのノウハウよりも、猫という動物そのものを理解できるような切り口になっている。

 新しく動物を飼う時は、必ず関係する本を何冊か読んだ方がいい。それに、PC等のノウハウと違って、命がかかっていることなので、私はペットに関する情報について、ネット情報は信憑性を差っ引いて読むよう意識している。特に初めての動物なら、なおさら複数の本での情報収集に努めるべき。よかれと思っているその行為が動物の寿命を縮める原因になっているかもしれない。動物だってされてイヤなことは大体人と一緒だが、一緒じゃない部分も確実にある。

 ちなみに私は、イタチを飼い始める時、当時日本で発売されているイタチ関連の本は全て読んだと自負している(もっとも当時イタチ本は10〜20冊程度しかなかったが)

 今回のネコ本も、もちろんこれで終わりではなく、既に図書館から2冊ほど新たな本を借りてきているし、必要に応じて更に購入するつもり。

 イタチと違いネコはより家畜度が高いので、飼育にあたり専門的な知識は必要無いとは思うが、それでもベーシックな知識は必ず必要だろう。また、ちょっと専門的な知識についても、飼育者レベルの範囲でどんどん収集していこうと思っている。

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▼2011年11月02日

ジョブス伝記・下巻

20111102_01.jpg 上巻に引き続き下巻も読みました。今気がつきましたが、本来は上下巻じゃなくて「I」と「II」でしたね。でも下巻の方が判りやすいと思いますので、その表記で通します。

 本来の発売日は今日ですが、都内の本屋さんでは昨日から店頭に並んでいました。私はお昼過ぎにたまたま寄った渋谷マークシティー地下にある本屋さんで、丁度陳列されている所から一冊頂いてきましたよ。そして、そのまま打合せに向かう電車内で読んで、会社帰りで読んで、家に帰って読んでと、昨日中に読み終えてしまいました。

 上巻と違い、下巻は私達にお馴染みのApple製品が沢山登場します。iMac、iPod、iPhone、iPadなど…どれも最近になって私達が手にした、革新的な製品達です。あまりにも身近な出来事なため、伝記というより雑誌の特集記事を読んでいるような気楽さで読み進められます。
 そんな中で私が特に興味深く感じた部分は、iPod誕生の下りでしょうか。彼等がどれだけ音楽と芸術を愛して、それらとテクノロジーを結びつけるマジックをどうやって発揮してきたのか…とても面白かったです。そして、こういう仕事は、日本企業というか日本の企業人には出来ないだろうなーと思いました。アイディアとか方法論とかよりも、iPodよりウォークマンの方が音質重視で音はいいから〜なんてセンスでは問題外です。こんなんだから日本製のオーディオは…ま、やめときましょう。

 iPhoneに使われているゴリラガラスのエピソードも面白かったですね。まさに、失われつつあるロストテクノロジーが、Appleのおかげでよみがえります。メーカーが1960年代に作ってはみたものの、高品質すぎて使い道のなかったガラスを、Appleは自前で工場まで用意して、その素材をiPhoneの液晶パネルに採用してしまいました。
 それは、私達が今iPhoneやスマートフォンで毎日触れている液晶ガラスです。iPhoneという製品が存在しなければ、こんなに毎日触ってカバンに放り込まれて時には路上に落とされても、輝きを失わないガラスを、私達は手にできていなかったかもしれません。

 本書の結末は、皆が知っているその結果です。最後に彼の口から語られる長目のメッセージで本書は締めくくられます。iPodやiPhone、iPadに電源ボタンがない秘密が明かされて、彼の伝記は終了します。

 ジョブスという人物の評価が定まるのは、この先いつになるかわかりませんが、良くも悪くも、必ずや歴史に残る経営者であったでしょう。

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スティーブ・ジョブズ I/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二
スティーブ・ジョブズ II/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二

▼2011年10月28日

スティーブ・ジョブズ伝記を読む

20111028-01.jpg 巷では「たけーよ」とか「ぼったくりだ」とか大騒ぎのジョブス伝記。米国Amazonでは$17.88で売っていると聞き、私も日本語版高いなーと正直思っていたのですが、とある出版社勤務の友人から「もちつけ!米国での定価は$35.00だ」と言われ、調べてみたらその通りでした。
 そうだ…海外には再販制度ないから割引されてるんだよね。ちなみに、米国で書籍の価格は一般的に発売直後が一番割引率高いそうで…。いろいろ日本とは違います。

 とにかく、再販制度がある日本での上下巻3,800円はそんなにボッタではないというか、むしろ安いくらいかもしれませんね。敵は講談社じゃなくて再販制度そのものですよ奥さん。

 他、価格以外でも日本語版の表紙デザインにケチ付けてる人達もいて「どうせおまえら本屋でカバーしてもらってそのまま読むんだから関係ないじゃん」と思いました。信者ってのは色々めんどくせーもんだなと。

 で、私もとりあえず立ち読んでみたら、面白そうなので買ってみましたよ。今の私は「ベストセラーを否定しない!」人間になるというのが隠れ目標なので。
 ちなみに写真は猫がメインですが、本も隅っこの方にちゃんと写ってますよねよねよね(笑)

 私が思うに、内容としては、前評判ほど内容がギッチギチに濃いという訳でもないです。だけど、面白いですねー。前半の山場としては、ジョブスがMacintoshを発売する前までかなー。アルテアが発売されたあたりのエピソードは、丁度このブログの記事を読んだばかりだったので、とても興味深かったです。

 また、世に沢山出回っているジョブスの格言について、前後のエピソードを整理して理解できるのもいいですね。有名な「一生砂糖水を売るつもりかい」のセリフについても、そこまでに至るジョブスとスカリーの関係を理解していないと、かなりニュアンスが違った意味として受け止められがちな話でもあります。もっとも、格言なんてのはそんなものですが。

 上巻は、ジョブスの生い立ちとアップル創業までの山場を終えて、ジョブスが沈む所まで。なので、読後感はあまり良くないですが、下巻を通して読むと、きっと素晴らしい物語になるのではないかと期待しています。続きが楽しみです。

iPhone 4s


スティーブ・ジョブズ I/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二
スティーブ・ジョブズ II/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二

▼2011年10月11日

猫座の女の生活と意見/浅生ハルミン

20111011_01.jpg 初めて読む作家です。渋谷マークシティ地下の本屋さんでなんかのフェアやっていて、その中に並んでいた一冊。何となく立ち読んでみたら面白そうだったのですがその時は買わず、一週間位してから「やっぱり、買お」と思って買いに行ったのでした。

 ハルミン氏の本業は、今をときめくイラストレーターだそうで、その方が書いているエッセイなので、さぞやオサレで小粋な文章が…と思っている方もいるかもしれませんが、そんな事は全然なくて、基本くだらねー事しか書いてありません。
 うんこの話が出来る大人の男はカッコイイとか、古本屋で「猫かじり跡あり」という本があったら絶対買うとか、そんな感じ。今風にいえば“ゆるい”と言われるのかもしれませんが、私的にはくだらねーという印象の方が強いです。いい意味です。

 そんな中でもさすがプロのエッセイスト、ハッとする言葉というのは何カ所かちりばめられていて、特にドキドキした文章が、

「こんなシャクリかたをすればキリコの流れはいいけど刃先がもろい。こうすれば逆に刃先は丈夫だが、キリコがあぐらをかくから、切れ味が悪い。わかったか」わかりません。わからないからかっこいいというもんです。

 という下り。いや…ここだけ取り出してもホントに訳わからないと思いますが、これは「春は鉄までが匂った」という本に登場する渡り旋盤職人、平松さんの話…だそうです。
 「わかりません。わからないからかっこいいというもんです。」なんて開き直った文章、なかなか書けそうで書けるもんじゃないすよね。ここの下りは読んでいて興奮しました。ドキドキと。

 思うに、私が女性エッセイストの本を比較的好んでいるのは、こういう無秩序な中にあるキラリと光る言葉を見つけるのが大好きだからなんだろうなーと思います。
 男性が書いて出版するエッセイというのは、一件くだらなく見えても、実は生き方に1本の芯が通っている系とか、無秩序に見えるエピソードだけど、通して読むとひとつの目標に向かっている様に見えるとか、そういうくだらなさを装った隠れお役立ち商品的なモノが多い気がするのに対し、女性が思い切って書くくだらねー系エッセイというのは、本当に無秩序で、自分の後の人生において特に知らなくてもいい知識がくだらない感じでちりばめられているような気がして…って、超ステレオタイプに書いてますね。ごめんなさい。つまりそういう感じです。とにかく私がエッセイというジャンルに求めるモノは、そういう文章なのです。

 何を言ってるかわからなくなってきましたが、つまりそういう本が好きな人にはお勧めです。

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猫座の女の生活と意見/浅生ハルミン

▼2011年10月02日

電撃戦・グデーリアン回想録(下)

20111002_01.jpg 以前購入した上巻に続き下巻も購入。グデーリアンにとって上り調子であった上巻と違い、下巻はドイツの敗戦に伴う記述になるので、展開はちょっと重め。一度罷免されたブリッツクリークの創始者が、ヒトラーの取り巻き達により、無謀に展開を広げすぎた東部戦線の後始末に翻弄する姿は、なんだか悲しくなってくる。

 その中で興味深いのが、ヒトラーとの直接やり取りの記述でしょうか。もちろん、近代の軍事的知識に欠けるヒトラーに対して、グデーリアンの進言はことごとく取り下げられるのだが、それでも彼がヒトラーに対してアレだけハッキリと物を言い、またヒトラーもうざったいと思いながらも、彼の任務を解こうとしない(最終的には無理矢理休暇を取らされるのだが、それがグデーリアンにとって幸いした)その姿は、ヒトラーという人物に対する研究資料としても興味深いのではないか。
 グデーリアンのヒトラーに対する記述を見る限り、彼はスターリンや毛沢東ほどの独裁絶対主義者でもなかったようにも思えた。

 また、晩年のヒトラーが狂っていく様は、彼自身の性格にも起因するとは言え、過度な薬物摂取による精神障害などにも要因はあるのではないかと、割と冷静な分析をしているのも面白い。
 このあたり、絶対権力者に対する薬物汚染の関係は、ヒトラー以外でももっと研究されるべきなのかなと思う。

 下巻の終わり1/3は付録に費やされていて、ドイツ軍団長や師団長の名前リストなど、ガチの戦史研究者にとっても貴重な資料。そこまでではなくても、各戦局における作戦地図は、本文を読み進めるにあたり、大変役立つ資料である。

 戦史としても楽しめ、また、近代陸軍運用思想の祖である個人の回想録として貴重な一次資料である。とてもエキサイティングな本であった。戦史に興味がある方には、広くおすすめしたい。

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電撃戦―グデーリアン回想録(下)/ハインツ・グデーリアン

▼2011年09月24日

弱ペ!

20110924_02.jpg 自転車マンガと言えば、シャカリキの方はリアルタイムで読んでいたのだが、「弱虫ペダル」の方は今まで全然読んだことがなかった。でも、自転車乗りの方達は結構読んでいるようだし、面白いのかなーと思って、何となくTwitterで「弱ペ」って面白いの?とつぶやいたら、なんとN氏から「15巻まであるから送るよ〜」とのレスが。

 おー、これってなんだか、Twitterが流行始めた頃に「仙台駅付近で泊まる所がないんです」とのつぶやきを見たホテルの人が「お部屋一室開いてますよ」とつぶやいて新規顧客を獲得したとかいう、そんなネットとソーシャルが連動した新しいマーケティング的なユーザーエクスペリエンスがイノベーティブな流れに…みたいな!何言ってるか自分でも判らんけど(笑)、とにかくこういうネットの展開っていいよな〜と。
 いや、本を送ってもらうことも当然うれしいんだけど、なんだかよけい感動しちゃってすごくうれしかった。

 つことで週末に届いた「弱虫ペダル」、15巻まで早速読んでみましたよ。
 ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんけど、思ったのは、主人公が弱虫なのって初めの1〜2巻位までで、後はなかなかしっかりしてるじゃん!というのと、自転車が判らなくても、腐女子向けには渚カオルも登場しますし、設定考察厨の方にはちゃんと使徒まで用意(笑)されているので、皆で楽しめますっつー事か。
 後になって冷静に考えてみると、お話しのプロットは単純極まりない根性モノと言えなくもないのですが、そこはやはり自転車乗りである私、もうストレートな話だからこそストレートに感動しますよヒメなのだ。

 現在は19巻まで出ているらしいので、早速今日のドライブの帰り道に買っていきたいと思います。果たして使徒とのゴールスプリント争いは、どんな結末になるんでしょうね。

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▼2011年09月12日

今日もごちそうさまでした/角田光代

20110912_03.jpg 初めは特に買おうと思っていた訳ではなく、ただ、アマゾンで掲載されていた紹介文に心をちょっと揺らされたのです。で、その様子をTwitterでつぶやいたらこのようなRTを頂いたので、これはやっぱり買ってみようと思い、打合せ帰りに恵比寿アトレにある有隣堂へ。

 有隣堂に並んでいた「今日もごちそう〜」は、何と著者によるサイン本でしたよ。早速購入、電車に乗ってすぐに読み始めました。

 しかし…食べもののことだけでここまで色々書けるってすごいよな〜と思います。

 私的には、女流作家の方達って、自身の作品内で「たべること」に関する描写がうまいというか、ある種フェティシズムに似た何かを感じさせる人が多いよな…と思うのですが、角田さんの小説はどうなんでしょう。実はこの作家さんはエッセイしか読んだことないのです(笑)。それはさておき、アマゾンの紹介文にもあった、

朝7時、昼12時、夜7時。失恋しても病気になってもごはんの時間にきっちりごはんを食べてきた。

 という言葉は、押しつけがましくない形での命への執念を感じたような気がして、キュンときました。

 一応Webの連載だったので、こちらでもまだ読めるのですが、本の方は加筆修正されているとのことなので、興味のある方は是非。

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▼2011年09月04日

山がわたしを呼んでいる/浅葉なつ

20110904_01.jpg 今流行の山ガール的小説がついに電撃文庫にも登場!おぉ、山小屋を舞台にした異世界からの悪魔と落ちこぼれの萌え神様が繰り広げる上を下へのドタバタコメディー!?…という訳ではなく、割とまともな山が舞台の青春小説であった。

 物語の始まりは、山に対する知識ゼロだけど気だけは強い女の子が、何故か色々あって山小屋のバイトをするようになるというお話し。
 ラストにかけて、特に劇的な展開があるとかそういう話でもないのだが、割とすんなり読めてしまい、ちょっと山に行きたい気分になれる、読後感が清々しい小説だった。

 山に興味がある人も興味がない人も、この手のジャンルにありがちな、小難しい内容ではないので、気軽に読んでみては如何でしょうか。

 ちなみに、表紙だけはちょっと萌えっぽいイラストがありますが、中に挿絵はありません。

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▼2011年08月30日

電線一本で世界を救う/山下 博

20110830_01.jpg オーディオやってると、コンポやスピーカーをつなぐケーブルの品質にこだわるのは当たり前なのだが、そんな事すら認めない(認められないほど耳が悪い?)人が今でも多くいる。

 ま、確かにオカルトが跋扈するオーディオ業界だというのは私も認めるが、だからといって、ケーブルで音が変わらない…と言っている人は、困った事に、まるで自分達が科学的思考を持った科学を代弁するような口調で「音は変わらない」という。ここまでなら「勝手にすれば?」と思うのだが、そういう閉鎖的思考を持った人たちが、実際の科学技術の発展を阻害しているというのなら大問題。

 クルマのアースチューンについては、最近チラホラと聞かれるようになってきている。ただ、実際にアースチューンしたと言っている人達の車を見ると「こんなんで大丈夫なの?」という施工がほとんどで、更にそういう人達の車に限って「なんだか調子が悪い」とか、しょっちゅう言っている気がする。ちなみにアーシングの弊害については以前もこのブログで書いた。その通りだと今でも思っている。

 で、この本。実はこの人の影響を受けた(?)人が行った、銀線裏打ちをしたオーディオ機器は、確かに音が変わった。友達でも銀線の接続ケーブルにはまっている人は何人かいたし、その効果も耳で確認した。
 そのノウハウを自動車のアーシングにも応用すると、燃費改善や排ガス削減の効果があるらしい。私にはこの効果が「絶対にある」とは主張できないが、オーディオの経験からすると、何らかの効果があってもおかしくないと思っている。だからこそ、是非、もっと色々な場所で検証を重ねて、それが正しいのかを実証してほしい。そして、正しい自動車のアーシングについての効果を、もっと広めてほしいと思う。

 また、本書で言うとおり、そういう未知の現象へのチャレンジが、今の日本の技術者にかけているとするならば、日本の技術者達はすっかり科学的思考を失ってしまったのではないかと、別な位相からも心配してしまう。是非、健全な科学的思考を取り戻してほしいものだ。

 大体、アースの具合でクルマの調子が変わるなんて、ちょいとクルマをいじってる人からすれば、もう常識に近い。MGFになってからは、一応コンピューター付きの精密機器(笑)になったのでやっていないが、オールドミニに乗っていた時は、何度もアースポイントはいじったり磨いたりしていたもんだ。

 ちなみに、どうしてケーブルで音が変わるのかについても、本書では簡単に推論が書かれている。ケーブルの効果を信じないオーディオマニアの方も、一読されてみては如何でしょうか。

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▼2011年08月28日

モノが語る日本対外交易史/シャルロッテ・フォン・ヴェアシア

20110828_01.jpg 7〜16世紀、日本国号が成立した頃から戦国時代前位までの日本の交易史を語っている本。政治的側面からではなく、主にモノを中心に語っているのが普通の歴史書とちょっと違う所。今をときめく藤原書店から発行されている。

 日本における大雑把な対外交易を記すと、八世紀までの日本は外国の知識や技術の導入が中心。その後十二世紀までは唐物の輸入、十二世紀以降は中国銭の膨大な輸入に切り替わり、十四世紀以降は逆に日本からの輸出品が増大している…そうだ。
 この品目は、日本国の国家成長とぴったりリンクしているのが面白い。特に八世紀頃の日本は、まだまともな中央政府が存在せず、その行政システムを中国に学んでいたことが多かったからね。

 その後、唐の工芸品が珍重される時代になり、その時代は割とすぐに去った後、今度は通貨輸入という、今の日本同様原材料を海外に求める政策に変わる。その後は日本の優れた工芸品が中国や朝鮮で盛んに求められるようになった。昔から日本は物作り国家だったんだな〜と。

 例えば日本刀は、工芸品はもちろんのこと、いわゆる[数打ち」と呼ばれる日本国内では大量生産品扱いされるような製品でも、中国ではかなり高額で売れたらしい。その他、扇子というのは日本人の発明で、時の皇帝がその日本の扇子を臣下に賜るようになってから価値が上昇し、更にその扇子はシルクロードを通りヨーロッパにもたらされたという。日本人としてはなかなかロマンを書き立てられる話だ。

 当時の貿易について、中国(明)と朝鮮は、政府主導の貿易コントロール、日本はむしろ政府が主導しないやりかたで貿易が進められていたというのも面白い。そのため当時の日本人は、勘合貿易(学校で習ったよね)で決められた量を無視して、盛んに中国に物資を輸出しようとしたし、また中国側も、そういった日本の姿勢を無視することもできず、国家の予算を圧迫しながら交易を続けたようだ。
 こういった中国の姿勢は、日本を思いやったというより、当時まだ朝貢貿易思想が強かった中国側の都合らしい。つまり、はるばる皇帝の徳に感服して朝貢してきた周辺諸国を無下に扱えば、皇帝を中心とした中華思想の秩序にも悪影響がおきるという考え方。

 一風変わった歴史観を得る助けとして、なかなか面白いのではないでしょうか。

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モノが語る日本対外交易史/シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア

▼2011年08月14日

LONG RIDERS

20110814_01.jpg 「ロングライド・ブルベをテーマにした自転車同人誌」らしい。私が買ったのはVol.1だけど、もうVol.5まで出ているのね。割と分厚いくせに、今流行の○○少女的同人誌と違い、あれげなイラストがちりばめられながらも、誌面はびっちりと文章で覆われている。お値段は1,500円位だったけど、これならなんだか割安な感じ。

 まだ全部読んでいないのだけど、じっくりと読みふけりたいと思います。あと、も少し体重絞ってまたツーリングにいきたい。

 ちなみにこの本は、秋葉原の「COMIC ZIN」というお店で買いました。このショップはいわゆる「美少女系同人誌」の他に、こういう読み物系同人誌を多数扱っていて面白く、私もよく寄るお店です。

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▼2011年08月13日

インク壺/増田れい子

20110813_04.jpg 暮らしの手帖で連載されていたというエッセイ。奥付を見ると昭和63年11月に発行された本のようだ。つまり、昭和が終わるちょっと前の雰囲気がこの本には詰まっている。

 例えば「屋根」というタイトルの章では「屋根というのは、伝統的にその土地にもっとも豊富にある材料、草や木でふかれてきたものらしい」とあり、ああ、なるほどなと思う。また「ふかれて」という言葉もなんだか懐かしいような初めて耳にするような、そんな雰囲気だが不思議と意味はわかる。言葉って面白い。
 他「ポケット」という章では、「男たちが女達より敏しょうなのは、ポケットを付けているからだと思う」とあり、そういえば、最近こんな男たちって見なくなたなぁ…なんて思ったりもする。

 全編にわたり、丁寧な文章から著者のきちんとした性格が伝わってくるようだし、また、そんな中に終わりつつある昭和のあの時代をほっこり(用法違い)と感じる事ができる本。

 今では古本でしか手に入らないようだが、何もすることがない休日の午後など、のんびりとお茶しながら飲むのに、とても良い本だと思います。

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インク壷/増田れい子

渋谷東急古本市の収穫

20110813_02.jpg ただいま行われている、渋谷東急での古本市。ふらりと寄ってみて4冊ほど収穫してきた。

 まずは、あのオーディオ評論家長岡鉄男先生の「ステレオハンドブック」。その次が、アメリカで大ヒットしたオーディオ解説書と言われる「オーディオの神話を剥ぐ」という本。こちらは両方とも500円。あと、暮らしの手帖社から出ている「インク壺」というエッセイ。こちらのエッセイは昭和63年発刊のもの500円。最後は「中世都市十三湊と安藤氏」という本。こちらが少々高く2,100円だった。

 古本屋に行くのと違い、古本市で本を選ぶのは、自分でも思いの寄らないジャンルの本を買うことが多いこと、また、そんな出会いが多いことだと思う。
 古本市は8月の17日まで開催されているそうなので、渋谷にお寄りの方は是非。

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自分の仕事をつくる/西村佳哲

 まず、前書きから引用する。

 人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
 「こんなものでいい」と思いながら作られたものは、それを手にする人の存在を否定する。特に幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。

 なるほど…普段から人に「大切な存在」である扱いをされていない自分は、だから買い物に走りがちになるのだろうか…。なんてそんなのはともかく、この序文に人が素晴らしい仕事をするための原則が記されている気がする。
 人は、何かを伝えたい、受け取りたい生き物なのであろう。その手段のひとつとして仕事があるのかもしれない。

20110813_01.jpg 本書は、著者の西村佳哲氏が、様々な仕事についてインタビューして回った記録である。
 ただ、のべつまくなく仕事を探しているのではなく、そこは冒頭にかかれた「自分と他人を大切にする仕事」という視点で選別されているように思う。単純に読んでいてうらやましく、自分もこんな仕事をしてみたいなと思いながら読み進められた。

 また、仕事について、外国人と日本人についての価値観が浮き彫りになるのが面白い。
 例えば、本書的には両方とも成功例の事例として掲載されているのだろうが、パタゴニアに勤めるスタッフの、真に自由に働きながら社会に対して責任を果たせる仕事スタイルを紹介したあとに、日本の「ドラフト」という会社の社長がドヤ顔で「プロジェクトが終わったらスタッフ全員参加で呑み会ですよ!」とか言っているのが実に対照的だった。
 仕事のパートナーとして、社員を1人の独立した人間として扱うパタゴニアの社風と、所詮社員に頼ることでしか生きていけないくせに虚勢だけは1人前の日本式経営者の未熟さというのであろうか…。

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▼2011年07月30日

中世の港と海賊/山内 譲

20110730_03.jpg 「海賊」という言葉から、どのような人達を想像するだろうか。大海原を荒らし回って略奪を繰り返しお宝を…みたいなイメージがまず頭に浮かぶかもしれない。そのイメージは全て間違いではないが、実情とは異なっている。

 日本における「海賊」とは、単なる略奪集団ではなく、その海域を支配していた「領主」と言えるべき存在であった。
 とくに、中世瀬戸内海の海では、様々な海賊が、時には争いや略奪もあっただろうが、自分の領海を通航する船から金銭を得る代わりに、領海を出るまでの安全を保障したり、護衛に当たったりと、様々な役割をこなし、むしろ海の安全を守る側だったことも多かったようである。

 そんな中世の海賊達を、網野学的視点からまとめているのが本書。書き下ろしではなく、色々な場所で発表した文章をまとめた単行本ではあるが、記載されている主張は一貫したモノを感じて読みやすい。
 特に瀬戸内海沿いに馴染みのある人なら、その地形を思い出しながら、当時の海賊達がダイナミックに活躍した様を頭に描きながら読むのも面白いと思う。

 日本の歴史を作ってきたのは、単純な「支配者と農民」だけでなく、様々な役割を持った人たちが今の社会と同じように、様々な仕事に従事していた。そんな歴史の彩りを感じられる文章であり、面白かった。

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▼2011年05月31日

最強国の条件/エイミー・チェア

20110531_02.jpg 人類の歴史には、度々周辺の諸国、世界の国々を圧倒する最強国「ハイパーパワー」が存在してきた。それら諸国についての歴史とその時代背景を俯瞰している本。

 内容も平易な文章で読みやすく、歴史に興味を持つ人にとってはとても面白くエキサイティングな文章だと思う。
 古代ペルシャからローマ、モンゴルからオランダ、イギリス、アメリカと、取り上げられた「ハイパーパワー」は多種多様。光栄なことに我が日本国も「非寛容の失敗例」として短いながらも取り上げられている。

 これら最強国のキーワードとして、著者のエイミーは「寛容政策こそが国家の繁栄をもたらす」と指摘し、その文脈に沿ってこれらハイパーパワーについての興亡を考察しいている。
 実はこの「寛容」という言葉の意味を、そのまま翻訳語として捉えてしまうことはやや危険かなと、前のエントリーである「寛容の帝国」を読むと、そんな事を感じた。本書で語られる超大国はどれも「寛容」さに溢れたユートピアかと思ってしまうが、おそらく原文で語られる寛容=トレランスには、更に違った意味を内包したキーワードなのであろう。もっとも、本書の翻訳者は、その寛容さをもう少しユートピア的に考えてしまっている印象もあるが…。

 また、日本について語られている章をみると、本書で語られている他の「超大国」達の歴史の信憑性にもやや疑問を感じてしまう感もあるが、それでも、こういった趣旨で歴史をまとめてある本は珍しいし、面白いと思う。

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最強国の条件/エイミー・チュア

寛容の帝国/ウェンディ・ブラウン

20110531_01.jpg 原書のタイトルを直訳すると「嫌悪を規制することーアイデンティティと帝国の時代における寛容」となるらしい。割とさっぱりした「寛容の帝国」という書名からすると、現代における帝国論を語っているのかとも誤解しがちかもしれない。本書の内容はもっと政治評論というか、思想書に近い。

 「寛容」という語感から思い起こされる私達のイメージは如何であろうか。許す、受け入れる、おおらかな心で…といった、わりと許容的でユートピア的印象がある気がする。
 しかし、本書で(あるいは翻訳文献として)語られる「寛容」という意味はもう少し堅苦しく、時には支配者と被支配者を分類する用語としても使われるようだ。
 英文でいう寛容を意味する「トレランス」には、どちらかというと「許す」よりも「耐える、我慢する、辛抱する」という意味に近いようだし、他では、植物生態学の、ぎりぎり植物が生存しうる基本物質の欠乏量を示すのに「トレランス」、臓器移植、薬などで身体が耐えられる量を「トレランス」、機械、工学、の公差も「トレランス」という用語が使われるらしい。少なくとも日本語でこれらの用途に「寛容」は使われないだろう。その意味まずしっかりと覚えておかないと、本書を読み進めるに辺り違和感を感じるし、上記についての解説は本書でもしっかりと語られている。

 以降は、政治における寛容、同性愛における寛容、性差における寛容、人種における寛容など、現代アメリカの例を中心にとり、様々な状況に置ける寛容と非寛容を論じている。
 現代の多民族国家には「寛容が必要である」とは、様々な場所で言われている言葉ではあるが、そこで言われている「寛容」とは、普段私達が簡単に思っているような意味ではなく、時に、私自身のポジションを明確にした上で、あなたの何を許し耐えるか…といった、軋轢の最前線で問われる意味である場合があると認識できただけで、本書を読んだことは非常に有意義。というか、難解な内容にもかかわらず、読み始めると本当に止まらないエキサイティングな内容だった。

 それと、私は本書を読んで初めて知ったのだが、アメリカにある「寛容博物館」という章についても、驚きながら楽しく読み進められた。
 本館は、博物館と名付けられてはいるが、一種の教育機関に近い場所であり、入場者は必ずガイドに拘束されながら約70分間、寛容について学ばなければいけない。携帯電話、カメラ、その他危険物は全て入り口で預け、途中は見学者同士での議論を求められ、トイレ休憩さえも許されないその非寛容さに彼女は「もうそろそろトイレに行ってもよいだろうか」というやや皮肉めいた文章でまとめている。
 私はこの博物館のアメリカにおける社会的ポジションを知らないのだが、おそらく批判や皮肉が受け入れられにくい施設なんだろうなとは想像でき、挑発的だ。なにせ活動目的が「訪問者に偏見や人種差別と立ち向かい、ホロコーストを歴史的かつ現代的な文脈のもとで理解するよう喚起すること」だからね。

 著者のウェンディ・ブラウンは、フーコーに強く影響を受けた「挑発する知性」みなぎった政治学教授だそうである。翻訳者後書きからの引用だが、“女性の傷ついた経験から生まれる女性の「真理」というフェミズムの通念を批判し”という部分は、確かに挑発的でありながら、フェミニズムの本質を突いた問いかけであると思う。

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寛容の帝国―現代リベラリズム批判/ウェンディ・ブラウン

▼2011年05月27日

おしまいのデート/瀬尾まいこ

2011052701.jpg 「よく食べる男は3割増しなのよ」というセリフはどの作品だったかな?とにかく、この“瀬尾まいこ”氏の小説の登場人物は、なにやらいつも食べている。そして、それが時には変な食べ物だったりすることも多いのだけど、それでもみんなおいしそうだ。

 かくいう自分は、食べ物の好き嫌いが多い上に、そもそも人前で食事をすることに慣れていないせいか、人と食事をするときはどうも小食になることが多い。そのせいか、会社の女の子で何を食べても「うまい」といいながら食べる人がいて、そういう姿を見るとなんだかうらやましくてつい「いいな〜」と言ってしまったことがある。

 そういう、自分の目の前でおいしそうに物を食べている人を見ると、よくわからないけど何となく嬉しくなる。私が瀬尾まいこの小説を読んでいるときって、そんな心境に近いのではないかな。

 本のタイトルこそ“デート”という言葉が付いているが、甘酸っぱい恋愛小説だと思って読むと期待外れだろう。そもそも本書に恋愛話は(ほぼ)ないし、大体表紙のイラストはドドンと天丼が大きく描かれているだけだ。でも、他の作品同様、登場人物はみんな食べ物をおいしく食べながら、それでいてちょっとキュンとする体験をして、いかにも瀬尾まいこらしい短編集だなと思った。

 買い物に出かけた帰り道、本屋さんに寄って、そのまま近所のカフェで読んでしまうのにピッタリの分量。その日の夕ご飯は、普段より少しおいしくいただけるかもしれません。

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おしまいのデート/瀬尾まいこ

▼2011年05月04日

シマダス・日本の島ガイド/(財)日本離島センター編

2011050408.jpg 本屋さんで買おう買おうと思っていたんですよ。そしたらサクッと店頭から消えて、あっと言う間にプレミア価格になってしまいました。くそう、残念。

 つことで、近隣の図書館にあったので、思わず借りてきました。そしてチラチラと見ているのですが、やはりこういうリファレンスは自分で所有しておきたいよなぁ…誰か譲ってくれませんかね。新品定価3,000円までならなんとか(笑)
 ただ、ほぼ6〜7年ごとに改訂版が出るらしいので、2004年発刊の本書から、そろそろ改訂版が出るのではないかと淡い期待を持っています。

 内容は、ひたすら日本の離島について解説してある辞典みたいなもの。ただ、有人島がメインで、無人島はさほど詳しい記述がありません。ページの中身は(財)日本離島センターのサイトで一部公開されてます

 なんとなく暇な時間に、パラパラとページをめくり、おそらく訪れる事がないであろう島の名前や地図、行くための交通手段や風習などを見ていると、日本って本当に広いなー、と思います。
 私が生きている間に、全ての島を訪れる事は絶対に無理ですが、どこかマイナーな離島で2〜3日過ごしてみたいなーなんて思いを馳せながら、パラパラとページをめくっているのがいいのですよー。

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日本の島ガイド シマダス/日本離島センター

▼2011年04月23日

乙女の港/川端康成

2011042301.jpg がはは…買ってしまいましたよ「乙女の港・復刻版」。

 豪華2冊セットで、1冊は昭和13年に発行された単行本を、中原純一装丁まで再現した復刻版。もう1冊は、文章を全て現代語訳して、更に「少女の友」に連載されていた当時に掲載されていた中原純一のイラストを挿絵を全て収録した新版となります。お値段4,500円はチと高いですが、内容と川端康成フリークなら納得できる価格かと…。

 ちなみに内容は、横浜の女子ミッション系スクールで繰り広げられる乙女同士の愛…。ちなみにこういう関係を「エス」って言うんですって。エスっていふのはね、シスタア、姉妹の略よ。頭文字を使っているの。上級生と下級生が仲良しになると、さう云うって、騒がれるのよ。

 現代語訳の方も読みやすいですが、ここは絶対に当時の復刻版から読むべきです。醸し出される上品さがもう全然違います。なんつーか、川端康成ってのは、稀代の変態だなとつくずく実感できます。いい意味でも悪い意味でも…つか、悪い意味の方が少し多目で(笑)

 こんな高い本買ってらんねーよ、という人は、地元の図書館で川端康成全集の20巻を探しましょう。今ではこのお話、全集とこの復刻版でしか読めないと思います。

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▼2011年04月15日

宇宙飛行士 オモン・ラー/ヴィクトル・ペレーヴィン

2011041501.jpg 「ロケットで月に行った英雄は今も必死に自転車をこぎつつけている!」

 カバー裏の不思議なキャッチコピーに惹かれ購入。始めて読む著者の小説だが、ロシア(ソビエト?)ではベストセラー作家らしい。
 で、本作なのだが、何ともいえない不思議な小説だという事につきる。子供の頃から月にあこがれて宇宙飛行士になったオモンは、二度と帰る事ができない月の裏側を目指す。沢山の少年達から命をもらいながら…。

 とまぁ、そんな話なのだが、全編にわたりシニカルな風刺や比喩的表現もさることながら、翻訳のせいもあるのか、展開される情景に感情移入しきれないまま物語が終わってしまった印象。
 もっともこれは、私が電車の中でさっくりと読んでしまったせいなのかもしれない。自宅でじっくり読むべき小説だったか。

 ネット上で本書についての解説を読むと、どこも小難しい評論が多いので、あえて別な切り口から評価してみると、今風の少年萌え小説としても鑑賞できるのではないかと思った。少し難解な部分もあるが、コンパクトな量で読みやすく、不思議なソビエト的価値観を持った作品としてお勧めできる本だ。

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▼2011年04月13日

繁栄(下)/マット・リドレー

 何故か下巻だけを読んでみた。そのうち上巻も読んでみようと思うのだけれでも。

 この「繁栄」という本は、人類史全般を主に科学的(テクノロジーだけではなく統計という意味も含め)な視点で描いたもの。

 よく言われる話で「昔は良かった」「戦後の日本はみんなが生き生きしていた」「江戸時代は町民文化が栄えたパラダイスだった」などという事があるが、では、その時代に本気で戻ってみるかい?と問われれば、殆どの人は拒否するであろう。
 たかが数十年前ですら、人々は携帯電話もインターネットもパソコンもエアコンも持たなかった。それに比べれは、今の時代はなんて恵まれているんだろう!

 未来を悲観的に論じる麻薬は、日本人だけではなく、他の世界でも同じようだ。
 既に反文明主義者達のバイブルになりかけた「不都合な果実」は、その殆どが誤ったデータを元に組み立てたものとされている。未来は温暖化するという科学的な証拠も寒冷化するという科学的な証拠もない。アフリカの貧困は常に悲劇的に語られるが、少しずつではあるが改善されている。人類は炭素を燃やしてエネルギーにする時代を今世紀中に終えられるかもしれない…。

 楽観的に考えるよりも、悲劇的に考えてあらかじめ備えたほうがいい…。確かにそうかもしれないが、その悲劇的主張が、誤ったデータを元に展開されているとなれば、それは単なるデマでしかない。

 人類の生活は、歴史が下るに従い、常に良い方向に向いてきた。私自身もブログやTwitterで悲観的な意見を語ることが多いが、それでも自分の子供の頃よりも日本は良くなっていると思うし、歳をとった今の方が、子供の頃より生きていて楽しいと感じている。世界は徐々にではあるし、時に凹凸もあるが、良い方向に進んでいる。

 真っ暗な未来に備えるのもいいが、時にはこのような「人類を信じる」文明論を読んでみるのもいいのではないだろうか。

▼2011年04月12日

蹴裂伝説と国づくり/上田 篤・田中充子

 日本は湖沼の国だった?そんな問いかけで始まる本書、本屋さんで見てこれは面白い主張だと思って購入。

 日本の様々な場所をみて思うのが、日本というのは険しい山が崩れて河川に流されてできた地形がとても多いよなぁ…ということ。
 例えば本書にもある北海道旭川の上川盆地、ここは今中心に旭川市を抱く大規模市街地であるが、逆にいうとこういった市街地がなければ、延々と田園地帯が…いやいや、人がいなければ、石狩川が盆地全体をうねり溢れという盆地だったはずだ。そして、南西にある狭いカムイコタンから水が流れ出ている。では、そのカムイコタンが何かでふさがれてしまったらどうか。行き所をなくした水は、上川盆地を水で埋めてしまうに違いない。

 そのような地形の盆地は日本に沢山ある。関東では群馬県の沼田市、山梨県甲府盆地、また、長野県では松本平野や諏訪盆地等…これら巨大な盆地は、ある一点、比較的狭い渓谷から水が流れ出ているという点。だとしたら、これらはひょっとしたら人の手で、あるいは何らかの自然現象が谷を切り開いて水を流し、農地を作ったのではないか…これが蹴裂伝説と言われるものだ。

 蹴裂伝説が正しいかどうかは別にして、今日本にある平野が昔からこういう状態だと思うのは大間違い。例えば私達が住んでいる関東平野は、江戸時代になるまでは広大な湿地帯で、とても人が住めるような場所ではなかったという。今、多くの人が住み、比較的乾燥した大地の上で畑や居住地を作り、さらに人工的に水を引いて水田を作る…といった風景は、ここ2〜300年で行われた大規模開拓の結果である。その前の関東地方、特に埼玉や千葉県の辺りは、利根川と江戸川(鬼怒川)荒川の流域内にある土地であり、大雨が降ればこれらの河川は縦横無尽に下流域を流れ出し、人の支配が及ぶような土地ではなかったのだ。
 そのような湖沼、湿地帯を開拓して土地を造り上げた結果が今の日本の姿である。

 わたしは日本の様々な地域を見る時、地形の凹凸や水田の姿を眺めながら、古代にはこの場所はどのような湿地帯だったのだろう…などと想像することが多い。そして、その水の流れはどうなっているんだろうと想像し、土地の流れに思いを馳せることも多い。
 著者の主張とは違うかもしれないのだが、そのような妄想癖がある私にとって、本書に収められている様々な検証は、ちょっと甘い部分を感じながらも、なかなか興味深く読むことができた。

蹴裂伝説と国づくり/上田 篤 田中 充子

▼2011年04月07日

江戸の海外情報ネットワーク/岩下哲典

 かつての海外情報については全く無知であった…という江戸史観が、ここの所大分是正されてきているような気がする昨今。こんな本が図書館に並んでいたので借りてきて読んでみた。

 本書は、鎖国制度により海外情報から隔離されていたと思われていた、江戸時代の海外情報の入手ルート、並びにネットワークについて考察した本である。

 私も知らなかったのだが、教科書にも出ていた江戸時代の「象」の話。実は象が日本にやってきたのは、江戸時代を通じて何度かあったこと、それどころか、時代を遡った徳川家康も、海外からの献上品として象を受け取っているとのことであった。なるほどねー。

 その他、本書で語られている中で印象深かったのが「ペリーの白旗」の件。この一件については、今でも歴史学者や歴史マニア達で色々と議論されているネタで、ペリーが浦賀沖で当時の浦賀奉行である香山に、白旗を渡したか否かという点。この記録は日本側のみに記載されており、長い間アメリカ側の記録に白旗に関する記述がなかったことから、当時の日本人が驚いたあまり作った創作ではないか?などと言われていたのだが、最近になってどうやらペリーが日本人に対して白旗を渡して恫喝に使ったというのは事実であるらしい…という流れになっている。この記述が何故アメリカ側の資料にないのかというと、どうやらこの作戦は、時のフィルモア大統領に進言したらしいのだが、止められていたそうで、ペリー側も内緒で行い記録に残さなかったから…らしい。他にもペリーは、琉球を武力占領すると進言し、当然ながら大統領に止められたりと、割と過激な考え方の持ち主であった。

 いや…私が問題問題にするのは、その白旗外交が事実なのかどうかではなく、その白旗がもたらす意味についての話。どうやらペリーの白旗があったという人たちの論調によれば、その白旗に時の幕府高官はびびりまくって慌てて会見地を用意した…みたいな話になっている本を読んだことがあるのだが、そもそも戦地での「白旗」というのは、当時の国際ルールであり、本書で問題にしているのは、その意味を当時の日本人が知らなかったとは思えないという点。
 確かに戦場での白旗は、局地的には降伏に使われることもあるが、他には軍使の派遣等、つまり武装解除を示す目印であり、その国際ルールについて、乗船した香川がアメリカの高官から丁寧に説明されたというのが不愉快であった、その不愉快な思いが報告などに伝わり、より大がかりで面倒な情報として幕府に伝わってしまったというのが本書の論考。なるほど、さもありそうで面白い。
 ちなみに、本書でも紹介されているが、ペリーの白旗事件については、ズバリ「ペリーの白旗/岸俊光」というが出版されているので、こちらも興味がある方は是非。

 ま、そんな感じで、江戸時代の主に後期に発生した国際的な事象について、割とザックリ紹介されている本で、難しそうなタイトルながら、結構気楽に読める。おすすめです。

▼2011年04月06日

「日本ダメ論」のウソ/上念 司

 本屋さんで並んでいて、つい買ってしまった本。
 思うのだが、この国の政治家やメディアは、この国が「ダメ」でなければいけない理由があるのであろうか。

 つことで、本書の冒頭で読者に投げかけられている設問をあえて全て引用してみた。皆さんはこの設問についてどう思っているだろう。
 さらに、その質問に対して自分のコメントを入れてみたが、これは正真正銘何も資料に当たらず、自分の頭の中の知識だけで答えた解答である。皆さんはこの設問に対してどのような意見を持っているのだろうか。

1:落ち目になっていた徳川幕府は寛政の改革によって復活した。

 まるでウソ。田沼政治が行っていた近代貨幣経済をぶちこわした悪政でしかない。ちなみに学校では「田沼時代には庶民が政治を批判する風刺画が数多く描かれた悪い時代」と教わったが、政治を批判する風刺画1枚も描けない時代の方が異常だろう。


2:ペリーの来航は徳川幕府にとって寝耳に水だった。

 幕府は正確にペリーの来航情報を知っていた。事前にオランダ経由で知らされていたから。


3:戦前の日本は軍部が独裁していて言論の自由がなかった。

 これは主観もあるが、少なくとも「敵性言語禁止!」みたいなアホな真似は今もある朝日新聞等のメディアや当時の不謹慎厨wが率先して行っていた事。少なくとも軍隊では零戦は「ゼロセン」と発音していたし(一部では「ゼロ」が英語のため当時は「レイセン」と言っていたというデマもあるけど)、発動機は普通にエンジンと言っていた。


4:日本人は軍部の圧政により無理矢理戦争に協力されていた。

 これも主観的な評価側面があるが、その軍部の暴走を許していた政治家を選挙で選んでいたのは日本国民である。何から何まで軍部に責任を押しつけ、自分達の贖罪は済んだ気になっている歴史観は非常に危険。


5:1974年の物価狂乱の原因は第一次オイルショックだった。

 よくわからない。


6:企業や人々がマネーゲームに走りすぎた結果、バブルが発生した。

 原因と結果、どちらが先かわからない。


7:モノが売れなくなったのは、人々が物質的な豊かさより、心の豊かさを求めたからだ。

 あまりにも抽象的だし、そんなデータはおそらく無い。


8:日本においては、少年の凶悪犯罪が昔に比べてかなり増加している。

 まるでウソ。少年犯罪というか、日本における凶悪犯罪は他国から比較すると異常なレベルで低下している。


9:ミネラルウォーターは水道水より美味しい。

 おいしさについては主観が混じるので何ともいえないが、少なくとも日本の水道水は市販のミネラルウォーターよりもはるかに厳しく安全性が規定されている。


10:マイナスイオンは人間の身体にいい効果をもたらす。

 現時点でこんなの真面目に信じてる人達は、オウム真理教を信じている連中と何も変わらない。科学的根拠はなにもない。


 繰り返しますが、私がつけたコメントは正解ではありません。正解は本書を読むというより、自分で調べてみましょう。
 世の中で報道されている、あるいは入ってきた情報全てについて、自ら裏をとり調査する事は物理的に不可能ですが、それでも、繰り返し報道される事象について少しでも興味や疑問を持った場合は、可能な限り自分でも調べてみるという姿勢が大事なんでしょうね。

 つことで、本書についてはこれから読んでみたいと思います。

よなかの散歩/角田光代

2011040601.jpg 実は川上弘美が好きなのである。で、どうしてこんな書き出しで始めるのかというと、本屋さんで「川上弘美」の新刊が出てないかなーと探す度に目につくのが、この「角田光代」だったりするのだ。どっちも「か行」だしね。

 つことで、今日も本屋で「か行」の棚を見ていて、何となく目について買ってしまった本。著者は同い年だよ自分と。

 読んでいて面白いなーと思ったのが「愛と恐怖」という章。こんな自分でも、いままでに数回は人を愛した気分になった事もあり、そのときに思った事は確かに「愛とは悲観に属する」って事。だってもう、心配で心配で仕方ないもの。愛する人が交通事故に遭っていないか、駅でホームから転落してないか、階段ですっ転んで大怪我してないか…。変な話、そんな事ばかり考えていた事が、自分の人生の中で何度かあった。この共感を得られた事は、本書を読んで最大の成果でもある(笑)

 他、美人である事が既に無駄である美人ってのは、確かにそういう人結構いるよね。自分の場合、美人さんってのはどうも苦手なのだが、そういう美人であることが無駄…人ってのはワリと好き。残念ながらそういう無駄な美人ってのは、その無駄に気づいた人の手に既に落ちている事が多いのだけれども、たとえそういう関係にならない人だとしても、やはり美人の人とお話しするのは素直に嬉しい…というか、つまり自分はズボラな人とウマが合うのかもしれないなー。

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▼2011年03月26日

野宿入門/かとうちあき

2011032601.jpg 野宿…いいよね〜。そういえば最近してないなぁ。

 なぁーんて思いながらサクッと読みました。ホント、いいですよね、野宿。キャンプじゃなくて野宿ってのがいいよね。自分も昔はよくやりました。真っ暗の田舎道でもう眠くて仕方ない!って時に、車を停めて速攻テントを張って寝てみたら、バス停の前に寝ていたとかそんな事もありました。あと、夏なんかは道の駅の芝生部分でマット敷いて寝たりとかね…。
 野宿までは行かないけど、酔っ払ったときは公園や駅で寝たり、初めての海外旅行時にもしっかりと酔っ払って町中の道路脇で寝たりと、外で寝る事には昔からあまり抵抗感のない自分です。ただまぁ…都内住宅地の公園に寝たいとはあまり思わないけどね。

 他にも「寝袋を手に入れたら大人になった気がした…」とか、そんな気持ちもよくわかります。野宿、またしたいなぁ。

 ちなみに著者が主宰する「野宿野郎」という公式サイトはこちら

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野宿入門/かとうちあき

▼2011年02月13日

ナマズの幸運/川上弘美

20110213_01.jpg 川上弘美のエッセイを読むと、なんだか踊りたくなる。それも本格的な踊りではなく、机に座ったまま手をフラフラと適当に振ってるような…そんな感じ。

 東京人という雑誌に連載されているエッセイをまとめた単行本、ようやく3巻が発行された。早速買って読んでみる。

 以前だと4/5は本当のこと…という話だったが、本書ではもう少し本当のことの成分が増えているそうである。なんとなくダラッとしたい休日のお供に是非。

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▼2011年01月04日

世界全戦争史/松村 劭

20110104_01.jpg 本屋で見つけた時は、その厚さに「なんかのギャグかよ」と思ったのだが、手にとって読んでみるとその内容に引き込まれた。

 A5版で2664ページ、古代から去年まで、世界で起きた戦争についての概略を延々と語っている本。ただし、その切り口は、単なる歴史絵巻ではなく、今と未来に通じる力強い主張を感じる、質の高い思想書とも読める。著者の松村 劭については、「ナポレオン戦争全史」という本を以前読んだことがあるのだが、日本人が書く戦争に関する本の多くが、ある種感情的な通念から抜けきらない主張が多いのに対し(通念を否定する訳ではない。ただ、ごちゃ混ぜになっているのが多い気がする)、事実とその論考が割とすっきりと清々しい印象があった…と記憶している。
 ただ、その後「戦術と指揮」という本を読んだ時は、ちょっと違うかな…みたいな印象があったのだが。

 もちろん、こんなボリウムの本を、一気に初めから最後まで読むつもりはない。机の脇に置いてチビチビと楽しんでいくつもり。ちなみみ松村 劭氏については、ちょうど一年前の2010年1月、鬼籍に入られたとのこと。アマゾンのレビューでもあったが、こんなボリウムでこんなページ数という無茶ぶりは、生前に発刊を急いだ結果なのかもしれない。この荒っぽい編集業も、ある種いい味を出していると思う。

 ちょっと高価かもしれないが、歴史で起きた戦争を俯瞰するベーシックな資料として、戦争や歴史に興味がある人は、本棚に入れておくといいかもしれない。

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▼2010年12月31日

父が子に語る世界歴史/ジャワハルラール・ネルー

20101231_01.jpg 久しぶりの良書に出会ったという感じ。ジャワハルラール・ネルーとは、インドの初代首相。これは、そのネルーが刑務所から娘に送った歴史の話を綴った本だ。

 歴史の話というよりは、これは1人の人間が織りなす小説…あるいは物語といっていい。様々な歴史話の中に、家族のことや娘の思い出などがちりばめられており、著者の家族への思いに心を打たれる。

 歴史的な視点からも、インド人から見た歴史話というのが、私達日本人や西洋人が語る歴史とは若干トーンが違っていて興味深い。

 全8巻とのことで、読み通すにはそれなりに時間も金もかかるが、それでもゆっくりと長い時間をかけて読み続けてみたい、親から娘への、家族の物語である。

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▼2010年12月05日

ハムサラダくん/吉田忠

20101204_04.jpg 副題に「藤子不二雄物語」とあるが、内容はまんが道とはちょっと違う。漫画家を目指す少年二人の物語として読むべきなのかもしれない。

 子供の頃「コロコロコミック」で連載していたのを何度か読んだことがあるが、通して読んだことはなかった。本屋さんに売っているのをみて思わず購入。上下巻セットで買ってきた。

 早速読んでみると、あぁ…こんな話だったんだと知ってとても興味深い。アメリカ帰りの漫画家ってのがなんだか笑わせるが、ま、そういう時代だったのでしょう。上巻は比較的事実(?)に則って描かれているが、下巻のエピソードは割と自由奔放になっている。オリジナル性という事でも、下巻の方がおもしろいかもしれない。

 広くお勧めするべき作品でもないけど、本作品が、子供の頃記憶の片隅に残っている人にとっては、なかなか楽しめる漫画だと思う。あの時代は色々熱かったんだな。

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▼2010年12月01日

ネットで成功しているのはやめない人たちである/いしたにまさき

 タイトルに惹かれて購入。いや…というか、このタイトルだけで本書に金を出す価値があるのかもしれない。内容はおまけみたいなもん…と言うのは失礼か?

 著者の「いしたにまさき」氏は、本書を執筆するに当たり、所謂アルファブロガー達にアンケートを送っている。内容のネタバレっぽい感じもするが、折角なんで、自分も勝手にそのアンケートに答えてみようと思う。なんたって、私もインターネット上で文章を発表し続けて既に10年以上経つ人間だ。それくらいの資格はあるのではないか(笑)

1.お名前
 よっち

2.twitter ID
 flatearth_blog

3.ご自分のWebサイト、ブログなど
 ここ

4.一番好きなWebサイト(Webサービスも含む)とその理由
 Tumblr:情報の凝縮感がすごい

5.初めて見た時に一番衝撃を受けたWebサイト(Webサービスも含む)とその理由
 ODiN:ロボットが自動的にWebサイトの情報を拾って、それを検索結果として出力するという発想がすごいと思った。このサービスに触れた瞬間、従来のディレクトリ検索サイトは終わったと感じた。サービス開始はグーグルより後か前かわからないけど、自分にとってのロボット検索エンジンはこちらが初体験。とにかく興奮した。

6.ネットで情報発信する際に一番必要な個人スキルはなんでしょう?
 書きたいという思いを封じ込めない事

7.あなたがネットで情報発信する際に心がけていることは?
 ブログ以前は、世界にたった1人でもこの情報を求めている人がいるかも…と思ったら、躊躇なく書く事。ブログになってからは、あえて個人の主観、他人にとって役に立たないユニークな文章を心がける事。

8.あなたがネットでの活動を続ける事とができた理由はなんでしょう?なぜ続いたのでしょう?
 活動してる…という意識を持たない事。

9.あなたがネットで活動を続けてきたことで、収入に変化はありましたか?
 ネットでの活動は関係ないと思うが、収入については着実に下がってます(笑)

10.収入に変化があった場合、それは活動を初めてどれ位経ってからですか?
 ネットが原因での変化はないので無回答。

11.ブログなどのアクセス数を増やす工夫をしていますか?
 ブログ以前はしていた。ブログになってからはむしろ減らす努力をした時期もあった。

12.ツイッターのフォロワーを増やす工夫をしていますか?
 全くしていない…というか、リアル友達以外自分からフォローした人は数える程しかいない。

 ま、私の解答を見ても大して役に立たないと思うんだけど、世間に名の通ったアルファブロガーさん達の解答なら興味があるだろう。本書にはその解答に対する分析…というか感想かな…収録されている。
 それと、ネット界でのエッジな人達との対談。なるほど…確かにおもしろくはあるけど、やはり本書の価値はこのタイトルにあるなと、読後に改めて思った。

 ネットでの成功というコンセプトに興味がない人たちにも、じゃあ…今のネット社会というのは、どういった人たちによって支えられているの?というポイントに対する理解の一助として、本書は役立つと思う。
 そう、みんなマーケティングとかソーシャルとか集合知とか、そんな大層な事を考えながらネットで情報を発信している訳ではない。その感覚にピンとこない人達には、特にお勧めなんだけど、逆に言えば、本書を読んだからといってそういう感覚が理解できるようになるとも思えない。この感覚は結局、ネットサーフィンをやめて、ネットの海に飛び込んでる人達にしか理解できないのだろう。理解できたからって偉い訳でもないけど。

 ちなみにこのいしたにまさき氏。なんとOLYMPUS E-1を愛用してるんだってさ!。それだけで、自分の中での彼に対する高感度はかなりアップしています(笑)

▼2010年11月14日

15分あれば喫茶店に入りなさい/斉藤 孝

 普段ビジネス書は殆ど読まないし。特にこの「○○なさい」系の本はあまり好きになれないので読まないのですが、この本についてはつい「あ…普段自分がやっていることに近いかな」と思って買ってしまいました。

 かくいう私も、最近仕事での外出が増え、待ち合わせ時間がずれたり余ったり、あるいは約束場所に、時間よりも少し早めに着いてしまったときは、遠慮なく喫茶店…というか、今風にはカフェですね…に入ります。本書の通り15分時間があれば入ってますね。そこでコーヒーを飲みながら、MacBookProでメールの確認や、訪問先についての情報収集。その必要がないときはネットサーフィンや、場合によってはこのブログを更新していることもあります。

 また、それ以外でも、休日に仕事をしなければならないときは、家で仕事をせず、積極的にカフェへと出かけます。仕事をする場所としては、スターバックスがいいですね。大体2時間前後仕事をしてから、気分転換に一度お店を出て、しばらくしてまた別な店舗に入るという状況です。ちなみにスタバだと、レシートを持参すれば、当日に限り、違う店舗だとしても、2杯目のコーヒーが100円で飲めますのでとても便利です。ある程度仕事がたまっているときには、一日に数回スタバをはしごするという事もあります。

 何故スタバで仕事をするの?と思う方がいるかもしれませんが、これは本書でも書かれているとおり、ズバリ「自宅だと仕事がはかどらない」からです。自宅には自宅というだけあって、自分が好きなもの、仕事に関係ないもの、時間を潰すものなどが溢れています。それらの誘惑を断ち切って、仕事を始めるモードに切り替えるためには、やはりある程度時間がかかるものです。それなら…仕事以外の事がほぼできない自室外に移動してしまえばいい…。本書の著者がカフェで仕事をするのと、ほぼ同じ動機で私もカフェで仕事をすることが多いです。

 特に新規の企画を考える場所として、休日…特に午前中のカフェは非常に適した場所だと思います。休日の午前中という高揚感と、カフェという開かれた場所での緊張感と自由な雰囲気が混じり合ったあのココロの状態が、新しいことを考え出すのに適しているんでしょうね。そうやって、早起きしてカフェで一仕事をこなした日は、結果として午後も有意義に遊んだりして過ごせることが多いと思います。逆に午前中ダラダラと布団の中で過ごしてしまった休日の午後は、例え遊びだろうと、何となく身の入り方に差が出るような気がしますね。

 つことで、カフェで仕事をする快感を経験したい人に本書はおすすめです…と言いたいのですが、一つだけ反対意見を書いてみます。
 この「斉藤 孝」という著者は、電車の中もオフィス化して色々やるべきと提言していますが、私としては、そこについては正直微妙です。本書の中で「電車の中でiPodで音楽を聴いている人は仕事ができない人…」なんて言っていますが、私からすると、特急列車みたいな環境ならともかく、普段の電車の中で仕事の資料をチェックしていたり、電車の中で英会話テープを必死で聴いている人の方が、仕事時間とその他の切り分けができない、だらしない人間という印象を持ちます。
 以前、軍事関係の本で読んだことがあるのですが、「優秀な兵士は、少しでも時間があれば穴を掘って眠ろうとする」とありました。私の場合も、かなり意識して、電車の中では仕事をしませんし、仕事のことも考えませんし、iPodで音楽を聴くか、あるいは可能な限り眠ろうと努めています。電車内の読書については、確かに意外と集中できる…という効能について理解はしますが、それでも仕事をしている日は、可能な限り睡眠時間に充てます。それこそ、乗車時間が15分どころか5分でもです。

 この手のビジネス書で良くある基本姿勢として、空いた時間を有効に…などと書いてあることが多いですが、本当に空いた時間は、例え昼間であっても、可能な限り休息時間に充てた方が、仕事の集中力に良い傾向があると私は思っています。いい加減「24時間戦えますか?」みたいなコンセプトの失敗は認めるべきでしょう…という点が、本書を読んでいて唯一気になった点でしょうか。

▼2010年11月07日

もうひとつの国へ/森山大道

 途中まで読んでそれっきりになっていた本。間にレシートが入っていて、日付を見たら2009年10月17日に購入したらしい。

 大道氏の文章は、非常にザックリとしていて切れ味が鋭く、また、己が写真家であることを止めない文章が素晴らしい。ちょっと有名になったからって、門外漢のコメントを恥じらいもなく発言する、自称大御所達とは大違いだ。

 自分は大道氏のような生き方はできないし、するつもりもないけど、いつまでも自分に慢心せず、現場に生きる…というか、現場以外をまるで考えていないような写真家としての生き方にあこがれる。

 彼の著作は、続けて何度も読みふけようとは思わないが、なにか思った時には、他の文章も読んでみよう。

▼2010年09月21日

まんがサイエンスXII/あさりよしとお

100921-02.jpg まさか続刊が出るとは思ってもいなかったまんがサイエンス。本屋さんに寄ったら新刊として売っているのを見て、びっくりして買ってきた。いや…びっくりせんでも売ってるの見付けたら買ってくるけどさ(笑)

 学研の科学が廃刊になった今、どっかでひっそりと連載続けて欲しいけど、無理な話か。12巻のこれが、正真正銘最終巻になるのかな。

 内容はめっちゃお勧めです。ヲタっぽい絵はさておき、科学の不思議さと偉大さと凄さを、わかりやすく味わえます。

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まんがサイエンス12/あさりよしとお

▼2010年09月20日

崩れ/幸田 文

 「新潟県は崩れの多いところだときく。」とある章の書き出しだが、この文章がさっぱりと無着色で素晴らしいと思った。

 この本は、作家の幸田文が、とあるきっかけで目にした静岡県と山梨県境にある「大谷崩れ」をみて衝撃を受け、全国の名だたる崩れを見て歩くという異色の取材記録。こんな題材でこんな本が出ているのか…というのも面白いが、その文体がまたさっぱりと透明で、今の私達が良く目にするような、無用なアオリや誇大表現がないのが美しい。
 また、そのさっぱりとした書き方が故に、崩れという自然がもたらした「異質」な空間がより不気味に感じられる。この手のルポに良くあるような、取材地の地図や写真が一切記載されていないというのが、逆に想像力をかき立てられるのかもしれない…。
 とはいいつつ、本書で紹介されている崩れは、1〜2カ所を除いて、私も全て見に行ったことがある場所ばかりなので、こういう言い方はちょっとズルいかもしれない。

 青く美しい山道をゆくと、とたんにその傷口というか、内蔵をさらけ出すように出現する崩れ、確かにその異質な風景は、文学の対象となっても良かったものだと思うが、私が知る限りでは、崩れを、このような文体でまとめてある記録は、他にないような気がする。

▼2010年09月12日

電撃戦・グデーリアン回想録(上)

100912-05.jpg ようやく買えた。始めに買おうとしてから、もう10年越しくらいになるんじゃなかろうか。

 「電撃戦」とは、ご存じの通り、第二次世界大戦でドイツ軍が用いた兵法・傭兵術を指す。ドイツ語では「ブリッツ・クリーク」、直訳すると稲妻の戦争とでもいうのか。その後世界各国の陸軍傭兵術に多大な影響をもたらした言葉。
 その「電撃戦」を考案した、ハインツ・グデーリアン、本人による回想録。書籍としては新しい物ではないのだが、重版されると何故か品切れになることが多く、本屋で見かけて「あ、後日お金下ろしてきて買おう」とか思っているうちに、買えなくなってしまい、古本市場では高値になっている…というのを数回繰り返した。
 今回ようやく購入できたのは、今年の春に重版されたもの。上巻のみで4,800円(税抜)だから、下巻も買うと、一万円近くの本になってしまうな。

 注意すべきは、本書が「電撃戦」についてを解説した本ではないという点。あくまでもグデーリアン回想録であって、その課程においてドイツ装甲師団の創設と運用、そして敗北までを描いているに過ぎない。だとしても、本書が「電撃戦」そのものを研究する為の一級の資料なのは間違いない訳だが。

 本書を読んで意外なのは、第二次世界大戦での破竹の快進撃!と思われていた、ドイツ軍によるポーランド・フランス侵攻についても、当事者達からするとあの成功は薄氷を踏む思いであったという点。私達はどうしても、ドイツ軍序盤の大成功を知った上で当時の歴史を考察してしまうので、意外な気になってしまうのだが、それがまた別の視点から見ると、当たり前かもしれないが、全く違った印象だというのが面白い。これはなかなかエキサイティングな回想録だ。

 ついでなので「電撃戦」そのものについて簡単に解説してみる。従来の陸軍戦闘というのは、騎兵などという一部の例外はあったにせよ、展開する敵軍に「面」で当たるというのが主流であり、その為軍団は広く横に戦線を築き、同様に対峙している敵に対峙するというのが基本スタイルだった。その傭兵術を一変させたのが「電撃戦」。機械化された機動力を持つ部隊が、敵陣に対して面で当たるのではなく、正面を突破した後は楔のように縦に深く進行して敵を混乱させ、混乱後の部隊は後続部隊が掃討するというスタイル。今考えるとそんなにうまくいくのか?なんて気もしないでもないが、当時は完全機械化された師団をもつ軍隊はドイツしかいなかったので、楔のように進行した機械化部隊の行動を止められる機動力を持った部隊が存在せず、とても高い作戦効果を発揮した。
 ちなみにというか、皮肉というか…その「電撃戦」のスタイルを最も忠実に受け継いでいたのが、第二次世界大戦でドイツに国家崩壊寸前まで追い詰められていた、当時のソ連である。ドイツに勝利した戦後のソ連陸軍は、師団ではなく大隊規模である程度単独で行動出来る戦闘グループを多く組織し、NATO軍正面を突破した後はそのまま深く敵陣内に食い込み、戦域(シアター)を混乱させて叩くというドクトリンを持っていた。
 ここでもそんなにうまくいくのかと思うのだが、それに対するNATO軍の戦術は「ディープ・ストライク」という、航空機を運用した立体的な蹂躙攻撃…ま、いいや、話がずれてきた。つまり、その「電撃戦」を考案し、実際に運用したグデーリアンは、長きにわたり陸上用兵の父であるような扱いをされてきた訳で、そのグデーリアンの回想録が常に市場で品薄気味なのは、如何なものか…とも思ったりする。

 他、与太話だが、第二次世界大戦では極東の太平洋でも全く新しい軍隊の運用術が生まれている。それは日本海軍が考案した、正規空母を集中して運用する「機動部隊」という考え方で、この新しい戦い方が、かつての主力戦艦を第一線の場から退かせた…というのが、なんだか皮肉。ちなみに「機動部隊」は、後に英語で「タスクフォース」と訳された。

 余談ばかりになってしまったが、とにかく、こういう戦史を知ることは歴史を知ることにつながると思うので、興味のある方は高価ですが是非是非。特に近代史は、このような一次資料に近い当人の証言が聞けるチャンスが多く、世間での評価と当人の証言のギャップなんかを楽しんでみるのもまた一興だ。特にミリタリマニアでは「ドイツの科学力は世界一ィィィ」とか言ってる人が多いので、そういう浮かれた人達にも是非読んで頂きたい本デス。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 25mm F2.8


電撃戦(上)グデーリアン回想録/ハインツ・グデーリアン 本郷 健

日本海の孤島・飛島/粕谷昭二

100912-04.jpg まだ読んではいないのだが、とりあえず購入報告というか、自分用のメモだな。

 飛島というのは、山形県に属する日本海に浮かぶ孤島。鳥海山の中腹からとてもよく見える島で、渡り鳥の中継地として、あるいは日本海側海上交通の中継地として、それなりに栄えてきた歴史ある島。本書では、その飛島の今と昔、そして未来に渡る課題などを紹介している。

 こういう1地域にターゲットを絞ったドキュメンタリーというのは昔から大好きで、関連の民俗学系書籍を一冊読むよりも、かつての日本の暮らしや文化などがとてもよくわかる気がする。そして、その付近の人達、地域の人達のつながりを知ることにより、日本の歴史というのが、中央の歴史以外にも生々しく存在していたんだなという興味を引き立てられる。

 まだ序文とその先くらいしか読んでいないのだが、早く読みたい。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 25mm F2.8


「崩壊地ブック」と土木系LOVE

100912-03.jpg 「崩壊地ブック」なる同人誌が出ているらしいことをデイリーポータルのこの記事で知った。早速買ってみようと思い、秋葉原にあるCOMIC ZINという同人誌ショップへ。「崩壊地ブック」「崩壊地ブック2」を買ってきて、お値段1,260円だったかな。安いものだ。

 実は、崩壊地とか、治山事業とか、砂防ダムとか、蛇腹籠工とか、法面とか…ま、そういうキーワードには昔から反応はしていて、例の「大谷崩」ネタの記事を読み始めたときも「あぁ…日本三大崩壊地ね」なんて自然に読めてしまったくらいだ。残念ながら大谷崩には行った事がないのだが、稗田山崩れは何度か見に行ったことがあったりする。

 つことで、何が言いたいのかというと、家には案外こういう関係の資料が多いという事。昔林野庁関係の仕事をしていたせいか、この手の刊行物の編集を何度かやっていて(というか「やるやる!」と名乗り出たというのが正しい)、20代の一時期は、このような治山事業に萌えていた時期がありましたよ…で、家にはこういう資料もあるんだぜ!なんて自慢話をちょっとしたくなったなというお話でした(笑)

 ちなみに私は「ダム」とかも確かに好きなんだけど、そっちは「治山萌え」と、ややベクトルが違うような気がするんだよね。こんな違い、興味ない人にとっては、どうでもいいことでしょうけど。

 う〜ん、また日本各地の「崩壊地」、見に行きたくなってきたな。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro

▼2010年07月04日

すてきな切手本「切手帖とピンセット/加藤郁美」

100704-02.jpg 本屋さんで見つけて衝動買いしてしまった本。タイトル通り、様々な切手のデザインが紹介されている本ですが、その中でも本書は「1960年代前後の東欧〜アフリカ諸国」など、ちょっと珍しい世界の切手に焦点を当てているように思えます。新鮮なデザインの切手がカラーで数多く紹介されていて、眺めているだけのつもりでも、ついつい見入ってしまう、とても面白い本です。

 それはさておき、本書の中の文章で気になる部分がありました。それは、この本の中でコメンテーターが戦後デザインについて語っている部分。「戦後デザインのピークは1959年から1964年くらいまで」という説です。何故気になったかというと、私もその主張には大いに賛同できてしまうからです。

 本書では「世界中で戦争に明け暮れていた時代がようやく落ち着いて、10年位のタイムラグがあった後の1960年前後は、デザイナや職人達が希望を持って新しいアイディアを試した時代。そしてその時代、世界は戦争の傷跡から回復し、消費者の財力も付いてきたいいタイミングだった」と語っています。それが1980年代になってしまうと、デザインの意味が変わってきてしまい「本当によいものを届けるためのデザインが、既に持っているものを更に買わせるためのデザインに変質してしまった」ということ。確かにそうかもしれません。

 この文章を読んで、私が学生の頃に受けたマーケティングの講義で、講師が一番始めに語った言葉を思い出しました。それは、

「マーケティングで、良い商品をより多くの販売に結びつけることは可能ですが、どんなに優れたマーケティング手腕を用いても、悪い商品を多く売ることはできません。それがマーケティングの限界であることを覚えておいて下さい。」

 という言葉。今までこのような現場で働いてきて、この言葉は私の中でベーシックなマーケティング・企画の基礎理論としてずっと心に留めてきていました。

 しかし、とはいいつつも、今の時代では決して良い商品でないものを、強引なプロモーションで消費者に押しつけるような手段が増えてきたようにも感じています。それをマーケティングというくくりで語ってしまっていいのかは判りませんが、そんな事を思いながら、本書の「本当によいものを届けるためのデザイン…」という下りを読むと、妙に心に残ってしまいます。

 あまり同業者とのつきあいが多くない私ではあるのですが、それでも以前デザイナと語り合ったとき、もっと早く生まれて1960年代にデザイナとして活躍したかった…と言っていた人は何人かいました。彼等はきっと、あの時代「良いものをより良いデザインでお客様の元へ」という、シンプルで力強い、ストレートなデザインの力を信じられた時代の良さを、本能的に感じ取っていたのかもしれません。

 後半は本書の内容とは関係ない文章になってしまいましたが、今からちょっと古い時代…デザインがデザインとして自由に力を発揮できた時代の記録としても、とても面白い本です。
 購入するときは、下にアマゾンのリンク貼ってしまいましたが、直販で買うとオマケ付きなのでおトクかも。内容が気になる人には中身全184頁のプレビューなんてのもありますね。web副読本アクセス・ワードってのは、自分は本屋さんで買ったのでもらってませんけど、ほしかったなぁ。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


▼2010年06月06日

iPadショック/林 信行

100606-01.jpg せっかくiPad買ってみたので、1冊位はあいぱど本でも…と思って買ってみた本。さすがにiPad発売からすぐに発売された本のせいか、内容についてはちょっと薄いなと思った。

 ただ、まぁ…iPadを買って、この端末が世間でどんな期待を受けていて、また、どの方向を目指しているのかという、現時点での指針を俯瞰するにはいい本だと思う。少なくとも、急に沢山発売された、雑誌大の薄っぺらいHow toにすらなっていないムック本よりはマシだと感じる。

 内容についての感想は特にない。というのも、普段からiPadやiPhoneの情報をネットで漁っている人にとっては「どっかで読んでる」内容がほとんどだから…故に、私みたいな人には「iPad事情のまとめ本」、という位置づけに留まった。

 なんだかいい評価がないな…という感じのエントリになってしまったが、そんな訳ではなくて、読んでいる最中はそれなりに面白かったし、ふむふむと感じた部分もある。かといって「この本で初めて知った!」という内容があった訳でもなかったかなぁ。
 ただ、iPad関係で断片化された情報を頭で整理するには役に立つ。もちろん「iPadってなに?」と思っている人にとっては、ややビジネス寄りの内容ではあるが、なかなか面白い。そんなに濃い話でもないので、サクッと読めると思う。ある種正しいビジネス書の姿…って、結局なんだか否定的な感じで結んでしまったような気もするが(笑)

 繰り返し読むような本でもないので、もしどなたか読みたいという方がいれば、ネットでこんなこと言っていいのかわかりませんが、手持ちの本、差し上げます。条件は「手渡し可能」「読み終わったら周りの興味ありそうな人にあげちゃって」の2点です。ブックオフとか禁止(笑)。応募者多数の場合は、適当に渡しやすい人から放流しちゃいますのであしからず。

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▼2010年05月25日

関東水陸交通史の研究/丹治健蔵

 古本屋さんで見つけたので買ってきた。古本といっても4,000円もしましたけどね。ま、新品の6割引だから得ではあるんだけどさ。
 で、多分通して読み終える事は無い…か、かなり先のことだと思うので、全て読んでもいないのにエントリ立てちゃいます。

 本書の内容としては、タイトルの通り。関東圏における、水陸交通…というか、内陸の物流と言ってしまって差し支えないだろう…についての研究記事をまとめたモノ。まだ本書の内容について全て目を通した訳ではないが、おおよそ利根川水系と江戸川水系、あと、茨城県と千葉県…常陸国近辺の物流史についての研究記事が掲載されている。
 対象とする読者層が、一般の読書人というより、モロ研究者向けなので、記述内容のハードルは高く、正直私も通して全て読むつもりはないのだが、それでも、当時の運送契約、積み荷についての契約書類、そして運送料金についての覚え書きなど、ふと疑問に思ったときに、参照できるベーシックな一次資料からの転載が多いのが特徴。つまり、一般書と違って初めから最後まで通して読む…という用途の本ではないんだなと、そんな感じ。

 数年前までは、江戸側と利根川水域について、あの景色と集落の関係、そして歴史について興味があり、何度もクルマで現地をドライブして、雰囲気を感じ取っていたものだが、最近は江戸川水系についてはともかく、利根川の、特に取手以降の下流域については、あまり訪れていない気がする。
 時間と余裕を見て、クルマだけではなく、自転車でそれらの土地をゆっくり回って、当時の内陸水運の息吹を、もっと濃く感じてみたいものだと思っている。

▼2010年05月24日

江戸東京を支えた舟運の路/難波匡甫

 かつて江戸東京を支えた利根川内陸水運に関する本。このシリーズの続編となる。

 かつて、北国から江戸に運ばれる米や特産物は、海路でそのまま東京湾に入ってくるのではなく、1度千葉県銚子で川船に積み替えられ、そこから利根川をさかのぼり、江戸川を経由して江戸に入る…といったルートが一般的であった。何故なら当時の鹿島灘、九十九里浜沖の海路は難所とされ、遭難事故が多発していたからだ。
 実際、その海域で不意に沖に流され、黒潮の流れに乗ってしまい、沈没は免れても、遙か北まで漂流してそのまま帰らぬ人となった船乗りは多い。遭難した場所こそ違えど、江戸時代、ロシアに渡りエカテリーナ女帝に拝謁した大黒屋光太夫も、黒潮に乗り、カムチャツカまで流されている。

 それはさておき、北国からの荷物の殆どが、利根川と江戸川水系を利用して江戸入りする訳だから、当時の川の賑わいは、想像以上のものであったろう。現存する写真で、明治に入ってから、今の千葉県松戸市近辺で江戸川を撮影した写真があるのだが、大小様々な川船が浮かんでいて、たいそうな賑わいである。そんな時代もあったのだ。

 その利根川水系内陸水運だが、江戸中期に起きた浅間山の噴火以降、火山灰が川に堆積し、大型船の通行が困難になり、徐々に衰退してゆく。他にも、房総沖を航海する安全なルートが開かれたりして、利根川水系内陸水運の地位は徐々に下がっていった。
 それでも、今と違い、中・短距離の輸送手段として、やはり川を使った水運は盛んであり、明治に入ってからも、上流の回航困難な関宿をパスする目的で利根運河が掘られたりして、川はそこを利用する運送業者や旅客船などで賑わい、今の人気のない利根川の姿とは全く違う様相を呈していた。

 本書では、そのかつての内陸水運のコースを、可能な限り川から辿っている。現在の巨大な堤防で隔離された河川上から、かつての川の足跡を感じることは難しいみたいだが、それでも現在のスーパー堤防の外側には、わずかながらも、水運で栄えた町の栄光を見つけることが出来る。

 以前も書いたと思うが、現在の日本は、あまりにも水上交通の利便性を忘れきってしまっていると感じる。もちろん、時間にも正確で天候に左右されにくいトラック運輸が、物流の主力を担う現実は変わらないだろうが、そんな今でも、河川を利用した物流ネットワークというスタイルは、なんかしら利用できる余地があると思える。本書を読んで、そんな事を感じた。

▼2010年05月16日

戦争の世界史/W.マクニール

 戦争について、古代から現代(本書は冷戦が終了していない時点で書かれた)までをまとめた本。ただ、一般の戦記書と違うのは「戦争」という事象を、その当時の社会システムや技術から生み出され、変化してきた…という視点で一貫していて描いていること。

 例えば、古代における社会システムと、青銅器や鉄器などの発明から引き起こされた戦争の姿、また、その後の中国社会、そしてヨーロッパにおける戦争ビジネス、そして新たな科学力が引き起こした戦争の変化、国家総動員制、単一の国家でコントロールできなくなりつつある戦争、そして凶悪な核兵器を持った現代では、地球規模の強力な国家単位が生まれないと、もはやこの状態をコントロールすることは不可能である…という結び。
 ざっと書いてしまうと当然の事の羅列にも思えるが、その中で書かれているエピソードは、どれも戦史マニアをうならせるモノであり、また、個々の時代ごとにおける「戦争」が、1つの流れとして、自身の中で再構築できるような構成になっている。これは読んでいて非常に快感だった。

 後書きにもあるが、何故幕末の日本では最新の洋式大砲に歯が立たなかったのか。そして何故西国の有力藩はこぞって「反射炉」を作ったのか…なども、本書を読むとなるほどと理解できる。

 また、人力や馬で遠征可能な範囲が、かつての国家において軍事的に影響力を及ぼせる範囲であったのが、様々な技術革新により、その影響力をどんどんと広げてゆくことが可能となり、ナポレオン時代以降の西欧は、もはや戦争によって歴史が作られたというより、新しい技術により戦争と歴史が作られたと考えた方がいいような状況だとも…。
 ちなみに、戦争によって「最新技術」が生み出されるようになったのは、十九世紀末の海軍における造艦テクノロジー競争以降だというのは、なにやら意外。それ以前の大砲や銃などのテクノロジーは、全て民間の企業が、開発済みの最新技術を国家に提供していた状態だったそうだ。

 他にも細かいことを書いていればキリがないのだが、とにかく、軍事マニアや戦史マニアにとって、本書はやや高価ではあるが、絶対にお薦めの本だと断言する。
 私もとりあえず1度読み終えたが、まだまだ全然理解が足りない。机の近くにおいて、事があれば、何度も読み返そうと思っている。

▼2010年04月27日

スーパーカー誕生/沢村慎太朗

100427-01.jpg 伝説のスーパーカー研究書、「スーパーカー誕生」が、奇跡の1,000部限定重版

 初版発刊当時は「給料日になったら絶対買おう」と思っていたのだが、あっという間に市場から姿を消してしまい、その後、古本はアマゾンで3万円なんてバカげた値付けがされていたおかげで買うことが出来なかった。
 幸い内容については、隣町の図書館にあったので、借りて一読はしたのだが、それでもこんなに濃い研究書は是非手元に置いておきたい!と思っていた。そんな中、今回の重版は本当に待ちに待ったもの。高価ではあるが、自動車…特にスパーカーについて何らかの興味を持っている人は、絶対読んだ方がいい。

 内容は、デ・トマソ・ヴァレルンガからスタートし、ランボルギーニ・ディアブロまで。おおよそ車種別にテキストは別れているが、従来のスーパーカー本にあるような、単に1車種のスペックとエピソードを羅列するだけではなく、その開発に至る経緯と時代背景が巧みに織り交ぜられている。

 私達は、どうしても「スーパーカー」という商品を、伝説めいた言葉で飾ってしまうことが多い。もちろん、その魅力的なスタイリングや、卓越した性能(性能については最近その“張り子”が暴かれ始めているが)は、私達に夢とロマンを与えてくれるし、その結果商品が伝説めいたエピソードに埋もれてしまうのもやむを得ない事かもしれない。実際メーカー側もそういった側面を肯定している節もある。
 ただ、実際に自動車メーカーが作る自動車は、どんなモノでも、売るべき顧客を設定し、マーケティングを行い、販売台数×販売価格から想定した、開発費用とコスト管理を行って世に出される「商品」である。本書では、それらスーパーカー達とその成り立ちを、現地での取材リソースを元に、極めて冷静に語っている。

 内容については、ある程度自動車に対する知識がないと辛いかも知れないが、それでも頑張って読み進めれば、スーパーカーという極めてエキセントリックな商品と、なぜあの時代はスーパーカーだったのか、が理解できると思う。そして、何故現在の高性能車達は「スーパーカー」と呼ばれないのか、についても何となく理解できる気がする。

 個人的には、簡単な図ではあるが、登場車種達についてのエンジン・クラッチ・デフレンシャル・トランスミッションの搭載見取り図が記されているのが素晴らしいと思った。自動車におけるこれらの搭載位置と、地上からの高さは、スペックを語る上でも、非常に重要な情報だ。

RICOH GR Digital


▼2010年04月11日

カワウソと暮す/G・マクスウェル

100411-01.jpg スコットランドの人気のない入江、そこで著者が、短い間ながらも、カワウソのミジと暮らしたドキュメント。ミジビルとの出会いと、生活、そして唐突な別れを、割と淡々と(というように読める)描いている。

 本書で描かれるカワウソの生態は、人と動物にとって本当に理想的な関係にも思える。それはこの人気のないスコットランド、という土地であることも関係するのだろうが、日本でもカワウソが全国各地に生きていた頃は、このミジビルの様なカワウソが、私達の生活圏の中で一緒に暮らしていたのかも知れない。

 カワウソは、肉食動物の為か、あまり人間を恐れない。恐れないどころか好奇心を持って近寄ってくることも多かったという。本書でも、この自由奔放に人と暮らすカワウソの生態は、まるでファンタジーのよう。

 数は少ないが、口絵で収められている数点の「ミジビル写真」も素晴らしい。カワウソに興味を持っている人以外にも、動物好きな方に広くお勧めできる本だ。ただ、残念ながら、現在では入手がやや困難。

RICOH GR Digital



▼2010年02月22日

Brompton Bicycle

 ようやく届いた謎の洋書「Brompton Bicycle」。注文したというエントリを書いたのがこの頃だったから、約3ヶ月待たされたのか…。

 届いてみると、当然ながら洋書「かに文字」なので、私には何がなにやらさっぱりです(笑)

 内容としては、世界のフォールディングバイクの歴史、ブロンプトンのプロトタイプから誕生まで、そして各モデルの変遷。またブロンプトン以外のフォールディングバイクについても紹介されていて、なかなか面白い。

 文字ばかりではなく、写真も豊富なので、ブロンプトンがお好きな人にとっては、洋書の入門としても良いのでは?かわいいお値段だし。

 今なら即納みたいですよ。

港町のかたち—その形成と変容/岡本哲志

 交通の歴史に興味を持っている。昔の人たちが、何を考え、何を求めて、世界を駆け巡っていたのか。そしてその足跡は今でも残っているのか…そんな事をよく考える。

 本書は、そんな日本の交通史の中で、かつては大量輸送の花形であった、海運で栄えた街の足跡を辿るという本。面白いのは、この手の現地調査ではその現地に入るまでの交通手段にはあまりこだわりがない事が多いが、本書については可能な限り海の側から訪れ、また海の側から街の景観を確認していること。

 かつての水運と言えば、海もそうだが、日本は河川の水運も盛んだった。私がちょうど子供の頃は、近くに流れる川を利用して、海から大量の木材をプライウッドの工場に運び込んでいる姿をよく見た。牽引しているのは、焼き玉エンジンを搭載した「ポンポン船」そして牽引している材木の上には、鳶のようなおじさん達が、器用にくるくる回転する材木の上を歩き回っていたものだ。そんな風景も、私が大人になることには、すっかり消えて、川からは人の流れが消えた。

 同じ事が海にもいえると思う。大規模なコンテナ船やタンカー、フェリーなどは就航していても、もっと身近で小回りのきく交通手段、運送手段として、水辺は漁業を行っている人以外には「利用されない」空間になった。関西での事例は余りよく知らないが、特に関東以北では、人と海の距離感は、だいぶ離れてしまっているように見える。東京湾なんて内海なんだし、本当はもっと細かく旅客船が就航していてもよいような気もするのだが…。

 そのように、かつて交通の要所として栄えた日本の港町は、今では多くが、小規模な漁業港としてのみひっそり生き延びているのがほとんどだ。しかし、そのある種都会の喧噪から隔離され、穏やかにも見える港町は、陸上交通が主流になる前は、物流の拠点として、新しい物や情報であふれていた都会だったのである。

 近代社会が、納期が天候などの要因で左右されやすい、近・中距離海運から撤退しつつあるのも理解できるが、逆に言えば、そのような必要性の薄い用途において、もっと水運を積極的に利用できる社会というのは、創造できるのではないか。本書を読んでそんなことを思った。

▼2010年02月21日

創るセンス・工作の思考/森博嗣

 ミステリ作家、森博嗣のエッセイ。本屋さんで立ち読みしてみて、面白そうなので買ってみた。

 早速読んでみたのだが、この本のような考え方は、工作する人だけではなく、クリエータやプログラマにも身につけてもらいたいなと思う。

 私も子供の頃は、工作少年だった。家の周りは、丁度新興住宅地、工業開発地に囲まれていて、建設中で放置されている材木やトタン板など(放置していたのではないかも知れないが)、様々な素材を拾って、色々なモノを作った。
 子供だから設計図とか考えずに、思いつきで、のこぎりで切ったり釘打ったりという、工作と言っていいものか判らないレベルだったが、それでも楽しかった。また、家の中では、厚紙やノリ、セロテープなどを使って色々おもちゃも創った。本書の中にある「厚紙と輪ゴムで創った、自動販売機のおもちゃ」も、すぐに作れと言われても無理だが「あ…こんな方法かな…」とは何となくはイメージできる。というか、動作の仕組みを考えるのもそうだが、厚紙のあの素材感や強度など…そういう部分でのイメージが出来るのは、やはりそのような工作の経験があったからだろう。

 話はちょっと変わるが、真面目な人生を送っていないような私でも、たまに人から相談を受ける事がある。「デザイナになりたい」「Webディレクタになりたい」そういうときの私の答えはまず「なればいいじゃん」である。

 デザイナになりたいと思うのなら、その瞬間から、色々な作品を作ればいいし、Webディレクターになりたければ、自分でサイトを立ち上げて、そのサイトをセルフディレクションすればいい。幸い、今ではPCもデジカメもブロードバンド回線も無料のサイト開設に使えるストレージも、とても低いコストで手に入る。私がWebサイトを作り始めた前世紀とは大違いだ。

 こんなに恵まれた環境で、自らの意志で創造活動をスタートできないというのなら、陳腐な言い方をしてしまうと「あなたには向いていない」ということなのだろう(もっとも、その質問で「デザイナとして食べていきたい」「Webディレクタとして収入を得たい」というなら、また解答は別になる。私だってまだ判らない)

 最近はプログラマについても同じような事を感じる事が多い。私自身はコードを全く書けないし、そもそもプログラムなんて書こうと思った事もないのだが、それでも「こんな機能をもつプログラムを作りたい」という要望に対して難しいというプログラマに「このデータのこの部分を取り出して、それをキーにしてこの形でまとめ直して、その後必要なデータを抽出して…」みたいに実現可能な概念を提示するという事が多い。その概念を教わると「なるほど」と納得して、彼等はコードを書き始めるという感じ。

 このような事が出来るから自分は偉い、とか言うつもりはないけど、それでも彼等に対して感じてしまうのは、最初の一歩…つまり「創り始める」という思考のプロセスが訓練されていないんだな…ということ。以前もツイッターでつぶやいたのだが、こういった仕事をやりたいという人は、それこそ自分のセンスやアイディアを自ら出力したくて仕方ない人達かと思っていたのだが、最近はそうでもないようだ。

 私はビジネス書をほとんど読まないが、世の中の評判や、本屋さんでのタイトルを見る限りでは、「与えられた課題を如何に効率的にこなすか」という情報に偏りすぎている気がする。
 そうではなく、やはり仕事の基本は、自ら何かを創り出して、それで報酬を得る事ではないのかと、こういう仕事を続けてきた私はそう思っている。

 本書は、物作り系エンジニア向けに書かれたと思える文体だが、その考え方は、全ての仕事をしている人にとって役立つものだと思う。どんな状況でも、どんな年齢になっても、想像力は常に鍛えよう。

▼2010年02月11日

新・井沢式日本史集中講座「鎌倉・新仏教」編/井沢元彦

 井沢元彦による、日本史の本。彼の著作は別に好きという訳ではないのだが、この「日本史集中講座」のシリーズのみは読み続けている。
 それは、読み進めるのが非常に簡単な上、他の本では難解で理解しにくい「日本人の宗教」について、分かりやすく解説してあるからだ。

 私達は日本人を「無宗教である」と教えられてきたし、また、今でも私達日本人は「無宗教である」と思い込んでいる。でも、井沢氏によれば、それは間違いで、私達日本人のベースには、古代から延々と「言霊信仰」と「和」があり、その上に外国から入ってきた仏教やキリスト教などをアレンジして用いている…という考え。

 確かに、日本人による「言霊」の扱いは、論理性を欠いているなと感じる。葬式や結婚式で言ってはいけない言葉から、会社組織の会議でも「潰れるとしたら…」という言葉は「不吉で不穏当」として言葉で発したがらない。また「話し合えば判る」というのも、「話し合う」事を真っ向から否定する人は日本人ではほぼいない。実際は話し合う必然性があるから話し合う訳で…「話し合う」という意味をすっ飛ばして「話し合いは大事」などと言っている。冷静になって考えてみれば、これらの理不尽な行動は、ある種の宗教観に支配されている行動だとしか思えない。

 そんな事を、このシリーズでは延々と書いてあります。文章は非常に読みやすいので、今までこのような本を読んでいなかった人でも、楽しく読み進められる筈です。

FREE/クリス・アンダーソン

 サブタイトルは「無料からお金を生み出す新戦略」となっている。

 世の中のサービス…特にデジタル系の、複製のためのコストが限りなくゼロに近いものは、何らかの手段で遅かれ早かれ、重力に惹かれるかのごとく、無料化の流れには逆らえない、との事。それならいっそのこと無料に…なんて話も書いてある。
 個人的には、こういった「無料化」の流れというスタイルについて、最近色々考えていた事もあり、なかなか興味深い記述が多かった。

 読後、デジタルで提供されるコンテンツが無料化の流れに向かっているのもそうだけど、、同時に、デジタルの世界は、仕事の「ワークシュア」を先鋭的に実現しつつある世の中なのかな…なんて気もしました。

 ちなみに本書には日本語の公式サイトもあるのですが、微妙にこの著者が言いたかった事と、趣旨がズレているような気もします。

▼2010年02月07日

黒船前夜/渡辺京二

 副題は「ロシア・アイヌ・日本の三国志」。著者は「逝きし世の面影」で有名な渡辺京二。後書きには「逝きし世の…」の続編となる「日本近代素描」シリーズの2巻目にしようとしたが、思いとどまった…とある。

 本書で語られる時代は、ベニョフスキーの書簡事件から、ゴロウニン事件まで。その間に起きる、日本とアイヌ、そしてロシア三国の動きや思惑を明らかにしてゆく。

 旧世代の幕末史でよく語られる「黒船のショック」と、始めて見る異人に慌てふためく日本人…というステレオタイプのイメージは、最近になりだんだんと否定されつつあるが、本書においても、見知らぬ外国人に対して冷静な判断で対応する徳川時代の日本人が活き活きと描かれており、また、同じく旧世代のアイヌ史でよく語られてきた、内地(本州に住む日本人)の人間に一方的に搾取されるアイヌ人という、またステレオタイプなイメージについても警鐘を与えているように見える。少なくとも、徳川時代のアイヌ人は、幕府から一方的に支配されるだけの存在ではなかったという事のようだ。

 このゴロウニン事件の後、日本とロシアの通商交渉は一旦休止し、もう少し時代が下った時に、アメリカからはペリー、ロシアからはプチャーチンが、ほぼ同時に日本を目指し、タッチの差でペリーの恫喝外交が実を結ぶという結果になった。その時どさくさ紛れに通商条約を結んだ列強の中で、たった一つ、いわゆる「不平等条約」を押しつけなかったのがロシアであったらしい。

 本書に登場する日本人とロシア人達の姿を見ると、もし江戸幕府の開国がロシアからスタートしていたら、その後の幕末史と昭和史は、もっと穏やかな時代だったかも知れない…などという幻想を抱きたくなってしまう。
 本書を始め、当時の時代について書かれた書物を何冊か読むに当たり、日本人とロシア人は、いつの日かイデオロギー的対立を乗り越え、心の底から笑い会える仲になる日が来るのではないかと思っちゃうね。

黒船前夜/渡辺京二
日本俘虜実記(上)/ゴロウニン

ベッドサイトの読書灯、ヤマギワ・STEM RAY・SS393N|Conran HIGH-LIGHT

100207-01.jpg ずっと、ふとんの中で読書する事が夢だったのです。

 でも、私の部屋でふとんが敷いてあるエリアは、あまり室内照明も明るくなくて、なおかつ、寝る時に照明を消すには、布団から出て、奥の院脇にあるスイッチ(奥の院とは私の部屋の更に奥にある秘密の部屋を消しに行かなければならない…。となると、せっかくいい感じで眠くなったのに、また目が覚めてしまう…ので、寝る前の読書が、あまり思うように出来なかったのでした。

 いっそのこと、部屋の照明をリモコン化しようかな…なんて思っていたのですが、そんな中、色々とインテリア照明を探していたら、私の琴線にビビッとキタのがこのランプ。ヤマギワから発売されている「STEM RAY」というシリーズ、「Conran HIGH-LIGHT」ともいうようです。その新型モデルでは、サンヨーのエネループ単三を2本入れる充電式となっており、ますます物欲が…。ということで、シリーズの中で「集光レンズ付き」という、オリジナルよりも若干照射範囲が広がっているSS393Nをゲットしてきました。

 早速寝る前に使っているのですが、なかなかいいですね!ふとんの中での読書っていうのは…。
 今まではホテルに泊まったとき位しか「おふとん読書」ってした事なかったのですが、これからは、ちょっと眠れない夜でも、気軽にその時間を読書にあてる事が出来ます。

 更にこのライト、充電式の為、電源のないところにでもサクッと移動させる事が出来て、とても便利です。ライトのアーム部分は、フレキシブルに曲がりますので、自分のお好みの場所を明るくする事が出来ます。ダイキャスト製のテトラ風台座は、適度な重量感があり、安定性も抜群!見た目もカッコいいしね。

 ちょっと無理して難点を上げてみると、内蔵エネループ電池を取り外すとき、ドライバで台座裏側にある+ネジを3本外さないと電池蓋が開きません。急に電池が切れた時など、気軽に電池交換が出来ないのが残念。もっとも、電源アダプタつないで充電していればいいのですが、マニュアルによると、本体でフル充電するには約6時間かかるとの事なので、急に電池が切れて、なおかつ電源がないところで使いたいときは、ちょっと面倒かもね。それと、この製品にはエコポイントとか付かないんですかね。総務省さん。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro

▼2010年02月06日

海と非農業民

 数年前に亡くなられた、網野喜彦についての評論集。網野喜彦に関わった人達が色々な文章を寄せている…という構成だが、逆にそのような論文をまとめたモノの故に、網野学の入門としてもとても判りやすくなっている。

 網野氏が、どんなプロセスで「常民」という定義を始めて、それを「百姓は農民ではない」という有名な思想に昇華してゆくのか…。本書を読んだだけでは、当然まだまだ情報量が不足しているが、網野氏のどんな著作から読み始めてゆけばいいのか…という指標にはなると思う。

 最後の章「日本の歴史をよみなおす」の英訳版を作るに当たり、百姓を「peasant」と訳すのを禁止した…というのも面白い。代わりに使われた言葉は村民・町民を表す「villager」という言葉だそうだ。

 本書には「第1回常民文化研究講座」の際に行われた網野氏の講演を収録したCDが付属している。そっちはまだ聞いてないです(笑)

海と非農業民―網野善彦の学問的軌跡をたどる/神奈川大学日本常民文化研究所

湿原のアラブ人/ウィルフレッド・セシジャー

 アラブ人と湿原…というキーワードは、あまり結びつかないように感じるのではないだろうか…。私も書店でこの本のタイトルを読んだ時「あれ?」と思ったものだ。

 かつて、人類文明誕生の地と言われた、チグリス・ユーフラテス川に挟まれた下流は、広大な大湿原地帯だった。本書は、そのその大湿原地帯を訪れ、一緒に現地人と生活を共にしたイギリス人による、1960年代に書かれた記録。
 そのイラク地方にある広大な湿原地帯の旅行記を読んでいると、なにやらこの旅行記が、地球以外の架空の世界の話に思えてしまう。

 その貧しくも豊かで、時に生きる事に真剣であったその「アマダン」と呼ばれる部族と、彼等が住んでいた湿地帯は、現在この地球上に存在しない。何故なら、フセイン政権時代のゲリラ掃討プロジェクトで、川の水を人工的にせき止めてしまい、広大な湿地帯を全てを干上がらせてしまうという暴挙に出たからだ。

 旅行記としても大変面白いし、また、世界にはこういう場所も存在したんだ…という記録としても、貴重な資料だと思う。

湿原のアラブ人/Wilfred Thesiger

▼2010年02月05日

コンテナ物語/マルク・レビンソン

 現在世界中で当たり前のように行われているコンテナ輸送。そのアイディアはとあるトラック運転手出身のマルコム・マクリーンが企画し成功させたシステム。そのコンテナ輸送前夜のアメリカ海運業界と、コンテナ輸送によって、世界の海運…流通が変わってゆく様を追った本。

 考えてみれば、日々の暮らしを支えている重要な「コンテナ」というシステムについての歴史をまとめてある本は少なかったと思う。

 私たちの荷物が盗難にも遭わず、無事に世界中を駆け巡ることができるのは、この「コンテナ」というシステムのおかげなんだよね。流通の効率化についてもそうだが、荷物が途中で盗難に遭わない…というのも、コンテナ輸送の優れたポイント。

 タイトルを見ると、やや堅い内容にも思えるが、読み物としても、ドラマチックにポイントがまとめられているので、とても読みやすい。
 そして、こういう普段は地味な縁の下の力持ち系の情報をまとめた本って、理由はよくわからないけど、読むとなんだかワクワクしてくる。お勧め。

▼2010年01月18日

軍事とロジスティクス/江畑謙介

 軍事に関する「ロジスティクス」を「後方」と訳してしまうのが、そもそもの誤り…。そんな書き出しから始められる、主にアメリカ軍の最新ロジスティクスの実態を、詳細に調べ上げた本。元は経済誌に連載されていたそうだが、実際、軍事知識の本というより、物流システムに興味がある人の方がおもしろく読めるかもしれない。

 自分のエントリを参照するのもおこがましいけど、


 という現実にフォーカスを当てているのが興味深い。アメリカ軍が世界最強であるのは、何もステルス爆撃機やイージス艦を持っているだけではないという理由が見えてくると思う。むしろ本書は、非軍ヲタの方にこそ、物流システムの最前線事例として、お勧め。

▼2009年12月15日

ハンナ・アーレント「責任と判断」

 これからプレゼンなんだけど…ま、その前に本屋さんに寄ってちょっと買ってしまった本。

 ハンナ・アーレントとは、ドイツ出身のアメリカ人思想家。公と個についての独特な解釈が面白いのだが、正直理解するのに難解だと評判。私も若い頃、何かの本に手を出した記憶があるが、正直内容なんて全く覚えていない。

 で、なんで急に彼女の思想に注目しだしたのかというと、ミーハーな理由だが、週末に寄ったカフェ・プロントで配っているフリーペーパーで、ガンダムの富野由悠季監督へのインタビューが出ていて「最近ハンナ・アーレントを読み始めたのだが、難解で全く読み進められない。もっと若いうちに読んでおけば良かった」みたいなことを言っていたから。確かに彼女の思想の一部は、ガンダムで富野監督が言いたくてもうまく表現できなかったあのもどかしさに通じるモノがあるかも…と思って、昨日概略を記した新書を読み、今日本屋に寄ったら、この「責任と判断」というテキストがとても面白そうに思えたので、買ってみたという訳。

 もちろん、まだ全ては読み終えていないが、確かにガンダムファンは読んでみると面白いかもしれない。彼女の思想を読んでみると、ファースト後半からVガンダムに至る、富野監督の苦悩がなんとなく重なってくるような気すらする。

 「戦争犯罪はその特異性から再犯率が非常に低い上に、彼等はその個の意志を持って犯罪に荷担した訳ではない、社会に彼等を裁く権利は…」みたいな考え方。あるいは「どんな独裁政府でも、全ては“合意”なしでは成り立たず、また“合意”できるのは成人であり、そこに“服従”してしまうのは子供である」みたいな(かなり意訳…間違ってるかも)等の彼女の思想は、若い身空で、ガンダムとかイデオンとかダグラムとか…そういうめんどくさい人間模様のアニメに付き合ってきた、私たちの世代の方が、より分かりやすく心に染みるのかも…なんて思ったりもした。

▼2009年10月11日

“超”格差社会韓国

 とあるブログでこの本の書評を読み、ちょっと面白そうだなと思って、私も買ってみてざっくり読んでみた。

 読後の感想つぃては、韓国に生まれなくてよかったなという…。

 私たち日本人も、いわゆる「高度経済成長時代」に、様々な犠牲を払ってきたし、また、いろいろなモノを失ってきた。
 それを前提と考えても、今の韓国社会が、人を幸せにするシステム…というか、思想で運営されているのではないんだなと思った。私たち日本人も、よく認識しておいた方がいいかも…。

 しかし…このブログでも何度か書いていますけど、国家は何を目的に運営されるのか、じっくり考えた方がいいかも。国家は経済成長のために存在するシステムじゃないんだと、みんなでもっと気がつかないとね。

▼2009年08月13日

新訳・蘭学事始/杉田玄白:著・長尾 剛・新訳

 以前岩波文庫だったと思うが、蘭学事始は読んだことがある。これは、杉田玄白が、当時オランダ語の辞書も何もない状態から翻訳を開始した「解体新書(ターヘル・アナトミア)」にまつわる翻訳現場や出版にまつわる思い出話をまとめた本。実際、この本は当時出版された訳ではなく、私家本として若干流通したに過ぎず、またその私家本を元に少量の肉筆本が伝わっていただけだという。
 そしてこの本を、明治時代初期になって、偶然、福沢諭吉が神田の古本屋で発見し、歓喜しながらそれを印刷して出版するのだが、それまでは既に江戸時代末期の時点で、読みたくても読めない「幻の本」扱いになっていたらしい。今の私たちは、福沢諭吉が偶然古本屋でこの本を発見してくれたおかげで、当時の面影を知ることが出来るのである。

 で、今回の「新訳」版だが、これは私たちが普段目にする日本語に近い状態で全体を書き直してある本。なので非常に読みやすく、内容も理解しやすい。岩波文庫版も現代訳には変わりないのだが、やはり使われている日本語が厳つくて、理解しやすいとは言えない。研究目的でもなければ、本書を読んだ方が内容は理解しやすいと思う。

 本文を読んだ後、訳者の解説で「玄白の世渡り上手さ」を指摘している部分があるが。そこにでている「江戸時代当時の人達による自然な徳川幕府への信頼感」という下りはとても共感できるモノであった。今の歴史書の中には、江戸時代当時の庶民意識をどうしても「被支配者階級」であること前提に書かれている書物も多いが、おそらく江戸時代におけるお上への意識は、私たちがいまの自民党政権に感じている思いと、そう大差はないと思う。

▼2009年08月12日

コーチャンフォーに行ってきました

090812-01.jpg 北海道に行った時は、いつか行ってみたいと思っていた郊外型の書籍を中心とした複合チェーンコーチャンフォー。一部書籍マニアというか、書店マニアの方達には有名な店舗で、かなりマニアックな品揃えなどが特徴らしい。

 郊外店なので、前回鉄道で北海道に行った際は立ち寄ることが出来なかったのだが、今回はルート途中にある札幌市内「ミュンヘン大橋店」に寄ることができた。

090812-02.jpg まず店内に入ると、その圧倒的な広さにビビる。もちろん店舗面積では、都内の大型書店の方が大きいのかもしれないが、これだけの床面積が単一フロアになっていると圧巻。実際の品揃えをチェックしても、大量の本が並んでいる。
 で、在庫を見て思うのが、都内の大型書店とちょっと違い、なんだか「返本をきちんとしてない感じ」みたいな良さ(笑)。なんだか判りにくいかもしれないが、ちょっと古めの最近書店の店頭では見なくなった本が、そのまま置かれていたりする。

 本やフロアからCDのフロアに移動してみると、コレもまたびっくりな広さ。特に驚いたのが、ジャズやクラシック、イージーリスニングなど、ポップス系以外の売り場面積が広いという事。在庫の量と種類はともかくとして、クラシックコーナーの広さなんて都内のタワレコ並み。詳しく並んでいる商品はチェックしなかったが、タワレコとは違い、マニアックな輸入盤が多数並んでいるのではなく、国内盤を丁寧に在庫してある感じだった。

 とにかく、道内の人達は、こういった充実した本屋とCDショップが、夜12時まで車で気軽に行ける場所にあるというのが、非常にうらやましい。是非関東方面へも進出してほしいが、そういう無理な業務拡大を行うと、経営に無理が来そうなので、道内限定でもいいから、末永く商売を続けていってほしいなと思う。

 北海道を車で移動する機会がある人は、一度訪れてみては如何?

RICOH GR Digital

▼2009年07月31日

ちょっと感心した書評

 確かに人間にはそんな面があるのかもね。

 人間性の心理学」:誰が得するんだよこの書評

 このエントリの書評記事には感心したけど、元の本は読もうと思わないな(笑)

▼2009年06月22日

無趣味のすすめ/村上龍

 割と当たり前のことを淡々と書いている本。だからこそ意味もあるし「力業」なのかどうかはともかく、その文章に力を感じるのだろう。

 そう…。失敗なんて何の価値もない。失敗しない人生を送れれば、それに越したことはない筈。不可能だとは思うが、当たり前の事実である。

▼2009年06月12日

現代帝国論/山下範久

 買ってみた。まだ読み切っていないんだけど。

 「帝国」という言葉の意味が、昨今変えられつつあるような気がしますね、昔ながらの「エンパイア」ではなく、もっと経済的なつながりを主とした、君主が存在しない帝国…というべきなのか。
 いずれにせよ、本書を半分位読んだ所で、事前にアントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの「帝国」を読んでおいた方が良かったかな、と思い始めました。

 今の時代を、例えば100年後、1,000年後に振り返ると、どういう時代になるんだろう。

 今の私たちが内側から考えると、アメリカによる経済帝国時代と考えがちだけど、実はもっと俯瞰してみると、世界は君主や元首を必要としない、別な秩序の元で動き始めた混沌の時代なのかもしれない。いや…それが混沌かどうかは、未来からの視点だとどう見えるか判りませんが。

現代帝国論―人類史の中のグローバリゼーション/山下範久
<帝国>/アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート

▼2009年06月11日

東日製作所・トルクハンドブックVol.7

090611-01.jpg 昨日届いた「トルクハンドブックVol.7」。堂々の全433P。なんでもネットから申し込むと無料で送ってくれるとの事だったので、丁度トルクについて調べていた私も申し込んでみた。果たして個人相手に送ってくれるのかな?なんて思っていましたが、大体一週間位で送られてきましたね。感謝です。

 内容は、前半がトルクについての基礎知識…というか、私にとっては専門知識だな。ここまでだと、単に概論を調べたいと思っていた私みたいな「ニワカ」には手が余る程詳しい内容。
 後半は、各種トルクレンチ類のカタログ的なものになっていますが、単なる商品リストではなく、製品毎にスペックや使用方法など詳細に紹介されています。

 これだけの本をタダで贈ってもらえるとは…なんだか申し訳ないような気がします。機械いじりが好きな人にはお勧めですが、かといって冷やかしで請求するのは辞めましょう。

 ちなみに、本書の内容ではないですが、いわゆる「アマチュア」が行うトルク管理法である、「締め付けトルク」で計測できるトルクは、ネジ山部分の抵抗ではなく、大体8割から9割にかけて、ねじと座面の摩擦抵抗になってしまうそうですね。つまり、油のついた手でネジを持ったり、また、ねじとの座面にグリスなどが付着してしまった場合は、殆ど正確な値にはならないとの事。

 特に自転車イジりの時など、トルクレンチを使うのはいいけど、過信はしないように、ちょっと頭の隅に覚えておくといいかもしれません。

 そうそう、もう一つ豆知識だけど「ねじ」は、純粋な日本語なので、本来「ネジ」という風に、カタカナ表記はしないとの事ですよ。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5

▼2009年06月10日

しょっぱいドライブ/大道珠貴

 タイトルに惹かれて何となく購入。

 表題の「しょっぱいドライブ」と「富士額」を読んでみる。しょっぱいドライブの方は芥川賞受賞作らしい。

 淡々としたお話しで、面白いとかつまらないとか特に何も思わなかったけど、人とのつながりってのは不思議なものだな…と思った。私には、こういったゆるく心地よい人付き合いって、憧れるけど無理だろう。

▼2009年06月09日

女は3語であやつれない

 対になる本が「男は3語であやつれる」。両方とも売れているらしい。

 仮に「女は3語であやつれる」、「男は3語であやつれない」だったら、売れないどころか、ひょっとしたら女性団体と称するプロ市民が騒いでいたかも。

 本屋で立ち読みしましたが、感想は典型的なマーケティング主導だけで作った本。ま、流行り物が好きな人にはどうぞ…という感じ。

 ちなみにこの手の「異性にモテたい系」の本で感心したのが、ちょっとジャンルが違うけど「モテる技術」という本。これは思わず買ってしまったけど、具体例が非常に多くて、自分で応用できるかどうかは別にして、心理学の本としても説得力があった。こういう系統の本に興味がない人も、一度本屋さんで手に取ってみるといいと思う。もっとも、本書の内容にしたって「※ただしイケメンに限る」というのはお約束。

女は3語であやつれない/伊東 明
男は3語であやつれる/伊東 明
モテる技術/David Copeland Ron Louis 大沢章子

▼2009年06月05日

ツレがうつになりまして

 テレビドラマになるんだね。主演は藤原紀香だってさ。今晩放送らしい。見るつもりはないけど。

 「藤原紀香×原田泰造!「ツレがうつになりまして。」:NHKトピックス

 ちなみに本の方は読みました。なかなかいい本かとは思いましたが、鬱病で治療中の人には、あまり役に立たない本じゃないかな?なんて思ったりもしました。

 あと、本書にある「誰もが恵まれていることに気づけない」って部分にはちょっとカチンと来たかな。
 正直今の社会では、年頃の男性が仕事をせず、数年間治療に専念できるなんて、この著者のツレは、男性鬱患者にとって、こんなに恵まれてる状況というのは、ちょっと考えつかない位恵まれまくってると思います。
 現実として、既婚女性なら、そういう数年間の休業もアリでしょうが、既婚男性がそんな事したら、かなりの確率で離婚問題になると思います。大体、鬱って見た目は病気に見えず、単に怠けているようにしか見えないし。で、家族も失って財産も失って…という、鬱スパイラルに陥るのが現実でしょう。
 そういう意味で、この著者の太っ腹ぶりは素晴らしいとも思いましたが、逆に世間の現実とはちょっとかけ離れていると感じました。

 まぁ、「恵まれていることに気づけない」のではなく、「恵まれていると考えるようにしましょう」という趣旨なら、正しい事だと思いますが。

 文句は書きましたけど、本の方は面白いと思いますので、お勧めッスよ。

▼2009年05月29日

Macすいすい通信術

090529-01.jpg 本の山から発掘。今となっては100%何の役にも立たない本なのだが、何となく読み返してしまった(笑)

 これはMacでNIFTY Sarveやる人向けに書かれた本。ComNiftyとか茄子とかナツカシス。

 繰り返しますが、今となっては本書の内容は、既に100%役に立たないものです。でも、まだアマゾンで古本売ってるよ(笑)

CONTAX TVS Digital


▼2009年05月25日

極悪伝/みなもと太郎

090525-04.jpg みなもと太郎というと「風雲児たち」で有名な、歴史漫画家という評価が出来上がりつつあるが、裏ではこういう壮絶な漫画も描いていた。

 読後の感想は一言「く…くだらねぇ」。

 いや、本当にそれしかない。とにかく全編にわたり、くだらねぇギャグ満載…というかそれしかない。ギャグマンガにありがちな世間に対する風刺やアンチテーゼ…なんてものもまるでない。とにかく「親分ちゃん」と「子分ちゃん」が、ひたすらくだらねぇシモネタを延々と続ける…という漫画だ。

 で、買って良かったのかというと、それはもう良かったし笑わせて頂きました。というか、ここまで一貫して内容がない下品ギャグを延々と連載し続けられるってのも、ある意味プロってのはすごいと思わされるな(笑)

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro

▼2009年05月23日

ペリー艦隊・日本遠征記/オフィス宮崎:訳

 日本遠征記という、近代日本の幕開けに関する証言書ともいえるこの本だが、日本語訳の本というと、かつての岩波文庫版全4冊(版元品切れ)と、3巻セットの15万円という豪華版位しかまともに出版されていなかった。
 以前、浦賀に行った時図書館に寄って、その15万円の「日本遠征記」を少し読んだのだが、当然その場で読み切れるものでもないし、貸し出し可能な書籍でもないし、大体私は浦賀市民じゃないし…ということで、内容についてはそれ以降読んでいなかった。岩波文庫版については、以前古本屋で見つけてちょっと立ち読んでみたのだが、翻訳のせいなのか、あまり読み続けようと思わなかった記憶がある。

 で、今日神田の三省堂に行ってみたら、何やら新しい訳の「日本遠征記」が並んでいる。上下巻で一冊3,150円とちょっと高価だが、とりあえず上巻を買ってみることに。
 今回発刊された「日本遠征記」は、オリジナルの3巻セットの1巻目を上下巻に分けて発売されたもの。内容的には、前記15万円の一巻目を新たに訳したものとなる。

 ここまで引っ張ったんだけど、まだ序文しか読んでいません(笑)。ただ、序文の解説記事もなかなか秀逸で、日本の開国は、一般的に言われている「アメリカの強硬外交」にただ屈した訳ではなく、林大学を初めとする日本側のスタッフは、なかなかいい仕事をしていたらしい。
 特に、当時の日本は鎖国といいながら、欧米各国の情報にはかなり通じており、ペリーが比較的高圧的な態度で臨んでいたことについても、幕府は、自国からの援助が不十分である事と、蒸気戦艦の補給線が伸びきっていることを知っていて交渉に臨んだ節がある…と結ばれている。
 私も知らなかったが、第一回目の友好条約時には、日本側が、日本語以外で書かれている条約批准書に、署名を拒否していた、なんて事も書かれていて、一般に言われるようにアメリカ側から一方的に開国を押しつけられた…という訳でもないらしい。ま、その辺、アメリカ側の苦悩については、これから本書を読み進めることで、少しずつ明らかになって行くであろう。

 ザッと内容全体を見渡してみた限りでは、訳文も判りやすそうだし、すらすらと理解しやすく読み進められそうだ。

ペリー艦隊日本遠征記 上/加藤祐三・伊藤久子・オフィス宮崎
ペリー艦隊日本遠征記 下/加藤祐三・伊藤久子・オフィス宮崎
ペリー艦隊日本遠征記(全3巻)/オフィス宮崎

▼2009年05月22日

日本風俗図誌/ティチング:沼田次郎 訳

090522-01.jpg 今日は1日することが何もないので、隣町のカフェに出かけて、以前ここで触れたっきり、未読だった日本風俗図誌を読むことにした。もう途中までの内容忘れちゃったので、初めから最後まで通して読みました。勿論それなりに時間もかかっているので、スタバのスタッフにイヤな目で見られています。どうでもいいけど。

 で、内容についでですが、これがどんな本かを知りたい方は、過去のエントリーをどうぞ。正直よくここまで日本の風習を調べたな、と思いました。ただ、その後半の内容の多くが、江戸時代においての結婚・葬式などの冠婚葬祭に当ててある部分が多く、確かに当時のオランダ人にとっては興味を惹く風習だったのはわかりますが、私たち日本人にとってはちょっと退屈かな。

 面白かったのは前半部分、戦国時代後期から、江戸の時代歴史概略。
 これは歴史というより、歴代の将軍時代に起きた、今でいう新聞の3面記事みたいな、庶民の事件を中心にまとめてあります。勿論、歴代の将軍についても軽く触れられているけど、あまり詳しくは触れられていませんね。面白いエピソードもあり、正直全く興味のわかないエピソードもあったりと、色々です。

 以前のエントリーでも書きましたが、本書は今、版元品切れなので、今は古本で探すしかないのですが、なんというか、しばらくは増刷されることないでしょうね。読んでみましたけど、報告書としては面白くても、読み物としては、目録みたいな章があったり、延々箇条書きみたいな部分もあったりで、あまり読みやすい書籍ではないと思います。

CONTAX SL300RT*


日本風俗図誌(新異国叢書7)/ティチング・沼田次郎:訳

砂の文明・石の文明・泥の文明/松本健一

 で、予告通り、こちらの本も読みました。砂の文明・石の文明・泥の文明です。順番としては、この本を一番始めに読むべきだったかなとも思う。内容的には、本書が一番簡素にまとまっており、またわかりやすい。

 石の文明がその風土の為に外へ攻撃的な面、また泥の文明が、その風土が為に、内なる技術革新を常にしているというのは、ちょっと強引な感じもするが、こんな考え方もあると思って、世界の文明を考えてみるのもまた面白い。

 新書なので安いしお勧め…と言いたい所だが、丁度版元のPHPでは増刷のタイミングから外れているみたいで、都内の書店をいくつか回った限りでは、在庫を発見することが出来なかった。なので、イーブックオフに注文しちゃったよ。

▼2009年05月21日

歴史とはなにか/岡田英弘

 この本で知ったこと。「民族」という言葉は日本独自のものであり、外国語で「民族」を表す言葉はないということ。つまり、日本以外の歴史の現場や、その他色々な場所で使われる「民族主義」や、「○○民族の歴史」などと言う言葉は、そこに「民族」という日本独自の分類法を含んだ言い方であることを考えた方がいいのかも。

 今の(特に私たち日本人では)人達にとって、歴史とは知識であったり、教養であったりする訳だが、世界の二カ所…司馬遷の史記と、ヘロドトスとのヒストリア…は、武器として書かれたもの、という事らしい。確かに昔の歴史は、その君主や国家が、如何に正当なものとして存在するかが書かれているものがほとんどだし、今の歴史だってそういう意味ではその通りかもしれない。

 あと、国家は一定の方向に進化している訳ではない、また「中世」という言葉の曖昧さについての指摘は、普段私が思っていることにとても近く、なんだか読んでいて嬉しかった。この著者の他の書籍も読んでみるかな。

▼2009年05月17日

泥の文明/松本健一

 ちょっと前に読んだ「海岸線の歴史」に引き続き読んでみた。

 読後の感想としては、「泥の文明」としての論点より。日本人が「一所懸命」という精神で土地という存在に価値を示す…という事の特異性の方が印象に残った。
 また、主にアメリカが進めるグローバリゼーションが各国から否定的に取られがちなのは、アメリカ人という存在が、本質的に土地や歴史に対する理解にかけている面がある為なのかもしれないというのも、改めて感じた。

 タイトルから受ける「泥の文明」という言葉の印象より、泥の文明全体の文明論として視点がぶれている気がしたが、これは本書が「砂の文明・石の文明・泥の文明」という本の続刊的意味合いがあるからなのかもしれない。

 次はそちらの本を読んでみようと思う。

▼2009年05月12日

海岸線の歴史/松本健一

 帯にあった「日本のアイデンティティは「海岸線」にあり」という文句に惹かれ購入。なかなか面白い本だった。

 考えてみれば、私たち日本人は、国土に世界で有数の長さを誇る海岸線と豊かな漁場を持ちながら、その海に対する意識は、年々遠ざかっているのでは無かろうか。大体、海岸沿いにある街でも、子供達が海辺に行き、水に入って遊んでいるなんて風景はほとんど目にしない。そういう場所のほとんどは、決められたシーズン以外は遊泳禁止となっており、遊泳どころか海岸線に近づくのさえ学校によって禁止されていたりする。
 確かに水辺の事故のことを考えると、教育機関としてはその手の場所に出入りすることは禁止したくなる気持ちもわかるが、この勢いで行くと、そのうち外出そのものも規制されていってしまうのでは?クルマ通りが多い道路だって危ないしね。

 で、この本だが、海岸線について何かテーマを掘り下げるという形式よりも、むしろ日本の海岸線にまつわる色々なエピソードを色々と取り上げているという内容。そのため読みやすいと思う。
 著者によると「日本の海岸線について取り上げられている本は無かったので自分で書いた」とあるが、考えてみると…無いかどうかはともかく、珍しいテーマであるとは思う。これだけ日本には海岸線が溢れているのにね。

 私などは関東の人間なので、特に強く感じるのだが、関西に比べ関東はもっと海に対する距離感が遠いような気がする。確かに東京湾からすぐ北の鹿島灘付近は、海の難所として知られ、あまり船舶の航行に適した海域でないというのもあるが、もう少し海というか水辺について積極的に利用してもいいような気がする。
 海辺だけでなく、河川についても、例えば隅田川の遊覧船などは完全な観光目的だが、もう少し航路などを工夫すれば、普通に通勤航路としても利用可能ではないか…なんて思う。
 外洋航路については、気象用件にも左右されることが多いが、もっと日本人の意識が海に向いていれば、色々と利用できそうな航路は多いのでは?大体、カーフェーリーに人だけで乗船できると知っている人も案外少ないのではないか。

 ま、この本を通じて日本の海岸線について深く考察したい…という目的だとちょっと物足りなさも感じるが、海岸線についての概要に興味がある…という人には、なかなか面白い本だと思う。

 あと、この本のテーマとはちょっとずれるが、文明を「石の文明」と「泥の文明」に分けている考え方はちょっと面白いと思った。この著者の「泥の文明」という本も読んでみるかな。

▼2009年05月09日

パート怪人・悪キューレ

 途中までは単行本が出ていると聞いたが、まさかこの時期に単行本1・2巻同時発売の上に、書き下ろし36P(オイオイ)で、完結!するとは思わなかった。もう、何も考えずにレジ持ってったわ!

 この悪キューレとは、例のあの無料のマンガ誌、コミック・ガンボに連載されていた4コマ漫画。版元倒産に伴い、こんな漫画永遠に完結しないだろうと思っていたのだが、とりあえず完結してよかった。というか、どこかで続き連載をキボンヌ(笑)

 ガンボって、商業的には成功しなかったけど、他にも単行本でまとめて読みたい作品が結構あったんだよね。旅のサルーボなんかも読み続けたかった漫画だけど、こちらはWebマンガとして続いているみたい。早く書籍にならないかな。

▼2009年05月08日

本を読まない

 気がつけば、今は人生で一番本を読んでいない時期なのではないか…なんて気がする。コレはいかんということで、とりあえず部屋にある未読本の山から、「岡田英弘/歴史とは何か」を読み始めた所。ただ、序盤の中国史と西洋史の考察を読んだ所でギブアップ。なんだか全てにおいて持久力が落ちている感じ。まぁ、本は読まなくてもネットがあるし。

 私がネットを始めた頃…いわゆる前世紀の頃は、ネットというのはある意味エリートな情報源だった。回線スピード2800bpsと1分数十円という接続料金が、エリート…というか、いわゆる「ネット」という情報源に、そこまでの対価を支払えるという価値観を持っている人しかネット上には存在し得ない状況だった。ある意味全体主義的な雰囲気が少し気持ち悪くはあったが、少なくとも「荒らし」と称する低脳はいなかったかな。大体それなりのお金を払ってまでも身も知らぬ人に嫌がらせをする趣味を持つ人…なんてのはあまりいないからね。

 で、今のネットだけど、ネット接続のコストが下がるにつれ、ネット上から知性が消えた…というのは間違いで、接続コストが下がってしまったネットは、もはやテレビやラジオと同じメディアになってしまった…という事だろう。何も考えず一日中テレビを見ていて頭がよくならないのと同様、強固な目的意識を持たずにネットに接続しまくっていても、頭はよくならない。というか…徐々にバカになっていく気もする。

 近頃薄々考えてはいたけど、私もそろそろ、きちんとしたスケジュールで、ネット断ちを考えるべきなのかな…なんて気もしている。

 とりあえず、本を読むようにしよう…とは思うけど、既に人生半分投げている私にとって、読書なんてのも単にめんどくさい事でしかないんだよね。今更情報や見識を身につけたって、別に何かの役に立つ訳でもないしな。

 …って考えると、残りの人生、ネットに入り浸ってバカになり続けるという生き方も、それはそれでアリなのか?

▼2009年03月24日

聖おにいさん/中村光

090324-01.jpg ホテルの夜は聖お兄さんの三巻で過ごしました(笑)

RICOH GR Digital

▼2009年03月02日

MARGARET HOWELLのMook本

 こんなモノが出るとは世も末というか何というか…。

 マーガレット・ハウエルの魅力がたっぷり詰まった『ブランドe-MOOK』が発売!」:MARGARET HOWELL

 宝島社から発売というから、ズッカとか何だとか、あの辺のムック本シリーズになるんじゃろか。MHL.のロゴ入りトートバッグ付きというから、何となくお得な気もします。私はまぁ…買いますよ。

 アマゾンのアフリエイト貼ろうと思ったけど、まだアマゾンには並んでないですね。発売されたらリンク貼っておきます。

▼2009年01月21日

龍宮/川上弘美

 異形のもの達のお話。
 好き嫌いは分かれそうだが、私はもう夢中で読んだ。

 「ケーン」と鳴く老人の正太が良かったな。
 それと、イタチについての描写が、なんだか不思議でよかった。

▼2009年01月18日

東北からの思考/入澤美時・森繁哉

 日本人は農村風景を精神的よりどころとする。つまり、地方の里山や田園風景を見る度に、そのような環境で暮らした事もないのに「ふるさと」と感じてしまうのだ。

 本書は、山形県最上地方の今を歩きながら、日本の地方はどのような価値観を持ち再生していくのか…対談形式で語っている本。
 日本の今を語っているという意味において、極めて「民俗学」的な本である。というか、そろそろ過ぎ去った時代の伝承とか祭りとかを追い求めているだけの学問は、民俗学と切り離すべきでは?なんて思ったりもするが。
 本書の中にも「コンビニとかショッピングセンターとか、カラオケやスナックを論じる事が、現在の民俗学なんでしょうね」という記述があり、大いに賛成。
 そういう意味で、本書の内容は、リアルでエキサイティングだと思う。

 ただ、読後に思った事は、そこまでして「じっちゃん・ばっちゃん農業」を守っていく必要があるのかな?という点。というか、あえて言わせてもらうと、これから先の日本が、今までのように地方の集落を維持して守っていく必然性が希薄。この本に限らないが、これらの話の多くの議論の立脚点が「農村風景を精神的よりどころとする」という前提にたって、その意味を問うてこなかったからであろう。

 有史以来、日本人の生活が一番変わった時期は、戦後の高度経済成長時代である事は変わりない。日本人の習慣は「応仁の乱」と「江戸中期」にガラッと変わったと言われるが、それは中央の話であり、地方は日本という国が成立して以降、田畑を耕し、米を作り、それを現金に換えるという生活を繰り返してきた。その生活に都会の風が入り込んだという事態は、もう革命にも近い。今では日本の何処でもユニクロの服が買えるし、少年ジャンプが買える。朝日新聞も産経新聞も買える。その結果、その地方にしかなかったメディアは全滅した。その地方のメディアがなくなった以上、価値観は全て都会的な価値に左右される。これはある意味「パンドラの箱」みたいなもので、そういった生活を知った地方の人は、もう雪の中に半年閉じ込められるような生活は退屈だと感じてしまうだろう。もう昔には戻れない。少なくとも、今まで地方再生を考える上での前提条件とされてきた「農村風景を精神的よりどころとする」議論が成立しなくなってくるのだ。

 既に日本の事態は「地域再生を必要とするのか」というポジションにあると思う。

 そうそう…本書の本論と外れるが、安易な移民受け入れと、外国人に地方参政権を認めるのは絶対反対。入澤氏は、在韓日本人の参政権が否決されている現実を知っているのであろうか。

東北からの思考/入澤美時・森繁哉

▼2009年01月12日

CM化するニッポン/谷村智康

 こういう業界に片足突っ込んでる私から言わせると、あまり意外性のあるエピソードはないんだけど、書籍というまとまった形で通して読んでみると、色々と思う所もある。

 色々買い散らかしている私が言っても全く説得力無いけど(笑)、要はテレビは1日2時間まで、ネットも同様。余った時間で本を読んで音楽聴いて、残りは自分の人生自分で考えろ…って事かな。
 この本ではテレビと新聞についての警鐘がが主だけど、今時を考えるとネットも同じようなものだと思う。

 あと、サラ金とパチンコのCMを流す事がどれだけ犯罪的なことか、もう少しみんな考えろ…ということかな。それでもサラ金はともかくとして、パチンコは犯罪行為以外の何者でもない。日本では法律で公的機関以外の賭博行為は禁止されている。
 何でそんな犯罪業界がテレビCMなんて流せるのか、それを疑問にも思わない程日本人は白痴化して、マスコミに洗脳完了されてしまった…という事なのだろうか。

真鶴/川上弘美

 「ものを食べると、手足の先から熱がうばわれる」

 本当にそうだよね。しみじみそう思った。

 この小説、ダメな人はとことんダメだと思う。冒頭10分読んで「入っていけない」と思ったら、素直に読むのを辞めた方がいい。人生、自分に合わない小説をいやいや読み続ける程、みんな時間は余っていないはずだ。
 でも、冒頭10分でスッと入っていけた人は、きっと、現実と幻想が繰り返し区別無く訪れるこの文体の虜になり、読後はしばらくふわふわとした気分になれるかもしれない。

 かといって、エピソード自体はふわふわとした心地よいものではない。

 改めて思ったのは、私自身の存在は、ちょっとでもいいから、誰かの記憶に残っている存在であるのか?という点。
 誰の記憶にも残る価値のない私自身を考えると、この「礼」という男の存在が、とてもうらやましく感じた。

 ここの写真系ブログで、タイムリーに「真鶴」のスナップ写真を何度かに渡り公開していて、現地のイメージをつかむ事ができたのもよかった。

真鶴/川上 弘美

結婚しなくていいですか。/益田ミリ

 とある、高名なオーディオマニアの方の自宅で見つけたのである。ちょっと手に取ってみると「あ、よっちさん、その本に反応しましたね」とかいわれて、ちょっと照れくさかったのだが、確かに反応はした。実際このエントリーでこの著者の本について書いてるし。

 で、今日本屋さんに行ったら売っていたので、思わず買ってみた。で、泣きはしませんでしたが、想像以上にひどい本でびっくりしました。…いや、ひどいというのは誉め言葉。だって、本のタイトルや絵柄から、今流行の「ほっこり(用法違い)OL生活」の本だと思っちゃうじゃん。
 知り合いに男を紹介されると聞いて、真っ先にセックスを考えてしまうさわ子さんがリアルすぎるというか…。悲しくはないけど「もったいない」という感覚は、私もリアルに判る。もう一途に人を好きになる事なんてないけど、セックスしないのはもったいないとは思う…。といっても、男の場合は最悪風俗があるから、あんまり女ほど切実に考えていないのかもしれない。

 他に子供が出来て「別なあたしになる」ってまい子さんの話もぐっときた。そして「別なあたしになる前に仲の良かった友達と会っておきたい」という心境も、嫌になるくらいわかるなぁ…。
 女の子って、結婚してもあんまり変わらないけど、子供を産んだ後は全く別人になってしまう。本当にそう思う。知り合いのそういう姿を見ると、なんだか、人間じゃなくて、生き物としての野生な生命力を感じて、ちょっと怖くなる。不思議だな。

 お勧め…はしません。読みたい人は覚悟してどうぞ。ミーちゃんの下りには泣きそうになりました。

▼2009年01月09日

井沢式「日本史入門」講座5・朝幕併存と天皇教の巻

 井沢元彦の文章は、正直私にとっては微妙な所なのだが、このシリーズに関してはなかなか面白かった。一応この5巻で完結らしい。

 日本は言霊の国、「日本教」に支配されている、という指摘は、このシリーズ当初から一貫して主張されてきた事だが、確かにその通りだなと思う。
 今、国際的に見ると論理が破綻している憲法第9条に固執している連中も、あれは別に戦後左翼崩れが最後のよりどころとして叫んでいるのではなく、軍事力を忌み嫌う思想は、過去いくともなく、日本の歴史で繰り返されてきた事。考えてみれば、鎌倉幕府以前の皇室は、自前の軍隊(国軍)持ってなかったんだからなぁ。そんな国、日本以外にあり得ない。

 見た目よりも読みやすくて、実際すぐに読み終わるので、このシリーズは気楽に読み始められると思う。

新ナニワ金融道/青木雄二プロダクション

 何と書き下ろしらしい。出版社もグリーンアロー社と、ちょっと意外な感じ。現在1~3巻まで発売されていて、エピソードとしては、灰原と肉欲棒太郎の争い再び…という話。

 物語としては、3巻で綺麗に決着が付いているが、なんだか結末が綺麗すぎる感じ。というか、登場人物全てが、青木雄二が書いていたナニワ金融道時代に比べ、ややマヌケになっているというか、詰めが甘いというか、みんないい人になっちゃったね。

 それでも、まぁ…なかなか面白いのではないかな。続刊に期待。

新ナニワ金融道1復活銭闘開始!!編/青木雄二プロダクション

▼2009年01月07日

エッセイが好き

 昔から小説はあまり好きじゃないけど、エッセイは好きで、特に作家さんの小説はあまり好きじゃないけど、エッセイは割と好きだったりする。
 大体、村上龍とか、今でもエッセイ以外の作品読んだ事無いしね。

 小説は…特に今本屋さんで売られている小説のほとんどは、恋愛話ばかりで、読むのに体力がいる。
 この手の恋愛がらみの小説を、それなりに「ふふん…」という気持ちで読めるようになったのは、割と最近の事だ。それまでは、悲しくて嫌になったり、怒って本を投げ出したり、とにかく感情の起伏がうまく押さえつけられなくて、読むのに苦労した。これも私に老人力がついてきたという事か。

 もっとも、今でも小説よりもエッセイの方が好きで、たまに本屋さんで聞いた事がある作家のエッセイなどを見つけると、つい買ってしまう事がある。
 本業である小説を読んだ事もないのに、「この作家の文体は、なんだか力強くて味わいがあるね」なんて勝手に評価したりして。

▼2009年01月06日

風花/川上弘美

 本当は「真鶴」という小説を読もうと思っていたのだ。何故なら、正月に暗い真鶴半島の根元を通り過ぎた時にそう思ったから。
 でも、本屋さんには「真鶴」が置いてなくて、また他の日に他の本屋さんで買おうと思ったけど、棚にあったこの本を見て、主人公の「のゆり」という響きが何か気に入って買ってしまった。

 「でも、悪口をいう女って、ほんとうは、色っぽいんじゃないかな。」

 私もそうかもしれないと思った。
 多分、男もそうなんじゃないかな、とも思う。

真鶴/川上弘美
風花/川上弘美

飯田橋のブックオフ

 なんだか、年中割り引きセールやってばかりな気がする。

 昨日も、500円以上の単行本全て500円均一ってセールやってた。このようなセールを毎月2回位やってるような気もするが、よっぽど在庫が余っているのか?

 更に、ここのブックオフって、売っている単行本が妙に綺麗なのが多いんだよね。更に前に見つけた本には、出版社から著者への挨拶文(おいおい)が挟まっている本も見た。著者への贈呈本のつもりだったのか?

 辺りに印刷所や製本所、並びに出版社も多いからなぁ…。そういう場所から在庫品が流れてるのだろうか。もっとも私たちユーザーにとっては、別に心配することでも何でもないのでいいんだけど。

昭和の未来科学模型 ロボット編

090106-01.jpg 昔のおもちゃ…特にプラモデルが大好きなのである。
 かといって実物を集めようとは思わないけど、こういった資料を見るのは好き。

 この本は、タクシー会社を経営する著者が、自らのコレクションをまとめた書籍。発行元が「挙母タクシー」となっている。装丁が豪華だが、ある意味同人誌といってもいい。
 ページを開くと、もう心ワクワク血湧き肉躍るという感じ。正直私の世代では、こういったロボットプラモデルは既に市場から姿を消していたんだけど、それでもたまに人通りの少ない駄菓子屋の棚でほこりを被っている姿を見たような気もする。
 確かな記憶はないけど、何となく懐かしくもあるこれらロボット達。ちょっと高価な本だけど、ここでしか見られない貴重な写真や資料がたくさん掲載されているので、お好きな方は是非。ちなみに1,500部限定で、リアル書店では池袋のジュンク堂でしか販売していないそうです。

RICOH GR Digital


▼2008年12月27日

着倒れ方丈記

 まずお礼。この本は皆さんのご協力で細々と続けているアマゾンのアフリエイトで購入させて頂きました。本当にありがとうございました。

 つことで、以前本屋さんで立ち読みして衝撃を受けた都築響一の写真集「着倒れ方丈記」をゲット!なんでも7年間にわたり流行通信に連載されていた人気コーナーを単行本にしたそうである。
 帯にある「そんなに買って、着れるのか!」というコピーが秀逸すぎて、それだけでもう中身を見る必要がないくらい、この本の内容を的確に表している。

 この本は、ファッションデザイナーとかモデルとか、そんな何処にいるのかわからないようなセレブ達の話ではなく、ごく普通に生きている人が、ごく普通(?)にブランドにハマってしまった姿を写真に収めた本。初めて見ると、極庶民的な部屋の中に、ブランドの夢がいっぱいに詰まった商品の数々が並んでいる特殊な意味で濃い写真集だという印象を持つが、考えてみれば、この写真集の写真達って、いわゆる普通の人達が服を買っていたらこうなった…というごく普通な日常の姿なのではないか。

 世の中には、部屋中を本で埋めている人や、部屋中をCDやレコードで埋めている人もいる。そういう人達がたまにメディアで取り上げられると、私たちはつい「ばかじゃん?」と思ったりするものだが、おそらくその「ばかじゃん?」という気持ちは全てが真実ではなく、それだけのコレクションを集めた尊敬の念も、きっと全体のうち10%位は締めているんじゃないかと思う。
 それに比べると、ファッションブランドにハマってしまった人達は不幸である。自分が好きで同じブランドを毎週末ごとに何度も何度も買い漁る行為は、本やCDにはまってしまった人達が受けるであろう「ばかじゃん?」の中にある10%の尊敬もない。おそらく99%は本気で「ばかじゃん?」と思われているだろう。ひょっとして1%位は尊敬の念も…というか、そのファッションブランドに興味がある人以外はそんなのもないと思われる。確かにイメージとして、服にはまり狂っている姿は、本やCDと違い、教養が磨かれているとは思われにくいもんなぁ。

 なんてヲタである私はそんな事を思っていたのだが、ただ、自分でそれなりの服を良く買うようになって、やっぱりファッションというか着ている服というのは、それなりに自分の生き方を無意識に表現しているんだなぁ…と思うようになってきた。以前にしだやさんも言ってたけど、私がハウエル買ってるのはやっぱりヲタだからなんだよ、きっと(笑)。

 という風な視点で、人の着ている服を観察できるようになってみると、この本に登場する人達の「着倒れ」ぶりは、とても面白くて素直に「すごい!」と感心できるようになる。というか、学生の分際でこんなに服を集められるってどういう金ずるもってるの?と思ってしまいがちだが、それは壁一面にエロゲ並べている大学生だって同じだわな(笑)。人間、本当に好きになったものに対しては、とりあえずそれが自分の部屋の視界を埋め尽くす位までのお金はなんとかするものである…っつーことなんだろう。

 構成は見開きで一項目。右ページは全面写真で、左は長すぎず短すぎず…なキャプションが(日/英)文でついている。更に被写体(?)の主である人の1日のスケジュールまでついている。これらを読んで写真をよくみると…色々な事が想像できて楽しい。すごく読むのに時間がかかって楽しい写真集だ。

 念のため…この本の中でハウエルさんにはまっている人はいませんでした(笑)。いたとしても、かなり地味だろうから被写体になりにくいかな。

47都道府県女ひとりで行ってみよう/益田ミリ

 本屋さんで目に入り、ちょっと立ち読んでみたら面白そうなので買ってみた。

 内容はタイトルの通り、著者が1人で毎月47都道府県に出かけてみるという内容。だからといって、各県別のおいしいもの情報やお勧めスポットが出ている訳でもない。ただ出かけて、現地で何かして帰ってきたという記録。

 私は世間でいう男の子(おいおい)だけど、この著者の女一人旅の心境はとても良くわかる。確かに私も、ひとりで出かけて「面白いとか、美味しいとか、きれいとか、そういうことを、誰ともわかちあえないのは淋しいものだな…」と思う時もあるけど、基本的にはこの著者と同様、そういうのもいいかなぁ…と思う。大体そういうのをいちいち口に出すのも面倒だし。

 まぁ…今ではどこかに出かける時はほとんどひとりだけど、考えてみれば、もっと若い頃友人達とよくつるんでいた年代でも、ひとりで出かけることが多かったし、彼女がいる頃でも、ふらっとひとりで見知らぬ街に出かけることは多かった。
 で、出かけた先で何をするかというと、適当に景色を見たりするだけで、別に旅先で現地の人と触れあったりすることもしないし、名物の料理もほとんど食べない。
 あとで「○○にでかけて○○を食べてこなかったの?もったいない」と言われたりすることもあるけど、私から言わせてもらえば、旅先でわざわざ普段食べ慣れないものを食べておなかの調子を壊したりする方がもったいないと思う(そういうひと良くいるよね)

 この著者は公共交通機関で出かけているが、私の場合は主にクルマ。そのせいか、地方の変な場所の裏道を知っていたり、不思議な場所を知っていたりすることもある。たまに「何でこんな道知ってるの?」とか言われたり。

 ここ4~5年位は、そういう外出をほとんどしなくなったけど、この本を読んで、なんだか、またこんな風に気軽に出かけてみるのも悪くないなと思い始めた。
 旅先のスーパーマーケットで晩ご飯のおかずを買って、ビジネスホテルの部屋に戻って、ひとりで地方のテレビ番組を見ながらのんびり食事をするのって、至福の時間だよね。それに変な話、ホテルの部屋で冷暖房をガンガンにかけても、電気代の心配ないし(笑)

 「人の旅の話は、あんまり楽しくない。」 確かにその通りだと思う。私も心に刻んでおこうと…というか、私から他人に自分の旅の話をすることなんて殆どないから、心配する必要ないけど…。たまにここで旅の報告を書くくらいでおなかいっぱいかも。

▼2008年12月21日

 「泣く」「泣く」と言われ、別に泣きはしないのでは…と思って読んだら、確かに泣きはしなかったけど、心で泣いた。

 まだちょっとしか読んでいないので、作品の感想は語りませんが、関連話として、夜の筑波山には私も行った事があります。

 登り始めたのが夜の20時頃。確か何かの流星雨を見に行こうとか、そんな話だったと思います。旧ユースホステル側から登りました。懐中電灯持っていったので、別に夜道で困った事はなかったのですが、山頂に着いて一緒に行った友達達とその辺を徘徊していたら、山頂事務所に常駐している職員が警察に通報したらしく、山を下りたら下に警察官が何人かいました。
 ただ、私たちが事情聴取されたという訳ではなく、丁度その駐車場に暴走族か不良達かよく判らないけど、変な若者達が集まって大騒ぎしていたので、私たちの存在には気がつかなかったみたいです。ちなみにその登山口には、クルマを止めるスペースがあるだけで、当然人なんて誰もいません。

 ま、どって事無い話なんですけど、第一巻の後書きマンガを見て、そんな事を思い出した次第。
 ちなみに、照明がない夜の山は、多分山に入った事がない人達では想像が付かない漆黒の空間です。なんたって、今足下に落とした水筒が、見えないし拾えないんですから…。

▼2008年11月13日

ジュンク堂は送料にかかわらず配送料無料

 ジュンク会員」:ジュンク堂

 /: :| ヽ
/ : :/  ヽ ___   _,,,:. .-: :´彡フ
_ノ\_∠: : : : : : : : :`: :-: :,:_:/彡 /
      ( : : : : : : : : : : : : : : `ゝ  /
  マ  r::/: /: : | : : : : : : : : ::\ /
      //: /: : : |: : | |: : |: _: : : :ヽ
  ジ  {/ 7|`\/i: /|:|/|´: : : : :|ヽ
     〉 ,‐-‐、`|7 || |_::|,_|: : :|:::|: |
  で / r:oヽ`    /.:oヽヽ: :|: | :|
     { {o:::::::}     {:::::0 }/: :|N
  っ  | ヾ:::ソ     ヾ:::ソ /|: : |
 !? ヽ::::ー-.. /ヽ ..ー-::: ヽ::| r--ッ
-tヽ/´|`::::::::::;/   `、 ::::::::::: /: i }  >‎
::∧: : :|: |J   \   /   /::i: | /_ゝ
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   ヽ: |::|\     ̄/ /|  |: : :|: |

 アマゾンみたいに1,500円以上にしなくてもいいのか…。なんだか小口の発送ばかりが増えてとても不経済な気がするけど、とりあえず手に入りにくい漫画を一冊注文するとか、そういう用途にはいいかも。

 早速登録してみるかな。

▼2008年10月25日

ビバ・イル・チクリッシモ!

081025-01.jpg 買ってしまいました「ビバ・イル・チクリッシモ!」初回限定版。

 もう初版は売り切れかと思ったら、池袋のジュンク堂地下にありましたね。初版にはテラダのイラスト入りサコッシュが付いてくるよ!完全限定版とあるから、刷るのは初版だけかと思っていたら、そうでもないみたいだね。ただ、サコッシュは初版のみ。

 しかし、大友とテラダの絵のうまさは常軌を逸しているな。自転車好きな人はもちろん、そうでない人も是非。高いけど高いだけのことはあるイラストとその内容の濃さ(笑)

 ゆっくり読みふけることにします。

CONTAX TVS Digital


 

▼2008年08月27日

聖☆おにいさん/中村 光

 いずれ読もうかと思っていたのだが、この度2巻まで発売されたので買ってみた。予想通りというか、各所からの評判通り面白いですはい。変な話、男同士でディズニーランド行くのも楽しそうだな…なんて思いました。

 しかし、ブッダとイエス。そのほかにもう1人、あのお方がいらっしゃらないのは、やっぱり色々と差し障りがあるんでしょうね。

▼2008年08月01日

洋版の破産

 7月末(もう過ぎたが)で破産だそうである。ちなみにサイトは既にアクセスできませんね。

 洋書は洋販 - 日本で最大の洋書取扱い会社」:www.yohan.co.jp

 ネット上では今現在、どこにもニュースとして流れていないのが不気味だが、日本で洋書を読んでいる人は、しばらく苦労しそうだ。それでも単行本などは今でもアマゾンで買えるが、雑誌は一時的に壊滅状態になるのでは?つうか、雑誌は定期購読誌以外は、やはり本屋で内容を確認して買いたいしね。

 まあ…私自身は洋書を買っている訳じゃないので、直接の影響はないとおもうが、立ち読みはよくするので、寂しいなと思う。

 ちなみに洋版傘下のABC(青山ブックセンター)は、BookOFFが支援することになったらしい。何がなにやら…というか、そろそろ流通面と、私たちの意識面までも含んだ、出版業界の大きな動きがありそうな雰囲気だ。

▼2008年06月23日

伊豆の踊子がジョジョ立ちを!

 ななな…なんだこれ。

 荒木飛呂彦先生、川端康成「伊豆の踊子」の表紙を手掛ける!」:痛ニュー

 ゴゴゴゴゴ。

▼2008年06月06日

イメクラ―Image Club/都築響一

 ウワサによると、各地の風俗街には「イメクラ」なるモノがあるらしい。なんでも、その場では、例えば学級委員長にいやらしいいじめられ方をされてしまうプレイとか、電車の中で隣に座った女の子にエッチないたずらをしてしまうプレイとかができたりするそうな…。

 いや…不勉強ながら私はこの手の風俗って行ったことなくて(これからも行かないと思うけど)、で、本屋さんでこの本が置いてあったので興味本位で眺めてみたら、ぐいぐいと引き込まれてしまった。申し訳ありませんが、買ってはいないんですけどね(笑)

 で、この本を見て思ったんだけど、イメクラのセットってかなりしっかりしてるんだね、びっくりしましたよ。私はてっきり、怪しげなパイプイスと模造紙で書いた黒板の絵とかさ…そういうレベルのセットなのかと思ったけど、あんなにきちんと作ってあるセットで遊べるなら、確かにクセになるのは判る気がする。というか、電車のシートとかそういうのってどこから調達してくるんだろう。

 身も知らぬイメクラ嬢とプレイ!ってのはイヤだけど、こういう場所を時間貸ししてくれれば、カップルなんかに人気が出そうな気がするね。私も学校の教室のセットなんかで、自分の彼女に「ちょっとよっち君!また遅刻なの!?何度目だと思ってるの!いい加減にしなさいよ!!」とか侮蔑の言葉を投げかけられてみたい。「げ!委員長」なんて返事をして、そんで言葉に詰まった私は「うるせえブス!」とかいいながら仕返しにスカートめくっちゃったりとか!う~ん、楽しそう(笑)

▼2008年06月03日

本はいいな

 本はいいなとつくづく思う。

 でも、最近はあまり本を読む気になれない。何でだろう。

▼2008年05月20日

Panzer Graph 12号

080520-01.jpg そう、僕らはタミヤのMMシリーズで大人になった…。

 ということで、モデルアート社から発売されているパンツァーグラフ12号、私の行動範囲にある本屋さんには売ってなくて、仕方なく模型屋さんで買いましたよ。今回の12号、もう、かつてプラモデルを作った事のある男の子は全員買わないとダメでしょ、というか、これを見て涙しない男性はもうオトコじゃない。少年時代にタミヤのミリタリーミニチュアシリーズ(以降MMシリーズ)に手を出さなかった人は、人生かなりの部分を損していると断言するね。

 で、本書の特集内容は、今まで発売されたタミヤのMMシリーズの全てが紹介されています。また、かつてのタミヤニュースやタミヤカタログを飾ったジオラマの制作秘話など盛りだくさん。各キットの解説を見ながら「ああ…私もこれ作ったな」とか懐かしむのもまた一興、あるいは「絶版で知らなかったけどこんなモノもあったんだ」と驚くのも一興です。

 私は世代的にガンプラブームストライクだったし、ガンダムは本放送時から欠かさず見ていたというある意味珍しい(学校でガンダムと言っても誰も理解してくれなかった)男の子だったのですが、何故かガンプラにはあまりハマらず(何個か嗜む程度には作りましたが)、戦車とか飛行機とか戦艦とか、そういう実写系のプラモデルばかり作ってましたね。もう一時期は寝ても覚めてもプラモばかりで、戦車のプラモデル作ったり飛行機のプラモデル作ったり、MMシリーズのフィギュア買ってきてお馴染みの改造をしたり、色々やってました。楽しかった思い出です…というか、今でも自宅には組み立てていないままのプラモデルが数にして2~300個程度は残ってますので、また作り始めればいいんだけどさ。

 プラモデルを作る事は、それに関連する書籍何冊分かの情報になる…と思ったのもその頃だったな。本を色々調べてもなかなかわからなかった事が、プラモデルひとつを買って作る、あるいは作らなくてもパーツを眺めるだけで理解できた事がよくありました。そういう経験を何度もしていた私からすると、確かにガンプラも面白いと思うし否定はしないけど、戦車や飛行機のスケールモデルも面白いよと思います。また、何かの乗り物などについて調べたい時、もしその乗り物にプラモデルが存在するなら、組み立てなくても買ってみるといいですよ。図鑑を見るだけよりももっといろいろな事が理解できます。

 ということで、私はMMシリーズで大人になったと言えるかもしれないなぁ…。今回のパンツァーグラフ、雑誌にしてはちょっとお高目だけど、お勧めですよ。

RICOH GR Digital

▼2008年05月16日

弱層テスト

 雪山では「弱層テスト」。忘れないようにしましょう。

 雪崩で死なないための10の法則

▼2008年05月13日

性犯罪被害にあうということ/小林 美佳

 以前何かのニュースで「レイプの被害にあった女性が実名で事件を語っている」というのを見た気がしていたのだが、昨日本屋さんに寄ったら置いてあったので「ああ…この事かな」と思ってつい手にとったら、夢中になってその場で読んでしまった。

 私はこの本を「苦しみを告発できない女性のために」とか「被害にあった女性の本当の気持ちを」などといった切り口で語るのはちょっと違うかなと思う。というのも、読み進めると、著者の文章からは、社会にむけてメッセージを訴えるというより、むしろ、もっと淡々と事件における自分の心境を語る事が目的に思えたからだ。だから立ち読み(申し訳ない)でもすらっと読めてしまったんだと思う。あまり深読みせず、淡々と著者の心境を辿るように読むことが、おそらく今の著者の心境に一番近い読み進め方なのかな?なんて思った。

 ちなみに、このブログを読んでいる人達の中では、私はこの手の事件に理解を示さない傾向…と誤解している方もいらっしゃるようだが(笑)、そんな事はなくて、この種の事件を目の前にすると「かわいそうだ」「一生消えない傷を負った」「他人には理解できない」などという何の解決にもならない言葉ばかりを白々しく発言する人達が信用ならないというだけである。

 この本にあるが、無神経に「感じたりするの?」などと聞いてきた男性ボクサーの友達が、実は事件に対して深い理解を示そうとするが為の言葉であった…という著者の記述が印象的だった。やはりこの種の事件については、語りたい人でも「語れない」という雰囲気を作ってしまっていることが一番の問題なのかも知れない。

 以前もここでは何度か語っているけど、さすがにレイプはないが、若い頃痴漢にあったことが度々ある。ホモっぽい男性から、一見綺麗なマダム風の方まで。そういうときの感覚って、本当にリアリティがない。「え?なんで?」とか「いやいや、この人は何かと勘違いしてこんな変な指使いを」とか、本当に冷静でなくなる。それに男である私がストレートに「怖い」と思って声も上げられなくなるんだから、こういう状態の女性の恐怖は、察するに余りある。

 本書の巻末にもちらっと触れてあるが、女性だけではなく、男性の性被害者、性に限らず、理不尽な暴力を受けて精神的障害を持った人達の組織的な救済策…なども考えるべきなのでは?と思った。考えてみれば男性の場合は、この種の被害にあっても、世間はもちろん、警察にすらまともなカウンセラーが存在しないというのもおかしい。
 誤解されるかも知れないが(誤解されても結構だが)、私は女性におけるレイプの被害と、男性における集団リンチの被害は、犯罪の性質において非常に近いモノではないかと思っている。

▼2008年04月28日

下流は太る!/三浦展

 ここでいう「下流」とは、人の上下を指す言葉ではなく、人としての向上心や可能性を…などというまやかしではなく、ストレートに年収が低く向上心もない人間達の事を指している。

 ちょっと差別的な話になるが、確かに貧乏人は太る…というのは、私自身も何となく思っていて、デブの私がいうのも何だが、つまりデブは貧乏になる…なのではなく、貧乏人にはデブが多い、という話には納得できる。実際に私の家の近くには、いわゆる「日雇い労働者」が結構いるのだが、みんな不自然に肥えた人ばかり。もっともある程度肥えていないと肉体労働はつらいのだが。

 で、貧乏人が何故デブになるのか…というのも、別にこの本を読むまでもなく、安い食品はハイカロリーのモノが多い、からであり、実際一人暮らしの人間がコンビニで適当に食べ物を買ってきて食べていたら、一食の平均取得カロリーは1,000カロリーを超えるだろう。それを日に三食、更に間食と夜食を含めると、優に4,000キロカロリーを超えるのではないか。太るはずである。

 ならば、下流以外の人は何故太らないのか。まず上流の人は金でいくらでも解決できる。そして中流の人は、仕事とプライベートを含め、毎日の生活を適度な向上心と計画性に基づいて生きているからだという。確かに下流の私からしても、中流の人達ってそうかもしれないなと思う。私なんて向上心も何もないし、人生計画なんてせいぜい次の週末くらいまでの事しか頭にないからね。

 割といい加減な記述もあって、この本を参考に何か自分を変えよう…という用途には向かないと思うが、今のデブ事情をおもしろおかしく俯瞰するにはいいかもしれない。買わなくても立ち読みで充分な気もしますけど。

▼2008年04月24日

TEAM!チーム男子を語ろう朝まで!

 タイトルを見て「ムムッ!」と思ったのですが、こういった属性に萌える心境はわからんでもない。もちろん私は男子なので、決して納得はいたしませんが。
 しかしまあ…この手の萌え市場というか、属性商売もだんだん複雑化してきたな。

 うんうん…たしかに男子が何人も集まって一生懸命に何かやっている姿って、ほほえましいとかそういうのじゃなくて、やっぱり「萌え」だよね。なんてことを男子(つか爺)たる私が書いていると、「アッー!」とか言われちゃいそうだけど。

TEAM!チーム男子を語ろう朝まで!/チームケイティーズ オノ・ナツメ

TEAM!チーム男子を語ろう朝まで!

 タイトルを見て「ムムッ!」と思ったのですが、こういった属性に萌える心境はわからんでもない。もちろん私は男子なので、決して納得はいたしませんが。
 しかしまあ…この手の萌え市場というか、属性商売もだんだん複雑化してきたな。

 うんうん…たしかに男子が何人も集まって一生懸命に何かやっている姿って、ほほえましいとかそういうのじゃなくて、やっぱり「萌え」だよね。なんてことを男子(つか爺)たる私が書いていると、「アッー!」とか言われちゃいそうだけど。

TEAM!チーム男子を語ろう朝まで!/チームケイティーズ オノ・ナツメ

▼2008年04月21日

たらたら業務日誌/ひらたさん

 BONteで連載されている「たらたら業務日誌」。実は密かにファンで、このためだけにBONteを毎号立ち読み(笑)していたのだが、まさか単行本になるとは…。
 ということで、ちょっと遅れたけど本日無事、丸善のオアゾ店で購入。意外と街の本屋さんで売ってないのよ、この本。早速帰り道の電車で、ちょっとニヤニヤしながら読みました。

 このペースだと第2巻は何年後になるかわかりませんけど、気長にBONteを立ち読みして待ってますので、続刊も是非お願いします。

たらたら業務日誌/ひらたさん

▼2008年04月19日

オタクはすでに死んでいる/岡田斗司夫

 この本に書いてある事のほとんどは、私も共感できる。確かにヲタクのイメージはメディアに消費され死につつあると思う。いや…消費というか浸食か。
 私が若い頃憧れていたあの世界は、私が大人になるのと同時に消え失せてしまった。残っているのは萌だの何だの言いながら、メディアによって与えられたちょっと風変わりなモノを消費しているだけの、単なる消費者の集まりでしかない。
 私が以前から言い続けてきた「ヲタクにとってアニメは基礎教養」というような世界も笑い話になるだろう。残るのは単なるマニアだけだ。…ま、元の世界に戻るだけだと言えばその通りなのだが。
 特に本書の後半にある「SFは死んだ」という下りには、非常に共感できるものがあったな。

 ヲタクが死んでこの先どうなるか…。本書では注意深く肯定的に書いているように見えるが、私としては、この先の世界はみんなで引きこもりになるしかないんだろうな…という風にも読めた。だって、今引きこもりになっている人達って、そんな人達ばっかりでしょ。あれはヲタクが死んで、ただの消費者に成り下がった連中の姿そのものだよ。「私はヲタクじゃないから関係ないわ」という人もいるかもしれないが、そういう人は元から単なる消費者でしかないので、本当に関係ない。

 もっとも、そういった世界を否定するつもりはないし、消費という行為を否定する訳でもない。ただ、私にとっての憧れの世界は消えてしまった…という思いがあるだけだ。

▼2008年03月16日

秘境の山旅/大内尚樹

 大内尚樹といえば、私にとっては“秘境”の人。その秘境の人がまとめた、日本にまだ残る秘境探訪記を集めた本。大内尚樹だけでなく、様々な人の記録をまとめたものとなっている。

 実は私も秘境は大好きで、実際に出かけたりはしないけど、地図を眺めて「この辺はすごそうだ!」と当たりを付け、グーグルで山行記を検索したりとかよくやっている。
 この本にも、私が「秘境っぽい」と思って当たりを付けていた場所がいくつか出てきて面白い。川内山塊とか本当に秘境なんだね。無雪期にはアブがすごくて本当に近寄れない一帯らしい。こういう場所が日本にもまだ、ほんの少しだけどあるんだね。

 人が自然と格闘している様は、読んでいると迫力があって、自然への敬意というのが自然と沸いてくる。地球に優しいとか環境を守ろうとか、そういう文献を読むよりも、こういった自然と真摯に対峙している記録を読んだ方が、自然保護について理解が深まるのではないだろうか。

秘境の山旅/大内尚樹

▼2008年03月13日

カメラは知的な遊びなのだ。/田中長徳

 昔からカメラ…というか、写真を撮るのが好きで、でもここの所カメラ自体にハマってクラシックカメラを買い漁り、デジカメ時代になってもレンズを買い漁っている私が言うのも何なんだけど、カメラを買ってもそのカメラを使う術をよく知らない人が多いというのは、いかにも現代っぽいなぁ…と思う。
 あ、でも、かつて高価な銀塩一眼レフを無理して買ったお父さん達も、そのカメラで写真を撮りまくっていたという訳でもなさそうだから、一緒か。

 本書には、「レンズは視覚の延長である」みたいな記述があり、だから私たち男はカメラのレンズを欲しがる…といった事も書いてあるが、確かにそうかもしれないなぁ…。新品のレンズをカメラに装着して初めてファインダをのぞいた瞬間というのは、視覚の延長という難しい表現というか、目の前の世界が一瞬涼やかで新鮮な世界に思えたりするモノだ。視覚においてそんな感覚を味わえるのなら、レンズ一本分の値段なんてたいしたことはない…のかもしれない。

 カメラが知的な遊びかどうかはさておき、どうせ遊びなのだから、写真撮影も知的に見えるスタイルと撮影法を心がけるというのは、遊びとして面白いのではないか。たかが遊びなのに、街中で偉そうに三脚立てて構図なんて考えてるんじゃないよ…というのには私も同意する。

▼2008年03月10日

戦争のリアル/押井守・岡部いさく

 タイトルの「リアル」とは失笑を誘っているつもりなんだろうか…。とにかく、全編にわたり押井守が「RPG-7」と「ハリアー」が好きだという事を延々と語る本。もうわかったからいい加減黙れよ。

 軍ヲタという連中が、如何に生産性も思想も何もないのか…ある意味それらの証明の見本。とにかく押井の語っている軍事知識というのは、知識ではなくただの情報にすぎず、なので兵器が好きだとか嫌いだとかは語れても、「戦争」は全く語れないというか理解できていない。それでも「戦争」を語っているつもりなのだろうが、少しは歴史を勉強した方がいいのでは?いや、歴史といっても戦史だけじゃなくてね。

 そして、私は昔から押井守の映像を評価していないのだが、多分この本を面白いと思う人達によってこの監督は支えられているんだろうな…というのもよおく理解できた。だって、こういうの好きな人ってそこいら中にいそうだしね。

 ちなみに「情報」という面では、岡部いさくと同様、私は個人携行兵器には詳しくないので、なるほどなと思うところも結構ありました。ただ、いずれにせよ、こんな語り口でいくら「ディテール」を語っても、それらを包括する戦争という思考にたどり着く事は永遠にないと思います。

 あ、本書では押井守に押されてほとんど語っていませんが、岡部いさくについては、私は結構好き。

戦争のリアル Disputationes PAX JAPONICA/押井守・岡部いさく

▼2008年03月06日

炉辺夜話/宮本常一

 宮本常一の本は、彼自身がまとめた本は面白いんだけど、最近の編集書は一冊通して読みにくいというか、あまりないように抑揚がなくて、どうも途中で止まってしまう事が多い。もっともこれは編集者の仕業ではないかと(笑)。個々のエピソードは実に面白く内容が濃い。

 本書で一番印象に残った部分、熱海は戦後ほとんど人口が増えていない。またこの文章が書かれた時点(昭和40年頃?)で、明治から続いている旅館は1軒しかない。今ではその旅館も存在していないかもしれない。つまり、観光というのはある意味焼き畑みたいなもので、地元の人間の為になっていそうでなっていないという事。

 他、この土地は見込みがある、あそこの土地は人がダメ…など、きっぱりと物事を発言している。地方が価値を持って振興するためには何が必要か、本当によく見えてくる。彼の本を読むと、金の事しか考えていない今の地方役人達はなんて愚かなんだろう…本当にそう思う。
 本書でも「中央からの援助ばかりを当てにしてる地方は見込みがない」と言い切ってます。

炉辺夜話/宮本常一

▼2008年03月04日

井沢式「日本史入門」講座4/井沢元彦

 井沢元彦の本はあまり読まないのだが、このシリーズだけは読み続けている。この本で語られる「井沢史観」というのは明快で、日本は「言霊」の国であるという事。そしてそれらが日本史を古代から現代まで支配し続けているという事だ。

 明治維新の時に行われた天皇の儀式、また原爆によって死んだ人達のイメージが今の日本を縛り付けているという見方はとても面白く納得できるものだ。
 そして私が一番重要だと思う点が、これらの歴史をひとつの流れとして分析して、そして現在に結びつけ、発言するという事。日本の歴史学者や民俗学者に一番欠けている部分はこの点ではないかと思う。

 少なくとも、歴史的大事件が起きた場合に、日本ではニュースのコメンテーターとして歴史学者が呼ばれないのはおかしいと思う。海外だと「歴史学者」はインテリの代表みたいな存在だけどね。

新・ナニワ金融道

 ちょっと昔に比べると毒が少ないというか、ねちっこさが減ったというか…そんな感じ。まぁ、それなりには面白かったけど、今後に期待という事か。

▼2008年02月29日

知られざる日本―山村の語る歴史世界/白水 智

 平地は豊かで山村は貧しい。そのような価値観に異を唱える本。日本各地に見られる山村の歴史を調べる事により、山村が如何にネットワークの広い世界だったのか。また、そんな中で何故山村が平地と比べ貧しい社会と見なされるようになったのかが語られる。大変面白く興味深い本であった。

▼2008年02月28日

舟景の民俗/出口晶子

 昔、蒸気機関車の事を「陸蒸気」と言った。そして今では逆に、河川などを運行する短距離船舶を「水上バス」などと言ったりする。この言葉の部分で、私たちの意識が水辺から陸へと移り変わっている様を感じる事ができる…みたいな事が冒頭で書いてあり、なるほどなと思った。

 本書は、琵琶湖の水辺に焦点を当てて、かつて水辺で生活していた人達の移り変わりを生活の移り変わりという視点からまとめている。
 
 読後改めて思うと、今の琵琶湖で「水上」がほとんど利用されなくなったのは、いくら何でも不自然な気がする。これは琵琶湖だけではなく、例えば関東だと霞ヶ浦などもそうだろう。霞ヶ浦を例にとれば、土浦から潮来や鹿島の辺りまで定期船が運航していたら、今だって結構便利なのではないかと思うが、気がつくとそんな事を考えもしなくなった事に、私たち自身の水辺との意識の剥離を感じる事ができる。私たちはいつから水辺を嫌い始めたのであろうか。本書を読みながらそんな事を感じた。

 ちなみに琵琶湖で使われる「丸子船」という種類の舟だが「日本の内海でこれほど大きな舟を運用していた地域はない」というのは誤りで、例えば関東地方では「高瀬船(高瀬舟…ではない)」という、全長が30m前後ある舟が数多く運行されていた。
 そして琵琶湖同様この利根川水系でも、定期的な大型船の運用は消滅してしまった。

▼2008年02月26日

星の航海師/星川淳

 昔買った本なんだけど、ちょっと前に奥の院から発掘されて、思わず読んでしまった。

 この「星の航海師」とは、ポリネシアの伝統航海術を受け継ぐ「ナイトア・シンプソン」のある意味半生記を記した本。この伝統航海術とは、何一つ近代航海に使用する道具を使わず、星と海と波を感じながら遠洋航海をする技術。この方法で太平洋に住む人々は、大海原を縦横無尽に航海した。
 特にこの本が出版された頃(10年以上前)は、丁度古代の航海術が見直される機運のあった時期でもあり、それ以前に半ば遭難に近い形で南太平洋諸島に散らばっていったと言われていた人々が、実は計画された「航海」に基づいて大海原を渡っていたという説が盛り上がってきた頃である。そして今では、南太平洋に住む人達が組織的、計画的な航海を行っていた事に、あまり疑問を抱く人も少なくなった。
 今でこそ「なるほどなぁ…」と思いながら読める本ではあるが、本書を購入した頃は、それなりにセンセーショナルな内容でもあった事を覚えている。

 あまり専門的な内容でもないし、それでいてこの「星の航海」というエッセンスが綺麗にまとまっているので、広く皆様にお薦めできる本。少なくとも読後は、太平洋という大海原に対する認識がちょっとだけ変わると思う。

GRデジタルワークショップ2/田中長徳

 やっぱりGR Digitalのユーザーとしては買わなければならないよね。

 文体は相変わらず文学的というか芸術的というかプチブル的というか思いこみが激しいというか…なんだけど、面白いよね、やっぱり。実際本人の講演を聞いていても、実に楽しい。カメラ好きな人が何を言ってもらうと喜んで笑ってくれるか、そんなツボをよく知っている人だと思う。

 ということで、ワークショップというタイトルだけど、具体的な「ワーク」についてはあまり見るべきものはない。ただ、氏の言葉や作例、思想などは、いろいろな形になって、自分が撮る写真に染みてくるような気がする。そういう意味では1巻共々なかなかの名著かもしれない。

 ちなみに氏と同様私もRAWは嫌い。というか、昨今のデジタルカメラ雑誌に掲載されている「レタッチテクニック」などを見ていると、ある種の嫌悪感すら覚える。もちろん「嫌悪感」という表現には、全てを否定できないもどかしさも含んでの感情なのだが…。

▼2008年02月24日

オモライくん/永井豪

 さる美人な奥様よりお借りする。…というか、あの奥様がこんなお下品な漫画を読んで笑っていらっしゃる所を想像すると、それはそれで…って、そんなことねーか(笑)

 私も知らなかったこの「オモライくん」。この“オモライ”というのは、いわゆる乞食のこと。全編にわたり不潔ネタとお下劣ネタがマシンガンのごとく炸裂…なのだが、ラストは確かに泣ける。泣ける…といっても、インチキっぽい社会批判やお涙ではない。とってもシンプル故のこのセリフがとても心にしみるのだ。

 お下品で不潔だけど、暗いエピソードは何もなく、またクラスメートも「不潔」という意味でオモライ君を避けているが、皆に嫌われている訳ではない。永井豪の話にしては、ストレートに明るく、そしてラストもその明るさ故に読者自身の心を打つ。傑作だと思う。

 ただ、アマゾンのレビューにもあるけど「読後手を洗いたくなる」というのは確かにそうかも(笑)

オモライくん―完全版/永井豪とダイナミックプロ

▼2008年02月13日

日本の未踏路/イザベラ・バード

 イザベラバードとは、明治初期の日本を旅した英国人女性。彼女はそのたびの様子を「日本奥地紀行」という著書に表しており、それは当時の日本を知る資料として貴重な紀行文となっている。ただ、現在日本で普及している「日本奥地紀行」は、イギリスで発売された普及版を元にしており、かなりの部分が訳から外されている。そのうち西日本の旅を収めた書籍は「バード日本紀行」という本に収められているが、東北とアイヌ地方を訪れた際の普及版から省かれた部分は、長らく日本語に翻訳されていなかった。本書の帯によると、この本で全ての日本語訳が完了したそうである。

 特に感想はない。なぜなら内容は以前読んでいる本の補完であり、個々のエピソードは大変面白かった。また本書では原書の付録として収録されていた、バード自身による日本の神道についての記述が納められている。

 「日本奥地紀行」は、比較的手に入りやすいが、西日本の紀行文をまとめた「バード/日本紀行」は現在入手が困難。これらの原稿をきちんと順番にまとめた本が出版されると読みやすくて助かるのだが。

イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺/イザベラ・バード・高畑美代子
日本奥地紀行/イザベラ バード
バード日本紀行/イザベラ バード

▼2008年02月11日

日本風俗図誌/ティチング:沼田次郎 訳

080212-01.jpg 都内のカフェで何となくこの本の事を思い出し、何となくネットで検索してみたら、神田の古本屋で安く在庫しているのがわかり、早速回収しに行ってきた。ネット万歳(笑)

 つことで、ティチングとは江戸時代における出島オランダ領事館に派遣されていた役人。折しも彼がオランダに派遣されている期間中、オランダ本国が戦争に巻き込まれ、オランダそのものが消滅してしまっていた事もあり、帰国が遅れに遅れてしまい、仕方なくなのかどうなのか判らないが、その間彼は日本に関する詳細な研究成果を書籍としてまとめていた。本書はそのティチングの原稿をフランスの出版社が出版して、それを日本語に訳したもの。本書の奥付を見ると「昭和45年出版」とあるから、古本としてもけっこうな時代のものです。

 まだ全てを読んでいないのだが、内容は実に面白くて興味深い。
 ちなみに本書が書かれた年代は1770年代であり、当然徳川家の「正史」などは存在しないし、またそれらについての書籍も発行を禁じられていた。そんな中でこれだけ正確な情報が世間(もちろんオランダ領事と接触・情報提要できる日本人はインテリ層であること前提なのだが)に広まっていたとは驚き。ちょっと私たちが知っている歴史と違うかなと思ったのが、5代将軍綱吉が大奥に暗殺された…という事位で、他は不気味なくらい私たちが知る徳川史の知識と一致しているのが不思議。また、8大将軍吉宗が実にナイスガイであったエピソード(いやほんとに)などが、割と細かに語られている。
 他にも由井正雪の事件や、赤穂浪士の件など(当時赤穂浪士についての出版は禁じられていた)、私たちが知っている通りの知識を、江戸時代真っ盛りのオランダ人が知っている…というくらい、江戸時代は情報が発達していたという社会の背景を読み取る事ができて、実に面白い。
 少なくとも私たちが学校の歴史で習う以上に、江戸時代の風俗と情報は自由で正確で日本全国へと配信されていた…と考える事ができるだろう。そういう面で、本書からはこの直接の記述以上に、江戸時代のリアルな社会情勢を想像する事ができる。

 当時の江戸時代を、江戸時代に属していない人が江戸時代を理解させるために書いた報告書。この文章は、私たち現代人にとっても、当時の世相をリアルに味わえる、実に良い本だと思う。惜しむらくは版元品切れという事。よって、現在は古本市場をあたるしかない。

RICOH GR Digital


日本風俗図誌/ティチング・沼田次郎:訳

▼2008年02月10日

流線形シンドローム/原克

 とても面白い本だった。

 本書は、主に第二次世界大戦以前、世界を席巻した「流線形」という言語について、主にアメリカ、ドイツ、日本の状況を比較して当時の世相を語っている。
 その時代に発刊された科学雑誌やファッション誌、プロパガンダ誌などからの引用も豊富で、更に図版も豊富で、眺めているだけでも楽しいし、資料的価値も高いと思う。惜しむらくは、本文中の図ももう少し大きく掲載してくれれば、原稿の文字が直接判別できて、より資料価値も高まったのだが…。

 「流線形」という表題にイメージが引っ張られるが、実は各国の世相史、あるいは大衆史の実例としても興味深い。短くまとめると、アメリカは徹底的な商業広告によって世相が引っ張られる国。ドイツは国家主義・全体主義が世相を作る。そして日本は大衆からの突き上げで世相が形成される。…いや、現在においてもこれらの国はあまり変わっていないのではないだろうか。21世紀になった現在でも、アメリカは商業広告の国であり、ドイツは国家主義、日本は大衆文化の国だろう。また、アメリカの商業主義にはある種の排他主義と優性思想。ドイツの国家主義はエコロジーというか国家に対する土着的嗜好。日本の大衆文化はおっぺけぺー(笑)。などと、各国の流線形騒動の裏には、そのような性質が見え隠れしているというのも興味深い。そういう意味で、歴史は繰り返すというか、現在も全く変わらないというか…やっぱり歴史を学ぶ事は現在を知る事だよな…などと、いろいろな事を考えてしまった。もちろん「流線形」にも詳しくなれるよ。

 更に一言。本書では流線型「ストリームライン」という言葉を、各国の事例全てで日本語の「流線形」と読み替えているが、多分日本語で想起される「流線形」と、英語の「ストリームライン」(ドイツ読みだと「ストライムライネン」か?)は意味が違う。本書に限って言えば、この「流線形」という言葉は、各国語で表記したほうがより当時の世相に近かったのではないか…とも思う。ちなみに度量衡についてはいい加減ポンド・ヤード法で表記するのは止めてほしい。

 しかし「流線形思考(ストリームライン・ユア・マインド)」なんて本は、明日の本屋さんでビジネス書の棚に並んでいてもおかしくないな。というか内容すら同様でも違和感ないかも(笑)

▼2008年02月09日

ヒッタイト

 今、BSでヒッタイトについての海外ドキュメンタリーを放送しているんだけど、意外に思ったのが「鉄を生み出した王国」というキーワードについて語られていない事。私が子供の頃、ヒッタイトといえば「鉄を生み出して鉄により隆盛を極め製鉄技術の流出と共に滅びた」と教わったが、海外ではそういう位置づけでもないみたいだ。
 特に、ヒッタイトの強さについて、その厳格な軍事統制システムと、軽量で機動力のある「戦車」を使用する事により周辺諸国を圧倒したと語られている。

 有名な本だけど、この本についての語り口と似ているかも。

川上弘美読本

 最近プチはまり中。ただ小説ではなくエッセイのほう。
 で、冒頭「蹠の小説」(「あしうらのしょうせつ」でいいんだよね)より引用。

べつに。お金は渡していないし。職のない時はご飯だけはつくってあげてるけど。それよりわたしの方がものすごくいっぱいいやらしいことしてもらっているから、お得なのよ。

 こういうえっちなセリフがさらりと出てくるのが川上文学の特徴か。前後の文脈からかんがえると、エッチにおぼれてというより、むしろ男と距離をとった女のスタンスが見えてきて、なんだかはかない。

 ただこの「読本」には、当然ながら作品のネタバレになりそうな評論がたくさん出ているので、冒頭の「足跡の小説」を詠むだけにしておいて、とりあえず少しずつ彼女の小説も詠んでみようかな…と思った。ページをめくるのはその後でもいいだろう。

▼2008年02月06日

家康はなぜ江戸を選んだか/岡野友彦

 昔から漠然と思っていた事で、いわゆる「江戸城」は何故あんなに海に近いのか…という点がある。今でこそ晴海の辺りまで埋め立てられた東京湾だが、かつては「日比谷入江」という言葉があるくらい、江戸城は極めて海に近かった。この海への距離感は、京都や大阪、名古屋、あるいは仙台などと比べても明らかに海に近すぎるのではないか。家康が広義での「江戸」を選んだ事については、あまり疑問とも感じていなかった私だが、狭義の上での「江戸」を選んだ事については、何らかの明確な意志があると感じている。

 本書は秀吉によって江戸に左遷されたという一般論に意義を唱え、家康が江戸を選んだ理由について、主に当時の権力闘争、政治面などから考察している。

 ただ、本書を読んで感じた事は、経済面と技術面、地政学的な方向からの考察がやや不足しているような気もした。例えば経済面では、太平洋航路の発達と、東日本からの物流の増加からみた江戸の地勢。本書では利根川水系の水運にも触れているが、多分江戸時代における利根川水系の重要性は、私たちが思った以上に高く重要なものであったはずである。例えば北国からの荷物をわざわざ銚子で川船に乗せ替えて江戸に送る事が多かった理由は、当時の航海技術で房総半島を経由して江戸に至るルートの危険性が非常に高かったという背景もあるし、また、それらの危険性をシステムとして避ける理由が生じてきた訳は、やはり東北地方の産業と流通経済の発展から切り離しては考えられないであろう。
 更に地形的な理由から考えると、江戸時代の中心地で大規模な都市が発展するには、大規模な治水工事と、それに伴う技術が必要となる。現在都市が発達するのに適した条件とされている平野部というのは、治水技術、農作物の品種改良など、様々な要因が進歩しなければ有効に活用できない。
 それらの技術革新をふまえ、あえて狭義での「江戸」の地に、家康が何故城を築いたのか、その辺の考察も含まれていれば、より納得しやすい形になった気がする。

 率直に言うと、本書の内容では広義としての江戸を選んだ理由にはなっていてもあの場所に江戸城を建てた理由における考察が不足している感じる。「家康は何故本郷を選ばなかったのか?」あるいは「家康は何故豊島を選ばなかったのか?」といった疑問への解答になっていない気がする。つまり、わざわざ海に近い日比谷の低地のあの場所に城を築いたという、ある意味明確な“意志”を感じるこのポイントへの疑問がどうも私的にはぬぐえなかった。

 もっとも、そういった新たな疑問を生むきっかけになる書籍と考えると、本書は「江戸時代以前の江戸」を知る手がかりとして、なかなか面白い本だった思う。

海女の島―舳倉島/フォスコ・マライーニ

 舳倉島と書いて“へぐらじま”と読むらしい。今では渡り鳥の中継地としてバードウォッチャーにはすっかり有名な島らしいが、この本が書かれた1950年代後半は、中央から取り残された、まだまだ原日本の風景・習慣が色濃い地方だったみたいだ。

 未来社の書籍にしては、冒頭のグラビアページが多く、またその写真はかつて日本の各地に存在した“海女”の写真が多数掲載されている。本グラビア撮影で中心となった女性は当時18歳だったそうだが、上半身裸で腰には紐のようなふんどしを装着している。
 かつての日本人は、男女ともにコミュニティ内の人間にはお互いの裸を見られる事への羞恥心があまりなかったそうだが、このグラビアにも、演技では到底不可能なはち切れんばかりの笑顔が含まれた海女達の日常が納められている。
 また、イタリア人の著者にとっても、この状況は驚きであったらしく、更にこの海女達の日常に近づくため、同行のイタリア人女性にも上半身裸で歩き回るよう指示したそうである。
 このように、色々な意味で時代を感じさせる、また現在ではどんな事をしても再現不可能な「過ぎ去った日常」を記録したドキュメントとして、本書はとても貴重だと思う。

 ちなみに表題にある“海女”についての文化的考察はほとんどないので、そういった内容を期待している人には不向き。あくまでも異文化とのコミュニケーションにおけるドキュメントと考えた方がいいと思う。そして、現在の私たち日本人にとっても、視点はこの「イタリア人」寄りであり、とても興味深い。

 海女とは関係ないが、文中にある「日本は昼よりも夜の方がより日本を強く感じさせられる」という下りは、私自身確かにその通りだな…と思った。

海女の島―舳倉島/F. マライーニ

▼2008年02月05日

柳田国男のえがいた日本/川田 稔

 柳田国男の文章…というか、柳田民俗学については、どうも理解しにくいところが多分にあり、世間でもそう感じているのかわからないが、批判も礼賛も色々あって(というかそれだけ『柳田学』が成熟しているということでもあるが)、本書についてはどちらかというと肯定的な視線で柳田国男を論じている本。

 本書で記されている柳田国男のキーワードは、とても判りやすく納得できるものだった、つまり柳田民俗学のポイントは、
 1:有形文化
 2:言語芸術
 3:心意現象
 のステップに分類する事ができて、その中で「3」のキーワードが、「2」や「1」の現象を背後から規定するとの事。つまり柳田民俗学の核心は、有形無形の民俗資料を分析して、そこに含まれる私たちの精神とも言うべき「3」の部分を明らかにする事を目指した…大雑把に言うとそんな流れらしい。そして、その「3」の部分を明らかにする課程と目的が、西欧のフォークロアやエスノロジーとはやや異なる部分でもあるみたいだ。この辺は私もよく判らないので、ウィキペディアの該当項目も参照してみてください

 他に、本書ではやや長目の第四章で「柳田国男の社会思想」という政治的視点に触れているが、一見民俗学とはやや離れているようにも思えるこの部分こそが、現在の日本の民俗学にもっとも欠けている部分だと私は感じている。

▼2008年02月03日

越境と抵抗/小川徹太郎

080203-01.jpg 新しくなった霞ヶ関ビル下の「書原」で見つけて、とても面白そうだと思ったのだが、打ち合わせに行く途中なので諦め、後日アマゾンで注文した本。やはり書原は私にとって欠かせない本屋さんだと改めて思う。

 という事で本書。越境と抵抗というタイトルだが、これは「小川徹太郎」という学者におけるキーワードみたいなものらしい。この本の著者は小川徹太郎となっているが、既に亡くなられており、編集は別な人達で進められたもの。サブタイトルに「海のフィールドワーク再考」とあるが、どちらかというと著者の原稿を寄せ集めて作った本のようで、正直まとまりに欠ける内容だと思う。

 ただ、それぞれの原稿についてはとても興味深いものがあり、特に冒頭「シオ」についての考察などは、わくわくしながら読み進められた。確かに日常では見落としてしまいそうな、この方言(というか仲間言葉)みたいな部分を丁寧に考察していく姿勢は、単独では小論として終わってしまいそうでも、ある程度の研究成果をアーカイブできれば、海に生きる人達の貴重な研究になると思う。
 また第二部である「方法の問題」については、現在のフィールドにおける情報採集の方法と、また変わりゆくフィールドに対しての論考など、色々と考えさせられる事も多いのではないだろうか。特に「民俗学」という言葉が持つ、どこか懐古的で時に牧歌的イメージを想起させる部分について、採集者の側からすると、最近ではむしろ弊害となっているような事についても記されている。もっとも、これらの点について「情報提供者」と「採集者」という役割について、いろいろな意味で見直されるべきではないかと、そのような点についても触れられていて、なかなか興味深い。

 全体としては、面白い部分と、正直どうでもいいような部分の山谷が激しく、この著者自身に直接興味を持っている人、もしくは本書の一部分だけでも読めればいいという人以外には、あまりお勧めできないような気がするが、そんな否定的な事を書きつつも、私としては珍しく一気に読み終えてしまった位なので、実は結構面白かったのかもしれない。
 ただ、読後の感想については、なんというか全体像をまとめて書きにくい本でもある。

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▼2008年02月01日

日本とは何か/網野善彦

 以前図書館で借りて読んだ…もしくは買ったのかもしれないのだが、読了した記憶がない。
 とのことで、本屋さんのバーゲンフェアで見つけて購入。本書は講談社から発売されている「日本の歴史」シリーズの第0(ゼロ)巻。1巻の前という事で序文といえるべき位置づけなのか。

 本書における著者の主張は明快。「日本人というのは『日本国』の法令下で生きている国籍を持った人」との前提で、従来から語られてきた日本列島の単一民族説を強く批判する。また「日本」という言葉が生まれる以前にこの地に住んでいた人は「日本人ではない」とも主張しており、つまり縄文人や大和朝廷、聖徳太子などは日本人ではないという言い方をしている。よって「古代日本人」などという言い方も改めるべきだと。

 その他「百姓」という地位についての考察や、農業国日本などという歴史観への警鐘など、民衆の歴史にこだわった網野学への入門書としても秀逸。私もかつて網野氏の著作は何冊か読んだ事があるのだが、この本を読む事により、それらで得た断片的な知識が縦横へとつながりを持ち始めた気がする。

 「日本の歴史」シリーズに興味のない人でも、本書は単独の「日本論」として異質であり、また、とても優れた著作だと思う。

▼2008年01月30日

ニホンオオカミは生きている/西田 智

 昔「幻のニホンオオカミ」という本を読んだ記憶があるが、あちらが秩父山中での目撃情報と、日本全国に残るオオカミの伝説について語っているのに対し、本書はもう少し具体的で、2000年に九州の山地でニホンオオカミを撮影した本人による「ニホンオオカミ事件」のドキュメントと、著者自身のオオカミを追うフィールドワークにまつわる話。とてもエキサイティングで、今日買ってきたばかりなのに夢中になって読み終えてしまった。

 本書を読んで知ったのだが、この一件が日本にオオカミを放そうという「丸山直樹」氏のグループから、かなり否定的な扱いを受けていたのが意外だった。こういう研究をしている人だから、日本にオオカミがいる可能性には肯定的なのかと思ったのだが、むしろ氏のプロジェクトにとっては、日本にオオカミが生存していると困るような感じである。
 本書の著者も訴えているとおり、日本の山中にはいわゆる『一般の野犬』とは違った種の動物が生息している可能性は大いにありそうだ。それがオオカミなのか野生化した犬なのかはわからないが、環境庁を初めとした中立的な公的機関が、何故全国規模の集中調査を行わないのか、考えてみれば不思議な気もする。

 オオカミは全滅したという烙印を押され100年もの間検証もされず放置されてきた…という著者の主張には大いに頷けるものがある。もし日本にオオカミを放つのであれば、それら全国規模の調査・検証を念入りに行ってからでも遅くはないであろう。

▼2008年01月25日

本は10冊同時に読め!/成毛 眞

 著者は元マイクロソフト株式会社の社長さんらしい。本のタイトルにひかれて何となく買ってみる。

 確かに10冊同時は言い過ぎか…はたまたそれ以上かわからないが、私もこんな感じで色々と気分次第で本をつまみ読みする。中にははじめの数ページを読んだだけで止めてしまう本もあるし、中断したと思って何年か放っておいた本を急に再開したりもする。一気に読むのもあれば、少しずつ読む本もありで、そう考えてみると10冊以上は同時に読み進めてますね。それじゃ足りないや…。

 内容は、まああまり目新しいものでもないんだけど、割と主張をきっぱりと言い切っているのが気持ちいい。「本嫌いの人と付き合う必要はない」というのは、言葉にしてしまうとどぎつい意見だが、実は無意識にそんな事を思っている読書家は結構多いのではないかと思う。

 かくいう私については、「読書家」とは言えないと思うが、いわゆる平均的サラリーマンに比べれば全然本を読んでいる方だと思う。更に言わせてもらえば、本書で言うところの役に立たないビジネス書などは全然読まない。かなり濃い目の本を、人より大分読んでいるつもりだ。
 また「私は読書が好きです」という人でも、ベストセラーやビジネス書ばかり読んでいる人からは全く教養が感じられないというのは、本書の主著通り、確かにとても納得できる。
 本を読むのも読まないのも勝手だとは言いつつ、本をたくさん読む人ってのは、私も含めてどことなく本を読まない人に対して選民意識を持ってしまうものなんだよね(笑)

 ちなみに同時読みの証明として、昨日カバンに入れて持ち歩いていた本は5冊。その上帰り道でこの本を買った。何を考えているんだろうと、我ながらちょっと思う。

▼2008年01月22日

山の道/宮本常一

 本書の著者は「宮本常一」となっているが、約半分は「田村善次郎」が書いたものである。そして、本書に限って言うと、田村善次郎が書いた章の方が、生き生きとした山の道を歩く人達を紀行文的にまとめてあり、とても面白かったと思う。

 「マイマイズ井戸」「麦飯まがり」など、本書によって知った言葉も多く、つい夢中になって最後まで一気に読み終えてしまった。やはり、歴史の中でもこのような人の往来に焦点を当てた本は、当時の生活がとてもリアルな現実として身近に感じられ、とても興味深くエキサイティングだった。

 普段、山の道をドライブしたり歩いたりしている人は、このような本である程度の基礎知識をつけておくと、いっそう山間の紀行が楽しくなると思う。

山の道/宮本常一

▼2008年01月21日

人類は衰退しました/田中ロミオ

 遠い未来、人類は衰退の時代を迎えていた。人々は明日の希望も持たず、ただ滅びの道を…。

 という世紀末小説ではなく、ビジュアル的には「横浜買い出し紀行」から数世紀後の世界…みたいな感じじゃないかと思う。少なくとも私はそんな風景を思い浮かべながら読んだ。
 そして本書は、衰退する我々人類の代わりに地球の主となった「妖精さん」との変な交流を描く…といったお話。

 衰退した人類にはかつて(今?)のように、熱い情熱や欲望、野望などは存在しない。何気に不思議な妖精さんとのやりとりばかりが印象に残りそうだが、私はその「自然に衰退した人類の日常」を違和感なく書いているところがとても興味深かった。
 いつか迎える人類の終焉は、カタルシス的なものではなく、こんな風にゆったりと終焉していければ幸せだろうな…と思った。

 内容的には、特に感動をもたらす小説ではないが、読んでいる時間がどことなく心地よく、それだけで充分満足。続編も出ているようなので、買って読んでみよう。

▼2008年01月18日

iPodをつくった男/大谷和利

 本日友人と待ち合わせしていた本屋さんで買った本。副題は「スディーブ・ジョブスの現場介入型ビジネス」だそうだ。

 しかし、この大谷さんも懐かしいね…って、別に世間から隠れてた訳じゃないんだろうけど、最近では私がマック系のメディアに目を通さなくなったからなぁ。
 相変わらずのマックを中心に宇宙が…というような世界観で書かれる文体だけど、懐かしさもあるし私自身もマックファンなので、大層楽しく読む事ができた。

 多分、このジョブスの行動を見るときの温度は、日本とアメリカでは違っていて、きっとアメリカ人の経営者は「ああ…こういうやり方もあるな、チャンスがあったら真似てみよう」というレベルなのに対し、日本の経営者では「こんなやり方到底無理、まずは組織改革から…」ってなモノなんだろうなと思う。

 アイディアや技術論ではないのだ。組織のための組織をこねくり回して遊んでいるだけの日本人では、今のアメリカIT社会に太刀打ちできないであろう。
 もっとも、無理に太刀打ちしなくても、それなりの地位を日本的やり方で維持するという考え方もある。そもそも、こういう本を読んで「アメリカ社会はいいな」とか「日本の組織もこれを目指さなければ」などと思う事自体が極めて日本的で硬直化した考え方なのかもしれない。

 いずれにせよ、こういった経営者は今の日本で活躍の場は与えられない人材なんだろうなと思う。

▼2008年01月16日

Web国産力/佐々木俊尚

 多分、日本のウェブ業界に一番欠けているのは、この本の著者も含めてだけど「未来を夢見る力」なんだと思う。

 本書では、アメリカやその他の国にすっかりイニシアチブを握られてしまった、ウェブ関連の新技術について、展望と願望を交えながら概略を紹介している…が、全編に渡り「ユーザーのニーズを最適化し、ユーザーごとに商品をレコメンド…」みたいな代理店的匂いが付きまとい、未来ってのはそんなに楽しそうな世の中でもないな…なんて気にさせられてしまう。

 グーグルを初めて使ったときの衝撃は私も忘れられないよ。それまではヤフーのカテゴリ検索や、NTTの日本国内サーバガイドを頼りに必要な情報(というか日本語ではまだ『必要な情報』といより『ある情報』というレベルだった)を探し当てていたものだ。あと、東大で実験公開されていた全文検索エンジン…名前忘れたけど、も使ってたな。あれに初めて触れたときも結構衝撃だった。
 そんな中、アメリカですごい検索エンジンができた…なんて噂が立ち、使い始めたのはこのサイトを公開する前(ちなみにこのサイトで一番古い情報は1999年9月)
 多分、そのグーグルを作った創設者連中は、そのときは「将来アフリエイトで大儲けしよう」とは思ってなかったと思うよ。

▼2008年01月13日

図書館が教えてくれた発想法/高田高史

 日々図書館を使っている私にとっては、ある意味当たり前の事なのだが、それでも当たり前の事がこうやってアーカイブされていると、改めて為になるなぁ…と思う。

 本書の舞台は一応「図書館」を想定しているが、この方法は図書館というか、書籍以外でも、世の中のほとんどの情報を探したり整理したりする場合でも有効だろう。
 それでいて、物語形式になっていて読みやすく、すんなりと理解できる。図書館に行ってみてはいいけど、どうやって目的の資料を探してみようか…とか思っている人にはお勧め。

 あと、本の中にある挿絵が、ほのぼのとしたカットながらも、コメントを読むと情報量がとても濃かったりするので、こちらの方も余すことなく鑑賞していただきたい。

ゆうき図書館の貸し出しトートがほしい

 これいいよね。…いや、それだけなんだけど、市販されていないのかな。

 …これだけだとあまりにもエントリーが寂しいので、もうちょっと書き続けてみると、昔からトートバッグというのが大好きで、かといってそんなに買っても使い切れないので、あまり買わないんだけど、でも…観光地とか変な物産展(笑)とかで売っている、いかにも端物で作りました…みたいな500円しないようなトートバッグなどは、見つけるとついつい買ってしまう事が多くて、でも使い切れないので、仕方なく周りの人にあげちゃう。
 そのたびに何をやっているんだろうと思うのだが、それでもやめられないんだよね。

 ちなみにちょっとお高目のトートバッグは、主にアウトドア系のものを入れるのに使ったり、旅行に行くときに着替え用バッグとして持っていったりすることが多いかな。ちなみに高目とはいっても、一番高価なトートバッグで5,000円くらいまでのしか持ってないけどね。それ以上の値段になると、トートバッグとしての使い方ができないトートバッグになってしまう。

 ああ…エルメスのエールライントートはもっと高価か(笑)。確かにあれは例外だし、トートバッグとしての使い方もしていない。

▼2008年01月12日

カメラは時の氏神/柳沢保正

 「変なタイトルの本だな」と思ったが、読み終えると納得。とても面白くてちょっと寂しかった。

 本書は新橋にあった「ウツキカメラ」の店主への聞き取りを中心とした、写真とカメラの昭和史。戦中の写真に関するエピソードや、戦後すぐのカメラ屋の繁盛記などは読んでいてとても興味深い。また、数は減ったといえ、銀座に中古カメラやさんが多く残っている理由も記されている。もっとも、後しばらくすると残された店もなくなってしまいそうだが。

 ウツキカメラは、昔会社から歩いていける距離にあった事もあり、私も良く通っていた。カメラも何台か買った覚えがある。そのうち新橋駅前の店を閉めて、銀座の方に引っ越したみたいだが、そちらの方は1~2回しか行った事がない。そのうちまた行こうと思っているうちに、そちらの店もなくなってしまっていた。

エコバッグ・ブック

080110-02.jpg 自慢じゃないが「エコ・バッグ」が大好きだ…って、ホントに自慢にもなりゃしない事なんだけど、最近ではちょっと自慢げに語ってもいいような風潮になってきました。

 ということで、買い漁るという訳じゃないけど、私の部屋には結構な種類のエコバッグがあります。思えば一番始めに買ったエコバッグは、確かダイエーで売り出されていた500円の布バッグじゃなかったろうか。私が免許取り立ての頃に買った覚えがあるから、ほんの2~3年前の事かしらね(笑)

 そういえば一昨年オーストラリアに行ったときも、1人で街をさまよってスーパーとかマーケットとか迷い込んで、オリジナルのエコバッグを何枚か買ってきました。日本とは随分材質と大きさが違うし、何せ値段が安いのにびっくり。オーストラリアって、他の日用品では物価が日本より高目に感じるんだけど、軟膏とエコバッグは例外。そういえばホテルで使う歯ブラシと歯磨きを買おうと思って、色々スーパーマーケットや商店を探し回ったんだけど、日本円で500円くらいするものが最安値だったな。改めて日本の100均ショップの偉大さを…って、だんだん話が変わってきちゃった(笑)

 エコバッグが好きなだけでなく、実はちゃんと毎日エコバッグはカバンに入れて持ち歩いています。めったに使う事はないし、実際買い物してもレジ袋に入れてもらったりしてるので、そんなにエコに気を遣ってる訳じゃないんだけど、でも時折持っていてよかった!と思う事が年に数回はある。私の持ち歩いてるのはちょっと気取った例のオランダ人デザイナーSUSAN BIJLのやつです。エコというより、ちょっとレジ袋そのまま持ち歩くのは気になるな…という時なども便利です。見た目それなりにオシャレっぽいので。

 とまあ、実は私的に「レジ袋」についてさほど否定論者ではありません(あれは今の社会システムでは必要なモノだと思うし)。それでもエコバッグについては好きという、本来硬派にエコバッグを愛する人達からはしかられてしまいそうな軟弱エコバッグファンでしかありません。
 そんな私ですが、この本は面白かったな。本屋さんでめくっているうちに「是非買わねば」という気になってレジに持っていきました。そのときは気にしてなかったんだけど、実はこの本、今本屋さんで買うとオリジナルエコバッグ付き…というか、付録みたいにエコバッグがくくりつけられて売っています。始め何かのパンフレットが挟んであるのかと思っていたら、エコバッグだったので結構嬉しかった。ちなみにそのエコバッグはビニール袋に入れられているので、エコじゃないのでは?などと思ったりもしましたが、ちゃんとお詫びの紙が入っていて、

本書のノベルティとしてお付けするエコバッグは個別包装とさせていただいております。
本来の「エコ」とは趣旨を異にする過剰包装となってしまっておりますが、商品の管理上、やむを得ないこととご理解いただけましたら有り難く存じます。

 と書いてありました。ま、ゆるしてやるか(笑)

 とまあ、本書について軽く感想文を書いてみようかと思ったら、モノがモノだけに一気に本書とはあまり関係ない話でここまで書ききってしまった(笑)。内容については、著者が主にドイツで収集したエコバッグの写真がひたすらたくさん掲載してあります。デザインの事例としても面白いです。

LEICA digilux zoom


エコバッグ・ブック/塚本太朗・赤木真弓

▼2008年01月10日

くわがた専門

 くわがたマガジン最新刊No.38には、なんと「年末恒例!ショップ福袋情報&プレゼント」という記事が掲載されているらしい。

 というか、この雑誌で掲載される福袋の中身って一体どういうものなんだろう…。多分マニア以外の人がもらっても困るものなんだと思うけど、非常に気になる。

▼2008年01月09日

ぺダリスト宣言!/斎藤 純

 この手の自転車本は、大体書いてある事が同じ流れになってしまうのだが、それでも繰り返し読む事には意味があると思う、それだけ、日本の自転車を取り巻く環境と行政はおかしな事だらけだからだ…。

 とまあ、前半は割と軽い感じのエッセイで始まるのだが、読み続けるにつれ段々内容が重くなり、最後は環境問題へ…と、ある意味おきまりのパターンですね。でもつまらないとは思わないな。というか、何度でも何度でもこの手の問題は反復して学ぶべきだと思う。

 自転車が非常に効率の良い乗り物である事。自動車が如何に環境へ負担が大きく、また社会的弱者にとって危険な乗り物であるかということ…。私も自動車は好きだし否定はできないのだが、最近はそんな事を考え始めている。

 暖かくなったらまた懲りずに自転車乗るかなぁ…。

▼2008年01月08日

国井的旅の力/国井律子

 ああ…ハーレーに乗っている姉ちゃんね。というくらいの認識しかなかったのだが、本屋さんで平積みになっていたのを手に取ってみると、何となく先が気になってきたのでつい購入。
 本書の場合は、旅そのものというより、旅にまつわるモノや考え方など…そういう周辺エッセイみたいなモノが多く、逆にバイクの旅そのものにはあまり興味のない私でも比較的楽しく読む事ができた。

 そういえば、私の人生ではバイクに乗るチャンスがありそうでなかったな…というかこの先もないと思う。それとひとつ苦言を言わせてもらうと、バイク乗りってちょっと閉鎖的で人を見下すような印象ってない?ないすか?(笑)

 中型免許を持っている私がバイクに乗らなかった訳は、ひとつはバイクの免許を取ったときに何故か自転車が楽しくて仕方なくて、正直バイクを買う金があったら自転車を買う方がいいと思っていた事。もう一つは当時常連でも何でもない偶然入った世田谷の飲み屋のマスターに「バイクの免許持ってるのにバイク乗ってないの?そんな根性なしじゃだめだ!」などと訳の判らない因縁をつけられた事。
 確かそのときの私は思わず「いや…バイク何かより自転車の方がずっと爽快で自然と一体で楽しいですから」などと反論してしまった覚えがあるのだが、そのとき、身も知らない他人(しかも客)に、バイク乗りというだけで先輩ズラする人間模様を見て無性に腹が立ち「ああ…この先バイク乗りには近づかないようにしよう」と固く決意してしまったんだよね。当時身近な友人が熱心にバイクを勧めてくれていたのだが、そういう事もあってその友人には申し訳なかったけど、私はすっかりバイクに興味が失せてしまっていた。今思うとそんな事でバイクに乗らない事を決心するというのもアホな話なんだけど、当時はかなりムカムカきたな。
 あとまあ…風を感じる…という点からすると、ヘルメットなしで直に風を感じる事ができるオープンカーの方が、私としては「風を感じる事ができる」と考えているのもあるけど。

 そんな過去の恨み事(笑)もあり、何となく今までバイク乗りの書いた文章というのは敬遠していたんだけど、本書に限って言えばそれなりに面白かったかな。
 あまり他の著作を読んでみようとは思っていないけど、女性が書く旅についての話は、男性みたいに変にロマンチックにならないのがいい点かもしれない。

此処彼処/川上弘美

車の、抜け道が、好きだ。 大きな広い道ではなく、みんなが避けるような細い道を、行きたがる。

 この心境よくわかかるわかる!思わず相づちを打ってしまった。女性でこういう嗜好を持っている人は少ないんじゃないだろうか…。

 という事で、前回日記を読んだ後に買ったエッセイは、とある場所を特定したエッセイの数々。作者本人は自身の作品の中で、通常場所を具体的に特定してしまう事を避けているそうだ。曰く「固定されてしまうのが怖い」そうだが、何となく気持ちはわかる。
 例えば私のこの駄文の数々でも、実は本当の事は4/5程度(笑)で、場所、人、時間は意図的にずらす、もしくはわからないようにしてしまう事がある。別に素行がばれるのが怖いとかそういう事じゃなくて(それもあるけど)、何となく明け透けに全てをここで書いてしまうのがちょっと怖いというかもったいないというか…なんというかとしか言いようがないのだが、そういう微妙な心境だからだ。

 つことで、このエッセイも妙なそそられ感(笑)があって面白かった。次の日記も買ってこないと。

此処 彼処/川上弘美

安原製作所回顧録/安原 伸

 一式でお馴染みの安原製作所社長である安原 伸、自らが書いたカメラメーカーとしての安原製作所回顧録。読んでみると?と思うところもままあるが、それでも会社を作って製品を作ってそれを畳むまでの一連のドラマはとても面白かった。

▼2007年12月28日

宮本常一著作集48

 宮本常一の著作集は、まだ読み終えていない巻が何冊もあるので新規購入を控えていたのだが、もうバンバン発行されるので、このままのペースだと死ぬまでに読み終える事ができないかもしれないな…。

 なんて思ってはいても、やっぱりもったいないので買い控えていたんだけど、今日寄った本屋で珍しくこの著作集が店頭に在庫してあり、その48巻「林道と山村社会」の中身を見たら、とても面白そうなのでつい買ってしまった。

 宮本常一は、世間的に「民俗学者」と分類されているみたいだけど、私的にはちょっと違う認識。というか、本来の民俗学者は宮本常一みたいなスタイルであるべきだと思うのだが、残念ながら現在の民俗学者達は、知識のための知識、議論のための議論を繰り返し、結果訳の判らないイデオロギー的概念にどっぷり漬かってしまって抜け出せなくなっているようにしか見えない。そんな中で1人その民俗学の沼地からすくっと立ち上がっているようにも見える宮本学は、民俗学というものを「世間に役立てるための学問」として実際に使用している点で、皮肉にも一般の民俗学者には見えないという結果になってしまっている気がする。もっともこれは私の個人的な印象でしかないけどね。

 実際、本書の内容をざっと確認すると、林道についての企画設計、予算配分、その効果、後の維持、社会的影響など、業務報告書を読んでいるかのような明快さが見て取れる。これからじっくり読むのがとても楽しみだ。

ユーラシアの創世神話

 昔、谷川健一の「白鳥伝説」という本を読んだ事があって、確か白鳥への信仰が日本古代を作りだしそれが近代までの王朝に影響を及ぼして…みたいな話だったと思う。後年星野之宣がそれをアイディアにしたと思われる漫画を発表して、白鳥の伝説は広くユーラシア大陸全般に波及しているというストーリー…というか、宗像教授は確かそれらの研究をライフワークにしていたんじゃなかったっけ?

 本書はそれらユーラシア大陸全般に見受けられる主に「水」にまつわる伝承を追っていったもの。水に関係するので「羽衣伝説」などの水鳥に関する伝承にも触れている。
 考察というより、それら伝説に関するあらすじが多すぎてちょっと読むのに疲れるが、ざっとこれらについての共通事項を俯瞰するにはとても良い本だと思う。西の果てのケルトと東の果ての日本で、割と共通項が多い伝説が息づいているというのは、真偽は定かでないにせよ、なかなか歴史のロマンというものを感じさせられる。

▼2007年12月26日

卵一個ぶんのお祝い。/川上弘美

 川上弘美の魅力は、基本的にほのぼのとした文体の中にちらりとエロチシズム…というか「えっち」といった方がいいかな、そんなエッセンスがうまい具合にチラ見する事かな…なんて思ったりもする。
 この日記もそうなんだけど、ただの日記の割には時折ちょっと色っぽさを感じる所もあったりして、それがまたほのぼのとした文体にちょっとした生っぽさを感じられて妙にそそられてしまう。そうだな、この軽い「そそられ感」が川上文学の魅力なんだろうか…なんて語れる程たくさん彼女の文章を読んでいる訳じゃないんだけど。

 で本書。実は本屋さんで続編の「ほかに踊りを知らない。」の方をはじめに見つけて面白うそうだなと思い、この本が続編だと知りどうせならはじめから読むのが筋だよなと思って、本屋さん3件ハシゴしてようやく見つけた。まだその続編は買ってません。
 買ったのももう一月以上前の話で、毎日チビチビと少しずつ読んで今日ようやく読み終わりました、明日にでも続編を買ってこようかな。

 帯に「カワカミさんの5分の4はホントの、日々のアレコレ。」と書いてあって、実際本書の内容がどこまで本当なのかわからないけど、人は大人になっても意味不明な事や変な事で悩んだりするんだなと…改めて思いました。

 そう考えると、私は普段から自分自身について考えなさすぎ…って気もしたかな。

▼2007年12月18日

セレビッチ創刊!

 痛ニューでみて思わず吹き出した。なんだよこの名前何考えてるんだ(笑)

 ビッチかよビッチ…。まあ、実際購買者層はビッ…いやいや、わかりませんけど。

▼2007年12月11日

コミックガンボ・休刊

 ガーン!!休刊とはいえ、実質廃刊なんだろうけどなぁ。

 ただ、確かに流通についてはもう少し考えてもよかったかもしれないね。毎週読みたくても、タイミング良くその場でもらえなければ実質読めなかった訳だし、R25みたいに定住のラックをもっと増やせば…って、それも金がかかるしな。かといって、正直Webで見る気にはなれないよね。

 週末に友人とこの漫画誌について話していたばかりだったのに…、実に残念だ。連載していた漫画はどうなるのかな。どこかで続きが発表できる場があるといいけど。

▼2007年12月10日

タータンチェックの文化史/奥田実紀

071210-01.jpg この本読んでいたときにふと気がついたんだけど、そのときの格好はこのザマよ…(笑)。自分ってタータンチェックって好きだったんだなと改めて実感。

 本書は、日本ではちょっと珍しい「タータンチェック」についての蘊蓄を記した本。考えてみれば、ファッションやインテリアなどにここまでとけ込んでいるタータンチェックについて、私は何も知らない。あの柄には日本の家紋のように由緒正しい伝統や意味が込められているんだよ…というのは何かで聞いた事があったけど、具体的にそれが何なのかよくわかっていなかった。

 本書は「入門書」という位置づけらしいので、各項目についてあまり詳しく突っ込んだ研究が記されている訳ではないのだが、気軽に「タータン」というモノを理解するには丁度いいとおもう。ただ、巻末に「もっと詳しい事が知りたい人は専門書を…」と書いてあるが、日本で日本語で普通に流通しているタータン関係の本が皆無なのが寂しい。これだけちまたにあふれている柄なのに、日本では誰も研究の対象にはしてこなかったのだろうか。

 で、写真の通り無意識にタータン好きだった私も、本書を読んで改めて「タータン大好き」だったんだと、自分で理解できたのがよかった…のかな?
 あ、そういえば今着ている寝間着も赤ベースのタータンだだよ(笑)

 ちなみにこの本の著者はブログも開設しているみたい。オークションとか訳の判らないリンクがあってちょっと怪しい感じだけど。

CONTAX SL300R T*


▼2007年11月13日

風に舞いあがるビニールシート/森 絵都

 短編集。私にとっては、誰か有名な現代作家なんだろう…という程度の認識。冒頭に掲載されている「器を探して」という短編で引き込まれ、次に掲載されていた「犬の散歩」で感動した。相変わらず動物ネタには弱い私である。

 でも、牛丼のたとえと、犬のエサのたとえは、なかなかすてきな比喩ではないかと思った。

▼2007年10月26日

漫画BANK「カサブランカ」

 おおっ!お友達の漫画家さんが出ていらっしゃる!すげーすげー。

 つことで、漫画にDVDがついて1,380円ってのは、なんだかものの価値観がよくわからなくなる安さだな。そういえば「カサブランカ」って私は見た事なかったので、これを機に買って見てみようかと思う。発売は11月17日。皆さんも買ってね。

 アマゾンではまだ売っていないようなので、お友達の他の著作のリンクを貼っておきます。

▼2007年10月25日

武士道シックスティーン/誉田哲也

071025-02.jpg 表紙を見たら、16歳の少女と少年の剣道のお話かと思ったら違った。少女と少女のちょっと変な友情を描いたお話。というか…最近では、叩かれたり殴られたりする体を張った故の友情ってのは、女の子同士の方がむしろ成立しやすいのかな?

 という感じで、剣道を通じた恋愛っ気のない女の子同士の関係を描くお話。読後感がとても爽やかで、みんなの感情や状況が素直にいい方向に収束していくラストは、久しぶりにいいお話を読ませてもらったと思えた。

 ちなみに、直前のエントリーで書いた蕎麦屋で読んでいた本はコレね。その後酔い覚ましにスターバックスに寄って、夢中になって一気に読み終えてしまいました。

RICOH GR Digital


▼2007年10月24日

サクリファイス/近藤史恵

 自転車ロードレースを舞台にしたミステリー。普段はミステリーってだけで読むのを敬遠してしまう私だが(謎解きとかトリックを面白がる文章の鑑賞に意義を見いだせないので)、本屋さんで並んでいるのを見かけて、出だしをちょっと読んでみたら面白そうなので購入。そのまま近くのカフェに入って一気読み。面白かった。

 ロードレースが舞台の話ではあるが、ロードレースを知らなくても楽しめる。と同時に、こういったエースとアシストといった複雑なルールと感情が入り乱れるゲームは、日本で流行らないんだろうな…というのもわかる気がする。

 とにかく、自転車に興味があってもなくてもお勧め。

サクリファイス/近藤史恵

▼2007年10月22日

スイ~ト・スイ~ツ・ショコラ/ゆうきりん

 ショコラ作りを夢見る女性のお話…。

 なんだけどね。私もおいしいショコラを食べたくなった。来週会社帰りに何処か寄って買ってこようかな。

 しかしまあ…子供も大人も、女というのは食べ物が好きなんだね、と、本当に思う。私なんてたまにちょっとおいしいものを食べる事はあっても、本質的に食べ物には興味がないので、極論を言えばカロリーメイトで1日過ごせ!と言われても、そんなに苦ではない気がする。大体ジャンクフード大好きだし。

 もっとも、女性は食べ物が大好きであった方が、きっといいと思うし、またかわいいとも思う。
 そして、それは女性が好きな男性の前では綺麗でありたいとか、可愛くいたいとか、そういう気持ちの表現としても、食べ物というのは使えるアイテムだと思う。別に手作り料理を作るとかそういうのだけでなく、ちょっとしたお菓子のチョイスひとつにしても、気の利いた選び方のできる女性というのは、いとおしく感じてしまうものだ。

 例えば、もし一緒に暮らす女性から「私食べ物にあまり興味ないのよね」なんて言われたら、食べ物にさほど興味がない私だって「つまんない女だな」と思うよ、きっと。

 で、この本についての話だけど、やっぱり「おいしいものを作りたい」と思う女性は、色々あるけど理屈抜きでかわいらしく感じますね。

▼2007年10月20日

ぶ男の遺言/徳大寺有恒

 徳大寺先生の文章は好きで、今でも「間違い探しの車選び」などは、古本屋さんで安く見つけるとつい買ってしまうし、また自動車以外のエッセイもなかなか面白いと思う。というか「間違い探しの車選び」などは、全巻文庫化してほしいなと思う。当時売られていた自動車についてのコメントは、今読み返してみても自動車が好きな人、あるいは自動車を研究している人にとってはいい資料だと思うのだが…。

 それはそうと、今回読んだ「ぶ男の遺言」だが、なかなか面白い。ただ、私も「ぶ男」の部類に入ってはいても、ここまで顔に対してコンプレックスは持っていないかな。そもそも氏が「人生で一番好きなのは女」と言い切っている程、私は女好きじゃないので、どちらかというと、自分の才能とか性格とか、そっちの方のコンプレックスがむしろ強い。なので、直接的に私自身がこの本のネタに共感できる部分はあまりないのだが、それでも考え方としてなかなか面白いし為になるね。別に私も実践しようとは思いませんけど(笑)

 氏は残された人生で小説を書いてみたいとおっしゃっている。普段は小説なんて読まない私だけど、これは是非読んでみたい。

ぶ男の遺言/徳大寺有恒

▼2007年10月05日

掘れ掘れ読本/秋田麻早子

 考古学会のアイドル(自称)だそうである。その彼女が所属する考古学会について、散文的に面白く紹介してある。
 特に発掘物をイラスト付きで紹介している章は、考古学的な考察ではなく、普通の人が見たまんまの深い考察のない反応が書いてあり、なかなか面白い。「ずいぶんヴィーナスの定義広げてるな」という突っ込みは笑える。

 本人の手による(?)イラストも満載で。また、古代文字の章には、各項目ごとにきちんとまとめが載っていたりと、読み物としてもわかりやすく理解しやすい。

 ブログも開設しているみたいなので、興味を持った人はとりあえず読んでみては如何でしょうか。

▼2007年09月24日

中国の歴史を一気にゲット!

070924-02.jpg 連休中などの特別な休みの日は、ブックオフに出陣するのが吉。結構な確率で一般書のセールをやっている。

 そして、今週土曜日に手に入れた戦利品が写真と下のアフリエイトリンクにある、講談社「中国の歴史」シリーズ10巻分。この本は一冊当たりの定価が2,600円なので、ブックオフで並んでいた場合の価格は大体1,300~1,500円くらい。以前から読みたかったので、ボチボチ古本でそろえ始めるか、それとも図書館に行くか…なんて思っていた昨今、ブックオフ連休セールで一般書が全て350円で、そしてそこの歴史書コーナーにありました!全12巻のうち10巻分が。全部買っても3,500円だっちゅーの!もう速攻買いしてきましたよ。

 歯抜けになっていたのが、秦の始皇帝時代3巻と三国志時代の4巻。まあ…この巻は人気ありそうだからそこだけ買われたのかな。でも、残り2冊なら定価で買ってもいいよ。でも、定価で買うと2冊分が残り10冊分より高くなっちゃうなぁ(笑)

 一気に読めるモノでもないので、ボチボチと読んでいきます。中国の通史は、陳舜臣から講談社新書まで大体3~4種類は読んでいるんだけど、今回買った中国の歴史は、発刊が2004年末から2005年の間という事もあり、最新の情報が掲載されているはずなので、楽しみだ。

 まあ…全て読み終えるのにどれだけ時間かかるかわかんないけどね(笑)

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital ED 50mm F2.0 Macro


▼2007年09月17日

ズイコー夜話/桜井栄一

070917-03.jpg 古本屋で見つけてゲット!これは素晴らしい。早速一気に読破!するのがもったいなくて、チビチビ読んでいます。

 オリンパスという会社は、戦前から一貫して独創を好み、時代と共に大きくなりがちなカメラに反旗を翻し続け、更にアマチュアのカメラマンが使いやすい機能にこだわり続けた…といった点が実によくわかる。

 もう絶版から長い間経っているし、更に朝日ソノラマが活動を停止するという事もあって、もうこの本の復刊は厳しいかもしれないが、もし古本屋さんで見つけたりしたら、カメラ好きの方には是非読んで欲しい本。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Auto-S 50mm F1.8 MC

▼2007年09月16日

夕映え少女/川端康成

070916-01.jpg ジュンク堂で買って、そのまま4Fのカフェで読んでる。

 しかしまあ…川端文学ってのは、もうお話の内容とかプロットとか、そういうのどうでも良くて、ただ目の前の文章を鑑賞するためだけにあるのではないかと、そんな風にも感じます。

 何故か新風舎からいきなり出ていたこの文庫、ピンクの装丁も少女っぽくってなかなかいいよね。

OLYMPUS E-410 + NIKKOR NC Auto 24mm F2.8


▼2007年08月30日

寺島靖国/疾風怒濤のJAZZオーディオ放蕩生活

 ちょっと前に買ってきてチビチビと読んでいるのだが、本書における夫婦和合オーディオの極地!というのは、あの方達かなぁ…。

 夫婦でオーディオ、うらやましいなぁ。

▼2007年08月22日

輪行本 Vol.1/2

 昔、まだ今の判型じゃない中綴じ時代のサイクルワールドに掲載されていた4コマ漫画で、主人公の女の子がおじさんに何をしているか尋ねられて、「今輪行中です」と答えるのですが、おじさんは「なに~淫行?~~」と返すという、ベタなネタがありました。

 そんな昔話はどうでもいいのですが、今回のコミケ72では、この「輪行本」という本を買ってきました。自転車の同人誌で、更に小径車の専門なんて珍しいよね。

 私も昔から「ブロンプトン欲しい欲しい…」と言い続けてますが、ここいらでそろそろ具体的に考えないと一生買わないのではないか、いや、ちょっと前に「カタマリ01」なんて買わなければ楽に買えたじゃんとか、色々考える中、そろそろ自分自身の心の外堀を埋め始めないと、またレンズやらオーディオやらに金を使ってしまいそうなので…。冬のボーナスではなんとか買えるようにしたいよ。
 今更ながら、4~5年前に池袋西武で3万円で投げ売りされていた赤ブロンプトン(もちろん台湾製だけど)を買わなかったのが悔やまれる…いや、かつてヤフオクで出ていたネイムブロンプトンを落とさなかったのも…まあ、いっか。

 んで、読ませていただきましたが、とても面白かったです。世で売られている小径車ムックの数々は、どちらかというとカタログ誌的なものばかりで、実際に小径車とつきあう際のノウハウなんかあまり語られていない気がするのですが、やっぱり好きで小径車乗って実際使っている人の話はタメになるし興味深い。う~ん、小径車…欲しいのう。

 というか、私の場合は小径車が欲しいというより、ブロンプトンが欲しいんだよね。あれを担いで電車でサクッと出かけて地方の町並みをふらつくというのをやってみたい。今でも歩きでのふらつきは結構やっているんだけど、やっぱり歩くスピードだと、見て回れる範囲が限られるからね。かといって、MTBやロードを担いでいくのもちょっと違う気がするし…。
 あとまあ、現実として私のMGFで持ち運べそうな自転車がブロンプトンしかなさそうというのも理由の一つ。ちなみにBD-1は、どうやってもFのトランクに収まらないそうです。ブロンプトンでは未確認ですが、トランクに入らなくても助手席足下には置けるでしょう。

 この「輪行本シリーズ」。同人誌なのでいつでも買える本でもないんだけど、自転車が好きで小径車に興味を持っている人は面白く読めると思います。ネタがあればだけど、続刊なんかも期待してます。

▼2007年08月11日

赤坂ストレート300km/h トライ――――ッ

 湾岸ミッドナイトの初期の頃のが奥の院から出てきて読み直してる。

 ああ―――っ!スゲー面白い。このおもしろさは、イニDのちょっと青臭い感覚とは違う、まさにオヤジのための漫画だわ。
 私の若い頃は、もうこの手のチューニングは廃れていて、こういう時代は生きていないけど、昔勤めていた会社の社長がチューニング大好きで、雨宮さんやその手の人たちとつるんで走っていたという話を聞いて、確か丁度その頃この漫画を読み出して、今とは随分違うなぁ…なんて思っていた。

 あの当初読むよりも、今読んだ方が数倍面白い。公道故の非合法な世界、自分の何かを捨ててチューニングにのめり込んでいく様、勝者はいない、乗るヤツと降りるヤツがいるだけ。
 もちろん、この漫画は架空の世界のお話だけど、たとえ一瞬でもこういう世界に生きることは、男なら必ず一度は憧れる。

 クルマに興味ない人でも楽しめると思うよ、大人…というかオヤジのための少年漫画みたいな感じだから。
 はじめの1~3巻くらいはガキっぽい話で面白くないけど、ロータリーのオヤジが登場する辺りからめちゃめちゃ面白くなってきます。後で漫画喫茶でもいって、続きを読んでくるかなぁ…。

湾岸MIDNIGHT(1)/楠みちはる

▼2007年08月01日

古本

 久しぶりに、古本屋街をさまようという、至福の時間を過ごしてきました。

 買った本をリストします。カメラ関係が多いのは、カメラとレンズについての資料を探していたからです。
 写真とカメラについては、まだまだネット上の情報より、書籍などの方が情報が正確だし濃いですね。オーディオについては逆だけど。
 あと「日本のショーカー」という本は、めっちゃ面白いです。

バッテリー

 今夜のクローズアップ現代で「今人気のバッテリー」とあったので、エネループの特集でもやるのか?と思っていたら、バッテリーっう小説があるんだね。女の人に大人気だそうです。
 何でも、読者の7割以上が10代から40代の女性だそうで…って、女性はともかくとして、10代から40代で7割って、そんな当たり前なセグメントになんか意味があるのだろうか。

 どうでもいいけど、女の人って男同士で殴り合ってる場面好きだよね。

バッテリー(1)/あさのあつこ
バツ&テリー(1)/大島やすいち

ブックパワーRBが閉店していた

 雑誌の古本屋さんでお馴染みのブックパワーRBが、しばらく前に行ったら閉店していたのがショック!ちょっと古い機械などを手に入れた際は、よく資料漁りで利用していたのだが…。

 世界最大の古本屋街…という割には、バブル期以降古本屋がどんどん閉店されていっている。特に気になるのが、こういう新規店舗がどんどん閉店していっていることだよね。数年前にも、もう少しお茶の水寄りにあった、新規で開店してがんばっていた古本屋さんが消えていて、実に寂しい思いをしたことがある。

 神田の古本屋街も、もう10年もすれば、古本屋街…と呼ぶことができない街になっているんだろうな。残念。

▼2007年07月05日

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? /西村博之

 皆さん大好きな“まろゆき”の本。買って読んでみたんだけど、ネット関連にまつわるいろいろな事が、「確かにそりゃそうだよな…」という感じで身も蓋もなく書いてあり、なかなか爽快な読後感。

 多分、この本に書いてある事を知らない人の多くは何も共感できない内容で、多くを知っている人は多くの部分で共感できるという、教科書みたいな本だろうか。もっとも、こういう前提条件を語らなくてはいけない程、まだまだネットというのは特殊な世界であり、また、日常的にふれている人たちにとっても、その特殊な部分が理解されていない世界なんだなと思う。

 何かいてるか自分でも訳判らなくなってきたけど、とりあえずお勧めです。

▼2007年06月23日

硯の文化誌

 硯についてはマニアの間で収集の対象となっているのだが、それらの目録的な本はあっても、硯の歴史について文化面から俯瞰している本は存在しなかったと思う。
 そんな中で、本書の存在は、これから硯趣味に入門しようという人にとって、歴史や文化的背景がわかりやすくまとめられており、ディープな世界への入り口として役に立つ本だと思う。

 いや…別に私自身がこれから硯趣味を始める…という訳じゃないんすけどね。

硯の文化誌/北畠双耳・北畠五鼎

憧れカメラスタイル/松本賢

 レンズクリーニングペーパーが切れたので、補充分を買いに行ったついでに買ってきてしまった、

 なんでも、この著者に言わせると、ちょっと古いカメラ(この本で紹介されているオリンパスペンFや、OMや、ペンタックスSPとか…)は、クラカメじゃなくて、アコカメ=アコースティックカメラと呼ぼう!とのこと。

 名前は何だっていいんだけど、この著者を含め、この本を読んで中古カメラを買いたくなった人は、おとなしく中古じゃなくて、新品の最新カメラを買うべきだと思う。紹介されている「中古カメラの鑑定」などは、もはや病的レベル。こんな見識眼で「最近状態のよいペンF用レンズは滅多に出回らなくなった…」なんて当たり前。古いカメラでそういうコンディションのモノが欲しいのなら、店頭で鑑定が必要な価格帯のカメラは選ばず、新同品、もしくはデッドストック品など、プレミア価格の商品を選ぶしかない。
 そのため、著者がアコカメを楽しんでいるのは判るが、じゃあ何故デジカメを使わないの…という疑問は、最後までぬぐえなかった。

 私的な中古カメラとつきあうコツを軽く語らせてもらうと、傷やカビなどに神経質にならない…。商品は価格なり、価格を超えたお買い得品などない。レンズのカビが伝染する?そんな訳ないし、日常にはレンズのカビの元となる雑菌はいくらでも繁殖している。カビ防止は定期的に使うこと。防湿庫押し込めてもカビは生えるときは生えるし、むしろ乾燥させすぎはレンズのバルサム切れを起こす。こちらの方がダメージがでかい。
 最後に一番重要なこと。要らなくなったら、どんなに傷がついていても、中古屋に持ち込んだりして市場に還元すること。最近中古カメラを持ち始めた女子達が、用が済んだカメラ達をきちんと市場に再放流してくれるのか…そちらについては結構不安。

▼2007年05月20日

オタク論!/唐沢俊一・岡田斗司夫

 岡田斗司夫の本はわりと好きで、店頭に並んでいるとつい買ってしまう。

 で、本書は月刊「創」に連載されていた(こんなのが連載されていたのに驚きだが)、唐沢俊一と岡田斗司夫の対談をまとめたもの。時代的には、過去2~3年より今…という位だろうか。

 読んでいて思うのは、唐沢にせよ岡田にせよ、もうヲタクなんてどうでも良くなったんじゃないかと…。こういう心境は私も良く理解できるよ。だって現代のオタクとは、「萌え」とか、おおよそヲタク思考から一番縁がないであろう要素がオタクを代表する趣味思考になっちゃってるもんね。これを大衆化という言葉でくくれるのかどうかわからないが、そもそも大衆化というコンセプト自体、ヲタク的思考から離れたところにある。
 古い考え方だ!っていわれれば、その通りとしかいいようがないけど。

 岡田が本書で言っていた「今ヲタクとして尊敬できるジャンルは、鉄道だけだ」という言葉は、私もなんだかとても納得できるなぁ…。いつの間にかオタク=萌えという概念がメディアによって作られ、それに向けてたくさんの人がオタクになって、オタク市場は拡大中!なんて記事を、最近では経済誌までで見たりするが、そういった作られたりブームで増えたオタクはヲタクではないだろう、と、古くからヲタクを知っている人達なら、すぐに分かると思うんだけどね。

 拡大するオタク市場などという言葉でひとくくりにするから論旨がずれる訳で、萌えを単なるブームと考えれば、所詮そんなモンなんじゃない?
 実際、旧来の定義でヲタクっぽい人ってのは、特に減っても増えてもいないのではないかと思う。いや、これからより一層、男子達が結婚などという旧来の価値観を捨てた人生を歩み始めるとすると、生活背景からヲタクの人口は増えていくとは思うけどね。

 もっとも、オタクなんて言葉は、元々そういった厳密な定義があった言葉な訳でもないし、なんとなく「それっぽい」という人を表す形容詞として捉えれば、今の萌えにうつつを抜かすオタク達もオタクで間違ってはいないと思う。
 そう考えると、オタクかヲタクじゃないかなんて議論そのものが、アホらしくなってきちゃうのもわかるし、オタクかどうかなんてどうでもいいじゃん…ってな心境も理解できる。

 ちなみに本書の裏テーマは「いかにカッコよくオッサンや爺さんになるか」だそうである。確かに仕事以外の知識が豊富な人は知的に見えるし、異性からの評価という点では、案外女の子ってウンチクを楽しそうに語る年上の男って好きだしね。そういう意味では、萌えばかりでなく、きちんとヲタクな生活を送ってきた人は、歳を取った後カッコ良くてモテる男になれるのかもしれない。それに伴って外見も努力せんといけないとは思うけど。

オタク論!/唐沢俊一・岡田斗司夫

▼2007年05月17日

ネコを撮る/岩合光昭

 ネコ撮りというのは、私はさほど熱心でもないのだけれど、出先でネコを見ると、ついついシャッターを切ってしまう。被写体として街の中で一番見る動物でもあるし、犬と違って飼い主が近くにいないから撮影しやすいというのもあるのだろう。でも、この本を読んだら「ヌコ撮り」のためにお出かけしてみてもいいかなぁ…なんて思ったりもした。

 ネコが大好きだという人は、自分本位になってしまっていないだろうか?「ネコが好きだけど逃げられる」といった人は、この本をじっくり読んでみると、きっとネコとの距離が縮まるはずだ。

ネコを撮る/岩合光昭

▼2007年05月15日

蝉時雨のやむ頃/吉田秋生

 吉田秋生とは懐かしい名前だなぁ…と思って買ってみた。本当のタイトルは海街diary1というんだけど、サブタイトルの方がカッコいいのでエントリーのタイトルは別にしてある。

 今はレディコミを活躍の場にしていたのかぁ…。吉祥天女とかおもしろかったけど、絵柄はその当時と比べて少し柔らかくなってるね。そういえば、その後のBANANA FISHでさすがについて行けなくなって、読者やめたんだったなぁ。

 舞台は鎌倉、ちょっと前に行ったばかりなので、何となく親しみが持てる感じ。メロドラマにありがちな設定だけど、いい話です。

海街diary1/吉田秋生

▼2007年04月27日

覇者の驕り―自動車・男たちの産業史/ディビッド・ハルバースタム

 おそらく、私が生まれて初めて、ノンフィクションというジャンルで真の興奮を覚えた本。読んだのは中学生の頃だったと思う。

 確か、その当時NHK特集で「自動車」というシリーズが4回で放送されていて(プロデューサーはあの会田氏)、そちらの番組は、この本を元に作られたものだった。

 この番組を録画したテープは、今も大事に保管してあるが、まだきちんと再生できるかなぁ…。それと、当初始まったばかりのBS放送で「自動車・完全版」というのが、全10回位で放送されているんだよなぁ。アレは見たかった。ビデオかDVDで販売していないだろうか?

 本と番組の内容としては、自動車が如何にアメリカ産業の中心となったか。そして、如何に日本車はアメリカで台頭し始めたか?

 なんでこんなに古い内容の本について話題にしたかというと、著者の「ハルバースタム」氏が、どうやら交通事故で亡くなったらしいというニュースを知ったから。

 素晴らしい本をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

覇者の驕り―自動車・男たちの産業史(上)/ディビット・ハルバースタム
覇者の驕り―自動車・男たちの産業史(下)/ディビッド・ハルバースタム

▼2007年04月24日

読書は一休み

070424-01.jpg ここ一週間くらい、読書は一休み。やはり八潮のタリーズが閉店してしまったという点は大きいなぁ…。

 で、そのタリーズ閉店の原因となった、ARK八潮の閉店だが、どうもこの張り紙を見た限りでは、八潮店の販売不振が原因で閉店した訳でなく(原因の一端はあると思うが)ARKという会社自体が倒産した結果だったんだね。

 どうでもいいけど、跡地にまた本屋とカフェができないものかなぁ。無理だろうけど。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5

▼2007年04月17日

おまえの話はクルマばかり/楠みちはる

 昔練馬に住んでいた人から聞いた話だが、早朝の時間、ときおり練馬の狭い住宅地の中から、白のテスタロッサが「ドロドロドロ」という音を立てながら出てきていたという…。

 ということで、本書は漫画家の楠みちはるが雑誌記事のために乗った車のインプレッションをまとめたもの。『イニD』に出てくるブラックバードの愛車も乗って記事にしている。あのマンガは自分で乗った体験を元に書いているのか(笑)
 他にも92年式ワインレッドのベンツ500Eなんて話は、結構リアリティがあった。確かにあの当初、500Eってベタ誉めだったモンなぁ。
 ミスターマガジンで某日産車をケナしたおかげで、所属する出版社すべての広告を引き上げられた…なんて記事も読みたかったが、残念ながら収録されていない。ちなみにその話、実は怒ったのは某日産じゃなくて、下請けの代理店の営業がファビョったおかげだった…というのも妙にリアリティがある。いやだね、こういう業界。

 そんな風に、業界裏話風な部分もネタとして楽しめる、お得な自動車本。こんな物腰だけど、書いてあることは至極真っ当なことが多く、クルマ好きなら納得できることが多い。

女たちの大英帝国/井野瀬久美恵

070416-01.jpg 19世紀の、まだイギリスが大英帝国だった頃。世界各地を旅して回る「レディートラベラー」という女性達がいたらしい。日本で有名なイザベラ・バードも、そういった女性の一人…だったことを、この本のあとがきを読んで知った。

 そして、それらの女性達は、主に地球の未開地に一人で出かけることを好み、またその姿も探検服を着た仰々しいものではなく、長いスカートをまとう、まるでロンドンの繁華街を散歩しているかのような、正当なイギリス人女性の姿で冒険することを好んだ。

 何故当時のイギリス人女性がそのような旅にあこがれて、またしばしば実行したのか?この本でも色々考察されている。当時のイギリスは、人口比率で女性の割合が多く、女性達は自分が一生男性と結婚することができないと恐怖している社会情勢が、このような強くて一人で行動する女性にあこがれるブームを作ったのか?あるいは、イギリス帝国としての社会的責任感からか、色々な理由は推測されているが、どれも正しい考察だとは思えないし、またこの著者も、それらが理由ではないと思っているようだ。強いていえば「ブーム」だったとしかいえないのかな?とも思う。

 バードのような女性が、当時の未開地域だった日本の東北を、スカート姿で歩いていたのにも驚いたものだが、他にも多くのイギリス人女性が、日本どころか、西アフリカの奥地をスカート姿で単独で歩いていたというのにも驚く。
 「日本奥地紀行」だけを読むと、そのバードの異常とも思える「トラベル」への執着が理解できないのだが、本書を読むと、当時、同じ志を持って世界を歩いていた英国人女性は数多くいたというのが判る。ただ、それでバードの動機はある程度理解できても、何故多くの女性が単独で…という疑問は残る訳だが。

 ちなみに、世の女性解放運動家の方達は、こういった女性達の姿に「解放された女性像」を重ねようとするらしいが、こういう点において彼女たちの思想は極めて保守的な場合が多く、中には「女性は選挙権を持つべきでない」などという発言をしていたレディートラベラーも多かったという。
 結局、19世紀当時のイギリス社会というのは、私達現代人とは全くベクトルの違う価値観も数多く存在していた…という風に考えるしかないのだろうか?

 本書は講談社現代新書から発売されていたのだが、現在では品切れ状態になっている。というか、知らない間にこのクリーム色の表紙の本見なくなったと思ったら、別なデザインでリニューアルされているみたいだね。このリニューアルで、絶版、もしくは品切れ状態になってしまった本も数多くあるようだ。

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女たちの大英帝国/井野瀬久美恵

▼2007年04月16日

デジタルカメラ2.0/美崎薫

 何でもかんでも2.0の時代だが、確かにこの「2.0」ってのは、イメージしやすい言葉だからね、流行るのもわかる。

 ということで、今度は「デジタルカメラ2.0」だ。デジタルカメラは従来の銀塩カメラと全くの別物…と定義する著者が、デジタルカメラの未来を占うという内容。
 正直、未来展望はどうでも良かったが、その前振りである「デジタルカメラの歴史」に関する記述が多く、こちらは楽しく読めた。もっとも、歴史とするには、特定のメーカーばかりしか取り上げていなかったけど。

 デジタルカメラについての知識は判らないが、カメラの知識やその他の知識には結構間違いが多い。こういった周辺知識での誤りは、本論についてもやや信頼性が下がると思う。世界初の一眼レフカメラは、ニコンのFじゃありません。

▼2007年04月15日

戦術と指揮/松村劭

 これを「ビジネスに必要な…」というのは、結構無理があるのではないだろうか?随所に無理矢理挿入されるビジネスの心得がかなり不自然。
 それさえ我慢すれば、割と面白いし為になることも書いてある。ただ、例題の出し方は下手だと思う。例題は真面目に考えず、著者の考える回答と考察をとっとと読んだ方が、疲れないし為にもなる。大体、例題として考えると状況説明がアバウトすぎる。

 多分この知識が実生活(勿論ビジネスでも)で直接役立つことはないと思うけど、それでも知的好奇心として知っておくと、意外なところで間接的に役立つかもしれない。

▼2007年04月14日

星の航海師/星川淳

 もう大分前に読んだ本なんだけど、今日電車に乗っていたら、隣に座っていた女の子が読んでいた。ちょっと横目で見て懐かしかったなぁ…と。

 おそらく二十歳前後の頃だと思うんだけど、その頃私は、日本における海からの文化史に興味を持っていて、柳田圀男の「海上の道」とか、小学館から発刊されていた「海と列島の文化史」とか、そういう本を何冊も読んでいた。これらは、日本において、南方の島々から伝来した文化や技術は多かったのではないかという主張で、当時においては、そういった仮説を述べている人は割と少数派だったと記憶している。

 例えば「文化南方渡来説」で大きなネックになっていたのが、当時の航海術。当時なんかの本で、台湾から鹿児島まで、ルートを選んで島伝いに北上すれば、陸地が見えない行程はわずか2~3日しかない…なんて話があって、現代の私達が思うよりも、それらの“海上の道”は、利用しやすいという話が記載されていたのだが、それにしても「文化伝播」という規模できちんとした航海ができるのか、私自身も正直怪しいと思っていたものである。

 そんな中、この本をみつけた時は「そうきたか」と驚いた記憶がある。早速買って読みふけったのだが、天測航法という手段が、我々の考えているような怪しげで不確定な航海術ではない事が理解できた。
 この方法を使えば“海上の道”はおろか、太平洋上を自由に行き来することができる。そしてこの航海術が、かつての太平洋諸国全般で利用されていてもおかしくない、そう思ったとたん。私の頭の中での“海上の道”が、よりリアルな道として再構築された。。

 細かい内容は忘れてしまったが、まだ奥の院を漁れば出てくるかな?もう一度読み返してみたいと、隣の女の子のページを盗み見しながら、そんなことを考えたのでした(笑)

▼2007年04月13日

流血の魔術・最強の演技/ミスター高橋

 そんなことは判っていましたけどね…。

 なんて強がっていても、子供の頃プロレスが好きだった私にとってはショックであることは隠しきれない。ホーガンと猪木のIWGP決勝戦、アレはいくら何でもマジ(というか事故)だよな…なんて思ってはいたのだが。

 それはそうと、例え暴露本ブームの昨今とはいえ、この「ミスター高橋」には、プロレスを愛する気持ちなんて微塵もない…もしくは失せてしまったんだろうな、と思える。巻末で日本のプロレスに対し「WWEに習ってエンターテイメント性を」なんて前向きのつもりで提案していても、その言葉はどことなく乾いている。
 私はこの本を読んでいて、著者のミスター高橋のスタンスがどうも好きになれなかった。

 ついでにいうと、K1だってプライドだって、ショーであることは間違いないと思うよ。少なくとも結果はあらかじめ決まってるんじゃないかな?試合結果と事前・事後の報道をみれば容易に想像が付く。

 おそらく、格闘技で真の「セメント」勝負が残っているのは、アマチュアの分野だけだと思う。あ、相撲なんかは、まだ「セメント」だろうなと思うけど。

▼2007年04月12日

古道具 中野商店/川上弘美

 読んでいて非常に腹立たしい本だった。ここでいう“腹立たしい”は、肯定的な意味においてである。

 人間の細胞は三年で入れ替わる。だから、3年前に会った人は、もう自分が知らない全然違う人…というくだりは、確かにそうだと思った。

 主人公と一緒になって、むかむかしたり、怒ったり、イライラしたりしながら読めた小説。面白かったけど疲れたな。

古道具 中野商店/川上弘美

みーたん/友美イチロウ

 引きこもりでニートの主人公宅に、突如現れた全裸の幼女みーたん。彼女はなんと地底人だった…という、しょーもないマンガ。すみません、買った訳じゃなくて、本屋で立ち読みしてしまいました。

 ある意味、ヲタに自己反省を促す啓蒙の書…といえるかな?

みーたん1/友美イチロウ

補給戦/マーチン・ファン・クレフェルト

 かつてボードシミュレーションゲームをやっていた時、補給については比較的注意しつつゲームを進める必要があった。ただ、後年登場したPCシミュレーションゲームには、全くと言っていいほど補給に関する概念がない。この辺の体験を境にして、戦争には常に補給が必要だという認識が別れるのではないかと思う。

 なあんて、かつてはそんな偉そうなことを考えたこともあったが、本書を読むと、その程度の認識では、戦争の現実は全く理解できていないということを思い知らされる。
 特に、近代戦において作戦行動を支配するのは、素晴らしい戦略的ひらめきでも武勇でもなく、綿密な補給計画である。

 本書の初版は1980年。その後長い間絶版状態が続いていたが、最近になってようやく文庫化された。軍事的知識を深めるにはいい本だと思う。お勧め。

 そうそう、一点だけ苦言。いい加減翻訳物の本で、単位をマイルとかポンドとか表記するのやめようよ。こんなの校閲の時点で電卓使ってちょちょいと計算して書き換えれば済む事だろう。これらの単位が出てくる度に、頭の中で暗算するのはかなり面倒。

補給戦―何が勝敗を決定するのか/マーチン・ファン・クレフェルト

▼2007年04月10日

アホウドリの糞でできた国―ナウル共和国物語/古田靖・寄藤文平

 ナウル共和国の歴史について書かれた本、以上…。

 なんだけど、なんせナウルという国が普通じゃないので、この本も面白い。この本は二年前に発売された本で、確かその頃買おうと思っていたのだが、何となく買わないでいて、今日偶然本屋さんでこの本を見つけたので、つい買ってしまった。やっぱり面白い。

 一応このブログを元に作られた本なんだけど、ブログにない文章もあるし、イラストもいい感じだし、なんだか絵本を読んでいる感じ。実際、ナウルの歴史も、なんだか子供向けの絵本みたいにシュールなのがいっそう笑える。

 たくさんの国があるんだから、中にはこういった冗談みたいな国があってもいいなと思う。多分ナウルの国民は幸せなんだろうな。

イザベラ・バードの日本紀行について

 昨日話題にしたばかりだが、夢中で読み終えてしまった。

 重複するので作品についての概要は避けて、いきなり本題に入るが、既に出版されている「日本奥地紀行」のイメージから、多くの人にとってバードという女性は、未開の地を好んで歩くトラベラーだと思われているらしい。これは日本国内だけではなく、海外でも概ねそのような評価を与えられているようだ。

 確かに、当時のアイヌとの対話は他になかなか類を見ない記述だし、大変貴重な記録だとは思うのだが、それ以外、普及版の「奥地紀行」で省かれた部分にあるメジャーな観光地…東京や京都など…も、彼女は訪れていて、しっかりと楽しんでいる。

 特に京都から伊勢神宮への旅は、日本語を堪能とする英国人女性のギュリック夫人との旅で、途中雨に降られたことまでが楽しそうだ。以下長いが引用すると…

登山服を着て山高靴をはいていてわりと楽に進んでいたが、出発から三十分ほどで両方ともびしょぬれになってしまった。しかも長いスカートと長い防水マントを着ていたギュリック夫人の方は、スカートの重みとしみこんだ水の重みで、また履き物はいつも泥深くもぐってしまった。その上傘をさそうとするので、とても難儀なことであった。しかし、ギュリック夫人の陽気さは変わらなかった。状況がひどくなればなるほど、その夜宿屋に着きそうもないことまで、車夫達と私達は屈託なく心から笑い飛ばした。今回の旅は、北日本での陰鬱な雨の日々と違い、本当に楽しかった。

 と、思わず本音を漏らしている。私などは、読んでいてバードにとても親しみを感じてしまった部分。

 他にも本書は、研究者向けの本らしくあとがきの解説が秀逸。私はあとがきを読みながら、思わずアマゾンで書籍を数冊注文してしまった。こういう知識の広がりを案内する解説というのは素晴らしい。
 やや高価な本だが、知的好奇心を満足させるという娯楽において、実に楽しい本だった。

 ついでに余談、あとがきで、最近のバードブームに関して、マスコミの取り上げ方に若干苦言が書いてあった。またTBSか!なんだけど、この部分も引用してみる。1998年11月28日にTBSで放送された「世界ふしぎ発見」のバード特集について、毎日新聞が書いた見出し。

「明治時代、東北や北海道を旅したイギリス人女性イザベラ・バードの足跡をたどる。十九世紀のヨーロッパではジャポニズムが流行していた。駐在外交官アーネスト・サトウに相談。東北地方を縦断して北海道を目指した。外国人が一人もいない土地では、ハプニングの連続だった。北海道に渡った彼女は、風景の美しさに感激し、これこそ天国とつづっている。彼女が日本で最も感動したのは、アイヌとの出会いだったという。」

 まず、バードとジャポニズムには関係も接点もない。また、新潟と北海道への旅の相談は、サトウでなく、イギリスの公使パークスであった…だそうだ。大体パークスの件は、東洋文庫から出版されていた奥地紀行にも書いてあったのでは?

日本奥地紀行/イザベラ・バード
バード日本紀行/イザベラ・バード

▼2007年04月08日

バード日本紀行/イザベラ・バード

070408-04.jpg えへへ…手に入ったよ。それも新品定価で。

 この本は、イザベラ・バードという英国女性が、明治時代初頭の日本を訪れて書いた旅行記。この本は現在平凡社から文庫で「日本奥地紀行」として発刊されているが、この奥地紀行は、本来イギリスで「日本の未踏地(1880年版)」として発売された本から、東北・北海道の部分を抜粋して収録した本の日本語訳であり、彼女が当時江戸や京都に行った際の紀行文は省かれていた。
 そして、それらの日本語訳が発売される日は来ないのかな?と、私は待っていたのだが、どうやら私の知らない間に雄松堂という地方書店から発売されていたらしい。私が知ったのは大分後だったので、既に版元では品切れ中。そしてアマゾンでは古本が定価の倍近い値段を付けて売られている…という状況で、手に入れにくい状態だった。

 そんなこともあり、入手はあきらめて、また版元が増刷するのを気長に待ち続けるかな…と思っていたのだが(地方書店なのでこのまま絶版の可能性も大いにある)、この前の土曜日、用事があったついでに神田の本屋街を眺めていたら、裏通りにある書店で偶然在庫を発見。当然即買い。

 現在チビチビと読んでいますが、実に興味深くて面白い。「日本奥地紀行」を読んだ人ならこの面白さが分かってくれると思う。本書では旅行だけでなく、滞在した江戸の風俗や、京都や新潟での買い物風景なども描かれており、奥地紀行とは違った当時の日本をリアルに体験できる。というか、こっちもとっとと文庫化して大勢の人に読んでもらった方がいいのではないかと思う。

 新異国叢書という研究者向けのシリーズなので、ちょっと定価はお高めなのだが、5,500円払っても惜しくない面白さ。もっとも、品切れ中なのでお勧めはできないが。

 どうでもいいけどこのシリーズ、他も面白そうだなぁ。オランダ商館長のティチング(オランダ本国が戦争に巻き込まれ、長期の間出島で領事を務める)が書いた日本風俗図誌なんてのも、是非読んでみたい。

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日本奥地紀行/イザベラ・バード
バード日本紀行/イザベラ・バード
日本風俗図誌 /ティチング

オーディオ昨日今日明日/春日二郎

 アマゾンでしつこく「おすすめ」上位に表示され続けていたので、根負けして買ってみた…といっても、いつか読もうとは思っていたのでいいんだけど。

 本書は、日本唯一の高級オーディオメーカー(と言っていいと思う)アキュフェーズの創立者である著者が、かつてのオーディオについてや、オーディオ業界の事、オーディオ関係の友人などについて書いた散文をまとめてある本。一冊の本としてはあまりまとまりのない内容だが、オーディオ好きな人なら、気軽に読んでみるにはいい内容だと思う。私も自転車で出かけた際に持ち出して、途中、桜の下でのんびりと読み進めた。

 アキュフェーズに関しては、残念ながら私の好みとする音ではないが、でも、日本にこのメーカーが存在して、本当に良かったと思う。

読書の腕前/岡崎武志

 本屋さんで、何となく別の本と一緒に購入。読んでみて驚いた、本の読み方、古本の漁り方、ブックオフの利用法、読書旅行の欲望など、私の本とのつきあい方のうち、かなりの部分が同様、もしくは納得できる事だったからだ。
 そうだよね、電車に乗って本を読んで、見知らぬ街に行って本を読んで、実に楽しいよね。

 もう一気に読んでしまった。

読書の腕前/岡崎武志

▼2007年04月06日

鉄道忌避伝説の謎/青木栄一

 「この鉄道は本来別のルートを通るはずだったのに、地元住民の反対で大きく迂回された」などという話は、全国の鉄道周辺地域で聞かれる話ではないだろうか。
 本書は、そういった昔の鉄道建設に関する反対運動は「都市伝説」のたぐいではないかと疑問を持ち、各地の地方史や、鉄道敷設の技術論などの観点から、現在のルート決定の整合性を検証している。

 ただ、本書の「全国に残る鉄道忌諱話のほとんどは都市伝説」といった強い断定は、これも一方からの視点でしかない事をしっかり認識した方がいいかもしれない。
 全国に残る鉄道忌避があったという物証がないと同様、忌避がなかったという物証もない。

 いずれにせよ、とても面白い内容で、これらの交通史や都市伝説のたぐいに興味がある方にはお勧めできる本だと思う。

▼2007年04月05日

ARK八潮が閉店

070405-01.jpg 4月15日で閉店だそうです。文句言った事もあったけど、なくなるとやっぱり寂しいというか困るな。

 このTX沿線ではどうも本屋が流行らないようで、TX Avenue守谷内にあったくまざわ書店も、今年3月20日で閉店しているらしい。

 まあ、そういった沿線住民が住む地域なんだなと…。ちょっとイヤな言い方かもしれませんが。

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ブランドビジネス・成功と失敗を分けたもの/高橋克典

 序盤はフムフムと感心しながら読めたのだが、中盤にさしかかる頃になると、私でも判っている程度のビジネス心得…みたいな内容になる。
 第1~2章、それと第7章だけは良かったと思うが、他の部分は読んでいても時間の無駄としか感じられなかった。

 それとまあ仕方ないんだけど、話題がファッションブランドに偏りすぎているのが残念。本書ではやや否定的に描かれているが、トヨタは日本人が作った最強のブランドである。
 洒落た外車雑誌ばかり読んでいる人には判らないかもしれないが、「クルマはトヨタに限る」といって指名買いする人は、日本国内は勿論、世界中に大勢いる。

▼2007年04月04日

甦る海上の道・日本と琉球/谷川健一

 テーマは興味深いが、非常に退屈した本だった。正直内容もあまり覚えていないような…。

 おそらく、書かれている内容の視点に広がりがないからではないかと思う。新書という形式で発行されていても、相当マニアックな本。もう少し内容を整理して再配置すると共に、これらのエピソードが如何に現代と結びついているのか、そういう記述があればきっと面白い本だったと思う。

▼2007年04月02日

わたしはレンタルお姉さん/川上佳美

 一応働いてはいますが、こころはいつだって“ニート”の私から言わせてもらうと、本人や家族など、当事者達にとってはあまり実のある話じゃないけど、ニートになりたくないと思っている正常な人にとってはためになる本じゃないかと、そんな感想です。

 電車を乗る方向を間違えただけで、ものすごく落ち込んでしまうという精神状態は、私もよく判ります。私なんて、家を出る時に財布を忘れた事に玄関で気がつき、もうそれだけで何もかもイヤになってしまい、そのまま会社を休んでしまう…という事もあります。

 人にとっては、どうでもいいような些細な事が、訳も判らず許せなくてパニック状態になってしまう…。この症状は、いわゆる「ニート」とかいう問題ではなく、なんらかの「パニック障害」を引き起こしている可能性があります。早めに精神科の医師に相談した方がいいのではないでしょうか?

 ちなみに私も、程度はわかりませんがパニック障害の症状があります。もうどうでもいい事でものすごく落ち込む事もありますし、重要な失敗で何も気にしないという事もあります。
 自分で言うのもなんですが、これは精神的強さとか、責任感とか、そういった理由が全くない上、きっかけと症状の関連性を客観視しても、何ら関連性が見いだせない(些細な事とか重要な事という意味づけと、パニック症状の大小がまるで一致しない)ので、他人には酷く気持ちが悪い状態に見えると思います。

 やや否定的に書きますが、こういうニート達を励ますとか、きっかけを作るとか、そういったプロセスは、他人による脅しや恫喝と根本的な手段としては変わらないのではないかと感じました。結局は「勝者側」の理論で物事を考えているように見えます。
 もっとも、多くの場合はそれでうまくいってしまうのも事実なので、こういった手段を全て否定はしたりはしませんが、少なくとも本書を読む限りでは、手に負えない症状は専門医師への治療を勧めるとか、他の専門機関と連携を取るとか、そのようなエピソードがまるでなく、全て自分たちの会社で解決、そして失敗は失敗と、プロセスが著者の所属している会社内で完結してるように見えるのが気になりました。実際は違うんだとは思いますが。

 でも、ニートが過ごしやすい空間を少しずつ破壊していくというのは、対象となるニートが比較的健全な精神状態を保っている事を前提にすれば、結構いい方法だと思います。

iPodは何を変えたのか?/スティーブン・レヴィ

 iPodが何を変えたのか、今iPodを使っている人なら、それぞれの答えを持っているだろう。そう、他のメモリオーディオにはない革新をiPodは私達に与えてくれた。それは、私が以前SONYのWALKMANを手にした興奮と似ている。しかし、同様の興奮ではない。多分、アップル以外のメモリオーディオを作っているメーカと、iPodを「使えない」プレーヤーだと口にしているユーザーは、そこの部分を理解していない。

 本書は、アメリカで発売されたiPodについての革命を、技術論よりも文化的側面に多くのページを割いて語っている。ややiPod絶対主義みたいな部分が鼻に付くが、どのエピソードも、実際に使っているユーザーなら納得できると思う。

 本書のオビに「2001年、9・11テロの翌日に発表されたiPod」とあるが、私は「iPodはそんなに最近発売されたデバイスなのか!」と驚いてしまった。

iPodは何を変えたのか?/スティーブン・レヴィ

▼2007年03月30日

舟と港のある風景/森本孝

 素晴らしい!久しぶりに色々と得るモノが多かった本だと思う。

 本書は、かつての「日本観光文化研究所」から発行されていた機関誌「あるく みる きく」に連載されていた「海辺を歩く」というシリーズの記事を中心にまとめたもの。著者が日本各地の海辺を実際に歩き、ときには地元の漁師の家に泊まったりしながら集めた記録なので、とてもライブな感覚に溢れていて、ぐいぐいと引き込まれる。やはり、こうやって一次資料へ積極的に触れていく人には叶わんなと思う。

 私も地方に行くと、クルマで国道を外れて細い道を入り、小さな漁村とかを見に行く事が多いのだが、現在の視点のみで考えると、率直に「なんでこんな所にわざわざ住んでいるの?」と感じる事が多い。
 ただ、かつて日本が小さな村の集合体だった頃は、それでも充分にやっていけるだけの経済力が漁村にはあったんだなと、本書を読んで理解できた。むしろ、かつての漁村は内陸部よりも豊かで、それでいて人の流れも非常に活発な文化を持っていたらしい。

 本書を読んで、私も日本各地の海沿いを見に行きたくなった。

▼2007年03月29日

フェラーリと鉄瓶/奥山清行

 日本のブルーカラーは、先進諸国で一番優秀だが、ホワイトカラーは先進諸国で一番ダメだそうだ。わかる気もする。
 あと、遠くない未来に、クルマからCDPと、据え置きのカーナビは姿を消すらしい。理由は、最近デザインされている自動車のインテリアスケッチには、それらの装置が全くなくなってしまったからだそうだ。iPodを接続できる端子があるだけだってさ。

 デザインの話だけではなく、イタリア人の実際の生活、また日本人との違いなど、ビジネス書としても楽しい。というか、本来はビジネス書なのかな。

 紹介されている鉄瓶は、私もちょっと欲しいなと思った。

人間は考えるFになる/土屋健二・森博嗣

 Fと言えばMGF!と、訳の判らない理屈で買ってみた。ちなみに本書タイトルのネタは「すべてがFになる」という本からの引用みたい。ミステリーの名作らしいが、ミステリーなので、私は読まないと思う。

 感想としては、森博嗣ってちょっと性格悪そうだな…という事と、実態配線図を疑えというのは、まさしくそうだよな…という事と、土屋健二と森博嗣の話が微妙にかみ合っていない雰囲気があって、なんだか不思議な対談エッセイだったな…という事。

人間は考えるFになる/土屋賢二・森博嗣

かみちゅ2/鳴子ナナハル

 あ、そういえば、今年はまだ初詣行ってない…。

かみちゅ!2/鳴子ハナハル

▼2007年03月28日

あなたが年収1000万円稼げない理由/田中和彦

 あなたは会社に金を貸しているか借りているか…。この考え方は分かりやすいと思う、というか、私も昔からこういう考え方をしてきた。

 で、自分はどうなのよ…と考えると、20代の頃は確実に会社に金を貸していた…というか、偉そうに言うなら、貸し与えていたといってもいいと思う。自分で請求業務もやっていたのでよく判るが、それくらいバリバリと稼いでいた。
 で、今はどうなのよ…と言われると、もう、バリバリ会社から金を借りまくってます(笑)。当たり前だけど、そっちの方が楽だし。
 今、再び会社に金を貸す気になったのなら、また自分達で会社作るよ!…なぁんて、そんな感じでダラダラと自分に言い訳をしつつ、30代の私は、もはや確信を持って真面目に仕事してません。

 本書によると、誰でも年収1,000万を手にする事のできた時代はもう終わったそうです。そんな時代はいつあったんだ?なんて思ってしまいますが、これから先の日本は、年収300万円以下が9割、そして年収1,000万円オーバーが1割、そういう時代がくるそうです。そんなに高確率なら、数ある書籍からこの本を買って読んだサラリーマンは、軒並み1,000万円プレーヤーになれるのではないかと…そんな風にも思ってしまいます。

 もちろん、そんな事はありえない訳で、では年収1,000万円を実現するための自己デザインとはどうあるべきなのか…そういう事が色々と書いてありました。

 当たり前の事も多いですが、長年人に使われる生活をしていると、この当たり前の事を自分の事に置き換えて考える事も忘れがちです。
 人には偉そうな事言うけど、自分の事はまるでダメ…なんて、まるで私の事みたいですが、そんな大人にならないためにも、定期的にこの手の本は読んでおいた方がいいかなと、そんな風に思いました。

日本史集中講義/井沢元彦

 以前、この本この本を読んだので、それつながり。どうやらこの本が原点らしいので。

 内容は、井沢史観入門といったところ。日本史が大変わかりやすくエキサイティングに綴られている。

日本史集中講義/井沢元彦

▼2007年03月26日

沈黙のフライバイ/野尻抱介

 買ってみて、表題の短編を読み終えたところ。
 内容はファーストコンタクトについての話。宇宙戦艦ヤマトとか、スタートレックとか、そういった手段とは全く違った方法で恒星間を旅(?)するアイディアが書いてあり、そのアイディアを軸に話は進んでいく。

 そして、その結末は至ってさっぱりとしたモノで、そこにつまらない感動とか、ストーリーの締めといった要素は存在しない。これぞSF。面白かった。

水はなんにも知らないよ/左巻健男

 失礼ながら本名なのか?なんて思ってしまう名前だけど、本名みたいです。

 一時期「水からの伝言」という本が話題になった。簡単に言うと水に向かって「ありがとう」と語りかけていると、結晶が綺麗になるという話。
 で、人間の成分は70%が水。なので、人間に対しても常に「ありがとう」とか、誉めた言葉をかけていると、体内にある水の状態も綺麗な結晶となり、人にもいい結果が現れる…というもの。
 そもそも何故綺麗な結晶がいい水なのか、また、何故水が良くなると人間自体が良くなるのか…などと、突っ込み所は満載なのだが、まずはその「綺麗な結晶になる」という話、それ自体がインチキであるという事について、本書の導入部で解説している。

 まあ、この手のインチキ話を宣伝広告に使っているうちは、まだ嘲笑で済まされる話だが、こういう話を科学として教育の現場で使おうとする教師が多数いる問題については、黙っておけない話だともう。つーか、こんな話に引っかかる教師が多いという現実もすごい話だ。
 もっとも、この話を「道徳」として教えるのなら、生徒に対して「道徳」であることを明確にした上で話す分には、特に問題はないと思うけどね。

 こういうのは「科学リテラシーが高い・低い」という言い方をするらしいね。つまり現在の教師は「科学リテラシー」が、著しく低いので、この手の似非科学に引っかかってしまうという事。そしてこの「科学リテラシー」が低い連中が、頭のいいふりをして子供達に「科学リテラシー」が低い話を教え込む。こんな現実を知ると、「技術立国っていうレベルじゃねーぞ!」と思わず怒鳴りたくなってしまう。

 とまあ、この本はこの手の水商売のインチキぶりについて、色々と解説してある。「波動」「トルマリン」「クラスター」などの言葉が出てくる水商売は、全てインチキだと思っていた方がいいみたい…というか、元々こんな話は信じていませんでしたが(笑)

 ひとつ、ちょっとなるほどと思ったのは、市販のミネラルウォータの銘柄で、お茶や料理の味が変わるか?という話。この著者によると、お茶はともかく料理はわからないのでは?という事みたいです。
 私は以前、このエントリーで思いっきり「変わる」なんて書いちゃってますが、果たして真実はどちらなんでしょう(笑)
 

▼2007年03月21日

四季・限定版豪華BOX/森博嗣

070321-01.jpg 普段なら全くミステリーなんて興味ない私だが、ふと、本屋さんの文庫コーナーでこの本を見つけ、そういえば半年くらい前に会社の人が「春ってタイトルだけど、どうせ冬まで出るんだよね」なんて言いながらこの本を読んでいた事を思い出した。

 森博嗣のエッセイは過去読んだ事があって面白かったし、たまにはミステリーもいいかなと手に取ろうとしたら、春・夏・秋・冬の隣に「限定版豪華BOX」というのが置いてあり、どうせ読み始めたら最後まで読みたくなるんだろうし、いっそのことセットで買っておこうかと思った私が甘かった(笑)

 限定BOXの値段は3,990円、その時は「最近文庫も高くなったものだ…」なんて思いながら買ったけど、念のため家に帰って通常文庫版の価格を調べてみたら、一冊590円じゃね~か。私は4冊セットなんだから、ちょっとは安くなってるんじゃないかと思って単品価格を調べたのに、まさか1,600円以上も割高になっているとは思わなかった。

 確かにボックスはアルミ製で妙に凝った作りになってるんだけど、私は別に森博嗣のファンじゃないので(これからファンになるかもしれないけど)、ちょっとまいったという感じ。ただ、この本の場合、いらなくなったらオクに売却でも値が付くかなという気もするので、よしとするか。

 で、今「春」を読み終えて、「夏」の途中まで読んだところ。天才「四季」のまわりで起きる数々の難事件!という話でもないんだね。今までの感想は「四季」という人物像を描いている普通の小説という感じ。もっとも趙天才の「四季」なので、普通の小説ともまた趣が違うのだが…。
 とりあえず、今のところミステリー嫌いな私でも読めなくもないという感じで良かった。

 で、「四季」は超天才なんだけど、色々なメディアで語られる天才像って、どうしてこういうのばかりなのかな…という気がする。もし本当に天才だったら、人と接する機会や、また人を頼る(もしくは命令)必要がある場合など、無愛想な態度で接するよりも、愛想良く接した方がはるかに効率的…と考えるんじゃないかと思うんだけどな。真の天才だったら、そんなにツンツンしている自分をさらけ出すより、目的のためには人に好かれる努力くらい平気でするのでは、なんて思ったりもした。

 今のところ、ストーリーはまだ面白いのかどうかわからないけど、とりあえず続きが気になるので止まらない…という感じ。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


▼2007年03月16日

ビンテージMacintosh/江下雅之

 まだ学生だった頃、バイトしている会社に買ってもらったマシンが「Macintosh II」だった。当時は4MBのメモリと、20MBのハードディスク、それに13インチ256色モニタと周辺ソフトウェアをセットにして、150~200万円位だったと記憶している。プリンターは、これも発売されたばかりの「LaserWriter II NTX-J」というモノで、本体の価格が200万円位、それに増設メモリとプリンタ用PSフォントを入れて、いくらになったか覚えていない。更にネットワーク環境も初めから構築したので、むしろ、他のPCでネットワークが使えない状況というのが理解できていなかった。私の場合は、PC使い始めの頃から、ネットワークとポストスクリプトフォント、それに内蔵HDでカラー、という環境でスタートした訳だから、結構恵まれたPCデビューだったと思う。

 本書に出てくるマシンの数々、PowerBookシリーズはさすがに穴があるが、他のマシンはほとんど触ったりいじったりした経験がある。特に昔はMacのハードとソフトのセットアップとトラブル解決ができる人が圧倒的に少なかったので、デザインをやっているのかサポートをやっているのかわからない状況だった事もあった。

 とまあ、この世代のMacに触れている人なら、私と同じような事を考えながら、楽しく読める本だと思う。

▼2007年03月13日

町の声はウソ/福田淳

 普段の生活パターンでは知る由のない本と出会えるという事で、やはり本屋さんというのは楽しい場所だと思う。この本の著者について何も知らなかったが、梅津かずおの表紙に惹かれて買ってみた。

 所詮私も含めてだが、天邪鬼風な発言を繰り返していても、それは単に既存のメディアへの反発なだけで、そのような意見は決してマイノリティではないということを、私自身は自覚している。もっとも、この著者がそう自覚しているかは不明。

 ここ数年間の世相を振り返るという意味でも、なかなかおもしろかったし、また、なかなかいい事も書いてあったりした。ただ、それは天邪鬼な意見ではなく、この手の論調が好きそうな人達にとっての予定調和でしかない事も念頭に置いた方がいいと思う。

町の声はウソ/福田淳

▼2007年03月12日

国防の真実・こんなに強い自衛隊/井上和彦

 確かに自衛隊は強い。実戦を経験したらどうだだとか、予備部隊の不足だとか、補給物資が足りないだとか色々言われているが、この軍事力を、予算とか人的資源とか保有兵器数とか、そういう視点のみで評価しても、真実は見えてこないと思う。何故なら、軍事力は常に他とのパワーバランスの問題だからだ。
 そう考えると、以前どこかで書いたが、現在の世界の海軍で第2位の実力といわれる海上自衛隊の戦力は、パワーバランスと的に考えると旧日本海軍よりもずっと強大な軍隊である。少なくとも昔は世界第2位の海軍でなかった。
 これがいい事なのか悪い事なのかはわからないが、こんな風に、保有兵器数や人数も大事だが、結論として軍事力は、そういう視点で評価して考察されるべき。そして、私達日本人は、既にこれだけの戦力を持ってしまっているという事実を、しっかりと考えた方がいいと思う。

 という事で本書。自衛隊は強いとか、自衛隊はエライとか、中国と韓国(と北朝鮮)は脅威だとか、わりと無邪気に書かれていて、あまり毒にも薬にもならない感じ。

 一点だけ今まで知らなくてびっくりした事が、沖縄の基地問題についての情報。よく沖縄には「米軍の軍事施設の75%が集中している!」とか言われているが、アレは統計のトリックらしい。つまり、純粋に米軍のみが使っている基地を恣意的に取り上げて比較した数値らしく、そこに岩国基地や三沢基地、横須賀基地などの面積は含まれないそうだ。
 日本本土で、純粋に米軍のみが使っている基地は、東京都の横田基地と神奈川県のキャンプ座間のみだそうで、それと沖縄の基地面積を比較して、沖縄が75%であると言っているらしい。

 もっとも、岩国や三沢を含んだ数値で比較しても、沖縄の米軍基地は日本国内で展開している米軍基地面積の25%を占めるそうだから、沖縄県の負担が大きい事には変わりない。

 ただ事実として、日本の市民団体やマスコミが平然とこのような嘘(と言い切っていいだろう)をついて、自らのイデオロギー拡大を図っているという事実は知っておいた方がいい。
 何度も繰り返すが、かつての日本において事実を隠蔽して都合のいい情報を流し国民を欺き続けた連中とやってる事は一緒。こういう連中が、なんかのきっかけで平然と「お国のために…」とか言い出すのは目に見えている。

 本書で得た重要な知識は以上かな。他は私にとっておおよそ既知の情報だった。

▼2007年03月10日

サウンド・オブ・ジャズ!/菅原正二

 この本のオリジナルは、「ジャズ喫茶『ベイシー』の選択」という本。私は講談社α文庫版を持っているが、この度新風社文庫から再版されて、また買ってしまった。というか、昔のα文庫版は部屋の中でどっかいっちゃったし、最後まで読んでなかったし…。

 という事で、面白かった本だと、あまり書く事ないんだよね、でも一応報告しておくと、とても面白かった。最後に収録されている坂田明の解説文をの除いて…(笑)

 著者による最後の一言、「何か1つ“面倒”な事を見つけ、退屈しない人生を!」というのは、とてもいい言葉だと思う。

▼2007年03月09日

工場萌え/石井哲・大山顕

 カジュアルな工場鑑賞って…(笑)

 いやぁ、面白い本ですよ。

工場萌え/大山顕・石井哲

▼2007年03月08日

クルマンガ2/福野礼一郎

 かつてバブルが終わりかけた時代に創刊した「CarEX」という雑誌に連載されていた、車についてのインプレや蘊蓄を漫画で紹介するマンガ(笑)
 内容も面白いしタメになるけど、それよりも何よりも、MGFに乗ってるヤツは全員買うように。なんたって、全16本の記事の中で、MGFが主役のエピソードが2回分もある!

 登場時はあれだけメディアに騒がれて、まるまる一冊MGFな単行本だって何冊も出たくらいのMGFだが、今ではメディアにすっかり無視され、特に今世紀に入ってからは、新車を対象としたオープンカー特集にはことごとく無視され、更に中古のオープンカーを扱う記事でも、まるで黒歴史だったかのごとく無視され続けている。オーナーとしては哀しい。

 故障が多くて信頼性も皆無で、なおかつメーカが消滅してパーツの供給体制もままならないという、もはやいいとこなしのMGFだが、乗ってみるとめちゃめちゃ楽しいクルマ。なのに、なんで世間の方々は、MGFをこんなにも嫌いになっちゃったんだろう。

クルマンガ2/福野礼一郎・中野カンフー・中野トンフー

▼2007年03月07日

温室デイズ/瀬尾まいこ

 これで瀬尾まいこの単行本コンプリート。思えば、きっかけはこの本を本屋で見つけた事だったんだよね。でも、何となく一番最後にしておいた。

 本書は、瀬尾まいこの小説では暗い話だといわれているみたいだが、それでも何となく読後は爽やかな気分に包まれる。内容には触れません。いい本でした。

温室デイズ/瀬尾まいこ

おっぱいバレー/水野宗徳

 かつての健康的成年男子からすると、たかが学校のマドンナ教師のおっぱいごときで、部活を必死で頑張るなんて状況が理解できない。これならせいぜいちょっと重い荷物を職員室まで…という程度だろう。とはいえ、現実としてマドンナ教師(笑)からこんな事を言われたら、かなり引くと思うけどね、いくら健全なスケベ男子だって。

 これは、適当に若くなくなった女性が、自分のおっぱい露出を条件にしたら、若い男の子が何でも言うことを聞いてくれたという、ちょっとあり得ない妄想シチュエーション小説と解釈していいのか(実話を元に…だそうだがホントか?)。まあ小説だし、世の女性達(本書の読者ターゲットは女でしょう)は、こういった妄想で興奮してストレス発散するのもいいんじゃないでしょうか。

 内容は、学校の教師が「部活のバレーで優勝したら私のおっぱい見せてあげる」と言ったおかげで、部活の男子生徒が先生のおっぱい見るために死にものぐるいでバレーに打ち込む…という話らしい。らしいと書いているのは、私は本書を読んでもいないし手にも取っていないから。
 どうせ結末は「男子生徒は必死で頑張ってバレーでは優勝するけど、先生はおっぱい見せない」というオチなんだろうな。所詮、女性にとって都合のいい小説なんだろうから。

 んで、読んでもいないのに、何故こんなに辛辣な悪口を書くのかというと、私がよく行く本屋の特選コーナーが、もうここ一ヶ月以上、この変な妄想小説の展示に占領されっぱなしだからなんだよね(笑)。更にご丁寧に、商品の横に液晶テレビをおいて、「おっぱいおっぱいおっぱい」と何度も連呼している。初めのうちは何とも思わなかったんだけど、こんなに長い間続いていると、いい加減不快になってきた。
 それに、私はこの特選コーナーって、意外と楽しみにしていたんだ。何故なら、結構面白い商品が入れ替わり並んでいたから。その楽しみが、ここのところずっと、この辺な小説に占領されてしまって、私としては実に腹立たしい。
 大体一ヶ月以上経っても、全然在庫が減ってないじゃないか。いい加減こんな本は版元に返品して、もっと違う商品を色々紹介してほしいぜ。

 以上、私の妄想と逆恨みによる小説批判でした(笑)

おっぱいバレー/水野宗徳

▼2007年03月06日

テレビは日本人を「バカ」にしたか?/北村充史

 最近の「新書」ブームに思うのは、「よくもまあ、私にとって都合のいいタイトルの本がこれだけ存在しているものだな」ということ。つまり、私達が疑問に思った事、あるいは感じた事、憤慨している事、おおよそこういった内容の本が読みたいと思って書店の新書コーナーを覗くと、たいがい思い通りの本が売っていたりする。すごいもんだなと思うと同時に、この新書の何でもアリな状態が、ちょっと不思議にも感じてくる。

 という事で、普段テレビをバカにしてばかりの私にとって、本書はある意味都合のいい本。そんな先入観アリアリの状態で読み始めてみると、テレビというのは生まれた時から「低俗」だの「見ているとバカになる」だの言われ続けてきたんだなというのが判る。

 なにやら、テレビ批判のつもりで読んでいたら、私がこうやって、テレビについて批判している事がバカバカしくなってきてしまったという、あべこべな感想で本書を読み終えました。

 内容は、新書なので、そんなに濃いものでもないです。

搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た!/阿部真大

 正直、朝本を持って家を出て電車で読み始めて、会社に着く前に読み終えてしまうとは思わなかった。ただ、内容は短いし薄いが、着眼点はいいと思う。

 何事も無気力な若者というのも問題だが、何も考えずひたすら働きすぎる若者も問題。このバイク便業界が抱える「ワーカーホリック」的な労働形態は、私が仕事としてきたデザイン業界でも、結構当たり前のように起こっていることでもある。

 将来の展望もそれ相応の給与も待遇も社会保障も、「才能があればのし上がれる」という言葉に集約されたこれらの業界、実はこういった劣悪な環境を許容しているのは、経営者ではなく職場環境そのもの(なんて書いてはあるが、実際は「労働者本人達」に違いはないだろう)というのは、とても納得できる。

もし、日本が中国に勝っていたら/趙 無眠

 オビに「ネット上に発表され、中国人愛国者を激怒させた幻の論文」とある。

 内容に関しては、我々日本人が正しいだの間違いだの言えるモノでもないだろう。これは中国人が見た、日中戦争と、その影響についての1つの視点。

 ただ、私が驚くのは、言論の自由が著しく侵害されているであろう中国で、知識人達がこのような事までもネット上で語り合っていたという事実。
 無論、日本でこのような議論が無いとはいわないが、あまりにも多いノイズのためにかき消されているのと、逆に、むしろ日本の方が、この手の議論に対してヒステリックな反応が多いのではないか。

 北朝鮮が核兵器を持って日本を攻撃した場合、日本はどういった対応を取るのか。核兵器を所持し、使い、報復するのか?

 極端な議題かもしれないが、このような発言すら忌むべきものとして許されないのが、現在の日本である。これは日本の核の所持を許さないからではない。核の議論を許さず、言論を弾圧しているだけ。

 実際の証拠として、日本は本質的な憲法上の議論を行わないまま、自衛隊という名の、世界でも有数の軍事力を誇る軍隊を日本は所持している。この軍隊の成り立ちについて、また、何故憲法第9条を制定したのかという根本的な議論、そして納得のいく回答を持たないまま、なし崩し的に、海外派兵や国際協力の名の下に、自衛隊は海外に派兵される。
 もし、将来日本が核兵器を手にする事態になった場合、その時も自衛隊創設の時と同様、きっと根本的な議論はなされず、なし崩し的に配備が始まってしまうのだろう。

 私は何も自衛隊の存在の是非を問うているのではない。何故そのような議論から平然と背を向けられるのか、その点がおかしいと考えているのだ。

 たった一冊の本で、中国の現代思想界を決めつけるのは危険だとは承知している。
 しかし、特にこの本の前書きを読むと、中国では日本とは違った意味での言論の自由と、それを行えるだけの土壌が存在しているのは確かみたいだ。

▼2007年03月05日

日本橋丸善

 丸善からダイレクトメールが来ていて、それによると、長い間閉店状態だった日本橋丸善が、3月9日の金曜日にオープンするらしい。オープンの目玉として、檸檬ボールペンが限定500本販売だそうだ。

 欲しいなと思うけど、ボールペンで14,500円は高いなぁ。他にも色々ありそうだから、とりあえずオープン初日は出かけてみるかな。

▼2007年02月26日

反戦軍事学/林伸吾

 ネット時代になって、左翼と朝日新聞が言うところの「ネット右翼」が台頭してきたのは、2ちゃんねるのせいでも、小泉政権のせいでもなく、単に左翼と呼ばれる連中が圧倒的に馬鹿だからだというのは間違いない。
 事の是非はともかくとして、ネット上で右翼的思想の人と左翼的思想の人が論戦している様を読むと、ほとんどのケースで、知的な論説の右翼に対し、まるで駄々をこねる小学生のような知能を持った左翼が、訳のわからない書き込みで一方的に自分が論破したつもりになっている…といったケースばかり。
 考えてみれば、誰でも自由に意見を述べられるネットという場所では、左翼の常套手段である「あなた達は被害者の深い悲しみを理解していないのですか!」などというような、善意を装った悪質な脅迫行為(彼らに言わせると総括?)が通じないのだから、仕方ない。彼らは今まで言論で戦ってきた訳じゃないからね。だから、ネット上の論戦でやられるのは当然ともいえる。日本の左翼の方は、もっと勉強してくれないと本当に困りますよ…。

 ということでこの本。なんでも「戦争を反対する人こそ正しい軍事的知識をもってほしい」といった趣旨で書かれた本らしい。オビには「デタラメな“専門家”にだまされるな!!」と書いてあるが、残念ながら…としか言いようがない。会社の近くの本屋で買って、そのまま帰り道で読んでいたのだが、もう読むのが苦痛で仕方ないというか、ちょっと読むとすぐにツッコミを入れたくなるところばかりで困る。

 本論でツッコミ入れるのは面倒なので、敢えて枝葉末節で突っ込ませてもらうと、90式戦車が高価というのは、もはや都市伝説の類にしかすぎない。確かに少量生産のため割高なのは仕方ないが、ドイツが外国にレオパルト2をいったい幾らで売却しているのかきちんと調べた方がいいのではないか。また、あれだけうじゃうじゃ作ってるM1エイブラムス戦車が一両七億八千万円するのに、少量生産品の90式戦車が一両八億円で収まっているというのは、むしろ格安。ちなみに90式戦車の行軍射撃における初弾命中率はアメリカ人もびっくり!という話らしいです。これも都市伝説かもしれないけどね。

 他にもこの著者は、テレビでワールドカップの試合を見ている際、「北朝鮮がミサイル発射」という臨時ニュースのテロップが出てきたので、とっさにコードレス電話機を握りしめたそうである。なんでもそのまま臨時ニュースになったら、テレビ局に抗議の電話を入れようとしていたらしい。この行為について著者自らが「私は平和ボケだろうか、非国民だろうか。そんなことはない」と語っているが、安心してほしい、これじゃあ単なる○○でしかない。

 とにかく、基本的な軍事知識を知りたい人にとってはあまり役にたたなくて、それなりの軍事知識を持っている人にとっては、もう読むのが苦痛というか、ツッコミどころ満載で疲れる…という本。その割に本論にあまり関係ない妙な蘊蓄が多く、この文章ってなんとなく「宝島社」でガンダム関係の本を書いてる「円道祥之」とかいうライターに似ているなぁ…と思った。
 少なくとも、右翼の方にとっては、この程度の知識で勉強したと思っている自称“リベラル派”の知的レベルについては、当分心配する必要ないと思います。

 最後にちょっとだけマジメな話を…。この本では「戦争反対者にこそ正しい軍事知識を」と何度も言っている割には、今まで軍事知識豊富だった方は、好戦的な思想の持ち主ばかりだった…と、決めつけているようにしか思えない(違うと言うなら私の読解力の問題だろうが)
 本気で誰か調査してほしいと思うのだが、秋葉原あたりで軍事ヲタ100人を集めて、思想に関するアンケート取ってみてはどうだろう。私もそうだが、軍事的知識というのは、増えれば増えるほど、理論じゃなくて感覚として、戦争なんて絶対に行きたくないという思いがどんどん強くなる。
 そして、いつの世の中でも「戦争賛美」をする連中というのは、理論的に物事を考えず、全体主義を周りに押しつけ、軍事的知識が欠如、もしくは誤った軍事的知識をもって、戦争すれば必ず勝てると信じている馬鹿共ばかりなのだ。これを今の日本に当てはめて考えれば、この先どういった人達が戦争始めたがる連中なのか、すぐに判ると思う。判らなかったら、もっと歴史を勉強すべきだろう。

反戦軍事学/ 林伸吾

▼2007年02月22日

クワタを聴け!/中山康樹

 私が「クワタ&サザンが好き」というと、いまだに「えっ!ほんと?」といわれてしまうのですが、実際好きですよ、クワタとサザン。

 この本は、そのクワタが発表した曲全て(?)、について、1P分の評論を書いたモノ。馬鹿正直に通読するモノでもないと思いますが、それでも続けて読んでみると「音楽ライターっていうのは語呂が豊富だな」と、変な部分で感心してしまいます。

 昔はこの手の評論文って、基本的に嫌いだったのですが、最近では適当に「ふむふむ」と唸りながら、しれっとした感じで読めるようになりました。これも適度に年齢を重ねた恩恵でしょうか。

 クワタ入門ではなく、クワタヘビィリスナーの方に向いている本だと思います。

クワタを聴け!/中山康樹

▼2007年02月21日

毎日、ふと思う/浅見帆帆子

 きっかけは、何かの書評でこの本について書かれていたからだと思う。今までこの著者のことは全然知らなかった。

 内容は、ちょっとイヤミっぽくいうと「いいところのお嬢様日記」。始めに間違えて3巻を買ってしまったので、そちらは保管しておいて、1巻から買って全部読んだ。
 この著者にも、きっと毎日色々なことがあるのだと思うけど、こういった前向きで幸せそうな日記を延々と書き続けられるというのは、さすがにプロだなと思う。日記なので一つ一つのエピソードは軽いが、通して読むと、結構前向きで幸せな気分が乗り移ってくるようにも感じる。
 他の「あなたは絶対!運がいい」とか、そういった本は読むつもりになれないが、この日記だけは続刊が文庫化されたら、また買ってしまいそうだ。

 そうそう、この著者は普段オープンカーに乗っているそうだ。だとしたら、きっといい人に違いないと、オープンカー乗りの私は思うのであった。

▼2007年02月20日

ARK八潮という本屋は客をなんだと思っているのか

070220-02.jpg 写真は「ARK八潮店」の入り口。ワザとなのかは知らないが、写真で判るように、あえて入り口を塞ぐようにガチャガチャの機械と灰皿を配置している。こうして狭くなった入り口から店に入ろうとすると、必ずこのくせえニコチンの匂いや煙がもれなく客にプレゼントされると言う訳。

 つうか、この店の店長もスタッフも、毎日ここから出入りしていて何とも思っていないのだろうか?こんな本屋早くつぶれて、もっときちんとした本屋に入ってほしいと切に思う。

RICOH GR Digital

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千年、働いてきました~老舗大国ニッポン/野村進

 意外にも日本には「老舗」と呼ばれる企業がとても多いそうです。創業千四百年を誇る世界最古の企業「金剛組」は、その代表ですが、日本には他にも、創業して千年以上の旅館や和菓子屋、仏具店に薬局などがあるとのこと。

 金剛組に関しては、私も以前Mixi内で話題にしたことがあります(今は削除済)。以下再掲載。

2005年12月17日11:07
 古くからの企業といえば、なんとなく中世の伝統を受け継いでいるヨーロッパの街角にある工房が何気に創立数百年の歴史があったりして…といったイメージが強いが、実は世界で一番古い企業(会社)というのは、我が日本に存在した。その名も「金剛組」。

http://www.kongogumi.co.jp/

 会社概要を見ると普通に書いてあるが、創業が
「飛鳥時代第30代敏達天皇6年(西暦578年)」
 西暦の表記がなければ、どんな時代なのかさっぱり分かりません。とりあえず、創業1,400年の歴史があるみたいです。すげーハナシだ。

 この本も、まさに私と同じような視点から始まります。そうなんですよね。古くから続いている会社って、何となくヨーロッパ方面が多そうな印象がありますが、実はそうでもないようです。
 本書にも掲載されていますが、ヨーロッパで創業200年以上の会社のみ加入できるという「エノキアン協会」でも、一番古い会社はイタリアにある金細工会社で、創業してからまだ650年足らず。

 かといって、世界の他の地域でもっと古い老舗企業が沢山ある地域がある訳でもなく、なんでも、この老舗企業の多さは、日本だけが突出しているとのこと。

 企業訪問記としては、やや内容が薄い気もしますが、こういう老舗の世界を俯瞰するには面白い本でした。

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少女七竈と七人の可哀想な大人/桜庭一樹

 辻斬りのように男遊びをした…母親から生まれた“鉄”の美少女が、親の呪縛から抜け出して大人へと成長する小説…といってしまえばそれまでなのですが、一見時代がかった文章で表される不幸は、不思議とやや湿り気があるおかしさに溢れている…そんな感じでしょうか。面白かったですよ。

 「おかあさん、もう、男の人のことばかり考えるのはよしてください。私を見て。私をかわいがってください。私はあなたの娘です。」というセリフはちょっと可笑しかったけど、女は娘を生んで娘に裁かれる…というのは、なんだか妙なリアルさで、女の人生も楽じゃないなと思いました。

▼2007年02月18日

図書館の神様/瀬尾まいこ

 「本を読んでいて怖くなったなんて、夜中に言える相手は1人もいなかった。」

 おそらく結婚とかそういうのをしていない人(あるいはしている人でも)は、案外みんなそうなんだろうなと思う。「夜中に本を読んで怖くなったから話を聞いてくれ」こんな事を言える他人なんて普通いる訳ないのだが、こうやって小説で活字にされると、なんだか自分がとても寂しい人間に思えた。

 それと、瀬尾まいこの小説に登場する人物達は、みんな食べ物をおいしそうに食べる。好き嫌いが多くて、そもそも食べること(量ではなく質という点で)自体にあまり興味がない私にとっては、話の中で沢山登場する色々な料理を、みんなおいしそうに食べるのが何やらうらやましい。

 精神が清さを失うのと反比例して、体が強くなるというのは、なるほどなと思う。

図書館の神様/瀬尾まいこ

江戸という幻景/渡辺京二

 「江戸時代、というよりその時代に生きた人々の話をしたい」

 という言葉で始まる本書は、江戸という時代の歴史書ではなく、江戸時代に生きた人々の生き様を、色々な文献からひもといていく本。前作「逝きし世の面影」が、あくまでも外国人から見た江戸時代というものを記していたのと違い、こちらは主に、日本人から見た江戸時代というものが中心となっている。

 乳離れしたばかりの子供に無理矢理「鰒」を食べさせようとして「当たって死ぬなら今のうち」と言ったエピソードには笑った。著者も思わず「当たって死ぬなら今のうちとは何事であろう」と驚嘆している。
 確かに、江戸時代の人間にとっては、今私達が考えている様々な常識とは大分違った部分があるようだ。そして、どこか楽しげな彼等の生き様が、少しうらやましく思える。

 「逝きし世の面影」を読んだ後、気楽に読んでみるのがお勧め。

江戸という幻景/渡辺京二

▼2007年02月17日

井沢式「日本史入門」講座(2)万世一系/日本建国の秘密の巻/井沢元彦

 続いて第2巻買ってきて読みました。

 今の歴史研究家には、天皇の諡についてまともに研究している人がいないというのはちょっとビックリだったな。ちなみに、日本で天皇の諡を研究した人は「森鴎外」だけだそうです。

 この著者は、歴史の知識というより、歴史の視点について面白いアイディアを沢山持っている人なんだと思いました。続刊が出たらまた読んでみます。

▼2007年02月16日

井沢式「日本史入門」講座(1)和とケガレの巻/井沢元彦

 日本に宗教戦争が無いのは、織田信長のおかげ?

 井沢元彦の本は今まで読んだことがなかったのだが、この本はちょっとおもしろそうかもと思い、買って読んでみた。
 確かに「無宗教」と呼ばれる日本人だが、こういった視点で日本人を問い直すと、案外、宗教的としか言いようのない因習に支配されて生きている…とも思える。

 是非次巻も読んでみたい…って、もう買ってるけどさ(笑)

▼2007年02月15日

だから僕は…/富野由悠季

070215-03.jpg 単行本になっている本を、図書館かどこかで高校生くらいの頃に読んだ。そのときは正直言って何を言っているのかわからなかったけど、最近文庫版が出ているのを知り、アマゾンで購入。自身の仕事や女性に関する悩みが、明け透けに語られていておもしろく読めた。

 決して人に好かれるタイプではないんだろうな…と思いながらも、歳をとってもいっこうに丸くならない、氏の生き方には共感するなぁ。

▼2007年02月14日

フロン~結婚生活19の絶対法則/岡田斗司夫

 昔、私が友人の女性と、結婚について話をしていたときの言葉。

 「男にとって結婚なんて実はたいしたことじゃない。正直、ある程度の常識を備えた女なら、誰とだってどうにでもなると思ってる。だから、男は結婚についてあまり真面目に考えていない。でも女にとって結婚というのは、現実としてそう簡単ではない。相手の男によって不幸にも幸せにもなる部分が大きい。だから女の人にとって結婚は大変だと思うし、より慎重にならざろう得ない。」

 岡田斗司夫が結婚生活の話?それに興味を持って読んでみました。なるほど、本書の前提条件としては、私も同じような事は考えていたんだなと思います。夫をリストラ…確かに良いシステムかもしれませんね。世の男達はこういった話をされると自信を無くすみたいですけど。

 さすがヲタ…という感じで、極論的な話が多いような気もしますが、将来結婚をしようかと考えている人は、男女問わずこういう考え方もあるんだと、目を通しておいた方がいいかもしれません。男性にとっても女性にとっても、ちょっと不愉快に感じる部分もありますが、確かにコレも1つの見識だなと、納得できる部分も多いです。
 また、何故か私の周りには、本書で言うところの「夫をリストラされた」立場に似た人が多かったせいか、本書に書いてあることも、すんなりと理解できました。

 ま、私には関係のないことですけどね(笑)

▼2007年02月13日

べーシーの客/村松友視

 この本つながりで買ってみた、岩手県一関市にあるジャズ喫茶「べーシー」を舞台にした短編小説集。

 面白かった…とは思うのだが、面白い!というには、随分サラッと読めてしまった気がする。これは、このジャズ喫茶の店長が書いた本と共通した感想。

 もちろん、ジャズのことをよく知らない人(私だってよく知らない)や、音楽にさほど興味がない人にもお薦めの本。もっとも、音楽に全く興味がない人が何故本書を手にするのか…という気もするけどね。

▼2007年02月11日

なぜいま人類史か/渡辺京二

 ちょっと前に読んだ「逝きし日の面影」という本が面白かったので、その本つながりで買ってみました。で、今読んでいるのですが、その中の第二章である「共同体論の課題」という文章(というか講義)で、「人類はすでに共同体から離脱したのです。」という部分があり、なるほどなぁ…こういう考え方もあるか、と思いました。

 私的に、ただ漠然となんですが、人間社会というのは、原始共産制社会から、様々な形の共同体を経て、そして今、資本主義社会下において、国家主義として生きているわけで、つまり、社会の共同体というのは、テクノロジーの発展と共にどんどん巨大化していくと思っていました。その結論として、よくSFなどで描かれているのが、地球連邦、あるいは銀河連邦といった大規模な共同体です。そして、そのような巨大共同体の中での社会は、当然ながら緩やかな社会主義体制への移行が伴わなければ社会が成り立たなくなる訳で、故に人類社会の進化のベクトルは、社会主義体制の方向に向いているとばかり思っていた訳です。

 ただそこで、さっぱりとした文体で、「人類はすでに共同体から離脱したのです。」などと書かれてしまうと、「そうか、そうきたか!」と、頭の中で根拠もなく納得してしまったのでした。

 つまり人間は、近代において共同体社会から、資本を軸とした個人主義社会にシフトしてきたのではないか、そういう事みたいです。渡辺京二は続けて「人間は共同体という古き衣を脱ぎ捨て、もう返れない『個』の世界に移動したのである」と言っています。なるほどね、確かにそういう考え方もあると思います。

 この考え方について、私自身は正しいとも誤っているとも思いません。というか、判りません。ただ、かつての社会が持っていた、階級闘争史観とは無縁な、緩やかな共同体社会という楽園は、今の状況を見ると、しばらくの間人間社会に復活することはなさそうです。まとまりのない感想文で申し訳ありませんが。

▼2007年02月10日

聴く鏡/菅原正二

070211-01.jpg 「びっくり仰天」の事を、バンド言葉で「クリビツテンギョー」というらしい。ホントかどうか知らないが、本書にはそう書いてある。

 私はかつて一度、岩手県一関市に行ったとき、ベイシーの前には行ったことがある。ただ、その日は到着時間が午前中だったため、お店には入れず、目の前で記念撮影をして帰ってきた。
 その後、友人達と「ベイシー参りに行こう!」とか、一度盛り上がったこともあったのだが、結局行かずになってしまい、今日まで出かけていない。もう店主もご高齢だし、早めに一度は行っておかなければ、とは思っているのだが…。

 本書は、ステレオサウンド誌に連載されている「聴く鏡」という記事を、年代別にまとめた本。本誌でずっと読んでいた人にとっては、冒頭と最後の未掲載記事しか読む場所がないし、それに連載中に掲載してあった写真もカットされている。
 私も、全てではないけど、それなりに連載中に読んでいる筈なのだが、何故か単行本になって読むこの「聴く鏡」は、どれもこれも初めて読んだ文章のように新鮮だった。
 決して押しつけではないが、オーディオとジャズと人生に関する著者の熱き主張は、何故かサラリと心の中に染みてくる。

 きっと、数年後にこの本を読み返すと、また新鮮な気持ちで読めるような気がする。それと、オーディオもまたやりたくなってきた。それと、今年こそは一関に行かなければ…。

Leica DigiLux Zoom


▼2007年02月08日

テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか/吉野次郎

 色々な見方があるとは思いますが、それを差し引いても、やはりテレビ業界というのは、どこかおかしな所なんだなと思いました。

▼2007年02月07日

ミネラルウォーター・ガイドブック/早川光

 キャンプの時に炊いたお米が美味しく感じるのは、水道水を使わず、ミネラルウォーター、それも多くの場合価格の都合で国産の水を使うからみたいです。何故なら、国産でリーズナブルな価格で流通している水は、まず軟水だからです。それは本書に記載されているミネラルウォーターのカタログを眺めていると判ります。

 コントレックスが何故ダイエットに向いていると言われているのか?本書によると、大雑把に言って「超硬水のコントレックスは、飲むと重くて胃に満腹感を与えやすい」からだそうです。他にも利尿作用や代謝を則す成分が含まれ、フランスでは医学的にその効果が実証されているとか。
 フランスでは、ミネラルウォーターを用いる医療を「テルマリズム」といい、国家が正式に医療行為として認め、健康保険などの適用も受けられるそうです。そんなフランスと違い、日本のミネラルウォーターに関する指針は、結構怪しげなものばかりという現実も本書には記載されています。

 結局、現在の日本国内で、加工・殺菌されていない、本当の「ナチュラルミネラルウォーター」を飲もうと思ったら、輸入品を買う以外ないみたいです。

 まあ、本書にはそんな蘊蓄も書かれています。とりあえず、街に沢山売られているミネラルウォーターを選ぶ際の指針にはなりそうです。
 ちなみに現在の私は、会社で無料提供されている「クリスタルクララ」を毎日がぶ飲みしています。それなりに飲みやすくて気に入っているのですが、こちらは当然ながらナチュラルミネラルウォーターではありません。なんでもRO(逆浸透膜)ミネラルウォーターと呼ぶみたいですね。
 日本の法律ではあやふやなミネラルウォーターの区分ですが、ヨーロッパ(EU)の基準だと、かなり厳密に決められています。

▼2007年02月06日

逝きし世の面影/渡辺京二

 まだ文庫になっていない頃、4,500円という決して安くない値段で本書を買いました。その後、版元が本書を絶版にしてしまい、長い間手に入りづらく、古書市場でもプレミア価格で取引されていたようです。

 その大切な本、私は少しづつ読んで、その度に衝撃を受けていたのですが、いかんせん大きくて重いので、通勤途中など持ち出して読むわけにはいきません。私の場合、自宅ではあまり長時間読書はしない上、読み終えていない本も沢山あるので、それらに埋もれてしまい、なかなかまとめて一気に読む機会がないまま、数年間が過ぎました。
 と思っていたら、知らぬ間に「平凡社ライブラリー」というシリーズで、本書が文庫化されていたではありませんか。これなら本書も通勤途中でも読むことができます。早速買って読みました。

 この本で紹介されているかつての日本は、徳川時代と共に滅び去った、今とは違った文明である日本を紹介しています。圧倒的な資料を元に構成された本書は、最近流行の単なる江戸賛美の本とは違い、強い説得力を持っています。本書あとがきに記された「江戸時代に生まれて長唄の師匠の二階に転がりこんだり、あるいは村里の寺子屋の先生をしたりして一生を過ごした方が、自分は人間として今よりまともであれただろうと心底信じている。」という言葉は、まさに私の読後感と同じです。
 陳腐な戯れ言にも聞こえますが、この言葉がどれだけ心に刺さるかは、本書を実際読んでみてほしいとしか言いようがありません。
 また、本書解説文の最後にある「かすかに囁き続けるものがあるからこそ、逝きし日の面影は懐かしいのである。」という言葉も心に残ります。

 このエントリーを読んで興味を持った方は、本書と共に、今まで語られてきたフィクションの江戸時代とは違う、もう一つの視点で描かれた江戸社会へタイムトリップしてみては如何でしょうか?

逝きし世の面影/渡辺京二

▼2007年01月31日

人生、勝負は40歳から!/清水克彦

 私にとってはまだ大分先(!)の話ですが、そろそろ覚悟というか、こういう本を読んで安心しておいてもいいかと思って読んでみた本。まあ、正直道徳の教科書みたいな内容ですね。

 1つだけ内容について突っ込みを入れておきます。本書にも出ていて、私にしては珍しく明るい習慣なのですが、“鏡の前で笑ってみる”という事は、ずっと昔から常習的にやってます。会社にいるときも、トイレに行った折り、周りに誰もいなかった時などは、1人で鏡の前で笑顔を作ったりしています。本当にずっとやっています。

 でも、いい事なんて全然ないよ。

▼2007年01月30日

デザインにひそむ(美しさ)の法則/木全賢

 「美しいデザインは何か」というテーマで、工業デザインの入り口を簡単に解説している本。こういったデザインに興味を持っていた人にとっては、内容は薄いと思うが、工業デザインってなんだろう…と思う人が初めて読むにはいい本だと思う。

 本書冒頭で、黄金比の話が出てくるが、この比率が美しさと結びつけられたのは、実はそんなに昔のことではないというのが、私にとって初めて知った事だった。黄金比と白銀比の簡単な作図方が出ていたので、そういうのを覚えておくと、なんかの機会で役に立つかも…。

▼2007年01月28日

冬虫夏草の謎/盛口満

 冬虫夏草と聞いて、どういうモノなのかすぐに想像つく人は少ないんじゃないでしょうか?花鳥風月とは関係ないよ(笑)
 本書は、冬虫夏草についてのフィールドワークをネタにした本。実際冬虫夏草を探し当てるプロセスは、大変そうだけど面白そうだという雰囲気が、とても良く伝わってきます。

 口絵にはカラー図版も多数掲載。冬虫夏草がどういう生き物なのか、ちょっとでも興味を持った人は、実際に本屋さんで本書を手にしてみては如何でしょうか?

 内容とは関係ないけど、本書の装幀は、あの戸田ツトム氏だ!若い頃、私は氏にあこがれて、中途半端な劣化デザインを作ってたっけ(笑)

 ちなみに私は、好きって程ではありませんが、冬虫夏草にちょっと興味を持っていて、清水大典氏の冬虫夏草図鑑も持っています。そして、たまに本棚(…というか本の山)から取り出して眺めたりしています。こういう図鑑を当てもなく見ていると、なんだか、子供の頃学習図鑑を見ながら色々なことに驚いていた、あの日々を思い出します。

▼2007年01月27日

かみさま

 紙を集めて紹介してある書物。

 ただの紙も、じっくり観察すると色々な紙がある。私も不思議と紙って捨てられない方なんだよね。だから、机の中や書類入れの中に、訳の判らないチラシや、商品タグ、その他ゴミみたいな紙の切れ端が沢山ある。

 いつか、それらを全て整理して、何時でも閲覧できる形にしたいと思ったりもするのだが、無理だろうなぁ。

かみさま/大平一枝

グーグル八分とは何か/吉本敏洋

 グーグルは私も愛用しているが、こういった話もあるのだということは知っておいた方がいいのかもしれない。特に私のようなIT企業にお勤めの方々はね。もちろん、本書に書かれている事が全て真実だとは限らない事には注意。

 ただ、中身の記事で1つだけグーグルに荷担しておくと、中国版グーグルで情報検閲がされているという事実は、グーグルに責任の所在を持っていっても仕方ないことであり、それは政府間のやりとりで決められるべき問題だと思う。グーグルは一企業であり、政治的判断を下す立場にはいないはず。故に、現地の法令を遵守するのは当然と考える。
 政治的判断を含む検閲に関しては、公的な機関(そういった検閲について国際的に動いている公的機関があるかどうかは知らないが)へ訴え、解決を図るのが筋ではないか。

▼2007年01月26日

おじさん自転車講座/長尾藤三

 インターネット時代になって、本というのはその役割もそうだが、その中身の文章についても変貌を遂げつつあると思う。一言で言えば“隙がなくなってきた”という感じだろうか。内容の正しさとか、内容の質に関してはまた別な話になると思うが、とにかく、近頃出版される本の文章は「突っ込みを入れにくい」文体に変貌しつつあるような気がする。

 初版は1994年。まだインターネットなんて、相当の変わり者しか手を出していなかった時代だ。そして今、そんな時代のこういう本を読んでみると、なんだか隙が多いというか、もうちょっと言い方を変えると、適度に緩い文章だという印象がある。

 本書は、もう50歳になった著者が、如何に自転車ライフは楽しいかを、自分の生活と体験を中心に語っているエッセイ集。この当時おきまりの文明批判に底の浅さを感じるが、かといって知性の無さを感じるわけでもない。私的には、こんな所に適当な緩さを感る事ができる。

 お勧めはしないし、内容を誉めたりもしないが、なんだか不思議と1990年代前半の匂いを感じることが出来た作品。私的には読んで良かった本だと思っている。

宗像教授異考録/星野之宣

 ブルーホールブルーワールドは駄作だったと思う。ただし、宗像教授シリーズは面白いなと思っていたら、知らない間にコミックトムが廃刊になっていて、そしたら知らない間に宗像教授は月刊ビックコミックに移っていたらしい。
 単行本が出ているのは知っていたのだが、千円を超える価格に何となく手を出しづらくて、今まで買っていなかったのだが、先日思い切って第1巻を買ってみた。

 結果、面白かった。

 聖徳太子キリシタン説も、活字の本でやられると、荒唐無稽で読む気がしないのだが、この人の劇画タッチでやられると、なんだか信憑性があるように思えてくるのが不思議。やはり漫画に絵は大事なんだなと思う。

 繰り返しになるが、千円を超えるコミックスは、いくら内容が面白くても、気分的にちょっと手を出しにくい。せめて価格が980円だったら、私も含め、もっとたくさんの人がこの本を手にしていたのではないだろうか。

▼2007年01月25日

眼が見えない猫のきもち/徳大寺有恒

 何となく買って読んでみた。別に悲しい話ではないのだが、ちょっとしんみりきた。口絵にある著者と猫の写真がとても楽しそうで、見ているこちらもちょっと楽しい気分になるのだが、同時にその楽しそうな笑顔故に、何故かホロッとくる写真でもある。

 徳大寺有恒とは、日本で一番有名な自動車評論家で、また日本では、自動車に興味がない人でも、唯一名前くらいは知っているであろう自動車評論家。その彼がこんな文章も書けるんだ…と、私は別に驚いたりはしないのだが、普段の自動車評論を読んでいる人にとっては、氏の意外な一面を感じることが出来ると思う。

 車の事なんて興味がなくても、なにも知らなくても大丈夫。なにも先入観を持たずに読んでも、とてもいい本だと思う。

▼2007年01月24日

レバレッジ・リーディング/本田直之

 アマゾンの書評では賛否両論ですね。こんなの読書じゃないとか何だとか…。多分読書を趣味としている人達の逆鱗に触れる部分があるんでしょう。だって、本を買っても全て読まなくていいとか、徹底的に汚せとか、ちょっとでもつまらないと思ったらすぐに辞めろとか…。

 私は、自分では結構読書好きだとは思ってますが、割合この本に書いてあるとおりのことは実践していたんだなと思いました。つまらない本ならすぐに投げ出すし、無意味な章は読まなかったりするし、本屋では目次とカバー折り返しの著者像を見て本を判断することが多いですし。

 ただ一点、本を汚せというのだけは、何となく生理的に受け付けられません。昔、ペンを持って無理にアンダーライン引いてみたり、余白にメモしてみたり、付箋貼ったりしてみましたが、どうもダメでした。ま、仕方ないですね。
 あと、本はどんどん捨てるということも…これは単に私がだらしないからというだけなんですが(笑)

 沢山本を読んでみたい…そう思っている人は多いと思いますし、本を読みたくても読む時間がないと考えている人もいると思います。そんな方達にこの本はお薦めなのではないでしょうか。
 きちんと最初から最後まで本文を鑑賞するのだけが読書ではない…ということを理解するだけでも、普段読書慣れしていない方にとっては随分プレッシャーが減って、もっと気楽に本を手にすることが出来るようになるかもしれませんよ。

幸福な食卓シュークリーム、発売

070124-02.jpg 読むと確かにシュークリームは食べたくなるね。ただ、このシュークリームには、きちんと卵の殻のかけらが入っているのだろうか…と思ったら、代わりにアーモンドのかけらが入っているそうです。

 このエントリーを書いていたら、なんだか急に食べたくなったので、今ファミマーで買ってきて食べました。確かにアーモンドのかけらが入ってました。本から想像するに、もっとワイルドな味かと思ってましたが、案外普通の味でまいう~です。

 発売元はヨネザワ製菓。カロリーは184kcalだそうです。シュークリーム食べて、幸福になれる…と、いいなぁ。

SHARP V603SH


幸福な食卓/瀬尾まいこ

▼2007年01月23日

食欲のある男の子は三割はハンサムに見えるのよ

 一昔前、ゲレンデでは男女とも5割り増しで見える、なんて言葉もあったけど、瀬尾まいこの「卵の緒」という本を読むと、どうやらタイトルの通りらしい。なるほど…となると、人前であまり食べない私の場合は、常に三割さっ引かれて見られている訳か…なんてアホなことを考えてしまう。

 昔、藤子F不二雄氏の短編作品で「気楽に殺ろうよ」という漫画があり、その世界では性欲と食欲における羞恥心が逆転しているという設定だった。しかし、考えてみれば、私の場合本当に性行為よりも食事の方が恥ずかしいという状態なのかもしれない。だって、いまだに多人数との食事は苦手で、1人でこっそり食事する方が好きだしね。性行為の方は、1人でしたくても出来ないし(笑)

 誤解しないでほしいのは、別に仲間と一緒に食事をするのがイヤだ…と言っているわけではなく、ただ何となく緊張してしまうのだということ。物理的に食べ物の好き嫌いが多いというのもあるが、それよりも、大勢で食事をすると、なんか沢山食べるのが恥ずかしい…って訳じゃないんだけど、ちょっと緊張してしまって、いつもの量がのどを通らなくなってしまう。なんでかというと、ハッキリいって私が小心者なんだと思う。

 でも、むしゃむしゃと食べる相手がいとおしく見える…というのは何となく判る気がするなぁ。私だって、自分の彼女が目の前で夢中になって食べ物にがっついている姿を見るのは悪い気がしない。考えてみれば、別に対象が人じゃなくても、ちながおいしそうに食事してるのを見ているのも好きだったりするし、案外みんなそうだよね。

卵の緒/瀬尾まいこ

▼2007年01月21日

工作少年の日々/森博嗣

 森博嗣の本は、私がミステリーは嫌いなので、読む機会はないと思っていたし、そもそもそんな作家の存在は知ってはいたけど知らなかった(名前は聞いたことあるけど、特に意識していたことはないという意味)のですが、本屋さんの店頭でこの本を偶然見つけてこの作家のことを知りました。なるほど、庭園鉄道の方ね、それなら何かで見たことがあります。

 とても面白かったので、他にも彼の本を読んでみたい…というつもりは更々なく、やはりミステリーについては手を出さないと思います。ただ、エッセイについては、何冊か手を出してみたいと思います。

 本書については、色々と話題にしたいことがあるのですが、その中で1つ、

飛行機が美しく見えるのは、例えば家電製品や洋服などのように「人に優しい」という部分がないからではないだろうか。

 という部分が、とても印象に残りました。確かにその通り。飛行機はスタイリング自体が性能の1つであり、そこには他のプロダクツのように、マーケティングの都合…といったものが入り込む余地がありません。また、飛行に関係ない要素が入り込んだとしても、それは明確な意志を持って行われる行為であって、間違っても「かわいくみえるから」「女性に受けるから」「ご年配の方にとって優しい」という要素が入り込む余地は存在しないと思われます(例え飛行機でも、インテリア、に関してはこれらの要素が入る余地が多分にありますが…)。あれ、でもポケモンジェットとかあるじゃん…なんて言われる方もいるかもしれませんが、あれはスタイリングではなく、表面上のプリントに過ぎません。F-1カーの表面にスポンサーの広告が入っているのと同じ事でしょうか。

 そして、これはミリタリー趣味にも通じるものがありますね。軍事関連の機械もスタイルは性能の一部です。世間のミリタリーヲタの方々が、どことなく(というか、多くの場合過剰に)理屈っぽいのは、彼等の愛玩する対象物が、そういった性能に直結しないスタイルを否定した所にあるからかもしれません。

▼2007年01月19日

とにかくすぐやる人の考え方、仕事のやり方/豊田圭一

 最近、今まで全然興味のなかったジャンルの本に挑戦中…。ということで、世のビジネス書、ビジネス啓蒙書なんて、バカにし切っていた私ですが、こういうジャンルにも色々と取りこぼしがあるんじゃないかと思い、本屋さんで手に取ってみた本。結局購入して読みました。

 私自身の欠点は、まあ色々ありすぎてイヤになるんですが、特に昔から自分で認識していたのは「すぐにやらない」ということ。表も裏も怠け者の私は、やらなければいけない仕事や用事はどんどん後回しにして生きてきました。
 昨日だっていつもの通り、後回し後回しの人生を送っていた訳ですが、そこに飛び込んできたのが本書のタイトル。ちょっとは刺激になるかな、と思って買って読んでみました。そこそこ刺激になりました。
 そうだね、仕事でも何でも、失敗をおそれず…というか、初めから成功ばかりを考えすぎず、とにかくやってみることが大事なんだと、とりあえずその理論は理解できたよ。たぶん実践できないんだろうけどさ。

 あ、本自体はとても面白かったです。確かに何でもかんでも、とりあえずすぐにやり始めることは大事なんだと思いました。

▼2007年01月17日

優しい音楽/瀬尾まいこ

070117-01.jpg たまには私に似つかわしくない、こんな本も読んでます…というか、最近はむしろこういう本を意識して読むようにしています。

 この本は、本屋さんで「映画化決定!」と書いて平積みされていたこの著者の本を見て、この著者に何となく興味を持ち、敢えて平積みされているのと別な本はないかと、棚から見つけて買ってきた本です。この本を選んだ事に特に意味はなくて、タイトルに「音楽」と書いてあったから…という程度の理由。

 話は単純で、初めの短編は、ある意味ヲタクちゃん達が大好きな「突然空から美少女が降ってくる」といったプロットそのものですかね。そういう美味しいシチュエーションを、ヲタ漫画みたいに即物的じゃなく、もうちょっと文学っぽく甘く切なく書いてます。表題の小説は10分位で読み終えてしまえる分量かな。

 過去にも、何となくこういうたぐいの本をちょっと立て続けに読んでいたことがあって、その時は何でだったかというと、私自身が疲れていたからです。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital ED 8mm F3.5 Fisheye


優しい音楽/瀬尾まいこ

▼2007年01月14日

昼の学校、夜の学校/森山大道

 本書2003.10.17より。

そういう次期というのは、なにもかもアタマに来るわけだよ、なにを見てもさ。友人も恋人もいないペエペエの自分が、1人新宿で行きはぐれてるわけでさ、恋人同士を見るとチェッとなるとか、もうハシが転んでもアタマに来るわけね。

070114-05.jpg いきなり引用で申し訳ありませんが、確かにその通り。人によって若さとか、あるいは自分自身のエネルギーがどういった形で表面化するのかは色々だと思いますが、私にとって、そういったエネルギーの表面化というのは、イコール怒りな訳で、今までもそういったエネルギーで生きてきたし、これからもそう生きていくんだと思います。

 また、私自身が色々な対象に向かって、いまだにイライライライラし続けるというのは、私自身が人間的に全く未熟だというか、自分自身をきちんと相対化して見つめることができないというか、精神的に幼いんでしょう。だからこの歳になっても、人様には迷惑かけっぱなしです。

 森山大道という人は、すごいなとは思っていても、今まで私にとって特にそれ以上の感情は特になかった写真家なのですが、この本のこの文章を読んで、とても親近感が出てきました。

KONICA MINOLTA DiMAGE G400


▼2007年01月13日

本屋に行く

070114-01.jpg 今日は久しぶりに神田の古本屋街に行きました。久しぶりなので物欲全開!…って程でもなく、物欲パーシャル状態よりちょっと強め…という段階に留めておきました。

 結果、手がちぎれそう、もしくはバッグの取っ手がちぎれそうな状態まで本を買ってしまい、たまらずアキバヨドのサンマルクで一休み中っす。
 まだまだ欲しい本は沢山あったけど、本はナマモノ(※注)なので、買いすぎても読み切れないから欲しいモノだけを吟味して買ってきました。途中久しぶりにボンディのカレーも食べたし、楽しい一日でした。

 ただ、体の調子は相変わらず良くないので、以前ほど色々歩き回れなかったのが残念です。

※注:本って、買ってきてからしばらく読まずに家においておくと、なんだか読む気がなくなってきちゃうんだよね。最低でも買ってきて一週間以内に手を付けないと、そのまま読まずに終わってしまうということが、割と結構あったりします。だから「本はナマモノ」なんすね。こういうの私だけかな?
OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5

万年筆ミュージアム

 最近流行の万年筆本…という割に、実は万年筆好きな人が買ってもあまり面白い本じゃないのでは?なんて考えつつ、私は毎晩お風呂に入りながら少しずつ、結構面白く読み進めています。

 そもそも私にとって、この書籍で取り上げられているような“限定万年筆”は、ハナから興味がないので、物欲とかなんだとか、そういった邪念から解き放たれた心境で読めますね。それが、読み物としてなかなか面白く感じる理由かもしれません。

 本の帯には「マーケティング的視点からの『万年筆論』」とありますが、実際にはマーケティング論的な記述はほとんどないです。では、なにが書いてあるのかというと、モチーフになった限定万年筆のテーマや素材の選定、そしてそれらがもたらす価値というものを、万年筆ファンの視点で書いているに過ぎません。視点が一方的である故に、マーケティング的話題があっても、そういった視点が本書からあまり感じられないのではないかと、そんな風に思ったりもします。

 ただ万年筆を、文字を書く道具と受け取るなら、便利な筆記具が揃った現在で、敢えて万年筆を選ぶ理由は希薄になります。
 それでも、その万年筆は、凝った製法や高価な素材で装飾され、限定品の名前と共に、時には「法外」ともいえる価格が設定され、そしてまたそれらが消費されていく不思議。
 この本でそれらについての回答を提示しているわけではありませんが、そういったミステリアスともいえる限定万年筆達の蘊蓄を、少しずつ眺めてみるのも悪くないのではないかと思います。それとまあ、世の中には万年筆のモチーフとなる、色々な素材やテーマがあるもんだなぁ…というのにも感心しますね。

 もっとも、こちらのブログにもある通り、直接物欲を刺激されたりするたぐいの本ではありません。高価な本ですが、その点については安心でしょう(笑)

▼2006年12月14日

ローマ人の物語・ローマ世界の終焉/塩野七生

 長い間続いてきたローマ人の物語が、いよいよ完結らしい。今朝の新聞に著者のインタビュー記事が出ていた。
 実際、街の本屋さんでは昨日から店頭に並んでいて、私も手にとってちょっと眺めてみた。いよいよこのシリーズが完結とは、なにやら感慨深いモノがある。

 私がこの「ローマ人の物語」を読んだのは、もう10年くらい前だろうか。塩野七生ファンの友人が「面白い!」と言っているので、釣られて読んでみたという感じ。実際にポエニ戦争や、ハンニバルの記述はとても興奮するモノだったし、カエサルの登場に至っては、もう著者もノリノリという感じがとてもよく伝わってきて、読んでいるこちらにもそのノリが伝わってとても面白かった。
 ただ、カエサル退場後の展開は、ちょっとトーンダウンかな…という気がして、私にとってのローマ人…は、確か6巻位までで止まってしまっている。

 別な友人が、この「ローマ人の物語」を評して、「少女漫画みたいだ」と言っていたが、確かに良いたとえだと思う。文章とマンガという違いはあっても、池田理代子の女帝エカテリーナを読んでいるのと、カエサル編に限って言えば、感覚的にはとても似ている気がした(これは誉めているのである)

 もう完結かぁ…なんて思うと、ちょっと寂しい気もするが、私もここいらで、またローマ人…を再開してみるかな、って気になりました。

▼2006年12月13日

百合星人ナオコサン/Kashmir

 たまに自分でも訳の判らない買い物することがあって、今日も本屋に行ったら何となくこのマンガが目について、初回限定で、CD付きで、絵も適度に隙のある萌え絵で、オビのキャッチコピーもなんだか面白そうかも…なんて思っていたら、なんの漫画か全然しらんのだけど、ついレジに持って行っちゃいました。たまにはヲタ成分も補充せんといかんし。

 そしてお金を払うときに「カバーはいりません」って言ったら、店員さんが袋に入れそうになったので「袋もいりません」って言って、そのままカバンに入れて持って帰ってきた。今、家に帰ってお風呂に入りながら全部読み終えたところ。

 別に、そんなに特筆するほど面白かった訳じゃないんすけどね。

▼2006年12月11日

もえっと。

061211-02.jpg 萌えるダイエット本、「もえっと。」だそうだ。この手の萌えるシリーズも最近ではすっかりしらけムードになったモノだが、この本は、ネットのやり過ぎで出不精になったデブヲタ達への福音となるのか。

 私も買って、来年は「もえっと!」ダイエットでもするかな。

▼2006年11月22日

自転車依存症/白鳥和也

 タイトル通りの本です。何事においても出力過剰症候群というのは、確かに頷けます。つか、私の回りで自転車乗ってるの、こんなんばっかやん(笑)

 自転車の他、カメラの話題、スピーカーの下に敷く石の話、MGFの話、話って程じゃないけど、これらの話題もチラッと出てきます。つか、おれこの著者と友達になりたいな。

 つことで、自転車部の皆さんは是非買って読んでみてください。お勧めというか笑えます。本屋さんでも売ってますが、下のアマゾンでも売ってます。1,600円なので送料も無料です(笑)

自転車依存症/白鳥和也

おねがいDJ!

 ということで、DJといえば、我らがダイヤ情報の事であるとは、世界的に周知の事実であろう…。

 でもなぁ、なんでDJ。大体雑誌の正式名称が「鉄道ダイヤ情報」なんだから、本来はTDJでは?。いや、本来の本来(笑)は、「Railway Timetable Information」で、RTIと名乗るべきではないか?どうでもいいんだけどさ。

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▼2006年11月02日

有隣堂(本屋全般?)の憂鬱

 最近は有隣堂で本を買うことが多いのだが、その際に困るのが、本のカバーと袋。私は本にカバーを掛けて読むのが嫌いなので、以前は本屋さんで本を買ったときは、レジの人に「カバーいりませんよ」と言っていたのだが、最近ではカバーがいらないというと、袋に入れようとする。
 その袋もタダの袋ならいいのだが、時には買った本以上の広告チラシが封入されていて、正直非常にウザイ。仕方ないので「カバーお願いします」というと、「カバーのお色はどうしますか?」と、10種類のリストから選ばなければならない。正直なんだっていいのだが、仕方ないので適当に答える。コレがまたウザイ。どうにかならないのか?

 本屋の側から言うと、会計の済んだ本をカバー付けたり袋に入れたりして区別したがるのは分かるのだが、それはあくまでも本屋側の問題。客側から言わせてもらうと、カバーは仕方ないと思うが、袋は…ただの袋なら仕方ないし便利な場合もあるが、広告チラシは邪魔以外の何者でもないだろう。
 広告費の分、客にキャッシュバックでもあればまだ我慢するにせよ、あんなのは家に帰ってもゴミになるだけだし、家に帰る前にゴミになるのがとってもとっても邪魔なのだ。大体雑誌なんてのは、帰りの電車の中で読んだりとか、そういう用途がほとんどでしょ。袋ですら邪魔になるのに、なんで余計な広告を…って、書き続けていると延々とエンドレスになりそうだ。

 大体、あんなに大量の広告、地球環境に優しくないよな。でも、それで食べている代理店もいるんだから、その人達の財布には優しいか(笑)。いずれにせよ私には関係ない話なので、本屋さんは早急に余計な広告物配布を止めてほしい。

▼2006年10月24日

武蔵五日市 少女漫画館

 通称女ま館だそうだ。東京都武蔵五日市にあるそうで、開館日が基本的に週1回の木曜日らしい。

 子供の頃は少女漫画で育った私も一度は行ってみたいものだが、ちょっと1人で行くには…ねぇ、という感もある。そのうちチャンスがあったら勇気を出して出かけてみたいと思います。

▼2006年10月14日

オカマだけどOLやってます

 昨日会社から帰る途中に、本屋さんによって何となく立ち読みして、おもしろそうなので買ってしまいました。ふむふむ、色々大変なんだなぁ。ファーストキスを男に奪われた私にとっても、色々と共感できることはある…ないな(笑)

 いまでは女も逃げ出すキモヲタ+加齢臭満載な風貌をしている私ですが、なんだか昔はかわいかったらしいです(笑)
 知らない人によく「おねえさん」とか、あるいは女の人だという前提で話しかけられたりすることは何度もありました。そういえば、体育の授業で校外を走っているときに、道端を歩いている学生さん達が「お、かわいい姉ちゃんじゃん」などと仲間同士で言い合っているのも聞きました。ブルマはいてねえだろ!下トランクスだろ!一目で分かるじゃん!それと、痴漢にも何度か会いましたが、こちらは私を男と知った上で痴漢をしてきている人もいましたので、よくわかりません。
 とまあ、年齢が20台前半くらいまでは、女子の私の容貌に対する感想は「かわいい」というのばかりでした。そして決定的だったのは、風呂から出て洗面台で頭を拭いているという、女子にとっては男子萌えなシーンの時、それを見ていた父親にしみじみと「おまえってかわいい顔してるな」とも言われた時でしょうか。さすがにその時はちょっと落ち込みました。そうか…オレってかわいいのか?

 とまあ、若い身空ではそんなことを言われ続けていた私ですが、幸いキモヲタな人生を歩んだおかげで、いまではそういった清楚なイメージが全く想像の付かない、むさくてきたねぇデブで脂性で汗っかきな体臭のきつい立派な大人になりました。ただ、あの時分で一歩勘違いしていれば、私もこんな道に迷い込んでいた可能性も…ないな(笑)

 ちなみにこちらがその本のネタになったブログです。本もブログも面白いですが、○○子は、イザという時のために残しておいた方がいいよと、弱気なことを思った私でした。

▼2006年09月29日

女神の欲望(リビドー)

 ぶははは、久しぶりに笑わせていただいた本だった。

 思えば何年前かの夜に、ふとテレビをつけていたら、岩井志麻子と中村うさぎと乙葉、それにゲストの女が出ているトーク番組が放映されていて、面白いなーと思ってみていたんだけど、途中から見たので番組のタイトルも分からず、寝ぼけていたので何曜日の何時からの番組か分からないまま、そこで終わってしまっていたんだけど、最近ネットのどこかを見ていたら、ふと、この番組の内容が書籍化されていることを知り、近所の本屋さんを探したのだがどこにもなく、アマゾンでポチッとしてしまった。一冊だと送料無料金額に達しなかったので、勢いで岩井志麻子の「ぼっけえ恋愛道」という、まだ読んでいないのだが濃そうな本も注文してしまった。

 内容で印象的だったのが、杉本彩への質問で「人前で鼻毛かマン毛がはみ出しているのは、どっちが恥ずかしいか?」という質問。それに杉本綾は「鼻毛」と答えるのだが、その感覚はとてもよく分かる。いや、私自身の話だと、別に自分の鼻毛が出てても気にしてないんだけどな…(笑)。それはともかく、いい女はマン毛のはみ出しよりもよりも鼻毛の処理を気にすべき。訳は本買って読んでください。

 この本を読むと、今の時代は男性よりも女性である方が人生楽しそうだとしみじみ思うね。それと、アマゾンのカスタマーレビューで「赤裸々な話が続くので男性は読まない方がいいかも」とか書いてありますが、もちろん女性同様、男性にもお勧めだと思う、というか、私は面白く読ませていただいた。

女神の欲望(リビドー)/中村 うさぎ・岩井 志麻子・乙葉・テレビ東京『女神の欲望』
ぼっけえ恋愛道―志麻子の男ころがし/岩井 志麻子

▼2006年09月08日

ぼくは、おんなのこ

 家に帰って部屋をごそごそ漁っていたら、志村貴子の「ぼくは、おんなのこ」が出てきた。あれ、こんな本買ったかな?と思いながら、せっかくなのでお風呂に持って入って読んでみる。

 どこかの評論で『志村貴子の描く女の子はどこかダメっぽいのがいい』なんて文章を読んだ気がするが、なんとなく分かる。

▼2006年09月01日

東京右往左往

060901-01.jpg ワールドタンクミュージアムでお馴染みの、モリナガ・ヨウ先生のイラストルポ。確か「じゃらん」での連載中はリアルタイムで見てた。
 最近は、こういった都市探検モノ(?)の本って増えたけど、やっぱり本書のように大判でイラスト付きだと、とても判りやすいね。私もカメラ持って東京探検に出かけてくるかな…。

 どうでもいいことなんだけど、アシスタントの名前が気になりますね。

▼2006年07月18日

私という病

 買い物の女王でお馴染み「中村うさぎ」の本。待ち合わせの時間つぶしに入った本屋さんで何となく立ち読みしてみた。。

 買い物やエステ、整形など、色々なことをやっているラノベ作家(元、というべきだな)の彼女だが、今度はデリへル嬢かよ…とびっくり。立ち読みなのであまりじっくりとは読んでいないのだが、「私の存在価値を確認するためにデリヘルで働く」という行動は、なるほどなと思う部分もある。というか飽食金満の現代日本で、あれだけ氾濫している風俗嬢の全てが「金のため」にやっている訳も無いはずで、どちらかというと「金」というのは、普通の女が風俗嬢をやってみたいという言い訳になっているだけという気すらする。実際女の子と話すと「ホンバンするのはやだけど、一度風俗で働いてはみたい」なんて言葉は結構聞くしね。

 その中で「自らの女としての価値を買ってくれる所に行ってみたい」というのは、一件突拍子もない意見に聞こえるが、結構女の欲望としての核心は突いているんじゃないかと思う。回りの男が女である自分を求めるのは20代まで、その頃のセックスは男に「させてあげる」ものだったのが、30代に入ってから徐々に「していただく」に変わってくる恐怖(っていうのか?)は、男にとっては全く無縁な感覚だしね。

 ちなみに私にとって男…というか自分の肉体の価値なんてのはハナから無いので、女とのセックスは常に「させていただくありがたいもの」でしかない。そういう意味では、元から価格が付かない商品の暴落を心配をする必要がないので、世間の女達よりも気楽なのかな?

 もう読んじゃったので買いはしないと思うが、読後、買ってきちんと読んでも良かったなと、色々考えさせられる本ではあった。とりあえず立ち読みでなんだけど、アフリエイトリンク貼っときます(笑)

私という病/中村うさぎ

MC☆あくしず

 本屋さんで見て吹きそうになった。確かに、私が知っている軍ヲタは、ほとんどアニメファン…というかアニメ美少女マニアとかぶるし、マーケティング的には極めて正攻法の企画だと思う。まあ、だからといってバカ売れするわけでもないのが、この業界の面白いところでもあるんだろうけどね。

 古参の軍ヲタは、否定はしていないにせよ、小馬鹿にはしているだろう。きっと立ち読みしながら記事のあら探しして「所詮この程度の本だな」とかつぶやいているんじゃないかと思う。意外と権威主義的なところがあるからね、この世界は。
 でも、子供や若年層のマニアは、おもしろがって見る人もいるかもしれない。というか、軍ヲタ業界はもっと若年層に受ける企画を作らないと、どんどん先細りになるからね。若年層の取り込みに失敗してしまうと、マニア本で生計を立てている(であろう)イカロス出版にとっては、ある意味死活問題にもなりかねない。

 んで、立ち読みしてみた私の感想だと、思ったよりは面白そうかもという印象。この手の軍ヲタ向け雑誌の多くがハードウェア偏重主義なのに対して、作戦・戦術や軍組織などについても結構解説してある。値段を考えると内容は薄いと思うが、あのアニメ絵に魅力を感じた軍ヲタ二等兵諸君は、この世界を俯瞰するためにも、買って読んでみるといいんじゃないかな。

MC☆あくしず Vol.1/島田フミカネ 野上武志 じじ

▼2006年06月11日

ぎゃぼ!

060611-04.jpg もう何時予約注文していたのか忘れていた、のだめカンタービレの15巻初回限定版が届いた。この限定版の特典は「のだめマングースきぐるみぬいぐるみ!@おへそを押すと『ぎゃぼ!』と鳴くぜ」というもの。

 早速開封して、ぎゃぼぎゃぼ言わせて遊んでます。かわいいな、これ(笑)

▼2006年05月28日

湾岸ミッドナイト

 昨日は久しぶりに遊びもナシの完全休養日。一応朝には目が覚めたんだけど、ちょっと起きてネット見て、また眠って…というのを夕方くらいまで繰り返していた。さすがに飽きたので、暇つぶしに近所のコミックカフェに行くことにする。

 昨日読んだ漫画は「ヨコハマ買い出し紀行」「ドラゴン桜」そして「湾岸ミッドナイト」29巻まで。3時間パックだったので途中で時間切れになった、続きはまた今度だね。んで、特に面白いと思ったのが「湾岸ミッドナイト」かな。連載当初はちょっと面白くて、その後10巻前後から中だるみになっていたけど、20巻前後からの話はとても面白い。自動車好きは一度読んでおいた方がいいかも。

 ボディの補強に関する概念、チューニングされた車の行く末と考え方、そして何故ポルシェはRRを貫き通してるのか、これは結構優秀なブレーンが入っているマンガだね。本当に面白いや。登場人物達もモチーフとなったチューナーの顔がモロバレみたいなリアリティがあるし、こりゃ単なる族マンガと思って読むと反撃食らっちゃうよ、特に車好きの人は。

 昨日は時間切れだったけど、全巻買い揃えてもいいかなという気になってきました。

湾岸MIDNIGHT 34/楠 みちはる

▼2006年05月26日

青木雄二の短編を読んでみた

 別に最近買った本じゃないんだけど、何となく昔買った短編集を読んでみた。この人のマンガだと“ナニワ金融道”が有名だし、実際面白いんだけど、短編の方もなかなか面白い。バリバリの共産主義思想に染まってるなぁ…って感じが実に良く伝わってくる。

 実は私、思想としての共産主義は決して嫌いではない。というか、このまま民主主義の形態を取りながら国家が次のステージに発展するためには、緩やかな社会主義、もしくは共産主義化しかないと思っている人間だ。もっとも、その社会実現のためには、もっともっと私達国民が進化しないといけないんだけどね。

 そういえば、私が好きな編集者である元NAVIの編集長「鈴木正文」も、バリバリの左翼主義者だね。つことで、実は左翼思想は結構好きな私です。実際の政治団体でも、共産党はわりと好きだったりします。

ブルーゲイル、涙払って

Model Graphix 2006/07 今日本屋さんで「モデルグラフィックス」という模型雑誌を見たんだけど、今更ザブングルの特集かぁ。なつかし。
 プラモ作例として掲載されていた、セントビードタイプがまた良くできていたなぁ。

 話はギャグテイストがちりばめられている戦闘メカザブングルだけど、考えてみれば登場するウォーカーマシンは、歴代の「リアルロボット路線」の中で、もっとも現実味のあるロボット達が出てくるアニメだった。まあ、主役メカはちょっとアレだけど、トラッド11とかギャロップタイプ、クラブタイプなどのウォーカーマシンは、明日近くの工事現場で見たとしても、なんの違和感もないメカだしね。大体戦闘マシンというより、もろ作業用機械な印象だし。これはパトレイバーに登場する「レイバー」達よりもなんだか現実的というかリアリティがある。

 ザブングル、というタイトルにピンと来た方は、絶対に本屋さんで立ち読みしてみてください。あと、今月のモデルグラフィックスは、表紙のレイアウトも大胆でいいね。

回想の条約型重巡

 本屋さんで見たんだけど、何気にシュールな特集タイトルだよな。「回想の…」って、条約型重巡洋艦を回想できる人達って、日本にどれくらいいるんだろう…。

 ちなみに、条約型重巡洋艦とは、第二次世界大戦前に開かれたワシントン海軍軍縮条約によって生まれた艦種。当時この条約によって一定以上の排水量を持つ軍艦の所有数が制限された事から、各国で小さな排水量の割に強力な武装を持つ軍艦が多数建造された。特に日本では“妙高型/高雄型”の重巡洋艦が有名で、当時この船が欧米諸国を表敬訪問した際、その重武装ぶりから、現地の海軍関係者に「血に飢えた狼」と揶揄されることとなった。

▼2006年05月24日

魁!男塾

 が読みてえな、と思っている今日この頃です。アマゾンだとマーケットプレイスで1円から売っているんだけど、1円の商品を注文したとしても、送料を全34巻分払ったら一万円以上になってしまう。コミックセットを注文してもいいんだけど、読み終わったら邪魔だし、漫画喫茶でもいって読んでくるか。

 最後の方はどうなったか知らないんだけど、初めの1~2巻位の話は、まさに“ホンモノ”じゃないと描けないガイキチっぷりだったからなぁ。ああ、思い出すとまた読みたくなる(笑)

▼2006年05月21日

ハルヒの踊りで持病の頭痛がしなくなりました

 つことで、一巻が意外に面白かったので、第二巻を買ってみました。つか、溜息だの退屈だの消失だの、どれが続刊なんだかよくわからんタイトルは止めてほしい。おかげで続きの巻を探すのに苦労した。

 んで、二巻を途中まで読んだ結果は、もうどうでもいいかな?という感想。当然といえば当然だが、話のプロットは第一巻で終わっているので、後は延々と“番外編”や“サイドストーリー”をやってるようなもん。これらのキャラクターが登場する必然も何もない。主人公には第一巻で全く触れられていなかった(いなかったよな?)妹が急に出てきたりして、ストーリーはもうそういう方向に行くだけなのね…という感じです。

 元々、短編の受賞作を出版して、それをシリーズ化させるというやり方は、話の構成的にどう考えても無理があると思うんだけど、考えてみりゃ「北斗の拳」や「ドラゴンボール」だって無理矢理延命されたのにも関わらず名作だし、これはもう、この手の商業出版物では仕方ないとあきらめるしかないのかな。

涼宮ハルヒの溜息/谷川 流 いとう のいぢ

▼2006年05月20日

萌えもえ!W杯観戦ガイド

 何でも「萌え」る現代。そのうち「萌える検定教科書」とか「萌える赤本」、あるいは「萌える経済白書」はたまた「萌える聖書」「萌える○ー○○」とか出そうな勢い。そんな中、今日本屋さんで表題のタイトルの本を見つけたので、思わず手にとってパラパラっとめくってみた。

 ええと…コレ、観戦ガイドにもなんにもなってない気がするんですけど…。一応見開きごとに一国、国別に紹介文が出ていて、左側にはイラストが描かれているんだけど、当然各国代表選手を萌え化したイラストなどというシュールで愉快ななものがある訳もなく、単に国別のユニフォームを着た萌え萌えな美少女達のイラストでした。…こんなん見て、いったい何に…と言ってしまったら終わりなんだろうな。そうそう、Wカップについて知りたかったら、きちんとした本買うもんな。
 ただ、もしかしたら1,000人に一人くらいは、真面目に「Wカップの観戦ガイド買おう」と思って、表紙に楽しげなイラストが描いてある本書を中を確認もせずに買ってしまい、家に帰ってから幻滅するであろうという人がいるかもしれない。そんなまだ見ぬ人にあらかじめ「ご愁傷様」と言っておきます。

萌えもえ!W杯観戦ガイド/牧 隆文 田中 滋

▼2006年05月18日

宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上

 今日は某「♪すっ、きっ、とっ、か きらいとか~」な会社に出かけたんだけど、なんせ本社からそこに行くと、片道1時間半位かかるんだよね。往復3時間かけて用事は15分という、昭和50年代の総合病院みたいな本日の仕事っぷりなんだけど、頭を切り換えて、電車に乗っている時間は貴重な睡眠時間に充てたり、読書タイムに充てたりと、実はそれなりに楽しかったりもする。

 つことで、今日は道中を読書タイムに充てようと思い、行きは持参した本を読み、帰りはなんか本でも買っていくかな、と思って本屋に寄ったら、平積みになっていた「涼宮ハルヒの憂鬱」という文庫を見つけて、これがちょっと前2chで主題歌CDの組織票騒ぎをやっていた本かぁ、と思って何となく購入してしまった。

 普段はこの手のライトノベルをほとんど読まない私だが、考えてみればライトノベルだけでなく、実は「小説」というジャンルをほとんど読まないだけだった。
 つことで、一歩離れた位置から日本の「文学」というのを考えると、考えてみれば中高生をメインターゲットにした“説教臭くない”小説ってのは、ライトノベル以外ではほとんど存在しなかったんだよね。そう考えると、最近のライノベ(こう略すらしい)業界の活況というのもある意味当然な気もする。以前の「子供は漫画しか読まない」というガキを嘗め切ったマーケティングに盲点があったということか。

 もっとも、私の人生で一番小難しい本を読んでいた時期って、高校生の頃位な気がするなぁ。あの頃は休み時間に教室でトルストイとか読んでたからね。今となってはさっぱり内容覚えてないけどさ(笑)。そう考えると、子供の頃にこんなマンガみたいな本を読みふけっていていいのか?という疑問も起きる。
 ガキの頃は、意味が分からなくてもいいから、とにかく無用に難解な本を読んでおいた方がいいぞ。大人になったら絶対にそんな本を読む時間なんてなくなるからな。ライノベ読む時間は、どんな歳になっても簡単に捻出できるけどさ。

 …と、そんなことはどうでもいいんだけど、本書の内容に関しては“旬”なアイテム目白押しの学園コメディという感じで、それなりに面白いと思う。何故思うなのかというと、丁度残り10P位を残したまま読書が中断しているためラストをまだ知らんのよ。残り一瞬で読み終わりそうなので、会社帰りに続刊でも買っていこうか(笑)

涼宮ハルヒの憂鬱/谷川 流 いとう のいぢ

▼2006年05月17日

Web Designing

 この手の仕事をしてる割に、この手の雑誌を殆ど買わない私ですが、思うところがあって昨日珍しく買ってみた「Web Designing」の6月号です。

 この本を読んで思うのは、近い将来、おそらく数年以内にWebサイトを巡るテクノロジーや表現方法は一変してしまいそうだなぁ…ということ。もはやWebデザインは、出版/文章系の人達が作るのではなく、映像系の人が作るものへと変化していくのかもしれません。

 サイトを制作する側としても、総フラッシュで作ったページというのは、引用やリンクなど、他者が二次利用しにくいので都合が良かったりするのですが、それはもう、初期のWWWネットワークの理想と相反するものなんですよね。Webは、なんかCSSの時代を飛び越えて、いきなりフラッシュなどのオーサリング系の世界に飛んでいってしまいそうで、そうなっちゃうと仕事としても面白く無さそうだな、なんてちょっと寂しい気持ちになりました。

▼2006年05月07日

買った本

 下にあるアマゾンへのリンクをクリックしてもらえば、どんな内容の本か的確に載っているので、特にこのエントリーで書くこともないんだけど(笑)、そうもいかないのでちょっとだけ語ってみます。

 まず「男なら雲上CAR~」の方は、毎年シリーズが出ていてどんどん内容が薄くなっていくんだけど、価格も安くなってるからヨシとしましょう。内容はトイレに入っている最中で読み終えてしまう程度のモノなんだけど、このシリーズの価値は、既存の自動車の価値観とは全く違う方向の価値観を、本気なんだか冗談なんだか分からないながらもきちんと示しているところにあると思う。年に一冊の無駄遣いと思えばそんなに腹の立つモノでもないし、実は内容が内容…じゃない、内容が無いようで、意外と為になる本だったりする。そうだよな、男ならまず年収1,000万を目標にして、それを達成したら、チマチマとゴルフなんて乗ってないで、ババーンと借金して高い車を買うべきだよな。

 次の本は、最近雨後の竹の子みたいに出版されている自転車にまつわるエッセイ集。ただ、本書の特色は随所に自転車の歴史みたいな文章と写真がちりばめられており、またサブタイトルにあるとおり、自転車としての価値観で自転車を語るのではなく、スタイルとしての自転車を主に語っているところに特色があるかな。ま、自転車マニア以外の人にとっては、この切り口も大した違いじゃないのかもしれないけどね。著者の理想主義的、排他主義的なところがやや鼻につくけど、概ね面白いと思う。本書を読んでいて、自転車だけじゃないけど、日本人というか、現代人は「いいモノ」を求めすぎだというのは、直接の記述はないにせよ、著者はそんなことも言いたいのかな?なんて思って、それは大いに賛同します。

▼2006年05月02日

私はロリコン?

 ええと、数日前からアマゾンのトップページ「おすすめ」に以下の本が表示されるようになってるんですけど…(笑)

 過去、アマゾンでエロゲーとかその関連グッズ、もしくは美少女コミックのたぐいを注文した事なんてないんですけど、これは私の同年代全ての方に広くお勧めするマンガ…という意味なの。だとすると、時代は一億総ロリの方向?
 まあ、小学生低学年のアイドルグループが登場する世の中だしね。一億総ロリ化というのは間違ってないかもしれない。

 一応アフリエイト貼っておきますので、興味のある方は注文してみて下さい。実際欲しくても、妙齢の男性が実店舗で買えるような本じゃねえしな(笑)。一応内容は真面目な本らしいけど、確かめる総べ無し。

▼2006年05月01日

よっち流仕事術

 ほりえもん保釈記念(笑)に、彼の著作である「100億稼ぐ超メール術」というのを買って読んでみた。買ったといっても、古本で100円なんだけどね。でも、この本の内容は立派にビジネスの1つの見識として役に立つと思う。安く手にはいるなら、皆さんも読んでみるといいよ。

 つことで、話は打って変わって、この本を読んでいたら、何となく自分の仕事術というのもちょっと偉そうに語ってみたくなって、ここに書き記しておくことにした。ただ、仕事術とはいえ、全て書いていったら収拾が付かなくなるので、ここではPC関係にまつわる話のみにしておく。

 まず第一のルール。仕事場では複数のPCを使うこと。そしてその一台は必ず自費で買って職場に持ち込むこと。これはもう、仕事を始めてからわりかし早めに始めた方法。つまりこの場合だと、必然的にノートPCを自腹で買うということになるね。買いましたよ、当時出たばかりのPowerBook540c。50万円でした(笑)。何故パワーブックかというと、私が会社で使っていたマシンがマックだったから。当時はデザインの仕事オンリーに近かったからね。細かい作業やバックアップが必要な書類、そして当時はインターネットではなく、ニフティーのメールを持ち歩くことに使っていた。んで、何故そのメールを持ち歩く必要があったかというと、仕事だけでなく、プライベートなメールも沢山あったから。要はこのマシンを使って、メールや仕事などの情報一元化を実現したかった訳。家で書いたメールが会社で参照できなかったり、またその逆、あるいは場所によって受信できたりできなかったりするメールがあると困るでしょ。つか、その頃はまだメールというモノを業務に殆ど使っていなかったけど、だからこそ、逆に一通のメールの重要性が今よりもずっと大事な案件だった時代だった。オンでもオフでもね。だもんで、余計な使用制限をさせられる可能性がある会社支給のマシンは使わないようにした。もっとも会社によっては個人PCの持ち込みを制限するところもあるから、無理な人もいるだろうけどね。
 
 第二のルールは、メールは必ず複数のマシンで読み込むこと。つまりメインで使っているマシンと同じ内容のメールを他のマシンでも受信しておくということ。これなら、片方のマシンが壊れてしまっても、最悪メールデータだけは残すことができる。具体的には、送られてきたメールを受信した際に即座にサーバーから削除せず、一週間から三日くらいはサーバーに残しておく。そうすればその間で複数のマシンに同じメールを受信させておくことができる。そして削除処理をさせるマシンはどれか一台に固定。私の場合は大体会社にあるデスクトップマシンからメールを削除させている。ただ、最近ではプライベートのメールは他のマシンで受信してないなぁ。だもんで、仕事以外のメールに関しては、ちょっと前にレッツノートのHDが飛んでしまったときに、ごっそりとなくなってしまった。ちょっと困ったけどプライベートメールなら仕方ないで済む。もっとも、家には余っているPCが何台もあるので、そろそろ環境整えておくかな。

 第三のルールは、当たり前だけど、可能な限りマシンは持ち歩くこと。今はエアエッジを使って何処でも受信できるからより一層マシンを持ち歩く必要性が増しているけど、そういった環境がない人でも、会社と自宅、あるいは支店、客先、ネットカフェなど、インターネットに接続できる環境がある場所は意外に多い。そんなのが全然ない時代でも、会社と自宅で同じ通信環境を持ち歩けるというのは、非常に重要な意味があったし、送受信は出来なくても移動中にメールの返事を書くこともできる。
 また最近では、仕事の案件というのが徐々にメールによる情報交換が中心になってきているので、何処でもメールそのものを参照できるというのは、使い方によってはとても便利。

 とまあ、偉そうに原則論を語ってみるとこんな感じかなぁ。

 ちなみに現在の私のWebディレクターとしての具体的な仕事術。まず殆どの仕事は自分で用意したレッツノートを使用。会社で支給されているPCは、メールのバックアップと仕事データの保管用に使っている。そして社内には外部から専用線で接続可能なサーバーが用意されているので、見積りなどのデータは全てそちらに移して、外からでもデータを参照できるようにしている。
 日々の業務でメールの役割は非常に重要。ただ、その中身は割と大雑把な分け方しかしていない。自分の管理している社員ごとのフォルダーを作って、更にその中を「アップロード報告」と「テストアップ報告」「その他」に分ける。つまり、校正が必要な確認事項は全てテストアップフォルダを参照し、最終的にOKが出た案件に関して、作業者からアップロード報告という形で私にメールが届く仕組み。各種目ごとのメールは、決められた単語をメールのタイトルに入れるというルールを作って分別している。そして「その他」については、それ以外の案件となる。
 その為、優先事項としては、まずアップロード報告が最重要種目。ここは原則として外部に公開されるデータの報告となるので、とりあえずここのフォルダを確認。そして次はテストアップについて確認、最後はその他の案件を確認するという流れを作っている。ちなみにアップロード報告については、後で請求書などを起こす際にも利用できる、私の場合は請求書を起こした案件ごとにフラッグを立ててチェックリストにしている。
 お客様からのメールについては、基本的に全て同じフォルダに入れっぱなし。というのも、外部からのメールはやはり社内メールの確認よりも優先度が高いと考えるし、また送り先ごとに優先度が違うという扱いはしない方針だから。分けていけばどんどん分類することは可能だと思うが、現状多い日で数百件程度のメール数なので、これ以上複雑に分類する必要性は考えていない。

 受信メールに関しては前記の通り、全て別のマシンでも同じメールを受信してあるので、最悪HDが飛んでしまっても何とかなるし、見積もりなどの重要データも自分のマシンに保管していないので、持ち歩いているマシンが壊れても一緒に消えてしまう心配はない。それでも念のため、週一回自宅で外付けHDにノートンゴーストを使ってバックアップをかけている。自分のレッツノートには、仕事以外のデータも沢山入っているしね。さすがにプライベートデータを会社のリソース使ってバックアップ取るわけにはいかないから(笑)

 自分でいうのもなんなんだけど、私の仕事術最大のポイントは、プライベートと仕事の環境を分けていないという点にあるんじゃないかと思う。だからこそ、会社でプライベートなメールを他の社員に閲覧される心配無しにざくざく送れるし(もっとも、送受信されるメール全てをチェックしている会社もあるから、その場合はどのPCを使おうと、どのアカウントを使おうと関係ないけどね)、逆に休日に家で、あるいは遊び先で(笑)、仕事上の緊急事態が発生しても、大体その場で対応することができる。現に休日に茨城の山の中で緊急の案件を処理して、Webサーバーにアップロード…なんて事もあったしね。こういったやり方は「プライベートと仕事の境目がなくなる…」なんていう意見もあるけど、私は逆に仕事中の時間を等しく(それ以上に?)プライベートで利用しているので仕方ない。つか、勤務時間を真面目に勤務だけにしか使えない固い頭を持った人は、この商売向いてないと思うよ。これは会社には内緒だけどね。

 話が長くなった上に繰り返しになるけど、私がやってることというのは、まとめると「仕事とプライベート全ての情報を1つにまとめる」という事でしかないんだよね。そしてその情報は事故に備えて定期的に他の媒体にも残すこと。これを徹底してやるだけで、オンオフ問わず、私自身の最適化がかなり計られていると思うし、逆に言えば何処に行ったって、持ち歩いているPCさえあれば、大抵のことはなんだってできる。仕事が出来ないバカ社員の私ですけど、一応これくらいのことは考えて仕事はしてますよ。
 ただ、最近では、情報の一元化に反することと理解しつつも、再び紙のメモにも注目し始めている。以前は何かあると根性で全てPCでメモして自分宛へメール送信…なんてやってたけど、やはり紙のメモも併用すると、普段メモする案件そのものを大分見落としていたんだなと思い知らされます。ただ、全てじゃないにせよ。メモした案件は箇条書きにして、会社、あるいは自宅に帰ってから自分宛メールに案件を整理して送信、なんてことはしている。

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▼2006年04月27日

アンアン

 今、私の横に仕事で使う参考資料で「アンアン」が置いてあるんだけど、中身をザッと見てみると、随分いい加減なこと書いてあるもんだな、と思うのは、女の人がポパイやホットドックプレス(古い!)を見た時の感想と同じ気持ちなんだろうか。

 フェロモンで男を魅了…とか、大体フェロモンなんてどうやって分泌すんのよ。香水みたい匂うもんなの?つか、フェロモンって状況に応じて減らしたり増やしたりできるもんなのか(笑)。そんな方法で異性をイチコロにできるのなら、俺も知りたいぜ!

 フェロモンと言えば、香水の起源は、男女とも本来持つ体臭を隠すことにより、お互い淫らな気分になってしまうのをを押さえるのが目的だったそうで、元は禁欲的でフェロモンの分泌を隠すための薬品だったとも言われています。
 そういう意味では、本来のフェロモンを発散させたいのなら、香水のたぐいは一切止めて、風呂にも入らないで人間本来の体臭を発散させるのが一番セクシーで異性を魅了できる行為なのかもしれないけど、現代の文明社会では無理でしょうね。

▼2006年04月26日

つくばスタイル

 つくば方面は、よくドライブなどで行く事が多いので、一応全巻揃えようとは思っているんだけど、まだ一冊も買っていない。つことで、メモエントリー。それと、後日ここから自分で注文してみようかと(笑)

 アマゾンのアフリエイトって、自分注文は反則だったんだっけ?

▼2006年04月23日

「うつ」かもしれない 死に至る病とどう闘うか/磯部潮

1・1日中気がしずむ
2・これまで好きだったことが楽しいと感じられない
3・急に体重や食欲が落ちる
4・眠れない、あるいは眠りすぎる
5・そわそわと落ち着かなくなったり、反対に動作が鈍くなる
6・毎日からだがだるく、何もする気がしない
7・自分をダメ人間だと考える
8・何も決められなくなり集中して考えられない
9・死にたいと思う

 いきなり転載ですが、これはアメリカ精神医学界の診断基準を、この本の著者が簡略化したものだそうです。以上9項目のうち、5項目以上が該当して、それが二週間以上続いていると「うつ」と判断されるそうです。え?私ですか。9項目中8項目に該当してますよ。うち該当していないものは、全く逆の症状が出ているので、それはそれで「うつ」の症状なんじゃないの?なんて思ってます。

 「うつ」は、死に至る病だそうです。恐ろしいですね。でも、仕方ないですね。もう、そういう精神状態になってしまってるわけですから。当人にとっては「死なないこと」の方が恐ろしいわけで、そういう人達に自殺の無意味さを唱えたって、全く意味がないどころか「ああ、私のせいでこんなに他人を煩わせているんだから、早く死なないと…」なんて思ってしまうだけです。

 この本を読むと、色々な方の症例が紹介されています。そして「なるほどなぁ~」と思います。私が仕事をしたくなくなっている訳、何についても情熱を得られなくなり、私が昔楽しかったことも全然面白いと思わなくなったりしている訳、私が友人やその他に迷惑をかけまくってウザがられているわけ訳、なるほどね、これが「うつ」なんだね、と、改めて思いました。

 でも仕方ないですね。実際には、もう自分に価値があると思っていない訳ですから、本質的にはこれらの状態を改善しようとは思えません。医者に行って薬をもらってくるのは、さすがに夜は寝ないと体が持たないから…というだけです。別に朝起きなくてもいい生活になれば、一日中ゴロゴロして引きこもってるだけじゃないのかなぁ。そして、それにも飽きた頃にようやく「自殺」に取りかかる…といった段取りでしょうか。

 上記の文章は、別に敢えて脚色を入れたりして書いている訳ではありません。現時点での私の素直な精神状態です。3~4年位前、オーディオに夢中になっていた頃は楽しかったな。そしてもう8年前にもなりますが、MGFを買った頃も楽しかったです。思えば初めの車検位までなのかな、走ることがひたすら楽しくて、無我夢中でいられたのは…。最近でも楽しくないという訳ではないですが、自らどこか遠くにドライブでもしようと思うことはなくなりましたね。そうそう、オーディオについても、半分どうでもいいや…ということになったのは、3~4年まえ位からかな。それまでは、家に帰って音楽を聴くことがもう楽しくて楽しくて仕方なかった。

 要は、こういった日常の喜怒哀楽が消滅して、哀の方向のみに精神状態のベクトルが進んでしまっている状態が「うつ」だそうなのです。そして、まさに私の現在がこの状態な訳です。そして、これは「死に至る病」でもある訳ですね。

 今では、「うつ」に関する情報は、ネットを検索すれば色々なことが出てきます。でもそういったことだけで分かった気持ちにならず、こういった本を読んだり、一番重要なのは「先生」のお話をよく聞くということなんでしょうね。ひとくくりに「うつ」と言っても、さまざまな症例があるみたいだし、そもそも上記の症状があっても「うつ」とは限りません。現に私もまだ「うつ」とは診断されていません。まだ時間がなくて行けないのですが、私の場合は「てんかん」の一種である可能性もあるので、一度脳波測定をするように、と言われています。

 とまあ、何を書いているのか自分でも分からなくなってきましたが、自分が「うつかもしれない」あるいは「上記の症状に当てはまるかも」と思う人は、この本を読んでみて、そして心療内科なり精神科なりに行く判断をしてみては如何でしょうか?

 ちなみに、以前よりは世間的に理解が得られているとはいえ「うつ」は、まだまだ社会的に全く理解を得られていない病気です。私なんて「うつなので休職したい」なんて言ったら、速クビになりますよ。となると金銭的にもこの社会で生存していけなくなる訳です。改めて恐ろしい病気なんだなぁ、と思いますが、無責任な言い方をすれば、死んでしまえばそれでいい訳ですし、そうなったらそうなったで、それは幸せなのかもしれません。
 あ…これは皮肉でもイヤミでもなくて、素でホントにそう思ってますからね、現在の私は。…まだ死んだりするつもりはありませんけど。

▼2006年04月21日

鉄子の旅

 の5巻に、タイトーの「電車でGo」の宣伝チラシが挟まっていたのが、ちょっとワロタ。

鉄子の旅 5 (5)/菊池 直恵 横見 浩彦

▼2006年04月17日

全国ほろ酔い完乗記

 いや、本屋さんで立ち読みしたら面白そうだったので、そのうち買ってみようかな…と思っただけのメモエントリーです。ついでにアフリエイト貼って、自分で注文してみようかと(笑)。

▼2006年04月16日

ARMS

060416-01.jpg 「ARMS」というマンガの全巻セットを友人からもらい、ここのところ風呂の中とかトイレの中とかで読んでました。細切れの読み方ではありましたが、完読するのに大体一週間位かかったかな。

 ストーリーは極めて単純。相原コージの言うところの「敵役のインフレーション」そのままのストーリーが延々と22巻分続きます。

1、新たな未知の力を持った敵が「以前のヤツは単なる試作品に過ぎん」といいながら出現。
2、敵の未知の力に苦しむ主人公達。その苦しみの中から、新たな力の発動が…。
3、主人公達の新たな力の発動があり、その力に助けられ、かろうじて敵役を倒す。

2-1、新たな未知の力を持った敵が「以前のヤツは単なる試作品に過ぎん」といいながら出現。
2-2、敵の未知の力に苦しむ主人公達。その苦しみの中から、新たな力の発動が…。
2-3、主人公達の新たな力の発動があり、その力に助けられ、かろうじて敵役を倒す。

3-1、新たな未知の力を持った敵が「以前のヤツは単なる試作品に過ぎん」といいながら出現。
3-2、敵の未知の力に苦しむ主人公達。その苦しみの中から、新たな力の発動が…。
3-3、主人公達の新たな力の発動があり、その力に助けられ、かろうじて敵役を倒す。

 ええと…ずっとこの繰り返しですよ(笑)。まあ、少年漫画の大道って感じでいいんじゃないですかね。一気に読んでいたからかもしれませんが、意外と飽きずに最後まで読めました。でも、1巻ずつ買っていたら、きっと4~5巻で挫折してると思います。

 とりあえず、与えられなければ絶対に読まないであろうマンガを読む機会を与えてくれた友人には感謝…かな。

Arms (22)/皆川 亮二 七月 鏡一

▼2006年04月15日

ブックオフは

 やっぱ、出店直後がいいね。つことで、東京都足立区の加平店が今日オープンだったんだけど、行ってきていろいろ回収してきました。出来れば朝一に行ければ良かったんだけど。

▼2006年04月10日

ダンディトーク

060409-03.jpg 徳大寺有恒の「ダンディトーク」を、近所のブックオフで各巻100円でゲットしてきた。合計税込210円で買ってきて語るのもなんだが、彼の文章って私は結構好きなんだよね。特に、若い男が見るメディア上で、男の「ダンディズム」とか、恥ずかしげもなく語ってくれるご老輩の方って、この人くらいしかいないんじゃないのかなぁ。北方謙三もダンディだけど、いちいち「ソープに行け」とかいわれても困っちゃうしな(笑)

 それはそうと、最近彼が執筆した「間違いだらけのクルマ選び」を古本屋で見つけては買いあさっている日々です。90年代までのモノはおおよそ揃ったんだけど、さすがにその前になると、古本屋さんでもなかなか見あたらないね。どなたか、もし安値で70~80年代の「間違いだらけ」を見つけたら、教えてくださいね。

ダンディー・トーク/徳大寺 有恒

▼2006年04月07日

島へ。

 今日本屋さんで、海風舎という出版社が発行している「島へ。」という雑誌を見た。特集は屋久島だった。

 昔、屋根まで荷物でいっぱいにしたミニで、友人二人と私を含め3人で、九州の最南端まで行ったことがある。そして、最南端の佐多岬から屋久島を見て「フェリーに乗ってあそこまで行けるかな?」という話になり、鹿児島港に行ってみると、屋久島行きのフェリーは2日に1便で、私達が港に着いた日は丁度出港が終わった日だった。
 その日は鹿児島市内に一泊して、次の日に屋久島を目指すかどうか話し合ったのだが、結局屋久島へは行かず、そのまま東京に引き返すことになった。

 今でも「屋久島」という名前を聞くと、あの頃のことを思い出して、やっぱり島に行っておけば良かったと思う。それはきっと、飛行機でサクッと島に行って帰ってくるのと、全然違う体験になったはずだと思うからだ。

 その時一緒に南を目指した友人達はもういない。だから同時に「屋久島」という名前は、少しの切なくもなる島の名前だ。私は多分、もう一生その島へは行かないつもりでいる。

▼2006年04月05日

とんがり帽子のメモル・アートワークス

 思わず買ってしまいました。この作品も最近はDVDボックスになったりして、それに関する販促ツールやジャケットイラストなど、私が見たことがない名倉氏の作品も沢山掲載されているらしいので。

 しかし、子供の頃にこの作品を見たときはショックを受けたなぁ。それまで見ていたアニメは、ガンダムとかイデオンとか、いわゆる冨野作品を初めとするシリアスロボット路線しか興味がなかったんだけど、こんな正攻法なやり方でこんなに面白いアニメーションもあったのかと、思い知らされました。そういえば当時、私の同級生の一人は、あの透明感のある背景画みたいな絵が描きたいと言って、高級水彩絵の具とソフトパステルのセット買って、一生懸命絵を描いていた。

 完全に女の子向けのアニメなんだけど、何故かクラスの男子がみんな見ていて、よくこの作品の話で盛り上がったものだ。

 つことで、これらの世界にノスタルジーを感じる方は、是非(笑)

とんがり帽子のメモル アートワークス/エンタテインメント書籍編集部

シトロエンの本

 シトロエンの本を買ってみた。実際本屋さんで立ち読みして、その後アマゾンの500円引きセール(先月で終わってます)を利用して注文したので、手元に届いたのは昨日。まだ内容はじっくり読んでいないんだけど、本屋さんで立ち読みした限りでは、もうワクワクする写真や文章がいっぱいで、じっくり読むのがとても楽しみだ。

 しかし、何故シトロエンのクルマとは、我々クルマ好きをこうまで魅了するのだろうか。別にシトロエンオーナーじゃなくても、シトロエンのクルマは常に気になるしね。

シトロエン―革新への挑戦/ジョン レイノルズ John Reynolds 相原 俊樹
ORIGINAL CITRO¨EN DS―ハイドロニューマチックの誕生/ジョン レイノルズ ジャン デ・ラーグ John Reynolds

▼2006年03月20日

宮本常一/日本人を考える

 宮本常一については、全集を買っているので、基本的に単行本は買わないようにしているんだけど、この本は対談集ということで、つい買ってしまった。内容は、今の風俗にそぐわない部分も多々あるが、実に面白い。

 私が彼を評価するのは、「ものをいう民俗学者」という点だ。離島振興法など、彼によって助けられた日本の地方は少なくない。何故最近の学者達は政治の世界から離れようとするのか、宮本常一を読んで彼のそういった行動力を尊敬すると共に、最近の知識人のふがいなさを同時に批判したくなる。

日本人を考える/宮本 常一

▼2005年10月19日

ソ連/ロシア原潜建造史

 海人社から発売されている、世界の艦船シリーズ、ソ連/ロシア原潜建造史という本を買ってみた。
 読んでみると、いままでどことなくおぼろげな情報で語られることの多かったロシアの潜水艦について、かなり具体的な記述で書かれていることがとても興味深かった。特筆すべきは、各潜水艦について安全潜行深度と、最大潜行深度がきちんと数字で書かれていることで、この数値が正確かどうかは検証のしようがないが、数字できちんと表記することは、一定のある確信を持ったソースから情報の提供を受けているはずで、ちょっとびっくりしてしまった。
 ちなみに、各国とも潜水艦の潜航深度は秘中の秘で、アメリカは勿論、日本の自衛隊に関しても、現役艦退役艦含めて、これらのスペックは公開されていない。

 あと、私にとってびっくりしたのが、タイフーン級のスクリュー部分が写真で掲載されているところ。2軸推進というところまでは広く知られていたのだが、ポンプジェット形式で、そのスクリューカバーが船体からなめらかに立ち上がっている所など、この写真が発表されたときは結構衝撃的だったんだろうな、と思った。あと、単純にタイフーン級のでかさにも改めて驚いたけどね。

 とまあ、世の潜水艦マニアにとって、本書は必読です。

▼2005年09月30日

人間ものがたり

05-09-30-02.jpg 久しぶりに仕事とは関係のない本を買った気がする。今日はアキバヨドの7階にある本屋で、「人間ものがたり/ジェイムズ・C・デイヴィス」という本を買った。
 サブタイトルに「石器時代から現代までのわたしたちの歴史」とあるように、人類の歴史全体をを概略で語っている本。特に気に入ったのが、冒頭「読者のみなさんへ」にある言葉、『わたしたち人類は、なんのかんのと言っても結局は長い時間をかけてつねによういほうへと進歩してきたのだということになるでしょう』という文章。作者の歴史観を表していているのか、すがすがしくて実に気持ちよい。まだ読み終わっていないが、こういった前向きな思想で書いてある本は、絶対に面白いはず。

 歴史はまず批判から…という風にしか語れない、大多数の日本の識者によってかかれた本は、読んでいてもまるで客観性を欠く上、読後は歴史書読んだのか思想書読んだのかよく分からないものが多い。申し訳ないが、フィクションに関していえば、日本人より外人の書いた本の方が信頼できることが多いと、私は思っている。

人間ものがたり―石器時代から現代までのわたしたちの歴史/ジェイムズ・C. デイヴィス James C. Davis 布施 由紀子

▼2005年09月14日

MT本

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 ソースを見ながらちまちまと仕上がりを確認しながらいじっているのは非効率的なので、毎度お馴染みの標準教科書を買ってきました。早速、これから色々いじってみることにします。