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▼2022年03月06日

ワルプルギスの夜/グスタフ・マイリンク

https://live.staticflickr.com/65535/51921279554_69040ee0ea_m.jpg おそらく去年の11月位に買っている。ようやく読了。

 購入の動機は「そういえば、国書のワルプルギスの夜、買っとこうかなぁ〜」なんて気楽なものあったが、2021年11月当時、調べてみると、ゾンアマではプレミア、他のオンライン書店の在庫を調べると、唯一ジュンク堂の渋谷店で在庫が残っている状態。さっそく取り置きしてもらって購入。ひょっとして日本最後の店頭在庫を確保したかもしれない。

 国書刊行会がリリースするこれら幻想文学集は、この手の嗜好を持つ人たちからは国書税…などと呼ばれているようで、そもそも文学についてはさしたる知識も興味もない自分が購入してしまってよかったのか?は別にして、このマイリンクは知っていたし、ワルプルギスの夜については新刊の当時から知っていた。
 というか、マイリンクはそのうち読んでみようかと思っていた当時「ワルプルギスの夜」という、ある種ヲタにとってはキャッチーなタイトルの本が出たので、そのうち買ってみよう…と、頭の片隅にずっと残っていたのであった。
 まぁ、在庫なくなる前に気が付いて確保できて良かった。

 内容については…まあ、色々な所で語っている人もいるし、解釈についても色々みたいだから、ゾンアマのレビューや、Googleで感想を検索して読んでみて下さい。何となく雰囲気わかると思う。

 個人的に惹かれたのは、白いドミニコ僧という長編で、「尸解(しかい)」と「剣解(けんかい)」という言葉。巻末の解説には当時のマイリンクが、“アウグスト・フィツマイヤーという同年代の東洋学者の論文「尸解と剣解」からこの概念を教わったといわれる”とあるが、こんな言葉は当然知らなかった。
 この通り、これらの小説にはマイリンク自身が傾倒していたといわれる東洋的概念がふんだんに登場し、それが中世ヨーロッパ的なオカルト思想と相まって、独特の世界観を醸し出している。

 翻訳者は巻末の解説で「どうしてマイリンクはこれほど変てこりんな小説をかくのだろう」とも書いているが、私としてはこのような小説が当時のプラハ(第一次世界大戦の前)で、受け入れられ読まれていたという方が驚きだ。
 本書に収録されている小説はさほど売れた訳でもなさそうだが、もうひとつのマイリンク代表作である「ゴーレム」は、当時としては爆発的に売れたとある。次はこっちを読んでみよう。

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ワルプルギスの夜:マイリンク幻想小説集/グスタフ・マイリンク
ゴーレム/グスタフ・マイリンク

▼2020年05月31日

BL(武士らいふ)創刊号を入手しました

https://live.staticflickr.com/65535/49954871457_d9e8442865_m.jpg ここ数年、東国武士がブームだったりします。

 …いや、ホントかどうかはわかりませんけど、吉川弘文館では“動乱の東国史”なんてシリーズが出版されたり、のぼうの城のヒットや昨今の山城ブーム…中島卓偉のお城に行こう!って面白いですね…とか、それらの現象が重なり合って、いままで自治体が発行する地方史くらいでしか読めなかった東国武士の歴史も、大分メジャーになってきました。

 そんな中、去年の夏頃だったかな?密かに出版された同人誌「BL」…というと、アレな本みたいでなんですが、武士らいふという同人誌。
 昨今は同人誌といってもジャンルが多様で、このような読み物系同人誌も増えているのですが、本誌が珍しいのは付録にシミュレーションゲームがついていること。
 きちんと打抜き加工されたカウンタとか、これ印刷代高そうとか業界人っぽい余計な心配をしてしまうのですが、ゲームはその名も「羽根倉合戦」といいまして、1351年の南北朝時代に、今の埼玉県荒川にかかる今の羽根倉橋付近で行われた闘いだそうです…って、知らねーよなそんなの(笑)。自分もこの本の案内があるまで、県民のくせに全く知りませんでした。

 この時代の東国…関東平野といえば、見渡す限りの葦の原。はっきりいって人なんて住んでるの?みたいな世界でした。
 以前のぼうの城でお馴染みの埼玉古墳群までブロンプトンで出かけたことがあるのですが、その帰り道で田舎道をのんびり走っていると、途中葦に覆われた一帯が出てきまして、なるほど…江戸時代より前、中世以前の関東平野ってこんな風景だったんだろうな…などと考えながら走っていたことがあります。
 実際、江戸時代の前の関東の村といえば、埼玉県では川越以西と大宮付近、北は群馬県の足利辺りまで大きな都市はなく、東に至っては見渡す限りの葦原で、その中に下総台地がまるで半島のように突き出ていました。
 利根川も荒川も今みたいに堤防があってきちんとした川筋があった訳ではなく、適当にその辺を流れていたという感じ。なので大雨が降れば下流は湿地帯と化しますし、家を作ろうにも雨期にはすぐ水に囲まれてしまいます。個人的にこのような東国の水運・交通史には興味があり、このブログでもいくつかエントリ書いていますが、つまり関東平野は今と全く違った風景だったということ。
 資料が残っているのかわかりませんが、おそらく当時の西日本の都の人達と、関東の東国に住んでいる人では、人種的にも少し違いがあったかもしれません。鎌倉時代の武士とか背が高かったなんて話もありますし、また鎌倉時代の武士道とは、今私たち日本人がイメージする武士道とは全く異なり、目的のためには手段を選ばずな考え方です。卑怯とか何だとか気にせずまずは勝たねばご主人様に奉公も叶わず、といった極めて実践的な思想だったりしました。

 それはともかくこのBL…武士ライフ、同人誌として、東国武士好き…それもおそらくかなりのマニアじゃないと知らないような戦闘を題材にしたシュミゲを付録(正直ゲームと本どっちが付録かわからんが)にして発行されるという噂はシミュ友から聞いていて知ってはいたのですが、なかなかフロンティアな分野に挑むなぁ…なんて思っていたら、通販開始して割と瞬殺だった模様。ひょっとして富士見市とか朝霞市付近のシミュゲファンが全て買い漁ったのではないか?というくらい綺麗に消えましたね。オクとかでも見たことないです。

 そんな発行元でも本当に在庫がないという同人誌、ふとツイッタラーを見ていたら、この武士ライフ発行人が「ここどこ」などというクイズを出題しておりまして、結構日数経ってたようなのでアタリ出ているかな?と思いつつ解答したらなんと私が初当てだったらしく、プレゼントで頂いてしまいました!ありがとうございます。

 まだきちんと内容も読んでいませんし、付属のゲームもプレイしていないのですが、観応の擾乱についてはまずきちんと本を読まんとダメだな。なんて考えています。なにせ記事を読んでも登場人物誰も知らんw状態なので。

 第2号は結城合戦が題材だそうで、これも知らん!wといった内容なのですが、結城市内は何度も出かけていますので、正直羽根倉合戦よりは興味あるかも。

 今まで、シュミゲは好きで本ブログでも何度か取り上げているのですが、別な興味から調べていた東国史とこのような形でリンクするとは、久しぶりにインターネット経由で知の連鎖を実感できた気がしますね。ありがとうございました。

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 この写真は今年の冬に友達と出かけた、羽根倉合戦時に難波田勢の居城だった城跡を整備した難波田城公園。今では城跡公園というより、埼玉県の古民家・古民具を紹介した公園といった趣。昔ながらのオモチャで遊べる広場もあって、そこで数十年ぶりにホッピングとか楽しんできました(笑)

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▼2019年06月29日

1本5000円のレンコンが馬鹿売れする理由/野口憲一

https://live.staticflickr.com/65535/48147918226_768cc1271c_m.jpg 皆さんレンコンとはどのような環境で育っているかご存じでしょうか?つか、泥水の中で育つという漠然としたイメージの他は、意外と知らないんじゃないかなと思います。

 まぁ…自分もそんなに詳しいわけじゃないのですが、茨城県の土浦市レンコン畑付近は、別荘への行き帰りにクルマでも自転車でも良く通る場所で、友達と一緒にいるときは「きっとこの辺りにはレンコン栽培で財をなしたレンコン御殿があるよ」なんて冗談で話したりしているものです。

 秋のシーズンになると、たまにレンコン畑で収穫している人を見かけたりするのですが、その姿は見ているこっちが不安になるくらい深い泥の中を農家の人が歩いています。ただ、私にとってはある意味他人事なので「大変そーだなー」なんて思いながら通り過ぎるだけなのですが。

 で、この本。
 表題にある1本5000円が、自分でレンコンを買う経験がほぼない自分にはどれだけすごいのかよく判らないのですが、とにかくすごい付加価値を付けた製品だというのは理解できます。確かに今の日本の農業は合理化が求められるとはいえ「生産するほど儲からなくなるシステム」というのは理解できます。もっとも個人的には全ての農産物が「生産するほど儲からなくなる」ばかりではないとは思っていますが、確かに米などはその通りだと思います。良くも悪くも日本の農業はJAに首根っこ抑えられてますからね。

 内容には触れませんが、面白かったです。割と一気に読めましたが、本書の例はあくまでも成功体験です。日本の農業がこの事例を参考にすれば復活するという話ではないと思いますが、少なくとも農業に対する考え方は、この著者のようにもう少しラジカルであるべきかなと思いました。

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 ちょうど、去年この辺りを走った写真が残っていました。この本に登場する野口農園は、この写真のもう少し右側の方にあります。
 しかし…レンコン畑は元々米を栽培していた場所だということは知りませんでした。私はもともとこの辺は底が深い沼地で、田んぼには向かない土地なので、稲作ではなくレンコンを栽培することにしたのかなと思っていましたが、間違いのようです。昔はお米を作るよりレンコンを栽培した方が儲かったとのこと。

 ちなみに、この地区、霞ヶ浦に着き出した半島の東側では同じ低地でも稲作が主流みたいで、高浜側では何故レンコン栽培があまり盛んでないのか、何か理由があるのかな?
 その辺り一帯の米農家については、今井正監督の米という映画の舞台になっているので、興味がある方は是非ご覧下さい。

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▼2019年04月05日

SPI/HJ War in Europe

PB100815 そういえばこのゲームを紹介していなかった気がします。

 こちらは往年のシミュレーションゲーマーにはお馴染み、SPI「第二次欧州大戦」というシミュレーションゲーム。
 日本では(海外でもだけど)伝説とされているビッグゲームで、第二次欧州大戦の全てを師団規模でシミュレートしようという無謀な試みの元デザインされたゲームです。
 もっとも当初は「War in East」と「War in West」という東部戦線と西部戦線を扱う2つのゲームだったらしいのですが、それを合体して(おそらくついでにアフリカ戦線も統合して)出版されたゲーム。なので、本来は東部戦線と西部戦線で微妙にルールが異なっています。それを統合ルールでやや強引に1つのゲームにまとめてある…らしい、というのも、自分はこのゲームをまだプレイした事がないので詳細は分かりません。

 これだけ大規模なゲームながらも、ルールはさほど複雑ではなく、手元にあるタクテクスNo.5を参照すると、ゲームとしての難易度は4〜10(最高が10)とされています。実際の所は難易度4に近いというのが真相のようで、ゲームとしては割と単純(大味)ではありますが、これだけの規模のマップとユニット数なので、全てのユニットを統べるには当然難易度は上がります。キャンペーンゲームを行う場合は、単純に連合国と枢軸軍というプレイヤーだけでなく、3〜5人程度のでのプレイが推奨されているくらい。

 写真だとわかりにくいですが、マップはSPIサイズのフルマップが9枚。これは家具を置かない6畳間のスペースでようやく広げられるくらいの面積で、更にチャート類を展開するスペースや、当然プレイヤーのスペースもあるので、キャンペーンゲームを行うには、なんだかんだで12畳程度の部屋がないと快適にプレイできません。

 コマの総数は3,600枚程。
 当然キャンペーンゲームとなると、ちょっとプレイ時間が想定できないほどの時間がかかる訳ですが、それでもこのゲームが名作とされていて、更に実際プレイしたという記録が比較的多いのは、19ものシナリオが含まれていることと、ショートシナリオをプレイする限りは、割とプレイアブルで、休日の半日を費やせばプレイできてしまうという部分にあるのかと。
 それに比べると、本ゲームの太平洋版ともいえる「War in The Pacific」については、プレイしたという記録を殆ど見たことがないので、やはりプレイされるゲームとは、常識的な時間と手間で、更に魅力的なシナリオが含まれているかというのが重要なんでしょう(ちなみに季刊タクテクスのNo.5には、このWar in EuropeとWar in The Pacificを連結するという無謀も過ぎる追加ルールが掲載されていますw)
 本ゲームも、さすがにキャンペーンゲームは無理でも、シナリオを順次こなしていけば、第二次欧州大戦のアウトラインがきっと理解できるのではないかと思いました。

 

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↑マップを広げていたらうちのニコが偵察に来ましたw

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▼2019年01月07日

SPI/HJ War in The Pacific

https://farm8.staticflickr.com/7815/45816484584_d048ce329f_m.jpg 年末のエントリに引き続き「顔がシミュレっちゃった〜」話題ですが、こちらはSPIが発売していた「WAR IN THE PACIFIC」というゲーム。

 当時発売されていた「WAR IN EUROPE(邦題:第二次欧州大戦)」の続編ともいうべきビッグゲームで、第二次欧州大戦同様、太平洋戦争の全てを再現しようとしたゲームです。デザイナは同じくJ・F・ダニガン氏。

 ちなみに数年前に米国のDecision Gamesというメーカーが、本ゲームに改良を加えたSecondEditionを$350で発売しています。また日本のサンセットゲームズというメーカーがこのSPI版の再販を目指しているそうですが、本当に発売されるのかな?

 このWAR IN THE PACIFIC、同社の第二次欧州大戦程でもないのですが、マップは22×34インチのSPIフルサイズ7枚の広さとなっており、更にマップ以外にもさまざまなチャートを展開する場所が必要になるため…なんというか、一般的な日本家屋ではプレイする場所に困るといったゲーム。
 この7枚のマップは、全地球面積の30%を含むそうで、メルカトル図法を基準としているため、ヘクススケールも赤道付近と上下では微妙に異なっています。こんな広大な空間を、実質日本とアメリカの2カ国が戦場にしていた訳ですから、太平洋戦争のスケールってでかいなと改めて認識しますね。あ…国産のこの手のゲームと違い、マップにアメリカ本土は含まれていません。なぜなら、日本軍がアメリカ本土に進出するSFな状況は当然想定されていませんし、現実として当時の日本の空母にバルキリーでも搭載していない限り、米国本土への上陸なんて不可能でしょう。

 それはさておき、このゲームのキモは、しつこいくらいに面倒くさい補給ルールにあります。全ての部隊は行動するために補給物資を消費し、その補給物資は基本的に本国から輸送しなければなりません。また、大規模な拠点には輸送艦を使い物資を輸送できるのですが、最前線にいる部隊までは駆逐艦などの軍艦に荷物を載せ替え、まさに鼠輸送を行う事となります。
 その輸送艦の補給路は、海上に補給ルートを設定し、決められた距離内に配置したマーカーをつなげていく必要があります。という感じで、本ゲームでは補給活動がとても重要視されたルールとなっており、プレイする度に補給路の設定とその重要性が学べるという話です。ちなみに私はまだプレイしていないので、その辺の感覚はルールブックを読んだところで想像するしかないのですが。

 マップの範囲としては思いっきり戦略級ですが、登場する軍艦は駆逐艦を除き単一ユニット。駆逐艦は「駆逐隊」というおよそ4隻1ユニットの単位となっていますので、元気よく「なのです!」とか「クソ提督!」とか言いながら駆逐隊ユニットを動かすのもアリかもしれません。

https://farm5.staticflickr.com/4846/31531924127_559ef7bfe8.jpg

 写真はマップを広げた図。この果てしない海上ヘクスの量を見ると、太平洋で戦争やるって大変だったんだな〜と思います。例えば日本軍がガダルカナル攻略戦を行うためには、日本本土からラバウルまで商船の航行ルートを確保して、その後前線のガダルカナル島まで駆逐艦などを用いて補給物質をせっせと届けなければなりません。
 本ゲームはこの辺の補給ルールが精密化されていて、例えラバウルまで届けた補給物資は、現地で駆逐艦などのユニットに載せ替えるために時間を消費しますので、好き勝手にユニットを動かして攻撃ができる訳ではありません。そのため、補給物資の輸送タイミングから逆算した攻撃計画が必要になります。また、キャンペーンゲームでは、登場する艦船はおよそ1年サイクルでドック入りさせて整備を行わなければならず、定期的に使用ユニットは本国(連合軍の場合はハワイなどの拠点)に帰還させるタイミングも考えなければなりません、そのうえ前線までの商船の輸送ラインは敵の攻撃には脆弱なため、それらを防衛する必要があります。

 ゲームの進行上そういう「艦船の性能」に頼り切った作戦を行うことが難しく、となると結局の南国の補給ポイントや南国までの補給路を日本軍の限られた資源では全て維持することが不可能で、まぁ…戦争の行く末はなるようにしかならない訳です。

 キャンペーンでのゲームの勝敗は、日本軍が連合軍(アメリカ軍)に対して戦果を上げれば上げるほど、ゲームの終了ターン数が短くなり、最終的にゲーム終了までに日本軍の生産力がゼロにならなければ日本の勝利、これは日米間での和平交渉が始まったという状況なのでしょう。逆に連合軍は日本の生産力をゲーム終了までにゼロへ追い込めば勝ちとなります。日本軍が破竹の進撃を行い、アメリカ本土を制圧するなんて条件はありません…というか無理です。その辺は繰り返しますが「なるようにしかならない」状況でどれだけ日本は連合国に抵抗できるか?というゲームです。

 本ゲームがアメリカで出版されたのは、確か1970年代中盤だったと思いますが、この日本語版が発売されたのは1989年だったかな?初版からおよそ15年経ってからの日本語化だった訳ですが、その当時…というか今でも、戦争をやるには膨大な物資と事前準備が必要で、なおかつ、お互いの強力な艦隊はなんのために必要とされたのかが、ここまで分かりやすく実感できるゲームは、なかなかないみたいです。

 もちろん補給戦以外にも、タクテクス75号に掲載されたガダルカナルシナリオのリプレイ記事を読むと、艦隊戦もそれなりに楽しめそうです。戦闘は事前計画に基づき行われ、それぞれの戦闘解決順が細かく決められます。その順番によっては味方の大損害につながったり、あるいは奇襲攻撃が大成功に終わったり、その辺は割と運の要素も多めに含まれているみたい。この点は陸戦ゲームではあまり由とされませんが、当時の空母戦で勝利を収めるには、運の要素もかなりあったようなので、逆にリアルかもしれませんね。

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 かつて、太平洋戦争シミュレーションの二大巨頭とされたVG PACIFIC WAR(右)と並べてみました。箱の厚みは4インチボックスとされるWAR IN THE PACIFICの方が深いのですが、PACIFIC WARは全てユニットを切り離して懐かしのホビージャパントレイ4つに入れてあるので、その分箱が閉まりきらずに深くなっています。

 左、WAR IN THE PACIFICのボックスアートは、日本の特攻機により炎上している米空母バンカーヒル。右、PACIFIC WARのボックスアートは、米空母のワスプから発艦するヘルキャット…かな?
 パッケージアートはどちらもカッコいいですが、WAR IN THE PACIFICの方がより緊張感があって好みです。

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 こちらはタクテクス75号に掲載されていた通信販売のご案内。このゲームは限定で800個ほど制作されたそうで、この製造個数が正しいなら、うち事前の予約で642個程度は捌けたということでしょうか?
 当時の定価は23,000円で、それなりに高価なゲームだったと思いますが、あっという間に売り切れになったそうです。少なくとも自分は店頭で見かけたことがありません。

 もっとも、この5年くらい前に日本語版が発売された「第二次欧州大戦」は、限定2000個生産で事前の予約分のみで品切れだったそうなので(ごく少数、直営店であるポストホビーの店頭に並んだようです)、それに比べればこの時代、日本のシミュレーションゲーム市場もかなり縮小していました。
 雑誌のタクテクスも、この後77号で一端休刊し、およそ半年後に季刊誌として再スタートしますが、それも7号で休刊となり、シミュレーションゲーマーにとっては、長い冬の時代の始まりとなります。
 ファンタジー/SF系のゲーム以外で、ホビージャパンから単独のパッケージとして発売されたウォーシミュレーションゲームは、このWAR IN THE PACIFICが最後だった気がします。

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▼2018年08月30日

本を(あまり)買わない生活

P8300420 本を買わない生活にした…というか、ここ数年は本が必要な時、電子書籍→図書館→新本…という順番で入手することにしています。その事を前のエントリでチラッと触れたので、改めて最近買った本を集めていると、こんな本しか買ってない(笑)
 どれも、電子書籍版はもちろんのこと、私が通える範囲内の図書館にはない本なので、結局お金を出して買う本はこういうモノばかりになります。

 左から「海の京都」。これは去年だったか一昨年だったかに、京都の丸善で買いました。前半の京都の部分は読んだのですが、那覇の部分は土地勘もないのでなかなか読み進められない。
 次は「ブラジル先住民族の椅子」。こちらは展覧会にいって買ってきた本。
 中央手前が「中世日本海の流通と港町」。こちらは以前紹介しましたが、既に読んでいるのに買ってきた本w。
 最後右が「景観形成の歴史地理学」。これはどこかに出かけた際に寄った図書館で目にして思わず、買わねばの娘と思って買った本。
 他、J・ウエップ先生の人文地理学という本も買いましたが、こちらはどこにしまったかな?

 その他で買っているのは古本ですかね。古本なら割と買っていますが、それでも単行本はあまり手を出さなくなりました。ただ古い雑誌は、資料集めのつもりで安ければ買ってしまうという感じ。

 上記の本でいうと「海の京都」は確かに本屋さんで見つけて買った本。それ以外は全ておそらくインターネットをきっかけに見つけた本ですね。それもアマゾンのお勧めとかそういうのではなく、普通にWebサイトを見ていた中で紹介された本だったり、何らかの知識に刺激を受けてネットで探した本だったりします。

 本屋さんには「本が選べる・買えること」以外の本質的な価値がある。:Book & Apps

 よく「本屋さんには出会いがある」なんて言いますけど、そういう出会いがある本屋って、実は日本でも首都級(?)の大都市にある大型店舗しかないです。確かに小さな店舗でこだわりの品揃えを売りにしている本屋さんもあったりはしますが、東京だと高円寺界隈(?)そんなような地域にしかありませんというのは極論か、ま、とても少ないことには間違いありません。日本全国のほとんどに場所にある本屋さんは、基本的にPOSシステムの販売管理情報から集められた効率的に売れる本を在庫しているだけで、そういう本屋さんではハッキリ言って本好きな人達がよくいう「新たな本との出会い」はあまり期待できないのでは?。売れてる(売りたい)本との出会いは可能だと思いますが…。
 なので、実のところ日本に住んでいるほとんどの人は、本屋さんで新たな本、未知な本との出会いなんていうほど体験できていないのではないかと。もし新たな本との出会いがほしいなら、図書館にいった方が効率的ですし、更に今でははネットで調べた方が色々な本が見つかります(見つかったけど買えない本も多いですが)。アマゾンのお勧めばかりだと読む本が偏る…なんて言ってる人は、多分普段からさほど本を探していないしあまり本を読んでいない人なんだと思います。

 ちなみに、私は週に1〜2回ですが、アマゾンで電子書籍や検索ワードで拾ったリストを最後…あるいは100P位まで追っていくということをやっています。アホらしいなーと思ったりしますが、これはこれで面白い本が見つかったりするので、定期的にアマゾンの検索結果を掘ることはお勧めなのですが、アマゾンで本が見つからないっていってる人は、ネットだとそういうリアル書店でじっくり棚を追うような探し方ってしてないのかな?
 私は普段からそんな事をしつつ、更にアマゾン以外でも本に出会って、また「こんな本ないかな?」なんて思ってネットを使って本を探したりする訳で、最近ですとリアル本屋さんってひと月に1度?位しか行ってない気もしますが、私は本との出会いには全く困ってないです。むしろ少し情報遮断しないと消費するのに追いつかない。

 上の記事によると、現在日本国内にはおよそ12,000件の本屋さんがあるそうで、それが多いと思うかどうかは人それぞれだと思いますが、私は以前こう書きました
 実際のところ、12,000件とは言いつつも、おそらくそのうちの10,000件以上は、得にこだわりもなくPOSシステムの在庫情報に従って売れる本を置いている本屋さんばかりだと思います。

 この辺少し辛辣に言いますけど、この状況って、相対的にノイズが増えて知りたい情報にたどり着きにくくなった今のインターネットと似ているかも。多分もっともっと本屋さんが減って、同業から余計な競争をしないでも健全に経営ができる程度までにならないと、世の中の本屋さんは面白くならないんだろうなって気もしますが、そうなると出版社の方の体力がもつのか?って話にもなって、なかなか難しいですね。

 特に結論はありません。

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景観形成の歴史地理学/石井英也(著)

▼2018年08月15日

よろこびの歌・おわらない歌/宮下奈都

https://farm2.staticflickr.com/1817/43996808552_bf10bf8d35_m.jpg ちょっと前にKindleの日替わりセールで買った本。
 履歴を見ると6/26日に買っていて、ついでにどうせ読むだろうと思って同じ日に続編の「おわらない歌」も買っていたみたい。読み終えたのが一昨日の月曜日だったから、間にいろいろ挟みつつ読んでいたようです。

 著者の宮下奈都さんは、37際のときに小説家デビューしたそうで、年齢は私と同じなんですね。だからという訳ではないですが、物語の中で登場するJ-POPの数々が「世代だなぁ〜」と思いながら読んでいました。

 夢中になって読みふけった…という事はなく(それだったら買った当日か翌日に読み終えてる)、毎日の通勤中や、外出時に一休みしてるカフェとかでちょっとずつ読んでいた感じ。

 面白かったので皆さんも是非!とまでは言うつもりないのですが、たまにはこういう爽やかな青春小説とかも読んで、あたまの中もなんというかリフレッシュしとかないとダメだなと思いました(笑)

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よろこびの歌/宮下奈都
おわらない歌/宮下奈都

▼2018年07月05日

キンドール男爵のOasisをゲット!

P4120144 何故か昔からKindle端末のことを心の中で「キンドール男爵」と呼んでしまう。この現象はなんなんでしょう?
 と、特に話題にもしていなかったのですが、そういえば私、キンドルのオアシスを買っていました。しかも1度Wi-Fi版を買って3G版に買い直すというアホな事までしでかして(笑)

 キンドルについては、以前paperwhiteの3Gモデルを買っていて、しばらくは気に入って使っていたのですが、どうもこの時代のKindleは画面解像度が低い(まだレティーナ系の解像度ではない)ことと、端末に本が100冊程度に入った辺りから、とたんに動作のレスポンスが遅くなってしまい、あまり実用的に使えなくなってしまいました。
 それと、その頃はあまりマンガを買っていなかったので気にしていなかったのですが、やはりマンガをこの端末で見るのは色々と厳しい。ただ、電子ペーパーは実に読みやすいなと感じていたので、いつかはもう少し動作がキビキビしたKindle端末に買い換えよう!とは考えていました。

 そんな中2017年の秋頃ですかね、防水になったKindleOasisが発売になり、お風呂での読書も可能になったので、早速飛びつきます。
 その時買ったモデルは、32GBのキャンペーン情報無しWi-Fiモデル。3Gモデルについてはその時では「Kindle端末から本を買った経験もないし(やってみればわかりますが手持ちのスマホで買った方が100倍は便利)、Wi-Fiモデルで問題ないだろう」と考えていたのですが、実際に使い始めると、やはり以前買ったときのように3Gモデルでこそ電子書籍は際立つなと実感します。
 特に思ったのが、読んだ位置の同期、メモ、ハイライト、SNSへの投稿…はどうでもいいですが、とにかくそういった読書情報がリアルタイムで全ての端末と同期していることこそが、電子書籍の醍醐味ではないかと。Kindle端末を家、もしくは完全にWi-Fi環境下でしか使わないのであれば、これらの機能はあまり意味がないのかもしれません。ただ、外出時にKindle端末を使う人であれば(そしてこれら電子書籍の機能を享受している人であれば)絶対に3Gモデルを選択すべきでしょう。
 私の読書スタイルとして、複数の本を同時進行で読むことが多い上に、例えば込んでいる電車内ではiPhoneのKindleアプリを立ち上げて続きを読むということも多くあるので、どんなシーンでも読書位置の同期が取れているのは実に便利なのです。更にメモ機能などもイチイチWi-Fi環境下で同期ボタンをタップする必要もなく、3Gモデルであれば、ある種のコピペ的にいつでも文章の一部を別端末へと抜き出すことができます。これらを考えれば、価格にしておよそ4,000円は充分モトが取れるだけのメリットがあると思います。
 それに日本の公衆Wi-Fiは、アクセスにブラウザからのログイン動作を強いられるものばかりで、Kindle端末だと自宅外でのWi-Fi運用は使うにあたり想像以上に制限がかかります。WWWブラウザがきちんとしているFire系統のタブレットならあまり気にならないかもしれませんけど。

 とは言いつつも、実際Wi-Fiモデルを買った後に3Gモデルを追加購入する訳にもいかないし…なんて思いながら、数ヶ月間Wi-Fiモデルで我慢していたのですが、ふと「中古でKindleOasis売却するといくらくらいになるのかな?」と調べてみたら、何故かわかりませんけど、KindleOasisって恐ろしくリセールバリューが高いんですね。このエントリを書いている現在でも、じゃんぱらの中古を検索してみると何故か新品の買値とさほど変わらない。一体どういうことなんでしょうか?
 もちろんじゃんぱらなどの中古販売店に買い取りを依頼すると、売値よりかなり安く買い叩かれるでしょうが、こういう相場ならヤフオクで売れば新品とさほど変わらない値段で売れるのでは?と考えて出品。綺麗に使っていたとはいえ、落札額は驚きの新品購入時から-2,000円程度という高値で売却!これならと即3Gモデルを注文してしまいました。すげーなKindleOasis。

 写真は落札物を発送する前に届いた3GモデルとWi-Fiモデルを並べて撮影したもの。手前のグリップ部分の一部がプラ製になっているのが3Gモデル。重さはどっちも193gで全く変わりませんでした。この話が大体今年の3〜4月くらいの話です。で、その後は3Gモデルで新たにKindleOasisライフを満喫しています。あ…そうそう、当たり前ですがどちらも広告付きモデルは買っていません。

 実際の使い勝手ですが、まずは防水である事が最大のメリット。お風呂場で使えるという事もありますが、濡れても壊れないという安心感は、日常使いでもストレスフリーですね。手を洗った後などでも躊躇なく端末に触れますし、雨降りの日など例え屋外で使わないにせよ、傘を畳んだ後の湿った手で端末に触っても気にしないで済むのは嬉しい。以外と日常って水滴に溢れていますからね。
 他はやはり物理的なページ送りボタンが秀逸です。このボタン、デフォルトでは上ボタンがページ送り、下ボタンがページ戻しになっているのですが、設定で上下逆にもできまして、私は下ボタンでページ送りに設定しています。このボタンは左右反転しても同じように使えますので、端末を手で持ちかえるときでも問題なし。
 画面サイズはカラーのFire系列を除けば、現行Kindle端末では一番大きい。そして高解像度なので、マンガなどでもむしろKindleで見たほうが綺麗に感じます。この点は現行のpaperwhiteでも一緒かな?
 バッテリの保ちですが、当初公称で6週間と謳っていましたが、もちろんそんなに保ちません。読書好きな人が少しヘビーに使えば2〜3日で充電が切れると思いますし、朝から一日中読書といった用途だと、1日保たないかも。ただ、そういうモノだと思って適度に充電していれば困ることはありません。そもそも公称されているバッテリの時速時間は「通信機能OFFで1日30分の利用で数週間」という読書好きに言わせると「なめてんのかわれ!」といった条件なので仕方がない。ただ、実感としてはスリープしっぱなしでもおよそ1週間程度でバッテリが空になるような気もします。まだ電池切れにしたことはないのですが、放っておいても想像よりバッテリ消費している印象です。

 本体に装着するケースとカバーですが、こちらについてはいくつか試した結果、なんだかんだで評判がイマイチだった純正が最も優れていると感じています。

 まず初めに試したのがこのようなスリーブ状のカバー。こちら、カバーとしては全く問題はなかったのですが、やはり端末を取り出したり収納したりするときに、本体のスリープボタンを押さなければならないのが意外と面倒くさい。

 なら!と次に手を出したのが、スマホみたいに本体をパカッとはめ込む形のこちらのケース。これだと本を読み始めるときに、前面カバーをめくるだけで自動でスリープから復帰しますし、本を読み終えるときもカバーを閉じるだけで自動スリープします。やはりこれでないと…と思って使い始めたのですが、まず不便なのがお風呂場などに端末を持ち込むとき。当然ながらこのケースを本体から外さなければならない訳で、これが意外と力が必要で面倒くさい。更にこういったケースを装着すると、せっかく薄くコンパクトなKindleOasis本体が、かなり分厚く野暮ったくなってしまうんですよね。なのでこちらも不採用に。

 結局、それなりに値段はしますけど、純正の専用カバーがなんだかんだでKindleOasisの利用シーンを一番理解しているようなので、仕方がなく買いました。ただ、こちらのカバーは長らく欠品、というかもう製造されないんじゃないですかね。私が注文したときも本革製でミッドナイトという青系統の色しか手に入りませんでしたので、それにしました。むしろそれよりも安いファブリック製だと濡れても平気なのでそっちの方が良かったのですが、手に入らないものは仕方がない。
 ちなみに、何故製造中止になっているのかというと、どうやらこのカバーの用途をあまり理解せず買った顧客が多かったのが理由みたいです。買ってみるとわかるのですが、このカバー、磁石で本体裏にくっつくのですが、保持力はさほど強くありません。強くないといいつつも普通にカバーとして使う分には全く問題ない保持力なのですが、どうもこの部分をユーザーが勘違いしているようで、磁石が弱くて落下したとかそういうクレームが多かったようです。私としてはこの適度なカバーの外しやすさがむしろ風呂場に端末を持ち込むときなど、パチパチと気軽に本体・カバーを分離できるので、実にいい塩梅と思っていたのですが。こうやって気軽に外せることが逆に低評価につながっていたみたいですね。
 また、純正カバーは本体四隅を保護せず、あくまでも背面の一部と表の液晶面のみのカバーなので、これを装着しても本体の大きさが肥大化せず、またカバー分の重さが気になるのならその場でサクッと外してしまえばいいので、私としてはとても気に入っています。

 KindleOasisを買ってから、再びKindleでの読書は増えましたね〜。もちろん私は紙の本も読んでいますが、基本的に何冊も同時進行で読むタイプなので、今まで紙の本で読んでいたリソースの一部ががKindle分に振り分けられたということ。Wi-Fi時代からの数ヶ月でKindle本は100冊程度(マンガや雑誌を除く)は読んでいるのではないかな?買ったものやアンリミテッド含めてですが、これだけでも元はとれている気がします。

 あと、ここは極めて個人的なアホらしいポイントなんですが、電車内やスタバ(笑)で電子書籍を読んでいるときも、スマホやタブレットで読んでいるより、Kindleなどの専用電子書籍端末で読んでいる方がカッコよく見える気がします。なのでスタバとかでMacBookAirを超えるドヤをしたいひとは、paperwhiteでもいいから買って持ち出すといいよ(笑)

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↑スタバでKindleドヤw

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▼2018年06月17日

クワトロ・ラガッツィ

https://farm2.staticflickr.com/1723/28955387828_aa35187a5a_m.jpg 時に「損した!」と思う本があります。

 ひとつは、文字通り「買って損した」というつまらない本。もうひとつは「早く読まなくて損した!」という本。本書はその「早く読まなくて〜」という本でした。

 天正遣欧少年使節団、おそらく歴史に興味がある方ならこの名前を聞いたことがあるでしょう。1590年(天正18年)に日本から欧州に派遣された4人のキリスト教使節団です。

 私もかつて、天正遣欧少年使節団に関する本を読んだことがあるのですが、当時日本に訪れていたキリスト教宣教師が、日本におけるキリスト教の布教を報告するために、日本人を欧州へ派遣した…という程度の認識しかありませんでした。ただ、その使節団も、欧州側からの視点から見ると全く違ったものとなります。本書はその少年使節団を、主に欧州側からの資料を基に解き明かそうとする試みとなります。

 この天正遣欧少年使節団ですが、私たち日本人の認識としては、せいぜい…

 ・当時の宣教師達がキリスト教に改宗した日本人少年4人を欧州に派遣した。
 ・彼等がヨーロッパから帰ってきた頃の日本はキリスト教が迫害されていて、彼等の帰国後は過酷な運命だった。

 という程度ではないかと。
 つまり、上記には何となくですが「欧州から来たキリスト教宣教師が日本人を欧州に派遣した」という、日本側からの視点しかありません。
 では、何故彼等が欧州へ派遣されることになったのか?案外その疑問に答える資料は、日本側からはあまりありませんでした。それを本書の著者である若桑みどり氏は、天正遣欧少年使節について、欧州側からの資料を元に解き明かそうとします。

 後のキリスト教徒迫害の歴史を知っている私たち日本人からするとちょっと意外ではありますが、当時の日本、織田信長の治世下であった日本は、世界的に見てもキリスト教の布教が大成功した地域であり、当時は九州総人口の訳2割がキリスト教に改宗したといわれています。
 また、逆に当時の欧州のキリスト教では、カトリックとプロテスタントという2つの宗派が、互いに信者数を増やすために争っていて、そんな中、東洋の果てからはるばるローマを訪れた日本人少年4人は、キリスト教でいう「東方三賢者」に例えられ(メルキオール、バルタザール、カスパールといえばアニヲタの方ならよくご存じかと)、当時のローマ教皇からは熱烈な歓迎を受けたそうでした。あれ?少年使節は4人ではないの?と思った方は、是非本書をお読み下さい。

 私は文庫版の上下巻を読んだのですが、本書の上巻はまさに、そういった日本でさしたる歴史上の役割を演じたともいわれてこなかった天正遣欧少年使節について、欧州では如何に期待された大事件であったかを知ることができる驚きの章でした。但し下巻の方はちょっと評価が分かれます。

 本書の中で、男性が書いてきた歴史書についての批判が数カ所ありましたのであえて書きますけど、逆に女性が書いた歴史書の多くには、全てとはいいませんが一定のパターンがあります。それはヒエラルキーが厳密に決められていること。つまり彼女らが書く世界の中では、絶対的に正しい価値観とそれ以外がはっきり分かれていること。
 これは塩野七生氏が書くローマ人の物語などでも同様ですね。あの本の中のローマ人は、超絶超人の絶対的な存在で、彼等の価値観こそが正しく、彼等こそがまさに文明を作ってきた、そういう単純な世界認識です。

 もっとも、その手法が悪い訳ではありません。その世界におけるローマ人の価値を絶対的なものとして設定したお陰で、ローマ人の物語は読み物として大変読みやすくわかりやすい。あれを歴史書と言われるとちょっと疑問ではありますが、ローマ史を知るきっかけとしてはとても良い書籍だと思います。

 そのような本を、私の友達は「少女漫画」と称していたのですが、このクワトロ・ラガッツィもそんな世界観で読み解くとわかりやすい。
 著者の若桑みどり氏にとって、絶対的な価値はヨーロッパ・カトリックのキリスト教にあり、それを迫害した豊臣秀吉、そしてその後の徳川治世は悪であるという、単純でわかりやすい世界観の元に本書は描かれています。

 故に「当時のポルトガル・スペインにとって日本を武力制圧する意思は全くなかった」とか「徳川時代は日本が世界に対して目を塞いだ暗黒の時代」のようなステレオタイプな描き方をするのですが、わかって読む分には、本書では世界観と価値観が統一されているので、実にわかりやすく読み進めることができます。うん…徳川家康許せないよね(笑)

 それはともかくとして、私たち日本人が何となく思っている「天正遣欧少年使節団」についての歴史的意義を、別な視点から再確認できるきっかけとして、本書はとても素晴らしいと思います。
 単行本は分厚くて読むのイヤになるボリウムですし、文庫本も上下巻でそれぞれびっしりと500ページ以上ある大作ではありますが、冒頭の展開に心つかまれた人なら、一気に読み進めてしまうだけのパワーがこの本にはありました。

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▼2018年06月03日

戦車に注目せよ!

https://farm2.staticflickr.com/1736/42469098222_765d88d435_m.jpg この本は、無類の戦車好きである秋山優花里…もとい、ハインツ・グデーリアンが書いた文章を集めた本。700ページ以上もある分厚い本でそれなりのお値段なので図書館で借りてきて読みました。どうでもいいけど、こういう本こそ電子書籍化してほしいものです。

 グデーリアンと言えば、ドイツ装甲師団創設者の1人。
 第二次世界大戦の開戦時には、鮮やかな電撃戦でフランスをあっという間に蹂躙してダンケルクへイギリス軍を追い詰める事に成功し、ドイツ軍に完全勝利をもたらした指揮官。
 もっとも誤解している人がいるかもしれませんが、ドイツによるフランス侵攻作戦を立案したのは彼ではなく、マインシュタインです。当時のドイツとフランスの国境は、フランスによって作られたマジノ線と呼ばれる大要塞で塞がれていたのですが、マインシュタインはそのマジノ線への直接攻略を避け、要塞化はされていませんでしたが、当時大軍による侵攻が不可能とされていたアルデンヌの森を装甲師団で突破する作戦を立案します。
 他のドイツ参謀から「そんな作戦は無謀」といわれていましたが、その中でひとり「出来らぁ!」と声を上げたのが、猛将秋山!…じゃなかった、グデーリアン(当時は中将で軍団長)でした。

 その後のグデーリアンの活躍ぶりは、対フランス戦の大勝利の通り。彼の侵攻があまりにも「出来らぁ!」過ぎて、当時のヒトラーもさすがに不安になって謎の装甲師団の停止命令を出したり、グデーリアンはそれをまた無視して進軍したら参謀本部から怒られてようやく停止したとか、彼の猛将、韋駄天ぶりは、規律を重んじる当時のドイツ軍らしからぬものだったそうです。
 さらにグデーリアンは戦場においても後方に引っ込んでおとなしくしているような指揮官ではなく、セダン(だったかな?)の突破作戦時には、最前線でフランス軍の機関銃に晒されながら仮設橋を構築中の工兵部隊の所にまで出張って檄を飛ばし、現場の兵士から「いいからひっこんでろ」と後に連れてかれたりと、まさに「韋駄天ハインツ」の名の通りの活躍ぶりを見せつけました。
 もっともこの、グデーリアンの「優秀な現場監督」ぶりは、ある意味彼の評価を分けるポイントでもあります。

 本書の白眉はなんといっても、本書のタイトルにもなっている「戦車に注目せよ!」という論文かと。
 この論文では、第一次世界大戦で登場した戦車という兵器、それが戦場で如何に有効で、将来の戦争を支配する兵器になるか、そしてその運用法、装甲師団を要した軍隊の作戦についてなど、様々な提言を行っています。
 細かい記述には時折「んんっ?」となる部分もあるのですが、翻訳者のあとがきにもあるように、彼は歴史家ではなく、あくまでも優秀な軍人でしかないので、細かい部分の誤りを指摘しても仕方がないでしょう。本書巻末の解説には細かすぎるほどの間違いの指摘がありますが、個人的にはそういう兵器のスペックの思い違いよりも、彼が考える戦場におけるドイツ軍兵士とフランス・イギリス軍兵士の描写に少し違和感を覚えたかな。

 後半は、グデーリアンが第二次世界大戦後に発表した記事や論文で、正直この辺りの認識はかなりガッカリな印象。彼が認識していた戦後の世界観を簡単に説明すると、「世界は共産主義者に支配されつつあり、その魔の手から世界を救うため、西側の軍隊はもっと軍事力を増強すべき。偉大な我がドイツの東端は本来タンネンベルグよりも東であり、西側諸国の軍隊は偉大なドイツ復活のためにもっと真剣になってほしい、ただしフランス人は信用できん」といった趣で、今となっては(当時でもか)割と残念な考え方。
 また、グデーリアンの戦後の文章を読んでいて感じるのは、彼にとっての世界とは、ドイツとその周辺だけで、それ以外には全く興味がなかったのかなと。特に第二次世界大戦で一緒に闘った我々日本のことなんて、そもそも認識すらしていなかったのでは?戦後の海軍力についてもチラッと触れていますが、太平洋地域の情勢には全く触れず、彼にとっての海軍理論はドイツ沿岸のことにしか興味がなかったのでしょう。

 わかりやすく言うと、グデーリアンは優秀な軍人、それも「デキる現場監督」ではありましたが、それ以外では決して博識で教養溢れているといった人間でもなかったようです。戦後の論文を読んでも冴えない理論ばかり展開していますし、その背景にはやや排他的とも思える愛国者ぶりが伺えます。今風に言えば「ネトウヨ」みたいな性格かも。

 とまぁ…世界の軍事研究者と日本のグノタの方達から「偉大なるドイツ装甲師団の神」と称されるグデーリアンの人間像を、良くも悪くも深く理解できるという点で、本書はとても面白い本です。私も初めは700Pもあるのか…なんて思っていましたが、読み始めると止まらなくて、前半1日、後半1日みたいなペースで読んでしまいました。
 軍事史などに興味がない人にはさすがにお勧めできませんが、少しでも戦車という世界に興味を持つなら、戦車がどのようにして生まれて、どんな考え方の元に発展してきたのかを読み解く資料として、とても有意義な本だと思います。秋山殿のファンにもお勧めだよw

 最後に「そうはいかない!西ドイツの姿勢に関する論考」より「誹謗中傷の排除」の一文を引用します。

 国家崩壊のこの方、ドイツのジャーナリストの大部分は、軍人という存在の全てに対し、ことあるごとに、あらゆる種類の毒々しい侮蔑、愚弄、卑劣な言葉を浴びせかけてきた。誹謗中傷や悪罵の量たるや、おそらくわが国民、あるいは地上のどれか他の国民の歴史にも類を見ないほど、とほうもないものだった。それらが、自らの使命は神聖であると信じ、国民のために命を懸けてきた人々に対して、まきちらされたのだ。そうした事態は、今日に至っても、ほとんど変わっていない。現在、いくつか勇気ある報道機関は、真っ当な論調を導入し、公正を付そうと努力している。が、ジャーナリズムの多くは、古い憎悪と国民の恥や不名誉を流通させようと操作しているのだ。

 当時のドイツの社会情勢がどのようなものだったかわかりませんが、日本ではこうした敗戦直後に勝ち馬に乗ったジャーナリスト(に分した扇動家)がまだまだのさばってますね。
 戦争に負けた国はどこでも同じようなもんだなと思うと同時に、このように戦争そのものの議論と考察を抹殺してきた日本は相変わらずこの分野では遅れているなと感じました。
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▼2018年05月31日

おとこのこ妻に悶える

 ヤバいもんを見てしまった…。

 何がヤバいって、サンデーのWebサイトで時間限定無料公開(このエントリ書いている時点で48時間と書いてある)されている「おとこのこ妻」というマンガで、これは何かに目覚めそうw。

 考えてみれば、ちっちゃくて気立てが良くてかわいくて、そしておとこの娘…なんて、世の男性にしてみればまさに理想を具現化した妻【パートナー】なんですよ。
 そもそも実物の女はつきあうと色々めんどくせーしすぐ調子にのるし銭湯一緒に入れないし連れションもできないじゃん(笑)
 それがおとこの娘をパートナーにすればそんな心配も無い(?)わけで、近頃おとこの娘のマンガが他でも流行っているのもわかります。みんなもうエロなんてどうでもよくてただ癒されたいんだよね。

 この主人公のユキちゃんですが、元々女装が趣味って訳でもないみたいで、夫のコーさんがそういう趣味なので付きあってあげてるみたいですね。それもまた献身的でいいじゃないっすか。ちなみにユキちゃんは6話で男性用の銭湯へ夫と普通に入っていますので、普段女装しているからといって、他の男性に身体を見られるのがイヤだとかそういう面倒くさい属性もないようです。ちなみにこの回ではユキちゃんのぽぽぽ…ぽこーち(爆)がチラッと見えますので、男の娘フリしていて実は女!なんてガッカリなオチもないみたい。

 一応彼等は「結婚している」と言い張っていますが、かといって今の同性結婚を認めない制度と闘うとかなんだとか、そういうめんどくさい事も考えている訳ではなく、単に好きだから一緒にくらしているというスタンスなのもさっぱりしていて良い。結婚のきっかけになったエピソードも単純ながらなかなか感動する展開で、不覚にもちょっと泣きそうになりました。

 近頃は、カミングアウトとかダイバシティとか多様化だとか、この手の同性愛を巡るエピソードは、油断するとやや面倒くさい方向に行きがちではありますが、こういう純粋に好きな人同士がくっついてイチャイチャしてるって作品は、なんだか心が洗われるような爽やかな感動と、あとちょっとヤバい方面の嗜好が刺激されて、実に至高の読書体験でありました。
 アマゾンのレビューを読んでいても「自分はLGBTに対して…」的なイカついこと考えていたであろう人達が撃沈されていく様がたくさん投稿されていて実に草です。

 無料公開が終わったらKindle版買うかw。

おとこのこ妻(1)/クリスタルな洋介

マイオーディオライフ2018

 オーディオ趣味で一番楽しいのは、他人の部屋をみること?だったりします。

 ただまぁ…実際にはいきなりオーディオファイルの方の家へ押しかけて「音聴かせて下さい!」なんて言える訳もありませんし、となると普通では、お友達でオーディオに凝っている方の家を見つけて、そこへたまに遊びに行くという経験しかできないのです。
 それと、ちょっとアレですけど、あまり親しくない他人のオーディオ部屋に行くと、どうしても「褒める」以外の反応ができなくなるってのもありますし。

 そんな方にピッタリな本が、この「マイオーディオライフ2018」です。

 オーディオのプロ(例えばライターなど)の方にとっても、オーディオ部屋の取材というのは結構大変なようで、古くは五味康祐氏による「オーディオ巡礼(季刊ステレオサウンド)」や、菅野沖彦氏によるレコード演奏家訪問(季刊ステレオサウンド)、長岡鉄男氏の「オーディオクリニック(FMファンとか色々)、その他オーディオユーザーへのお宅訪問記なんてのはいくつかありましたが、記事や特集の数としてもあまり多くはありません。
 それと、ハイエンダーな前記2つは別としても、ほとんどは「クリニック」や「アドバイス」目的の訪問記だったりして、となるとどうしても現状の音に不満を持っている人がメインになってしまい、その人が何を思ってこんなオーディオ(失礼)にハマってしまったのかがやや見えにくいのが残念でした。

 ちなみに、長岡鉄男氏のオーディオクリニックは、今でも単行本を自分の教科書にしていて、年に1度くらいは読み返します。改めて彼の記事を読み返してみると、ほとんどの事例で余計なインシュレータやアクセサリを外すということをやっていて、世間にある「長岡派はすぐに鉛のインシュレータとかおもりをアンプに載せたがる」って印象と真逆なのが面白い…って、話がずれました。

 ということで、この山本さん(面識ございますのでさん付けで呼ばせて頂きますが)によるオーディオムック、既にシリーズ3冊目になります。1冊目については「マルチフォーカスチューニング」というクリニック形式をとっていますが、2〜3冊目はよりユーザーの訪問記風になっています。
 ヒガミではないですが、ステレオサウンドの「レコード演奏家〜」までいってしまうと、庶民とはあまり縁のない雲の上の世界の話って気になりますが、このシリーズの本で紹介されている方達は、もっと普通のオーディオ好きな方…といったラインを狙っている印象。
 個人的に、オーディオユーザー訪問記は「専門誌よりも一般紙(BRUTUSなど)で紹介されている記事の方が面白い」と感じていたのですが、このオーディオライフのシリーズはそのラインにも近くて、マニアックすぎない、でもオーディオ好きが伝わってくるという実にバランスが良い訪問記で、読んでいてとても面白い。
 中には「とてもじゃないが真似できない」って人も登場しますが、それでも皆さん、それぞれの生活の中でオーディオを楽しんでいて、そうそう…そういう人達が普段どんな環境で音を聴いているのか“出歯亀”させて頂くのが一番楽しいんだよ〜なーんて思いながらページをめくっています。

 もちろん、オーディオ専門誌におけるマニアックな記事も大切だと思うのですが、それに比べて今も昔もオーディオ雑誌からは、オーディオが好きになった生活というのが中々みえてきません。なので、今オーディオに興味がない人でも、この本で「オーディオが好きになった結果」を体験してみるのは楽しいのではないかと。

 著者の山本さんは、Webでオーディオとの生活を公開されていますが、文章が決してオーディオ一辺倒でないのが、実にリアルなオーディオライフという感じで面白いです。
 そういえば、山本さん自身もステレオサウンドNo.138号で、菅野沖彦氏によってレコード演奏家としての訪問を受けています。あの記事にはまだパーペチュアルのDACがあったりと懐かしい。マイオーディオライフとは立場が逆なので、山本さんのオーディオ観に興味がある方はそちらの記事もお勧めです。

 ちまなみに、私も個人的に今まで色々な方の部屋のオーディオを体験させて頂きましたけど、その度に「いい音だなぁ」とか「これはちょっと…」など感想は色々ですが、それと同時にほぼ100%感じる事は「はやく家に帰って自分のオーディオ聴きたい」だったりします。
 これは音を聴かせてくれた人のオーディオが自分より上か下かという事ではなく、やはりなんだかんだで完全に自分の好みだけで機材を調達しセッティングした音というのは自分にとって一番馴染むということかもしれません。ただ、他人の音を聴いてから少し音の軌道修正をしてみようか?なんて思ったりすることはよくあります。それと自分が知らなかった世界…機材や音楽その他セッティング方法などを知ることができるのは、やはり楽しい体験です。

 そんな風に他人のお部屋におじゃましている気分で、自分の家の音を聴きながらパラパラとページをめくるのがこの本の正しい読み方かも。続刊(があれば)も期待しています。

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↑本書は出版社様より贈呈頂きました。
何故かは読んでみてのお楽しみ。

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▼2018年05月24日

基礎から始める大砲のおはなし

P5241233 考えてみれば「大砲」をきちんと紹介した本ってもの凄く少ないのです。海外ではよくわかりませんけど、そもそも「砲兵」の役割をきちんと紹介している本は日本語だと少ないのでは?

 どうしても日本のグノタさんは、兵器のスペックを丸暗記したり「レオパルト210式どっちが強い?」みたいな部分ばかりに関心が強すぎるようですので、それらを支えるシステムや、大砲・砲兵部隊・工兵に関する資料はあまり目にすることができません。

 戦場における大砲の役割は?というと、もちろん時代によってもある程度変化しますが、最大の役割は敵の中に突破口を作ることにあります。
 第二次世界大戦時には、ドイツ軍の電撃戦が持てはやされたせいか、大砲を運用する砲兵の役割はイマイチ地味な印象になりましたが、逆にドイツ軍がソビエト軍を潰せなかった理由のひとつが、ドイツ軍における砲兵戦力の不足です。ソビエト軍は伝統的に砲兵戦力を重視していて、大量の大砲で敵陣を広く制圧した後に大軍で突撃するというのを、陸上戦闘の基本ドクトリンとしていました。
 結果…かどうかはともかくとして、ドイツ軍はソビエト軍が放つ雨あられのような砲撃に進軍を阻まれ、だんだん身動きが取れなくなってゆきます。

 近代戦ではそういった陸上戦力に対する支援任務を、大砲から航空戦力へとシフトさせていったのですが、現代戦ならともかくとして、第二次世界大戦時の航空機では、天候が悪化すると出撃できませんし、また陸上兵力の進軍に合わせて前線で飛行場などを整備する必要があったり、当時のドイツ軍だとバルバロッサ作戦初期のまだ準備がしっかりしていた状況ならいざ知らず、ソビエトの広い国土では、冬の天候悪化や春の泥濘地、伸びきった補給線などの悪条件が重なり、ドイツ軍の航空機は当初計画されていた通りの航空支援任務を果たせなかったようですね。

 それはさておき、この本は「砲兵」というより、まさに「大砲」を趣味とする人達向けに書かれている薄くない同人誌で、底本はソビエトの砲兵向け教本みたいですが、大砲が何故飛ぶか?から始まり、大砲の歴史や仕組み、そして実際どのように打って当てるのかまで、実に詳しく解説してあります。
 一般ウケはしなさそうですが、こういうのこそ、まさしく「同人誌」って感じですばらしい。考えてみれば大砲を主役にした本って日本ではあまり存在しなかったのでは?

 大砲の本といえば、かつては村田蔵六が最新の砲術書に萌えていたり、高野長英が三兵答古知幾を訳して捕まったりしたシーンが、みなもと太郎の風雲児たちで後半のクライマックスとして描かれていますが、これらの本は日本の近代化のために多いに役立ったジャンルの筈なのです。ただ、現代の華やかな兵器達に比べると、趣味のジャンルとしても確かに地味な印象ですね。

 本書は一般書籍ではなく同人誌なのでアマゾンなどの一般書店では買えません。こちらのサイトから買えます

P5241236
↑趣味としての大砲w、内容は文字びっしり系です。

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital ED 12-40mm F2.8 Pro

中世日本海の流通と港町

P5241229 高いです!ハッキリいって研究職でもない私のような凡人が買うには高い…けど仕方ないですよね、一般書籍ではなく研究書なので。でも私にはこの本を買わなければならない理由があったのです!

 もっとも、買うにしても急ぎではなかったのですが、最近調べてみるとアマゾンからは正規の在庫が消え始めたので、ボチボチ手にしておかないと在庫終了かなと。
 一応古本屋さんでも探したのですが見当たりませんでしたし、下記の理由からきちんとリアルな本屋さんで購入することにしました。

 実はこの本、既に読んでいます。
 で、何処で読んだのかというと丸善の店内(笑)

 面白そうな本だなと思って店内にあるベンチで読み始めたら止まらなくて、その場で約2時間…3時間は経っていないと思いますが、最後まできっかり読んでしまいました。それもあわてて速読で読んだという訳ではなく、途中スマホのGoogleマップなどを使いながら紹介されている地域の地形を確認したりして、なかなか味わい深く読破させて頂いたのですが、さすがにちょっと悪いかなと。
 それと、この本で紹介されてた地域については、別な本なども参照してもう少し調べてみたいと思っていた、というのもありますので、同じ書店で買い直した(?)次第。

 内容としては、日本海側中世港町についての研究成果。私好みなのは、それぞれの地域について景観についての記述が多目なこと。
 この本の内容では、丹後府中以西、中国地方の港町はまだ現地を見た事がありませんが、石見温泉津などは是非現地を訪れて景観を確認してみたいものだと思いました。

 私の読書生活にとって、これらの交通・物流を初めとする人やもの、または軍勢などの移動や生活については主要なテーマのひとつでもあり、このような内容の本については、ついついお金をつぎ込んでしまいますね。
 私の読む本のラインナップを見ると「ひょっとして歴史や民俗学好き?」みたいに思う人もいるかもしれませんが、実のところは、そういう動機で本を選んでいるのではなかったりします。

P5241232
↑越中氷見について。こういう図をハァハァいいながら眺めています。

OLYMPYS E-M1 + LUMIX G 20mmF1.7

中世日本海の流通と港町/仁木 宏・綿貫友子(編集)

▼2018年05月02日

本と電子化(主にKindle)について

 本は紙じゃないと味わいがない…みたいな意見がかつてはありましたが(いまでもある?)、私の場合は昔から本の電子化にはポジティブな気持ちでした。さすがにCD-ROMで販売されていた時代のよくわからない電子書籍やケータイ小説には手を出しませんでしたが、アマゾンがKindleフォーマットの電子書籍を販売し始めた頃から、徐々に自分で買う本は電子化にシフトしています。
 ただ、欲しい本の全てが電子化されている訳でもないので相変わらず紙の本も買いますが、本エントリで後述する特別な理由がなければ、ここ数年はKindle版を購入しています。

 Kindle端末については、日本での初代(?)Kindleから、Oasisのwi-fi、そしてOasisの3Gモデルと私はそれなりに使ってきました。移動中はKindle端末の他、iPhone等のスマホでも本を読みますし、自宅ではiMacでどーんとフル画面にしてマンガを読んだりもします。こういう使い方だとやはり電子書籍は便利ですね。
 問題は将来に渡ってAmazonという会社のサービスが存続してくれるか?という話ではありますが、例えKindle版だけで出版された本があっても、社会的には誰かがアーカイブしてくれているでしょうし、私個人の話でいうと、多分生きている間はそういった心配をする必要もないのではないかと。

 電子書籍で最大のメリットは、やはり保管場所がほぼ不要(ゼロではない)ことでしょう。
 というか、巷で本好きを自称している方が電子書籍に反対している理由がその辺でよくわからなかったりするのですが、蔵書場所の問題は、本をよく読んで買っている人にとっては割と深刻な悩み。
 自分の場合は通称奥の院(書庫兼倉庫部屋)を持っているので、蔵書場所については普通の人(?)よりもちょっぴり恵まれているかなと思うのですが、それでもスペースは慢性的に足りていません。書庫の整理でいうと、奥の院を使い始めてからも既に3回ほど大がかりな在庫整理(売却)を行っています。それでもなかなか本を置いておける場所というのは充分なスペースが確保されれている訳でもなく、机の回りには、しまう場所も無い読みかけの本が積み上がったりしている状況。
 それも電子化されていれば、蔵書スペースは実質ゼロです。今までKindleで買った本が読み放題やマンガを除いても既に数百冊ありますが、これが奥の院に収まった時の場所を考えると、電子書籍って省スペースでいいなーと思います。過去に買った本を探すときも、本棚散らかさないで済むしね。

 Kindleの本で不満なのは、ラインナップが漫画や小説、そしてビジネス書…ビジネス書の場合は割と流行り物系のすぐに店頭から消えるような(ようにに見受けられる)内容の本に偏っていること。そして残念ながら私が欲しいと思うジャンルの本はラインナップが乏しいです。
 巷で「Kindleで読書ライフ満喫しています!」系のブログを見ても「みんなビジネス書大好きだよね〜」としか思えないブログが多く、この辺はもう少し日本の出版社がちゃんとした本(?)も積極的に電子化してくれないとなぁ…なんて思っています。

 私はKindle Unlimitedのサービスにも加入したりしていますが、ここのラインナップも正直かなり微妙で、公開されている本を見る限り、一般的な読書家にはあまりお勧めできません。上記で書いたように、ビジネスが書大好きでいつもキャッチアップとかアグリーとか頭の中で唱えてるような人ならいいのかもしれませんけどね。

 まー読み放題で公開されている本なんて、基本は内容に普遍的な価値があまりないモノ、普遍的に価値があるモノは金出して買えってことなんでしょうから仕方ないのかも知れません(もちろん私にとって価値がないだけで価値を感じている人もいると思います)

 私にとってのアンリミテッドは、コマンドマガジンと、オーディオ系の雑誌が定期的に公開されていること。それと1ヶ月に2〜3冊は読んでもいいかも?って本がある事かな。特にコマンドマガジンは一冊4,000円弱の値段で、ゲーム付という事もあり書店で中身を確認できない仕様なので、購入前の内容確認と、バックナンバーの記事を1ヶ月に1〜2度漁るだけで元はとれます。これがなくなればアンリミテッド解約すると思います。
 それとたまにキャンペーンで公開される漫画を読みあさったり…数ヶ月前には期間限定無料公開で「ミナミの帝王」を50巻位まで一気に読みましたけど、おかげでAmazonのオススメがミナミの帝王で埋め尽くされてしまって邪魔w。

 電子化もそうですが、最近では「紙の本を所有すること」をなるべく止めるようにしています。具体的にはKindle化されていない本は図書館で借りるということ。もちろんお金が助かるというメリットもありますが、メディアとしての紙の本はもういいかな?なんて思い始めている面も大きいです。電子化されていない本はとりあえず借りて読んで、手元に置いておきたければ購入する。それでいっかなと。

 それでも電子化もされていなくて、図書館にもない本というのは意外とありますので、そういう本は仕方がなく買ったりするのですが、コンテンツとしての本は電子化されている本の方がずっとハンドリングもいいし読みやすいし、更に使い勝手でも、Kindle本の場合はワンタップで気になる文章をクラウドにメモで残すことができますし、個人的には既に紙の本は紙で印刷されているメリットを感じません。
 ただ、出版社にとっては全て電子化オンリー、もしくは全てを電子化する訳にもいかないでしょうし、あまり部数の出ない研究書などは、もはや小売りではなく公費による公共図書館や学費購入の売上で生計立ててる出版社も多いみたいなので、そういうエンドの消費者に対するサービスにはあまり積極的でない出版社も多いんだと思います。ま…これも出版価値の多様性といえばそうかもしれないので仕方がないのかもしれませんけどね。

 ちなみに、最近ではあまりブログのネタにもしなくなりましたが、ここ1週間程度で読了した本です。漫画や雑誌は含めていません。

 1:電撃戦という幻(上)【図書館より借覧・非電子本】
 2:電撃戦という幻(下)【図書館より借覧・非電子本】
 3:入門・ブローデル【図書館より借覧・非電子本】
 4:忘れえぬ歳月【図書館より借覧・非電子本】
 5:エドワード・ルトワックの戦略論【Kindle版】
 6:絶滅の人類史【Kindle版】
 7:異世界にドラゴンを添えて【Kindle版】
 8:海民と日本社会【Kindle版】
 9:自分探しと楽しさについて【Kindle版】
 10:戦国の合戦【Kindle版】

 GW中なのでここ数日は比較的読んでいる方です。逆に1ヶ月でほぼ本を読まない時期もあったりします。
 こうやってみると、割と専門書的な本ほど電子化されていませんし、逆にいうと電子化してほしい本は、リストの上の方にある専門的な本だったりします。なんたって厚いし重いし。
 ただ、そういうジャンルの本ほど、電子化に否定的な読者が多いんだろうな…というのも理解もできますけどね。

 Kindleの本は、大体いつも10冊以上は並行的に読書しています。本のこういう使い方が容易なのがKindle化された本、最大のメリットですね。本を並行的に読むことに抵抗がある人って結構多そうですが、私の場合はKindleがない時代から、持ち歩く本と自宅で読む本、風呂場で読む本、そしてトイレで読む本など、あちこちに本を置いて並行的に読んでいたので、今ではKindleOasisとiPhoneを持ち歩けば、既に所有している本を色々な場所でつまみ読みできるのが嬉しいです。

 このエントリには特にオチがある訳でも無いのですが、GW中で籠もって本を読んでいる最中なので、何となく本についてちょっと書いてみたくなりました。

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↑漫画ですが「キャッチー・イン・ザ・ライム」が面白かったです。

OLYMPUS E-M1 + LUMIX G 20mm F1.7 II

▼2018年03月18日

街に本屋さんが多すぎる!

 今朝ニュースを見ていると、名古屋の児童書専門店メルヘンハウスが閉店するという話題をやっていました。なるほど…確かに少子化だもんな〜子供向けメディアは辛いよなぁ〜ポンキッキも終了するしなぁ〜なんて思って見ていると、ニュースの姿勢としては、児童書と言うより本屋さんの総数が減っているから、みたいな話題を取り上げていましたね。
 最後まで見なかったのでオチがどうなっていたのか分かりませんが、この児童書専門店閉店については、本屋さんの減少よりも昨今の少子化の影響なのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。

 若い人が本を読まなくなった!

 という話は、なんだか自分が生まれた頃から聞いている気がしますが、ここ10年位の町の風景を見ていると、確かにみんな本を読まなくなったようです。昔は通勤中の電車に乗ると、週刊誌とか少年ジャンプとか片手に持ってる人沢山いましたからね。今だとそういう人はすっかり見なくなりましたので、なるほど…日本人は本を読まなくなったのかもしれません。

 といいつつ、もう少し考えてみると「読書ってなんだ?」みたいな気も実はします。
 海外だといわゆる書籍を売る本屋さんと、雑誌やコミック(海外のコミックはほぼ雑誌形式)を売るマガジンハウスが割と分離しています。私は不幸ながら海外には生涯一度しか出かけたことがないんですが、その時に町をふらついて入った本屋さんは売り物が全て本。当たり前ですけどね。そしてちゃんとしたお店の形をしています。で、いわゆる雑誌を売っているマガジンハウスは、日本で言うたばこ屋さんみたいに人通りが多い街角にちょこんとあったりします。実はたばこ屋さん利用したことがないのでよくわからないのですが、そんなノリだと思って頂ければ。あ、実は渡航経験が一度ってのも自分は不幸だと思っていません(笑)

 何が言いたいのかというと、最近の読書離れって数字が大きいのは雑誌やマンガ離れだったりして、実はほとんどの人はそういうちゃんとした本を元々読んでなかったのでは?って思うのです。もちろん、雑誌にだって立派に読書と言えるないようようなモノもありますし、書籍にしたって「これが読書?」みたいに感じるモノも結構あったりしますが、そこは大雑把に考えていたければと。

 ここからは完全に私の個人的な印象でしかないんですが、そもそも上記に書いたような偏見で考えると「読書」をしてる人って元からそんなにいたのかな?なんて思ったりします。自分が働く業界はどちらかというと本を読む人が平均より多い業界なのではないかと思うのですが、にしたって以前も書いたように「お勧めの本はなんですか?」なんて聞かれることもあったりと、決してみんなが読書まみれになっている訳ではありません。そう考えると個人的に「実は本屋さんの数ってまだ多すぎるのでは?」なんて思ったりするのですが、そういう話を数少ない読書好き…な人に話すと怪訝な顔をされることがほとんどです。

 統計を見ると、2017年の時点で日本全国には書店が12,526店あるそうですが、それを2016年の全国の自治体数で割ると、一自治体毎に平均7件強の本屋さんがあることになり、そう考えると本屋さんの数ってすごく多い気がしませんかね?もちろん本屋さんが日本全国平均して散らばっている訳ではありません。
 うちからそう遠くないつくばみらい市では市内に本屋さんがないなんて状況もあったりしますけど、現地を知っている人間からすると、ここはつくばエクスプレス開通前だと本屋さんどころかまともなショッピングセンターすらない地域だったので、そりゃそうかなと。

 今時は本を読んでいる人に比べて、音楽を聴いている人は圧倒的に多い訳ですよね。
 通勤中の電車内を見ていても、本を読んでいる人はすっかり消えましたけど、耳にイヤホンやヘッドホンをかけている人はかなりの数がいます。この全ての人が音楽を聴いているのかはわかりませんが、それを考えても、今では読書をしている人よりも、音楽を聴いている人の方が圧倒的に多いであろうことは想像がつきます。

 で、ここで全国のCDショップ数を調べてみると、本屋さんと違ってちゃんとした統計が見当たらないのですが、日本レコード商業組合に加盟しているCDショップの数は、2010年の時点で約700店だそうで、今だともう少し減っているんでしょうかね?これを先程と同じ2016年の自治体数で割ると、自治体毎に平均0.4店となり、これが多いかどうかは別にして、少なくとも読書と比較して街で音楽を聴いているだろうと思われる人の割合を考えてみると、本屋さんに比べてCDショップは圧倒的に数が少なかったりします。

 もっとも、ここにはCDレンタル店は含まれていませんので、それを加えればCDショップ数は全国であと2,000店くらいは増えるのかもしれません、でもそれを言ったら本にだって図書館ありますしね。図書館は全ての市町村にあるとは限りませんが、ほとんどの場所に存在するでしょう。しかも図書館は無料です。

 話は変わりますが、図書館を利用する度に「音楽と違って読書が趣味の人って行政からこんなに優遇されちゃっていいのかな?」なんて思ったりします。時には出版社や著者の方が気の毒に感じる事もありますが、こういうシステムなんだから、もちろん私もありがたく利用させてもらってます。この週末も敢えて品のない書き方させてもらうと、金額にして11,800円(税別)分の本を借りてきました。うち2冊はもう読んだので、明日にでも予約済みの別な本と貸し出し交換してきます。これ全部無料ですよ!すごくないですかね。実は街の本屋さんの閉店が加速してるのって、こういうやりすぎとも思える行政の図書館サービスにも一因がある気もしますが、このシステムは出版関係者から叩かれてるの見たことないです。一部のベストセラー本以外は公費での図書購入も出版社にとっては重要な売上だからなんでしょうけど。

 脱線しましたが、友達に出版社に勤めてる人とか、ライター業やってる人とか、漫画家さんとか、そういう人達がいますので、あまりこういう事を書くのもアレかもしれませんけど、やはり統計で見ると、まだ本屋さんって多すぎるんだろうなと思います。

 こういう事書くと「おまえは街の書店がなくなってもいいのか?」なんて怒る人もいるんでしょうけど、全然そんな事はないです。というか、昔は旅行先で本屋さんに寄るのが大好きでした。
 ただ、最近ではあまり積極的には寄りません。何故なら日本全国何処でも本屋さんに並ぶ本が同じになってきたから。もちろん、POSシステムを使って売れる本だけを並べるってのは、短期の視点のみで考えれば正しいんだろうなと思います。売れる本を置けば売上立ちますからね。

▼2016年06月25日

漂流の島〜江戸時代の鳥島漂流民達を追う

IMG_7649.JPG 副題に「江戸時代の鳥島漂流民達を追う」とあり、鳥島という言葉に反応して買ってしまいました。

 鳥島といえば今は無人島…というか、歴史上有人だった時代は明治時代の一部、そして太平洋戦争中から気象観測所が廃止されるまでのごく短い期間となります。その中で街らしい体裁を持っていたのは明治時代のみでしょうか?周囲は断崖絶壁に囲まれている上に、島にある山は活火山でいつ噴火するか分からないという状態。
 この本で知ったのですが、明治時代にはアホウドリの捕獲で財をなしていた島唯一の村が水蒸気爆発で吹っ飛んだ…という、なかなかに壮絶な島です。現在こちらの島は絶滅危惧種となったアホウドリの貴重な生息地として、厳しく立ち入りが制限されているとのこと。もっとも行きたくても普通の人ではたどり着ける場所にある島ではないのですが…。

 ただ、この南海の孤島に命を助けられた人は何人もいます。その中で最も有名な人物は、幕末に活躍した「ジョン万次郎」。彼は鯨取りの漁師でしたが、四国土佐沖で乗っていた船の舵が壊れ、そのまま漂流して鳥島にたどり着きます。この鳥島はちょうど日本の南を流れる黒瀬川(黒潮)の通り道にあり、江戸時代にはジョン万次郎の他、何人もの船乗りがこの島に漂着していたそうです。

 もっとも漂着できたとしても、食料も水も何もない島ですから、沢山の人がこの島で命を落としています。ただ、中にはがんばって生き延びて、海から漂着する木材などで船を作り八丈島へ脱出した人、または時折通りかかる外国の捕鯨船(この島は太平洋で捕鯨漁をする帆船の目印になっていた)に救出されたりする人もいました。ジョン万次郎もそれらの捕鯨船に救出された1人です。

 ということで、日本の海難史的にはなかなか重要な島ではあるのですが、この島について語っている本はほぼありません。江戸時代の漂流話を小説にしている本は何冊かあるようですが、現地に上陸して島を調査しているという本については、私は知りませんでした。なので本屋さんで「鳥島」の文字があるのを見て、オッ!と思って買ってしまったのです。

 本屋さんで歴史書のコーナーに並んでいたのですが、本書は歴史書ではありません。いうなれば「鳥島に上陸したルポ」です。ただ、その目的が自然環境調査ではないことに意義があります。というか、江戸時代の漂流民について知りたくて鳥島に上陸した記録はこの本が初なんじゃないですかね。というのも、本書に書いてありますが、今の鳥島は「アホウドリの生態・火山活動の調査」以外の目的では、ほぼ絶対に上陸許可が下りないからだそうです。
 この本の著者も、名目上は火山活動の調査で初上陸を果たすのですが、実際の興味が江戸時代の漂流民にあったことから、再度上陸許可が下りることがなかったとのこと。この辺は、おそらく役人同士の権力争いや管轄争いのせいなんでしょうけど、読んでいて不愉快な気持ちになりました。

 ということで、本書の内容はかなり未完な感じです。ネタバレな感じではありますが、あとがきにも「刊行後何十年も経ってからこの本を手にする人がいるかもしれない」とあります。少なくとも今の時代は江戸時代の漂流民や、明治時代の離島文化史を調査するために鳥島へ上陸することは不可能ですが、遠い未来なら上陸可能になるかもしれない…という望みと共に締めくくられています。

 結果としてはそういう話ですが、それに至る過程…鳥島への上陸許可を得るまでの話、上陸までの話、そして上陸してからの現地活動などは、読んでいて引き込まれます。過酷な島の環境と、人が暮らすインフラが全くない場所での生活、こういう体験は今の時代ではなかなかできませんね。

 現在日本には6,847の島があるとされており(周囲0.1km未満の岩礁などは除く)、そのうち人が住んでいる島は305島しかないそうです。こうやって考えると、日本にもまだ人跡未踏の場所は数多く存在するのかもしれません。

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▼2016年06月12日

ツバキ文具店/小川 糸

 長い間本を読んでいると、いわゆる「ジャケ買い」ならぬ「タイトル買い」をする本があります。このツバキ文具店もその一冊で、小川糸という作家について、今まで読んだことがなかったのですが、何となくタイトルと表紙のイラストに惹かれて購入。どうでもいいけど、最近では新刊の本もビニールで覆われて中が読めなくなっているのね。購入したのはアキヨド7Fの有隣堂だったんだけど、なんだか世知辛い世の中です。

 そういえば自分の場合、いわゆる小説というジャンルはあまり読まないのです。年間多くても10冊行くことがない。ついでにいうと、ここ2ヶ月位の間、まともに本を読んでいなくて、たまにこういう短期間の本離れの時期はよくあるので気にしていなかったのですが、何かの本がトリガになって、また読書量が一気に増えるという事が多い気がします。この本はまさに今回のプチ読書離れのトリガになった本でした。

 内容は、鎌倉の文房具屋であり代書屋でもあるお店を継いだ女性のお話。夏・秋・冬・春といった章立てになっています。文房具好きな人にとっては、登場する文房具の描写がタマランそうですが、むしろ自分は作中に登場する食べものの方が気になりました。そういえば、最近の文芸小説ってみんな食べものについての描写が凝ってますよね。これもブームのひとつなんでしょうか。あと、作中に登場する代筆の手紙の実物(?)が掲載してあるのも面白い。手書きの文字ってのはいいですよねぇ。

 他、実在する鎌倉のお店も多数登場して「あ…この店入ったことあるな…」なんて事を考えながら、1日一章というペースを守って読みました。小説の場合は一気に読んでしまうとなんだかもったいない気もしますからね。

 ネタバレになるので書きませんけど、ラストは不意に涙ぐみそうになりました。

ツバキ文具店/小川 糸

▼2016年01月18日

三省堂書店でデビットカードが使えずレジで驚愕した件w

 先週の金曜日、会社が終わって三省堂書店神保町本店に寄ったのですが、2冊ほど持ってレジに出して、支払いをいつも通りの「デビットカードで」と伝えたら、渡したカードをゴソゴソやったあげく「申し訳ございませんVISAのデビットカードしか使えません」と言われました。
 VISAのデビットカードってなんだそりゃ?(もちろん意味はわかってるけど)と思いましたけど、使えないモノをゴネても仕方ないので「そうですか」といってそのまま帰ってきました。もちろん本は買ってません。つか、そのうちの1冊は帰りの電車の中でAmazonにて注文して買い物は終了。

 そういえば、書泉もブックマートを閉める半年位前から急にデビットカードが使えなくなりましたし、三省堂もヤバいんですかね。教科書検定の不正接待問題とかあったばかりだし。

 しかし…実店舗がネット書店に追われてるとか取って代わられるとか言われてるこの昨今に、いきなり決済手段を減らすってのはすごいなーと思います。なんたって、顧客サービスを切り捨て始めてるんですからね。
 その当日に買おうと思ってた本の合計額は5,000円弱でしたが、銀行に行っても基本的に現金を5,000円しか下ろさない(銀行に下ろしに行くのは財布の中身が1,000円切ってから)な自分にとっては、当然そんな金は持ち歩いてないのです。だったらクレカで決済すれば?と言われる方もいると思いますが、それならAmazonで注文しますよね。その場で読みたいのならともかく、持って帰るの重いし(笑)
 それと、クレカ払いはやはり決済にひと月くらいのタイムラグがあるので、個人的にはデビットカードが使える店舗なら、デビット払いを優先してます。なので、三省堂がリタイアした中、現在自分が把握してるデビットカードが使える大型書店は丸善だけになっちゃったのかな?

 じゃ…この先三省堂には行かないのかというと、そんな事はなくて、最近ではリアル店舗に行ったときは、気になる本をスマホでAmazonの欲しいものリストへ突っ込んでます。いわゆるショールーミング用途ですな。だってその場でリアル店舗である故の優位性だったデビット払いが使えないんだから仕方ないよね。すぐに読みたい本ならともかく…。
 自称本好きリアル書店好きの方達にとってはちょっと不愉快な話かもしれませんが、自ら顧客サービスの合理化を進める業界に対しては、消費者側だって当然ながら利用方法の合理化を行うわけです。

 それと、以前では「リアル書店にはネット書店にはない新たな本との出会いが」とかよく言われてましたけど、最近だとネットの書評(プロアマ問わず)で本を知って買う機会の方が増えてきたと感じてきてます。となると、この先リアル書店って本当に必要なのかな?なんて気もしてきちゃいますね。

 そうそう、ネット系の本屋さんと言えば、既存の大手取り次ぎがやってるe-honというネット書店では、在庫アリで注文した数日後に「売り切れました」とかいう連絡が来るという目に2回程あいまして、つまりこの対立軸としては、リアル書店とネット書店の優位性云々ではなく、単に「既存取り次ぎ+傘下のリアル書店」がダメなだけなのでは?と思いました。

 ちなみに買おうと思ってたもう1冊の本はこちら。
 家帰って検索したら千代田区の図書館にあるみたいなので、そちらで借りることにしましょう。

▼2015年11月23日

沈黙の山嶺/ウェイド・デイヴィス

 エベレストのエントリ書いて思い出しましたが、少し前に「沈黙の山嶺」という本を読んでいたんですよね。

 世界の登山史の中で、ジョージ・マロリーほど有名な人はいないでしょう。また同時に、登山史上最大のミステリとして、彼はエベレストの山頂を踏んだのか?という議論は夢枕獏による小説、神々の山嶺でもネタにされています。

 本書は副題に「第一次世界大戦」とありますが、上巻の前半はひたすら第一次世界大戦における悲惨な戦闘の描写が続きます。私達日本人にとって第一次世界大戦とは、あまり馴染みのない戦争ではありますが、機関銃と塹壕、そして戦車、毒ガス、街の地形が変わるほどの超絶な激戦等、ヨーロッパ人には今でも深く染みついている負の記憶です。日本人には信じられないかもしれませんが、今でもその当時の戦場だった地域は、不発弾だらけで立ち入り禁止になっている場所が沢山あります。当時のデータも残っていないでしょうし、もう永久に処理されないかもしれません。

 そんな悲惨な時代を乗り越えた強靱な青年達が、当時はGoogleマップはおろか、ネパールとチベットの地図すらない場所にある、世界最高峰のエベレストにアタックします。

 一言でエベレストに登るといっても、その当時はエベレストへの行き方すらわかっていませんでした。そのため当時はイギリスと不仲だったネパール側ではなく、チベット側から何度もエベレストを目指しては引き返し、ようやくエベレスト本体へのルートを確保するまでに、数回の遠征を要します。
 そして、そこから更に、エベレストに登るためのルート探し。更に膨大な補給物資のルート確保や、酸素の問題など、登山に関するありとあらゆる難関が遠征隊を襲います。そういえば自分も初めて知ったのですが、そもそもこの遠征費用の確保も大変だったみたいですね。何となくですが、イギリス政府が威信をかけて金出しまくってたのかと思ってましたが、事実はどうやら違っていたみたいです。

 ま、その結末については既に有名な話なのでここでは書きませんけど、登山史に興味がある方なら夢中になること間違いナシだと思います。上下巻揃えるとそれなりに高くつきますが、お勧めです。

▼2015年02月01日

ラノベとの境界の彼方

 昨日に引き続き、本の話。

 別な人と本について話していたんだけど「ラノベとか読んだことないんですよね」という話になり、そういえば「ラノベと普通の小説の違いってなに?」みたいな話に。

 違いと言えば…表紙にいかにもアレな絵が入っていたり、そんな所かな?としか結論は出なかったけど、実際問題ラノベと純文学なんて、書いている人(あるいは売る編集者)が「これはラノベ」と言えばラノベだし「純文学」といえば純文学だろう。自分もラノベとかあまり読まないが、そんな程度の差でしかない。
 また、最近ではいわゆる「ラノベ文庫」なレーベル以外で、各出版社がラノベ的にアニメ絵を表紙や挿絵に使った小説も沢山出てきて、ますます違いがわかりにくくなっている。

 ジャンルから想像する内容でラノベと言えば、ラノベの内容は荒唐無稽な話が多いし、萌えばかりだし、そもそも設定に無理がある…なんて考察もあるかもしれないが、それを言ってしまえば普通の小説だって荒唐無稽な話は多い。

 例えば私が比較的好きな川上弘美の作品では、ある話では主人公がヘビになったり、別な話では幽霊になって多数の女とヤりまくったりと、ラノベ真っ青なご都合設定とも言える作品があったりするが、彼女の作品は「ラノベ」にはカテゴライズされない。
 また、もうちょっと古い小説になると、川端康成の作品なんて、いい歳したおっさんが赤ちゃんプレイしたり、旅の途中で出会った14歳ロリ少女の後を付け、風呂場を覗き見したり(しかもその少女は全裸で立ち上がって主人公に手を振るなんてオマケ付き)、こちらもまぁ…萌えという視点ではラノベには決して負けていない(笑)

 思えばこの手の「若者向け大衆小説」というのは、いつだって今でいうところの「ラノベ」的扱いをされてきた。例えば、江戸時代の東海道中膝栗毛などは、いわゆる「滑稽本」とされて、ちゃんとした本という扱いではなかった。
 江戸時代当時のいわゆる「ちゃんとした本」というのは、私達が普段口にしている口語体とは全く異なり、例えば「也」などという言葉は、当時の本で多用されていたからといって、普通の人が「也」とか喋っていたわけではない。
 これらの本で、初めて口語体による記述で書かれたものは、ホントかどうかわからないが、勝海舟のオヤジである勝小吉による夢酔独言とも言われ、当時としては画期的な手法であったが、まともな本として扱われなかったようである。

 その後、皆さんご存じの夏目漱石が、私達が普段口にする言葉ととても近い言葉で小説を書き始め、やがてそれらはベストセラーとなってゆくが、彼の小説だって出版当時は「言葉が乱れている」とか結構さんざんな評判だった。だが、結局それらの読みやすい文章は、若者を中心に支持を得て、やがて漢文を知らずとも誰でも読むことができる大衆小説として受け入れられてゆく。

 その後、大正デモクラシー時代や、戦中などの世相で小説は随分様変わりしてゆくのだが、やはり若者向けの小説は、恋愛もの…特にしがない青年がふと出会った美少女と恋に落ちて…みたいな話が多く、あまり高尚な扱いはされなかったようだ。

 戦後はミステリ小説ブーム、更にSFブームなどがあったが、それらの小説が主流になる頃から、戦前・戦中のご都合主義的恋愛小説が「純文学」などと呼ばれるようになり、どことなく一段上の扱いをされるようになった。

 そして、そのようなSFブームの中、現在のラノベに通じる直接の源流扱いとされる作家が生まれる。それが皆さんご存じの「新井素子」だろう。彼女の文体は、いわゆる漫画的擬音をそのまま文字にしてしまった事が特徴。「はふっ!」とか、既にマンガ文化に触れた読者でないと何を言ってるのかわからなかったと思う。
 そしてその頃多くの少女(少年)達を虜にしたコバルト文庫、朝日ソノラマ文庫などを経て、角川や電撃など、ラノベ全盛の現代につながってきたのだ。

 そう考えると、古くから本を読んでいた人達は、いつの時代も新しい表現で書かれた小説を、多少小馬鹿にする伝統が常に受け継がれていると言える。
 自分の記憶にあるところだと、今でこそ新井素子とか読んでも低俗扱いされないが、昔はヘビーなSFファン達から「マンガ以下、低俗すぎる、SFをなんだと思っているのか」などの批判も多かった。そしてそれらの批判は、現代オッサンやオバサン達が「今の若い子はラノベとか漫画みたいな小説ばかり読んで…」みたいに考えている心境に近いのではないかと思う。

 つことで、今ラノベを沢山読んでいる人達も、あと数十年すれば、今のラノベは少しだけ高尚なジャンルになるかもしれないので、あまりラノベとかなんだとか気にせず、好きな小説を読んでいればそれでいいのではないでしょうか?という、特に結論もないお話でした。

▼2015年01月31日

お勧めの本はなんですか?

 会社の人と話していたとき、ふとこんな事を聞かれた。
 どうやら最近本を読んでいないので、また読みたいとのことらしい。「えっ?お勧めの本と言われても…」と、自分は困ってしまったのだが、落ち着いて考えると、この種の質問は、むしろ普段本をよく読む人ほど返答に困るとう面白い事例なのかも…と思った。

 同様の質問は、例えば音楽や映画、クルマや自転車でもいいし、ヲタっぽくお勧めのアニメは?なんて聞かれたときも同じかもしれない。これらのように絶対解がない分野での質問は、むしろその分野のエキスパートよりも、あまりそれらに接していない人に質問した方が、すぐに答えが返ってくるし、案外正しい事も多いのではないかと思う。

 例えば「お勧めの本」と聞かれて、普段から沢山本を読んでいる人は何を勧めればいいのか困ってしまう。それは自分の中で処理しなければならない情報が多すぎるからだ。
 「じゃ、最近読んだ本でいいから」と言われても、このブログでネタにした一番最近の本は「エア・パワーの時代」である。とてもじゃないが、最近読書をしてないので本を読み始めたい…って人に勧められる本ではない。「じゃ買った本は?」と聞かれると、このエントリを書いている時点でもっとも最近買った本は、大阪の古本屋さんに注文した「日置川町史・中世編」である。まともに答えても会話がそこで終わってしまう(笑)

 逆に自分があまり本を読まずに、年に数冊程度読むくらいだったらどうだろう。基本的に本を読まずに、年に数冊本屋で本を買う程度なら、きっと誰でも知っているベストセラ小説やビジネス書しか読んでいないだろうし、それなら無理なくお勧めできるかもしれない。それは今流行のピゲティの経済書かもしれない、あるいは村上春樹とかかも。なんせ年に数冊しか本を読んでいないのだから、選択肢が少ないのですぐ選べる。というか一年以内に読んだ本全てをお勧めしたって問題ないだろう。これならおそらく会話のキャッチボールが成立しそうだし、多分お勧めされた方も満足して読んでくれそうだ。

 そういえば、自転車なんかも同じかもしれない。仲間内でのSNSで、新しく「自転車買いたい」と言う人が出たりすると、やれロードレーサーにしろとか、小径車がいいよ、とか安いクロスバイクを買ってパーツを高級品に変更しろなどと無茶言う人が出たりする。おそらくこの手の質問の趣旨は、「ママチャリでもいいけどもう少し長い距離を走りたい」である事が多く、それに対する最適な解答は「5万円前後のクロスバイク」だったりするんだろうが、マニアに尋ねるとそこに落ち着くまでの課程がエラく遠回りになったりする(笑)

 ということで、何か新しいモノを買いたい、何か新しいことをしてみたい…と思ったら、話が長くなるので、質問の対象にハマっている人には聞いちゃいけないよ…という結論なのか?

 ちなみにその時の私は、インターネットで新聞社が出している書評ページを開いて「この杉山正明氏のモンゴルの本はお勧め、それとMac使っているなら、こっちのジョナサン・アイブの本も面白いと思うよ」と、半分他のメディアに頼った、極めて無難な返答で済ませておきました。

 「本のお勧めとか漠然過ぎて答えられるわけない!」とか、この手の質問でちょっとイラッとする読書家の方もいるとは思いますが、このようなザックリとした質問にも適切な解答をすぐに出せると、ちょっとカッコいいかもしれないなぁ…。

 あ、このエントリで登場した以下の本は本当にオススメしますので、最近あまり本を読んでいない人も是非どうぞ。

▼2014年12月31日

BRUTUSの本特集をながめながら、それでは良いお年を…

R0324470.JPG 毎回買うと決めている「BRUTUS」の年末本特集。今年も買いました。

 去年の特集タイトルは「本があれば大丈夫」だったっけ?それに比べると今年は「読書入門。」と、結構ストレートなタイトルですが、内容は去年同様なかなか面白い。
 早速数冊読んでみたい本があったので、東京に帰ったら買いに行こう…と思ったら、今ではKindleでこの場で買えちゃうんだよね。まだ買ってないけど(笑)

 つことで、今年は読書量的には結構少なかった。ただ、その分心に残る読書ができたような気がしています。来年はどんな本を読もうかな。

 それでは、皆さん良いお年を。

RICOH GR


エア・パワーの時代/マーチン・ファン・クレフェルト

IMG_5208.JPG ずっと読もうと思っていたのですが、高くてなかなか買えなかった本。なので図書館で借りてきました。
 もっとも「高くて…」というより、部屋にもう本の数増やしたくないんだよね。Kindleで出ていたらそっちで買ってました。税込みで5,000円位になりますけど。

 それはそうと、この本の著者であるマーチン・ファン・クレフェルトという人は、グノタの間で永遠の名著といわれる「補給戦―何が勝敗を決定するのか」の著者でもあります。その彼が書き起こしたエアパワーの本なのですから、そりゃもう内容についてはワクテカです。

 戦争における航空兵器とは、当然ながら時代と共に大きくその役割を変えています。戦争における初期の航空機は、戦闘を行う機械ではなく、偵察や大砲の弾着観測を行っていました。
 それが、テクノロジーの進化と共に航空機は大型でパワーを持つようになり、都市爆撃などの任務に使われるようになります。その頃にイタリア人であったドゥーエが「制空」という概念を提唱し、それが世界の空軍関係者達の中で標準のドクトリンとなってゆきます。

 そして時が過ぎ第二次世界大戦が終わった現代、かつての先進国家VS先進国家という戦争はすっかり姿を消し、空軍はその強大な力を持て余すようになってしまいました。
 強力な敵師団に対して、爆弾やミサイルを雨あられのごとく降らせる作戦は、現代戦では殆ど行われなくなり、超高性能を誇るステルス攻撃機や爆撃機を戦場に投入するコストと、得られる成果のバランスが割に合わなくなってきました。例えば、現代では例え軍事予算が潤沢なアメリカであっても、B2爆撃機を1機でも作戦で失うことは、国家規模の損失と見なされます(故にB2爆撃機は激戦地には投入されないという本末転倒な結果になっています)。つまり、従来型の「大空軍」的思想は、これからの時代にそぐわない。それがこの本の結末です。

 おそらく、軍関係者の人達は薄々気が付いていたと思うんですよね。例え精密誘導弾でピンポイントの作戦目標を撃破できるにせよ、それにかかるコストと得られる戦果のバランスが大きく変わりつつあること、そして現代の戦争では、そもそもエアパワーを投入すべき固定作戦目標が存在しないケースが多いことなど…。

 やや高価ではありますが、軍用機や空軍戦略に興味がある方は、是非ご一読を。

iPhone6 Plus


▼2014年10月06日

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?/池上彰

IMG_4828.PNG ひと月くらい前にKindleのセールで買ったんだけど、実に良い本だったので紹介。テレビでお馴染みの「池上彰」さんの本です。

 近頃の大学教育は「専門性」が重視されるようになり、いわゆる「教養」としての学部は随分とスミに追いやられていると聞きます。しかし、例え医学部だろうと理系だろうと文系だろうと、広く社会に対する「教養」は身につけておかなければならないと、ある種当たり前の事ではあるのですが、そういった教養をおろそかにしてきた学生、あるいは大人達に向けたガイドブックといった構成です。

 第一章が「宗教」
 第二章が「宇宙」
 第三章が「人類の旅路」
 第四章が「人間と病気」
 第五章が「経済学」
 第六章が「歴史」
 第七章が「日本と日本人」

 となっています。それぞれの章は、ヨーロッパの大学で学問の基本とされる「自由七科」を踏まえ、池上氏が考える「現代の自由七科」だそうです。

 正直、それぞれの章の内容についてはかなり薄いもので、各項目に詳しい人にとっては物足りないかもしれません。おそらく池上氏もそれを踏まえた上で、自分の専門外である「宇宙」と「人類の旅路」については、かなりサラッと流しています。
 しかし、彼がニュースなどの現場で働いていて詳しくなったであろうジャンルについては、アッサリした内容ながらも結構鋭い視点が盛り込まれていて面白いです。
 例えばどうして中国で鳥インフルエンザは変異するのか。もちろん専門にその情報を追っていた人なら判っているのでしょうが、日々の報道でこのような結論を導きだす手法はさすがなものです(理由については本をどうぞ)
 他、歴史や日本人についても、池上氏が考える歴史感や日本人感が短いながらも判りやすく説明されています。

 インターネットが普及した中、それこそ情報はいくらでもネットにアップされているため、知識や教養は情報と誤解してしまっている人が多いと言われるようになりました。
 ただ、結局は目の前にどれだけの情報があろうと、それを自分でひとつづつ結びつけ結論を得るためには、知識や教養が必要となります。その知識のベースとなる…つまり基礎教養ですね、を身につけることは、理系だろうが文系だろうが医学部だろうが芸術学部だろうが、全ての人にとって大切なことです。

 また、本書の中に「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる」とありますが、まさにその通りですね。近頃の大学は就職予備校と化し、働くための実践的な知識などを重視して教えている学校も多いようですが、今役に立つ知識は、まさに今働いていて実践の場にいないと役に立たない訳で、池上氏の言うとおりかもしれません。
 それにくらべ、自分に身につけた教養は、この先人生を支える基盤になる!そうで、確かにその通りだなと思います。自分もそんな教養を身につけたかった(笑)

 ちなみに、ここから先は私見ですが、例えば海外のギーグ系ニュースサイトでは、もちろんギーグが喜ぶニュースがメインなのですが、割と科学ネタ、歴史ネタ、そして政治ネタなど、いわゆる「教養系」のネタが多いような気がします。これも大学教育で教養課程を重視するスタイルの賜物なのかなと思いますね。有名どころでは、ギズモードギズモード・ジャパンでは、紹介される記事のジャンル数が全然違っています(それでもギズモード・ジャパンは頑張ってる方だと思いますが)

 本書は、それら基礎教養への答えを与えてくれる本ではありませんが、それらを再び修めようとする人には、とても良いガイドブックになると思いました。

 

▼2014年08月16日

主人公は小学生女児!夕焼けロケットペンシルがすごく良かった件

9190z-DhOfL 女児ですよ!小学生女児!!JSですよ!!!

 先日ふらっと寄ったブクオフで、小学生女児の絵に 文具店の看板を持ったイラストに引かれて立ち読んでみたのですが、これがすごく良かった!もうホロッときちゃう。

 ザッとあらすじ書くと、主人公の少女は、売れない文房具屋さんの娘で、母親が家を出て行っちゃってて、父親はネトゲばかりでまともに仕事しない境遇の中、お店をたて直そうと頑張ります。そんな中彼女は、途中で出ていった母親に会ったり、漫画家の年上のお兄さん好きになっちゃったり失恋したりと、色々と年頃の少女にありがちなことを経験しならがら、最後はまぁ…ハッピーエンド。
 全三巻というボリウムも丁度良いというか、ごめんなさい、ブクオフで全て制覇してしまいました。読むのとまらないんだもんw

 つことで、せめてもの償いとしてこちらで紹介させて頂きますというか、この感動を皆さんと分かち合いたい!
 終わってみれば、結構オーソドックスな家族ドラマだけど、こういうストレートなのはやはりクるね。この歳になると。

 あと、文房具好きの人にも結構楽しめるんじゃないかな。あまりクドい描写はないですが、作者はきっと文房具が好きなんだろうな…というのがほんのり伝わってきて、それもまた心地よいです。画像はゾンアマから。

▼2014年08月07日

フェアレディZ開発の記録/植村 齊

IMG_20140731_072642 フェアレディZといえば、マツダのロードスターと並び、日本車の中ではとても成功したスポーツカーです。
 1970年代に米国で販売が始まると、その価格の安さと高性能ぶりから、たちまち大ヒットとなり、当時安価なスポーツカーと言えばMGトライアンフが主流だった中、中規模なスポーツカーメーカーを軒並み蹴散らし米国撤退に追い込んでしまった、日本車にとってある意味伝説の自動車だったりします。MGユーザーの自分としてはちょっと複雑な思いではありますけど(笑)

 そのフェアレディZに関する歴史ですが、米国で初めて大成功を収めた日の丸スポーツカーとして、様々な伝説が語られているようです。特にフェアレディZの生みの親とされているミスターKこと片山 豊氏にまつわるエピソードについては、ドラマチックに語られる事が多いみたい。

 本書はそんな「片山氏一辺倒」であるフェアレディZ誕生神話に、若干の冷や水を浴びせるような内容。著者の植村 齊氏は現在書道家として有名らしいですが、実は昔日産車体に勤めていて、フェアレディZのボディ開発にあたった1人でもあります。

 その彼が本書で書いていることを一言でまとめますと「フェアレディZは売れる車として企画された商品」だということ。つまりZ誕生秘話で良く語られる「1人の技術者の情熱が生み出した」というストーリーではなく、ちゃんとマーケティングを行って、ユーザーのニーズをくみ取って、当然ながら会社として何度も修正や承認を得て誕生した車だだそうです。ま、当たり前と言えば当たり前なんだけどね。

 そのため、プロジェクトXで紹介されたフェアレディZ誕生秘話は、そのほとんどが大げさに語られた演出だとのことで、植村氏に当時NHKから取材があったときも、ストーリーありきの取材姿勢に少なからず違和感を感じていたそうです。
 しかし、当時は会社としてそのストーリーに対して文句を付けようという風潮ではなかったので、それはそれでアリかと思って、当時は番組取材班に対してあまり意見しなかったらしく、ただ後年、それらのエピソードを全て否定しないにしても、Zの開発現場にいた人間として、本当の事は書き残しておこうと思って書いたのが本書だとのこと。

 1人の情熱が会社を動かして革新的なスポーツカーを誕生させた!確かにスポーツカーを売るためのエピソードとしてはこちらの方が世間に対してウケはいいと思いますが、当然新規の自動車を一台制作するのは、大メーカーだとしても大変ですからね。社員個人の好き嫌いで新型車が簡単に出来る筈はない訳です。
 Zの製造にあたっても、如何に既存の自動車からパーツを流用するか。またその調達コストを如何に抑えるか。その中でバランスの良いスタイリングや、スポーツカーとしての性能をどう両立するかなど、割と生臭い話も書いてあります。

 ちなみに、後出しジャンケンみたいで恥ずかしいのですが、私がNHKのフェアレディZの回を見たとき、あまり共感できなかったというか、コレ本当なのかな?と少し思っていました。
 何故ならこのプロジェクトXのエピソードは、1980年代後半に出版された、デビット・ハルバースタム氏による「覇者の驕り」のエピソードまんまだったからです。なので、内容の信憑性というより、当時NHKが作成していたNスペ「自動車」の焼き直しだね…って感じで。もちろん、その当時に本当のフェアレディZ開発現場がこうまで違うという話があるとは思ってもいませんでしたけど。

 ということで、ミスターKの伝説もある意味フェアレディZが作った伝説の一部であり、片山 豊氏の功績を否定するものではありませんが、それらを全て含めたストーリを作った技術者の後日談として、なかなか興味深く読むことが出来ました。あと個人的には、MGFがちょっと紹介されているのも嬉しかった(笑)

 クルマ好きの方は、是非呼んでみて下さい。
 それと、プロジェクトXのタネ本である「覇者の驕り」も、私は確か中学生か高校生の頃に読んだ本なので、今となっては内容が古いと思いますが、当時はとても面白かったです。現在は絶版みたいですけど(英語ならKindleで買える)、また読み返したいな。

Nexus 5


▼2014年06月09日

かばんとりどり/ウラモトユウコ

P6080096.JPG 本屋のコミックコーナーで発見。タイトルとPOPを見ると、ついにカバンフェチ向けのマンガが誕生したのか?と思ってそそくさと購入。早速家に帰って読んでみました。

 読んでみると、いわゆる「カバンフェチ向け」の話ではありませんでしたね。普通に恋愛模様を描いた短編集といった感じ。でももぁ、面白かったのでいっかな。

 巻末のあとがき?については、カバン好きな人も少しは楽しめるイラストエッセイが掲載されていましたので、なんだかんだで私は満足しましたけど。

OLYMPYS XZ-1


▼2014年06月05日

monoマガジン6/16日号を買ってみました

New photo added to  何年ぶりかのmonoマガジン。今では雑誌は殆ど買わなくなりましたけど、個人的には読みたい記事が3つ以上あれば買うことにしています。で、買った理由は特集記事の「ちっちゃいクルマ」と、オーディオテクニカの記事、それとラジオの記事があったから。

 で、表紙になっている「ちっちゃいクルマ」特集ですが、やはりクルマはちっちゃい方が楽しいですよね。自分で買ったかつてのローバーmini、そして今乗っているMGFですが、ミニはもちろん、MGFも最近の車に比べるとけっこうちっちゃいです。

 最近ではこういう「小さなクルマ」はとても数が少なくなりました。四隅のサイズでこそニッポンの軽自動車は小さいですが、あれら1Box化した軽自動車は「小さい」とは言えませんし、新生BMWミニだって私のMGFより大きいです(今では3ナンバーだっけ?)

 近頃は安全規制を満たすために、小さなクルマは作りにくくなっているようですが、やはり運転席に乗って「四隅に手が届く」感覚のクルマで街を走ると、自分の身体が本当に自由になれた気がして楽しいものです。大きなクルマだとね…この辺そういう感覚になれないんだよな。

 しかし何故だか知りませんが、私は昔から小さなモノが大好きなようで、もう一つの移動手段である自転車も小径車であるブロンプトン(もっとも小径に魅力を感じたのではなく小さく折りたためることに魅力を感じている訳ですが)が大好きですし、家にあるオーディオセットも性能の割にはとても小柄な製品を使っています。特に大きなモノ・製品がキライという訳でもないのですが、単に「小さなモノ」が好きなんですね、きっと。そういえばSONYのウォークマンとかも大好きでしたし。

 という感じで、久しぶりに雑誌を眺めるのも楽しいものだな…なんてね。

iPhone 5


▼2014年05月07日

いとみち/越谷オサム

P4279049.JPG もう3巻になりましたか。一応オビには「完結編」と書いてあるのですが、おそらく「いと」編が完結で、その後ニューキャラクターの「こま」編がスタートするのではないかという疑惑。

 つことで、2011年に第1巻がでて、2012年に第2巻が出ましたが、1年間を置いていよいよ完結編となりました。今回の話はどちらかというと、1~2巻で書き残した伏線やエピソードの回収編という感もあり、小説として面白いというか、いろいろな事が片付いて行く、読者からすると納得編みたいな感じ。

 残念ながら本巻でいとは、あまりメイド喫茶に出動しませんが、それでも最強萌え属性の数々を備えたいとっちはカワイイですね。小説としても綺麗な形で終了しましたので、とても読後感がサッパリとして良かったです。

 ま、続編については、出るなら読むと思いますけど、かといって続編ほしいという感じでもない、爽やかな完結編でした。

OLUMPUS E-1 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro


いとみち/越谷オサム
いとみち 二の糸/越谷オサム
いとみち 三の糸/越谷オサム

▼2014年03月24日

約100人のブックカバー展に出かけてきました。

P3249039.JPG 思えば、本屋さんでブックカバー断るようになったのはいつ頃からだったでしょう。
 子供の頃の私は、むしろ本屋さんでブックカバーを付けてもらうのが大好きで、特に、少ないお小遣いを貯めて買った本は、ブックカバーも含めて大切にしていました。

 また、地元の本屋さんも、今のように単に上下を折り返して表紙と裏表紙に差し込むような、簡単なカバー装着ではなく、一冊一冊、本屋さんの名前とイラストが描かれた紙の上で、ハサミやテープを使って、本を丁寧にカバーしてくれたのです。
 なので、一冊本を買うと、レジで2〜3分待たされることもあったのですが、そうやって包まれたブックカバーは、分厚い本を読み終えるまでちゃんと本をカバーしてくれていました。

 そのブックカバーが、多くの本屋さんで、単に上下を折り返す簡易的なやり方になったこと(実際あのやり方カバーがすぐ外れるし、本読むのに邪魔なんだよね)、それと、大手書店が広告代理店と組み、ブックカバーに宣伝を入れるようになったこと。
 その頃から、私は本屋さんでブックカバーを断るようになった気がします。広告入りカバーの、あのつるんとした手触りも嫌いだったし。

 ということで、前置きが長くなりましたが、渋谷パルコで開催されている「約100人のブックカバー展」に出かけてきました。
 こちらは、様々なイラストレーターやデザイナー、作家やショップの人が、架空の本屋さんの架空のブックカバーをデザインした展覧会で、更に嬉しい事に、展示されているそのブックカバーは買うことも出来ます。お値段は好きなのを5枚選んでセット価格525円。

 用紙や印刷なども、実際本屋さんで使われている、ざらざらした紙、また少し粗い印刷が再現されており、本が好きな人にとっては、この紙やインクの感覚も懐かしい感じ。私も、適当に選んで5枚程買ってきてみましたよ。

 この歳になると、多くの人はある意味「欲しい本は何でも買える」経済力があったりするので、子供の頃や学生の頃感じていた、頑張って数千円の本を買ったときのあの特別な思いや、“してやったり感”は、遠い記憶になっていると思いますが、そんな本を丁寧にカバーで包んでくれた本屋さんの記憶が、このざらついた紙に触っているとよみがえってくる気がします。
 本の記憶って、もちろん内容や表紙のデザインもありますけど、思ったよりも、本屋さんで付けてくれるカバーだって思い出の一部なんだなと。

 もう開催期間少ないですけど、本が好きな人は出かけてみては如何でしょうか。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digiral 50mm F2.0 Macro

▼2014年03月09日

見聞巷談/宮本常一

P3099037.JPG 俺達のみやもっちゃんが書いた、主に短文をまとめた本。
 編者が田村善次郎氏なので、おそらく最近順次刊行されている、宮本常一公演選集からのスピンオフ…っていうとなんだか今風すぎるけど、公演選集をまとめる過程で色々出てきたのではないでしょうか。これらの文章、宮本常一著作集には収録されているのかな。

 長くてせいぜい2P前後、短い文章であれば本当に2〜3行程度の量なので、結構読みやすいかと考えがちですが、単文集ってのは、その都度頭の切換が要求されますので、結構読むのに疲れるのです。にしても、読み始めるとなかなか止まらないモノで、私は本書をおおよそ二回に分割して読み切りました。

 短文で、なおかつ今も存在するような一般雑誌、あるいはメディア向けに書かれた原稿も多く、普段の宮本常一ではあまり書かれないような世相の色が付いた文章も多いです。なる程と思ったり、イヤそれは違う、と思ったり、色々でした。

 あと、読み終えて思ったのは「この時代の老人達ってバイタリティーパナいな」ということ。これは別に宮本常一だけではありません。前世紀のうちに寿命を迎えてしまった人達の文章を読むと、既に還暦を過ぎているのに「人を集めて○○をやろうと思う」とか「こうやってこんな風に考えたのでやってみようと思う」という結びがすごく多い。
 また、それらの事柄の多くが、割と身近で実現可能な事というのも、またすごいと思います。というか、近頃のご老人が書くエッセイって、何かをやってみようと思う…という文章がとても少ない気がしていて、私はこう生きてきた…とか、私の経験からこれはこうだ…とか、あるいは個人でなにか出来る訳でもない政治とか国際情勢について語ったりなど…が多いような。

 と…宮本常一に関係ないこと語りましたけど、やはり老人になっても、自分の身の回りで何かしよう!と思い続けることは大切だなと思いました。

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百姓たちの水資源戦争/渡辺尚志

R0320677.JPG 日本史の素晴らしい所は、プロ、アマを問わず、このように様々な視点から新たな資料を探し出し、どんどんと新たな解釈、事実が追加されてゆくことだと思います。
 なので、10年前に書かれた江戸の歴史本など、大筋で大きく変わっている所はさすがに殆どないとしても、細かい解釈の違いは結構あったりします。

 そして、この渡辺尚志氏は、古民家から発見された古文書などを丹念に調べ上げて、従来の「武士階級から虐げられる一方の百姓」というステレオタイプの歴史感とはまた違った、新たな発見を何冊も本にまとめておられます。今回の新刊もそのひとつ。こちらではそのなかの「水利権」について調べられています。

 第一章は、江戸時代当時の水利権についての考え方、そして第二章がまた面白いのですが、大阪の大和川流域、藤井寺市周辺に残された古文書を元に、実例として水資源に関する様々な争い、裁判などをまとめています。

 色々面白い例があるのですが、その中で特に興味深かった点をざっくりと大筋だけまとめますと、例えば、江戸時代に争われた水に関する争いは、おおよそ「慣例主義」というか、昔はどうだったか…という視点に基づき判決が下されていたのですが、そちらが明治維新を迎え、西欧から「個人所有」という概念が入ってくるにつれ、判決もまた変化し始めます。
 つまり、従来は川を流れてくる「水」あるいは「水源」は、それに関わる共同体皆の財産であったという意識が、西欧的法律解釈の流入により、ここのため池の所有者は誰、そしてこの水源の所有者は誰であるというように、水という資源に対して「所有」が行われるようになった事。
 そして、その結果従来は慣例主義であった水資源に関する争いも、徐々に所有者の意向が有利になり始めた…ということらしいです。

 従来…というか、今でもそうですが、江戸時代から続く日本の農村の暮らしぶりが大幅に変化したのは、明治維新ではなく、戦後高度経済成長期と言われています。
 しかし、単純に目に見える「モノ」以外で、こういった精神構造の変化も、農村の変化を語る上で見逃せないと書かれており、成る程…と思いました。

 文章も平易で、普段こういった歴史関係の本を読んでいない人でも読みやすく、それでいて「自分達の意志」で自治に励んでいた江戸時代の農民像が、判りやすく学べると思います。
 学校で「江戸時代の農民は全国何処でも搾取される一方だった」と習ったままの人は、一度このような最新の歴史観が書かれた本を読んで、アタマをリセットしてみるのもイイかも。

RICOH GR


▼2014年02月23日

聡明な女は料理がうまい/桐島洋子

P2239034.JPG なにやら挑発的なこのタイトルですが、年末に出たブルータスの本特集2014で紹介されていた本。

 オビには「70年代のベストセラー、待望の復刊」とあります。初版(というか新装版)の第一刷が2012年9月。今回買った本は第二刷で2014年2月なので、あの特集に合わせての増刷かな?反響が多かったのでしょうか。

 読み始めると、1970年代的文章というか、ある種時代がかった雰囲気にのまれそうになりますが、ちょっと変なのはその気取った表現だけで、文意についてはとても普遍的で今の私達にも通じる事が書いてあります。つか、すごいよね…この人って。

 ウーマンリブ的な部分に幾つも触れてはいますが、これもまた時代なんですかね。因みにこの著者は世間で言われている所の「リブ」的人生論には全く興味がないようで…って当たり前ですよね、この人の生き様を見れば、男女の違いとかそんなの超越してる、とてもエネルギッシュでスタイリッシュな生き方をしてます。

 で、表題にもある「聡明な女は料理が…」ってのは、わかる気がするんですよね。私は別に女じゃないですが、料理というのは綿密な計画性と大胆な実行力…が求められる行為だよなぁと思います。
 確かにこれって、いわゆる世間で言われるステレオタイプとしての「女性的」な行いではないと思うんですよね。なので、女性に限らず男性でも、料理がうまい人が「聡明」ってのは、私も多いに賛成です。

 女性の家事が大変なのは、実はそれぞれの作業そのものではなく、毎日決められた資源(冷蔵庫の食材・資金)などを頭に置きながら、料理、洗濯、掃除、買い物、そして時には育児といった多くのことを毎日自力で計画を立て、実行しなければならないことだとの意見もあります。
 つまり、料理に限らず家事全般をちゃちゃっと片付けられる人は、自己計画能力と判断力に長けているわけで、そりゃ頭ちゃんと使う人じゃないと出来ないよね…と納得。

 前半がエッセイ、後半は短い時間の中でちゃちゃっと作る事が出来る料理の実践レシピが載っていますので、ある意味おトクな本かもしれません。

 あと「ツノっぽい」という表現は、なかなかイイな思いました。そそ、食欲だけでなく性欲も旺盛な人は魅力的だよね。

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宮本常一公演選集3:都市文化と農村文化

R0320625.JPG 農文教から出版されている、我らがみやもっちゃんの公演選集も、3巻まで発刊されました。

 しかし、相変わらずこの人の話は、本当に全てアタマに入れたいというか、素晴らしい見識ばかりです。また、知識の量が異常です。
 この本は、原稿用紙をまとめて出版しているのではなく、宮本常一がその口で語ったことを文章にしているわけですから、恐ろしいものです。
 そして、ひとつの事例に対しての枝葉末節まで知り尽くした上での公演は、生で聞ければさぞ面白かったに違いありません。

 本書の初版発行日は、奥付によると、2014年1月28日になっていますが、だとすると次の4巻は3月末ですかね。今から楽しみです。

RICOH GR


▼2014年02月10日

RDG・レッドデータガール/荻原規子

P2109024.JPG 怒濤のカドカワ電子書籍70%オフ期間を利用して購入(セール期間はもう終わっています)
 このお話、以前アニメにもなっていましたよね。確か1話を見た記憶がありますが、アニメの方の泉水子は、原作で描写されているところの、ちんちくりんな少女ではなく、今風なアニメ的美少女にアレンジされていますので、正直アレな気がします。自らの容姿にコンプレックスをもっていてこその泉水子だと思うのです…こちら、旧版の表紙、酒井駒子氏に描かれた泉水子の方がそれっぽくていいです。

 それはそうと、原作は面白い。こういうジャンル、なんていうんでしょうね。ジュブナイル小説とも言えない気がするし、もちろんラノベではない(現在ラノベ風表紙で再販されてますけど)、高学年向け児童文学なんですかね。
 丁度仕事でクソ忙しい毎日だったのですが、割と止まらず、結構短期間で全6巻制覇したという感じ。

 この小説読みながらずっと思っていたのですが、泉水子って、いつも一生懸命自分の事とか他人のこととか考えてるんですよね。みんな自分の事とか他人のこととか、いつもこんな真剣に考えているのかなぁ…と。申し訳ないですけど、私の場合、1人でいるときに他人のこととか全くといって良い程考えてないです(笑)。この辺がリア充と非リア充の差なのではないかと、読みながら思ったりも。

 その他、式神とか山伏とか、世界設定が厨二設定全開だったりするんですけど、主人公を始め周りのキャラ達が、分相応に幼い思考の持ち主なので、あまり違和感はありません。全6巻の間、中だるみもなく、常にハラハラどきどきしながら読み続けられました。

 最終巻、読み終えてしまうのが少しもったいないな…と思った小説は、久しぶりかもしれません。

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▼2014年01月03日

古本屋さんに本を買いに出かける

R0320334.JPG セコい話ですがw、最近ではちょっと「お高い」本が欲しくなると、ついついネットの古本屋さん検索を利用してしまうんですよね。そこで在庫を発見すると、実際に買いに行くという流れ。

 で、この前でかけてきたのは、東京は京王井の頭線「駒場東大前駅」近くにある河野書店というお店。静かな住宅街の中にある、とても雰囲気の良い古本屋さんでした。

 最近では、新刊を扱っている普通の店が、軒並み店構え、ラインナップ共に画一化されていく中、昔ながらの本屋さんの個性ってのは、古本屋さんの方が濃く残っている気がします。
 私がネットで見つけた古本を、通販を利用せずにわざわざ出向いて買いに行くのは(行けば売り切れてたというリスクを承知の上)、やはり、こういう本屋さんの雰囲気が好きだからじゃないのかな〜と。

 あと、自分が欲しい本が売っていた本屋さん、他にどんな本が並んでいるかも興味ありますよね。ひょっとして自分が知らなくて面白そうな本に出会えるかもしれません。この当日も、目的の本以外に数冊買ってしまったし。

 こういう楽しみがあるから、アマゾンがあろうと、会社の近くに三省堂本店などの大型書店があろうと、理由を付けて各地の古本屋に出かけていくのです。

 ちなみに、この日買いに行った本は、以下のリンクから。

▼2013年12月15日

灘渡る古層の響き/稲垣尚友

PC158830.JPG 柳田圀男が提唱した民俗学の中で、特定委地域を絞り込んで研究対象とする分野を地域民俗学といいます。こちらの本もその分野に含まれるのではないかなと。

 この本の舞台は、鹿児島県トカラ列島平島、島ではあるのですが、周囲を断崖に囲まれており,集落はおおよそ標高200m前後の辺りに位置しています。最近では金環日食で話題になりましたが、基本的には訪れる観光客も滅多になく、モノ好きな釣り客がたまに訪れるような人口80人程度の小さな島です。

 この本は、その島で行われていた町営放送の記録を辿りながら,昭和47〜48年前後に島で起きた事件を追い、島の生活を疑似体験しつつ、少人数で育まれている村の生活を明らかにする…といった趣旨なのかどうかは知りませんけど、ま、そんな本です。

 だって、本の第一章から「人のヤギの耳を切らないで下さい」です。
 島で飼育されている山羊について、誰かが勝手に耳切(耳を切る形により所有者を識別している)したことについて、こまった島にいる役場の駐在員さんが、放送で止めるように呼びかける…という話。
 ぶっちゃけ、その当事者以外にとってはどうでもいい話ではあるのですが、こういう細かい事件一つにしても、この村の特異性というか、さまざまな生活についてのリアルな実情が浮かび上がってくるのがとても面白い訳です。
 また、行政から派遣された役所の駐在員と、村の顔役である総代との権力の二重構造なども、村の生活には薄いながら影を落としていて、「あ、共同体生活ってこんなものだよな」などと、なかなか興味深く、また納得出来たりします。

 他、本書では結構な数の島の写真も掲載されており、これがまた素晴らしい。島の生活っていいな…とは安易にいえませんけど、やはり、失われた日本の農村、山村の写真は、どこはかとなくノスタルジーを感じます。
 また、更なるオマケとして、この本では紹介されている町営放送が収録されたCDまで付属!なかなかお得な感じです。

 実はまだ、半分程度しか読んではいないのですが、久しぶりに素晴らしい本だなぁ…と思って紹介しました。読み終えたらまたどこかでネタにします。

OLYMPUS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


▼2013年12月07日

空母入門/佐藤和正

R0320242.JPG お馴染み光人社のNFシリーズ文庫。Kindle化していたのでつい買ってみました。

 タイトルに「入門」とあるように、空母それぞれについての詳細スペックを記すというより、何故航空母艦が作られ、その後どのように進化していったのかを、それぞれの艦についての歴史を織り交ぜながら俯瞰するといった内容で、なかなか面白かったです。

 私は知りませんでしたが、船から飛行機を発進させ着艦させるというアイディアと実践は、ライト兄弟の初飛行からたった7年後の事だったんですね。その、世界で初めて船から飛行機を発進させ、着艦させることに成功した国はアメリカでした。

 そのアメリカの実験を知り、同じような船が出来ないか…と考えて試行錯誤したのが、当時の日本とイギリス。そして、そのアイディアは世界初の水上機母艦「若宮」となります。その後、日英では、水上機以外にも固定翼機運用を目指して改良が進み、イギリスでは改造空母フューリアスが生まれ、その後、日本は世界初の正規空母、鵬翔を竣工させます。

 そうなのです。空母を発想し制作し発明したのは、私達日本と、イギリス、アメリカです。この三国によって、航空母艦の基礎は作られました。

 また、本当に誤解している人が多いなと思うのですが、日本海軍は大艦巨砲主義を捨てなかった訳ではありません。むしろ当時の列強で一番速く戦艦に見切りを付け、戦艦建造を辞めたのは日本だったりします。
 なので、大和型戦艦を日本海軍の技術力の頂点と考えてしまうのは間違いで、例えば空母瑞鶴に搭載されている主機は、大和型よりも出力が大きく高性能なのです(アルペジオ8巻で重巡タカオが海域強襲制圧艦ズイカクのエンジンパワーに驚くのはそのせいなのです)

 その後の空母史は、恐らく皆さんご存じの通り。日本海軍によって生まれた「空母機動部隊」という編成は、今までの海戦を全く別な戦い方に変えてしまいました。海の主役は戦艦から空母になり、1回海戦を行う度に、おびただしい数の艦載機と燃料、そして人命を失う、ある種消耗戦となります。

 空母戦を陸上戦闘に例えて考えてみると、戦争の近代化というのは基本的に全て同じ事に気がつくはずです。
 戦場という空間に、機械化された火力を際限なくつぎ込む近代地上戦闘。地上での戦いが、鉄道やトラックなどを用い、古代の戦争では考えられない程の人員と兵器を集中運用出来るべく進化したのと同様、海の戦いも空母というプラットフォームを用いて、戦場におびただしい数の人員と兵器・火力を投入する事が可能となりました。
 かつての大艦巨砲主義時代に見られた、強力な主力艦が中心となって敵艦隊を殲滅するというヒロイズム溢れた戦いとちがい、空母同士の戦いは、まさに海上の国家総力戦。海の上の戦いは、より凄惨なモノへとシフトしてゆきます。

 そんな中、本当にどんな本を読んでも感心させられるのですが、アメリカ軍の臨機応変さは本当にすごいと感じます。
 太平洋戦争でアメリカが日本に勝った理由は、暗号解読に成功したからとか、そもそも国力がすごかった…などと、今の日本人は老人も若者も負け惜しみなのか、アメリカが戦争で勝ち続けている根本の原因を考えようとしません。

 アメリカが第二次世界大戦で勝利し、冷戦でも勝利し、世界唯一の超大国になった理由は、アメリカ人が常に戦争という事象に対して、いつも極めて誠実であるからなのです。

 そんな事を考えながら、空母の歴史について楽しく学べました。光人社NF文庫は結構当たり外れが大きいのですが、こちらの本はなかなかよかったですよ。

RICOH GR


▼2013年11月07日

人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか/高城 剛

PB070296.JPG HONZのこの記事読んで興味を持ち、思わず購入。書評通り、とても面白かったです。

 本書に登場するのは、フランスとの国境に近い、スペインバスク地方にある「サン・セバスティアン」という街。バスク地方と言えば、自転車好きにとっては、あのインドゥラインの故郷ということで耳にしたことあるかも。

 スペインの人口4,500万人に対しての18万人都市なので、本書を読んでから想像するほど小さい街でもないかもしれません。日本の人口比率で考えると、大体40万人都市でしょうか。ザッと上げてみると、福島市・郡山市・水戸市・高崎市・前橋市・長岡市・長野市・松本市・沼津市・などなど…。ま、そんな規模の都市をイメージすると判りやすいのかも。

 で、サン・セバスティアンが何故すごいのかというと、こちらの街、この規模の街の中に、英「restaurant」誌が選出する、世界でTOP-10に入るレストランが二軒もあるそうなのです。美食に縁が無い私には、これがすごいのかすごくないのか、本を読んでいるときにはよく判らなかったのですが、「群馬の高崎市内に世界のTOP-10に入るレストランが二軒もある!」と考えれば、確かにすごいかもしれません。

 その他、詳しい話はこの本を読んで頂ければ判ると思うのですが、この「サン・セバスティアン」が、上記のような大成功を収めた理由は、食のオープンソース化にあるそうです。
 つまり、フランス式、あるいは日本もおおよそ同じだと思うのですが、厳格な師弟制度を否定し、食を科学として捉え、その情報をオープンにして、更なるアイディア、改良をフラットに求めるというものでした。こちらはコンピュータ業界ではお馴染みですよね、UNIXとかLINUXとか、そういう世界に似ているのかな。
 結果、サン・セバスティアンの街は、美食で溢れ、海外からの観光客も増え、街にも活気が戻ってきたとのことです。

 またこの事例は、日本が観光立国として進むにあたってのヒントにもなると著者は書いています。そして、アホみたいにゆるキャラばかりつくる、日本の観光政策についても批判しています。たしかに…そんな頭のねじが緩んだ観光振興策じゃ、パッと話題にはなっても、10年後とかどうしようもないよね。

 製造業が衰退する中、日本だけでなく、この先世界の主要産業は「観光になる」という主張は、ちょっとどうかな?と思いますが、確かに、何かと協会や組合を作って外部への情報発信と情報収集を遮断しがちな日本社会には、このサン・セバスティアンの成功例は耳が痛い事例ではないでしょうか。多分今の日本人にはマネ出来ないんでしょうけど。
 そうそう…最近読んでいる別の本ですが、この閉鎖的な産業構造は「商店街は何故滅びるのか」の考察にも結構重なる部分があるなと思いました。

 もちろん、オープンソース化が全てを解決する訳ではありません。特にその供給元にとっては、時に厳しい決断となる場合も理解します。
 しかし、そのまま伝統や知識・知恵などが、先細りで消え去ってしまうよりは、ずっと前向きな取組み出あることは間違いないと思いました。

 最後にちょっとだけ不満を。自称「ハイパーメディアクリエイター」なら、自著は電子書籍でも販売してほしいものデース。

OLYMPYS XZ-1


▼2013年11月04日

国家はなぜ衰退するのか/ダロン・アセモグル

PA270274.JPG 私達が所属している「国家」には、何故強弱があるのでしょうか。何故貧富の差があるのでしょうか。言っちゃなんだけど、皆さん何となく想像はついているんじゃないかと思うのですが、概ねそんな感じの分析がなされています。

 別にネタバレしても関係ないと思いますので、敢えて書きますけど、この本が言うところの国家の繁栄、そして衰退は、生み出された利益が国民へ適切に分配されるかどうか…によって決まるといいます。つまり、人種の差、地政学の差は、決定的なモノではないらしいです。

 冷静に考えてみると、確かに国家の栄枯盛衰とは、そんなものかもしれません。古くはローマ帝国から、大航海時代のヨーロッパ、その後に起きる産業革命と植民地主義、更に日本の急速な近代化。それぞれの時代で富を独占した国は、平等な法律により、膨大な利益を国民へと正しく還元することで、国体を強化してきました。

 と、こういう話をすると「大航海時代のヨーロッパの何が平等なの?」とか「日本には士農工商という歴とした身分制度がありましたけど?」などと、旧態依然とした階級闘争史観を持った人たちが反論してくるかもしれませんが、これらの国は歴史的尺度で見ると、概ね平等な社会でした。
 ホントの独裁者ってのはマジすごいですからね。それこそ、アフリカや共産主義国家の独裁体制を勉強した方がいい。また彼等は、自国民が商業で稼いだ金を意味もなく没収とか、裁判ナシでの国民処刑とか、あまつさえ気に入らない人間は奴隷として海外に売り飛ばすとか、やりたい放題してました。そして、そういう国は当然衰退しますよ!という…ある種当たり前な事例を、本書では丁寧に解説してあります。

 個々の事例については、ちょっと怪しい部分もそれなりに見受けられるのですが、私も概ねこの著者の意見には賛成する気持ちで読み進められました。
 所々、アメリカ的理想自由主義の色が濃すぎな部分もありますが、個人の成果が適切に個人へ還元され、その一部が共同体に還元されること…そういう体制じゃないと、確かに常識として国と社会が繁栄するはずもありません。

 また、現在のアフリカが何故いつまでも貧困のままなのか。その理由もよくわかる気がします。国民が国家を信頼しない国に繁栄などある筈もありません。

まだ軍隊に行くのがエリートなこの国が、王家という中枢を失ってみろ。国を海外に売り飛ばす奴がでてくるぞ。

 上記は記憶で書いているので細かいところで間違いがあるかもしれませんが、これは「エリア88」というマンガの中で、サキ・ヴァシュタールがアスランの民主化について発言したセリフです。本書を読んでいて、ふと上記のセリフを思い出しました。

 社会や国家が信頼出来ない民族は、他人も信用出来ないため、何よりも血縁関係を大事にします。つまり、そのような国民が大勢いる国家は、形だけ近代化しても、自力で国家としての繁栄は成し遂げられない集団だということです。
 多くの国民が、国家という概念を理解せず、しかし国際社会で国家として存在しなければならないアフリカ諸国(+アジアのあの国)に、真の意味での繁栄が訪れる日は、まだまだ先なのかなとも思いました。

 そうそう…写真にもありますが、こちらの本は上下巻ともKindle版を買いました。こういう重い本がKindle化されるのは本当に便利で嬉しいです。

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神田古本まつりに行ってきました

R0312301.JPG 神田神保町で開催されている神田古本まつりに出かけてきました。つか、金曜日会社帰りにも寄ってきたんだけどね。

 古本とか、買うつもりで出かけてしまうと、何冊買ってもキリがないので、今年は見物ムードで出かけることに。で、私としては「本屋さんで既に買うと決めた本があれば買おう」という縛りをつけました。

 しかし、本が大好きな人って沢山いるよねぇ。というか、逆にこの規模のお祭が日本最大級ってのは、読書人口が減っているって事なのか…よく分かりませんけど、お年を召した男性女性が物欲ギラつかせている姿は、なかなか見ていて楽しい感じ。

 あと、神田三省堂の裏道では、好例の出版社直販セールが行われていています。こちらではおトクに本が買えるのも嬉しいのですが、その他、色々小さな出版社の本を、会社別に眺めることができるのも面白いですね。

R0312304.JPG つことで買ってきた本は、森話社の「海の熊野」という本。以前から買おうと思っていたのですが、こちら定価が3,500円なのでチト高い。それが、買値は明かしませんが、バーゲン価格で手に入れられたのは、とても嬉しいです。古本まつり行って良かった。

 他、欲しい本は沢山ありましたけど、上記のMyルールを頑なに守り、がまんがまん!買わないで本を眺めるだけで満足することにしましたよ。

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海の熊野/谷川健一・三石 学

▼2013年10月28日

バイバイ、ブラックバード/伊坂幸太郎

PA050265.JPG ちょっと前の話なんだけど、文庫化されたようなので買ってみました。

 なんでも、二股ならず五股をかけていた主人公が、ひたすら女と別れるだけの簡単なお仕事…(笑)をテーマにした小説だということ。
 年がら年中、人から捨てられるばかりで、こちらから別れ話なんて高尚なことは一生経験が無いであろう私ではありますが、ひょっとしたら何かの時の参考になるかと思って読んでみます。

 このお話は、繭美という女性がキーになっています。これがまたすごい大女でブスで粗雑でガサツ、オマケに性格が悪いという最低最悪な女なのですが、読み進めるにつれて何か憎めない感じになってきます。
 逆に主人公の星野と付きあっていたという女達の方が、なんとなく不気味な気がしました。私には経験が無いので知りませんけど、男女の付き合いってあんな簡単なコトからホイホイ始まるものなんでしょうか?

 つことで、五人との女の別れがオムニバスアルバムのように展開していき、とても気軽にサクッと読めてしまった小説でした。文体も軽快で、また、悲しいシーンにもちょっとしたユーモアの雰囲気があって、とても面白かったです。

 ラストのオチについて、アマゾンのレビューを読むと納得いかない人が結構いるようですが、ああいうサッパリとした終わり方も良かったですね。
 また、彼の他の小説も読んでみたくなりましたよ。

RICOH GR


▼2013年10月27日

宮本常一公演選集1・民衆と文化史

PA270272.JPG みんな大好き!みやもっちゃんの公演選集です。農文教から発刊されておりまして、以降は2ヶ月に1冊程度のペースで発刊される模様。

 私が彼の著書に魅力を感じる訳は、彼の学問には、過去を向いた研究室の学問ではなく、常に未来を見据える提言が含まれているからです。

 本書の中でも彼は「社会問題というのは1日で出来るものではなく、背景には歴史があり、その歴史を調べると人々が何を目指して生きてきたのがわかる、それを体系化したい」みたいな事が述べられています。

 民俗学者というと、よくわからんお寺や祭りを調べるだけの印象がありますが、彼の民俗学は、日本民衆の生き様をリアルに伝えると共に、彼自身、日本の農村を豊かにするため、農作物の栽培方法や文化を様々な土地に伝えたりしています。戦後の日本、宮本常一のおかげで新な土地で栽培を始めた農作物は結構多いのです。

 私自身「歴史学者や民俗学者は現代の社会問題や犯罪に対して積極的に発言すべき!」と思っていますが、彼のように集めた知識を正しく日本の未来に向けて活用しようとする歴史学者や民俗学者が少ないのは残念なことだなぁ…と思います。

 もう、一冊丸々引用しまくりたい程珠玉の言葉で溢れているのですが、その中でちょっと面白い部分を引用。

日本人ほど時なしにものを食べる民族はなかったのではないかと思います。定期的に三食を守って、それ以外にはものを食べないという欧米流の生活ではなくて、やたら食べ、そして日常の三回の食事の時にはあまりおかずは食べません。これが、いつ行っても喫茶店が賑わっているという文化を生み出してきたのではないでしょうか(中略)そのおかげで東京の飲食店は繁盛し…

 これだけを読むと「え?日本人ってそんなに間食多いかな」と思ったりもするのですが、それは私達が戦後、学校生活や会社勤めで時間に縛られた生活を送っているためであり、ここにたどり着くまでの圧倒的な彼の経験に基づく話を読むと、確かに日本の飲食店数はとても多く、時間に支配されない休日などは、あまり時間に関係なくお客入っているよなぁ…と考えたりするのです。

 そういえば、ミシュラン東京の編集に際し審査員の方達が、日本の飲食店数は、他の大都市に比べ桁違いに多いと発言していました(東京約16万、パリ約1.5万、NY約3万、らしい)。日本にいると意識しませんが、外国から見ると日本は飲食店が多く繁盛しているのは事実なのでしょう。これは、宮本常一が言うように、過去の日本の間食という風習が、現代の日本にも通じている例なのかもしれません。

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▼2013年10月26日

「城取り」の軍事学/西股総生

R0312235.JPG 前のエントリで書いた、初Kindle購入本。早速読んでみました。

 私は普段から「お城」について、特別な興味を持っていた訳ではないのですが、やはり、日本史、合戦史、ならびに交通史への興味から、お城についてもそれなりに気にはしていたというレベルです。
 しかし…日本の城研究がこっちの方向に行ってしまっていたんだなぁ…というのは、この著者の主張と同様、嘆かわしいと思いました。

 「城」とは何か?と問われれば,もちろん「戦う」為の施設であります。江戸城や名古屋城、大阪城など、領土本拠地としての天守をもった城ならともかく、多くの城は戦うためだけに作られている訳で、全ての城に城主などいる訳がありません。また、大規模な城ならともかく、山城程度が全て領主勅命により建設される訳もなく、現場の司令官が現地制圧のため、あるいは敵を迎え撃つために急造したモノも多いはずです。近代戦における塹壕陣地とかトーチカみたいなノリで。
 そう考えると、確かに日本の城跡のほとんどに、城主や誰によって作られたかの詳細なデータが有る訳も無く、確かに著者の言うとおり「城跡の説明板は読むな!」という主張も、極論とは言え、確かにそうかなぁと思ったりします。

 また、日本の城研究の多くが、戦闘的視点に欠けていたというのも別な意味で衝撃を受けました。だって…私は山城の跡とか見たら思わず「この城は今私がいるこの道を監視するために作ったんだな」とか「このルートを攻略するにはあの城が邪魔だなぁ」とか、普通に考えていたからです。

 もっとも、この影響はやはり学生時代にシミュレーションゲームにハマっていた影響なのかな…と思ったりもします。緩やかな丘陵地や川沿いの地形を見る度に、ごく自然に「ここに軍団を展開するにはこの位置から見下ろす位置に陣をはって…」みたいな事を、いつも考えたり。そういえば京都に行ったときもそんな事考えたりしてたし…(笑)、これもまた極端かもしれませんけどね。

 そんな私にとって、本書の城と地形に対する考え方は、ホントにすんなりと頭に入ってきて、とてもエキサイティングでした。また、にゃんぱす紀行で寄った青山城についても詳しく解説してたのはよかったです。最近に現地を見たばかりの城なので、とても理解が深まりました。

 例えば、本書に掲載されていた長野盆地の山城群ですが、多くの人は「なんでこんな山の中にいちいちお城築くんだろう…」と思ったりすると思うのですが、現代の地形と戦国時代の地形とは意味が違います。例えば、長野平野の都市部にあたる大部分は、開拓が始まるまでは葦に埋もれた湿地帯であり、現代のように固い大地ではありませんでした。

 これは関東平野にも言えることで、関東の古道である「鎌倉街道」が、どうして山地の方を通っているのかというと、私達が今想像する「関東平野」は、これもまた葦で覆われ、雨の度に地形が変わり、馬車などはもちろん、馬の移動にすら苦労を強いられる湿地帯なので道にならなかったからです。今の関東平野の大部分は、江戸時代…もしくは明治時代以降、河川の整備によって固い大地に生まれ変わったものです(余談ですが稲作ですら日本で始まったのは丘陵地からでした)
 そのため、昔の道は案外山の中を通っていたりすることが多いのです。

 そんな予備知識を持って、本書を読んだり、城跡を訪問したりすると、その意味がとてもよくわかると思うのです。現代の私達が「何好き好んであんな山の中に…」と思う場所も、実は昔の道を見下ろせる場所だったり、あるいは山間の峠を容易に封鎖出来る場所に立っていたりします。

 昔の地形や風景を想像しながら、本書を片手にGoogleマップで位置を確認するとか、歴史好きの方なら結構楽しいのではないかと。というか、私は楽しかったです。

 この西股総生という方は、もう一冊「戦国の軍隊」という本を書いていらっしゃるようですが、こっちも読みたいのですが、まだKindle化してないんだよね〜。なのでしばらく後回しかな。

RICOH GR


▼2013年10月19日

セール中のkindle paperwhite 3Gを買ってみた

EA190352.JPG そろそろ電子書籍な気分?って訳でもないですが、最近ゾンアマさんで本を買おうとすると、意外とKindle対応の本が増えてきたな…と思っていたのです。

 そんな折、ブログ友達のakiratch氏が、どうやら最近Kindle版での漫画購入にはまっているらしく(この辺わかりにくいのですが、彼がKindleというハードウェアを持っているかは不明)イニDとかFとか全巻揃えたみたいな事を顔本の方で書いていたので、だんだん興味を持ってきました。

 去年の販売時前に一度予約しましたが、時期尚早かと思い予約を一旦取り消した経緯もありましたが、そろそろいけるのかな?と思って、新型機発売にともない10月20日迄の限定でAmazonでセール中になっているkindle paperwhite 3G(2012年版)を購入。昨晩無事手元に届きました。


● 司令官、Kindleに3G回線があるじゃない!

 私がKindleというハードウェアの中でpaperwhiteを選んだ理由はハッキリしていました。

 上級機であるfireなどのカラーディスプレイ付きKindleは、私が持っているiPadと競合します。というか、それを使うならiPadでKindleアプリを使えば充分なのです。
 fireよりもpaperwhiteが優れている点は、電子インクによる可視性と、2週間保つというバッテリ、そして本体が軽量にできていることにあります。特に本体重量は、一般的な文庫本の平均よりも軽いとされる222gです。つまり、持ち出して「本を読む」事に特化したハードウェアであるのが魅力です。

 次に、何故wi-fiモデルではなく3Gを選んだかというと、値段も安かったというのもありますが、やはり「何処でも本を買える」というソリューションに魅力を感じていたからです。それと、私が今までKindleで本を買うときは、iPhoneアプリで殆ど外出先というシチュエーションが多かったからというのもあります。
 私の場合は普段はPocket Wi-fiを持ち歩いていますので、実はKindleが3Gモデルである必要性はかなり薄いのですが、やはりガジェットの基本はスタンドアローンでネットワークにつながってこそ!
 実際は3Gネットワークで外出時に本を探して買うというより、失礼な話ですが、本屋さんで見つけた面白そうな本のKindle版があるのか?をその場で探して買う事の方が多い気がします。
 あ、ちなみにKindleの3G通信は無料ですが、KindleストアとWikipedia以外の閲覧は制限されてますよ。無料なので仕方ないですね。

 最後に何故セール中とはいえ旧モデルを買ったのかというと…このkindle paperwhiteというハードウェアは、ハードウェアに価値を見いだすビジネスモデルではないからです。
 Kindleというソリューションの価値は、当然ながら端末ではなく、購入したコンテンツにあります。私達はそのコンテンツを、iPhone、iPad、アンドロイド端末、PC/MAC(日本のアマゾンではまだみたいですが)、そしてKindleのハードウェアを使って利用できます。kindle paperwhiteという端末は、その中でひとつの閲覧手段でしかありません。だったら、何も最新機種ではなく、型落ちの安い品を2年程度で使い捨てにしていった方が合理的な気もしますし、今頑張ってニューモデルを買っても、結局1年経てば同じです。
 更に私の場合は、iPhoneもありますし、iPadもあります。kindleで買った本をカラーで大きく綺麗なディスプレイで見たいなら、iPadで見ればいいのです。paperwhiteは、あくまでも外出先で文字を読むための端末であればそれで充分。最新スペックのハードウェアである必要はありません。

 私がすぐに旧モデルになるpaperwhite 3G 2012を選択した理由は、以上です。


● じゃーん!Kindleの使い勝手を紹介するわ

 ということで、私にとって初の電子インク端末ですが、これは想像以上に本を読むのに適していると思いました。
 記念すべき、kindle paperwhite内からの初購入書籍は「城取りの軍事学」という本。本屋さんで買おうか迷っていたのですが、Kindle版があるのを見つけたので。

 早速読み始めてみると、Kindleの書籍は、一般的な本のように、手や指でページを押さえながら読む必要もないし、暗いところでもディスプレイ自体が発光していますので、とても読みやすい。私はまだ老眼のケはありませんが、文字サイズを自由に変えられるというのは、お年を召した方にとってもすごく便利だと思います。

 また、私の読書スタイルとして、複数の本を並列で読むことが多いので、常にカバンの中には2〜3冊の本を入れて歩いているのですが、これらの本が全てKindleで買えるならば、この端末一台を持ち歩けばそれで済むこととなります。そうなると毎日の荷物が劇的に軽くなってこれまたとても便利です。

 逆に欠点というか、少し気になるところは、液晶の反応速度が遅いこと。
 これが気になるのは読書中ではなく、スリープ解除時にパスワードを入力するときや、内蔵ブラウザでアマゾンの本を検索する時など。もう少しキビキビと反応してくれるといいなと思いますが、本を読んでいるときにはあまり気にならないので、別に問題ないかな?

 あと、これはKindleではなく電子書籍全般の欠点だと思いますが、ページのあちこちを行ったり来たりするような読み方がめんどくさいかも。例えば今読んでいる第五章の登場人物について、ちょっと生い立ちを忘れたので第一章に戻って…みたいにパラパラーとページをめくるやり方が印刷本よりもやりにくい。栞やブックマーク機能を使いこなすって方法もありますが、そういう事でもないんだよね。


● 堅苦しい活字本より、やっぱコミックよね!

 つことで、活字本が読みやすいのはわかったとして、コミックはどうなんでしょう?と思い、前のエントリで紹介しました「のんのんびより」の原作コミックKindle版を買ってみましたよ、にゃんぱす〜。

EA190346.JPG コミック本の場合、活字本に比べデータ量が多いので、3G通信でのデータダウンロードが制限されています。購入手続きはできるのですが、Wi-fi環境がなければ端末に購入した本を持ってこられないのです。ま、仕方ないですね、無料の3G通信させてもらってる訳ですから、あまりトラフィックを占有する訳にもいきません。

 さすがに絵のデータはちょっとは違和感あるのかな?と思いながらもページを開いてみますが、思ったよりもちゃんと読めるというか、読みやすいですね。カラーページもキレイにグレースケール化されています。むしろ、最近のマンガは余白をタチまで使ったり、ノド(本の中間で閉じてある方)元まで絵を描き込む作家が増えていますので、一般の本と違って1P全体がクッキリ真っ直ぐ表示されているのは、生原稿を見ているようで何か新鮮な感じがしました。

 カラーページについては、私の場合は別にiPadがありますので、こちらも問題ないですね。ただ、paperwhiteオンリーで漫画を買って見る環境だと、当然カラーページはカラーで見られませんので、印刷版よりも少し割安とは言え、Kindle版だけだとちょっと欲求不満になるかもしれません。


● kindleの魅力はどう?へ?気付かなかったの?ひっどーい!

 ということでまとめですが、これが約1万円の価値があるハードウェアなのか?と言われると、ハードウェアとしては1万円の価値ないと思います。というか、kindle paperwhiteはそのような製品とサービスではありません。

 ではこのkindle paperwhiteの何処に価値があるのか?というと、本を沢山買って沢山読んで、アマゾンに魂を売ってもいい人にとっては、素晴らしい読書ソリューションです。
 なんたって、買った本を何千冊も(公式では2,000冊だっけ?)持って歩き、自由にいつでも閲覧出来るんです。しかも物理的に本を収納するスペースは必要ありません。特に旅行に出かけるときなどは便利でしょうね。本って意外とかさばりますし、長期の旅行だと暇つぶし用の1冊じゃ足りません。

 同様のサービスでは、楽天のkoboがありますが、Raboo切り捨ての顛末を見る限り、あちらに魂を売るつもりにはなれません。
 もちろん、アマゾンが未来永劫のサービスだとは私も思っていませんが、国内のkoboサービスなんて気まぐれな楽天のこと、来年にサービス終了のアナウンスが出ても、別に不思議じゃないですからね。

 どちらかというと、この手の電子書籍端末には否定的な方で合ったワタシですが、スマートフォンで読む電子書籍と、専用Kindle端末で読む電子書籍では、コンテンツの評価すら左右しかねない程、メディアとしての差が実感出来ました。

 電子書籍という形態にあまり抵抗がなく、普段からそれなりに読書を楽しんでいるなら、これらの電子インク端末は、知的エンタテイメントのより良いパートナーとなってくれると思います。

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▼2013年08月14日

鉄砲を捨てた日本人/ノエル・ペリン

P8140004.JPG 歴史の本としての体裁を取っていますが、実は思想書と言った方が正しいかもしれません。

 私達日本人が初めて「鉄砲」を手にしたのは、1543年9月23日、種子島に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人が持っていた火縄銃を手にしたときです。時の種子島島主がその銃に興味を持ち、二千両という破格の値段で買い取ります。そして、丁度戦国時代だった日本の隅々にまで広がってゆきます…というのが、歴史の教科書で習う記述です。

 でも、冷静に考えると,今まで見たこともない「鉄砲」と呼ばれる武器を、たった二丁買い取っただけで、すかさずコピーしてしまう当時の日本の技術力には驚きますよね。しかも、場所が「堺」や「国友」という技術者の街ではなく、種子島という田舎(失礼)であることも注目だと思います。これは、当時の日本で、銃製造に必要なレベルの製鉄・冶金技術が国内で普遍的に広まっていたという証拠になります。
 本書では「日本刀制作の技術があったので銃の製造は容易だった」みたいに書いてありますが、当然ながら日本刀制作技術だけで銃の制作はできない訳で、当時の日本の鍛冶職人達は「鉄」という素材について、幅広く深い知識を共有していた…ということになるでしょう。

 因みに、現代においても銃の設計と製造というのはそれなりに大変なことで、コピー品のAK-47製造はともかく、独自に高性能な銃を設計・製造出来る技術を持った国は限られています。完全オリジナルに近い銃を製造できるのは、アジアでは今でも日本くらいかな。
 激しい衝撃と温度変化、並びに粗雑な扱いに耐え、暴発などを絶対に起こさないようしかも安く設計しなければならない銃とは、火薬や冶金などに高度な技術と経験則が求められ、コピーは簡単でも、オリジナルの設計はなかなか難しいのです。

 で、16世紀に戻りますが、当時の日本人は、その二丁の銃を元に、様々な改造…再設計を施し、日本国内で大量生産を始めます。呆れたことに、その数は全世界の銃を合わせた数よりも多いとされていて、戦国の日本国内は大量の銃で埋め尽くされます。
 やがて、秀吉の時代になり、日本が平定されてゆく中で余り始めた銃は、逆に東南アジアへと輸出されるようになります。その時の日本製火縄銃の評価は、それなりに高いモノだったようです。

 で,ここからが本題なのですが、世界の全てを合わせてもまだ多いとされる銃を、日本社会は何故か捨ててしまいます。もちろん、秀吉の時代に行われた、刀狩りなどによる在野の武器強制徴収政策や、次の徳川幕府による徹底した軍縮命令(武家諸法度等で、銃はもちろん、城、刀、軍備など幅広く縮小させられた)によるものではあるのですが、刀については、なんだかんだで皆手放さなかった割に、大量の銃だけが綺麗さっぱりと日本国内から消えてゆったという現象は、お上からの命令だけでは説明しきれないと思うのです。
 この著者は、その理由を日本人特有の「美意識」に求めていますが、私としてはなかなか納得できるモノではないな…と考えたりします。

 当時の日本人が、そろそろ終わりにさしかかっていたとは言え、野蛮な植民地政策をとっていた西欧諸国すらびびらせる程の重武装を、たった100年程度で放棄してしまう事は、確かに世界史上では大変珍しい出来事かもしれません。
 しかし、お隣の大国中国を見ても、大戦乱の中、中国を統一した王朝は、割とアッサリ軍備を解体してしまい、その隙にまた北方蛮族に襲撃されて慌てるというマヌケな歴史が何度かあったりするので、この軍縮という考え方は、ひょっとしたら、アジア的価値観の中でもう少し説明できる現象なのかも…とも思ったりします。

 また、ここであまり突っ込んだ説明はしませんが、象徴的な日本国の皇帝である天皇家は、歴史上軍隊を殆ど所持していませんでした。
 武士の前の時代、象徴ではなく実質の皇帝であった時代にも、天皇家は私設軍隊を所持せず、必要な軍備は傭兵を用いて対応していましたし、また、用が終わればその軍事力を維持しようとせず、アッサリと解雇したりしていました(だからこそ職と食を失った武士が団結し、後の武家社会が始まったとも言えるのですが)
 何が言いたいのかというと、私達日本人は、昔から軍事力については血をもたらす「穢れ」として、忌み嫌っている部分が多かれ少なかれあったということです。この考え方は案外現代人である私達にも受け継がれていて、現代の反戦運動についても、理屈ではない部分での軍隊への嫌悪感は、この「穢れ」の思想が続いているのではないかな?と思っています。

 そんな日本人だからこそ、軍事力の象徴であった「銃」を、割と当然のように捨ててしまったのかもしれませんし、その心境は、残念ながら私も普通に理解できてしまうのです。だって…必要ないのに軍備増強してても仕方ないし(笑)
 なので、本書で言うところの「美意識」というのは、西欧的価値観による後付設定なのかも…と思ったりもしました。

 ま、色々とダラダラ書きましたが、本書は、世界史上でも珍しい、江戸時代前期に起きた「軍縮」にスポットを当てた思想書として、なかなか面白いです。しかし、この思想が現代の核軍縮理論にそのまま結びつくのか?といえば、ちょっと疑問ではありますし、少しユートピア的過ぎるかもしれません

 何故なら、私達日本人はイザ軍備が必要とあらば、すぐに周辺諸国が引く程に重武装することを繰り返している訳ですから。

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▼2013年07月30日

太平洋の試練/イアン・トール

P7271860.JPG 少し前に読んだ本なのですが、艦コレ始めた記念で今更紹介。副題には「日本が戦争に勝っていた180日間」とあります。

 先の太平洋戦争について描かれた本で、個人的には、戦後日本人が書き起こした本は、あまり内容について信用できない気がしています。
 何故から当時の軍部の情報分析能力について問題視することが多い割には、それらの本の著者達も、「硬直していた組織」とか「大艦巨砲主義から抜け出せなかった」とか、はたまた「烈風があと1年早く完成していたら(藁)」など、まともな客観的分析を行っているとは思えないからです。
 ちなみに、組織については当時の軍の人事を調べると、日本軍だけが年功序列型の硬直した組織ではありませんでしたし(むしろヨーロッパの方がヒドイ?)、世界で最初に戦艦建造を止めた列強は日本だったりします。

 そのように、負けた側ばかりの資料や証言を並べ立て、失敗の本質を探ろうとしたり、反省会を行っても、無意味だと思うのです。
 何故なら、太平洋戦争当時のアメリカ人は、本気で日本に負けるんじゃないのか?と思って、日本を真剣に恐れていたからです。

 この本は、日本人としてなかなか冷静になりきれない、太平洋戦争という事象のドキュメントを、アメリカ人らしいクールでドライな視点でまとめています。

 正規空母の集中運用という破天荒な戦術による戦果の恐ろしさ、日本兵による正確で冷静で秩序ある行動がもたらす、戦争序盤における破竹の進撃など、序盤のアメリカ軍とアメリカ国民は、日本軍の恐怖に支配されていました。
 しかし、日本における膨大な情報を分析したり、特に決定的なのが、日本人の軍組織、用兵術を真剣に研究し学んだことにより、アメリカ人は少しずつ自信を取り戻してゆきます。

 当時の日本軍や、今の日本人に決定的に足りない部分は、そういった事実を冷静に分析し、相手の行動や戦術を客観的に検証し、行動に移すということではないかと私は思います。内輪同士で自己反省文ばかり書いていても、状況は改善しませんし、未来の教訓にはなり得ません。

 他、本書の内容としては、空母戦のすさまじい描写が印象に残りました。飛行甲板に爆弾が命中し、後半に穴が開き爆弾が炸裂し、火災が発生する中、船体は火による高温で触れなくなるくらいに熱くなり、飛行甲板とキャットウォーク上には、多数の死体が散乱するなど、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図です。私が知らないだけかもですが、被弾した空母における地獄の船内状況を、ここまでリアルに書き起こしている本は、少し珍しいかも。

 ちなみに当時の空母戦とは実質消耗戦でもあり、1回の出撃で戦果を出すには、確率として搭載飛行部隊の攻撃隊1個を失います。これは日本軍も米軍もほぼ同じです。両軍におけるその拮抗した戦力バランスが崩れたのが、ミッドウェイ海戦で、日本軍は、正規空母4隻という損耗もさることながら、同時に4隻×2〜3個の搭載航空部隊を失いました。
 ボロ負けした日本軍ですが、次の南太平洋海戦では辛うじて勝利し、アメリカ軍の稼働空母を0にする大戦果を上げますが、多数の優秀な乗務員、航空兵を失っているため、日本軍の反撃はここまで。後はジリジリと負け続けてゆきます。
 ミッドウェイでの敗戦がなければ、ガダルカナルでの無駄な消耗戦を行わなければ、手持ちの航空隊をあと数回運用するチャンスがあった訳で、よく言われるように、日本の敗戦を1年位は遅らせることが出来たかもしれませんね。

 日本の戦史では突出して資料の多い太平洋戦争ですが、アメリカ人がアメリカ人の視点でまとめた本というのは、そんなに多くないです。
 そういう意味で、本書は、あの戦争をアメリカ人がどう捉えていたのかがリアルに記されている貴重な資料であり、また、それに繫がる戦後、何故アメリカは日本を全力で支援し復旧させたのかも理解できる気がします。

 当時のアメリカ人は、本当に日本人が怖かったのです。

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▼2013年06月17日

蔦屋書店フォレオ菖蒲店へ出かけてきました

P6161687.JPG 開店当初はかなり話題になった店舗です。スーパーマーケットが郊外中心にシフトする中、本屋さんの中心も、都心ではなく郊外へシフトしてゆくのか…とかね。

 この手の「郊外型超大型書店」は、既に北海道地方で展開されているコーチャンフォーが嚆矢です。ただ、北海道地方ではそれなりに成功を収めていても、本州…というか、関東圏への進出はありませんでした。

 そのコーチャンフォーでの成功(?)を横目にしているのか知りませんけど、全国最大規模の書店チェーンを展開するTSUTAYAも、郊外に超大型書店を誕生させました。それがこの蔦屋書店フォレオ菖蒲店です。
 開店は2012年3月17日だったらしいので、オープンして一年ちょっと経った訳ですね。本屋さん大好きな私としては、もっと早く行きたかったのですが、色々あってようやく昨日に初訪問でした。

 写真ではイマイチ伝わりにくいですけど、店内に入ると、だだっ広い単一フロアが果てしない感じで、期待が持てます。ザッと一回りしてみると、店内の構成はコーチャンフォーとよく似ていて、書籍フロアが全体の2/3程度?その他が雑貨や文房具品、CDなど。
 CDはこれもコーチャンフォーの印象に似ていて、国内盤の在庫がキッチリ揃ってます。クラシックやジャズの在庫は豊富でした。

 肝心の書籍フロアは、これもまただだっ広く、どんな本が何処にあるのか、事前に一回りしないと目的の本にたどり着けません。ま、悪くはないですね、この本に埋もれる感覚は。それと素晴らしいことに、店内にはおトイレがあり、既に都市伝説と化している「本屋に行くとうんこしたくなる」派の人も安心です。

 私は取りあえず店内をザッと一回りしたあと、併設されているタリーズコーヒーで一休み+ドヤリングを嗜んでました。

 ここのタリーズコーヒーの素晴らしいところは、併設されている本屋さんでまだ未会計の本を最大二冊まで持ち込めること。つかコーヒー飲みながら立ち読みというか座り読みができてしまう訳で…こういうの出版社的立場からするとどうなんだろうと思いながらも、ユーザーからするとなかなかありがたいサービスです。小説とかならその場で全部読めちゃうと思うけど、いいのかな?

 その他、客層を色々観察してみると、私は久喜市という土地柄をよく把握している訳ではありませんが、いわゆる「郊外のスーパーに買い出し」層とは少しスタイルが違うような気がします。
 それに、私みたいにボッチで来ているキモヲタ的お客さんはあまり目立たず、オシャレしたプルカツ共wや、家族連れが多い印象。また、家族連れの方は、カゴに何冊も本を入れてまとめ買いしている人も大勢いました。データがある訳じゃないですが、客単価は比較的高いのかもしれません。

 確かに、本好きな一家にしてみれば、午前中からやってきて、タリーズで軽食でもとりながら、店内の本を読んで、その後は好きな本をまとめ買い…みたいな休暇の過ごし方は、ある種理想的かも知れません。家族で過ごせる本屋さんって、ありそうでなかなか無いからね。

 ということで、いい事づくめみたいな蔦屋書店フォレオ菖蒲店ですが、肝心の私は一冊も本を買わなかったんですよね〜。面白い本があれば買う気マンマンだったし、面白そうな本も確かにあったのですが、どうもそれが購買衝動にまで向かないというかね、そういう本屋さんってあるでしょ。そんな感じでした。

 思うに、今私たちが「リアルな本屋」に出かける理由って何かというと、自分が知らない本と出会ったり、知ってはいても、思わぬ面白さを見つけたりと、そういう「発見の場」としての理由が大きいと思うんです。知っている本を買うだけなら、正直アマゾンでも全然構わないんです。通販への抵抗とかそういうのを抜きにすれば、送料無料だし日本全国何処でも数日後には届きます。
 でも、それだけじゃ知識欲が満たされない!のかどうかわかりませんけど、そういう新たな発見の場として、今のリアル本屋さんは本好きな人に求められているんじゃないかと。

 で、そういう視点から見ると、この蔦屋書店フォレオ菖蒲店は、本の数は多いけど、本屋さんとして何を売りたいのか、何をお勧めしたいのかがあまり見えてこないんですよ。もちろん、入り口付近には「おすすめの本」コーナーはあるんですが、なまじ面積が広いだけに、そのコーナーが印象に残りにくいんです。
 ヴィレッジバンガードを見習えとは言いませんけど、ただ大きな本屋さんというだけではなく、本屋さんとして何を売りたいか、何を買ってほしいのかが、もっとお客さんに伝わる売り場になっていれば、知的エンタテイメントな本屋として、もっともっと繁盛するんじゃないかと思います。同じグループだったら、代官山のツタヤを参考にしてみてもいいんじゃないでしょうか。

 とはいいつつも、今でも都心からのドライブ先として、本好きのお客さんから選ばれるポテンシャルはあるんじゃないかと感じます。今回敢えて「高速道路」を使って行ってみたのですが、東北自動車道浦和料金所から最寄り白岡菖蒲インターまで、ETCで650円。しかも店舗はインターすぐそば、渋滞がなければ浦和料金所から店まで30分位?
 だからこそ、プロモーションもそうですが、何度でも行きたくなる売り場づくりをもう少し工夫すれば、本が好きな都心の家族層にもアピールできるのではないかと、そんな気がしました。

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▼2013年06月16日

英国一家、日本を食べる/マイケル・ブース

P6061633.JPG 「食」に関する本が続きますが、こちらは、このけったいな表紙に引かれて購入。とても面白かったです。

 内容は、とある英国人ジャーナリストが、フランスでの韓国系日本人とのやり取りがきっかけで、本格的に日本食というか、日本での料理を食べてみようと思い、家族4人と共に、数ヶ月かけて日本国内のあちらこちらに滞在し、様々な食を味わうというお話。

 本当は事前に出版化を視野に入れた「取材旅行的」な休暇だったのかも知れないけど、まず、数ヶ月の間家族全員で仕事を休んで旅行できるってのがうらやましいよね。

 内容についてはあまり深く語らないけど、グルメシティ東京で毎日生活している割に、外食の体験があまりない私みたいな人間にとって、日本各地を巡る「食旅行」は、とても興味深く、読み出したら止まらずに一気読みしてしまいました。

 日本人に生まれる…日本で生活するっていうことは、本当に食に関しては恵まれているんだなぁ…と、しみじみ思いましたよ。この本は本当にお勧め。

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英国一家、日本を食べる/マイケル・ブース

ワカコ酒/新久千映

P6151665.JPG 出版の世界では「柳の下にドジョウは数匹いる」とも言われていて、ヒット作の模倣はわりと商業的に成功したりします。

 ま、本作も特定作品の模倣という訳ではありませんが、最近盛り上がっているライトな食べもの系ウンチク漫画のひとつです。本屋さんのポップに惹かれて購入。

 読んでみると、う〜ん、正直微妙かな。
 おいしいお酒と料理を味わった後の「ぷしゅ〜」という感覚も全く共感できないし、主人公の「私ちゃんと彼氏います」的アピールも、後半になると何度も出てきてちょっと鬱陶しい。つか、肝心の食に関するエピソードがどうも薄い気がします。思うに、キャラの設定年齢(26)が低すぎるんじゃないですかね。

 もっとも、ひねりも毒もなく追加の知識がつく訳でもない、正当派のお酒呑みマンガとして、それなりの需要はあるような気がしますので、普通の少女漫画というか、OLマンガとしては及第点ではないかと思いました。

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▼2013年05月19日

幕末外交と開国/加藤祐三

P5181467.JPG 本屋さんで見かけて立ち読み、面白くてすぐにレジへ持って行きました。

 本書最大の特徴は、幕末における「開国」という事件を、極めて冷静に分析していること。
 この時代の開国話というと、つい「日本はアメリカに恫喝されて開国を強制された」「いやいや…日本は恫喝などされていない、むしろアメリカを利用したのだ」など、あまり冷静な議論が行われていないように見えます。
 私が子供の頃などは、何も知らずに天下太平だった江戸時代が、ペリーの蒸気船を見ただけで、日本中がひっくり返ってあわてて明治維新へ向かった、などと教わりましたし、その後の時代劇や幕末マンガなどを見ても、多かれ少なかれ似たような印象です。

 と、私達はこの「開国」という事実よりも、「開国にまつわるエピソード」ばかりに振り回されています。

 ただ、もう少し冷静にこの幕末外交を考えてみると、当時の血に飢えた西欧諸国に対して、日本の幕府はよくもまぁ…このような困難な仕事を、1発の銃声もなくまとめ上げられたよな、と思わずにはいられません。
 結果、条約に不平等な条項は残りましたが、これは、当時の幕府が外交に不慣れであったという結果によるモノで、全体を見回してみると、日本としての国体と威信を売り飛ばさず、砲艦外交を迫ってきたアメリカ(こちらはそのように断言してもいいでしょう)に、よくもまぁ、冷静に対処したものだと思います。
 また、私達が「開国」という言葉で想像するペリーの脅迫じみた態度は、明治以降の学校教育によるものだというのも記載されています。

 もともと新書で発売されていたようで、そのせいか読みやすく、要点もコンパクトにまとまっていますので、幕末という時代に必要以上のロマンやドラマを求める向き以外なら、とても面白く学べる本だと思います。

 また、あの時代の外交はもっときちんと分析し知識とすれば、今の日本の外交にも充分活かせるのではないかと思いました。

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幕末外交と開国/加藤祐三

▼2013年03月15日

ガソリン生活/伊坂幸太郎

P3131067.JPG 最近ブログを書かなくなったのは、本を読んでいない…それも、恐ろしい勢いで読んでいないからなのかな?と思っています。おそらく、2013年に入って読んだ本(漫画のぞく)って、まだ4〜5冊しかないです。

 ただ、かなりペースは落ちているとはいえ、本屋さんで適度に本は買っていて、つまり未読の山が積み上がりつつあるのですが、そんな中、久しぶりの小説で、久しぶりに買ってすぐに読み切ってしまったのがこの本。

 主人公はなんと、緑色の「マツダ・デミオ」。カラーと時期的に、二代目のDY系かと思うんだけど、基本は、彼等クルマ達の会話で物語が進みます。だから「ガソリン生活」というタイトルみたいです。

 ただ、内容は、そういった前振りから期待する程、クルマのお話でもなく、ミステリーというか、家族物語というか、つまり、車が好きな人達の話ではありません。そこがいいのかもね。

 もちろん、デミオが主人公なだけあって、様々な車が登場します。古いカローラGTや、タント、アテンザ…外車では、アウディ、ベンツ、BMWなどの定番の他、oldミニ、アルファ156や、シトロエン・エグザンティアなど…。微妙に車種によって性格の味付けはされているようですが、基本、クルマ達はオーナーの性格に似てくるらしいです。

 クルマが主人公なのに、クルマ達の物語が前面に出てこないという微妙なさじ加減のせいか、読み終えたときは、「あぁ…もっとクルマを大事にしよう。それと、事故は絶対に起こしちゃだめだなぁ」としみじみ思いました。

 ちなみに、この物語が朝日新聞に連載されていたときは、寺田克也による挿絵があったようで、そちらも別な本として出版されています。「寺田克也式ガソリン生活」だそうです。

 小説を読み終えた後、余韻に浸りながらこちらの絵物語を読むのもまた乙です。ただ、本編より先には読まない方がいいと思いますよ。

 しかし…小説の表紙にある緑のクルマは、もう少しデミオっぽくしてもいいのにね。

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ガソリン生活/伊坂幸太郎
寺田克也式ガソリン生活/寺田克也

▼2013年01月23日

MEAD GUNDAM

P1220657.JPG 発売当初、買おうと思ってるうちに市場から一気に消えて、あっという間に古本がプレミア価格になってしまったんですよね…って、そんな事ばっか言ってる気がしますが(笑)
 つことで、復刊ドットコムでリクエスト送ったのが、確か2004年頃だったでしょうか。長かったですね。海外デザイナーによる書籍のせいか、権利的な所をクリアにするのが大変なのかな?と思っていたのですが、とりあえず無事復刊し、昨日それが手元に届きました。ゾンアマでも売っていますが、もちろん私は復刊ドットコムから購入しましたよ。

 ∀ガンダムのデザインは、発表当時、随分と叩かれたモノですが、実際にアニメーションとして動くシーンや、立体化されたときの完成度を見るにつれ、普段口の悪いヲタ共も沈黙し、賞賛していった課程が面白かったですね。
 私も始めて見たときは、正直「カッコ悪いな」と思っていたのですが、放送第1話を見て考えが変わりました。やはり、稼働する立体として練り込まれたデザインは、動いてこそ価値があるなぁ…と。

 私は∀までのガンダムについて、大河原氏がデザインした初代ガンダム以降、後付ゴチックな部分ばかりが肥大化し、進化してきたカトキ風と呼ばれるデザインに、ちょっとした冷や水を浴びせたのではないか?と考えています。
 その後のロボットデザインで、直接シド・ミードのラインを真似た人はいませんでしたが、全身に不格好な箱ばかりをつけて、いたずらに線を増やすばかりだった日本のアニメのロボット達が、∀以降、線は多くても、シンプルなフォルム前提にしたスタイルへと変化し始めたような気がしています。ミード氏のデザインは、日本のアニメーションデザイナーにとっても影響は大きかったのではないかと。

 本書は、膨大なスケッチも楽しいですが、アメリカと日本で交わされているモビルスーツのデザインについてのやり取りも面白いです。

 日本製の巨大ロボットヒーローというものをあまり理解していなかったシド・ミード氏に対して、日本側のスタッフが、モビルスーツは工業製品とは違い、大勢の人アニメーターが手で描いて動かすモノで…みたいなメモが残っていて、工業デザインとアニメーションデザインとの違いについても、丁寧に説明していました。
 意外かもしれませんが、極めて立体構造物的に考えられたと思われがちな∀も、当時のサンライズスタッフは、あくまでも「アニメーションの登場メカ」という意識はブレなかったんだな…と、感心しましす。
 その中でもミード氏は、「球体に見えて実は楕円のフォルムをした頭」という、アニメーションメカ的には普通やらない面倒な立体造形も取り入れていて、単なる静止画としてのカッコ良さではなく、軸足はあくまでも立体物にありました。日本側のアニメーションメカとしての主張と、ミード側の工業デザインとしてのロジックが合わさり、∀は立体物となると、素晴らしい造形になりました。

 ちなみに、シド・ミード氏ですが、彼は「宇宙戦艦ヤマト」のデザインも行っているんですよね。あのデザインも、当時は賛否両論でしたが、今では日本型宇宙戦艦の新しいフォルムとして、その後小林誠氏のデザインなどにも影響を与えたような気がします。ヤマト…ガンダムと来て、次はエヴァンゲリオンのデザインでもやるのかしら?(笑)

 とにかく、アニメーションが好きな人はもちろんですが、工業デザインが好きな人にとっても、作品が生み出されるまでのドキュメントとして非常に面白い本です。

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▼2013年01月03日

古代日本の超技術/志村史夫

P1030432.JPG かつての日本人が持っていた失われた技術について、ザッと俯瞰した本。
 技術についての本ではありますが、内容的には、あまりむつかしいことは書いていないので、サッと読むことができます。

 五重塔の心柱から、古来木造加工技術、昔の瓦の脅威、有名どころでは日本刀や大仏建立について、また、縄文時代の三内丸山遺跡など…。

 私的に「オッ!」と思ったのは、昔の瓦についての話と、釘の話かな。

 昔の瓦は湿気をよく吸い、そして外に逃がす働きがあり、現在の製法で作られた瓦を、そのまま木造建築に使ってしまうと、瓦の裏が結露してしまい、木造建築が早くダメになってしまうらしいです。

 それと、奈良の法隆寺で使われている釘は、1,000年以上の歳月が流れていても、サビもせずそのままの強度を保っているとのこと(もっとも、古代木造建設では釘は応力を受けない作りではありますが)。その秘密は玉鋼…たたらで作られた鉄にあるのではないかとのことです。

 もちろん、古代の技術が今の工業技術よりも優れていた訳ではなく、それらの技術は現代において、経済性・生産性の観点から不要になった技術だというのがほとんどです。
 にしても、まともな計測器や分析機がなかった時代、1,000年保つ木造建築や塔、そしてそれらを支える釘を作ったことは、本当に脅威ですね。

 ちなみにこういう話になると「例えば五重塔さ〜地震に強くて残ってるんじゃなくて、残ってるのがたまたま地震に強かっただけでしょ〜」とか言う人がいますが、記録を調べても、火災での焼失や人為的破壊行為で失われた例は何件もありますが、震災でそれらの塔が倒壊した記録は、不確定な1件を除き、日本史上ではないそうです。

 私は、こういう「古代の技術」について、日本人だけが得に優れていたというよりも、日本人がそれらの技術の多くを、現代にまで脈々と受け継いでいることが素晴らしいんだろうなと思いました。

 ちなみにお隣中国でも、西暦1,630年頃に「天工開物」という、当時の様々な工業技術が記された本があったらしいのですが、その存在はすぐに忘れられたようで、むしろその本が日本に伝わり、戦国から江戸時代を経て、明治の世の中になっても日本で伝えられていたのが、中国(当時は中華民国)の留学生が持ち帰って中国で広まったらしいです。

 現在では「職人軽視」と言われる事の多い日本社会ですが、といいつつも、それらの技術についての伝統は、世界の中でもきちんと伝え続けている社会構造なんだろうなぁ…と思いました。

 だって、そうじゃなければ、最新建築のスカイツリーに、世界最古の木造建築である法隆寺五重塔にも使われている“心柱”の技術を採用しよう!とか、考えないんじゃないかと思います。

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メンヘラちゃん/琴葉とこ

P1030433.JPG メンヘラな生き方の参考になるかと思って買ってきました。

 この漫画を書いた人は現役JKだそうです。というか、書きためていた頃はJCだったそうで、なかなか末恐ろしい才能です。

 内容としては、メンヘラな女の子と健康な男の子と病弱な女の子が繰り広げる、ハートフル・メンヘラ・ストーリーって感じで結構面白いです。

 というか、作者もマジで鬱なんかな。
 物語の序盤から、下巻の終盤にかけて、登場人物達の心象が徐々に変化してゆく描写は素晴らしいと思います。

 私としては、主人公メンヘラちゃんのこのロイコクロリディウムを思い出させる目が好きです。

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▼2012年12月23日

エキストラバージンの嘘と真実/トム・ミューラー

PC200113.JPG 皆さん、オリーブオイル食べてますか?私も毎日もこみち並みにオリーブオイルを口にしています。
 しかし、そのオリーブオイルが偽物だとしたら…わかりませんよね、オリーブオイルが本物か偽物かと言われても。

 本書は、そのオリーブオイルの疑惑を明らかにしてくれる本。なんでも、NYのスーパーマーケットで売られていた“エクストラバージン”のオイルは、その殆どが“エクストラバージン”の品質とはほど遠いレベルのオイルで、なおかつ、中には粗悪なオリーブオイルに混ぜ物をして売られていた製品もあるとか。わかりませんよね、そんな事言われても。

 例えば、日本人であれば“醤油”を偽造したのであれば、案外すぐにバレるんじゃないかと思うんですよ。しかし、オリーブオイルの香りなんてね。普段直接オリーブオイルを飲む習慣のある日本人は殆どいませんので、……わかりませんよね、香りとか言われても。

 でも、本場イタリアでもそうだったんだなぁ…と。もっとも日本人だって、ごま油とかサラダ油とか偽造されたら、多分わからないと思いますけど。

 思えば、ここ10年位、エキストラバージンオイルって随分安くなったよなぁ〜とは思っていたんですよ。
 私が料理にオリーブオイル使い始めた頃は、さすがにエキストラバージンオイルはちょっと高くて、特別なオイルだという認識がありました。でも、今スパーマーケットに行くと、エキストラバージンオイルと普通のオリーブオイルって、そんなに値段変わらないんですよね。ラベルのブランドによっては、価格が逆転している製品すらある。
 あと、香りが以前よりしなくなりました。昔のオリーブオイルって、独特な香りがまた楽しいものだったのですが、一部の苦手な人達がいたようで…最近では香りが殆どしなくなりました。両方ともおかしいとは薄々思っていたのですが、ま、日本は円高だし…と、あまり深くは考えていませんでした。
 しかし、この本を読むと、500mlで1,000円以下で売られているエキストラバージンオイルは、もう買いたくないな…と思いました。そりゃそうだよね、冷静に考えてみればエキストラバージンって、いわゆる“一番搾り”な訳で、世界中のスーパーマーケットの棚を埋める程、流通するはずがありません。夏になると全国のスーパーでも売られるようになる“国産ウナギ”みたいなモノですかね。なので、日常で料理に使うオリーブオイルは、中途半端な価格の輸入品より、国産の普通のグレードのオイルを購入した方が絶対安全な気がします。

 もっとも、そんな中でも、地に落ちたオリーブオイル界を健全に復活させようという努力をしている人達はいるみたいです。そう考えると気分も少し明るくなります。本書で紹介されていたコチラのオリーブオイルとか、買ってみたくなりますね。本書の出版で、人気出て品切れとかありそうな話ではありますが。

 内容は、むつかしいモノではなく、短い章立てのルポをまとめた体裁となっているため、読みやすいです。日常でオリーブオイルを使っている方、またMOCO'Sキッチンのファンの方は、一度目を通しておいた方がいいと思います。

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▼2012年12月09日

ドッグファイトの科学/赤塚聡

PC090071.JPG 空戦の大原則。「運動エネルギーが多い方が有利」。「速度と高度は等しく運動エネルギーに変換される」。

 つまり、空戦は速度が速い方が有利。また、速度が足りなくてもその分高度がある方が有利、ということになります。この原則は本書だけでなく、空戦について解説している本、全てに書いてあります。

 私もですが、この原則が頭でわかっていても、なかなか感覚で理解できないんですよね。なんせ、人は地上…つまり二次元で生きている存在ですから。

 つことで、本書のように、実際空を飛んでいる人が実例を書くとわかりやすいですね。
 例えば、敵機の後から速い速度で進入したときは、ブレーキをかけるのではなく、一度ホップして速度を高度に変換するんですよ。そうすれば、運動エネルギーを捨てることなく、敵機の後を追尾し続ける事が出来ます。
 そして、空戦でもっとも恐れることは、激しい旋回や特殊なマヌーバを繰り返して、運動エネルギーを失ったまま戦域に留まることです。これは絶対に避けなければなりません。

 私も学生の頃はそれなりに空戦に興味を持ち、友達と一緒に様々な空戦のシミュレーションゲームをやってみました。でも、頭でわかっていても、なかなか3次元の機動というのは、うまく利用できないんですよね。
 それと、フライトシミュレーターのようなゲームをやってみても、どうしても旋回で相手の後を取ろうとしてしまう。でも、実際の空戦は違うんですよね。何故旋回力に勝る零戦が、旋回力が劣るけど馬力のある米軍機に苦戦するようになったのか、本書では実にわかりやすく書いてあります。

 おそらく、今生きている人の99.99999%の人にとって、空戦のロジックなんて知らなくてもいい事だし、知っていても人生で役立てる機会はないでしょう。
 しかし、テレビアニメや映画で目にする空での戦いが、実際は物理に支配された現象であるという、驚きの世界を知るのは悪くはないと思います。

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▼2012年12月08日

ブラック企業/今野晴貴

PC080033.JPG その名も「ブラック企業」です。何たるストレートな書名(笑)。しかし、読んでみて色々と考えさせられる本でした。

 本書の第1章では、ブラック企業との関わりを、主に個人の視点から眺めてゆきます。人が、如何にブラック企業において破壊されていくか…そんな話。ま、この辺は皆さん、ネットや何やらでそれなりに情報は得ているでしょうし、噂も聞いているでしょう。全くえげつない話です。

 問題は第2章の方かなぁ…、ブラック企業が日本を滅ぼすという視点。確かにその通り。本当につくづくそう思いました。
 因みに、本書で実名が出ている企業は「ウェザーニューズ」「ローソン系列のSHOP 99」「ワタミグループ」です。その他、著者が一番書きたかったであろう企業が、近年の流行で世界的なアパレルブランドへと躍進したX社。もうおわかりでしょう。ちなみに本書の事例に近い例が、こういった検索を行うと沢山出てきますが、偶然でしょうか。

 これら「ブラックとされる企業」が、本来企業側の責任で負担しなければならない、治療費や生活保障費をただ乗り、つまり「フリーライド」しているという視点は、成る程なと思わされます。
 そして最近のメディアにある「若者は昔に比べすぐに仕事を辞める」や「すぐに生活保護をもらおうとする」という論調が、少なからず上記を含めたブラック企業達が暗躍する要因になっているとも書かれています。つか、そんなブラック企業の総帥が東京都の首長になろうとしてたんですね。おそろしい…。そして、それらブラック企業は、日本の若者を焼畑的に消費し尽くした後、

 ブラック企業はこれらのコストを日本社会へ押し付けることで急成長し、グローバル企業へと羽ばたいてゆく。第1章でみたX社はその好例である。X社が業界で世界的な企業になる過程では、彼等に「選別」され、「使い捨て」にされた若者たちが鬱病に苦しみ、その治療の負担は日本市民の税金・社会保険料で賄われる。

 と書かれています。そうです、ブラック企業で心を破壊された人達をケアする為のコスト負担は、その要因をつくったブラック企業ではなく、私達日本国民が負担させられているのです。何が社内英語化でしょうか。笑っちゃいますね。

 残念ながら、日本のメディアは総じてブラック企業達の見方です。テレビでは度々「若者達が折角入社してもすぐに辞めてしまう」「今の就職難は企業をえり好みしているから」や「生活保護受給者を減らすために現物支給を」などといったリポートが繰り返されます。
 そのため、私達は無意識での思考として「なんだかんだで若者は会社をすぐに辞めるよね」「辛い環境でこそ頑張れて1人前」「生活保護受給条件をもっと厳しくしろ!」と考えてしまいがちです(ちなみにナマポ問題について私は「例の吉本芸人」の行為は絶対に許せないと思いますが、安易な基準やシステムの変更には反対です。問題は既存のシステムを恣意的に利用する受給者と、逆に公正な運用を妨げる役人が多い事が問題なのです。現行法の適正な運用を行えない限り、いくらルールを変えても無駄です。)
 例えば数年前に「ブラック会社に勤めているんだが、俺はもう限界かもしれない」という映画がありましたが、こちらはまごう事なきブラック企業を賛美した映画です。私は公開当時からTwitterとかで「ばかじゃね?」とか言っていましたが、つまり、こんな社会的犯罪行為をお涙頂戴映画に仕立てちゃうんですから…って矛盾すら考えない程、みんな普段から、ブラック企業側の視点に立って考えてしまっているという事でしょう。これは、日本国民みんなが反省しなければなりません(ついでにこの映画を作った監督を始め脚本家達は自らがやった仕事の意味を猛省してほしいものです)

 これから就職しようとする人だけではなく、今働いている人全ての人が、こういった本を読んで、労使との健全な関係について考え直さない限り、日本の社会に未来は無いでしょう。そして口を開けば「グローバル化」と言っている経営者達が、何故日本を脱出したがっているのかのカラクリについても、その意味を考えなければなりません。

 あと、これが一番大事だと思いますが「ブラック企業の味方をする、もしくは製品・サービスを買う」事を、みんなでキッチリと止める事ですかね。本書を読んで、つくづく思わされました。

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▼2012年12月06日

なりひらばし電器商店/岩岡ヒサエ

PC060031.JPG 東武伊勢崎線…今では東武スカイツリーライン()笑、の駅構内で買ってきました。

 さすが地元とあって、ベストセラー本の真ん中に置いてありましたよ。
 私は不勉強ながら、このマンガのことはサッパリ知らなかったのですが「なりひらばし」という地名のタイトルに惹かれて購入。そういえば「業平橋」の駅はもうないんだねぇ。

 買ってみて知りましたが、実はSFだったんだね、このマンガ。意外とシュールな世界観。
 あと、主人公の女の子が全く美少女じゃないってのも好感が持てます。マンガってのは、たまに、こういった普通では考えも付かないことをやらかしてくれるから、なかなかやめられません。

 物語がなにを目指しているのか、イマイチよくわかりませんけど、続刊が出たらまた買ってみたいと思います。

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いとみち・二の糸/越谷オサム

PC050029.JPG 以前読んだ「いとみち」続編出たんだ!思わず購入しました。

 サックリ読んでみたけど、今回は「いと」のキャラ立ちまくりだった前作と違い、割と普通の青春小説っぽくなってました。しかし越谷オサム氏の小説は、相変わらず読後感がいいねぇ。なにやら自分にいいことがあったような気分になれます。

 終わり方が何となく続編ありそうな雰囲気だったし、高校一年、二年、そして三年と揃った方が物語的にはまとまり良さそうですが、個人的には続編あってもなくてもどちらでもいいかな。

 むしろ表紙絵的には「アニメ化」とかされそうで、そっちの方はちょっと心配。わぁ的には、あまりアニメ化とか漫画化とかしてほしくない、読後の余韻をいつまでも感じていたい作品です。

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いとみち/越谷オサム
いとみち・二の糸/越谷オサム

▼2012年12月02日

きゃんでぃっど/小幡休彌

PC024249 秋葉原にある書泉という本屋さんの3Fだったかな…、カメラ書籍のコーナーに、何故かずっとこの小説が平積みになっているのです。確か、店員さんによる吹き出しのポップもあったと思うのですが、内容は覚えていません。

 で、そのカメラ本のコーナーに行くたびに目にする訳で、何度か通っていると、だんだん気にするようになってくる訳です。
 「どんな本なのかな?」とか「どんなキャラが出てくるんだろう?」とかね。

 そして、おそらくですが、何度か売り場に行くうち、4〜5回目くらいで、めんどくさくなって買ってしまいました。もうパッパと読んだる!って勢いで(笑)

 つ事で内容ですが、ラノベです。いや…確かに帯には「写真、好き?」とありますが、別に写真以外でも成立する物語のような気もしますし、そういう意味では、ストーリーに対して、カメラや写真がびっちりと深く関わる話って程でもないです。

 まーでも、ソレこそが正当な「ラノベ」なのかな、って気もします。なので、本書は正しくラノベが好きな人にはお勧めしますが、逆に言えばラノベのお勧めどころってのを、私が良く理解していませんので、本当はお勧めの本じゃないのかも知れません。
 でも、カメラや写真好きで、それら目当てで買って読むのはあまりお勧めしません。

 いや、私としては、サクッと読めたし案外楽しめたので、それなりに肯定的な評価しますけどね。あと、主人公がオリンパスの一眼レフ使ってるのも、ポイントちょっぴり加算です。

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▼2012年12月01日

新創刊!Gaudioを買ってみました

EC010545.JPG PC Audio Fanという雑誌が、装いも新たに新創刊して、今度はGaudioだそうです。オーディオ雑誌は久しく買っていないのですが、創刊号だそうなので買ってみました。

 お値段は1,500円。付録にハイレゾ音源が入ったDVDディスクが付いてきます。

 ザッと眺めてみると…判型もそうだけど、特集記事の構成とか、中程にあるユーザー訪問記とか、後半のソフト特集とか、なんだか懐かしのAV FRONT誌を彷彿とさせます。金かかってそうだなぁ〜。

 中身は、組み合わせ系の記事と、新製品紹介。そして、ユーザー訪問記は面白いですよね。昔のAV FRONTでも、長岡鉄男の訪問記が一番楽しみだったし。あと、ソフト紹介に多くのページを割いているのも好感が持てます。普段自分があまり聞いていないジャンルのディスクとか、買ってみようかな?とか思っちゃいますね。

 一時期、この国ではオーディオという趣味が死滅しそうでした。あれ程あったオーディオ雑誌も、最不況期には「STEREO」と「STEREO SOUND」位になった時期もありましたね。それが知らない間に、今ではアキヨドのオーディオコーナーで、オーディオ雑誌だけで棚が一つできる位の盛況ぶりです。つかね…ヨドバシカメラでオーディオ用の真空管が買える時代が来るとは想像もしてませんでしたよ。

 ということで、この雑誌が売れて、また世の中でオーディオが流行って、みんながいい音で音楽を聴ける時代が来るといいですよね。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


▼2012年11月30日

日本全国ご当地スーパー掘り出しの逸品/菅原佳己

EB300542.JPG 私としては、この楽しさがわかってくれる人がいただけで、もう内容関係無しに速攻ゲットの本でしたよ。

 つことで、これは、全国ご当地のスーパーマーケットで見つけた「逸品」をまとめた本。帯にある「観光よりもおもしろい!」ってのは、私も本当にそう思います。ズッカズカの中の人によるイラストも可愛いです。
 みんな。地方に旅行へ行ったときは、おみやげやさんなんて回らずにスーパーマーケットに入ろうぜ!

 かくいう私も、このブログで「スーパーマーケット巡り」としてエントリを建てたことはありませんが、随所にてチラホラと、スーパーマーケット愛を語っております。
 とにかくスーパーマーケット大好きなんですよね。さすがに友達などと旅行しているときは「スーパーマーケット寄りたい!」とはなかなか言い出せませんが、単独旅行の時や、彼女さん(笑)などと旅行するときは、全然遠慮せず、ちょっと見たことがない看板があると、つい駐車場に車を止め、食品売り場の海へ探検に出かけてしまいます。

 最近では、大手の流通網も発達したせいか、地方のスーパーでも「売り場の棚が全然違う!」って未知の体験は殆どなくなりましたが、それでもよく目をこらすと、なにやら見たことがない変な商品(失礼)が、必ずある筈です。

 特に面白いのは…やはり乾物系や加工食品の棚でしょうかね。もちろん生鮮食料品のコーナーは、その地方色が結構出ていて、それなりに興味深いモノだったりするのですが、どこに行っても茄子は茄子なので…。
 ただ、その茄子をちょっと加工した製品になると、なにやら見たことないパッケージや、脱力系の商品名、会社名が印刷されたモノがあったりします。

 あと、麺類のコーナーは地方によって違いが大きくて面白いですね。もちろん、インスタント系の麺類もそれなりに違いはありますが、生麺のコーナーだと、ここはもう地方によってまちまちと言っていいでしょう。
 色々買っていっても、結局食べきれないし破棄してしまうことが多いので、地方スーパー巡り中は、本当の乾物しか買わないようにしているのですが、つい食欲に負けて、ご当地麺を買ってしまうことも多いです。

 他、棚に特色があるのは調味料のコーナーでしょうか。醤油・味噌、ソースは、最近「地ソース」なんて言葉もできる位の百家争乱状態。その地方の地名が記された風格のある生醤油や、見たことない色したお味噌、そしてその地方独自の名産系フレーバー入りのソースなど、みんな買って帰りたくなるくらいの愛くるしい製品達で埋まっています。

 そういう、地方スーパーの棚を目の前にすると、本当に幸せを感じてしまいますよね!ねっ!!

 と、語り始めるとキリがないので、この程度にしておきますが、とにかく、私達が普段出かけているスーパーマーケットは、かくもこれだけ細部のディティールが違うものなんです。
 皆さんも、もっとスーパーマーケット達に愛を注ぎましょう。きっと、自分が今まで体験したことのなかった新たな味に出会える筈。

 本書については、著者が関東圏出身のようで、残念ながら関東圏のスーパーマーケットで売られている逸品については掲載されていません。
 でも、本気になれば地方別…いや、県別にだって、ご当地スーパーマーケットで売られている製品本は作れそうな位、この国には独自商品が沢山眠っています。

 それら独自商品って、他県や他の地方の人からすると「なんだこれ?」と思うモノも確かに多いのですが、逆に言えば、このグローバル化された社会でも、その変な食品を求めている人がその地方には存在し続けている!って考えると、なんだかすごくないですか?

 私は、この本がブームになって、スーパーマーケット巡礼という趣味が、きちんと社会的に認知される日が訪れるのを願っています。そして、旅行してお土産屋に行く暇があるなら、その土地のスーパーマーケットに行こうぜ!と。

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督促OL修行日記/榎本まみ

EB300540.JPG 帯にある「今度電話してきたら、ぶっ殺す!!」というキャッチが素敵です。

 ということで、巷ではそこそこ話題になっている本。レジの近くで平積みになっているので何となく買ってみました。

 内容は…まぁ、タイトルと帯から想像する通りなんですが、それなりに面白いです。不幸な職場の中でも諦めず、前向きに頑張る姿が眩しい…

 って、ストレートに読むとついそんな感想になってしまうんですが、なんか怪しいんですよね、この本の内容。

 まず、前半で語られる過酷すぎる勤務体系ですが、朝の7時出勤で終電まで(半年後事務所にPCが導入されてから21時位に帰れるようになったらしいですが)の勤務。どうやら定時が9時から18時までのようですから、単純に考えて1日の時間外勤務が朝2時間+夜5時間で7時間…。これが20日続いただけで、時間外勤務は140時間。更に休みも定期的にもらえていないみたいなので、月間で200時間程度時間外勤務してる計算になるでしょうか…。
 たとえみなし残業代が含まれているとは言え、本書からイメージする、それなりの規模の会社では、到底許される勤務体系ではありません。ましてや、この手の「人材使い捨て」ビジネスでは、退職後に訴えられる可能性も大きい上に、労働局にも目が付けられやすく、最近では就業規則も厳しくなっています。特にテレアポ系の会社では、激しい社員の入れ替わりを無くすため、正社員に対してはそれなりの福利厚生を提供している所が殆どです。
 ということで、本書に書かれている実態がその通りだと考えれば、実は著者が勤めている会社は、サラ金の取り立て業務をメインにしているような、かなり小規模な債権回収会社ではないかと…そうでないとつじつまが合いません。

 あと、まともな信販系会社の債権回収部門(テレアポ)で、そんなに毎回毎回侮蔑の言葉を浴びせられるもんかな〜と思います。この辺フィクション入っているんでしょうけど、ちょっと実態からかけ離れすぎというか…やはり本当はサラ金の取り立て業なんでしょうか。

 という、少し怪しい部分を除けば、それなりに笑いあり涙あり、ちょっとした感動気分も味わえたりと、なかなかおトクな本でした。ただ、本書で人との交渉術が学べるかというとそれはない(笑)

 主人公が年端のいかないOLさんということで、半年後くらいにしれっとドラマ化とかしそうな、ややステマ臭も感じる所ではありますが、ステマだろうと何だろうと面白ければそれでいいと思いますので、そういう意味では読んで面白い本でした。あ、作者のブログはこちらになります。

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督促OL修行日記/榎本まみ

▼2012年11月24日

34歳無職さん②/いけだたかし

PB244222.JPG 続刊が出るとは思ってなかった34歳無職さん。で、更にまだ続くとは思ってなかった34歳無職さん。第2巻は、1巻と少し違って、ストーリーが進行してゆきますね。基本Webでの元ネタ通りです。35歳になったら就職しちゃうんでしょうか。

 つことで、無職の生活ぶりを堪能したいのなら第1巻から読んだ方がいいです。というか、2巻からだと、状況がよくわかんないかも。

 しかし、この無職さん。前も書いたけど、無職のワリにはしっかりした生活してるよね。自分とか今は無職じゃないけど、無職の時代とか毎日ねまき以外着てませんでしたわよ。

 あとまぁ…そこそこ手持ちにお金あると、無職生活ってのは実に楽しい。ちなみに自分は無職になるとアクティブになります。みんなも是非無職生活お勧めですよ!ビバ無職!

 とは言ってますが、やはり収入が途絶えるってのは精神的に不安も大きいし、家族持ちだとそんな事も言ってられないでしょうね。
 でも、昨今の終身雇用制度崩壊を見ていると、人生の中で1年位無職でフラフラしている時期ってのは、みんな普通に経験することになってゆくのではないでしょうか。案外、そんな社会情勢から、面白い文化とか、生き方が始まってくるかもしれません。

 失業…と言ってしまうと欝になりますが、大人になってからの長い人生、一度位は無職で1年位過ごしてみるのもいいなと思います。
 とくに、仕事しないで生活していくと、ありあまる時間の全てを自分でマネジメントする必要に迫られますので、将来仕事に復帰したときも、マネジメント能力やスケジュール管理能力が鍛えられますよ…たぶん。

 あ、自分はもう充分無職生活堪能しまくってきましたので、そろそろ控えなければなりませんが、また無職になりたいなぁ。お金くれて無職でいられる方法ってないもんかしら。

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▼2012年11月23日

少女系きのこ図鑑/玉木えみ・飯沢耕太郎

PB214200.JPG なんとまぁ…ニッチで素敵な本が出たもんです。これは素晴らしい本です。少女ときのこです。

 山を歩いていつも思うのが「きのこっていいよなぁ…」ということ。とくにカラフルなきのこを見つけたときは、その草木の中でその異様を放つ存在感に、…ひょっとして地球外の生物か何かではないか?みたいに感じてしまう程です。

 ということで、私もマニアって程ではないですが、きのこや冬虫夏草の図鑑はもっていて、時折きのこの写真や図説を眺めるのが好きなタチだったりします。そういうインドア系きのこファンとしては、山に入ってのきのこ狩りとか、憧れてしまいますね。

 そういえば、本書のあとがきにもありますが、天然のタマゴタケは、見ると絶対にきのこ好きになります。この著者も、きのこにハマった訳は、天然のタマゴタケを見たからだそうです。

 私も山に生えている状態ではありませんが、苗場山麓の赤湯温泉のご主人が採ってきたタマゴタケを見たときは、思わず「くいたい…」と口にしてしまう程の衝撃でした。形もすごいけど、どうしてあんなに美味しそうなんだろう…的な(笑)

 本書の学術的な価値についてはわかりませんけど、実はこういったきのこ類の図鑑って、写真よりもイラストの方が特徴が掴めて判りやすかったりするんですよね。
 私も普段からこの手の嗜好(少女もそうだけどきのこの方ね)があったりしますので、その知識の範囲内だと、イラストのきのこ達は実に特徴が判りやすく描いてあるなと思いました。
 あと、少女達も可愛いですね。きのこと少女のイラストというと、なんだか「とんがり帽子のメモル」を思い出します。

 そして、私はきのこを食すことについては、そんなに興味はないんですが、紹介されているほぼすべてのきのこに「食べられるか食べられないか」の記載があり、きのこの価値は結局そこなんかい!と思わず突っ込みを入れたくなります(笑)が、実際山できのこ狩りを楽しんでいる人にとっては有用な情報でしょう。

 もっとも、確かに山で見る愛くるしいきのこの姿を見ると、思わず口にしたくなる気持ちはわかりますが、野生のきのこは変種も多く、専門家に同定してもらわないと危険ですので、注意しましょう。

 私は普通に本屋さんで買いましたが、書店によってはポストカードなどの特典付きもあるようですね。アマゾンのリンク貼っときますが、そういうお店で買う方がおトクかもしれません。図鑑という名前から少し大きな判型を想像してしまいがちですが(わたしも大型本コーナーから探してた)、写真にもあるとおり、B5サイズ大の書籍ですよ。

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少女系きのこ図鑑/玉木えみ・飯沢耕太郎

▼2012年11月20日

みさおとふくまる/伊原美代子

EB190519.JPG この本、恥ずかしながら「カラパイヤ」で知ったんだけど、こんなに素晴らしい写真集があるとは。つことで、昨晩本屋さんで購入してきましたよ。

 写真集なので、あまり語る事もないんだけど、ネコ好きの方は全員必ず買うように。また、ネコ好きじゃなくても動物好きの人なら、そして、動物あまり好きじゃなくても、絶対買って後悔しません。

 写真を見て、こんなに和やかな気持ちになって、またほんのりと泣きそうになったのも久しぶりかもしれません。あ、悲しい成分は全然ないのでご安心を。でも何となく涙腺が緩んでくるんだよなぁ。私も歳をとりました。

 ちなみに「みさおさんとふくまるさん」の日常は、こちらのブログで公開されています。

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みさおとふくまる/伊原美代子

▼2012年11月18日

ロジスティックス入門《第2版》/中田信哉

EB180516.JPG 「ロジスティックを後方と訳すのは間違いだ」と言っていたのは、軍事評論家の江畑謙介ですが、この本でも同じような疑問から始まり、ロジスティックという本来の意味と、日本語としての伝わったときの解釈を整理することから書き始められています。つまり「ロジスティック=物流」というのは間違いなんだなと。

 元々「ロジスティック」という概念が、軍事行動を指していたことには変わりありません。それは、軍隊という集団が非常時を前提とした組織であり、一般社会から完全に独立した社会を形成できることと、その際に必要な物資やマネージメントを自ら管理する必要性があったからです。

 個人的には、ロジスティックの達人といって思い出すのが、古くは「項羽と劉邦」で、劉邦を支え続けていた蕭何でしょうか。彼を単なる「補給担当」として考えてしまうと、その功績を誤解してしまうかも。

 とはいっても、私を初めとする一般の人にとって、ロジスティックを実践する機会はほぼありませんし、わかりにくい概念であることには変わりありません。強いて言えば「物流」が、モノの輸送についての概念だとすると、ロジスティックはモノを動かす為のマネジメントとも言えるのかも知れません。それは、単なる流通の効率化に留まらず、時には企業ブランディングまでに関わることがある、アクティブな活動とも言えるようです。

 ま、そのロジスティックについては本書を読んでもらえればいいとして、今回この第2版で追加された最終章「リスク管理とロジスティック」という部分はとても興味深かったです。

 以前、阪神淡路大震災が起きたときに、災害時の食料や必需品の運搬について、ロジスティックス的議論が高まったことがありましたが、神戸を中心とした東西の物流断絶という戦略的視点はともかくとして、被災地が比較的狭い範囲だったこともあり、マネジメントの必要性がそれ程大きくなく(もちろん無いわけではない)、ある意味力業での物資補給と運搬ができましたが、先の東日本大震災では、被災地域が日本の陸上面積1/4にも達する広範囲であり、当然、それらの地域に対する物資運搬には、戦術から戦略までの広範囲なマネジメントが必要とされました。
 例えば、被災へ向かう高速道路の復旧もそうですが、被災地へ向かったトラックの帰りの燃料を確保するための補給廠を設置する必要に迫られたりと、単にモノを運ぶ以上の総合的マネジメントが必要になりました(ちなみに平時からこれらの能力にもっとも長けているのが軍隊です)

 本書では復旧に当たって三つのステップがあるとかかれており、

 1:3日以内
 2:1週間以内
 3:1ヶ月以内

 の優先順位をつけ、復旧活動に当たるのが大切と説かれています。この概念はわかりやすいです。

 なんせ、被害を受けた地域というのは、情報も寸断されていて大局が見えていませんからね。私もあの日は「TXなんで復旧しないんだしね!」とかTwitterで書いていましたが、後からその被害を知ったら「あ…ごめんなさい、もうしません」となったし(笑)。復旧にあたる人にとっても、復旧を受ける側にとっても、このようにわかりやすい作業プロセスを明示化していると混乱が少ないでしょう。
 あとまぁ、民主党政権はバカだのクソだの言ってましたけど、復旧に当たった役人達はいい仕事しましたよね、改めて思い出すと。特に被災した高速道路は、一部を除き、翌日から1週間程度で殆ど通行可能になりました。これは確かに驚異的復興スピードであり、きちんとした戦略眼をもった活動でありました。

 話がずれてきましたが、この最終章だけでも読む価値があるなぁ…と思いました。新書だしサクッと読めるので、物流に興味がある人は、立ち読みでもいいから目を通すべきかなと思いますよ。

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▼2012年11月11日

スズキさんの生活と意見/鈴木正文

 ということで、前のエントリで書いた「スズキさんの生活と意見」という本について書いてみる。

 彼の文章は昔から好きで、特に好きな点は、自分を「左翼」と称しながら、社会の中で常に反抗…じゃないな、自分のスタイルを貫いて生きているのが文章から垣間見える所。

 このブログやTwitterなどで日々「クソ左翼」とか罵っている私だが、私の思想の本質は「アナーキズム」であり、どちらかというと左翼的思考に近い。これは「左と右は一回りして似ている」などという、わかってるんだかわかってないんだかのような考えではなく、やはり本質的に、右翼と左翼は違うと思っている。
 しかし、今世の中に蔓延っている「左翼的思想」とは、単なる中共や売国奴達…少し古い言い方をすれば、日本の体制をひっくり返して赤化する事を夢見ていたアホ共の末裔でしかない。スターリンはどれだけ人を殺したか、中国の文革でどれだけの人がこの世から消えたのか、今チベットで何が起きているのか…これらを総括できない日本の自称「左翼」思想は、全く評価に値しない。あなたが無差別殺人をこよなく愛するのであればまた別だが。

 でも鈴木氏の思想は多分違う。この本に書いてある細かな部分では、私と考えを異にすることがあるが、それでも彼の根本にある思想は「人は自由であるべき」とでも言うのであろうか。その考え方はとても賛同できるし尊敬できるのだ。

 このエッセイは、今世紀から2010年位の間に書かれた文章なので、それなりにちょっと前の世相を反映している。特にその中間に起きていた「リーマンショックによる世界的大恐慌」について、要約すれば、こんな時代にわざわざ倹約する必要もないし、好きな人は贅沢をすればいいし、今まで倹約していた人は倹約を続ければ良い、といった文章を何度も書いている。
 確かに改めて思うとあの時代の空気感は異常だった。みんな、今までやってきた仕事が、ある日理由もなく消えたような喪失感を感じていた。その要因がアメリカでのリーマンブラザーズ崩壊という、バブル崩壊やIT危機のようなわかりやすい理由がなかったから、私達日本人は、何故今日から世界が不況なのか、よくわからないまま、収入を下げ、今までの仕事を失い、今の自分を理解する前に、ハローワークに殺到したりしたのだった。

 その頃の自分は何をやっていたのかと改めて思い出せば、確かにリーマンショック以降の不穏な空気がイヤになって、衝動的に仕事を辞めてしまった私は、世の中の不況ムードに反抗するかのように、赤いオープンカーで北海道へ旅行に行ったり、ロードレーサーを購入して、毎日のように100km〜200km走っていたり、上質な服を買ったり、毎晩ワインを飲んだくれていたりした。
 端から見れば、職を失い、ハローワークで少ない求人票に群がる惨めな中年に見えたかも知れないが、思えば、仕事はそのうち見つかるだろうと、そんなに心配してもいなかったのかもしれない。どちらかというと、毎日遊んでいるのもバツが悪いので、仕方なく週に2〜3回のペースで就職面接を入れ、都内に出かけては、面接で落とされるというのを繰り返していただけのような気もする。

 ま、私が今こうやって、それなりの規模の会社(但し薄給w)で働いていられるのも、薄氷を踏むような幸運が連なった上での話でしかないのかも知れない。あの頃の自分は精神が崩壊しそうだったが、でも、少なくとも仕事がないことで、私は自分のスタイルを変えなかった。自分のしてきた仕事の種類は変えなかったし、今を食いつなぐためだけの仕事もしなかった。自分で言うのもナンだが「左翼」や「反体制派」を名乗るくらいなら、それくらいの気概はほしいものだと思う。

 生きる事は辛いことだ、でも、その中でも、自分がどう生きてゆきたいのか…それを自問するためのヒントが、この本には書いてあるような気がする。

 大人になって、人生に迷う人には、是非読んでほしい本。

あの頃、クルマはネットワークマシンだった

PB114193.JPG 自動車が若者に売れなくなっているみたいです。もっとも、若い人だけじゃなくて、中年の働き盛りの世代や、お年寄りの人にもあまり売れていないようです。

 その原因を、自動車メーカーや自動車ジャーナリズムの方達は「運転する喜びの喪失」といい、社会学者は「若者の減少」「都市化による自動車の必要性の減少(と考えちゃうのは都心西側に住んでる世間知らずの学者でしょうか?)」といい、経済学者は「税負担の増大」とか言っています。

 でもね、「税負担の増大」はともかくとして、上記の理由は自動車を買わない理由にはならないなーと思います。
 何故なら、地方ではどんどんローカル線やバス路線が消えてゆく中で、自動車の必然性は昔よりも逆に上がっているからです。また「運転する喜び」については、スポーツカーが売れない理由にはなっても、自動車が売れない理由にはならないかなぁ…と。

 あの夜、まだクルマはもちろん免許ももっていなかった僕は、クルマっていいなと思った。Bのコロナがなければ、AもBも僕もあのとき集まらなかっただろう。Aはひとりアパートに取り残され、Bと僕は何も知らずに寝ていただろう。Bにコロナがあったから、AはBのところに行き、ふたりは僕のところにやってきて、かの女がでていったその日の晩のうちに3人で平塚に行くことができた。シートが倒れてくるコロナがあったから、Aは平塚の商店街でその夜、ひとりバカヤロウと叫びながら泣くことができた。

 これは、写真にもある「スズキさんの生活と意見」という本126Pの引用。彼はEngineという月刊誌を創刊し、編集長として働いてきた人です。その前は月刊NAVIという雑誌の編集長も務めていました。

 私は、この本のこの引用した部分に、かつての私達がクルマに望み、期待していた部分が集約しているなぁ…と思ったのです。

 以前私がTwitterでつぶやいた中で「若者は常に人とつながれるアイテムにしかお金を出さない」と書き込み、それなりのRTやFAVをもらったのですが、あの時代のクルマは、まさしく「人と人とがつながるアイテム」でした。

 あの頃、本当に東京都内の駅沿いに住んでいた人ならいざ知らず、二十歳前後の仲間が、夜どこかに集まってみんなで過ごすという遊びは、クルマというアイテムがなければほぼ成立しません。だれかクルマを持っている人が、誰かと電話で連絡を取り、そして別の友達を拾いに行き、その流れでまた別の友達を拾いに行く…。もちろん全員が知り合いの場合が殆どですが、たまには「○○の友達」という、あまり面識のない人が、その車内の空間を共有することがありました。

 また、男女とのつきあいにもクルマは必須アイテムのようなモノでした。彼女を迎えに行き、初めて夜のデートで横浜に行ったのも、クルマがあればこそです。
 また、車の中で異性を口説いたり口説かれたり…、まだ個室カラオケも少なく、漫画喫茶もない時代には、そういうパーソナルな空間はクルマの中にしか存在しませんでした。

 そこで、尽きることがないおしゃべりを楽しみ、車窓を眺めながら、知らぬ間に夜は白んでくる…そんな青春時代を過ごした人はきっと沢山いたはずです。
 バブル期のテレビや雑誌の中であった、オシャレなバーで仲間同士朝まで過ごす…なんてことは、せいぜい年に数回でしょう。例えバブル期でも、若い時代ってのは、そこまでお金を持っていませんでしたから。

 しかし今では、そんな友達とのコミュニケーションも、携帯電話やインターネットで代替できるようになっています。
 例えば、最近流行の無料通話アプリやスカイプを使えば、日曜日の午後など何となく家でブラブラしているときでも、友達どおしで接続し合い、それぞれ時間を気にせず、適当に会話しながらずっと過ごすことができます。直接会って話す必要はありません。

 異性とのコミュニケーションも、実際の行為はともかく、帰宅後にお互いスカイプを立ち上げれば、それこそ同棲生活のような、生活の中での自然な会話のやり取りができてしまいます。

 それらを「バーチャルな人付き合いでうんたらかんたら…」と否定してみても仕方ありません。ただ、あの頃、私達と仲間達を結びつけるため絶対に必要だったクルマは、なくても済むようになったのです。

 そして「若者の自動車離れ」という批判や危機意識は、そもそも成立しないということを、デジタルデバイドの向こう側にいる大人達は理解出来ていないのかもしれません。

 でも、若い人達はきっと昔からあまり変わっていないよ、と、私は思ったりしたのです。この本のこの部分を読んで。

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▼2012年10月15日

彼女のひとりぐらし/玉置勉強

PA153925.JPG ふだんよく行く本屋さんで、3巻が推しされていて、見本冊子をサクッと読んだら面白そうなので、1巻探して買ってきた。
 探し始めると、書泉グランデとかにもなくて、結構何件も本屋さんをハシゴしたのだが、とりあえず無事ゲット。おもしろい。

 しかし、最近は「女のひとりぐらし」系マンガが旬だよね〜。34歳無職さんとか、花のズボラ飯とか…。

 では、男のひとりぐらし系マンガはないのかと考えると、こっちはすぐに下ネタに走っちゃうからダメなんだろうなぁ。女が主人公だと、男の私が読んでいても「一定以上の下ネタには走らない」的安心感はあるので。

 しかし、にしても無駄に絵がエロいと思ったら、この人「東京赤ずきん」の作者か。あのマンガ、まだ売ってるのか発禁になってないのか。自分はきらいじゃなかったけど、なんせ、マジキチなロリ系殺戮マンガだったし。
 あの連載は、確か青年誌じゃなくて少年誌だったよな。あの頃に比べれば、今の少年誌は随分おとなしくなったモノか?

 3巻で完結らしいので、続きを買ってみようと思うのですが、1冊800円+税もすんのか。マンガって知らない間に高くなったよねぇ。

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▼2012年09月17日

巨大津波は生態系をどう変えたか/永幡嘉之

P9133644.JPG あの震災後、徐々に東北は復興に向けて動いている。その動きが遅いのか適正なのかはそれぞれの判断に任せるとして、被災地の生態系についてはあまり考えていなかった…というか、多くの人も私と同様、あまり考えていなかったのではないだろうか。

 本書は、あの大震災後に、東北の貴重な生態系をリポートしたドキュメントである。

 あの震災で、特に東北の沿岸部は津波によって甚大な被害を受けた。もちろん人的被害もさることながら、自然環境についても損害は大きい。そして、現代における自然環境災害の特徴として、一部の自然環境の破壊が、そこを住処にしていた種の全滅に直結しやすいということらしい。

 例えば、私も大好きな景色だった仙台空港付近の沿岸低地帯。あの辺りは淡水の沼が各地に点在していて、それらの沼には固有種といっていいような貴重な生物が点在していたらしい。そして、1回の津波でそれらの環境は破壊され、津波が引いても、土壌は塩化し、水は淡水から塩水に変わり従来の淡水生物は生きてゆくことが出来ず死んでゆく。ここまでなら当然というか仕方ないと思ってしまいがちである。

 ただ、著者は、これは現代における固有の問題であるとしている。つまり、震災前から周辺で開発が進んでしまったおかげで、各生物の生息地は一定の範囲に閉じ込められ、外部との交流が不可能になった。その状態で生息地が全滅してしまえば、将来…何年か後にその環境が復活しようとも、その場所に固有種は戻ってこない。
 これが昔であれば、大部分の生物はパッチワークのような生息域を持っていたわけではなく、中心となる生息地から、グラデーションのように周辺へも広がっていた。その為、中心の環境が一度破壊されても、その後元に戻れば、周辺で生息していたその種が元の場所に戻ってゆく。

 今回の震災における津波被害の自然環境における甚大さは、そういった自然回復の方法がなくなってしまった事にあるとのことだ。

 他、沿岸樹木や植物への被害は、津波の直撃波以外でも、その土壌が塩化することにより、むしろ植物の成長期が訪れる夏頃から深刻になるといった話も。
 寒い時期に起きた津波なので、波の直撃に耐えた植物、あるいは、河川に海水が逆流し、その時は大丈夫だった植物も、その年の夏、あるいはそれ以降の成長期に、根から吸い上げる塩水のために枯れてゆくという事例は多いようだ。そういえば、あの奇跡の一本松も同じような経過を辿っていた。

 更に本書では、自然環境への影響だけではなく、復興ばかりを優先…というか、復興だけを考えた沿岸再生事業にも少しだけ疑問が投げかけられている。
 例えば、従来の法律では沿岸部で大規模な工事を行う場合「環境アセスメント」という手続きを踏んで、地域で生息する自然環境を調査した上で工事が実行される決まりなのだが、震災以降その手続きを免除する事例が相次いでいるそうだ。
 もちろん「そんな手続きを行っている場合ではない」という意見もあるとは思うが、この「環境アセスメント」の免除については、地域ごとにおいて温度差があったようで、逆にその手続きをしっかりと守っている自治体に対しては「細かい手続きを免除するのが被災者のためだ」といった批判もあったようだ。ま、どちらが正しいかは、被災現場を見ていない私には判断できない。

 というように、本書は「とにかく被災地を一刻も早く元通りにしなくては」という一元論に対する、ちょっとした冷や水にも感じた。

 あの震災で被害を受けたのは、住んでいた人間だけではない。様々な動植物も甚大な被害を受けている。私の中で、そのような視点が追加されたことは、本書を読んでとてもよかった事だと思っている。

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▼2012年08月30日

ニホンカワウソ絶滅報道を聞き「ガンバとカワウソの冒険」を読む

E8300129.JPG 先日、ニホンカワウソが遂に「絶滅種」と認定されてしまいました。確かに悲しいことですが、既に30年以上目撃例がない訳で、仕方がないでしょう。

 もっとも、今、絶滅種に認定されたとしても、その前と状況が変わったわけではなく、やはりニホンカワウソは生きているかもしれないし、やはりこの世にいないのかもしれません。

 「ガンバ」といえば、出崎統監督によるアニメーション「ガンバの冒険」が有名ですが、この物語にはもちろん原作があり、「グリックの冒険」、「冒険者たち(ガンバの冒険原作)」、そして本作「ガンバとカワウソの冒険」という3部作となっています。
 こちらの本は読んだことがなかったので、カワウソのニュースを聞き読んでみようと本屋さんで購入してみました。岩波少年文庫046番に収録されています。

 本作が出版されたのは1983年。あとがきによると、1970年代頃から構想を練っていたようで、著者は、四万十川にも取材に出かけているとのこと。その頃にはまだ、四万十川流域ではニホンカワウソの目撃例もチラホラあったようです。最後の目撃例とされているのが1979年とのことなので、運が良ければ著者もカワウソを目撃できたかもしれませんが、会うことは出来なかったと書かれています。

「青淵に 獺(うそ)の飛びこむ 水の音」

 という、作中の短歌も悲しげですが、本作は現実で「カワウソが絶滅した」年代に書かれているわけではありません。それを頭に入れて読むと、この作品におけるカワウソは、ノスタルジーではなく、今消えゆく生き物達への警鐘なのかと感じます。

 結果として、1979年以降ニホンカワウソは目撃例がなく、絶滅種とされてしまいましたが、本書を読みながら、まだ日本のどこかで生きているかもしれない彼等に思いを馳せてしまいました。ひっそり生きていてくれるといいなぁ。

 あえてストーリーには触れませんが、四の島(四国?)の自然描写が本当に素晴らしく、また、作中の挿絵も、とても美しく愛らしい動物たちが描かれており、是非手にとって、読んでみることをお勧めします。ただ、岩波書店の本なので、少し大型の店舗にいかないと、売っていないかもしれません。

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▼2012年08月29日

くずれあるき・さぼうめぐり

E8280114.JPG 山に行って見つけると、つい萌えてしまう「くずれ」をテーマにした同人誌

 このシリーズは他にも「崩壊地ブック1〜3」が発行されており、当然買いました(笑)
 個人的にダムは「すげーなー」という以上の感銘は受けないんだけど、崩壊地を目の辺りにすると、大地のエネルギーに身震いするというか…つまり私の嗜好はそっち方面な訳。

 内容については、前作が崩壊地そのものの案内中心だったのに比べ、本書はもうすこし「くずれ」や「砂防ダム」についての技術的解説が加えられていて、くずれ入門編としては、本書が一番適しているかもしれません。

 購入場所はお馴染み「COMIC ZIN」でした。

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中国化する日本/與那覇潤

P8293596.JPG 一言で言うと「ひどい本」。

 タイトルから想像して「従来の日本中心史観を見直して中国から日本の歴史を…」みたいな内容を期待していたのですが、結果、終始「中国って実はエラい、でも日本人は昔からダメ」と言い続けているだけで、しかもその論調も一貫した底本、または批判姿勢に基づいているのならともかく、日本を馬鹿にするときは、資料の一部を曲解したり、ネットの文章を引用したり…。

 ま、ご本人は日本人ではあるみたいですが、中国に明治維新がなくて悔しいんだろうな…というコンプレックスしか感じませんでした。つか、半分読むのが限界だったよ。

 「明治維新ってなんで起きたの」と学生に聞けば、10人が10人「ペリーが来航して、開国するかしないかで混乱があって…」と答えますが、そんな程度の理由で維新が起きていいのでしょうか。ここでもまた、中国史を参照するのが有益です。お隣の国・清朝では同じころ、アヘン戦争・アロー戦争と欧米の侵略が相次ぎ、一時は首都北京まで制圧される(1860)という状況になるわけですが、だからといって王朝がつぶれましたか。20世紀初頭に辛亥革命が起きる(1911)まで、その後半世紀も清朝はもったじゃありませんか。
 それにもかかわらず日本だけが「たった四杯の上喜撰(蒸気船)」程度の小さな衝撃で「夜も眠れず」、あっさり(事実上の)王朝交代まで行ってしまった、その「安っぽさ」。

 全編というか、読んでみた半分程度まではずっとこんな調子。更に何故か文中でネット言論(2chのことです)を何度も馬鹿にしていながら、自らの主張もなんだか2chのまとめブログをつなぎ合わせたようなモノで、都合がいい所は「定説です」「当たり前です」を繰り返す、非常に価値の薄い文章。
 あ…あと著者は、史上初めて紙幣経済(信用経済)を築き上げた世界帝国、モンゴルも気に入らないようです。

 そういえば、反日的な2chまとめブログって目にしないような気がしますが、そういうのが好きな人にはお勧めかもしれません。

 あと、日本は駄目だという文章を読んで、自分が「知的」だと思いたい方にもお勧めです。実際本書は、書評で割と評判良いのですが、今更ながら、書評書く人ってインテリじゃなかったんだね。

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中国化する日本/與那覇潤

▼2012年08月27日

最果てアーケード

P6273347.JPG 小川洋子さんの新刊ですね。ちょっと前の話なんですが、発売と同時に買って読みました。
 というのも、その前にコミック版の「最果てアーケード」を読んでいたからです。

 物語は…ネタバレしても構わないよね。小さなアーケードで暮らす女の子が主人公で、でも、その主人公は、かつて街で起きた大火事で死んでしまっていて、その死を理解できていない女の子が、自分の死についてすこしずつ実感してゆくという話。

 登場するアーケードのお店も、なんとなく「死」をモチーフにしたお店が多くて、読者も何となく命について意識させられながらも、ラストはよくわからないというか、主人公が生きているのか死んでいるのか判らない不思議な雰囲気の中物語が終わります。

 先にコミック版を読んだのですが、どちらもオススメです。また、小説版はそもそもコミック版の原作に使う事を前提に書かれた話で、こちらも文章が明快で理解しやすい気がします。そして、ラストの意味についても、小説版の方がわかりやすいかもしれません。

 最近重版がかかったのか、大きな本屋さんでは、再びこの小説が積まれているのをよく見かけます。面白い本でしたので、興味がある方は是非手に取ってみて下さい。

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▼2012年06月17日

ローマ法王に米を食べさせた男/高野誠鮮

P6173334.JPG きっかけは100式管理人の別サイト「IDEA*IDEA」の記事を見た事。なかなか面白そう…と思ったのだが、ゾンアマでは既に品切れ。
 本屋さんの在庫を調べられるこのサイトを使って、売ってる場所を検索したら、丸善の日本橋店に売っていたので、直接行って買ってきMASHIた。

 書評にもあったように、展開がとてもスピーディーでドラマチック、あっという間に読み終えてしまいましたよ。

 もちろん、全ての公共事業がここまでうまく進む訳はないというのはわかっているのですが、でも、この高野さんみたいな情熱があれば、日本はもっとうまくいくのになぁ…と思いました。
 あと、冒頭で登場する著者の上司は、もし実在するのであれば、名誉毀損、もしくは石川県の人事委員会に訴えた方がいいのではないでしょうか。いや、どうせこんなのばっかりなんだろうな、公務員って…。

 つことで、光陰矢のごとしに発行され絶版になるビジネス書なので、そろそろ手に入りにくくなっているようですが、みんなで注文すればまた重版があるかも知れません。

 ゾンアマでは品切れなので、興味がある人は地元の本屋さんに注文してみては如何でしょうか?私も自信を持ってお勧めできます。ホント、面白かったよ。

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▼2012年05月20日

僕らのご飯は明日で待ってる/瀬尾まいこ

P5132981.JPG 瀬尾まいこ氏の本は、出たらつい買ってしまうなぁ。つことで、最近新刊が出たようなので買ってみました。

 こちらの本は、自称コミュ障(※でも多分イケメン)が、ちょっと不思議ちゃん入った女の子に振り回されるというお話しで、章立てもキレイに「起・承・転・結」に別れていますね。

 女と別れてすぐ同棲生活してまた元の女に戻るとか、まったくもってけしからんというか、リア充爆発しろ的小説ではあるのですが、なぜかそういった修羅場も、瀬尾まいこ氏にかかると、ほんわかと心温まるお話になってしまいます。不思議です。

 そういえば、本作ではいつも爆発している、もはや瀬尾節といってもいい「おいしそうにごはんを食べる」描写が少しモノ足りなかった気もします。彼女のファンとしては、そこがちょっとだけ不満かも(笑)

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資本主義は海洋アジアから/川勝平太

P5132982.JPG いわゆる「学校で習った世界史」を否定する本。というか、学校の歴史では、積み重ねの事実の中に「史観」という概念が欠けているのが問題なのかもしれないが、そこまでを学校教育に求めるのも酷かもしれない。

 本書では、タイトルの通り「資本主義社会は、封建制や帝国主義としての流れで始まったのではなく、貿易という独自の価値観がベースとなって始まった」という説が唱えられている。
 つまり、人類は昔から歴史で言われていたように、原始共産社会から、古代、中世、近世、近代、といった順で進化してきたのではなく、その社会構成や価値観は、地域によってバラバラに進行してきたよ、という事。

 そういえば、高校生の頃だったか歴史の先生と話していて、私が「日本にはいわゆる西洋にある『中世』って時代ないですよね」と質問して、うやむやにされたことがあるが、日本に歴史上の分類としての中世がある云々は別にしても、それを社会構造ではなく、西洋社会を基準とした西暦を用いて世界を時間軸まで含めて分けてしまうのには無理があったと思う。

 日本が近代化した直前には、鎖国を行っていた徳川時代が挟まっているので、どうも日本は「海洋立国」であったという概念が、特に歴史では薄いような気がしている。徳川時代の日本人は、東南アジアにも積極的に出かけていって、様々な場所で「日本人村」を作り自由に活動していた。
 また、徳川時代であっても、日本列島の海の周りは、千石船が縦横無尽に走り回り、それらの船が朝鮮などに出かけていった事例も割とあったようである。

 司馬遼太郎が言う所の「明治維新は軌跡」ではなく、やはり日本人の気質として、近代社会に適応しやすい状況が揃っていたのだろう。

 本書では、日本を、同じユーラシア大陸の端であるイギリスと比較しているが、その論調には少し無理があるなと思う所はあっても、気軽に読めるし、今の歴史学の動向を知っておくのには、コンパクトにまとまっていて宜しいのではないかと。

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午前零時の自動車評論/沢村慎太朗

P5132979.JPG 前作「スパーカー誕生」では、とても精緻な分析を読ませてくれた沢村慎太朗氏の評論集。期待ワクワクで買ってみました。

 読んでみた結果としては、面白いけどちょっとキバっちゃってるかなぁ…という印象。なんだか文章内で無理にワイルドなキャラを作っている気もするのだが、今時そういった「ちょいワル」的なキャラは少し古いんじゃないだろうか?もっとも、この時勢自動車雑誌を買っている人達に向けての文章は、そういうタッチの方がウケるのかもしれないけど、単行本で読む文章としては少し違和感を感じた。

 例えば、トヨタ車の「後席リクライニング」に付いての記述とかね。氏の主張は本当にもっともだと思うし、日本製セダンの多くは、見た目優先の屋根の低さから、後席の居住性を誤魔化すために、かなり寝そべった座角のクルマばかりだった。そもそもリクライニングしようとしまいと、三点式シートベルトではサブマリン現象バリバリなんだろうなぁ…と。ついでに言うと、日本車の後席に坐ってると疲れやすいのもあの角度のせいだろうし。
 ただ、ああやってわざわざ激高を煽った形で主張するのは、単行本では逆効果かなと思った。

 他、軽トラについての記述も面白かった。無個性と言われながら、エンジンと駆動輪が、各社ともFF/MR/RRと、ここまで個性ありまくりというか無秩序なジャンルは、この日本では珍しいね。本書ではスバルのRR方式に軍配を上げていたようだが(というか消えゆくスバル軽へのオマージュ記事なので仕方ないが)、積載状態だとスバルのRR方式は、前輪が跳ねてばかりで怖いという意見もアリマス。

 前作の「スーパーカー誕生」からすると、すこし文体は変わっていますけど、あの本を楽しめた人には、この本も面白いと思いますよ。

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午前零時の自動車評論/沢村慎太朗
スーパーカー誕生/沢村慎太朗

▼2012年05月06日

87CLOCKERS 1/二ノ宮知子

P5062975.JPG オーバークロックを題材にしたマンガ?なんだそれ…と思って買ってしまった。

 読んでみたのですが、ちゃんとマンガとして成立しているのがスゴイ。パソコンのオーバークロックなんて、何のことやらサッパリわからない人でも、普通に恋愛マンガとして楽しむことができます。
 というか、よく考えてみれば、前作の「のだめ」だって、音楽のことだからみんな判ったつもりになってるけど、ホントはあっちも極狭いマニアの世界を舞台にした恋愛ものだったし、それに比べれば、オーバークロックの方が参加人口は多くメジャーな世界なのかもしれません。

 どっちの方向に行くのか楽しみではありますが、PCのオーバークロックを題材にしたマニアックなマンガという色眼鏡を外しても、ちょっとおかしな人達の青春マンガとして楽しめるんじゃないですかね。故に、そういうマニアックな題材を求めて読む人には物足りないというか、文句の一言や二言、付けないと気が済まないのかもしれませんが。

 ちなみに、なぜか世間的に自分は「PCに詳しい」と誤解される事が多いのですが、全然詳しくないのであしからず。オーバークロックはもちろん、PCの自作すらやった事ないです。

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▼2012年05月04日

戦略論大系・孫子/杉之尾宜生・戦略研究学会

P5042779.JPG 底本は「宋本十一家注・孫子」だそうである。現存する孫子は底本により章などが異なっているらしいのだが、概ねこの版が原型に近いとされているようだ。

 孫子の本は数多く出版されているが、多くは意訳・妙訳が多く、実際の孫子を学べる本は、岩波文庫など、割と堅めの書籍でないと、何が書いてあるのかわからなくなってくる。中には「孫子は平和主義者で反軍国主義者」みたいな怪しげなものや、経営を学ぶにはまずは孫子から!などと、それはそれで価値があるのかもしれないが、少なくとも孫子を知るにはあまりどうでもいいような本が多い気がする。そもそも、日本人のオッサンは孫子大好きだしね。

 また、孫子とよく比較される書物として、クラウゼヴィッツの「戦争論」があるが、お互い有名な本である割には、きちんとした内容を把握している人が少ないのではないかと思う。

 ということで、実は昔も岩波文庫版の「孫子」は読んだ記憶があるのだが、内容も既に覚えていないし、最近はこの「戦略論大系」という書物を少しずつ読んでいるので、その一環として購入してみた。なぜなら、孫子の訳文の他、後半の解説文にも価値があるのではないかと思ったからだ。単に訳文だけを読みたい人は、岩波文庫版を買った方が安上がりだし。

 孫子という書物がすごいなー、と思うのは、これが単なる戦争の為の書物に留まらず、国家運営の基幹にも言及していること。つまり、クラウゼヴィッツの「戦争論」が作戦級であるとするなら、「孫子の兵法」は戦略級であると言える。
 目の前に与えられた「戦争」という現実に対処するのが戦争論であるなら、孫子の兵法は「闘わずして勝つ」という有名なあの言葉にあるとおり、もう少し戦争という事象に対して俯瞰して眺めているようでもある。

 最近やったゲームのせいで、うかうかすると孫子が強制脳内変換されてしまい(笑)こちらのビジュアルが頭にちらついて、ちょっと萌心を感じながらも楽しく読むことができたのだが、それぞれ語っている言葉は極めて簡素であり、普遍的価値観に基づく非常に洗練された文章だなと感じた。
 それゆえに、現代ではおっさん達格好の餌食になって「孫子と言えば脂ぎった経営哲学」みたいなイメージが付いちゃってる気もするが、これもまた、日本人である私達が、広く孫ちゃん先生を愛しているゆえんなのですよ〜。

 この「戦略論大系」版は、それぞれの言葉に、原文と読み下し文、そして和訳が付いていますので、真面目に学習したい人は、研究素材としても便利かもしれない。また、後半の解説文もなかなか読ませる物があり、私としては価値はあったと思う。

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孫子(戦略論大系)/杉之尾宜生・戦略研究学会
新訂・孫子(岩波文庫)/金谷 治

のうりん/白鳥士郎

E5049683.JPG 今農業モノが熱い!のか?

 銀の匙を読んだ勢いで、もう一つ、若人(わこうど)達の農業物語を読んでみるのじゃ!と思ってつい買ってしまった「のうりん」。読んでみたらこりゃひどい…という小説でした(笑)

 まず表紙の絵からちょっと恥ずかしいので、普段は本屋さんでもカバー断る私も、慣れた手つきで商品にカバーを装着する店員さんを静止できませんでした。
 ま、表紙さえ見られなければ良いかと思って口絵のカラーイラストを飛ばして電車の中で読み始めると、数ページ後には、パイオツを手で隠した上半身裸の女の子イラストが出てきて、思わず本を閉じる羽目に。その後は警戒して電車内で読めませんでしたよ。

 内容は、現在高齢化が進んでいる農業の実態を若者達の活動を通じて鋭くえぐる社会派小説ではなく、単なる萌え小説でした。でもまぁ…こういうのが人気出てナウなヤングに読まれるのは悪い事ではないのかと。

「確かに無精卵に比べて有精卵は手間がかかる。雄鳥を飼い、交尾させる必要があるからな。しかしそれと栄養価は全く別の話だ。両者の間に成分的な違いは存在しない」

 あ、そうなんですね。高いし、何となく少し栄養価が違うとか思ってました。これは知らなかった。ちなみに、無精卵とは「ゴムをつけたときの卵だっ!」だそうです。

 あまり内容には触れても仕方ないのですが、全体的にはヲタ向けに媚び媚びの小説で、ダメな人はとことんダメなんじゃないかと思いますので、買う前には触りだけでも立ち読みしてからの方がいいです。自分も最後まで読むのは結構しんどかったので(笑)

 正直、続刊を買うかどうかは立ち読みしてから決めることとするにして「農業すること自体が、土を傷つけることなんだよ」ってのは確かにそうかもしれませんね。

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▼2012年05月03日

科学嫌いが日本を滅ぼす/竹内 薫

P5032760.JPG 確かに、身近では科学の話題は何となく嫌悪されている気はするし、日本で発行されている科学雑誌も極めて低調。というか、そもそも少年少女向け小説(もともと少女向けはあまりなかったか)に、科学ガジェットが存在する事もめっきり減った。
 今の子供達に「ワープとは時間と空間を跳躍すること」といっても理解してもらえないかもしれない。

 科学的である事、理論に基づいた実証は、いつの頃からか、日本では「理屈っぽい、ヲタっぽい」というレッテルを貼られるようになっている気がする。
 特にメディアではその傾向が顕著で、報道されるニュースは科学的冷静さを持った話題はどんどん減り、被害者意識を振りかざしたエキセントリックな映像ばかりになった。

 みんな忘れているかもしれないが、日本は「科学力」で経済発展を遂げてきた国だ。その国民…というか、政府が科学を軽視する傾向は一体何なんだろうか?昨今の「はやぶさ」にしても、国民的人気(それがお涙頂戴的価値観だったというのが皮肉だが)がなければ、プロジェクト自体潰されていた。
 一方でスーパーコンピューターの仕分けでは、元グラビアアイドルのバカ議員が「2位じゃダメなんでしょうか」とか平然と抜かす。国民を代表する職業に就いている連中ですらこうなのだ。 

 日本のマスコミで、今流行っているのが、今回の大地震と大津波を「想定できたはずの人災」にすり替えようとする動きだ。脱原発・反原発の市民団体が、これまで何度も東京電力に「地震や津波で原発が破壊される可能性がある」と、申し入れをしてきた、というのである。つまり、原発事故は誰でも想定できたはずであり、人災だというのだ。(中略)
 しかも、こういった「人災論」では、なぜか、高さ10メートルの防潮堤は、ほとんど問題になっていない。被災した各地に備えられていた防潮堤が完全に機能していたら、2万人近い死者・行方不明者の多くは被害に遭わなかったであろう。だが、マスコミのほとんどは、防潮堤については何も言わず、原発の備えだけを問題にしている。まるで、防潮堤を襲った津波は「想定外」だったが、原発を襲った津波は「想定できたはず」と言っているようだ。

 科学的冷静さを失った、ムードばかりを煽る日本のメディアは、上記の矛盾点にきちんと答えられるのだろうか。そして、私達も知らず知らずこのような「後出しじゃんけん的」というか「勝ち馬に乗りたがる」的視点になっていないだろうか。もう一度、自分自身も反省したいものだと思う。

 また、同じ章には「思想的な大声のせいで、科学的発言がかき消されて…」ともある。福島原発という重大事故を目の前にしても尚、この国のメディアと国民は、原発反対派も賛成派も全く冷静で科学的な議論ができていない気がするのは、気のせいなんだろうか。

 科学力を失った日本には、もう何も残らないのだ。

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▼2012年05月02日

デンキ街の本屋さん/水あさと

E5019672.JPG 久しぶりにマンガ立て続けに買ってるな。こちらもいわゆる「働き系マンガ」ですかね。先程の銀の匙とはうって変わって、大都会!世界の趣都アキバを舞台にしたヲタクマンガです。

 真面目に内容を考えるマンガでもないので、内容をマジメに語っても仕方ないですね。

 ひおたんもカワイイし、先生もキュン萌えだし、一巻冒頭で登場している男性店員は知らない間に消えてたな…とか、店頭ディスプレイとかエロ本Gメンとか、突っ込みを入れようと思えば色々入れられるのですが、そんなに深く考えて読んでも仕方ない。働くことが楽しそうでいいなーという感想でした。

 ちょっと意外なのは、主人公(?)とヒロイン(?)どうしでくっつく展開にならなさそう…って事かな。絵もカワイイし、表紙から入っても、問題なく楽しめる漫画だと思います。

 そそ…あの花ファンの方には、めんまが生きていて東京の大学に進学したらこうなった…という、妄想陵辱プレイ全開で脳内変換して読んでみるのも乙かと。ヒロイン髪の色までそっくりだしな(笑)

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銀の匙 Silver Spoon/荒川 弘

E5019674.JPG ネットでも評判いいし、本屋さんでもやたら推しPOPが目に付くので買ってしまいました…というか、ホントは三巻の初回限定版に付属してたスプーン目当て(笑)。開封したら、ずっしりと重くメッキも分厚くて、産地はなんと国産、新潟県は燕三条製でした。で、三巻買ったら一巻も買わねばと思い、まとめて大人買い〜。

 で、サックリ読んでみましたが、まぁ…面白かったかな。正直、事前に期待していた程でもないけど、なかなか良いマンガなんじゃないでしょうか。

 最近はナウなヤング向けマンガや小説で、色々とネタ切れのせいなのか、このような「仕事の現場」ネタ的なストーリーが増えてきているのはよいことだと思います。このマンガも、舞台は農業高校で学生だけど、学習内容がそのまま農業や畜産の仕事と直結しているのでね。

 ちなみに、自分の親は北海道の農家出身なので、中途半端に現場を知っているせいか、色々と共感できたり反発したりするエピソードがあって、それはそれで楽しめました。
 例えばTwitterでも書いたけど、北海道の米がおいしくなったのは最近の話で、それまでは炊きたてだろうが精米したてだろうが、埼玉県標準米に著しく劣っていたなぁ。今でも道内全ての田んぼで収穫されたお米が等しく美味しいわけではないのではないかなぁ…なんで、取れたての食材全てがおいしいわけじゃないッスよ…とか、逆にトウモロコシはもうガチで、採れたての焼きトウモロコシの旨さは本州では絶対に味わえないのではないか?など。
 あと、日高地方で採れた昆布を現地から送ってもらうと、関東で一袋2,000円とかで売られてる高級昆布買うのがアホらしくなります。鮭とラーメンもね(笑)
 ただ、ラム肉だけはいつまで経っても慣れません。今でもおいしいとは思えないかな。

 畜産の方については、良くも悪くもああいう書き方はちょっと鼻につきます。私も全ての事例を知っている訳ではありませんが、食肉に対してみんながあそこまで割りきったりドライだったり、そんな事はなくて、食材を殺す、ということに慣れはするけど、考えてることはこっちの人間とあまり変わらないという印象。
 現に友達で実家が養鶏場だった女の子は、大人になってからも、もう絶対に鶏肉とか口にしたくない!鳥絞めてるの見るのが怖い…とかいってたしね。別に畜産業だからって、人として特別な能力を持ってる訳じゃなくて、都会のサラリーマンと一緒ですよ。

「君らが子供の頃から親がちゃんとしたもの食べさせてくれてたんだべ。」

 子供の頃からちゃんとしたモノ食べてない私としては、このセリフも少し気になったのでした。ちゃんとしていない食べものが何かという事には触れられていませんでしたが、その辺で売ってるインスタント食品だって、開発者側からすれば極めて真面目に作ってる商品な訳でね。全てが野生で採れたて地産地消が正しい訳じゃないのではないかと、ちょっと反発してしまった次第。

 という訳で、大人になった今でも、インスタントラーメンとか、味の素とか大好きなんですが、なにか?(笑)

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▼2012年03月21日

電子書籍版を買って損した気分?

IMG_0023 仕事柄(藁)電子書籍にも慣れておかないといけないなぁ…と思って「テルマエ・ロマエ」だけは電子書籍版を買い続けています。販売元はBOOK☆WALKERです。

 で、購入してみた感想としては、価格も450円と、個人的には紙の本に比べてあまりお得感を感じない上に、紙の本についている様々な特典なども無い訳で、ハッキリいうと非常に満足度が低い…というか、買って損してる気分です。

 でもねでもねっ…電子書籍のいい所は、対応デバイスさえ持ち歩いていれば、いつでも手軽に読めちゃうゾ☆!…って部分だと思うのですが、そのアドバンテージすらもあまりないという証拠画面(笑)

 おそらく、電子書籍配布元システムの都合なんでしょうが、こういったアップデートは私が認識しているだけで、既に3回位ありました。例えば、写真の画面では「バージョンアップが必要です。バージョンアップしますか?」と聞かれていますが、バージョンアップしない選択はありません。そもそもしないと読めないので、するしかないのです。

 で、このバージョンアップですが、またエラく時間がかかり、環境にもよりますが、Wi-fi下で10分程度、3G回線だとそれこそエンドレスに近い時間がかかります。当然その間、購入した電子書籍は読めません。
 こんな事が度々あるだけで、一般の人はもう「電子書籍はこりごり」とか思っちゃうよね。それが狙いなのかもしれませんが。

 他、販売サイトでもう少し大規模っぽいシステム改修が入った時があって、その時はWebにアクセスしてアカウントの移転作業を行った後、購入した全ての電子書籍を再ダウンロードとか、なんかの苦行かこれ?みたいな事もありました。
 自分はまだ「研究目的」とかいう大義名分がありますけど、そもそも、こんな未完成なシステムを客に売りつけようって考え方がスゴイと思います。

 今はまだPCリテラシーというか、それ系になれている人達が主に買っているから構わないのかもしれませんが、日本のPC向け電子書籍マーケットというのは、かくも酷いもんなんだと認識できただけで、お金払い続けてる意味はあったのかもしれません。ちなみに、


 とかさりげなく恐ろしい事書いてある電子書籍販売サイトもあるのですが、購入して1年後にシステムアップデートされたら、自動的に購入した電子書籍は破棄扱いですかね。まさかとは思いますが、ここまでワザワザ使いにくいシステムを運用させている事を考えると、そのまさかの懸念は充分あります。

 電子書籍については、売る側の意向と買う側の意向がどうもマッチしていない印象で(そういう意味で出版の現場は割と前向きみたいです)、電子化する事によって仕事を奪われる人達、組織、会社…色々な権利と思惑が渦巻いてゴチャゴチャやってるうちに、結局Amazonが全てをさらってゆく、って結果になるんだろうなぁ…と感じています。

 音楽については、以前より音楽を作っていた側、売っていた側は色々大変みたいですが、大雑把に言えば、利用者側はiTMSやAmazonで音楽が売られて便利になったと実感しちゃってる訳で、何が正しいのか判りにくい話ではありますが、やはり大半のエンドユーザーが満足しちゃってる姿が概ね正しいんだと私は思います。

 さて、日本の出版社と電子書籍は、そういう方向の未来を見据えているのでしょうか?

テルマエ・ロマエ IV/ヤマザキマリ

▼2012年03月20日

胸いっぱいの愛を/広谷鏡子

E3209274.JPG えーと、超リア充小説です。以上…。

 では話にならないので(笑)、もう少し真面目に解説しますと、出会いは丸善のオアゾ店。注目書の中に並んでいて「おぉ…正当派青春小説やね…」と目に留めたら、帯にある池上彰さんオススメ!というコメントに何となく惹かれてしまい、つい手に取ってしまって、そのまま買ってしまったという訳。
 ちなみに帯を読むと誤解してしまいそうですが、主人公は「ほんだきん」という名前ではありません。

 内容としては、超青春リア充爆発しろ!的な小説ではありますが、種明かしをすると、この小説の舞台は今から約30年前のお話となります。当時高校生活を送っていた女の子が、今になって過去を語るというストーリ。

 ただ、過去と未来を結びつけるトリックなどは何もなく、本当に今でいう私と同じ世代の人間が、高校生活の甘酸っぱくてキュンとくる日常を思い出しながら語っているという小説になります。えぇ…私には甘酸っぱい思い出もキュンとくる思い出も何もなかったですけどね。

 表紙のイラストでは、細身の快活そうな女の子に見えますが、じつはお尻が大きい事を気にしていたりと、美少女が美少女的描写になっていない所が、年を重ねた女性が一人称で過去を語る意味がある事なのかもしれません。実際…高校の同級生とかじゃ、誰にでも判りやすい「美少女」なんていなかったもんだよね。

 池上彰オススメはともかくとして、高校野球とロックと瀬戸内海というキーワード、何処かに反応した人にとっては、読んでみる価値がある小説ではないかと。読後感はサッパリとしていて、いい感じです。

 結果として主人公の高山桂子がリア充的人生を送っていなさそうな感じではあるのですが、やはり、若い頃に経験した宝石のような体験は、それだけで一生前向きに生き続けられるだけのパワーを秘めているものなのかもしれません。

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▼2012年03月11日

花のズボラ飯2/久住昌之・水沢悦子

E3109250.JPG 買ってきましたよ、特典でつくカード目当てでComicZINまで出かけて(笑)

 さすがうさくん、ズボラだけどどことなくエロイ感じの花さんがたまりません。今回はネコまんまとペヤングが登場したのも印象良し。
 もっとも…ズボラって割にはかなり手の込んだ料理作ってますよね。あそこに出てくる料理がズボラというなら、自分は生まれてからズボラ飯以外食べたことありません(笑)

 相変わらずゴロさんが登場しませんが、ひょっとしてピザなのかしら?

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花のズボラ飯2/久住昌之・水沢悦子

▼2012年03月06日

南極点のピアピア動画/野尻抱介

P3062716.JPG 著者の野尻抱介氏がいうに「初音ミクはSFである」そうだ。こんなこと言うと、またアンチSFファンに誤解与えそうな物言いですが、その持論を小説にした…って事ですかね。元々SFマガジンで発表されていた小説をまとめた単行本のようです。

 SFというジャンルがすっかり下火になった昨今、野尻の作品は懐かしのSF的香りに満ちていながらも、本作では「初音ミク」と「ニコニコ動画」をベースにしたソーシャルネットワークがもたらす未来と、異文明とのファーストコンタクトについて書かれていて、なんつーか今風です(笑)

 個人的には、動画コンテンツ全般にあまり興味ないので(これはもっと広義の意味で映画もテレビも最近はアニメもあまり見ない…ってこと)、その部分での感情移入が、おそらく著者が想定している対象読者平均よりも冷めた感情で読んでしまったと思うのですが、それでも面白かったです。もっとも、ぶっちゃけ「野尻抱介」氏の作品でなければ、絶対読んでいなかったと思うけどね。

 話を彩るアイテムは現代風であれ、ストーリーの骨子は極めて古典的SFというか、まだ未来が明るかった時代、ハヤカワSF文庫が本屋の角棚を占拠していたあの時代の懐かしい雰囲気。
 私個人の考え方としては、世界とつながるインターネットやソーシャルネットワークを得たからといって、人が本質的に変わることはないと考えているのですが、この小説では、それらのテクノロジーが“善意”の元運用されている方向に振れていて、それも読後感が清々しい理由のひとつだと思います。私が初めてインターネットに触れた前世紀も、ネットの中はこんな雰囲気で満ちていたなぁ…。

そうですね。水を四十リットル。灯油八.七リットル、もしくは木炭六.三キロ。窒素八百グラム–これは空気から取り出せますね。珪素は石炭を使うとすると、適当な土砂をバケツ一杯ほど。シリコンシーラントでもいいです。それから少量の元素を取り出すのに、サカナか肉を一キロほど

 あと動力として電気があれば、ボーカロイドの小隅レイたんが複製出来るみたいだよ…って、これはドラえもんの人間製造機だよね(笑)

 どうでもいいけど、作品中で「ふわふわの泉」に触れられていましたが、これは著者による出版社への「早よ再販せい」ってメッセージなのだろうか。表紙の絵がアレなのでなんですが、こちらも結構なSFなので、早く再販かかるといいですね。

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▼2012年03月04日

うさぎパン/瀧羽麻子

P3042704.JPG 私にとって「相性のいい」本屋さんってのはいくつかあり、そのうちの1つが、柏の葉ららぽーと内にある勝木書店公式サイトを見ると、ただものでは無い書店感が溢れているが、とにかくこの本屋さんは、私が普段探しているのとちょっと違うジャンルの本に出会えることが多いのである。何故か同書店チェーンで近隣にある新三郷ららぽーと店は全く琴線に触れないんだけどね。

 ということで、文庫コーナーに平積みになっていたこの本、帯にある「あぁ、この本に出会えて、本当に良かったぁ。」というベタなキャッチコピーに惹かれて手に取ってみたら、案外面白そうだと思ったので買ってみた。たまにはこういうもっこり…じゃない、ほっこり(用法違い)した本も読んでみたくなるもんなのだ。近頃は毛沢東とスターリンの虐殺に関する本を立て続けに読んでるもんだからねぇ…。

 私が好きな女流作家って、みんなとにかく食べものを「おいしそうに食べる」描写がうまいのだが、女性で作家になるためには、食べものを美味しく食べる描写を上手に書けることが必須条件なんだろうか…なんて思ってしまうほど、何故か食べものへのこだわりが多い作家にあたってしまう。
 この本も、タイトルから想像するとおり、表題作と収録作、両方とも食べものがキーになっているお話しである。内容はね…ま「リア充爆発しろ」ってなお話しなんだけど、たまには私みたいな非リア充も、こんな充実した青春時代を送った気分になりながら楽しんでもいいじゃない!ってな(笑)

 ちょっと心が優しくなれるというか、イライラしている時など、素直な気持ちになって読めば、心穏やかになれるかもしれませんよ。彼女の他の作品も読んでみようかな。

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北野武・超思考/北野武

E3049241.JPG 私達の世代にとって「ビートたけし」というのは、やはりヒーローであって、彼の発言のほとんどが極めて正論に思えてしまうことも含め、彼は紛れもなくヒーローなのであろう。
 これが、また別な世代の人間からすると違って見えるのかもしれないけどね。

 本書で語られている様々な事例は、本当に、どの項目を読んでも「ふむふむ」と納得できる事ばかり。やはり、自分で一から金を稼いで地位と名誉を得た人は違う。
 また、芸人は企業人と違い、その地位と名誉を後継者に継がせることは、ほぼ出来ない。なので、自分が感じて正しいと思ったことだけを、反撃を恐れずに言い続けることができる。

 残念ながら、世間で言われる「評論家・学者…というわれる論壇」は、ほとんどが雇われ人なのでね。あまり好き勝手なこといっちゃうと、ごはん食べられなくなってしまうんですよ。

そうかと思えば、詰め放題名人の主婦とかが登場して、ビニール袋にさんまだのミカンだのを沢山詰める裏技をレクチャーするニュース番組まであったりする。見ているこっちまで恥ずかしくなるような光景だけれど、本人たちはちっともそういう風には感じていないらしい。名人なんて呼ばれて嬉しそうな顔をしている。俺に言わせれば、ただ意地汚いだけの話だ。

 この話をどう思うかで、世代の断絶ってのはあるような気がするね。私はかろうじて「意地汚い」と感じてしまう世代だ。しかし「これは遊びの一環ですから、だれもマジでやってる訳無いでしょ」という意見も理解できる。
 それらの世代の人達は「安いものは安いなり」という価値観は既になく、もっとスマートに「コストパフォーマンス」という価値判断をする。これが良いとか悪いとかそういう話では無いのだが、でも、みんなが安物しか買わなくなれば、みんなの給料も安くなる…ってのは当たり前の話。

 ま、サクッと読むのに適した分量の割には、色々と考えさせられる事が沢山書いてありますので、若い世代の方も、本屋さんで一度手に取ってみては如何でしょうか。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


超思考/北野 武

サンクチュアリ/池上遼一

Ikegami 色々ありましてね…内容を把握する必要がありましたので、近所のブックオフで読んできました。1〜12巻まで一気に、つかれた…。

 つか、100円の棚に入ってましたので、面白かったら買ってみてもいいかなと思ったのですが、ま、一度読めば充分かなと。
 話の内容としては、現代版ケインとアベルみたいなもんでしょうか。ポルポト政権下のカンボジアから逃げ出してきた日本人少年2人が、日本にサンクチュアリ…を作るために、1人は表の社会で、もう1人は裏の社会から日本を支配しようと暗躍します。

 つか、読んでいるうちに「これ、どうやって落とし所つけるんだろ?」と思っていましたが、やはり最後はあっけないというか、こういう終わらせ方するしかないよな…みたいなお話しでした。食堂でラーメンが出来上がるまで読むには丁度いいお話しかなと(これは別に悪口ではありません)

 連載開始年は知りませんが、終了時はどうやら西暦1996年だったようです。丁度日本のバブルが終わってどうしよう…ってみんな思っていた時代の閉塞感の中で描かれた漫画なんでしょうね。今の時代に同じテーマで描かれると、また違った話になるんだろうと感じます。

 個人的には、作品の中でAUDI 80 B3系が登場していたのが懐かしかったなぁ。あのクルマは本当によかった。作品の中で「アメリカ車は売れないが同じ規制下でドイツ車は売れている」というセリフがありましたが、あの時代のドイツ車は紛れもなく世界一でした。
 その後…作品が終了した1996年頃から、日本車はぐんぐんよくなってきて、ドイツ車ですら日本国内では売れなくなってきたけどね。

▼2012年03月01日

34歳無職さん①/いけだたかし

E2299214.JPG どうでもいいけど「①」って文字、Winの方々は文字化けしてんのかな。○に1って事です。

 会議が終わって慌てて会社を出て、閉店ギリギリで寄った本屋さん。お目当ての本は買えたんだけど、もう一冊、レジに並んでたこのマンガをついつい表紙買い。買ってみたら、主人公の34歳無職さんは女の人だったんだと知りました。なんでも、当初はWebでの雑談から生まれたそうですが、元ネタはこれかな

 ちなみに自分も「無職名人」な生活送ってまして、友達やご家族にいつも心配ばかりされていますが、最近はその心配もされなくなった位の境地に達してます。大体「なんて会社に勤めてるんだっけ?」とか聞かれなくなったしな。会う度に「今どこの街に勤めてるの」とは聞かれますけど(笑)

 なので、この無職さんな生活には、今でも憧れてます。いやほんと…お金さえあればなんだけどさ。

 読んでいて「無職さんえらい!」と思ったのは、外出しなくてもキチンとお洋服に着替えていることですね。なんてお上品な生活でしょう。1人暮らしなのに、ちゃんと部屋の中でジーンズはいてたりスカートはいてたり、これがあんた、足立区界隈の女なら、寝る時から部屋の中から、へたすりゃ駅前への買い物だって、ずっとスエットのままですよ。足立区周辺に住んでる(笑)自分の場合も、さすがにお風呂入る時はスエット脱ぎますが、基本、寝てから起きてまた寝るまでずっと同じ服で過ごすとか当たり前です!
 かくいう私も無職時代…つか、有職時代でも休日なんかはずっと寝たまんまの服装。ま、私は足立区民じゃないけど、足立区まで歩いて5分の距離だしな…。

 読み終えて知ったのですが、この作者「ささめきこと」の作者だったんですね。そっちのマンガは、原作もアニメも全く見たことないですが、音楽は絶品なので、是非皆さんも聴いてみて下さい。いや、漫画もアニメも面白いのかもしれませんけどね。

 さーて、私の次の無職はいつになるかなぁ…。つか、そろそろ定年になる年齢まで、無職は自粛すべきなんでしょうけど(笑)

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▼2012年02月15日

戦略論大系(3)「モルトケ」

E2149000.JPG 近代の陸軍用兵の基礎を作ったと言われる、ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの著作と解説を収録した本である。

 近代陸軍用兵術の模範とまで言われる彼だが、残念ながら日本では、彼のテキストはほとんど出版されていない。その中でも代表作と言われる「高級指揮官に与える教令」は、かろうじて、芙蓉書房出版の戦略論大系(3)モルトケという本に収録されているが、長く品切れが続いており、手にするのが難しい。この度、ようやく本書を古本で入手して、読むことが出来た。

 目玉である「高級指揮官に与える教令」については、実にあっけないというか当たり前というか、それは私達が現代の戦争を知っているからであり、その古典に触れられたという事は実に有意義。
 部隊の編成や、指揮統制、行軍の原則、騎兵戦術、そして最大のポイントは指揮系統の一本化にあり、高級将校から下士官までの命令系統の統一を行い、常に連絡と報告を取り合って状況を確認、高級将校は独自に下士官、もしくは現場の兵士へ直接命令することは避けるべきという、軍組織における情報と命令系統の階層化、中央集権化を図った所にある。
 また、各指揮官に置いては、上級になればなるほど命令は包括的であることを求め、末端に行く程命令は臨機応変で具体的であるべきという、軍隊における上級と下級士官の役割にまで踏み込んでいることもポイント。

 というのも、当時の軍隊といえば、まだ中世封建主義的思想が色濃く残り、軍隊は国民のものというより、王族、貴族の持ち物であり、戦争で功績を残すことは貴族のたしなみ…のような風潮もあった時代である。
 フランスでは既に「国民皆兵」でナポレオンが大暴れして成功を収めた後ではあるが、まだヨーロッパ社会、特に東欧に関して「軍隊」は権力者の私物であり、その用兵術には標準とされる体系が存在していなかった。そんな時代において、軍隊に明確な「指揮統制」を用いたモルトケの思想は、今でいうと当たり前のことだが、当時においては革新であり、また反対も多かったようだ(もっともその近代的軍隊の創設に成功したドイツが「国家が軍隊を持つのではなく、軍隊が国家を持っている」といわれる国へと変貌したのが皮肉だが)

 それともう一つの特徴は、モルトケが用兵に取り入れた近代技術であろう。上記にある「連絡と報告」には、当時実用化されつつあった電信を用いることを主張し、また、軍隊の動員についても、当時ヨーロッパを網羅しつつあった鉄道などの輸送手段を積極的に利用するように努めた。

 また、大軍の存在意義は「攻撃以外にない」と規定しているのもユニークで、必要な場所以外でむやみに軍団の編成を行わないことを推奨しているのも面白い。

 たとえ話だが、仮に日本が北九州で外国の侵略を受け、急遽日本政府は軍隊を九州方面に派遣する必要があるとする。
 近代戦以前の常識では、東京で兵隊の動員を行った場合、動員場所の東京で軍団を編成して、そこから北九州へ行軍するというのが流れであったが、モルトケはその常識を覆し、動員場所での軍団編成を行わず、鉄道などの輸送手段を用いて兵隊を逐次移動させ、軍団の編成は作戦現地で行うとした。
 今でいえば当たり前の話なのだが、それを実現させるためには、膨大な人員と補給物資をタイミングよく集合させる必要があり、綿密な計画に基づいたダイヤグラム作成が不可欠になる。その当たり前が、技術的な制約や過去からの慣習という理由はあるにせよ、昔の戦争では行われていなかったのだ。

 また、鉄道網による大量輸送を伴った動員は、過去の戦争の例にある、単一の作戦での敗北が地域失陥につながるという常識も変えてしまった。つまり、1つの作戦で部隊が負けて損耗しようとも、事前に損耗率を計算して逐次戦場に予備兵力を動員し続ければ、一度部隊が負けて損耗しようとも、作戦を続行することが出来る訳で、この流れは、近代型の国家総力戦へとつながってゆく。

 モルトケと話はずれるが、その時代に行われていたオスマン(を代理にした英仏)とロシアで戦われていたクリミア戦争などは正にその例で、昔ながらの徒歩や馬車での軍隊動員を行っていたロシアに対し、英国は鉄道や蒸気船を積極的に使い、次々と増援部隊や補給物資を現地に送り続けていた。結果、地の利を持っているはずのロシアは敗退。もっとも戦局では有利だった英仏も「国家総力戦」を行ったツケが大きく、膨大な戦費負担に耐えきれず、誰が勝ったのかよくわからない結果として終わった(もちろんオスマンは大損こいたのだが)

 このように、国家総力戦の時代は「戦争で勝っても結果どちらが勝ったのか良く分からない」的な戦争の始まりを作った…というのが私の私見!頭痛が痛い(笑)

 本書について、19世紀東欧の歴史に詳しくない人は、むしろ後半の編者における解説文から読むことをお勧めする。私も近代プロイセンの歴史はよく知らなかったので、前半は理解が進まず、最後の解説まで読み終えてからまた読み返した所で、モルトケが言わんとしていたことが判ってきた気がする。
 ただ、中盤にある本書の目玉「高級指揮官に与える教令」については、非情に簡易で判りやすく、故にこの文章を読んだ後には、様々な戦争に関する書物を読んでみて、改めて考え直さなければ、妙な誤解を持ったまま「わかったつもり」になってしまう危険性をはらんでいるなと思った。

 本論と外れるが、個人的に面白かったエピソードは、数日前に読んだ「オスマン帝国はなぜ崩壊したのか」にあった、オスマンがボロ負けしたエジプトとの戦争時、モルトケがオスマンの軍事顧問として派遣されていたことが書いてあったこと。モルトケはエジプト軍を撃破するための有効な部隊配置と作戦を進言したのだが、それは当時のオスマン軍から無視され、結果ボロ負けをした…と書いてあるが、さて。

 あと、私は読んだことがないので知らないのだが、銀河英雄伝説に出てくる「ヤン」という将軍は、モルトケがモデルだとのことである。なんでも、背が高く寡黙で戦争よりも文学を愛し、人生の前半においては特に輝かしい功績もない地味な男…。という設定がそっくりらしいのだが。どうなんでしょ。

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戦略論大系(3)モルトケ/片岡徹也・戦略研究学会

▼2012年02月12日

オスマン帝国はなぜ崩壊したのか/新井政美

E2128975.JPG 副題に「憂国のポエジー」と記載されている。西洋列強が躍進する前には、世界の中心とも言えるくらいの繁栄を誇った、オスマン帝国崩壊を語った本である。

 本書の冒頭に「トルコはヨーロッパか?」という問いかけがある。私としては「トルコ」はヨーロッパに含めてもいいかもしれない。しかし「オスマン」はヨーロッパでは無いという認識だ。
 トルコとオスマン、何となく用語がごちゃごちゃになるが、基本的にこれらの言葉は、民族的にも国家的にも同一として認識してもいいと思う。ただ、昔はオスマン、今はトルコであり、そこに住む人達の気質は変わらないかもしれないが、西欧から見た国家としての体裁は大きく違う、という認識なのかもしれない。

 その国家の崩壊は、日本で言う江戸時代の始まり頃からスタートする。ウィーンの占領に失敗したオスマンは、その後躍進する西欧列強のプレッシャーをまともに受けながら、徐々に領土を割譲される。その中でも、当時のオスマンは、内部にイスラム教とキリスト教を含みながらも、極めてリベラルでフェアな国家運営を目指してゆく。それは、当時の西欧社会が目指していた進歩的国家体制の実現だったのかもしれないが、いかんせん時代が早すぎた。
 当時のヨーロッパは、内政的には王権から民主政治への動きでもがいていた中、対外的にはまさに「血に飢えた狼」状態であり。当然ながら東欧に進出しようとするフランス、オーストリア、プロイセン、そして南に活路を見いだしているロシア達の餌食になりつつあった。
 そういった地理的・文化的両面から東西の交差点に位置していたオスマンは、西欧各国のパワーバランスをうまく利用したつもりで危うげな対外外交を行ってきたが、結果として、ボスニア・ヘルツェゴビナは独立し、ギリシアも分離し、北ではルーマニアやセルビア、ブルガリアまでが半ばロシアの衛星国として独立してしまった。そして中東でも世界大戦後には、イラク、シリア、イスラエルなど、アラビア半島大部分の領土までを失ってしまう。

 個人的にトルコと言えば、戦略級シミュレーションの傑作と言われた、Avalon HillThird Reichのトルコ軍を思い出す。確か記憶では、赤地に黒で印刷されたユニットで、海軍戦力はほぼ皆無だったが、陸軍戦力はそこそこの数を持っていた。しかし、様々なルールでそれらの戦力を集中運用できず、結局なんのために存在してるのかよくわからない軍隊…という印象だった気がする。
 第二次世界大戦当時は、本書の内容からは外れる話ではあるが、なんとなくそういった国内の混乱をまとめきれないまま現在に突入してしまったのが今のトルコなのかなと、読後にはそんな印象を持った。

 ギュルハネ勅令の発令と、その後の近代化を目指すオスマンの姿は、同じ時代日本が必死に近代化しようとしていた時代にも重なり、何となく他人事には思えないエピソードが満載。トルコ人は親日家が多いらしいのだが、それは、同じような時代に西洋列強に対抗するために近代化を目指し、日本が成功を収めた影で、多くの領土を失いながらも国家として独立を保つことが出来た自らの歴史にある種の理想を重ねているからかもしれない。

 それと全く余談だが、少し前に読んだ「カザフ遊牧民の移動」という本で、何故トルコ人がカザフ人達をあそこまで親切に受け入れたのか…という理由が明らかになって通じた上でも、本書を読んだことは私にとっては非常に有意義だったと思う。

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ブローデル/地中海

_2108807 会社の近くにある古本屋(といっても日本一の古本街の一角ではあるのだが)で、セット売り10,500円で売りに出ていて、数日悩んだあげくつい買ってしまった(笑)。読まなければいけない本が貯まっているのになぁ。

 きっかけは、今の仕事で「地中海」関係のWebサイトについて企画していることから。なんとなく地中海についてググっていたら、この本にヒットしましたという訳。

 ブローデルの「地中海」は、歴史書としては古典ながらも当時は革新的な視点をもって描かれた書として有名だった。日本では藤原書店が頑張って翻訳版を出していたが、昔は一冊6,000円以上(だったと思う)した上に全5〜6巻だったはずだから、金銭的にとても手が出る本ではなかった。
 私も何度か本屋さんで立ち読みをしたが「読んでみたいけど高いよな〜」と思って手を出さずにいた。かといって図書館で借りてはみたものの、借り物の本ってのはあまり気合い入れて読まないものなんだよね〜。ちょっと読んで返却してしまった覚えがある。

 さすがに藤原書店側もちょっと高すぎると感じたのかどうか知らないが、その後に発売されたのがこの「藤原セレクション版」。全10巻で一冊1,200〜1,800円前後、税込みで全て集めても2万円弱で読破が可能ということで、それなりに売れたのか、安すぎて採算が取れなかったのか、割とすぐに絶版になってしまい、今では「普及版」という、あまり普及価格でもない4,000円前後、全5巻というボリウムでまとめられて出版されている。

 内容としては、かつての「人物・事件」を中心とした歴史記述ではなく、地中海という地域と気候、その他環境から生み出された歴史という視点で描かれたのが斬新であったらしい。
 私も試しに1巻だけ読んでみたのだが、なるほどなるほど…地中海はそのほとんどが山と接しているってのも、言われてみて改めて気がつく事実だよね。その沿岸部のほとんどは切り立った崖などで構成されている地域が多く、不覚にも地中海と言えばエジプトやベネツィアの平地に面した海を何となく想像してしまっていた自分はいきなり出鼻をくじかれた感じ。

 環境から歴史を語る視点というのは、日本では各民族学者達や網野氏を始め、その他在野の優秀な歴史家が沢山いるので、私的にはこの視点には馴染みすら感じてしまうのだが、西洋で、しかもこの本が書かれた1949年では斬新な考え方だったのかも知れない。
 歴史書の古典ということで、何となく難解な内容を想起してしまいそうだが、少なくともセレクション版の1巻については、地中海をまるで空から眺めて飛行しているかのごとく、発見と驚きの連続でドキドキしてしまう内容だった。

 今では自腹で購入して全て読むには2万円弱のお金がかりますが、普及版の1巻だけでも読んでみるのもいいいのではないか…と思いましたよ。自身の中の、地中海沿岸とイタリアの歴史感が少し変わるかも知れません。

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地中海(1)/フェルナン・ブローデル
地中海(2)/フェルナン・ブローデル
地中海(3)/フェルナン・ブローデル
地中海(4)/フェルナン・ブローデル
地中海(5)/フェルナン・ブローデル

君はラビットスバル・RS-3という三輪車を知っているか?

E2118968.JPG 超レアな写真集。購入場所は久しぶりに出かけた東京は四谷のアローカメラ。というか、お店のブログでこの本の販売を知って、慌てて買いに行った訳だけどね。ちなみに私が購入した分で最後でしたので、もう買いに行っても在庫ありません(笑)

 この車については、私も存在は何かで知っていたのだが、レストアされた現車が存在するとは知らなかった…というか、試作で破棄されていた状態のものを引き取ってレストアしたのが、この車だそうである。

 私が知らなかっただけで、最近は旧車イベントなどに結構出場しているようだね。こういう変態旧車大好きな私だけど、あまりイベントとかには出かけない方だから、よく知りませんでした。調べてみると2011年の秋くらいに発売されていた雑誌「Old Timer」でも特集されていたようだ。

 見た目のスタイルも奇抜な所ながら、この車(?)最大の特徴は、前輪のトレッドが可変であるという点。量販品が無いので実際どうするつもりだったのかは何ともいえないが、速度によって自動、もしくはスイッチで、前輪のトレッドを拡大することが出来て、カーブなどでの転倒を防ぐと共に、車庫に入れる時はコンパクトになるという、現在のサスペンション設計者が聞いたら腰を抜かすようなアイディアが盛り込まれている。
 私は勿論経験が無いが、この当時の3輪自動車というと、交差点などで結構“コテン”と転ぶことが多かったらしく、特にトラックタイプの三輪車だと起こすのが大変(そりゃそうだろうな)だったらしい。ま、ある意味のどかな話ではあるが、そのような事態を想定して対策しちゃう所が、元中島の技術者集団変態スバルらしい話でもある。

 このラビットスバル、今は故郷の群馬県太田市で公開展示中らしい。いつまで展示しているのか知らないが、一度見に行ってみたいなぁ…と思っている。それと、今年は旧車系イベントにも出かけるようにするかな。

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▼2012年02月01日

ダフニスとクロエー/ロンゴス

E1312801.JPG 白状します、こんなギリシア文学の古典をいきなり読んでみた訳は、写真にある萌え萌えなイラスト見たからです。
 このイラストは「萌える名作文学」という本に紹介されています。古今東西の古典小説を中心に、ヒロインを萌えの視点で見直したという…今流行の萌える○○読本シリーズですな。この世で萌えられないジャンルは何も無いね(笑)

 ということで、この萌えイラストに参ってしまった私は、たまには古典もいいかなと思って、ゾンアマで岩波文庫版を注文しようとしたら、どうやら絶版のようで、プレミアまでは行かないけど微妙な値段で取引されています。
 ま、岩波の文庫なら、BOOKOFFを何軒か回れば手に入るかな?と思ったのは甘ちゃんで、家の近所から都内の大型店舗まで何軒か見て回ってもまるで売っていない…というか、BOOKOFF行く度に余計な本がどんどん増える体たらくなので、ここは意を決して、今勤めている会社を抜け出し、近所、神保町の古本屋街へ。そこで絶版岩波文庫の在庫に定評がある@ワンダーというお店でようやく在庫を発見しました。

 お値段は1,050円。ま、絶版だからね。ちなみに私が買った版は1987年発行の第一刷。定価は350円だけど、物価の上昇率を考えれば…って事はないかな?いや…1987年当時の日本はバブルだったし、むしろあの頃より社会はデフレ気味。そう考えると、いくら絶版とはいえ割高な買い物だったかもしれん。

 で、前置きが長くなりましたが、読んでみるともう…ね、

「きっと今のわたしは病気なんだろうけど、どんな病気なのかわたしにはわからない。痛みは感じるけど、傷なんかどこにもない。つらい気持ちだけど、羊は一頭だって減ってはいないわ。こんなに深い木陰に坐っているのに、からだが焦げるように暑いとはねえ。茨の棘がささったことは何度もあったけど、泣いたことはなかった。蜜蜂に刺されたことだって何度あったかわからないほどだけど、ごはんはちゃんと食べられたわ。でも今の私の胸を刺すこの痛みは、そうした時のどれよりも激しいの。ダフニスはたしかにきれいだけど、花だってきれいだし、あの人の笛の音は美しいけれど、鶯の声だってそれに負けやしない。それなのにいまのわたしにすれば、そんなものはみんなどうでもいいものばかり。あの人の笛になって、あの人の息を吸えたらどんなにいいだろう。それとも山羊になって、あの人に飼ってもらえたら…。水だって意地悪ね、ダフニスだけをきれいにして、私が水浴びしてもなんにもならなかったのだから。」

 とかもう、今風に言うとメンヘラ少女的な恋心というかヘンタイ妄想爆発のイタい喪女みたいな感じです。でもクロエーたんは美少女なんだけどね。

 つー感じに、全編にわたりダフニスとクロエーがいかにお互い好きかを延々と語りやがり、読み進めるにつれリア充爆発しろと叫びたくなりますが、古典の割には翻訳がいいのか元の文章が優れていたのか、すらすらと読み進めることができます。
 あと、当然ながらふたりの間にはいくつか恋の障害があるのですが、一般的恋愛小説と違って、それらは割と簡単に解決してしまい、むしろダフニスとクロエーの人としての成長というか、エロ度のレベルアップが主体に話が進んでいきます…っていうか、一日に何度も接吻かまして、裸で抱き合って、それでもお互い何も無いってどういうことよ!リア充爆発しちまえ!(笑)

 といいつつ、やはり長く読まれてきた古典は古典。3世紀ギリシアの美しい風景の中の男女の恋物語という王道、たまにはこの世のヒネた視点を忘れ、素直で美しい感情に思いを馳せながら、若きふたりの命の営みを味わう文化的読書というのもいいものですよ。

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ダフニスとクロエー(岩波文庫 赤 112-1)/ロンゴス・松平千秋:訳
萌える名作文学 ヒロインコレクション/萌える名作文学製作委員会

▼2012年01月29日

カザフ遊牧民の移動/松原正毅

P1282665.JPG 久しぶりに面白い「自分が知らなかったこと」を読ませてもらったと思う。
 この本は遊牧の民であるカザフ人が、近代の国家・国境という波の中で自らの住む場所を失い、放浪の旅に出る…具体的には中央アジア、アルタイ山脈南にある「チンギル」という地域から20年をかけてトルコへと移住するまでを描いたドキュメントである。

 昔から中央アジア一帯は、モンゴル人の遊牧生活でのイメージにもある、広い草原を移動しながら生活していた人達が暮らしていた。それが、ソビエト連邦、そしてモンゴル人民共和国の成立、そして中華ソビエト共和国の成立が重なる時代から、彼等の生活は圧迫され始める。

 何も無かった草原地帯に国境線が引かれ、越境の自由を奪われることと、また近代国家(特に社会主義思想では)では、定住しない人々の存在は望ましくないとの考え方から、徐々に彼等の遊牧範囲は狭められ、また民族としての弾圧も行われるようになる。そのなかで、カザフの人達は自らの生活を守るために長い旅を始める。
 中国の領土からモンゴル領内へ、そしてモンゴル領内ではモンゴル軍の攻撃を受け、再び中国青島省に入ると、今度はその地域の馬歩芳という支配者より圧力を受け、彼等は逃げるようにチベット高原に向かう。

 チベット高原横断の下りは、この物語のクライマックスであろう。気温零下30度以下の永久凍土の上を、当然遊牧のための食料も無く、高山病への備えも無く、途中で散発的に襲ってくるチベット軍から逃げながら、カシミール地方へとたどり着く。

 カシミールでは彼等の難民としての扱いをどうするのか、カシミール行政局とインド政府、イギリス総督府などで責任のなすりつけ合いをしながら、結局カザフへの支援はほとんど行われなかった。
 その為、彼等は自力でカシミールの急峻な山脈を越えムザファラバードとタルナワにたどり着く。カザフの集団が街に入ることを恐れたカシミール行政局は、ここでようやく動き始め、彼等にテントを張る場所として屋外の収容所を与えた。しかし、その収容所は、高い気温と湿った土壌、適切な医薬品の不足のため、マラリア等の伝染病によりバタバタと仲間が死んでゆく。そして、その後に移動したペシャワールで、ようやく彼等に対する支援が少しずつ動き出した。

 その当時は、インドはイギリスからの独立を果たし、またパキスタンの分離独立と領有権でもめていた時代である。そんななか、遙か国境を越えてペシャワールにたどり着いた同胞のイスラム教徒(カザフ人はイスラムである)の支援についても、どことなく政治の匂いがするが、それでも、ようやくパキスタンへたどり着いた所で、彼等はひとまず命の心配から逃れられたとも言えるだろう。

 その後は、たまたまバイクでその地を訪れた新聞記者の口利きでトルコへの移住話が持ち上がり(ホントかな?)、ペシャワールで暮らしていたカザフの民は、トルコを目指すことになるのだが、そちらは冒険と言うより政治的な話になる。

 結果として、彼等はトルコで安住の地を見つけた訳だが、トルコでは主に皮革業に従事することとなり、一定の成功を得た人もいたようだが、そのかわり遊牧生活には終止符を打っている。既に陸地には無数の国境線が走る現在では、遊牧という生活はもう成り立たないのかもしれない。

 ただ、この話を「近代の政治に翻弄された遊牧の民の悲劇」と理解してしまうことにはやや抵抗がある。おそらく筆者も、そういう視点でこの物語を記したのではないだろう…と思う。
 特に、本書前半に描写されている、戦乱と逃亡、時には襲撃を伴う生活は、古来より行われてきた遊牧生活そのものの姿なのだろう。そういう意味で、本書で描かれているカザフの姿は、国境が無かった時代の遊牧らしい遊牧民最後の、リアルな記録を参照できた貴重なドキュメントではないかと感じた。

 本来の遊牧民の姿、そしてあまり語られることが無かった20世紀初頭の中央アジアの政治状況、そしてイスラムの人達の心温かさ…様々な視点から楽しむことができて、やや高価ではあったがとても面白い本であった。価格に抵抗を感じる人は、図書館で借りて読んでみるといいかもしれないね。

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▼2012年01月22日

ドゥーエ/制空

E1222791.JPG 軍事マニアではないとあまり馴染みがないと思う。ドゥーエとは、20世紀初頭にイタリアで活躍した軍人で、軍事思想家でもある。

 当時、第一次世界大戦で使われ始めたばかりの「航空機」を、本格的に軍隊のシステムに組込み、その作戦は陸軍や海軍の補助的な役割では無く、明確に独立して作戦を立てる組織を作らなければならない。つまり「空軍」という組織が必要である…と訴えた人であった。

 いまでこそ「陸・海・空」の3軍体制は先進諸国では常識ではあるが(アフリカの最貧国だと「空軍」をもてない国軍もある)、第一次世界大戦が終わった当時、航空機を独立した組織の元で運用する…という考え方は、反対というか多くの人は気がついていなかったのではないかと思う。

 空では、既にフォッカーを操るレッドバロンと呼ばれたリフトフォーフェンが撃墜王として活躍していた第一次世界大戦当時ではあったが、ワイヤーと布貼りのボディや主翼をもった飛行機が主力戦闘機として残っていた時代である。戦略爆撃などという思想は、確かに散発的にはドイツ帝国のゴーダGなどで行われたことがあるが、極めて限定的、実験レベルを超えない、作戦などとは呼べないレベルの話であった。

 その時代、ドゥーエは明確な「戦略爆撃団」を思想し、その運用母体としての「空軍」を組織することを呼びかけ、また、敵国内を自由に飛べる権利を戦争の初期段階で奪い取る「制空」という概念を確立した。その論文の翻訳が本書である。

 内容的には当然古い部分、現在の情勢には合致しない部分は沢山ある。特に対空攻撃兵器の進歩について、ドゥーエの予測は、その当時の技術の情勢にも通じていないように感じる。また、当然レーダーなどという近代防空設備は予想も出来なかったのだろう。

 しかし、戦争初期の段階でまず敵国の空を支配し、護衛機と多数の戦略爆撃機(ドゥーエは航空戦力は基本的に戦略的だと語っている)で敵国の奥地に進入し、通常爆弾・焼夷弾・そして毒ガスで構成された戦略爆撃を行えば、その被害は甚大な上、敵国民の士気を多いに削ぐことが出来、戦争を短期で収束させることが出来る…という思想は、彼が考えたほど楽観的では無いにせよ、第二次世界大戦でアメリカ軍が行った戦略爆撃、そしてその後のベトナム戦争(成功ではなかったが)、更に世界史上でもっとも成功したといわれる作戦、湾岸戦争・イラク戦争でも遺憾なく発揮されている。

 現在のアメリカ軍は、まず敵国の空の自由を奪い、航空優勢(現代戦では「制空権」とはいわない)を維持した上で、GPSを使った精密誘導弾で敵国軍の活動の自由を奪う。その上で圧倒的な火力をもった陸上部隊が、敵の航空兵力による奇襲を恐れる必要なく、自由に活動し侵攻し拠点を占領してゆく。正にドゥーエが100年近く前に描いた「空軍」による制空戦略そのものである。

 私達の日本も、ドゥーエの戦略空軍思想に敗退したと言ってもいいかもしれない。というか、本土による陸上決戦を行わず、空からの攻撃のみで日本はアメリカに屈服した訳であり、仮にその当時ドゥーエが存命だとしたら(彼は第二次世界大戦勃発前に死去している)、同盟国の敗退とは言え、自説の正しさを確信することが出来たであろう。
 ちなみに、空の作戦だけである程度の規模を持った国家が屈服した例は、今のところ太平洋戦争における日本の敗退しかない。ドゥーエが思い描いていた通常爆弾、焼夷弾、による戦略爆撃、毒ガスに代わり核が使われた部分は、制空を執筆した当時は考えも及ばなかったであろう。

 現在、空の戦力は大規模な戦略爆撃から、少量の精密誘導弾で確実に敵の拠点を破壊するやり方に変わってきている。また、レーダーに移らないステルス機の出現は、かつてドゥーエが考えていた「飛んでしまえば地上からの索敵は事実上不可能に等しい」という、100年前の空に近づいてきているようだ。
 都市を大規模に爆撃し敵国民を恐怖に落とし入れる作戦は現在では実行しにくくなりはしたが、先進国は、敵国の空を支配し、その上空を自由に作戦を行う権利を奪取することをドクトリンとしている事に変わりは無い。こんな時代だからこそ、空の作戦の基礎となった「制空」は、もっとたくさんの人に読まれるべきだなと思った。

 残念ながら、この「制空」については、戦前に日本軍が教本用として『制空と将来戦』として訳された例があるだけのようだ。私も日本語訳になっているとは最近まで知らず、ふと、この「戦略論大系」という書籍のシリーズに収録されているのを知ったばかりである。

 日本では軍事に関する書籍・リソース全般が諸外国に比べ圧倒的に不足しているらしいが、そんな中で地道に軍事思想の古典を翻訳してくれる出版社には頭が下がる。少部数発行みたいなので割高だが、空の作戦に興味がある人は、読んで損はしない内容の濃さであった。

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戦略論大系(6)ドゥーエ/瀬井勝公・戦略研究学会

情報の呼吸法/津田大介

E1222790.JPG ツイッター王子でお馴染み、津田大介氏の新刊です。

 ザックリと読んでみたのですが、面白かったです。ツイッターのいい所は「誤配」というのも面白い視点で、それがある種可視化しやすいのが、逆にメディアとしての信憑性を高めている…というのが私の持論だったのですが、概ね彼も同じような事を考えているようです。

 みんなが割と適当なことを思って書いて、基本はそれを眺めているだけなんだけど、面白いと思った情報は拡散していくし、間違いはRTで訂正されてゆく、そういうメディアのいい意味でのリテラシーがリアルタイムで起きてゆく所がツイッターの本当にいい所だと思いますね。この気楽さは、ブログは当然、FacebookでもGoogle+でもあまり得られないことかなと。

 それと、彼が「政治」のメディアに取り組みつつあるという話が出ていて、私は応援したいなーと思います。つかね…みんな日常で政治を語らなすぎ。「ブログで政治ネタはタブー」なんて言われてることと自体、日本の有権者は為政者から馬鹿にされているんですよ。

 喜楽に読める分量の割に、普段主にネットで情報を得ている人や、ツイッターやら何やらのSNSを使ってる人は、読んでみてもいいかと思います。つか、直接会える仲の人なら、私は読み終えたので、事前に言いつけて頂ければ、この本差し上げますよ(笑)

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▼2012年01月09日

知らぬ間に漫画デビューしていた(笑)

 いやまぁ…それだけのことなんですけどね。

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 ぶんか社から発売されている本当にあった笑える話という「山モコ」という漫画内の一コマ。山ガール目指す皆さんにとっては、山の楽しさと辛さがストレートに描いてある漫画なので、皆さんも読んでみてね。

 ちなみに、実際の自分はこんな可愛らしい感じじゃなく、もっとヒネた顔してるぜ(笑)

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ジョブズ伝説/高木利弘

20120109_01.jpg 今出版界ではジョブズ本バブルで、よく見るとこれジョブズ関係ねーんじゃ…という本まで散見されるようではあるが、こちらもそんな本の一冊かと思っていたら、なんとあの「MAC LIFE」を創刊した高木氏による著作ではないか!こいつはただの便乗本ではなさそうだと思い、早速買って読んでみる。

 当然ながら、内容は伝記のスティーブ・ジョブスと被る部分が多いのであるが、こちらの本はもう少し製品寄りというか、公人としてのジョブズについてフォーカスしている内容となる。様々な著作からの引用も多く、伝記版ジョブズからの引用もあり、より精緻にAppleとジョブズという人間の功績を追って行こうという姿勢なのかな?

 むしろ、今回の死去により、初めてジョブズという人間に興味を持った人は、こちら側の本を先に読んでから伝記にチャレンジした方が、内容がわかりやすいかもしれない。 

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ジョブズ伝説/高木利弘

▼2012年01月08日

自然の観察/昭和16年:文部省著作・発行

20120108_01.jpg 農文教から発行された、戦前、昭和16年に旧文部省から発行された、教師向けの理科指導要綱をまとめた本。

 専門書ではあるが、何となく立ち読みしたら、その内容の素晴らしさにビックリして思わず購入してしまった。

 カバーの裏折りには“「自然の観察に教科書は不要。強いてつくれば教師は教科書で指導して、子どもを屋外に連れ出すことをしなくなる」という趣旨から、教師用書のみを作成。”とある。

 内容はもう、指導書と言うよりはもはや文学と言いたくなる素晴らしい文章も、例えば第20課「とり入れ」では、

 このころの特徴ある野山の情景には、高く澄みきった大空や、田の面を伝わる黄金の波、みのった穂のおもおもしく垂れた様、ひびく鳴子に飛び立つぬむらスズメ、快く響き渡る脱穀機の音、せっせと働く村人の姿などがある。これらの情景に接しさせて、児童の心にみのりの秋を印象づけるように努める。

 などと、まるで農村の情景が目の前に広がってくるような名文だ。他にも季節毎の草花、虫、鳥、動物などへの記載も、目の前に季節の風景が思い浮かんでくるような書き出しから子ども達への指導について書かれている。

 こういう身近な自然への知識は、子ども達だけではなく、私達大人もすっかり忘れてしまった部分が多い。私も読み進めるにあたって「なるほどなるほど…」と思いながら読ませて頂いた。そして、一度読んでおしまいではなく、季節毎に該当の章を読み直してみようかなと思っている。

 この文章は戦前の日本で書かれた教科書。しかし、内容には軍国的・全体主義的匂いは全く含まれず、ただ目の前の自然に対して謙虚に科学的に観察されている姿勢は、戦前の学校教育へのイメージを覆す進歩的なものだった。このまま今の学習指導要綱に使ってもなんの問題もない、とても濃く、美しい指導書だ。

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復刊・自然の観察/文部省:日本初等理科教育研究会・日置光久

▼2012年01月05日

人生がときめく片付けの魔法/近藤麻理恵

20120105_01.jpg きっかけはこの記事を読んだことだったんですけどね、面白すぎますこの本。

 片付けのヘンタイ、片付けヲタクを名乗るだけあって、部屋のお片付けに対する情熱というか、本当に好きなんだなあ…というのがストレートに伝わってきて、部屋片付けるつもりない人でも、単に読み物として面白いです。
 著者が子供の頃の、片付けにまつわるはちゃめちゃな生活も実に楽しかった。

 ときめくか、ときめかないか

 が、モノを捨てる基準だそうで、ある意味判りやすく、判りにくくもありますが、ガラクタに囲まれて暮らしているのが落ち着くワタシにとっても、ストレートに伝わりました。実際に読後、ちょっとやってみようかなと思って、大きな段ボール一杯分ゴミを出しましたから。

 しかし、片付け好きが興じて家中のお片付けをしたあげく、

当然ながら家族から大変な非難と抗議を受けた末、ついに私に「片付け禁止令」が言い渡されました。

 とかすごいよね。大体、家族から片付け禁止令を言い渡される女の子なんて、世界でもこの著者くらいなんじゃないだろうか。

 片付けのヘンタイが語るだけあって、従来お片付け本のぬるさと違い「片付けは祭り、一気に短期に完璧に」とか「捨てるを終わらせるまでは収納を考えてはいけない」とか「片付けしすぎで病院に搬送されました」そして「片付けは嘘をつかない」とか、キャラ立ちまくり。
 この著者、巫女の経歴もあり、お若くて可愛らしいお姿なので、正直アニメ化すれば、新ジャンル「片付け」という萌え路線でも勝負できるのではないかと思うくらい(笑)。じゃんじゃん捨てまくりながらも、モノへの愛情が満ちあふれているのも好感度高いです。

 ま、綺麗な部屋に住むのも、いわゆる“汚部屋”に住むのも、人それぞれではありますが、お片付けが目的にすり替わってるような本が多い中、本当の人生は片付けが終わった後に始まる…とか、不覚にも目頭が熱くなるようなまとめもあり、さすがベストセラー、よく出来ているなーと思いました。

 部屋の片付けなんて興味ない…って人にも、とにかく面白かったので是非。

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▼2011年12月31日

レーシングカー|その設計と秘訣/レン・テリー:アラン・ベーカー

20111231_01.jpg 1975年に出版され、そのあとがきにですら「原書(英語版)が出版されてから1年以上経っているので内容は色褪せている」との断りがある。しかし、レーシングカー、いや、あなたの車がどんな風に設計され、どのような狙いで作られているのかを知るのには、非常に勉強になる本。

 この本、二玄社では既に絶版で、古本屋を探すしかないのだが、先日ブックオフで偶然発見!速確保。購入後近所のスタバに駆け込み、速、読み始めた。

 勿論、この本に記されている内容は、自動車設計者からすれば、基礎中の基礎で、専門家にとっては既知の内容ばかりなのかもしれない。ただ、私達一般のクルマ好きが読むには、内容も理解しやすく、また、1960〜70年代のレースが好きな人にとっても、その雰囲気が伝わってくるようで、ワクワクする。

 チャップマンストラットの利点と改善点、また、幅広タイヤ時代になり、WウィッシュボーンAアームはどうしてオフセットするようになったのか、オーバーステア気味のクルマを小改良でアンダーステアに調整するにはどうするのか…などなど、レースの実践の現場や、また、自動車のアナログ部分の作動原理が判りやすく理解できる。車の運転に興味がある人に広くおすすめできる内容だ。

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レーシングカー|その設計の秘訣/レン・テリー:アラン・ベーカー:武田秀夫

▼2011年12月28日

楽しい写真/いしたにまさき・大山 顕

20111228_01.jpg 白状しますが、渋谷のブックオフで購入しました。「謹呈」の栞が挟まったままで…みんなたるんでるよ!と言いたくなりますが、ま、いいでしょう。
 著者はブロガーでおなじみのいしたにまさき氏と、団地写真などで有名な大山 顕氏です。

 ということで、副題にはソーシャルメディアがうんたらかんたらとありますので、いわゆるデジカメで撮影した写真をネットに云々とい本かと思っていたら、大山氏の写真についての記事が、思ったよりも為になったというか、我が意を得たり!と思って、かなり面白かったです。

 自分は、いわゆる「銀塩」時代の写真表現と、デジタル時代の写真表現というのはかなり違うはずだ…と思っていて、写真をそういう視点から定義しているメディアは、既存写真+カメラ雑誌、デジカメ雑誌を見てもなかったのではないかと思っています。というか、絞りとシャッター速度と露出補正と構図…とか、デジタルの時代にはそんなモノに縛られる必要はないんですよね。

 かくいう私も、これは銀塩時代から心がけていた事なのですが「写真ぽい写真を撮りたくない」とはずっと思っていまして、被写体や構図的に安定した写真よりも、その場を記録した像がほしいんだよなぁ…とずっと思っていて、だから、初めてデジカメを買った時はもう嬉しくて仕方なかったです。それこそ現像代を気にせずに「へんなもの」を撮ってもいい訳ですから。

 その他、写真は公開されてこそ生き残る…というのも、ネット時代というかクラウド時代の新たな価値観かもしれませんね。本書を読んで、自分もあまり活用していなかったflickerへ大量に写真をアップしたのですが、そうすると、今まであまり反応がなかった自分の写真にも、★を付けてくれたりコメントくれたりする人がチラホラ出てきて、プロアカウント取得しちゃうか!と思っている最中です。

 勿論、従来の価値観における名作写真やアートな写真というのは、全く価値を失っていない訳で、それはそれで、また違った位相の写真の楽しみ方として残っていくのでしょう。
 ただ、デジタルカメラを使った写真の楽しみをこんなにわかりやすく解説してくれる本は珍しいのではないか?と思って、広く皆様に読んで頂きたいと思う次第ですよ…なんて、ブックオフで買ってあまり偉そうな事も言えませんが(笑)

 ちなみに、私は写真家さん達について、あまり知識がないのですが、知っている程度に好きという写真家は、ミーハーですが森山大道、そして、私が密かに目指したい写真の境地というのは、宮沢常一だと思っています。彼が日本中をオリンパスペンで撮影した写真は、芸術性は全くありません。ありませんが、あの日のあの場所をありのままに記憶に残すそのスタイルは、本当に見習いたいなと…。

 今はデジカメの起動も速くなったし、バッテリも長持ちするようになりましたし、大体フィルムに当たるメモリカードは、GB級が1〜2,000円程度で売っている時代です。迷うくらいならシャッターをバシバシ切って、どんどん何処かに公開しましょう。きっと、それはデジタルとネット時代に生まれた新たな写真の楽しみ方なのですから。

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▼2011年12月27日

愚管抄を読む/大隅和雄

20111227_03.jpg 愚管抄とは、鎌倉幕府成立初期に慈円という僧により書かれた歴史書。神代から承久の乱当たりまでを記した歴史書。この書が承久の乱以前、以降に書かれたかについては、どうも明確な結論は出ていないようである。

 この「愚管抄」が、歴史書として異質なのは、慈円が第三者的視点で正確な歴史を記そうとしたというより、歴史を印ながら世の「道理」をテーマにして書かれているのではないか?と言うような点にある。この辺の解釈について、私は学者ではないので何ともいえないが、そのように感じている。

 内容は難解で、そもそも「愚管抄」の現代語訳を読んでから本書に手を出すべきであったのかもしれないと、ちょっと反省しているが、中世日本のなかで、僧によって起こされた歴史書という特異な雰囲気は何となく伝わってきた。
 機会があれば、本書の著者による「愚管抄」の現代語訳があるそうなので、読んでみようかなと思う。

 さて、くるくると首相が交代し、公務員による腐敗を全く解決できない今の時代、慈円の言う「道理」はきちんと存在しているのだろうか。

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オオカミの護符/小椋美恵子

20111227_01.jpg 関東の武蔵野地方でよく見るオオカミの貼り紙。実は私も以前何処かでこの貼り紙を見たことがあり、確か写真を撮影していたと思うのですが、探し当てられませんでした。秩父方面の山に行った時だったと思うけど…。

 舞台は神奈川県川崎市宮前区土橋。今では東急沿線沿いたまプラーザ駅も近く、すっかりセレブ…まではいきませんが、大企業正社員生活安定の幸せ勝ち組さん…達(笑)が住む町に変貌していますが、この辺り、本格的宅地開発が始まる前は、武蔵野台地の一角としてのどかな田園風景が広がっていました。そこにあったオオカミ信仰を追っていく書となります。

 この「オオカミの護符」元々はドキュメンタリー映画だったそうです。本書はその書籍化となり、映画の内容を文章で紹介、補完した構成になっているみたい。ま、映画の方は見たことがないのでその辺は何ともいえませんが、本書を読み終えた後、映画の方も是非見てみたいな〜と思いました。

 ちなみに、私も埼玉の端っこに住んでいる身ではございますが、残念ながら自分が武蔵野文化圏に属していると意識したことは一度もありません。よく、関東圏の中世文化は「武蔵野」とひとくくりにされる事が多いですが、おそらく大宮の見沼田んぼ当たりを境に、武蔵野圏と江戸川文化圏に別れるような気がしています。例えば、長塚 節が描いていた「土」を読むと、いわゆる武蔵野文化圏とは全然違うよなぁ…なんて気もしています。

 話はずれましたが、読んでみると映画も是非みたくなりますね。本書の出版を記念して何処かで上映会でも開催されると嬉しいのですが、今のところ、作品を鑑賞するには、ささらプロダクションの直販DVDを購入する以外になさそうです。

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オオカミの護符/小倉美惠子
土(新潮文庫)/長塚 節

▼2011年12月26日

ツール・ド・フランス 勝利の礎/ヨハン・ブリュニール

20111226_03.jpg ランス・アームストロング、ツール7連覇の立役者、ヨハン監督の本です。過酷な自転車レースを勝つための練習方法やエピソードが満載!

 といいつつも、自転車ファンにとっては少し薄口かもしれません。ツールを制するための作戦が系統立てて語られているというより、様々な局面での印象的なエピソードを語っているエッセイ集に近い。タイトルから想像するような、ツールでの采配ロジックを期待するとちょっとハズレで、最強ロードチーム監督の人生論として読めばかなり面白い、という感じでした。

 その分、自転車マニア以外の人にも広くお勧めできる内容です。この本が沢山売れて、日本でもロードレースがもっとメジャーになってくれると良いなと思いました。

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ツール・ド・フランス 勝利の礎/ヨハン・ブリュニール

備えよ!!ロジスティクス・サポートとは何か!/矢澤 元

20111226_01.jpg カンプグルッペ・ゲンブンって、小林源文が立ち上げた出版社なのかな。とにかく、原文タッチの表紙イラストが目を引く「備えよ」という本。ロジスティックを解説している本だそうです。

 ロジスティックス…という言葉は、確定した翻訳語はないと思いますが、日本語では主に「後方支援活動」みたいな意味でとられることが多いようです。こちらの意味が間違いだということは、軍事評論家の江畑謙介氏も指摘しておられ、また以前には自分もこのブログで紹介しています
 私としては、いきなり本書を読み始めるより、江畑謙介氏の「軍事とロジスティクス」という本を読んでからだと理解が早いと思います。本書では、当然ながら戦時でのロジスティックスにも触れていますが、普段の商業活動で大切になる可動率と稼働率の違いと、それを上げるための工夫についてもフィクションを交えながら解説しており、軍事的なことに興味がない人でも充分楽しめるというか、為になる内容です。となると、ちょっとネタモノっぽい表紙デザインが少しもったいない気がしますね。

 あと面白いのが、かつての旧日本軍、陸軍の暴走ばかりが叩かれがちな中、著者の矢澤氏は一貫して旧日本陸軍の合理性を評価しており、特にガタルカナル戦においての海軍のデタラメぶりを指摘しています。ま、どっちが悪いという事も無いとは思いますが、主に点と線で展開し、ある程度の補給物資を自艦の中に携行する海軍に比べ、補給物資は基本携行できず、全て補給部隊に頼らざるを得ない陸軍兵士の方が、その辺はリアリストだったのかもしれません。

 この辺の精神主義、旧日本軍は解体されましたが、社畜とその仲間達へ形を変え、今の日本にもしっかり受け継がれていますね。どうにかならないもんでしょうか。

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▼2011年12月20日

女子学生、渡辺京二に会いに行く/渡辺京二

20111220_01.jpg 「逝きし世の面影」でお馴染みの渡辺京二氏と、女子学生の対談本。本屋で見た時は「あぁ、女子大生と渡辺氏を組み合わせて作った安易な企画なのね」と思って、おおむねその通りだったのだが、それでも渡辺氏の質問に対する答えにはとても光るモノを感じて、思わず購入してしまった。

 はっきりと言わせてもらうが、本書で投げかけられる女子学生の質問は、非常に安易で今風に言えば「厨二病」的項目が多い。ただ、それが女学生…というか若者がその時代に真剣に悩む事が出来る特権でもあるので、ま、そういうものなんでしょう。
 で、そういう若者のある意味くだらない疑問に対し、安易に迎合して「私は若い人の心をわかってますから」的態度をとメディアが多いのに対し、渡辺京二氏は割とばっさりと、常識に沿って切り捨てる。

 例えば第一章にある「子育てが負担な私達」という疑問に対しても「子育てが大変なのは当たり前」とか「旦那が働くのは嫁と子供のため、自分のために働いてる男なんていない」とバッサリ。
 子育てについては不勉強ながら未経験なので何ともいえないが、世の中の男が何故あんなに必死になってサービス残業までして働くのかというと、嫁と子供のため以外あり得ない…ってのは、渡辺氏が言うまでもなく、自分も男だからこそ理解できる真実。
 だって、私を見るとわかるでしょ。適当に遊べる以上の金を欲してないし、自分のためにしか生きてないから仕事すぐ辞めるし(笑)。男なんてそんなもんだよ…自分で守るべき家族がいないとね。
 で、世の中自己表現のために働いてる男なんて何処にもいない中、何故か女はメディアの洗脳なのかなんなのかわからないが、日々の子育てに埋没した自分のアイデンティティが…みたいなことを抜かす。そういう風潮にも渡辺氏は、やわらかい口調ながらもぴしゃりと諭しているのがある意味清々しい。

 他、最終章にある「無名で結構」というのも、今の世代の人間達には再認識すべき言葉ではないだろうか。考えてみれば当たり前のことで、世の中全ての人が、自分の存在意義を実現するために生きている訳じゃないし、そんな事は絶対に不可能。「自分は社会に必要とされていない」という幻想も「自分を必要とする社会なんてそもそもない」訳で、世の中の99.999%以上の人間は、自分以外でも簡単に代替が効く存在でしかない。
 だからといって、好き勝手やっていいという話ではなく、つまり世の中というのはそういうモノで、「自分が将来何になるか」等という悩みは、日本でほんの近代…それもここ数十年の話だけで、その前は極一部のエリート階級以外は、なんの疑問もなく親の仕事を代々引き継いでいただけである。

 昔がこうだったから、今もこんな事に悩む必要はない…と言っている訳ではなく、そういう意味で歴史を学んだり、世の中の見識を広めることが、自己をより相対化して眺めることができ、多くの決断に対してより良い判断ができるのではないか…みたいな事は本書には書いていないが、渡辺氏の結論はその辺にあるのではないかなと思った。

 本書が女子学生の質問だから故に成立した訳は、今の世の中、男子よりも女子の方が生き方のオプションが多く、より悩まなければいけない事が多いからなんでしょうね。逆に男子の方は生き方のオプションがあまりなく、大学3年生頃ともなれば、大企業に滑り込むため必死である。
 あまりジェンダー論を語りたくはないが、近代社会はある種女性の生き方に多彩なオプションをもたらした社会でもあり、そこは男子よりも女子の方が、より勝ち負けがハッキリと区別されている社会なのだろう。

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逝きし世の面影(平凡社ライブラリー)/渡辺京二
女子学生、渡辺京二に会いに行く/渡辺 京二×津田塾大学三砂ちづるゼミ

▼2011年12月18日

磁力と重力の発見1/山本義隆

20111218_01.jpg 科学史を扱った本。

 古代より、重力はさほど意識されていなかったにせよ、ある意味目の前でわかりやすく不思議な現象をもたらす「磁力」に対しては、様々な考察がされてきた。
 そして、地球は丸いと知られていた古代において、私達が球体から落ちたりしない訳は、どうやら磁力に近い力が世の中に存在し、その力はあらゆる物質から放出されており、その放出された力に引っかかった時、モノとモノとは引きつけ合う…そんな感じか。ゴメン、割とながら読みだったので、その辺は違ってるかも。

 西洋世界における科学というのは、古代にギリシア世界で一度ピークに達し、その後ローマの土着信仰に取り込まれ、魔術やまじないと融合し、理論整然とした体系から衰退し始める。更に西洋人達は「キリスト教」という宗教にのみ込まれた時、世の中における科学的視点をほぼ失ってしまう。聖書が科学を否定していたとは思えないが、科学的思想が語られていないことについては、後の人類にとって一種の不幸だったのかもしれない。

 その後、ルネサンス期において、西洋人達は教会と対立しながらも、科学的視点を徐々に取り戻してゆくのだが、その先の話は次の2巻以降になる。正直、読んでいてちょっと退屈ではあったので、続刊を読むかどうかはまだ微妙。

 科学史とは関係ないのだが、当時のイスラム社会の寛容性に対する記述が印象に残る。
 中世ヨーロッパといえば、世界的にはまだ文明の先進地帯ではなく、科学は勿論、文化や経済力においても、イスラム圏に劣っていた時代である。その時代にイスラム諸国達は、ある程度の制約はあるにせよ、自国内でキリスト教やユダヤ教を信仰することを禁じていなかった。逆に現在、科学や文化、そして経済力を西欧社会が独占している時代では、イスラム諸国はかつてより不寛容になりつつある。

 つくづく、歴史とは今を見る鏡だなと思った。

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▼2011年12月11日

風の中のマリア/百田尚樹

20111211_01.jpg ヴェスパ・マンダリア、いわゆる、オオスズメバチが主人公の小説。

 ハチが主人公のお話しといえば、みなしごハッチなどが思い出されるが、そういう牧歌的な物語ではなく、主人公であり、ワーカーでもある「マリア」は、その生涯を戦いに明け暮れ、自らの運命に疑問を持たないリアリストでもある。

 あまり書くとネタバレになるので内容には触れないが、とにかく面白く、一気に読んでしまった。ちなみに帯にある養老孟司先生の解説では

「ワーカーは、現代で働く女性のように。女王ハチは仕事と子育てに追われる母のように。この物語は「たかがハチ」と切り捨てられない何かを持っている。

 とありますが、正直何を言っているのかわかりません。物語は徹底してリアリストとして生きる主人公の生涯を追ってゆき、その壮絶な生き様は、男性論とか女性論とか、ンな陳腐なものではなく、読む者に生きる事への意味をストレートに問いかけてくるような気がして、読後感が清々しく、また命についてもマジマジと考えさせられる傑作であった。

 虫嫌いで更に想像力豊かだったりする人にとっては、ちょっとエグい描写があるかもしれないが、本当にお勧め。1〜2時間でサクッと読める分量なので、通勤時のお供にもどうぞ。

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▼2011年12月03日

「フクシマ」論:原子力ムラはなぜ生まれたのか/開沼博

20111203_02.jpg まず始めに認識して欲しい部分は、本書はあの「フクシマ3.11」以前に書かれた文章だという点。しかし、原子力と地方を結びつける問題、そして原子力の近くで暮らしている人達の葛藤の描写などは、あの事故後においても色あせない、鋭い視点で描かれている。というか、フクシマ以前にも、原発関連の問題点を指摘した本は沢山あったが、本作以外であの事件以降でも通用する本はあまりないのではないか?そんな気すらする。
 本書では、そのような「原発と地方」という単純な対立構造ではなく、地方の抱える問題点、原発と暮らす人達の葛藤を描き出す。なかなかエキサイティングな文章であった。

 地方の村が発展し、いずれは都市と同様になるという幻想。戦後の日本社会とメディアは、無意識かもしれないが、そのような思い…あるいはそのような目標を日本の地方に植え付けてしまった。
 今はわらぶき屋根の田舎ではあるが、将来はコンクリートの建造物が建ち、道は真っ直ぐ綺麗に整備され、閑農期には出稼ぎに出る必要もなく、一年中家族が笑って過ごせる社会。言い切ってしまうには乱暴な面もあるが、しかし、バブル期の交付金で日本各地に建てられたハコモノ施設は、権力の癒着構造などでは説明しきれない、コンクリートへの憧れがあった部分は否めないだろう。

 話を福島に移せば、今福島県で原発がある地域は、かつて「福島県内のチベット」などと揶揄されていた場所。農地に使うには生産性が低く、また漁業を行うのにもまともな港が作れない…といった地域である。この地域は私も何度か訪れた事があるのだが、台地状の土地には松林が覆い茂り、付近の小さな浜を巡り争いが絶えず、戦後は日本で一番小さな漁港を作り苦労の末に運用せねばならなかった場所である。今は原発があるから産業があるけど、正直それがなければ何もないよな…と、あの当時も思った記憶がある。
 ちなみに福島県内でもう一方のチベットと言われていた檜枝岐地域は、戦後日本最大の水力発電所の建設に伴い、大幅な県民所得の上昇を達成した時代があった。その評判は、当時の福島県内でも知れ渡っていたであろう。あの当時、日本国民には原発に対するアレルギーもあまりなかったし、東京電力という日本屈指の大企業がオラが街に進出してくることを反対できる雰囲気ではなかったことは容易に想像できる。
 そして、その雰囲気は、あの3.11のちょっと前、世界で反原発が叫ばれていたあの時代でも同様であった。

しかし、なぜよりによって福島原発への恐怖から逃れてきた者が、わざわざ柏崎原発のお膝元に逃げるのか、疑問に持つ者もいるだろう。答えは単純だ。「それ」で喰ってきたからだ。

 この問題、感情的になるとつい「多額の交付金をもらってきたのだから今更被害者ぶられても…」「それみたことか、原発など受け入れるからこういう結果になる」「私達の電気を支えてくれた福島の人達が犠牲になることは許されない」などと語ってしまいがちではあるが、原子力の安全性・危険性・経済価値は別にすれば、都会と地方という、同じ日本国内ではあるが、その環境・価値観の違いを是正したいと夢を見る人達にとっては、ある種麻薬のような政策にも問題があるのかもしれない。そして日本の地方は、原発以外でも様々な助成金をもらっている自治体が今でも数多く存在し、その多くは、役割が終わったから終了しましょう…という議論すら許されない中にある。

 やや位相はずれるが、日本の都市化政策と、ある時点から突き放されたように語られるようになった地方自治。しかし、このシステム、この日本の中で、本当に「地方自治」なんて可能なのか?本書を読むに辺り、そのようなことも考えてしまった。

 装丁は、一定年齢以上のエディトリアルデザインを行ってきた人にとってはヒーローである「戸田ツトム」氏によるもの。以前の作品に比べると大分おとなしいというか普遍的なデザインになってきたが、彼の美意識は、このような社会問題を扱う書籍にはとても向いているなぁ…と思った。

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▼2011年11月13日

本音で語る沖縄史/仲村清司

20111113_01.jpg 沖縄の歴史と聞いて思い浮かべるのはどんなことであろうか。
 海の中にある平和でのどかな王国。江戸時代の薩摩による圧政、そして戦中の沖縄戦における悲惨な結末…どれも間違いではないが、どうも「沖縄の歴史」というフレーズで語られる言葉には、何らかのイデオロギーやユートピア願望など、本質以外の部分ががまとわりついているイメージが多い気がする。

 ということで、そのようなイメージで語られていた沖縄の歴史について、もう少しニュートラルな史観で語ろうというのが本書の趣旨。実際、私も日本史に付随する沖縄の歴史についてはある程度知っていても、沖縄の歴史そのものはよく知らない。面白そうなので読んでみることにした。

 読み進めていくと、のどかな海上の王国、貿易立国で人々が豊かに暮らしていた牧歌的なイメージとは少し違い、ま、どこの国も歴史なんてこんなきな臭い面があるよね〜という感じではあった。
 特に琉球王朝への八重山支配について、また悪名高き人頭税については、江戸時代の薩摩在番ばかりが悪者にされる理由もねーよなー、とも思ってしまう。

 気高き海上の貿易立国である琉球史もまた真実ではあるが、常に日本と明(清)の顔色をうかがいながら危うい綱渡りで国家を運営してきたのもまた事実。また、

薩摩の侵攻に始まって、この琉球処分、そして沖縄戦といい、王朝時代からこの島はつねに戦争によって世代わりを重ねてきた

 という著者の文章も、もの悲しいながらも真実である。これは日本国も同じか…。

 位置付けは入門書であるとは思うが、沖縄史についての予備知識がないと、意外と読んでいて辛いかもしれない。私もちょっとわからない部分、わかりにくい部分が多々あった。それでも、ベーシックな知識としての沖縄史の概略を学習できたことは、本書を読んでみて良かったと思っている。

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▼2011年11月06日

自分のアタマで考えよう/ちきりん

20111106_07.jpg 聞けば彼女は有名ブロガーらしいです。私もひょんな事からちょっと前にこのブログのことを知り、丁度本が出版されると聞いていたので、本屋さんに並んでいた本を手に取ってみたら、意外と面白そうなので購入してみました。

 この本に書かれていることは、タイトルの通り「自分で考えよう」という事。データだけを見て考えたフリをするのは止めようということです。よくこういう人いますよね。何となく情報通っぽいけど、実は全てメディアやネットのコピペ情報だったりするような。

 かくいう私も、常日頃「考える」努力はしていますが、残念ながら世間から得られる情報の全てを「考え」ている暇はありません。ただ、データーから得られる結果を自分で考える…努力はしているつもりです。

 例えば本書で語られる自殺率の話。最近自殺が増えています…大雑把に言えばそうなんですが、だからといって行政が「女性の生活相談」みたいな対策を行っても無意味なんです。何故なら女性の自殺はほぼ増えていません。増えているのは、1990年代終わりの経済危機で、経済的な理由で自殺する男性が増えているからです。でも、結果の数字しか見ない人は、こういう現実を知りませんし、また行政に対して無茶な要求もします。また、行政側も知ってか知らずか、本質的な対策を行う事は往々にして難しいので、表層データを鵜呑みにしたトンチンカンな対策を行ったりします。ま、これはある程度確信犯なんだろうな〜とは思いますが。

 ということで、普段から考えること、あるいは考えたいと思っている人にとって、この本は割とサックリ読めてしまうと思います。あ〜そうだよね、と、共感を得られながら読めるからです。

 つことで、折角なので、本書の内容について、私が考えた見解が違う所も書いておきましょう。まず、日本の不景気の所で語られる「日中韓の近代100年の歴史」について、前半50年を全て暗黒時代…とくくってしまっている点。本書は歴史書ではないので仕方ないかもしれませんが、「3国共暗黒時代」と言い切ってしまう所はもう少し考えた方が…と思いました。
 あと、末の方で語られるNHKとCNN、BBCとの違い。違いの方は特に異論ないですが、NHKの報道が震災で変わった…というのはちょっと違うかなと。私が考えるに、あの震災時にNHKが人名つき安否情報を出さなかったのは、第1に被災者の名簿を収集する手段がなかったこと。第2に被災範囲と被災者があまりにも多くて、広域を対象とした放送という手段では全ての氏名を公開することが実質不可能だと判断したから…ではないかと。ただ、教育テレビでは限定的に被災者の安否情報を実名で流していたし、NHK総合とNHK教育の役割分担がよりキッチリしてきたのは、変化かもしれませんね。事象が進行中なので云々…という理由もあったかもしれませんが、チと違うかなと思いました。
 ま、これは何が正しくて間違いか…という話でもないので、本書を読んだ皆さんも、色々な考え方があると思います。

 思考のマトリクス化については、多いに参考になりました。私はこの部分がまるで駄目なんでね。次に企画書書く時には、彼女のやり方を多いに参考にしようと思いましたよ。

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自分のアタマで考えよう/ちきりん・良知高行

ねこモコぐうすか/いさやまもとこ

20111106_02.jpg 猫の飼育書シリーズ第二弾!全てのネコ生活者必読の書!なのかは知りませんが(笑)、そうだよいさやまさんもネコ本出してたじゃん!と思って慌てて購入。
 初版が1998年と古いせいか、本屋さんでもあまり売ってないです。ネットを検索しまくったら、新宿のジュンク堂で在庫を見つけ、ニュートリノの速さ…はもう古いか、光の速さで購入してきましたよ。

 しかし…ネコ好きなのは存じ上げていましたが、改めて読んでみると、想像以上に濃厚なネコ生活ぶりですな〜。このマンガに登場する「ドロちゃん」は、私もよく遊んで頂いております。

 私の家もいろんな動物と暮らしてきましたが、確かに動物を飼っているのか、動物に飼われているのかわからなくなってくることはありますよね。
 そこまで極端な話ではなくても、「動物にお世話されているのは自分だ」ってのは、いつも実感してます。今までお世話になったいぬさんいいたちさんぶんちょうさんいんこさんその他諸々と、今のねこさん達、ありがとうございます。

 ちなみに巻頭グラビアには、登場するネコちゃんの秘蔵写真に混じって、髪の毛の赤い(!)いさやまさん写真が掲載されておりますよ。

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いとみち/越谷オサム

20111106_01.jpg 「背がちっちゃくて黒髪ロングでメイド服で貧乳で泣き虫でドジッ娘で方言スピーカーで、おまけに和楽器奏者?あんた超人か」という萌え属性ありまくり主人公の青春小説。私も本屋さんで黒髪ロングの萌え絵に釣られて購入。元はケータイ小説なのかな?

 実は越谷オサム氏の本は「陽だまりの彼女」という本を読んでみようと思っていたのです。よく行く本屋さんで面白そうなポップで宣伝されていたので。ただ、何となくあの表紙の絵が気に入らんなーと。
 そんな最中、別な本を買いに訪れた新宿のジュンク堂でこの本を見つけて、メイド絵にフラフラと釣られて買ってしまった訳です。

 で、読んでみたらすげー面白かったんですよ。
 最近の作家さんにありがちなテンポの良い文体で、家に帰ってお風呂で読み始めたら、そのまま最後まで一気に読了してしまいました。フィクションだとわかっていても「わぁも、こんな青春時代おくりたかったんず」と思ってしまう、全編にわたり爽やかな空気に包まれたような雰囲気が良かったです。

 いとっちの「こう、ドキドキして、わぁもあんな具合に言っでみたいなって」ってセリフが、すさんだわぁの心にも、妙に染みこみましよ。人間いくつになっても「なりたい自分」ってのを持ってみたいものですね。

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いとみち/越谷オサム
陽だまりの彼女(新潮文庫)/越谷オサム

▼2011年11月03日

ネコの飼育書

20111103_01.jpg ネコと暮らすにあたり、飼育書を買ってみる。

 まずはお迎え前に買った「0才からのしあわせな子猫の育て方」という本。いままで犬とイタチは飼ったことあるけど、ネコは初めてなので知らない事が多いだろうと思い、基礎知識の習得のため購入。内容はわかりやすいし、私にとっての初めての知識も沢山あった。

 次はお馴染み野村獣医科の野村先生が書いた「Dr.野村の猫に関する100問100答」こちらの本はどちらかというと副読書的というか、猫暮らすための知識というより、猫という動物の習性と家庭での行動など、ペットとしてのノウハウよりも、猫という動物そのものを理解できるような切り口になっている。

 新しく動物を飼う時は、必ず関係する本を何冊か読んだ方がいい。それに、PC等のノウハウと違って、命がかかっていることなので、私はペットに関する情報について、ネット情報は信憑性を差っ引いて読むよう意識している。特に初めての動物なら、なおさら複数の本での情報収集に努めるべき。よかれと思っているその行為が動物の寿命を縮める原因になっているかもしれない。動物だってされてイヤなことは大体人と一緒だが、一緒じゃない部分も確実にある。

 ちなみに私は、イタチを飼い始める時、当時日本で発売されているイタチ関連の本は全て読んだと自負している(もっとも当時イタチ本は10〜20冊程度しかなかったが)

 今回のネコ本も、もちろんこれで終わりではなく、既に図書館から2冊ほど新たな本を借りてきているし、必要に応じて更に購入するつもり。

 イタチと違いネコはより家畜度が高いので、飼育にあたり専門的な知識は必要無いとは思うが、それでもベーシックな知識は必ず必要だろう。また、ちょっと専門的な知識についても、飼育者レベルの範囲でどんどん収集していこうと思っている。

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▼2011年11月02日

ジョブス伝記・下巻

20111102_01.jpg 上巻に引き続き下巻も読みました。今気がつきましたが、本来は上下巻じゃなくて「I」と「II」でしたね。でも下巻の方が判りやすいと思いますので、その表記で通します。

 本来の発売日は今日ですが、都内の本屋さんでは昨日から店頭に並んでいました。私はお昼過ぎにたまたま寄った渋谷マークシティー地下にある本屋さんで、丁度陳列されている所から一冊頂いてきましたよ。そして、そのまま打合せに向かう電車内で読んで、会社帰りで読んで、家に帰って読んでと、昨日中に読み終えてしまいました。

 上巻と違い、下巻は私達にお馴染みのApple製品が沢山登場します。iMac、iPod、iPhone、iPadなど…どれも最近になって私達が手にした、革新的な製品達です。あまりにも身近な出来事なため、伝記というより雑誌の特集記事を読んでいるような気楽さで読み進められます。
 そんな中で私が特に興味深く感じた部分は、iPod誕生の下りでしょうか。彼等がどれだけ音楽と芸術を愛して、それらとテクノロジーを結びつけるマジックをどうやって発揮してきたのか…とても面白かったです。そして、こういう仕事は、日本企業というか日本の企業人には出来ないだろうなーと思いました。アイディアとか方法論とかよりも、iPodよりウォークマンの方が音質重視で音はいいから〜なんてセンスでは問題外です。こんなんだから日本製のオーディオは…ま、やめときましょう。

 iPhoneに使われているゴリラガラスのエピソードも面白かったですね。まさに、失われつつあるロストテクノロジーが、Appleのおかげでよみがえります。メーカーが1960年代に作ってはみたものの、高品質すぎて使い道のなかったガラスを、Appleは自前で工場まで用意して、その素材をiPhoneの液晶パネルに採用してしまいました。
 それは、私達が今iPhoneやスマートフォンで毎日触れている液晶ガラスです。iPhoneという製品が存在しなければ、こんなに毎日触ってカバンに放り込まれて時には路上に落とされても、輝きを失わないガラスを、私達は手にできていなかったかもしれません。

 本書の結末は、皆が知っているその結果です。最後に彼の口から語られる長目のメッセージで本書は締めくくられます。iPodやiPhone、iPadに電源ボタンがない秘密が明かされて、彼の伝記は終了します。

 ジョブスという人物の評価が定まるのは、この先いつになるかわかりませんが、良くも悪くも、必ずや歴史に残る経営者であったでしょう。

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スティーブ・ジョブズ I/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二
スティーブ・ジョブズ II/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二

▼2011年10月28日

スティーブ・ジョブズ伝記を読む

20111028-01.jpg 巷では「たけーよ」とか「ぼったくりだ」とか大騒ぎのジョブス伝記。米国Amazonでは$17.88で売っていると聞き、私も日本語版高いなーと正直思っていたのですが、とある出版社勤務の友人から「もちつけ!米国での定価は$35.00だ」と言われ、調べてみたらその通りでした。
 そうだ…海外には再販制度ないから割引されてるんだよね。ちなみに、米国で書籍の価格は一般的に発売直後が一番割引率高いそうで…。いろいろ日本とは違います。

 とにかく、再販制度がある日本での上下巻3,800円はそんなにボッタではないというか、むしろ安いくらいかもしれませんね。敵は講談社じゃなくて再販制度そのものですよ奥さん。

 他、価格以外でも日本語版の表紙デザインにケチ付けてる人達もいて「どうせおまえら本屋でカバーしてもらってそのまま読むんだから関係ないじゃん」と思いました。信者ってのは色々めんどくせーもんだなと。

 で、私もとりあえず立ち読んでみたら、面白そうなので買ってみましたよ。今の私は「ベストセラーを否定しない!」人間になるというのが隠れ目標なので。
 ちなみに写真は猫がメインですが、本も隅っこの方にちゃんと写ってますよねよねよね(笑)

 私が思うに、内容としては、前評判ほど内容がギッチギチに濃いという訳でもないです。だけど、面白いですねー。前半の山場としては、ジョブスがMacintoshを発売する前までかなー。アルテアが発売されたあたりのエピソードは、丁度このブログの記事を読んだばかりだったので、とても興味深かったです。

 また、世に沢山出回っているジョブスの格言について、前後のエピソードを整理して理解できるのもいいですね。有名な「一生砂糖水を売るつもりかい」のセリフについても、そこまでに至るジョブスとスカリーの関係を理解していないと、かなりニュアンスが違った意味として受け止められがちな話でもあります。もっとも、格言なんてのはそんなものですが。

 上巻は、ジョブスの生い立ちとアップル創業までの山場を終えて、ジョブスが沈む所まで。なので、読後感はあまり良くないですが、下巻を通して読むと、きっと素晴らしい物語になるのではないかと期待しています。続きが楽しみです。

iPhone 4s


スティーブ・ジョブズ I/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二
スティーブ・ジョブズ II/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二

▼2011年10月11日

猫座の女の生活と意見/浅生ハルミン

20111011_01.jpg 初めて読む作家です。渋谷マークシティ地下の本屋さんでなんかのフェアやっていて、その中に並んでいた一冊。何となく立ち読んでみたら面白そうだったのですがその時は買わず、一週間位してから「やっぱり、買お」と思って買いに行ったのでした。

 ハルミン氏の本業は、今をときめくイラストレーターだそうで、その方が書いているエッセイなので、さぞやオサレで小粋な文章が…と思っている方もいるかもしれませんが、そんな事は全然なくて、基本くだらねー事しか書いてありません。
 うんこの話が出来る大人の男はカッコイイとか、古本屋で「猫かじり跡あり」という本があったら絶対買うとか、そんな感じ。今風にいえば“ゆるい”と言われるのかもしれませんが、私的にはくだらねーという印象の方が強いです。いい意味です。

 そんな中でもさすがプロのエッセイスト、ハッとする言葉というのは何カ所かちりばめられていて、特にドキドキした文章が、

「こんなシャクリかたをすればキリコの流れはいいけど刃先がもろい。こうすれば逆に刃先は丈夫だが、キリコがあぐらをかくから、切れ味が悪い。わかったか」わかりません。わからないからかっこいいというもんです。

 という下り。いや…ここだけ取り出してもホントに訳わからないと思いますが、これは「春は鉄までが匂った」という本に登場する渡り旋盤職人、平松さんの話…だそうです。
 「わかりません。わからないからかっこいいというもんです。」なんて開き直った文章、なかなか書けそうで書けるもんじゃないすよね。ここの下りは読んでいて興奮しました。ドキドキと。

 思うに、私が女性エッセイストの本を比較的好んでいるのは、こういう無秩序な中にあるキラリと光る言葉を見つけるのが大好きだからなんだろうなーと思います。
 男性が書いて出版するエッセイというのは、一件くだらなく見えても、実は生き方に1本の芯が通っている系とか、無秩序に見えるエピソードだけど、通して読むとひとつの目標に向かっている様に見えるとか、そういうくだらなさを装った隠れお役立ち商品的なモノが多い気がするのに対し、女性が思い切って書くくだらねー系エッセイというのは、本当に無秩序で、自分の後の人生において特に知らなくてもいい知識がくだらない感じでちりばめられているような気がして…って、超ステレオタイプに書いてますね。ごめんなさい。つまりそういう感じです。とにかく私がエッセイというジャンルに求めるモノは、そういう文章なのです。

 何を言ってるかわからなくなってきましたが、つまりそういう本が好きな人にはお勧めです。

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猫座の女の生活と意見/浅生ハルミン

▼2011年10月02日

電撃戦・グデーリアン回想録(下)

20111002_01.jpg 以前購入した上巻に続き下巻も購入。グデーリアンにとって上り調子であった上巻と違い、下巻はドイツの敗戦に伴う記述になるので、展開はちょっと重め。一度罷免されたブリッツクリークの創始者が、ヒトラーの取り巻き達により、無謀に展開を広げすぎた東部戦線の後始末に翻弄する姿は、なんだか悲しくなってくる。

 その中で興味深いのが、ヒトラーとの直接やり取りの記述でしょうか。もちろん、近代の軍事的知識に欠けるヒトラーに対して、グデーリアンの進言はことごとく取り下げられるのだが、それでも彼がヒトラーに対してアレだけハッキリと物を言い、またヒトラーもうざったいと思いながらも、彼の任務を解こうとしない(最終的には無理矢理休暇を取らされるのだが、それがグデーリアンにとって幸いした)その姿は、ヒトラーという人物に対する研究資料としても興味深いのではないか。
 グデーリアンのヒトラーに対する記述を見る限り、彼はスターリンや毛沢東ほどの独裁絶対主義者でもなかったようにも思えた。

 また、晩年のヒトラーが狂っていく様は、彼自身の性格にも起因するとは言え、過度な薬物摂取による精神障害などにも要因はあるのではないかと、割と冷静な分析をしているのも面白い。
 このあたり、絶対権力者に対する薬物汚染の関係は、ヒトラー以外でももっと研究されるべきなのかなと思う。

 下巻の終わり1/3は付録に費やされていて、ドイツ軍団長や師団長の名前リストなど、ガチの戦史研究者にとっても貴重な資料。そこまでではなくても、各戦局における作戦地図は、本文を読み進めるにあたり、大変役立つ資料である。

 戦史としても楽しめ、また、近代陸軍運用思想の祖である個人の回想録として貴重な一次資料である。とてもエキサイティングな本であった。戦史に興味がある方には、広くおすすめしたい。

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電撃戦―グデーリアン回想録(下)/ハインツ・グデーリアン

▼2011年09月24日

弱ペ!

20110924_02.jpg 自転車マンガと言えば、シャカリキの方はリアルタイムで読んでいたのだが、「弱虫ペダル」の方は今まで全然読んだことがなかった。でも、自転車乗りの方達は結構読んでいるようだし、面白いのかなーと思って、何となくTwitterで「弱ペ」って面白いの?とつぶやいたら、なんとN氏から「15巻まであるから送るよ〜」とのレスが。

 おー、これってなんだか、Twitterが流行始めた頃に「仙台駅付近で泊まる所がないんです」とのつぶやきを見たホテルの人が「お部屋一室開いてますよ」とつぶやいて新規顧客を獲得したとかいう、そんなネットとソーシャルが連動した新しいマーケティング的なユーザーエクスペリエンスがイノベーティブな流れに…みたいな!何言ってるか自分でも判らんけど(笑)、とにかくこういうネットの展開っていいよな〜と。
 いや、本を送ってもらうことも当然うれしいんだけど、なんだかよけい感動しちゃってすごくうれしかった。

 つことで週末に届いた「弱虫ペダル」、15巻まで早速読んでみましたよ。
 ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんけど、思ったのは、主人公が弱虫なのって初めの1〜2巻位までで、後はなかなかしっかりしてるじゃん!というのと、自転車が判らなくても、腐女子向けには渚カオルも登場しますし、設定考察厨の方にはちゃんと使徒まで用意(笑)されているので、皆で楽しめますっつー事か。
 後になって冷静に考えてみると、お話しのプロットは単純極まりない根性モノと言えなくもないのですが、そこはやはり自転車乗りである私、もうストレートな話だからこそストレートに感動しますよヒメなのだ。

 現在は19巻まで出ているらしいので、早速今日のドライブの帰り道に買っていきたいと思います。果たして使徒とのゴールスプリント争いは、どんな結末になるんでしょうね。

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▼2011年09月12日

今日もごちそうさまでした/角田光代

20110912_03.jpg 初めは特に買おうと思っていた訳ではなく、ただ、アマゾンで掲載されていた紹介文に心をちょっと揺らされたのです。で、その様子をTwitterでつぶやいたらこのようなRTを頂いたので、これはやっぱり買ってみようと思い、打合せ帰りに恵比寿アトレにある有隣堂へ。

 有隣堂に並んでいた「今日もごちそう〜」は、何と著者によるサイン本でしたよ。早速購入、電車に乗ってすぐに読み始めました。

 しかし…食べもののことだけでここまで色々書けるってすごいよな〜と思います。

 私的には、女流作家の方達って、自身の作品内で「たべること」に関する描写がうまいというか、ある種フェティシズムに似た何かを感じさせる人が多いよな…と思うのですが、角田さんの小説はどうなんでしょう。実はこの作家さんはエッセイしか読んだことないのです(笑)。それはさておき、アマゾンの紹介文にもあった、

朝7時、昼12時、夜7時。失恋しても病気になってもごはんの時間にきっちりごはんを食べてきた。

 という言葉は、押しつけがましくない形での命への執念を感じたような気がして、キュンときました。

 一応Webの連載だったので、こちらでもまだ読めるのですが、本の方は加筆修正されているとのことなので、興味のある方は是非。

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▼2011年09月04日

山がわたしを呼んでいる/浅葉なつ

20110904_01.jpg 今流行の山ガール的小説がついに電撃文庫にも登場!おぉ、山小屋を舞台にした異世界からの悪魔と落ちこぼれの萌え神様が繰り広げる上を下へのドタバタコメディー!?…という訳ではなく、割とまともな山が舞台の青春小説であった。

 物語の始まりは、山に対する知識ゼロだけど気だけは強い女の子が、何故か色々あって山小屋のバイトをするようになるというお話し。
 ラストにかけて、特に劇的な展開があるとかそういう話でもないのだが、割とすんなり読めてしまい、ちょっと山に行きたい気分になれる、読後感が清々しい小説だった。

 山に興味がある人も興味がない人も、この手のジャンルにありがちな、小難しい内容ではないので、気軽に読んでみては如何でしょうか。

 ちなみに、表紙だけはちょっと萌えっぽいイラストがありますが、中に挿絵はありません。

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▼2011年08月30日

電線一本で世界を救う/山下 博

20110830_01.jpg オーディオやってると、コンポやスピーカーをつなぐケーブルの品質にこだわるのは当たり前なのだが、そんな事すら認めない(認められないほど耳が悪い?)人が今でも多くいる。

 ま、確かにオカルトが跋扈するオーディオ業界だというのは私も認めるが、だからといって、ケーブルで音が変わらない…と言っている人は、困った事に、まるで自分達が科学的思考を持った科学を代弁するような口調で「音は変わらない」という。ここまでなら「勝手にすれば?」と思うのだが、そういう閉鎖的思考を持った人たちが、実際の科学技術の発展を阻害しているというのなら大問題。

 クルマのアースチューンについては、最近チラホラと聞かれるようになってきている。ただ、実際にアースチューンしたと言っている人達の車を見ると「こんなんで大丈夫なの?」という施工がほとんどで、更にそういう人達の車に限って「なんだか調子が悪い」とか、しょっちゅう言っている気がする。ちなみにアーシングの弊害については以前もこのブログで書いた。その通りだと今でも思っている。

 で、この本。実はこの人の影響を受けた(?)人が行った、銀線裏打ちをしたオーディオ機器は、確かに音が変わった。友達でも銀線の接続ケーブルにはまっている人は何人かいたし、その効果も耳で確認した。
 そのノウハウを自動車のアーシングにも応用すると、燃費改善や排ガス削減の効果があるらしい。私にはこの効果が「絶対にある」とは主張できないが、オーディオの経験からすると、何らかの効果があってもおかしくないと思っている。だからこそ、是非、もっと色々な場所で検証を重ねて、それが正しいのかを実証してほしい。そして、正しい自動車のアーシングについての効果を、もっと広めてほしいと思う。

 また、本書で言うとおり、そういう未知の現象へのチャレンジが、今の日本の技術者にかけているとするならば、日本の技術者達はすっかり科学的思考を失ってしまったのではないかと、別な位相からも心配してしまう。是非、健全な科学的思考を取り戻してほしいものだ。

 大体、アースの具合でクルマの調子が変わるなんて、ちょいとクルマをいじってる人からすれば、もう常識に近い。MGFになってからは、一応コンピューター付きの精密機器(笑)になったのでやっていないが、オールドミニに乗っていた時は、何度もアースポイントはいじったり磨いたりしていたもんだ。

 ちなみに、どうしてケーブルで音が変わるのかについても、本書では簡単に推論が書かれている。ケーブルの効果を信じないオーディオマニアの方も、一読されてみては如何でしょうか。

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▼2011年08月28日

モノが語る日本対外交易史/シャルロッテ・フォン・ヴェアシア

20110828_01.jpg 7〜16世紀、日本国号が成立した頃から戦国時代前位までの日本の交易史を語っている本。政治的側面からではなく、主にモノを中心に語っているのが普通の歴史書とちょっと違う所。今をときめく藤原書店から発行されている。

 日本における大雑把な対外交易を記すと、八世紀までの日本は外国の知識や技術の導入が中心。その後十二世紀までは唐物の輸入、十二世紀以降は中国銭の膨大な輸入に切り替わり、十四世紀以降は逆に日本からの輸出品が増大している…そうだ。
 この品目は、日本国の国家成長とぴったりリンクしているのが面白い。特に八世紀頃の日本は、まだまともな中央政府が存在せず、その行政システムを中国に学んでいたことが多かったからね。

 その後、唐の工芸品が珍重される時代になり、その時代は割とすぐに去った後、今度は通貨輸入という、今の日本同様原材料を海外に求める政策に変わる。その後は日本の優れた工芸品が中国や朝鮮で盛んに求められるようになった。昔から日本は物作り国家だったんだな〜と。

 例えば日本刀は、工芸品はもちろんのこと、いわゆる[数打ち」と呼ばれる日本国内では大量生産品扱いされるような製品でも、中国ではかなり高額で売れたらしい。その他、扇子というのは日本人の発明で、時の皇帝がその日本の扇子を臣下に賜るようになってから価値が上昇し、更にその扇子はシルクロードを通りヨーロッパにもたらされたという。日本人としてはなかなかロマンを書き立てられる話だ。

 当時の貿易について、中国(明)と朝鮮は、政府主導の貿易コントロール、日本はむしろ政府が主導しないやりかたで貿易が進められていたというのも面白い。そのため当時の日本人は、勘合貿易(学校で習ったよね)で決められた量を無視して、盛んに中国に物資を輸出しようとしたし、また中国側も、そういった日本の姿勢を無視することもできず、国家の予算を圧迫しながら交易を続けたようだ。
 こういった中国の姿勢は、日本を思いやったというより、当時まだ朝貢貿易思想が強かった中国側の都合らしい。つまり、はるばる皇帝の徳に感服して朝貢してきた周辺諸国を無下に扱えば、皇帝を中心とした中華思想の秩序にも悪影響がおきるという考え方。

 一風変わった歴史観を得る助けとして、なかなか面白いのではないでしょうか。

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モノが語る日本対外交易史/シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア

▼2011年08月14日

LONG RIDERS

20110814_01.jpg 「ロングライド・ブルベをテーマにした自転車同人誌」らしい。私が買ったのはVol.1だけど、もうVol.5まで出ているのね。割と分厚いくせに、今流行の○○少女的同人誌と違い、あれげなイラストがちりばめられながらも、誌面はびっちりと文章で覆われている。お値段は1,500円位だったけど、これならなんだか割安な感じ。

 まだ全部読んでいないのだけど、じっくりと読みふけりたいと思います。あと、も少し体重絞ってまたツーリングにいきたい。

 ちなみにこの本は、秋葉原の「COMIC ZIN」というお店で買いました。このショップはいわゆる「美少女系同人誌」の他に、こういう読み物系同人誌を多数扱っていて面白く、私もよく寄るお店です。

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▼2011年08月13日

インク壺/増田れい子

20110813_04.jpg 暮らしの手帖で連載されていたというエッセイ。奥付を見ると昭和63年11月に発行された本のようだ。つまり、昭和が終わるちょっと前の雰囲気がこの本には詰まっている。

 例えば「屋根」というタイトルの章では「屋根というのは、伝統的にその土地にもっとも豊富にある材料、草や木でふかれてきたものらしい」とあり、ああ、なるほどなと思う。また「ふかれて」という言葉もなんだか懐かしいような初めて耳にするような、そんな雰囲気だが不思議と意味はわかる。言葉って面白い。
 他「ポケット」という章では、「男たちが女達より敏しょうなのは、ポケットを付けているからだと思う」とあり、そういえば、最近こんな男たちって見なくなたなぁ…なんて思ったりもする。

 全編にわたり、丁寧な文章から著者のきちんとした性格が伝わってくるようだし、また、そんな中に終わりつつある昭和のあの時代をほっこり(用法違い)と感じる事ができる本。

 今では古本でしか手に入らないようだが、何もすることがない休日の午後など、のんびりとお茶しながら飲むのに、とても良い本だと思います。

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インク壷/増田れい子

渋谷東急古本市の収穫

20110813_02.jpg ただいま行われている、渋谷東急での古本市。ふらりと寄ってみて4冊ほど収穫してきた。

 まずは、あのオーディオ評論家長岡鉄男先生の「ステレオハンドブック」。その次が、アメリカで大ヒットしたオーディオ解説書と言われる「オーディオの神話を剥ぐ」という本。こちらは両方とも500円。あと、暮らしの手帖社から出ている「インク壺」というエッセイ。こちらのエッセイは昭和63年発刊のもの500円。最後は「中世都市十三湊と安藤氏」という本。こちらが少々高く2,100円だった。

 古本屋に行くのと違い、古本市で本を選ぶのは、自分でも思いの寄らないジャンルの本を買うことが多いこと、また、そんな出会いが多いことだと思う。
 古本市は8月の17日まで開催されているそうなので、渋谷にお寄りの方は是非。

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自分の仕事をつくる/西村佳哲

 まず、前書きから引用する。

 人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
 「こんなものでいい」と思いながら作られたものは、それを手にする人の存在を否定する。特に幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。

 なるほど…普段から人に「大切な存在」である扱いをされていない自分は、だから買い物に走りがちになるのだろうか…。なんてそんなのはともかく、この序文に人が素晴らしい仕事をするための原則が記されている気がする。
 人は、何かを伝えたい、受け取りたい生き物なのであろう。その手段のひとつとして仕事があるのかもしれない。

20110813_01.jpg 本書は、著者の西村佳哲氏が、様々な仕事についてインタビューして回った記録である。
 ただ、のべつまくなく仕事を探しているのではなく、そこは冒頭にかかれた「自分と他人を大切にする仕事」という視点で選別されているように思う。単純に読んでいてうらやましく、自分もこんな仕事をしてみたいなと思いながら読み進められた。

 また、仕事について、外国人と日本人についての価値観が浮き彫りになるのが面白い。
 例えば、本書的には両方とも成功例の事例として掲載されているのだろうが、パタゴニアに勤めるスタッフの、真に自由に働きながら社会に対して責任を果たせる仕事スタイルを紹介したあとに、日本の「ドラフト」という会社の社長がドヤ顔で「プロジェクトが終わったらスタッフ全員参加で呑み会ですよ!」とか言っているのが実に対照的だった。
 仕事のパートナーとして、社員を1人の独立した人間として扱うパタゴニアの社風と、所詮社員に頼ることでしか生きていけないくせに虚勢だけは1人前の日本式経営者の未熟さというのであろうか…。

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▼2011年07月30日

中世の港と海賊/山内 譲

20110730_03.jpg 「海賊」という言葉から、どのような人達を想像するだろうか。大海原を荒らし回って略奪を繰り返しお宝を…みたいなイメージがまず頭に浮かぶかもしれない。そのイメージは全て間違いではないが、実情とは異なっている。

 日本における「海賊」とは、単なる略奪集団ではなく、その海域を支配していた「領主」と言えるべき存在であった。
 とくに、中世瀬戸内海の海では、様々な海賊が、時には争いや略奪もあっただろうが、自分の領海を通航する船から金銭を得る代わりに、領海を出るまでの安全を保障したり、護衛に当たったりと、様々な役割をこなし、むしろ海の安全を守る側だったことも多かったようである。

 そんな中世の海賊達を、網野学的視点からまとめているのが本書。書き下ろしではなく、色々な場所で発表した文章をまとめた単行本ではあるが、記載されている主張は一貫したモノを感じて読みやすい。
 特に瀬戸内海沿いに馴染みのある人なら、その地形を思い出しながら、当時の海賊達がダイナミックに活躍した様を頭に描きながら読むのも面白いと思う。

 日本の歴史を作ってきたのは、単純な「支配者と農民」だけでなく、様々な役割を持った人たちが今の社会と同じように、様々な仕事に従事していた。そんな歴史の彩りを感じられる文章であり、面白かった。

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▼2011年05月31日

最強国の条件/エイミー・チェア

20110531_02.jpg 人類の歴史には、度々周辺の諸国、世界の国々を圧倒する最強国「ハイパーパワー」が存在してきた。それら諸国についての歴史とその時代背景を俯瞰している本。

 内容も平易な文章で読みやすく、歴史に興味を持つ人にとってはとても面白くエキサイティングな文章だと思う。
 古代ペルシャからローマ、モンゴルからオランダ、イギリス、アメリカと、取り上げられた「ハイパーパワー」は多種多様。光栄なことに我が日本国も「非寛容の失敗例」として短いながらも取り上げられている。

 これら最強国のキーワードとして、著者のエイミーは「寛容政策こそが国家の繁栄をもたらす」と指摘し、その文脈に沿ってこれらハイパーパワーについての興亡を考察しいている。
 実はこの「寛容」という言葉の意味を、そのまま翻訳語として捉えてしまうことはやや危険かなと、前のエントリーである「寛容の帝国」を読むと、そんな事を感じた。本書で語られる超大国はどれも「寛容」さに溢れたユートピアかと思ってしまうが、おそらく原文で語られる寛容=トレランスには、更に違った意味を内包したキーワードなのであろう。もっとも、本書の翻訳者は、その寛容さをもう少しユートピア的に考えてしまっている印象もあるが…。

 また、日本について語られている章をみると、本書で語られている他の「超大国」達の歴史の信憑性にもやや疑問を感じてしまう感もあるが、それでも、こういった趣旨で歴史をまとめてある本は珍しいし、面白いと思う。

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最強国の条件/エイミー・チュア

寛容の帝国/ウェンディ・ブラウン

20110531_01.jpg 原書のタイトルを直訳すると「嫌悪を規制することーアイデンティティと帝国の時代における寛容」となるらしい。割とさっぱりした「寛容の帝国」という書名からすると、現代における帝国論を語っているのかとも誤解しがちかもしれない。本書の内容はもっと政治評論というか、思想書に近い。

 「寛容」という語感から思い起こされる私達のイメージは如何であろうか。許す、受け入れる、おおらかな心で…といった、わりと許容的でユートピア的印象がある気がする。
 しかし、本書で(あるいは翻訳文献として)語られる「寛容」という意味はもう少し堅苦しく、時には支配者と被支配者を分類する用語としても使われるようだ。
 英文でいう寛容を意味する「トレランス」には、どちらかというと「許す」よりも「耐える、我慢する、辛抱する」という意味に近いようだし、他では、植物生態学の、ぎりぎり植物が生存しうる基本物質の欠乏量を示すのに「トレランス」、臓器移植、薬などで身体が耐えられる量を「トレランス」、機械、工学、の公差も「トレランス」という用語が使われるらしい。少なくとも日本語でこれらの用途に「寛容」は使われないだろう。その意味まずしっかりと覚えておかないと、本書を読み進めるに辺り違和感を感じるし、上記についての解説は本書でもしっかりと語られている。

 以降は、政治における寛容、同性愛における寛容、性差における寛容、人種における寛容など、現代アメリカの例を中心にとり、様々な状況に置ける寛容と非寛容を論じている。
 現代の多民族国家には「寛容が必要である」とは、様々な場所で言われている言葉ではあるが、そこで言われている「寛容」とは、普段私達が簡単に思っているような意味ではなく、時に、私自身のポジションを明確にした上で、あなたの何を許し耐えるか…といった、軋轢の最前線で問われる意味である場合があると認識できただけで、本書を読んだことは非常に有意義。というか、難解な内容にもかかわらず、読み始めると本当に止まらないエキサイティングな内容だった。

 それと、私は本書を読んで初めて知ったのだが、アメリカにある「寛容博物館」という章についても、驚きながら楽しく読み進められた。
 本館は、博物館と名付けられてはいるが、一種の教育機関に近い場所であり、入場者は必ずガイドに拘束されながら約70分間、寛容について学ばなければいけない。携帯電話、カメラ、その他危険物は全て入り口で預け、途中は見学者同士での議論を求められ、トイレ休憩さえも許されないその非寛容さに彼女は「もうそろそろトイレに行ってもよいだろうか」というやや皮肉めいた文章でまとめている。
 私はこの博物館のアメリカにおける社会的ポジションを知らないのだが、おそらく批判や皮肉が受け入れられにくい施設なんだろうなとは想像でき、挑発的だ。なにせ活動目的が「訪問者に偏見や人種差別と立ち向かい、ホロコーストを歴史的かつ現代的な文脈のもとで理解するよう喚起すること」だからね。

 著者のウェンディ・ブラウンは、フーコーに強く影響を受けた「挑発する知性」みなぎった政治学教授だそうである。翻訳者後書きからの引用だが、“女性の傷ついた経験から生まれる女性の「真理」というフェミズムの通念を批判し”という部分は、確かに挑発的でありながら、フェミニズムの本質を突いた問いかけであると思う。

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寛容の帝国―現代リベラリズム批判/ウェンディ・ブラウン

▼2011年05月27日

おしまいのデート/瀬尾まいこ

2011052701.jpg 「よく食べる男は3割増しなのよ」というセリフはどの作品だったかな?とにかく、この“瀬尾まいこ”氏の小説の登場人物は、なにやらいつも食べている。そして、それが時には変な食べ物だったりすることも多いのだけど、それでもみんなおいしそうだ。

 かくいう自分は、食べ物の好き嫌いが多い上に、そもそも人前で食事をすることに慣れていないせいか、人と食事をするときはどうも小食になることが多い。そのせいか、会社の女の子で何を食べても「うまい」といいながら食べる人がいて、そういう姿を見るとなんだかうらやましくてつい「いいな〜」と言ってしまったことがある。

 そういう、自分の目の前でおいしそうに物を食べている人を見ると、よくわからないけど何となく嬉しくなる。私が瀬尾まいこの小説を読んでいるときって、そんな心境に近いのではないかな。

 本のタイトルこそ“デート”という言葉が付いているが、甘酸っぱい恋愛小説だと思って読むと期待外れだろう。そもそも本書に恋愛話は(ほぼ)ないし、大体表紙のイラストはドドンと天丼が大きく描かれているだけだ。でも、他の作品同様、登場人物はみんな食べ物をおいしく食べながら、それでいてちょっとキュンとする体験をして、いかにも瀬尾まいこらしい短編集だなと思った。

 買い物に出かけた帰り道、本屋さんに寄って、そのまま近所のカフェで読んでしまうのにピッタリの分量。その日の夕ご飯は、普段より少しおいしくいただけるかもしれません。

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おしまいのデート/瀬尾まいこ

▼2011年05月04日

シマダス・日本の島ガイド/(財)日本離島センター編

2011050408.jpg 本屋さんで買おう買おうと思っていたんですよ。そしたらサクッと店頭から消えて、あっと言う間にプレミア価格になってしまいました。くそう、残念。

 つことで、近隣の図書館にあったので、思わず借りてきました。そしてチラチラと見ているのですが、やはりこういうリファレンスは自分で所有しておきたいよなぁ…誰か譲ってくれませんかね。新品定価3,000円までならなんとか(笑)
 ただ、ほぼ6〜7年ごとに改訂版が出るらしいので、2004年発刊の本書から、そろそろ改訂版が出るのではないかと淡い期待を持っています。

 内容は、ひたすら日本の離島について解説してある辞典みたいなもの。ただ、有人島がメインで、無人島はさほど詳しい記述がありません。ページの中身は(財)日本離島センターのサイトで一部公開されてます

 なんとなく暇な時間に、パラパラとページをめくり、おそらく訪れる事がないであろう島の名前や地図、行くための交通手段や風習などを見ていると、日本って本当に広いなー、と思います。
 私が生きている間に、全ての島を訪れる事は絶対に無理ですが、どこかマイナーな離島で2〜3日過ごしてみたいなーなんて思いを馳せながら、パラパラとページをめくっているのがいいのですよー。

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日本の島ガイド シマダス/日本離島センター

▼2011年04月23日

乙女の港/川端康成

2011042301.jpg がはは…買ってしまいましたよ「乙女の港・復刻版」。

 豪華2冊セットで、1冊は昭和13年に発行された単行本を、中原純一装丁まで再現した復刻版。もう1冊は、文章を全て現代語訳して、更に「少女の友」に連載されていた当時に掲載されていた中原純一のイラストを挿絵を全て収録した新版となります。お値段4,500円はチと高いですが、内容と川端康成フリークなら納得できる価格かと…。

 ちなみに内容は、横浜の女子ミッション系スクールで繰り広げられる乙女同士の愛…。ちなみにこういう関係を「エス」って言うんですって。エスっていふのはね、シスタア、姉妹の略よ。頭文字を使っているの。上級生と下級生が仲良しになると、さう云うって、騒がれるのよ。

 現代語訳の方も読みやすいですが、ここは絶対に当時の復刻版から読むべきです。醸し出される上品さがもう全然違います。なんつーか、川端康成ってのは、稀代の変態だなとつくずく実感できます。いい意味でも悪い意味でも…つか、悪い意味の方が少し多目で(笑)

 こんな高い本買ってらんねーよ、という人は、地元の図書館で川端康成全集の20巻を探しましょう。今ではこのお話、全集とこの復刻版でしか読めないと思います。

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▼2011年04月15日

宇宙飛行士 オモン・ラー/ヴィクトル・ペレーヴィン

2011041501.jpg 「ロケットで月に行った英雄は今も必死に自転車をこぎつつけている!」

 カバー裏の不思議なキャッチコピーに惹かれ購入。始めて読む著者の小説だが、ロシア(ソビエト?)ではベストセラー作家らしい。
 で、本作なのだが、何ともいえない不思議な小説だという事につきる。子供の頃から月にあこがれて宇宙飛行士になったオモンは、二度と帰る事ができない月の裏側を目指す。沢山の少年達から命をもらいながら…。

 とまぁ、そんな話なのだが、全編にわたりシニカルな風刺や比喩的表現もさることながら、翻訳のせいもあるのか、展開される情景に感情移入しきれないまま物語が終わってしまった印象。
 もっともこれは、私が電車の中でさっくりと読んでしまったせいなのかもしれない。自宅でじっくり読むべき小説だったか。

 ネット上で本書についての解説を読むと、どこも小難しい評論が多いので、あえて別な切り口から評価してみると、今風の少年萌え小説としても鑑賞できるのではないかと思った。少し難解な部分もあるが、コンパクトな量で読みやすく、不思議なソビエト的価値観を持った作品としてお勧めできる本だ。

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▼2011年04月13日

繁栄(下)/マット・リドレー

 何故か下巻だけを読んでみた。そのうち上巻も読んでみようと思うのだけれでも。

 この「繁栄」という本は、人類史全般を主に科学的(テクノロジーだけではなく統計という意味も含め)な視点で描いたもの。

 よく言われる話で「昔は良かった」「戦後の日本はみんなが生き生きしていた」「江戸時代は町民文化が栄えたパラダイスだった」などという事があるが、では、その時代に本気で戻ってみるかい?と問われれば、殆どの人は拒否するであろう。
 たかが数十年前ですら、人々は携帯電話もインターネットもパソコンもエアコンも持たなかった。それに比べれは、今の時代はなんて恵まれているんだろう!

 未来を悲観的に論じる麻薬は、日本人だけではなく、他の世界でも同じようだ。
 既に反文明主義者達のバイブルになりかけた「不都合な果実」は、その殆どが誤ったデータを元に組み立てたものとされている。未来は温暖化するという科学的な証拠も寒冷化するという科学的な証拠もない。アフリカの貧困は常に悲劇的に語られるが、少しずつではあるが改善されている。人類は炭素を燃やしてエネルギーにする時代を今世紀中に終えられるかもしれない…。

 楽観的に考えるよりも、悲劇的に考えてあらかじめ備えたほうがいい…。確かにそうかもしれないが、その悲劇的主張が、誤ったデータを元に展開されているとなれば、それは単なるデマでしかない。

 人類の生活は、歴史が下るに従い、常に良い方向に向いてきた。私自身もブログやTwitterで悲観的な意見を語ることが多いが、それでも自分の子供の頃よりも日本は良くなっていると思うし、歳をとった今の方が、子供の頃より生きていて楽しいと感じている。世界は徐々にではあるし、時に凹凸もあるが、良い方向に進んでいる。

 真っ暗な未来に備えるのもいいが、時にはこのような「人類を信じる」文明論を読んでみるのもいいのではないだろうか。

▼2011年04月12日

蹴裂伝説と国づくり/上田 篤・田中充子

 日本は湖沼の国だった?そんな問いかけで始まる本書、本屋さんで見てこれは面白い主張だと思って購入。

 日本の様々な場所をみて思うのが、日本というのは険しい山が崩れて河川に流されてできた地形がとても多いよなぁ…ということ。
 例えば本書にもある北海道旭川の上川盆地、ここは今中心に旭川市を抱く大規模市街地であるが、逆にいうとこういった市街地がなければ、延々と田園地帯が…いやいや、人がいなければ、石狩川が盆地全体をうねり溢れという盆地だったはずだ。そして、南西にある狭いカムイコタンから水が流れ出ている。では、そのカムイコタンが何かでふさがれてしまったらどうか。行き所をなくした水は、上川盆地を水で埋めてしまうに違いない。

 そのような地形の盆地は日本に沢山ある。関東では群馬県の沼田市、山梨県甲府盆地、また、長野県では松本平野や諏訪盆地等…これら巨大な盆地は、ある一点、比較的狭い渓谷から水が流れ出ているという点。だとしたら、これらはひょっとしたら人の手で、あるいは何らかの自然現象が谷を切り開いて水を流し、農地を作ったのではないか…これが蹴裂伝説と言われるものだ。

 蹴裂伝説が正しいかどうかは別にして、今日本にある平野が昔からこういう状態だと思うのは大間違い。例えば私達が住んでいる関東平野は、江戸時代になるまでは広大な湿地帯で、とても人が住めるような場所ではなかったという。今、多くの人が住み、比較的乾燥した大地の上で畑や居住地を作り、さらに人工的に水を引いて水田を作る…といった風景は、ここ2〜300年で行われた大規模開拓の結果である。その前の関東地方、特に埼玉や千葉県の辺りは、利根川と江戸川(鬼怒川)荒川の流域内にある土地であり、大雨が降ればこれらの河川は縦横無尽に下流域を流れ出し、人の支配が及ぶような土地ではなかったのだ。
 そのような湖沼、湿地帯を開拓して土地を造り上げた結果が今の日本の姿である。

 わたしは日本の様々な地域を見る時、地形の凹凸や水田の姿を眺めながら、古代にはこの場所はどのような湿地帯だったのだろう…などと想像することが多い。そして、その水の流れはどうなっているんだろうと想像し、土地の流れに思いを馳せることも多い。
 著者の主張とは違うかもしれないのだが、そのような妄想癖がある私にとって、本書に収められている様々な検証は、ちょっと甘い部分を感じながらも、なかなか興味深く読むことができた。

蹴裂伝説と国づくり/上田 篤 田中 充子

▼2011年04月07日

江戸の海外情報ネットワーク/岩下哲典

 かつての海外情報については全く無知であった…という江戸史観が、ここの所大分是正されてきているような気がする昨今。こんな本が図書館に並んでいたので借りてきて読んでみた。

 本書は、鎖国制度により海外情報から隔離されていたと思われていた、江戸時代の海外情報の入手ルート、並びにネットワークについて考察した本である。

 私も知らなかったのだが、教科書にも出ていた江戸時代の「象」の話。実は象が日本にやってきたのは、江戸時代を通じて何度かあったこと、それどころか、時代を遡った徳川家康も、海外からの献上品として象を受け取っているとのことであった。なるほどねー。

 その他、本書で語られている中で印象深かったのが「ペリーの白旗」の件。この一件については、今でも歴史学者や歴史マニア達で色々と議論されているネタで、ペリーが浦賀沖で当時の浦賀奉行である香山に、白旗を渡したか否かという点。この記録は日本側のみに記載されており、長い間アメリカ側の記録に白旗に関する記述がなかったことから、当時の日本人が驚いたあまり作った創作ではないか?などと言われていたのだが、最近になってどうやらペリーが日本人に対して白旗を渡して恫喝に使ったというのは事実であるらしい…という流れになっている。この記述が何故アメリカ側の資料にないのかというと、どうやらこの作戦は、時のフィルモア大統領に進言したらしいのだが、止められていたそうで、ペリー側も内緒で行い記録に残さなかったから…らしい。他にもペリーは、琉球を武力占領すると進言し、当然ながら大統領に止められたりと、割と過激な考え方の持ち主であった。

 いや…私が問題問題にするのは、その白旗外交が事実なのかどうかではなく、その白旗がもたらす意味についての話。どうやらペリーの白旗があったという人たちの論調によれば、その白旗に時の幕府高官はびびりまくって慌てて会見地を用意した…みたいな話になっている本を読んだことがあるのだが、そもそも戦地での「白旗」というのは、当時の国際ルールであり、本書で問題にしているのは、その意味を当時の日本人が知らなかったとは思えないという点。
 確かに戦場での白旗は、局地的には降伏に使われることもあるが、他には軍使の派遣等、つまり武装解除を示す目印であり、その国際ルールについて、乗船した香川がアメリカの高官から丁寧に説明されたというのが不愉快であった、その不愉快な思いが報告などに伝わり、より大がかりで面倒な情報として幕府に伝わってしまったというのが本書の論考。なるほど、さもありそうで面白い。
 ちなみに、本書でも紹介されているが、ペリーの白旗事件については、ズバリ「ペリーの白旗/岸俊光」というが出版されているので、こちらも興味がある方は是非。

 ま、そんな感じで、江戸時代の主に後期に発生した国際的な事象について、割とザックリ紹介されている本で、難しそうなタイトルながら、結構気楽に読める。おすすめです。

▼2011年04月06日

「日本ダメ論」のウソ/上念 司

 本屋さんで並んでいて、つい買ってしまった本。
 思うのだが、この国の政治家やメディアは、この国が「ダメ」でなければいけない理由があるのであろうか。

 つことで、本書の冒頭で読者に投げかけられている設問をあえて全て引用してみた。皆さんはこの設問についてどう思っているだろう。
 さらに、その質問に対して自分のコメントを入れてみたが、これは正真正銘何も資料に当たらず、自分の頭の中の知識だけで答えた解答である。皆さんはこの設問に対してどのような意見を持っているのだろうか。

1:落ち目になっていた徳川幕府は寛政の改革によって復活した。

 まるでウソ。田沼政治が行っていた近代貨幣経済をぶちこわした悪政でしかない。ちなみに学校では「田沼時代には庶民が政治を批判する風刺画が数多く描かれた悪い時代」と教わったが、政治を批判する風刺画1枚も描けない時代の方が異常だろう。


2:ペリーの来航は徳川幕府にとって寝耳に水だった。

 幕府は正確にペリーの来航情報を知っていた。事前にオランダ経由で知らされていたから。


3:戦前の日本は軍部が独裁していて言論の自由がなかった。

 これは主観もあるが、少なくとも「敵性言語禁止!」みたいなアホな真似は今もある朝日新聞等のメディアや当時の不謹慎厨wが率先して行っていた事。少なくとも軍隊では零戦は「ゼロセン」と発音していたし(一部では「ゼロ」が英語のため当時は「レイセン」と言っていたというデマもあるけど)、発動機は普通にエンジンと言っていた。


4:日本人は軍部の圧政により無理矢理戦争に協力されていた。

 これも主観的な評価側面があるが、その軍部の暴走を許していた政治家を選挙で選んでいたのは日本国民である。何から何まで軍部に責任を押しつけ、自分達の贖罪は済んだ気になっている歴史観は非常に危険。


5:1974年の物価狂乱の原因は第一次オイルショックだった。

 よくわからない。


6:企業や人々がマネーゲームに走りすぎた結果、バブルが発生した。

 原因と結果、どちらが先かわからない。


7:モノが売れなくなったのは、人々が物質的な豊かさより、心の豊かさを求めたからだ。

 あまりにも抽象的だし、そんなデータはおそらく無い。


8:日本においては、少年の凶悪犯罪が昔に比べてかなり増加している。

 まるでウソ。少年犯罪というか、日本における凶悪犯罪は他国から比較すると異常なレベルで低下している。


9:ミネラルウォーターは水道水より美味しい。

 おいしさについては主観が混じるので何ともいえないが、少なくとも日本の水道水は市販のミネラルウォーターよりもはるかに厳しく安全性が規定されている。


10:マイナスイオンは人間の身体にいい効果をもたらす。

 現時点でこんなの真面目に信じてる人達は、オウム真理教を信じている連中と何も変わらない。科学的根拠はなにもない。


 繰り返しますが、私がつけたコメントは正解ではありません。正解は本書を読むというより、自分で調べてみましょう。
 世の中で報道されている、あるいは入ってきた情報全てについて、自ら裏をとり調査する事は物理的に不可能ですが、それでも、繰り返し報道される事象について少しでも興味や疑問を持った場合は、可能な限り自分でも調べてみるという姿勢が大事なんでしょうね。

 つことで、本書についてはこれから読んでみたいと思います。

よなかの散歩/角田光代

2011040601.jpg 実は川上弘美が好きなのである。で、どうしてこんな書き出しで始めるのかというと、本屋さんで「川上弘美」の新刊が出てないかなーと探す度に目につくのが、この「角田光代」だったりするのだ。どっちも「か行」だしね。

 つことで、今日も本屋で「か行」の棚を見ていて、何となく目について買ってしまった本。著者は同い年だよ自分と。

 読んでいて面白いなーと思ったのが「愛と恐怖」という章。こんな自分でも、いままでに数回は人を愛した気分になった事もあり、そのときに思った事は確かに「愛とは悲観に属する」って事。だってもう、心配で心配で仕方ないもの。愛する人が交通事故に遭っていないか、駅でホームから転落してないか、階段ですっ転んで大怪我してないか…。変な話、そんな事ばかり考えていた事が、自分の人生の中で何度かあった。この共感を得られた事は、本書を読んで最大の成果でもある(笑)

 他、美人である事が既に無駄である美人ってのは、確かにそういう人結構いるよね。自分の場合、美人さんってのはどうも苦手なのだが、そういう美人であることが無駄…人ってのはワリと好き。残念ながらそういう無駄な美人ってのは、その無駄に気づいた人の手に既に落ちている事が多いのだけれども、たとえそういう関係にならない人だとしても、やはり美人の人とお話しするのは素直に嬉しい…というか、つまり自分はズボラな人とウマが合うのかもしれないなー。

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▼2011年03月26日

野宿入門/かとうちあき

2011032601.jpg 野宿…いいよね〜。そういえば最近してないなぁ。

 なぁーんて思いながらサクッと読みました。ホント、いいですよね、野宿。キャンプじゃなくて野宿ってのがいいよね。自分も昔はよくやりました。真っ暗の田舎道でもう眠くて仕方ない!って時に、車を停めて速攻テントを張って寝てみたら、バス停の前に寝ていたとかそんな事もありました。あと、夏なんかは道の駅の芝生部分でマット敷いて寝たりとかね…。
 野宿までは行かないけど、酔っ払ったときは公園や駅で寝たり、初めての海外旅行時にもしっかりと酔っ払って町中の道路脇で寝たりと、外で寝る事には昔からあまり抵抗感のない自分です。ただまぁ…都内住宅地の公園に寝たいとはあまり思わないけどね。

 他にも「寝袋を手に入れたら大人になった気がした…」とか、そんな気持ちもよくわかります。野宿、またしたいなぁ。

 ちなみに著者が主宰する「野宿野郎」という公式サイトはこちら

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野宿入門/かとうちあき

▼2011年02月13日

ナマズの幸運/川上弘美

20110213_01.jpg 川上弘美のエッセイを読むと、なんだか踊りたくなる。それも本格的な踊りではなく、机に座ったまま手をフラフラと適当に振ってるような…そんな感じ。

 東京人という雑誌に連載されているエッセイをまとめた単行本、ようやく3巻が発行された。早速買って読んでみる。

 以前だと4/5は本当のこと…という話だったが、本書ではもう少し本当のことの成分が増えているそうである。なんとなくダラッとしたい休日のお供に是非。

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▼2011年01月04日

世界全戦争史/松村 劭

20110104_01.jpg 本屋で見つけた時は、その厚さに「なんかのギャグかよ」と思ったのだが、手にとって読んでみるとその内容に引き込まれた。

 A5版で2664ページ、古代から去年まで、世界で起きた戦争についての概略を延々と語っている本。ただし、その切り口は、単なる歴史絵巻ではなく、今と未来に通じる力強い主張を感じる、質の高い思想書とも読める。著者の松村 劭については、「ナポレオン戦争全史」という本を以前読んだことがあるのだが、日本人が書く戦争に関する本の多くが、ある種感情的な通念から抜けきらない主張が多いのに対し(通念を否定する訳ではない。ただ、ごちゃ混ぜになっているのが多い気がする)、事実とその論考が割とすっきりと清々しい印象があった…と記憶している。
 ただ、その後「戦術と指揮」という本を読んだ時は、ちょっと違うかな…みたいな印象があったのだが。

 もちろん、こんなボリウムの本を、一気に初めから最後まで読むつもりはない。机の脇に置いてチビチビと楽しんでいくつもり。ちなみみ松村 劭氏については、ちょうど一年前の2010年1月、鬼籍に入られたとのこと。アマゾンのレビューでもあったが、こんなボリウムでこんなページ数という無茶ぶりは、生前に発刊を急いだ結果なのかもしれない。この荒っぽい編集業も、ある種いい味を出していると思う。

 ちょっと高価かもしれないが、歴史で起きた戦争を俯瞰するベーシックな資料として、戦争や歴史に興味がある人は、本棚に入れておくといいかもしれない。

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▼2010年12月31日

父が子に語る世界歴史/ジャワハルラール・ネルー

20101231_01.jpg 久しぶりの良書に出会ったという感じ。ジャワハルラール・ネルーとは、インドの初代首相。これは、そのネルーが刑務所から娘に送った歴史の話を綴った本だ。

 歴史の話というよりは、これは1人の人間が織りなす小説…あるいは物語といっていい。様々な歴史話の中に、家族のことや娘の思い出などがちりばめられており、著者の家族への思いに心を打たれる。

 歴史的な視点からも、インド人から見た歴史話というのが、私達日本人や西洋人が語る歴史とは若干トーンが違っていて興味深い。

 全8巻とのことで、読み通すにはそれなりに時間も金もかかるが、それでもゆっくりと長い時間をかけて読み続けてみたい、親から娘への、家族の物語である。

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