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▼2012年02月01日

ダフニスとクロエー/ロンゴス

E1312801.JPG 白状します、こんなギリシア文学の古典をいきなり読んでみた訳は、写真にある萌え萌えなイラスト見たからです。
 このイラストは「萌える名作文学」という本に紹介されています。古今東西の古典小説を中心に、ヒロインを萌えの視点で見直したという…今流行の萌える○○読本シリーズですな。この世で萌えられないジャンルは何も無いね(笑)

 ということで、この萌えイラストに参ってしまった私は、たまには古典もいいかなと思って、ゾンアマで岩波文庫版を注文しようとしたら、どうやら絶版のようで、プレミアまでは行かないけど微妙な値段で取引されています。
 ま、岩波の文庫なら、BOOKOFFを何軒か回れば手に入るかな?と思ったのは甘ちゃんで、家の近所から都内の大型店舗まで何軒か見て回ってもまるで売っていない…というか、BOOKOFF行く度に余計な本がどんどん増える体たらくなので、ここは意を決して、今勤めている会社を抜け出し、近所、神保町の古本屋街へ。そこで絶版岩波文庫の在庫に定評がある@ワンダーというお店でようやく在庫を発見しました。

 お値段は1,050円。ま、絶版だからね。ちなみに私が買った版は1987年発行の第一刷。定価は350円だけど、物価の上昇率を考えれば…って事はないかな?いや…1987年当時の日本はバブルだったし、むしろあの頃より社会はデフレ気味。そう考えると、いくら絶版とはいえ割高な買い物だったかもしれん。

 で、前置きが長くなりましたが、読んでみるともう…ね、

「きっと今のわたしは病気なんだろうけど、どんな病気なのかわたしにはわからない。痛みは感じるけど、傷なんかどこにもない。つらい気持ちだけど、羊は一頭だって減ってはいないわ。こんなに深い木陰に坐っているのに、からだが焦げるように暑いとはねえ。茨の棘がささったことは何度もあったけど、泣いたことはなかった。蜜蜂に刺されたことだって何度あったかわからないほどだけど、ごはんはちゃんと食べられたわ。でも今の私の胸を刺すこの痛みは、そうした時のどれよりも激しいの。ダフニスはたしかにきれいだけど、花だってきれいだし、あの人の笛の音は美しいけれど、鶯の声だってそれに負けやしない。それなのにいまのわたしにすれば、そんなものはみんなどうでもいいものばかり。あの人の笛になって、あの人の息を吸えたらどんなにいいだろう。それとも山羊になって、あの人に飼ってもらえたら…。水だって意地悪ね、ダフニスだけをきれいにして、私が水浴びしてもなんにもならなかったのだから。」

 とかもう、今風に言うとメンヘラ少女的な恋心というかヘンタイ妄想爆発のイタい喪女みたいな感じです。でもクロエーたんは美少女なんだけどね。

 つー感じに、全編にわたりダフニスとクロエーがいかにお互い好きかを延々と語りやがり、読み進めるにつれリア充爆発しろと叫びたくなりますが、古典の割には翻訳がいいのか元の文章が優れていたのか、すらすらと読み進めることができます。
 あと、当然ながらふたりの間にはいくつか恋の障害があるのですが、一般的恋愛小説と違って、それらは割と簡単に解決してしまい、むしろダフニスとクロエーの人としての成長というか、エロ度のレベルアップが主体に話が進んでいきます…っていうか、一日に何度も接吻かまして、裸で抱き合って、それでもお互い何も無いってどういうことよ!リア充爆発しちまえ!(笑)

 といいつつ、やはり長く読まれてきた古典は古典。3世紀ギリシアの美しい風景の中の男女の恋物語という王道、たまにはこの世のヒネた視点を忘れ、素直で美しい感情に思いを馳せながら、若きふたりの命の営みを味わう文化的読書というのもいいものですよ。

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ダフニスとクロエー(岩波文庫 赤 112-1)/ロンゴス・松平千秋:訳
萌える名作文学 ヒロインコレクション/萌える名作文学製作委員会

▼2012年01月29日

カザフ遊牧民の移動/松原正毅

P1282665.JPG 久しぶりに面白い「自分が知らなかったこと」を読ませてもらったと思う。
 この本は遊牧の民であるカザフ人が、近代の国家・国境という波の中で自らの住む場所を失い、放浪の旅に出る…具体的には中央アジア、アルタイ山脈南にある「チンギル」という地域から20年をかけてトルコへと移住するまでを描いたドキュメントである。

 昔から中央アジア一帯は、モンゴル人の遊牧生活でのイメージにもある、広い草原を移動しながら生活していた人達が暮らしていた。それが、ソビエト連邦、そしてモンゴル人民共和国の成立、そして中華ソビエト共和国の成立が重なる時代から、彼等の生活は圧迫され始める。

 何も無かった草原地帯に国境線が引かれ、越境の自由を奪われることと、また近代国家(特に社会主義思想では)では、定住しない人々の存在は望ましくないとの考え方から、徐々に彼等の遊牧範囲は狭められ、また民族としての弾圧も行われるようになる。そのなかで、カザフの人達は自らの生活を守るために長い旅を始める。
 中国の領土からモンゴル領内へ、そしてモンゴル領内ではモンゴル軍の攻撃を受け、再び中国青島省に入ると、今度はその地域の馬歩芳という支配者より圧力を受け、彼等は逃げるようにチベット高原に向かう。

 チベット高原横断の下りは、この物語のクライマックスであろう。気温零下30度以下の永久凍土の上を、当然遊牧のための食料も無く、高山病への備えも無く、途中で散発的に襲ってくるチベット軍から逃げながら、カシミール地方へとたどり着く。

 カシミールでは彼等の難民としての扱いをどうするのか、カシミール行政局とインド政府、イギリス総督府などで責任のなすりつけ合いをしながら、結局カザフへの支援はほとんど行われなかった。
 その為、彼等は自力でカシミールの急峻な山脈を越えムザファラバードとタルナワにたどり着く。カザフの集団が街に入ることを恐れたカシミール行政局は、ここでようやく動き始め、彼等にテントを張る場所として屋外の収容所を与えた。しかし、その収容所は、高い気温と湿った土壌、適切な医薬品の不足のため、マラリア等の伝染病によりバタバタと仲間が死んでゆく。そして、その後に移動したペシャワールで、ようやく彼等に対する支援が少しずつ動き出した。

 その当時は、インドはイギリスからの独立を果たし、またパキスタンの分離独立と領有権でもめていた時代である。そんななか、遙か国境を越えてペシャワールにたどり着いた同胞のイスラム教徒(カザフ人はイスラムである)の支援についても、どことなく政治の匂いがするが、それでも、ようやくパキスタンへたどり着いた所で、彼等はひとまず命の心配から逃れられたとも言えるだろう。

 その後は、たまたまバイクでその地を訪れた新聞記者の口利きでトルコへの移住話が持ち上がり(ホントかな?)、ペシャワールで暮らしていたカザフの民は、トルコを目指すことになるのだが、そちらは冒険と言うより政治的な話になる。

 結果として、彼等はトルコで安住の地を見つけた訳だが、トルコでは主に皮革業に従事することとなり、一定の成功を得た人もいたようだが、そのかわり遊牧生活には終止符を打っている。既に陸地には無数の国境線が走る現在では、遊牧という生活はもう成り立たないのかもしれない。

 ただ、この話を「近代の政治に翻弄された遊牧の民の悲劇」と理解してしまうことにはやや抵抗がある。おそらく筆者も、そういう視点でこの物語を記したのではないだろう…と思う。
 特に、本書前半に描写されている、戦乱と逃亡、時には襲撃を伴う生活は、古来より行われてきた遊牧生活そのものの姿なのだろう。そういう意味で、本書で描かれているカザフの姿は、国境が無かった時代の遊牧らしい遊牧民最後の、リアルな記録を参照できた貴重なドキュメントではないかと感じた。

 本来の遊牧民の姿、そしてあまり語られることが無かった20世紀初頭の中央アジアの政治状況、そしてイスラムの人達の心温かさ…様々な視点から楽しむことができて、やや高価ではあったがとても面白い本であった。価格に抵抗を感じる人は、図書館で借りて読んでみるといいかもしれないね。

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▼2012年01月22日

ドゥーエ/制空

E1222791.JPG 軍事マニアではないとあまり馴染みがないと思う。ドゥーエとは、20世紀初頭にイタリアで活躍した軍人で、軍事思想家でもある。

 当時、第一次世界大戦で使われ始めたばかりの「航空機」を、本格的に軍隊のシステムに組込み、その作戦は陸軍や海軍の補助的な役割では無く、明確に独立して作戦を立てる組織を作らなければならない。つまり「空軍」という組織が必要である…と訴えた人であった。

 いまでこそ「陸・海・空」の3軍体制は先進諸国では常識ではあるが(アフリカの最貧国だと「空軍」をもてない国軍もある)、第一次世界大戦が終わった当時、航空機を独立した組織の元で運用する…という考え方は、反対というか多くの人は気がついていなかったのではないかと思う。

 空では、既にフォッカーを操るレッドバロンと呼ばれたリフトフォーフェンが撃墜王として活躍していた第一次世界大戦当時ではあったが、ワイヤーと布貼りのボディや主翼をもった飛行機が主力戦闘機として残っていた時代である。戦略爆撃などという思想は、確かに散発的にはドイツ帝国のゴーダGなどで行われたことがあるが、極めて限定的、実験レベルを超えない、作戦などとは呼べないレベルの話であった。

 その時代、ドゥーエは明確な「戦略爆撃団」を思想し、その運用母体としての「空軍」を組織することを呼びかけ、また、敵国内を自由に飛べる権利を戦争の初期段階で奪い取る「制空」という概念を確立した。その論文の翻訳が本書である。

 内容的には当然古い部分、現在の情勢には合致しない部分は沢山ある。特に対空攻撃兵器の進歩について、ドゥーエの予測は、その当時の技術の情勢にも通じていないように感じる。また、当然レーダーなどという近代防空設備は予想も出来なかったのだろう。

 しかし、戦争初期の段階でまず敵国の空を支配し、護衛機と多数の戦略爆撃機(ドゥーエは航空戦力は基本的に戦略的だと語っている)で敵国の奥地に進入し、通常爆弾・焼夷弾・そして毒ガスで構成された戦略爆撃を行えば、その被害は甚大な上、敵国民の士気を多いに削ぐことが出来、戦争を短期で収束させることが出来る…という思想は、彼が考えたほど楽観的では無いにせよ、第二次世界大戦でアメリカ軍が行った戦略爆撃、そしてその後のベトナム戦争(成功ではなかったが)、更に世界史上でもっとも成功したといわれる作戦、湾岸戦争・イラク戦争でも遺憾なく発揮されている。

 現在のアメリカ軍は、まず敵国の空の自由を奪い、航空優勢(現代戦では「制空権」とはいわない)を維持した上で、GPSを使った精密誘導弾で敵国軍の活動の自由を奪う。その上で圧倒的な火力をもった陸上部隊が、敵の航空兵力による奇襲を恐れる必要なく、自由に活動し侵攻し拠点を占領してゆく。正にドゥーエが100年近く前に描いた「空軍」による制空戦略そのものである。

 私達の日本も、ドゥーエの戦略空軍思想に敗退したと言ってもいいかもしれない。というか、本土による陸上決戦を行わず、空からの攻撃のみで日本はアメリカに屈服した訳であり、仮にその当時ドゥーエが存命だとしたら(彼は第二次世界大戦勃発前に死去している)、同盟国の敗退とは言え、自説の正しさを確信することが出来たであろう。
 ちなみに、空の作戦だけである程度の規模を持った国家が屈服した例は、今のところ太平洋戦争における日本の敗退しかない。ドゥーエが思い描いていた通常爆弾、焼夷弾、による戦略爆撃、毒ガスに代わり核が使われた部分は、制空を執筆した当時は考えも及ばなかったであろう。

 現在、空の戦力は大規模な戦略爆撃から、少量の精密誘導弾で確実に敵の拠点を破壊するやり方に変わってきている。また、レーダーに移らないステルス機の出現は、かつてドゥーエが考えていた「飛んでしまえば地上からの索敵は事実上不可能に等しい」という、100年前の空に近づいてきているようだ。
 都市を大規模に爆撃し敵国民を恐怖に落とし入れる作戦は現在では実行しにくくなりはしたが、先進国は、敵国の空を支配し、その上空を自由に作戦を行う権利を奪取することをドクトリンとしている事に変わりは無い。こんな時代だからこそ、空の作戦の基礎となった「制空」は、もっとたくさんの人に読まれるべきだなと思った。

 残念ながら、この「制空」については、戦前に日本軍が教本用として『制空と将来戦』として訳された例があるだけのようだ。私も日本語訳になっているとは最近まで知らず、ふと、この「戦略論大系」という書籍のシリーズに収録されているのを知ったばかりである。

 日本では軍事に関する書籍・リソース全般が諸外国に比べ圧倒的に不足しているらしいが、そんな中で地道に軍事思想の古典を翻訳してくれる出版社には頭が下がる。少部数発行みたいなので割高だが、空の作戦に興味がある人は、読んで損はしない内容の濃さであった。

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戦略論大系(6)ドゥーエ/瀬井勝公・戦略研究学会

情報の呼吸法/津田大介

E1222790.JPG ツイッター王子でお馴染み、津田大介氏の新刊です。

 ザックリと読んでみたのですが、面白かったです。ツイッターのいい所は「誤配」というのも面白い視点で、それがある種可視化しやすいのが、逆にメディアとしての信憑性を高めている…というのが私の持論だったのですが、概ね彼も同じような事を考えているようです。

 みんなが割と適当なことを思って書いて、基本はそれを眺めているだけなんだけど、面白いと思った情報は拡散していくし、間違いはRTで訂正されてゆく、そういうメディアのいい意味でのリテラシーがリアルタイムで起きてゆく所がツイッターの本当にいい所だと思いますね。この気楽さは、ブログは当然、FacebookでもGoogle+でもあまり得られないことかなと。

 それと、彼が「政治」のメディアに取り組みつつあるという話が出ていて、私は応援したいなーと思います。つかね…みんな日常で政治を語らなすぎ。「ブログで政治ネタはタブー」なんて言われてることと自体、日本の有権者は為政者から馬鹿にされているんですよ。

 喜楽に読める分量の割に、普段主にネットで情報を得ている人や、ツイッターやら何やらのSNSを使ってる人は、読んでみてもいいかと思います。つか、直接会える仲の人なら、私は読み終えたので、事前に言いつけて頂ければ、この本差し上げますよ(笑)

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▼2012年01月09日

知らぬ間に漫画デビューしていた(笑)

 いやまぁ…それだけのことなんですけどね。

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 ぶんか社から発売されている本当にあった笑える話という「山モコ」という漫画内の一コマ。山ガール目指す皆さんにとっては、山の楽しさと辛さがストレートに描いてある漫画なので、皆さんも読んでみてね。

 ちなみに、実際の自分はこんな可愛らしい感じじゃなく、もっとヒネた顔してるぜ(笑)

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ジョブズ伝説/高木利弘

20120109_01.jpg 今出版界ではジョブズ本バブルで、よく見るとこれジョブズ関係ねーんじゃ…という本まで散見されるようではあるが、こちらもそんな本の一冊かと思っていたら、なんとあの「MAC LIFE」を創刊した高木氏による著作ではないか!こいつはただの便乗本ではなさそうだと思い、早速買って読んでみる。

 当然ながら、内容は伝記のスティーブ・ジョブスと被る部分が多いのであるが、こちらの本はもう少し製品寄りというか、公人としてのジョブズについてフォーカスしている内容となる。様々な著作からの引用も多く、伝記版ジョブズからの引用もあり、より精緻にAppleとジョブズという人間の功績を追って行こうという姿勢なのかな?

 むしろ、今回の死去により、初めてジョブズという人間に興味を持った人は、こちら側の本を先に読んでから伝記にチャレンジした方が、内容がわかりやすいかもしれない。 

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ジョブズ伝説/高木利弘

▼2012年01月08日

自然の観察/昭和16年:文部省著作・発行

20120108_01.jpg 農文教から発行された、戦前、昭和16年に旧文部省から発行された、教師向けの理科指導要綱をまとめた本。

 専門書ではあるが、何となく立ち読みしたら、その内容の素晴らしさにビックリして思わず購入してしまった。

 カバーの裏折りには“「自然の観察に教科書は不要。強いてつくれば教師は教科書で指導して、子どもを屋外に連れ出すことをしなくなる」という趣旨から、教師用書のみを作成。”とある。

 内容はもう、指導書と言うよりはもはや文学と言いたくなる素晴らしい文章も、例えば第20課「とり入れ」では、

 このころの特徴ある野山の情景には、高く澄みきった大空や、田の面を伝わる黄金の波、みのった穂のおもおもしく垂れた様、ひびく鳴子に飛び立つぬむらスズメ、快く響き渡る脱穀機の音、せっせと働く村人の姿などがある。これらの情景に接しさせて、児童の心にみのりの秋を印象づけるように努める。

 などと、まるで農村の情景が目の前に広がってくるような名文だ。他にも季節毎の草花、虫、鳥、動物などへの記載も、目の前に季節の風景が思い浮かんでくるような書き出しから子ども達への指導について書かれている。

 こういう身近な自然への知識は、子ども達だけではなく、私達大人もすっかり忘れてしまった部分が多い。私も読み進めるにあたって「なるほどなるほど…」と思いながら読ませて頂いた。そして、一度読んでおしまいではなく、季節毎に該当の章を読み直してみようかなと思っている。

 この文章は戦前の日本で書かれた教科書。しかし、内容には軍国的・全体主義的匂いは全く含まれず、ただ目の前の自然に対して謙虚に科学的に観察されている姿勢は、戦前の学校教育へのイメージを覆す進歩的なものだった。このまま今の学習指導要綱に使ってもなんの問題もない、とても濃く、美しい指導書だ。

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復刊・自然の観察/文部省:日本初等理科教育研究会・日置光久

▼2012年01月05日

人生がときめく片付けの魔法/近藤麻理恵

20120105_01.jpg きっかけはこの記事を読んだことだったんですけどね、面白すぎますこの本。

 片付けのヘンタイ、片付けヲタクを名乗るだけあって、部屋のお片付けに対する情熱というか、本当に好きなんだなあ…というのがストレートに伝わってきて、部屋片付けるつもりない人でも、単に読み物として面白いです。
 著者が子供の頃の、片付けにまつわるはちゃめちゃな生活も実に楽しかった。

 ときめくか、ときめかないか

 が、モノを捨てる基準だそうで、ある意味判りやすく、判りにくくもありますが、ガラクタに囲まれて暮らしているのが落ち着くワタシにとっても、ストレートに伝わりました。実際に読後、ちょっとやってみようかなと思って、大きな段ボール一杯分ゴミを出しましたから。

 しかし、片付け好きが興じて家中のお片付けをしたあげく、

当然ながら家族から大変な非難と抗議を受けた末、ついに私に「片付け禁止令」が言い渡されました。

 とかすごいよね。大体、家族から片付け禁止令を言い渡される女の子なんて、世界でもこの著者くらいなんじゃないだろうか。

 片付けのヘンタイが語るだけあって、従来お片付け本のぬるさと違い「片付けは祭り、一気に短期に完璧に」とか「捨てるを終わらせるまでは収納を考えてはいけない」とか「片付けしすぎで病院に搬送されました」そして「片付けは嘘をつかない」とか、キャラ立ちまくり。
 この著者、巫女の経歴もあり、お若くて可愛らしいお姿なので、正直アニメ化すれば、新ジャンル「片付け」という萌え路線でも勝負できるのではないかと思うくらい(笑)。じゃんじゃん捨てまくりながらも、モノへの愛情が満ちあふれているのも好感度高いです。

 ま、綺麗な部屋に住むのも、いわゆる“汚部屋”に住むのも、人それぞれではありますが、お片付けが目的にすり替わってるような本が多い中、本当の人生は片付けが終わった後に始まる…とか、不覚にも目頭が熱くなるようなまとめもあり、さすがベストセラー、よく出来ているなーと思いました。

 部屋の片付けなんて興味ない…って人にも、とにかく面白かったので是非。

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▼2011年12月31日

レーシングカー|その設計と秘訣/レン・テリー:アラン・ベーカー

20111231_01.jpg 1975年に出版され、そのあとがきにですら「原書(英語版)が出版されてから1年以上経っているので内容は色褪せている」との断りがある。しかし、レーシングカー、いや、あなたの車がどんな風に設計され、どのような狙いで作られているのかを知るのには、非常に勉強になる本。

 この本、二玄社では既に絶版で、古本屋を探すしかないのだが、先日ブックオフで偶然発見!速確保。購入後近所のスタバに駆け込み、速、読み始めた。

 勿論、この本に記されている内容は、自動車設計者からすれば、基礎中の基礎で、専門家にとっては既知の内容ばかりなのかもしれない。ただ、私達一般のクルマ好きが読むには、内容も理解しやすく、また、1960〜70年代のレースが好きな人にとっても、その雰囲気が伝わってくるようで、ワクワクする。

 チャップマンストラットの利点と改善点、また、幅広タイヤ時代になり、WウィッシュボーンAアームはどうしてオフセットするようになったのか、オーバーステア気味のクルマを小改良でアンダーステアに調整するにはどうするのか…などなど、レースの実践の現場や、また、自動車のアナログ部分の作動原理が判りやすく理解できる。車の運転に興味がある人に広くおすすめできる内容だ。

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レーシングカー|その設計の秘訣/レン・テリー:アラン・ベーカー:武田秀夫

▼2011年12月28日

楽しい写真/いしたにまさき・大山 顕

20111228_01.jpg 白状しますが、渋谷のブックオフで購入しました。「謹呈」の栞が挟まったままで…みんなたるんでるよ!と言いたくなりますが、ま、いいでしょう。
 著者はブロガーでおなじみのいしたにまさき氏と、団地写真などで有名な大山 顕氏です。

 ということで、副題にはソーシャルメディアがうんたらかんたらとありますので、いわゆるデジカメで撮影した写真をネットに云々とい本かと思っていたら、大山氏の写真についての記事が、思ったよりも為になったというか、我が意を得たり!と思って、かなり面白かったです。

 自分は、いわゆる「銀塩」時代の写真表現と、デジタル時代の写真表現というのはかなり違うはずだ…と思っていて、写真をそういう視点から定義しているメディアは、既存写真+カメラ雑誌、デジカメ雑誌を見てもなかったのではないかと思っています。というか、絞りとシャッター速度と露出補正と構図…とか、デジタルの時代にはそんなモノに縛られる必要はないんですよね。

 かくいう私も、これは銀塩時代から心がけていた事なのですが「写真ぽい写真を撮りたくない」とはずっと思っていまして、被写体や構図的に安定した写真よりも、その場を記録した像がほしいんだよなぁ…とずっと思っていて、だから、初めてデジカメを買った時はもう嬉しくて仕方なかったです。それこそ現像代を気にせずに「へんなもの」を撮ってもいい訳ですから。

 その他、写真は公開されてこそ生き残る…というのも、ネット時代というかクラウド時代の新たな価値観かもしれませんね。本書を読んで、自分もあまり活用していなかったflickerへ大量に写真をアップしたのですが、そうすると、今まであまり反応がなかった自分の写真にも、★を付けてくれたりコメントくれたりする人がチラホラ出てきて、プロアカウント取得しちゃうか!と思っている最中です。

 勿論、従来の価値観における名作写真やアートな写真というのは、全く価値を失っていない訳で、それはそれで、また違った位相の写真の楽しみ方として残っていくのでしょう。
 ただ、デジタルカメラを使った写真の楽しみをこんなにわかりやすく解説してくれる本は珍しいのではないか?と思って、広く皆様に読んで頂きたいと思う次第ですよ…なんて、ブックオフで買ってあまり偉そうな事も言えませんが(笑)

 ちなみに、私は写真家さん達について、あまり知識がないのですが、知っている程度に好きという写真家は、ミーハーですが森山大道、そして、私が密かに目指したい写真の境地というのは、宮沢常一だと思っています。彼が日本中をオリンパスペンで撮影した写真は、芸術性は全くありません。ありませんが、あの日のあの場所をありのままに記憶に残すそのスタイルは、本当に見習いたいなと…。

 今はデジカメの起動も速くなったし、バッテリも長持ちするようになりましたし、大体フィルムに当たるメモリカードは、GB級が1〜2,000円程度で売っている時代です。迷うくらいならシャッターをバシバシ切って、どんどん何処かに公開しましょう。きっと、それはデジタルとネット時代に生まれた新たな写真の楽しみ方なのですから。

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▼2011年12月27日

愚管抄を読む/大隅和雄

20111227_03.jpg 愚管抄とは、鎌倉幕府成立初期に慈円という僧により書かれた歴史書。神代から承久の乱当たりまでを記した歴史書。この書が承久の乱以前、以降に書かれたかについては、どうも明確な結論は出ていないようである。

 この「愚管抄」が、歴史書として異質なのは、慈円が第三者的視点で正確な歴史を記そうとしたというより、歴史を印ながら世の「道理」をテーマにして書かれているのではないか?と言うような点にある。この辺の解釈について、私は学者ではないので何ともいえないが、そのように感じている。

 内容は難解で、そもそも「愚管抄」の現代語訳を読んでから本書に手を出すべきであったのかもしれないと、ちょっと反省しているが、中世日本のなかで、僧によって起こされた歴史書という特異な雰囲気は何となく伝わってきた。
 機会があれば、本書の著者による「愚管抄」の現代語訳があるそうなので、読んでみようかなと思う。

 さて、くるくると首相が交代し、公務員による腐敗を全く解決できない今の時代、慈円の言う「道理」はきちんと存在しているのだろうか。

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オオカミの護符/小椋美恵子

20111227_01.jpg 関東の武蔵野地方でよく見るオオカミの貼り紙。実は私も以前何処かでこの貼り紙を見たことがあり、確か写真を撮影していたと思うのですが、探し当てられませんでした。秩父方面の山に行った時だったと思うけど…。

 舞台は神奈川県川崎市宮前区土橋。今では東急沿線沿いたまプラーザ駅も近く、すっかりセレブ…まではいきませんが、大企業正社員生活安定の幸せ勝ち組さん…達(笑)が住む町に変貌していますが、この辺り、本格的宅地開発が始まる前は、武蔵野台地の一角としてのどかな田園風景が広がっていました。そこにあったオオカミ信仰を追っていく書となります。

 この「オオカミの護符」元々はドキュメンタリー映画だったそうです。本書はその書籍化となり、映画の内容を文章で紹介、補完した構成になっているみたい。ま、映画の方は見たことがないのでその辺は何ともいえませんが、本書を読み終えた後、映画の方も是非見てみたいな〜と思いました。

 ちなみに、私も埼玉の端っこに住んでいる身ではございますが、残念ながら自分が武蔵野文化圏に属していると意識したことは一度もありません。よく、関東圏の中世文化は「武蔵野」とひとくくりにされる事が多いですが、おそらく大宮の見沼田んぼ当たりを境に、武蔵野圏と江戸川文化圏に別れるような気がしています。例えば、長塚 節が描いていた「土」を読むと、いわゆる武蔵野文化圏とは全然違うよなぁ…なんて気もしています。

 話はずれましたが、読んでみると映画も是非みたくなりますね。本書の出版を記念して何処かで上映会でも開催されると嬉しいのですが、今のところ、作品を鑑賞するには、ささらプロダクションの直販DVDを購入する以外になさそうです。

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オオカミの護符/小倉美惠子
土(新潮文庫)/長塚 節

▼2011年12月26日

ツール・ド・フランス 勝利の礎/ヨハン・ブリュニール

20111226_03.jpg ランス・アームストロング、ツール7連覇の立役者、ヨハン監督の本です。過酷な自転車レースを勝つための練習方法やエピソードが満載!

 といいつつも、自転車ファンにとっては少し薄口かもしれません。ツールを制するための作戦が系統立てて語られているというより、様々な局面での印象的なエピソードを語っているエッセイ集に近い。タイトルから想像するような、ツールでの采配ロジックを期待するとちょっとハズレで、最強ロードチーム監督の人生論として読めばかなり面白い、という感じでした。

 その分、自転車マニア以外の人にも広くお勧めできる内容です。この本が沢山売れて、日本でもロードレースがもっとメジャーになってくれると良いなと思いました。

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ツール・ド・フランス 勝利の礎/ヨハン・ブリュニール

備えよ!!ロジスティクス・サポートとは何か!/矢澤 元

20111226_01.jpg カンプグルッペ・ゲンブンって、小林源文が立ち上げた出版社なのかな。とにかく、原文タッチの表紙イラストが目を引く「備えよ」という本。ロジスティックを解説している本だそうです。

 ロジスティックス…という言葉は、確定した翻訳語はないと思いますが、日本語では主に「後方支援活動」みたいな意味でとられることが多いようです。こちらの意味が間違いだということは、軍事評論家の江畑謙介氏も指摘しておられ、また以前には自分もこのブログで紹介しています
 私としては、いきなり本書を読み始めるより、江畑謙介氏の「軍事とロジスティクス」という本を読んでからだと理解が早いと思います。本書では、当然ながら戦時でのロジスティックスにも触れていますが、普段の商業活動で大切になる可動率と稼働率の違いと、それを上げるための工夫についてもフィクションを交えながら解説しており、軍事的なことに興味がない人でも充分楽しめるというか、為になる内容です。となると、ちょっとネタモノっぽい表紙デザインが少しもったいない気がしますね。

 あと面白いのが、かつての旧日本軍、陸軍の暴走ばかりが叩かれがちな中、著者の矢澤氏は一貫して旧日本陸軍の合理性を評価しており、特にガタルカナル戦においての海軍のデタラメぶりを指摘しています。ま、どっちが悪いという事も無いとは思いますが、主に点と線で展開し、ある程度の補給物資を自艦の中に携行する海軍に比べ、補給物資は基本携行できず、全て補給部隊に頼らざるを得ない陸軍兵士の方が、その辺はリアリストだったのかもしれません。

 この辺の精神主義、旧日本軍は解体されましたが、社畜とその仲間達へ形を変え、今の日本にもしっかり受け継がれていますね。どうにかならないもんでしょうか。

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▼2011年12月20日

女子学生、渡辺京二に会いに行く/渡辺京二

20111220_01.jpg 「逝きし世の面影」でお馴染みの渡辺京二氏と、女子学生の対談本。本屋で見た時は「あぁ、女子大生と渡辺氏を組み合わせて作った安易な企画なのね」と思って、おおむねその通りだったのだが、それでも渡辺氏の質問に対する答えにはとても光るモノを感じて、思わず購入してしまった。

 はっきりと言わせてもらうが、本書で投げかけられる女子学生の質問は、非常に安易で今風に言えば「厨二病」的項目が多い。ただ、それが女学生…というか若者がその時代に真剣に悩む事が出来る特権でもあるので、ま、そういうものなんでしょう。
 で、そういう若者のある意味くだらない疑問に対し、安易に迎合して「私は若い人の心をわかってますから」的態度をとメディアが多いのに対し、渡辺京二氏は割とばっさりと、常識に沿って切り捨てる。

 例えば第一章にある「子育てが負担な私達」という疑問に対しても「子育てが大変なのは当たり前」とか「旦那が働くのは嫁と子供のため、自分のために働いてる男なんていない」とバッサリ。
 子育てについては不勉強ながら未経験なので何ともいえないが、世の中の男が何故あんなに必死になってサービス残業までして働くのかというと、嫁と子供のため以外あり得ない…ってのは、渡辺氏が言うまでもなく、自分も男だからこそ理解できる真実。
 だって、私を見るとわかるでしょ。適当に遊べる以上の金を欲してないし、自分のためにしか生きてないから仕事すぐ辞めるし(笑)。男なんてそんなもんだよ…自分で守るべき家族がいないとね。
 で、世の中自己表現のために働いてる男なんて何処にもいない中、何故か女はメディアの洗脳なのかなんなのかわからないが、日々の子育てに埋没した自分のアイデンティティが…みたいなことを抜かす。そういう風潮にも渡辺氏は、やわらかい口調ながらもぴしゃりと諭しているのがある意味清々しい。

 他、最終章にある「無名で結構」というのも、今の世代の人間達には再認識すべき言葉ではないだろうか。考えてみれば当たり前のことで、世の中全ての人が、自分の存在意義を実現するために生きている訳じゃないし、そんな事は絶対に不可能。「自分は社会に必要とされていない」という幻想も「自分を必要とする社会なんてそもそもない」訳で、世の中の99.999%以上の人間は、自分以外でも簡単に代替が効く存在でしかない。
 だからといって、好き勝手やっていいという話ではなく、つまり世の中というのはそういうモノで、「自分が将来何になるか」等という悩みは、日本でほんの近代…それもここ数十年の話だけで、その前は極一部のエリート階級以外は、なんの疑問もなく親の仕事を代々引き継いでいただけである。

 昔がこうだったから、今もこんな事に悩む必要はない…と言っている訳ではなく、そういう意味で歴史を学んだり、世の中の見識を広めることが、自己をより相対化して眺めることができ、多くの決断に対してより良い判断ができるのではないか…みたいな事は本書には書いていないが、渡辺氏の結論はその辺にあるのではないかなと思った。

 本書が女子学生の質問だから故に成立した訳は、今の世の中、男子よりも女子の方が生き方のオプションが多く、より悩まなければいけない事が多いからなんでしょうね。逆に男子の方は生き方のオプションがあまりなく、大学3年生頃ともなれば、大企業に滑り込むため必死である。
 あまりジェンダー論を語りたくはないが、近代社会はある種女性の生き方に多彩なオプションをもたらした社会でもあり、そこは男子よりも女子の方が、より勝ち負けがハッキリと区別されている社会なのだろう。

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逝きし世の面影(平凡社ライブラリー)/渡辺京二
女子学生、渡辺京二に会いに行く/渡辺 京二×津田塾大学三砂ちづるゼミ

▼2011年12月18日

磁力と重力の発見1/山本義隆

20111218_01.jpg 科学史を扱った本。

 古代より、重力はさほど意識されていなかったにせよ、ある意味目の前でわかりやすく不思議な現象をもたらす「磁力」に対しては、様々な考察がされてきた。
 そして、地球は丸いと知られていた古代において、私達が球体から落ちたりしない訳は、どうやら磁力に近い力が世の中に存在し、その力はあらゆる物質から放出されており、その放出された力に引っかかった時、モノとモノとは引きつけ合う…そんな感じか。ゴメン、割とながら読みだったので、その辺は違ってるかも。

 西洋世界における科学というのは、古代にギリシア世界で一度ピークに達し、その後ローマの土着信仰に取り込まれ、魔術やまじないと融合し、理論整然とした体系から衰退し始める。更に西洋人達は「キリスト教」という宗教にのみ込まれた時、世の中における科学的視点をほぼ失ってしまう。聖書が科学を否定していたとは思えないが、科学的思想が語られていないことについては、後の人類にとって一種の不幸だったのかもしれない。

 その後、ルネサンス期において、西洋人達は教会と対立しながらも、科学的視点を徐々に取り戻してゆくのだが、その先の話は次の2巻以降になる。正直、読んでいてちょっと退屈ではあったので、続刊を読むかどうかはまだ微妙。

 科学史とは関係ないのだが、当時のイスラム社会の寛容性に対する記述が印象に残る。
 中世ヨーロッパといえば、世界的にはまだ文明の先進地帯ではなく、科学は勿論、文化や経済力においても、イスラム圏に劣っていた時代である。その時代にイスラム諸国達は、ある程度の制約はあるにせよ、自国内でキリスト教やユダヤ教を信仰することを禁じていなかった。逆に現在、科学や文化、そして経済力を西欧社会が独占している時代では、イスラム諸国はかつてより不寛容になりつつある。

 つくづく、歴史とは今を見る鏡だなと思った。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 14-54mm f2.8-3.5


▼2011年12月11日

風の中のマリア/百田尚樹

20111211_01.jpg ヴェスパ・マンダリア、いわゆる、オオスズメバチが主人公の小説。

 ハチが主人公のお話しといえば、みなしごハッチなどが思い出されるが、そういう牧歌的な物語ではなく、主人公であり、ワーカーでもある「マリア」は、その生涯を戦いに明け暮れ、自らの運命に疑問を持たないリアリストでもある。

 あまり書くとネタバレになるので内容には触れないが、とにかく面白く、一気に読んでしまった。ちなみに帯にある養老孟司先生の解説では

「ワーカーは、現代で働く女性のように。女王ハチは仕事と子育てに追われる母のように。この物語は「たかがハチ」と切り捨てられない何かを持っている。

 とありますが、正直何を言っているのかわかりません。物語は徹底してリアリストとして生きる主人公の生涯を追ってゆき、その壮絶な生き様は、男性論とか女性論とか、ンな陳腐なものではなく、読む者に生きる事への意味をストレートに問いかけてくるような気がして、読後感が清々しく、また命についてもマジマジと考えさせられる傑作であった。

 虫嫌いで更に想像力豊かだったりする人にとっては、ちょっとエグい描写があるかもしれないが、本当にお勧め。1〜2時間でサクッと読める分量なので、通勤時のお供にもどうぞ。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


▼2011年12月03日

「フクシマ」論:原子力ムラはなぜ生まれたのか/開沼博

20111203_02.jpg まず始めに認識して欲しい部分は、本書はあの「フクシマ3.11」以前に書かれた文章だという点。しかし、原子力と地方を結びつける問題、そして原子力の近くで暮らしている人達の葛藤の描写などは、あの事故後においても色あせない、鋭い視点で描かれている。というか、フクシマ以前にも、原発関連の問題点を指摘した本は沢山あったが、本作以外であの事件以降でも通用する本はあまりないのではないか?そんな気すらする。
 本書では、そのような「原発と地方」という単純な対立構造ではなく、地方の抱える問題点、原発と暮らす人達の葛藤を描き出す。なかなかエキサイティングな文章であった。

 地方の村が発展し、いずれは都市と同様になるという幻想。戦後の日本社会とメディアは、無意識かもしれないが、そのような思い…あるいはそのような目標を日本の地方に植え付けてしまった。
 今はわらぶき屋根の田舎ではあるが、将来はコンクリートの建造物が建ち、道は真っ直ぐ綺麗に整備され、閑農期には出稼ぎに出る必要もなく、一年中家族が笑って過ごせる社会。言い切ってしまうには乱暴な面もあるが、しかし、バブル期の交付金で日本各地に建てられたハコモノ施設は、権力の癒着構造などでは説明しきれない、コンクリートへの憧れがあった部分は否めないだろう。

 話を福島に移せば、今福島県で原発がある地域は、かつて「福島県内のチベット」などと揶揄されていた場所。農地に使うには生産性が低く、また漁業を行うのにもまともな港が作れない…といった地域である。この地域は私も何度か訪れた事があるのだが、台地状の土地には松林が覆い茂り、付近の小さな浜を巡り争いが絶えず、戦後は日本で一番小さな漁港を作り苦労の末に運用せねばならなかった場所である。今は原発があるから産業があるけど、正直それがなければ何もないよな…と、あの当時も思った記憶がある。
 ちなみに福島県内でもう一方のチベットと言われていた檜枝岐地域は、戦後日本最大の水力発電所の建設に伴い、大幅な県民所得の上昇を達成した時代があった。その評判は、当時の福島県内でも知れ渡っていたであろう。あの当時、日本国民には原発に対するアレルギーもあまりなかったし、東京電力という日本屈指の大企業がオラが街に進出してくることを反対できる雰囲気ではなかったことは容易に想像できる。
 そして、その雰囲気は、あの3.11のちょっと前、世界で反原発が叫ばれていたあの時代でも同様であった。

しかし、なぜよりによって福島原発への恐怖から逃れてきた者が、わざわざ柏崎原発のお膝元に逃げるのか、疑問に持つ者もいるだろう。答えは単純だ。「それ」で喰ってきたからだ。

 この問題、感情的になるとつい「多額の交付金をもらってきたのだから今更被害者ぶられても…」「それみたことか、原発など受け入れるからこういう結果になる」「私達の電気を支えてくれた福島の人達が犠牲になることは許されない」などと語ってしまいがちではあるが、原子力の安全性・危険性・経済価値は別にすれば、都会と地方という、同じ日本国内ではあるが、その環境・価値観の違いを是正したいと夢を見る人達にとっては、ある種麻薬のような政策にも問題があるのかもしれない。そして日本の地方は、原発以外でも様々な助成金をもらっている自治体が今でも数多く存在し、その多くは、役割が終わったから終了しましょう…という議論すら許されない中にある。

 やや位相はずれるが、日本の都市化政策と、ある時点から突き放されたように語られるようになった地方自治。しかし、このシステム、この日本の中で、本当に「地方自治」なんて可能なのか?本書を読むに辺り、そのようなことも考えてしまった。

 装丁は、一定年齢以上のエディトリアルデザインを行ってきた人にとってはヒーローである「戸田ツトム」氏によるもの。以前の作品に比べると大分おとなしいというか普遍的なデザインになってきたが、彼の美意識は、このような社会問題を扱う書籍にはとても向いているなぁ…と思った。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 25mm F2.8


▼2011年11月13日

本音で語る沖縄史/仲村清司

20111113_01.jpg 沖縄の歴史と聞いて思い浮かべるのはどんなことであろうか。
 海の中にある平和でのどかな王国。江戸時代の薩摩による圧政、そして戦中の沖縄戦における悲惨な結末…どれも間違いではないが、どうも「沖縄の歴史」というフレーズで語られる言葉には、何らかのイデオロギーやユートピア願望など、本質以外の部分ががまとわりついているイメージが多い気がする。

 ということで、そのようなイメージで語られていた沖縄の歴史について、もう少しニュートラルな史観で語ろうというのが本書の趣旨。実際、私も日本史に付随する沖縄の歴史についてはある程度知っていても、沖縄の歴史そのものはよく知らない。面白そうなので読んでみることにした。

 読み進めていくと、のどかな海上の王国、貿易立国で人々が豊かに暮らしていた牧歌的なイメージとは少し違い、ま、どこの国も歴史なんてこんなきな臭い面があるよね〜という感じではあった。
 特に琉球王朝への八重山支配について、また悪名高き人頭税については、江戸時代の薩摩在番ばかりが悪者にされる理由もねーよなー、とも思ってしまう。

 気高き海上の貿易立国である琉球史もまた真実ではあるが、常に日本と明(清)の顔色をうかがいながら危うい綱渡りで国家を運営してきたのもまた事実。また、

薩摩の侵攻に始まって、この琉球処分、そして沖縄戦といい、王朝時代からこの島はつねに戦争によって世代わりを重ねてきた

 という著者の文章も、もの悲しいながらも真実である。これは日本国も同じか…。

 位置付けは入門書であるとは思うが、沖縄史についての予備知識がないと、意外と読んでいて辛いかもしれない。私もちょっとわからない部分、わかりにくい部分が多々あった。それでも、ベーシックな知識としての沖縄史の概略を学習できたことは、本書を読んでみて良かったと思っている。

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▼2011年11月06日

自分のアタマで考えよう/ちきりん

20111106_07.jpg 聞けば彼女は有名ブロガーらしいです。私もひょんな事からちょっと前にこのブログのことを知り、丁度本が出版されると聞いていたので、本屋さんに並んでいた本を手に取ってみたら、意外と面白そうなので購入してみました。

 この本に書かれていることは、タイトルの通り「自分で考えよう」という事。データだけを見て考えたフリをするのは止めようということです。よくこういう人いますよね。何となく情報通っぽいけど、実は全てメディアやネットのコピペ情報だったりするような。

 かくいう私も、常日頃「考える」努力はしていますが、残念ながら世間から得られる情報の全てを「考え」ている暇はありません。ただ、データーから得られる結果を自分で考える…努力はしているつもりです。

 例えば本書で語られる自殺率の話。最近自殺が増えています…大雑把に言えばそうなんですが、だからといって行政が「女性の生活相談」みたいな対策を行っても無意味なんです。何故なら女性の自殺はほぼ増えていません。増えているのは、1990年代終わりの経済危機で、経済的な理由で自殺する男性が増えているからです。でも、結果の数字しか見ない人は、こういう現実を知りませんし、また行政に対して無茶な要求もします。また、行政側も知ってか知らずか、本質的な対策を行う事は往々にして難しいので、表層データを鵜呑みにしたトンチンカンな対策を行ったりします。ま、これはある程度確信犯なんだろうな〜とは思いますが。

 ということで、普段から考えること、あるいは考えたいと思っている人にとって、この本は割とサックリ読めてしまうと思います。あ〜そうだよね、と、共感を得られながら読めるからです。

 つことで、折角なので、本書の内容について、私が考えた見解が違う所も書いておきましょう。まず、日本の不景気の所で語られる「日中韓の近代100年の歴史」について、前半50年を全て暗黒時代…とくくってしまっている点。本書は歴史書ではないので仕方ないかもしれませんが、「3国共暗黒時代」と言い切ってしまう所はもう少し考えた方が…と思いました。
 あと、末の方で語られるNHKとCNN、BBCとの違い。違いの方は特に異論ないですが、NHKの報道が震災で変わった…というのはちょっと違うかなと。私が考えるに、あの震災時にNHKが人名つき安否情報を出さなかったのは、第1に被災者の名簿を収集する手段がなかったこと。第2に被災範囲と被災者があまりにも多くて、広域を対象とした放送という手段では全ての氏名を公開することが実質不可能だと判断したから…ではないかと。ただ、教育テレビでは限定的に被災者の安否情報を実名で流していたし、NHK総合とNHK教育の役割分担がよりキッチリしてきたのは、変化かもしれませんね。事象が進行中なので云々…という理由もあったかもしれませんが、チと違うかなと思いました。
 ま、これは何が正しくて間違いか…という話でもないので、本書を読んだ皆さんも、色々な考え方があると思います。

 思考のマトリクス化については、多いに参考になりました。私はこの部分がまるで駄目なんでね。次に企画書書く時には、彼女のやり方を多いに参考にしようと思いましたよ。

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自分のアタマで考えよう/ちきりん・良知高行

ねこモコぐうすか/いさやまもとこ

20111106_02.jpg 猫の飼育書シリーズ第二弾!全てのネコ生活者必読の書!なのかは知りませんが(笑)、そうだよいさやまさんもネコ本出してたじゃん!と思って慌てて購入。
 初版が1998年と古いせいか、本屋さんでもあまり売ってないです。ネットを検索しまくったら、新宿のジュンク堂で在庫を見つけ、ニュートリノの速さ…はもう古いか、光の速さで購入してきましたよ。

 しかし…ネコ好きなのは存じ上げていましたが、改めて読んでみると、想像以上に濃厚なネコ生活ぶりですな〜。このマンガに登場する「ドロちゃん」は、私もよく遊んで頂いております。

 私の家もいろんな動物と暮らしてきましたが、確かに動物を飼っているのか、動物に飼われているのかわからなくなってくることはありますよね。
 そこまで極端な話ではなくても、「動物にお世話されているのは自分だ」ってのは、いつも実感してます。今までお世話になったいぬさんいいたちさんぶんちょうさんいんこさんその他諸々と、今のねこさん達、ありがとうございます。

 ちなみに巻頭グラビアには、登場するネコちゃんの秘蔵写真に混じって、髪の毛の赤い(!)いさやまさん写真が掲載されておりますよ。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro



いとみち/越谷オサム

20111106_01.jpg 「背がちっちゃくて黒髪ロングでメイド服で貧乳で泣き虫でドジッ娘で方言スピーカーで、おまけに和楽器奏者?あんた超人か」という萌え属性ありまくり主人公の青春小説。私も本屋さんで黒髪ロングの萌え絵に釣られて購入。元はケータイ小説なのかな?

 実は越谷オサム氏の本は「陽だまりの彼女」という本を読んでみようと思っていたのです。よく行く本屋さんで面白そうなポップで宣伝されていたので。ただ、何となくあの表紙の絵が気に入らんなーと。
 そんな最中、別な本を買いに訪れた新宿のジュンク堂でこの本を見つけて、メイド絵にフラフラと釣られて買ってしまった訳です。

 で、読んでみたらすげー面白かったんですよ。
 最近の作家さんにありがちなテンポの良い文体で、家に帰ってお風呂で読み始めたら、そのまま最後まで一気に読了してしまいました。フィクションだとわかっていても「わぁも、こんな青春時代おくりたかったんず」と思ってしまう、全編にわたり爽やかな空気に包まれたような雰囲気が良かったです。

 いとっちの「こう、ドキドキして、わぁもあんな具合に言っでみたいなって」ってセリフが、すさんだわぁの心にも、妙に染みこみましよ。人間いくつになっても「なりたい自分」ってのを持ってみたいものですね。

OLYMPYS E-3 + SIGMA 30mm F1.4 EX DC/HSM


いとみち/越谷オサム
陽だまりの彼女(新潮文庫)/越谷オサム

▼2011年11月03日

ネコの飼育書

20111103_01.jpg ネコと暮らすにあたり、飼育書を買ってみる。

 まずはお迎え前に買った「0才からのしあわせな子猫の育て方」という本。いままで犬とイタチは飼ったことあるけど、ネコは初めてなので知らない事が多いだろうと思い、基礎知識の習得のため購入。内容はわかりやすいし、私にとっての初めての知識も沢山あった。

 次はお馴染み野村獣医科の野村先生が書いた「Dr.野村の猫に関する100問100答」こちらの本はどちらかというと副読書的というか、猫暮らすための知識というより、猫という動物の習性と家庭での行動など、ペットとしてのノウハウよりも、猫という動物そのものを理解できるような切り口になっている。

 新しく動物を飼う時は、必ず関係する本を何冊か読んだ方がいい。それに、PC等のノウハウと違って、命がかかっていることなので、私はペットに関する情報について、ネット情報は信憑性を差っ引いて読むよう意識している。特に初めての動物なら、なおさら複数の本での情報収集に努めるべき。よかれと思っているその行為が動物の寿命を縮める原因になっているかもしれない。動物だってされてイヤなことは大体人と一緒だが、一緒じゃない部分も確実にある。

 ちなみに私は、イタチを飼い始める時、当時日本で発売されているイタチ関連の本は全て読んだと自負している(もっとも当時イタチ本は10〜20冊程度しかなかったが)

 今回のネコ本も、もちろんこれで終わりではなく、既に図書館から2冊ほど新たな本を借りてきているし、必要に応じて更に購入するつもり。

 イタチと違いネコはより家畜度が高いので、飼育にあたり専門的な知識は必要無いとは思うが、それでもベーシックな知識は必ず必要だろう。また、ちょっと専門的な知識についても、飼育者レベルの範囲でどんどん収集していこうと思っている。

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▼2011年11月02日

ジョブス伝記・下巻

20111102_01.jpg 上巻に引き続き下巻も読みました。今気がつきましたが、本来は上下巻じゃなくて「I」と「II」でしたね。でも下巻の方が判りやすいと思いますので、その表記で通します。

 本来の発売日は今日ですが、都内の本屋さんでは昨日から店頭に並んでいました。私はお昼過ぎにたまたま寄った渋谷マークシティー地下にある本屋さんで、丁度陳列されている所から一冊頂いてきましたよ。そして、そのまま打合せに向かう電車内で読んで、会社帰りで読んで、家に帰って読んでと、昨日中に読み終えてしまいました。

 上巻と違い、下巻は私達にお馴染みのApple製品が沢山登場します。iMac、iPod、iPhone、iPadなど…どれも最近になって私達が手にした、革新的な製品達です。あまりにも身近な出来事なため、伝記というより雑誌の特集記事を読んでいるような気楽さで読み進められます。
 そんな中で私が特に興味深く感じた部分は、iPod誕生の下りでしょうか。彼等がどれだけ音楽と芸術を愛して、それらとテクノロジーを結びつけるマジックをどうやって発揮してきたのか…とても面白かったです。そして、こういう仕事は、日本企業というか日本の企業人には出来ないだろうなーと思いました。アイディアとか方法論とかよりも、iPodよりウォークマンの方が音質重視で音はいいから〜なんてセンスでは問題外です。こんなんだから日本製のオーディオは…ま、やめときましょう。

 iPhoneに使われているゴリラガラスのエピソードも面白かったですね。まさに、失われつつあるロストテクノロジーが、Appleのおかげでよみがえります。メーカーが1960年代に作ってはみたものの、高品質すぎて使い道のなかったガラスを、Appleは自前で工場まで用意して、その素材をiPhoneの液晶パネルに採用してしまいました。
 それは、私達が今iPhoneやスマートフォンで毎日触れている液晶ガラスです。iPhoneという製品が存在しなければ、こんなに毎日触ってカバンに放り込まれて時には路上に落とされても、輝きを失わないガラスを、私達は手にできていなかったかもしれません。

 本書の結末は、皆が知っているその結果です。最後に彼の口から語られる長目のメッセージで本書は締めくくられます。iPodやiPhone、iPadに電源ボタンがない秘密が明かされて、彼の伝記は終了します。

 ジョブスという人物の評価が定まるのは、この先いつになるかわかりませんが、良くも悪くも、必ずや歴史に残る経営者であったでしょう。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro


スティーブ・ジョブズ I/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二
スティーブ・ジョブズ II/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二

▼2011年10月28日

スティーブ・ジョブズ伝記を読む

20111028-01.jpg 巷では「たけーよ」とか「ぼったくりだ」とか大騒ぎのジョブス伝記。米国Amazonでは$17.88で売っていると聞き、私も日本語版高いなーと正直思っていたのですが、とある出版社勤務の友人から「もちつけ!米国での定価は$35.00だ」と言われ、調べてみたらその通りでした。
 そうだ…海外には再販制度ないから割引されてるんだよね。ちなみに、米国で書籍の価格は一般的に発売直後が一番割引率高いそうで…。いろいろ日本とは違います。

 とにかく、再販制度がある日本での上下巻3,800円はそんなにボッタではないというか、むしろ安いくらいかもしれませんね。敵は講談社じゃなくて再販制度そのものですよ奥さん。

 他、価格以外でも日本語版の表紙デザインにケチ付けてる人達もいて「どうせおまえら本屋でカバーしてもらってそのまま読むんだから関係ないじゃん」と思いました。信者ってのは色々めんどくせーもんだなと。

 で、私もとりあえず立ち読んでみたら、面白そうなので買ってみましたよ。今の私は「ベストセラーを否定しない!」人間になるというのが隠れ目標なので。
 ちなみに写真は猫がメインですが、本も隅っこの方にちゃんと写ってますよねよねよね(笑)

 私が思うに、内容としては、前評判ほど内容がギッチギチに濃いという訳でもないです。だけど、面白いですねー。前半の山場としては、ジョブスがMacintoshを発売する前までかなー。アルテアが発売されたあたりのエピソードは、丁度このブログの記事を読んだばかりだったので、とても興味深かったです。

 また、世に沢山出回っているジョブスの格言について、前後のエピソードを整理して理解できるのもいいですね。有名な「一生砂糖水を売るつもりかい」のセリフについても、そこまでに至るジョブスとスカリーの関係を理解していないと、かなりニュアンスが違った意味として受け止められがちな話でもあります。もっとも、格言なんてのはそんなものですが。

 上巻は、ジョブスの生い立ちとアップル創業までの山場を終えて、ジョブスが沈む所まで。なので、読後感はあまり良くないですが、下巻を通して読むと、きっと素晴らしい物語になるのではないかと期待しています。続きが楽しみです。

iPhone 4s


スティーブ・ジョブズ I/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二
スティーブ・ジョブズ II/ウォルター・アイザックソン(訳)井口耕二

▼2011年10月11日

猫座の女の生活と意見/浅生ハルミン

20111011_01.jpg 初めて読む作家です。渋谷マークシティ地下の本屋さんでなんかのフェアやっていて、その中に並んでいた一冊。何となく立ち読んでみたら面白そうだったのですがその時は買わず、一週間位してから「やっぱり、買お」と思って買いに行ったのでした。

 ハルミン氏の本業は、今をときめくイラストレーターだそうで、その方が書いているエッセイなので、さぞやオサレで小粋な文章が…と思っている方もいるかもしれませんが、そんな事は全然なくて、基本くだらねー事しか書いてありません。
 うんこの話が出来る大人の男はカッコイイとか、古本屋で「猫かじり跡あり」という本があったら絶対買うとか、そんな感じ。今風にいえば“ゆるい”と言われるのかもしれませんが、私的にはくだらねーという印象の方が強いです。いい意味です。

 そんな中でもさすがプロのエッセイスト、ハッとする言葉というのは何カ所かちりばめられていて、特にドキドキした文章が、

「こんなシャクリかたをすればキリコの流れはいいけど刃先がもろい。こうすれば逆に刃先は丈夫だが、キリコがあぐらをかくから、切れ味が悪い。わかったか」わかりません。わからないからかっこいいというもんです。

 という下り。いや…ここだけ取り出してもホントに訳わからないと思いますが、これは「春は鉄までが匂った」という本に登場する渡り旋盤職人、平松さんの話…だそうです。
 「わかりません。わからないからかっこいいというもんです。」なんて開き直った文章、なかなか書けそうで書けるもんじゃないすよね。ここの下りは読んでいて興奮しました。ドキドキと。

 思うに、私が女性エッセイストの本を比較的好んでいるのは、こういう無秩序な中にあるキラリと光る言葉を見つけるのが大好きだからなんだろうなーと思います。
 男性が書いて出版するエッセイというのは、一件くだらなく見えても、実は生き方に1本の芯が通っている系とか、無秩序に見えるエピソードだけど、通して読むとひとつの目標に向かっている様に見えるとか、そういうくだらなさを装った隠れお役立ち商品的なモノが多い気がするのに対し、女性が思い切って書くくだらねー系エッセイというのは、本当に無秩序で、自分の後の人生において特に知らなくてもいい知識がくだらない感じでちりばめられているような気がして…って、超ステレオタイプに書いてますね。ごめんなさい。つまりそういう感じです。とにかく私がエッセイというジャンルに求めるモノは、そういう文章なのです。

 何を言ってるかわからなくなってきましたが、つまりそういう本が好きな人にはお勧めです。

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猫座の女の生活と意見/浅生ハルミン

▼2011年10月02日

電撃戦・グデーリアン回想録(下)

20111002_01.jpg 以前購入した上巻に続き下巻も購入。グデーリアンにとって上り調子であった上巻と違い、下巻はドイツの敗戦に伴う記述になるので、展開はちょっと重め。一度罷免されたブリッツクリークの創始者が、ヒトラーの取り巻き達により、無謀に展開を広げすぎた東部戦線の後始末に翻弄する姿は、なんだか悲しくなってくる。

 その中で興味深いのが、ヒトラーとの直接やり取りの記述でしょうか。もちろん、近代の軍事的知識に欠けるヒトラーに対して、グデーリアンの進言はことごとく取り下げられるのだが、それでも彼がヒトラーに対してアレだけハッキリと物を言い、またヒトラーもうざったいと思いながらも、彼の任務を解こうとしない(最終的には無理矢理休暇を取らされるのだが、それがグデーリアンにとって幸いした)その姿は、ヒトラーという人物に対する研究資料としても興味深いのではないか。
 グデーリアンのヒトラーに対する記述を見る限り、彼はスターリンや毛沢東ほどの独裁絶対主義者でもなかったようにも思えた。

 また、晩年のヒトラーが狂っていく様は、彼自身の性格にも起因するとは言え、過度な薬物摂取による精神障害などにも要因はあるのではないかと、割と冷静な分析をしているのも面白い。
 このあたり、絶対権力者に対する薬物汚染の関係は、ヒトラー以外でももっと研究されるべきなのかなと思う。

 下巻の終わり1/3は付録に費やされていて、ドイツ軍団長や師団長の名前リストなど、ガチの戦史研究者にとっても貴重な資料。そこまでではなくても、各戦局における作戦地図は、本文を読み進めるにあたり、大変役立つ資料である。

 戦史としても楽しめ、また、近代陸軍運用思想の祖である個人の回想録として貴重な一次資料である。とてもエキサイティングな本であった。戦史に興味がある方には、広くおすすめしたい。

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電撃戦―グデーリアン回想録(下)/ハインツ・グデーリアン

▼2011年09月24日

弱ペ!

20110924_02.jpg 自転車マンガと言えば、シャカリキの方はリアルタイムで読んでいたのだが、「弱虫ペダル」の方は今まで全然読んだことがなかった。でも、自転車乗りの方達は結構読んでいるようだし、面白いのかなーと思って、何となくTwitterで「弱ペ」って面白いの?とつぶやいたら、なんとN氏から「15巻まであるから送るよ〜」とのレスが。

 おー、これってなんだか、Twitterが流行始めた頃に「仙台駅付近で泊まる所がないんです」とのつぶやきを見たホテルの人が「お部屋一室開いてますよ」とつぶやいて新規顧客を獲得したとかいう、そんなネットとソーシャルが連動した新しいマーケティング的なユーザーエクスペリエンスがイノベーティブな流れに…みたいな!何言ってるか自分でも判らんけど(笑)、とにかくこういうネットの展開っていいよな〜と。
 いや、本を送ってもらうことも当然うれしいんだけど、なんだかよけい感動しちゃってすごくうれしかった。

 つことで週末に届いた「弱虫ペダル」、15巻まで早速読んでみましたよ。
 ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんけど、思ったのは、主人公が弱虫なのって初めの1〜2巻位までで、後はなかなかしっかりしてるじゃん!というのと、自転車が判らなくても、腐女子向けには渚カオルも登場しますし、設定考察厨の方にはちゃんと使徒まで用意(笑)されているので、皆で楽しめますっつー事か。
 後になって冷静に考えてみると、お話しのプロットは単純極まりない根性モノと言えなくもないのですが、そこはやはり自転車乗りである私、もうストレートな話だからこそストレートに感動しますよヒメなのだ。

 現在は19巻まで出ているらしいので、早速今日のドライブの帰り道に買っていきたいと思います。果たして使徒とのゴールスプリント争いは、どんな結末になるんでしょうね。

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▼2011年09月12日

今日もごちそうさまでした/角田光代

20110912_03.jpg 初めは特に買おうと思っていた訳ではなく、ただ、アマゾンで掲載されていた紹介文に心をちょっと揺らされたのです。で、その様子をTwitterでつぶやいたらこのようなRTを頂いたので、これはやっぱり買ってみようと思い、打合せ帰りに恵比寿アトレにある有隣堂へ。

 有隣堂に並んでいた「今日もごちそう〜」は、何と著者によるサイン本でしたよ。早速購入、電車に乗ってすぐに読み始めました。

 しかし…食べもののことだけでここまで色々書けるってすごいよな〜と思います。

 私的には、女流作家の方達って、自身の作品内で「たべること」に関する描写がうまいというか、ある種フェティシズムに似た何かを感じさせる人が多いよな…と思うのですが、角田さんの小説はどうなんでしょう。実はこの作家さんはエッセイしか読んだことないのです(笑)。それはさておき、アマゾンの紹介文にもあった、

朝7時、昼12時、夜7時。失恋しても病気になってもごはんの時間にきっちりごはんを食べてきた。

 という言葉は、押しつけがましくない形での命への執念を感じたような気がして、キュンときました。

 一応Webの連載だったので、こちらでもまだ読めるのですが、本の方は加筆修正されているとのことなので、興味のある方は是非。

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▼2011年09月04日

山がわたしを呼んでいる/浅葉なつ

20110904_01.jpg 今流行の山ガール的小説がついに電撃文庫にも登場!おぉ、山小屋を舞台にした異世界からの悪魔と落ちこぼれの萌え神様が繰り広げる上を下へのドタバタコメディー!?…という訳ではなく、割とまともな山が舞台の青春小説であった。

 物語の始まりは、山に対する知識ゼロだけど気だけは強い女の子が、何故か色々あって山小屋のバイトをするようになるというお話し。
 ラストにかけて、特に劇的な展開があるとかそういう話でもないのだが、割とすんなり読めてしまい、ちょっと山に行きたい気分になれる、読後感が清々しい小説だった。

 山に興味がある人も興味がない人も、この手のジャンルにありがちな、小難しい内容ではないので、気軽に読んでみては如何でしょうか。

 ちなみに、表紙だけはちょっと萌えっぽいイラストがありますが、中に挿絵はありません。

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▼2011年08月30日

電線一本で世界を救う/山下 博

20110830_01.jpg オーディオやってると、コンポやスピーカーをつなぐケーブルの品質にこだわるのは当たり前なのだが、そんな事すら認めない(認められないほど耳が悪い?)人が今でも多くいる。

 ま、確かにオカルトが跋扈するオーディオ業界だというのは私も認めるが、だからといって、ケーブルで音が変わらない…と言っている人は、困った事に、まるで自分達が科学的思考を持った科学を代弁するような口調で「音は変わらない」という。ここまでなら「勝手にすれば?」と思うのだが、そういう閉鎖的思考を持った人たちが、実際の科学技術の発展を阻害しているというのなら大問題。

 クルマのアースチューンについては、最近チラホラと聞かれるようになってきている。ただ、実際にアースチューンしたと言っている人達の車を見ると「こんなんで大丈夫なの?」という施工がほとんどで、更にそういう人達の車に限って「なんだか調子が悪い」とか、しょっちゅう言っている気がする。ちなみにアーシングの弊害については以前もこのブログで書いた。その通りだと今でも思っている。

 で、この本。実はこの人の影響を受けた(?)人が行った、銀線裏打ちをしたオーディオ機器は、確かに音が変わった。友達でも銀線の接続ケーブルにはまっている人は何人かいたし、その効果も耳で確認した。
 そのノウハウを自動車のアーシングにも応用すると、燃費改善や排ガス削減の効果があるらしい。私にはこの効果が「絶対にある」とは主張できないが、オーディオの経験からすると、何らかの効果があってもおかしくないと思っている。だからこそ、是非、もっと色々な場所で検証を重ねて、それが正しいのかを実証してほしい。そして、正しい自動車のアーシングについての効果を、もっと広めてほしいと思う。

 また、本書で言うとおり、そういう未知の現象へのチャレンジが、今の日本の技術者にかけているとするならば、日本の技術者達はすっかり科学的思考を失ってしまったのではないかと、別な位相からも心配してしまう。是非、健全な科学的思考を取り戻してほしいものだ。

 大体、アースの具合でクルマの調子が変わるなんて、ちょいとクルマをいじってる人からすれば、もう常識に近い。MGFになってからは、一応コンピューター付きの精密機器(笑)になったのでやっていないが、オールドミニに乗っていた時は、何度もアースポイントはいじったり磨いたりしていたもんだ。

 ちなみに、どうしてケーブルで音が変わるのかについても、本書では簡単に推論が書かれている。ケーブルの効果を信じないオーディオマニアの方も、一読されてみては如何でしょうか。

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▼2011年08月28日

モノが語る日本対外交易史/シャルロッテ・フォン・ヴェアシア

20110828_01.jpg 7〜16世紀、日本国号が成立した頃から戦国時代前位までの日本の交易史を語っている本。政治的側面からではなく、主にモノを中心に語っているのが普通の歴史書とちょっと違う所。今をときめく藤原書店から発行されている。

 日本における大雑把な対外交易を記すと、八世紀までの日本は外国の知識や技術の導入が中心。その後十二世紀までは唐物の輸入、十二世紀以降は中国銭の膨大な輸入に切り替わり、十四世紀以降は逆に日本からの輸出品が増大している…そうだ。
 この品目は、日本国の国家成長とぴったりリンクしているのが面白い。特に八世紀頃の日本は、まだまともな中央政府が存在せず、その行政システムを中国に学んでいたことが多かったからね。

 その後、唐の工芸品が珍重される時代になり、その時代は割とすぐに去った後、今度は通貨輸入という、今の日本同様原材料を海外に求める政策に変わる。その後は日本の優れた工芸品が中国や朝鮮で盛んに求められるようになった。昔から日本は物作り国家だったんだな〜と。

 例えば日本刀は、工芸品はもちろんのこと、いわゆる[数打ち」と呼ばれる日本国内では大量生産品扱いされるような製品でも、中国ではかなり高額で売れたらしい。その他、扇子というのは日本人の発明で、時の皇帝がその日本の扇子を臣下に賜るようになってから価値が上昇し、更にその扇子はシルクロードを通りヨーロッパにもたらされたという。日本人としてはなかなかロマンを書き立てられる話だ。

 当時の貿易について、中国(明)と朝鮮は、政府主導の貿易コントロール、日本はむしろ政府が主導しないやりかたで貿易が進められていたというのも面白い。そのため当時の日本人は、勘合貿易(学校で習ったよね)で決められた量を無視して、盛んに中国に物資を輸出しようとしたし、また中国側も、そういった日本の姿勢を無視することもできず、国家の予算を圧迫しながら交易を続けたようだ。
 こういった中国の姿勢は、日本を思いやったというより、当時まだ朝貢貿易思想が強かった中国側の都合らしい。つまり、はるばる皇帝の徳に感服して朝貢してきた周辺諸国を無下に扱えば、皇帝を中心とした中華思想の秩序にも悪影響がおきるという考え方。

 一風変わった歴史観を得る助けとして、なかなか面白いのではないでしょうか。

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モノが語る日本対外交易史/シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア

▼2011年08月14日

LONG RIDERS

20110814_01.jpg 「ロングライド・ブルベをテーマにした自転車同人誌」らしい。私が買ったのはVol.1だけど、もうVol.5まで出ているのね。割と分厚いくせに、今流行の○○少女的同人誌と違い、あれげなイラストがちりばめられながらも、誌面はびっちりと文章で覆われている。お値段は1,500円位だったけど、これならなんだか割安な感じ。

 まだ全部読んでいないのだけど、じっくりと読みふけりたいと思います。あと、も少し体重絞ってまたツーリングにいきたい。

 ちなみにこの本は、秋葉原の「COMIC ZIN」というお店で買いました。このショップはいわゆる「美少女系同人誌」の他に、こういう読み物系同人誌を多数扱っていて面白く、私もよく寄るお店です。

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▼2011年08月13日

インク壺/増田れい子

20110813_04.jpg 暮らしの手帖で連載されていたというエッセイ。奥付を見ると昭和63年11月に発行された本のようだ。つまり、昭和が終わるちょっと前の雰囲気がこの本には詰まっている。

 例えば「屋根」というタイトルの章では「屋根というのは、伝統的にその土地にもっとも豊富にある材料、草や木でふかれてきたものらしい」とあり、ああ、なるほどなと思う。また「ふかれて」という言葉もなんだか懐かしいような初めて耳にするような、そんな雰囲気だが不思議と意味はわかる。言葉って面白い。
 他「ポケット」という章では、「男たちが女達より敏しょうなのは、ポケットを付けているからだと思う」とあり、そういえば、最近こんな男たちって見なくなたなぁ…なんて思ったりもする。

 全編にわたり、丁寧な文章から著者のきちんとした性格が伝わってくるようだし、また、そんな中に終わりつつある昭和のあの時代をほっこり(用法違い)と感じる事ができる本。

 今では古本でしか手に入らないようだが、何もすることがない休日の午後など、のんびりとお茶しながら飲むのに、とても良い本だと思います。

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インク壷/増田れい子

渋谷東急古本市の収穫

20110813_02.jpg ただいま行われている、渋谷東急での古本市。ふらりと寄ってみて4冊ほど収穫してきた。

 まずは、あのオーディオ評論家長岡鉄男先生の「ステレオハンドブック」。その次が、アメリカで大ヒットしたオーディオ解説書と言われる「オーディオの神話を剥ぐ」という本。こちらは両方とも500円。あと、暮らしの手帖社から出ている「インク壺」というエッセイ。こちらのエッセイは昭和63年発刊のもの500円。最後は「中世都市十三湊と安藤氏」という本。こちらが少々高く2,100円だった。

 古本屋に行くのと違い、古本市で本を選ぶのは、自分でも思いの寄らないジャンルの本を買うことが多いこと、また、そんな出会いが多いことだと思う。
 古本市は8月の17日まで開催されているそうなので、渋谷にお寄りの方は是非。

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自分の仕事をつくる/西村佳哲

 まず、前書きから引用する。

 人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
 「こんなものでいい」と思いながら作られたものは、それを手にする人の存在を否定する。特に幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。

 なるほど…普段から人に「大切な存在」である扱いをされていない自分は、だから買い物に走りがちになるのだろうか…。なんてそんなのはともかく、この序文に人が素晴らしい仕事をするための原則が記されている気がする。
 人は、何かを伝えたい、受け取りたい生き物なのであろう。その手段のひとつとして仕事があるのかもしれない。

20110813_01.jpg 本書は、著者の西村佳哲氏が、様々な仕事についてインタビューして回った記録である。
 ただ、のべつまくなく仕事を探しているのではなく、そこは冒頭にかかれた「自分と他人を大切にする仕事」という視点で選別されているように思う。単純に読んでいてうらやましく、自分もこんな仕事をしてみたいなと思いながら読み進められた。

 また、仕事について、外国人と日本人についての価値観が浮き彫りになるのが面白い。
 例えば、本書的には両方とも成功例の事例として掲載されているのだろうが、パタゴニアに勤めるスタッフの、真に自由に働きながら社会に対して責任を果たせる仕事スタイルを紹介したあとに、日本の「ドラフト」という会社の社長がドヤ顔で「プロジェクトが終わったらスタッフ全員参加で呑み会ですよ!」とか言っているのが実に対照的だった。
 仕事のパートナーとして、社員を1人の独立した人間として扱うパタゴニアの社風と、所詮社員に頼ることでしか生きていけないくせに虚勢だけは1人前の日本式経営者の未熟さというのであろうか…。

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▼2011年07月30日

中世の港と海賊/山内 譲

20110730_03.jpg 「海賊」という言葉から、どのような人達を想像するだろうか。大海原を荒らし回って略奪を繰り返しお宝を…みたいなイメージがまず頭に浮かぶかもしれない。そのイメージは全て間違いではないが、実情とは異なっている。

 日本における「海賊」とは、単なる略奪集団ではなく、その海域を支配していた「領主」と言えるべき存在であった。
 とくに、中世瀬戸内海の海では、様々な海賊が、時には争いや略奪もあっただろうが、自分の領海を通航する船から金銭を得る代わりに、領海を出るまでの安全を保障したり、護衛に当たったりと、様々な役割をこなし、むしろ海の安全を守る側だったことも多かったようである。

 そんな中世の海賊達を、網野学的視点からまとめているのが本書。書き下ろしではなく、色々な場所で発表した文章をまとめた単行本ではあるが、記載されている主張は一貫したモノを感じて読みやすい。
 特に瀬戸内海沿いに馴染みのある人なら、その地形を思い出しながら、当時の海賊達がダイナミックに活躍した様を頭に描きながら読むのも面白いと思う。

 日本の歴史を作ってきたのは、単純な「支配者と農民」だけでなく、様々な役割を持った人たちが今の社会と同じように、様々な仕事に従事していた。そんな歴史の彩りを感じられる文章であり、面白かった。

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▼2011年05月31日

最強国の条件/エイミー・チェア

20110531_02.jpg 人類の歴史には、度々周辺の諸国、世界の国々を圧倒する最強国「ハイパーパワー」が存在してきた。それら諸国についての歴史とその時代背景を俯瞰している本。

 内容も平易な文章で読みやすく、歴史に興味を持つ人にとってはとても面白くエキサイティングな文章だと思う。
 古代ペルシャからローマ、モンゴルからオランダ、イギリス、アメリカと、取り上げられた「ハイパーパワー」は多種多様。光栄なことに我が日本国も「非寛容の失敗例」として短いながらも取り上げられている。

 これら最強国のキーワードとして、著者のエイミーは「寛容政策こそが国家の繁栄をもたらす」と指摘し、その文脈に沿ってこれらハイパーパワーについての興亡を考察しいている。
 実はこの「寛容」という言葉の意味を、そのまま翻訳語として捉えてしまうことはやや危険かなと、前のエントリーである「寛容の帝国」を読むと、そんな事を感じた。本書で語られる超大国はどれも「寛容」さに溢れたユートピアかと思ってしまうが、おそらく原文で語られる寛容=トレランスには、更に違った意味を内包したキーワードなのであろう。もっとも、本書の翻訳者は、その寛容さをもう少しユートピア的に考えてしまっている印象もあるが…。

 また、日本について語られている章をみると、本書で語られている他の「超大国」達の歴史の信憑性にもやや疑問を感じてしまう感もあるが、それでも、こういった趣旨で歴史をまとめてある本は珍しいし、面白いと思う。

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最強国の条件/エイミー・チュア

寛容の帝国/ウェンディ・ブラウン

20110531_01.jpg 原書のタイトルを直訳すると「嫌悪を規制することーアイデンティティと帝国の時代における寛容」となるらしい。割とさっぱりした「寛容の帝国」という書名からすると、現代における帝国論を語っているのかとも誤解しがちかもしれない。本書の内容はもっと政治評論というか、思想書に近い。

 「寛容」という語感から思い起こされる私達のイメージは如何であろうか。許す、受け入れる、おおらかな心で…といった、わりと許容的でユートピア的印象がある気がする。
 しかし、本書で(あるいは翻訳文献として)語られる「寛容」という意味はもう少し堅苦しく、時には支配者と被支配者を分類する用語としても使われるようだ。
 英文でいう寛容を意味する「トレランス」には、どちらかというと「許す」よりも「耐える、我慢する、辛抱する」という意味に近いようだし、他では、植物生態学の、ぎりぎり植物が生存しうる基本物質の欠乏量を示すのに「トレランス」、臓器移植、薬などで身体が耐えられる量を「トレランス」、機械、工学、の公差も「トレランス」という用語が使われるらしい。少なくとも日本語でこれらの用途に「寛容」は使われないだろう。その意味まずしっかりと覚えておかないと、本書を読み進めるに辺り違和感を感じるし、上記についての解説は本書でもしっかりと語られている。

 以降は、政治における寛容、同性愛における寛容、性差における寛容、人種における寛容など、現代アメリカの例を中心にとり、様々な状況に置ける寛容と非寛容を論じている。
 現代の多民族国家には「寛容が必要である」とは、様々な場所で言われている言葉ではあるが、そこで言われている「寛容」とは、普段私達が簡単に思っているような意味ではなく、時に、私自身のポジションを明確にした上で、あなたの何を許し耐えるか…といった、軋轢の最前線で問われる意味である場合があると認識できただけで、本書を読んだことは非常に有意義。というか、難解な内容にもかかわらず、読み始めると本当に止まらないエキサイティングな内容だった。

 それと、私は本書を読んで初めて知ったのだが、アメリカにある「寛容博物館」という章についても、驚きながら楽しく読み進められた。
 本館は、博物館と名付けられてはいるが、一種の教育機関に近い場所であり、入場者は必ずガイドに拘束されながら約70分間、寛容について学ばなければいけない。携帯電話、カメラ、その他危険物は全て入り口で預け、途中は見学者同士での議論を求められ、トイレ休憩さえも許されないその非寛容さに彼女は「もうそろそろトイレに行ってもよいだろうか」というやや皮肉めいた文章でまとめている。
 私はこの博物館のアメリカにおける社会的ポジションを知らないのだが、おそらく批判や皮肉が受け入れられにくい施設なんだろうなとは想像でき、挑発的だ。なにせ活動目的が「訪問者に偏見や人種差別と立ち向かい、ホロコーストを歴史的かつ現代的な文脈のもとで理解するよう喚起すること」だからね。

 著者のウェンディ・ブラウンは、フーコーに強く影響を受けた「挑発する知性」みなぎった政治学教授だそうである。翻訳者後書きからの引用だが、“女性の傷ついた経験から生まれる女性の「真理」というフェミズムの通念を批判し”という部分は、確かに挑発的でありながら、フェミニズムの本質を突いた問いかけであると思う。

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寛容の帝国―現代リベラリズム批判/ウェンディ・ブラウン

▼2011年05月27日

おしまいのデート/瀬尾まいこ

2011052701.jpg 「よく食べる男は3割増しなのよ」というセリフはどの作品だったかな?とにかく、この“瀬尾まいこ”氏の小説の登場人物は、なにやらいつも食べている。そして、それが時には変な食べ物だったりすることも多いのだけど、それでもみんなおいしそうだ。

 かくいう自分は、食べ物の好き嫌いが多い上に、そもそも人前で食事をすることに慣れていないせいか、人と食事をするときはどうも小食になることが多い。そのせいか、会社の女の子で何を食べても「うまい」といいながら食べる人がいて、そういう姿を見るとなんだかうらやましくてつい「いいな〜」と言ってしまったことがある。

 そういう、自分の目の前でおいしそうに物を食べている人を見ると、よくわからないけど何となく嬉しくなる。私が瀬尾まいこの小説を読んでいるときって、そんな心境に近いのではないかな。

 本のタイトルこそ“デート”という言葉が付いているが、甘酸っぱい恋愛小説だと思って読むと期待外れだろう。そもそも本書に恋愛話は(ほぼ)ないし、大体表紙のイラストはドドンと天丼が大きく描かれているだけだ。でも、他の作品同様、登場人物はみんな食べ物をおいしく食べながら、それでいてちょっとキュンとする体験をして、いかにも瀬尾まいこらしい短編集だなと思った。

 買い物に出かけた帰り道、本屋さんに寄って、そのまま近所のカフェで読んでしまうのにピッタリの分量。その日の夕ご飯は、普段より少しおいしくいただけるかもしれません。

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おしまいのデート/瀬尾まいこ

▼2011年05月04日

シマダス・日本の島ガイド/(財)日本離島センター編

2011050408.jpg 本屋さんで買おう買おうと思っていたんですよ。そしたらサクッと店頭から消えて、あっと言う間にプレミア価格になってしまいました。くそう、残念。

 つことで、近隣の図書館にあったので、思わず借りてきました。そしてチラチラと見ているのですが、やはりこういうリファレンスは自分で所有しておきたいよなぁ…誰か譲ってくれませんかね。新品定価3,000円までならなんとか(笑)
 ただ、ほぼ6〜7年ごとに改訂版が出るらしいので、2004年発刊の本書から、そろそろ改訂版が出るのではないかと淡い期待を持っています。

 内容は、ひたすら日本の離島について解説してある辞典みたいなもの。ただ、有人島がメインで、無人島はさほど詳しい記述がありません。ページの中身は(財)日本離島センターのサイトで一部公開されてます

 なんとなく暇な時間に、パラパラとページをめくり、おそらく訪れる事がないであろう島の名前や地図、行くための交通手段や風習などを見ていると、日本って本当に広いなー、と思います。
 私が生きている間に、全ての島を訪れる事は絶対に無理ですが、どこかマイナーな離島で2〜3日過ごしてみたいなーなんて思いを馳せながら、パラパラとページをめくっているのがいいのですよー。

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日本の島ガイド シマダス/日本離島センター

▼2011年04月23日

乙女の港/川端康成

2011042301.jpg がはは…買ってしまいましたよ「乙女の港・復刻版」。

 豪華2冊セットで、1冊は昭和13年に発行された単行本を、中原純一装丁まで再現した復刻版。もう1冊は、文章を全て現代語訳して、更に「少女の友」に連載されていた当時に掲載されていた中原純一のイラストを挿絵を全て収録した新版となります。お値段4,500円はチと高いですが、内容と川端康成フリークなら納得できる価格かと…。

 ちなみに内容は、横浜の女子ミッション系スクールで繰り広げられる乙女同士の愛…。ちなみにこういう関係を「エス」って言うんですって。エスっていふのはね、シスタア、姉妹の略よ。頭文字を使っているの。上級生と下級生が仲良しになると、さう云うって、騒がれるのよ。

 現代語訳の方も読みやすいですが、ここは絶対に当時の復刻版から読むべきです。醸し出される上品さがもう全然違います。なんつーか、川端康成ってのは、稀代の変態だなとつくずく実感できます。いい意味でも悪い意味でも…つか、悪い意味の方が少し多目で(笑)

 こんな高い本買ってらんねーよ、という人は、地元の図書館で川端康成全集の20巻を探しましょう。今ではこのお話、全集とこの復刻版でしか読めないと思います。

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▼2011年04月15日

宇宙飛行士 オモン・ラー/ヴィクトル・ペレーヴィン

2011041501.jpg 「ロケットで月に行った英雄は今も必死に自転車をこぎつつけている!」

 カバー裏の不思議なキャッチコピーに惹かれ購入。始めて読む著者の小説だが、ロシア(ソビエト?)ではベストセラー作家らしい。
 で、本作なのだが、何ともいえない不思議な小説だという事につきる。子供の頃から月にあこがれて宇宙飛行士になったオモンは、二度と帰る事ができない月の裏側を目指す。沢山の少年達から命をもらいながら…。

 とまぁ、そんな話なのだが、全編にわたりシニカルな風刺や比喩的表現もさることながら、翻訳のせいもあるのか、展開される情景に感情移入しきれないまま物語が終わってしまった印象。
 もっともこれは、私が電車の中でさっくりと読んでしまったせいなのかもしれない。自宅でじっくり読むべき小説だったか。

 ネット上で本書についての解説を読むと、どこも小難しい評論が多いので、あえて別な切り口から評価してみると、今風の少年萌え小説としても鑑賞できるのではないかと思った。少し難解な部分もあるが、コンパクトな量で読みやすく、不思議なソビエト的価値観を持った作品としてお勧めできる本だ。

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▼2011年04月13日

繁栄(下)/マット・リドレー

 何故か下巻だけを読んでみた。そのうち上巻も読んでみようと思うのだけれでも。

 この「繁栄」という本は、人類史全般を主に科学的(テクノロジーだけではなく統計という意味も含め)な視点で描いたもの。

 よく言われる話で「昔は良かった」「戦後の日本はみんなが生き生きしていた」「江戸時代は町民文化が栄えたパラダイスだった」などという事があるが、では、その時代に本気で戻ってみるかい?と問われれば、殆どの人は拒否するであろう。
 たかが数十年前ですら、人々は携帯電話もインターネットもパソコンもエアコンも持たなかった。それに比べれは、今の時代はなんて恵まれているんだろう!

 未来を悲観的に論じる麻薬は、日本人だけではなく、他の世界でも同じようだ。
 既に反文明主義者達のバイブルになりかけた「不都合な果実」は、その殆どが誤ったデータを元に組み立てたものとされている。未来は温暖化するという科学的な証拠も寒冷化するという科学的な証拠もない。アフリカの貧困は常に悲劇的に語られるが、少しずつではあるが改善されている。人類は炭素を燃やしてエネルギーにする時代を今世紀中に終えられるかもしれない…。

 楽観的に考えるよりも、悲劇的に考えてあらかじめ備えたほうがいい…。確かにそうかもしれないが、その悲劇的主張が、誤ったデータを元に展開されているとなれば、それは単なるデマでしかない。

 人類の生活は、歴史が下るに従い、常に良い方向に向いてきた。私自身もブログやTwitterで悲観的な意見を語ることが多いが、それでも自分の子供の頃よりも日本は良くなっていると思うし、歳をとった今の方が、子供の頃より生きていて楽しいと感じている。世界は徐々にではあるし、時に凹凸もあるが、良い方向に進んでいる。

 真っ暗な未来に備えるのもいいが、時にはこのような「人類を信じる」文明論を読んでみるのもいいのではないだろうか。

▼2011年04月12日

蹴裂伝説と国づくり/上田 篤・田中充子

 日本は湖沼の国だった?そんな問いかけで始まる本書、本屋さんで見てこれは面白い主張だと思って購入。

 日本の様々な場所をみて思うのが、日本というのは険しい山が崩れて河川に流されてできた地形がとても多いよなぁ…ということ。
 例えば本書にもある北海道旭川の上川盆地、ここは今中心に旭川市を抱く大規模市街地であるが、逆にいうとこういった市街地がなければ、延々と田園地帯が…いやいや、人がいなければ、石狩川が盆地全体をうねり溢れという盆地だったはずだ。そして、南西にある狭いカムイコタンから水が流れ出ている。では、そのカムイコタンが何かでふさがれてしまったらどうか。行き所をなくした水は、上川盆地を水で埋めてしまうに違いない。

 そのような地形の盆地は日本に沢山ある。関東では群馬県の沼田市、山梨県甲府盆地、また、長野県では松本平野や諏訪盆地等…これら巨大な盆地は、ある一点、比較的狭い渓谷から水が流れ出ているという点。だとしたら、これらはひょっとしたら人の手で、あるいは何らかの自然現象が谷を切り開いて水を流し、農地を作ったのではないか…これが蹴裂伝説と言われるものだ。

 蹴裂伝説が正しいかどうかは別にして、今日本にある平野が昔からこういう状態だと思うのは大間違い。例えば私達が住んでいる関東平野は、江戸時代になるまでは広大な湿地帯で、とても人が住めるような場所ではなかったという。今、多くの人が住み、比較的乾燥した大地の上で畑や居住地を作り、さらに人工的に水を引いて水田を作る…といった風景は、ここ2〜300年で行われた大規模開拓の結果である。その前の関東地方、特に埼玉や千葉県の辺りは、利根川と江戸川(鬼怒川)荒川の流域内にある土地であり、大雨が降ればこれらの河川は縦横無尽に下流域を流れ出し、人の支配が及ぶような土地ではなかったのだ。
 そのような湖沼、湿地帯を開拓して土地を造り上げた結果が今の日本の姿である。

 わたしは日本の様々な地域を見る時、地形の凹凸や水田の姿を眺めながら、古代にはこの場所はどのような湿地帯だったのだろう…などと想像することが多い。そして、その水の流れはどうなっているんだろうと想像し、土地の流れに思いを馳せることも多い。
 著者の主張とは違うかもしれないのだが、そのような妄想癖がある私にとって、本書に収められている様々な検証は、ちょっと甘い部分を感じながらも、なかなか興味深く読むことができた。

蹴裂伝説と国づくり/上田 篤 田中 充子

▼2011年04月07日

江戸の海外情報ネットワーク/岩下哲典

 かつての海外情報については全く無知であった…という江戸史観が、ここの所大分是正されてきているような気がする昨今。こんな本が図書館に並んでいたので借りてきて読んでみた。

 本書は、鎖国制度により海外情報から隔離されていたと思われていた、江戸時代の海外情報の入手ルート、並びにネットワークについて考察した本である。

 私も知らなかったのだが、教科書にも出ていた江戸時代の「象」の話。実は象が日本にやってきたのは、江戸時代を通じて何度かあったこと、それどころか、時代を遡った徳川家康も、海外からの献上品として象を受け取っているとのことであった。なるほどねー。

 その他、本書で語られている中で印象深かったのが「ペリーの白旗」の件。この一件については、今でも歴史学者や歴史マニア達で色々と議論されているネタで、ペリーが浦賀沖で当時の浦賀奉行である香山に、白旗を渡したか否かという点。この記録は日本側のみに記載されており、長い間アメリカ側の記録に白旗に関する記述がなかったことから、当時の日本人が驚いたあまり作った創作ではないか?などと言われていたのだが、最近になってどうやらペリーが日本人に対して白旗を渡して恫喝に使ったというのは事実であるらしい…という流れになっている。この記述が何故アメリカ側の資料にないのかというと、どうやらこの作戦は、時のフィルモア大統領に進言したらしいのだが、止められていたそうで、ペリー側も内緒で行い記録に残さなかったから…らしい。他にもペリーは、琉球を武力占領すると進言し、当然ながら大統領に止められたりと、割と過激な考え方の持ち主であった。

 いや…私が問題問題にするのは、その白旗外交が事実なのかどうかではなく、その白旗がもたらす意味についての話。どうやらペリーの白旗があったという人たちの論調によれば、その白旗に時の幕府高官はびびりまくって慌てて会見地を用意した…みたいな話になっている本を読んだことがあるのだが、そもそも戦地での「白旗」というのは、当時の国際ルールであり、本書で問題にしているのは、その意味を当時の日本人が知らなかったとは思えないという点。
 確かに戦場での白旗は、局地的には降伏に使われることもあるが、他には軍使の派遣等、つまり武装解除を示す目印であり、その国際ルールについて、乗船した香川がアメリカの高官から丁寧に説明されたというのが不愉快であった、その不愉快な思いが報告などに伝わり、より大がかりで面倒な情報として幕府に伝わってしまったというのが本書の論考。なるほど、さもありそうで面白い。
 ちなみに、本書でも紹介されているが、ペリーの白旗事件については、ズバリ「ペリーの白旗/岸俊光」というが出版されているので、こちらも興味がある方は是非。

 ま、そんな感じで、江戸時代の主に後期に発生した国際的な事象について、割とザックリ紹介されている本で、難しそうなタイトルながら、結構気楽に読める。おすすめです。

▼2011年04月06日

「日本ダメ論」のウソ/上念 司

 本屋さんで並んでいて、つい買ってしまった本。
 思うのだが、この国の政治家やメディアは、この国が「ダメ」でなければいけない理由があるのであろうか。

 つことで、本書の冒頭で読者に投げかけられている設問をあえて全て引用してみた。皆さんはこの設問についてどう思っているだろう。
 さらに、その質問に対して自分のコメントを入れてみたが、これは正真正銘何も資料に当たらず、自分の頭の中の知識だけで答えた解答である。皆さんはこの設問に対してどのような意見を持っているのだろうか。

1:落ち目になっていた徳川幕府は寛政の改革によって復活した。

 まるでウソ。田沼政治が行っていた近代貨幣経済をぶちこわした悪政でしかない。ちなみに学校では「田沼時代には庶民が政治を批判する風刺画が数多く描かれた悪い時代」と教わったが、政治を批判する風刺画1枚も描けない時代の方が異常だろう。


2:ペリーの来航は徳川幕府にとって寝耳に水だった。

 幕府は正確にペリーの来航情報を知っていた。事前にオランダ経由で知らされていたから。


3:戦前の日本は軍部が独裁していて言論の自由がなかった。

 これは主観もあるが、少なくとも「敵性言語禁止!」みたいなアホな真似は今もある朝日新聞等のメディアや当時の不謹慎厨wが率先して行っていた事。少なくとも軍隊では零戦は「ゼロセン」と発音していたし(一部では「ゼロ」が英語のため当時は「レイセン」と言っていたというデマもあるけど)、発動機は普通にエンジンと言っていた。


4:日本人は軍部の圧政により無理矢理戦争に協力されていた。

 これも主観的な評価側面があるが、その軍部の暴走を許していた政治家を選挙で選んでいたのは日本国民である。何から何まで軍部に責任を押しつけ、自分達の贖罪は済んだ気になっている歴史観は非常に危険。


5:1974年の物価狂乱の原因は第一次オイルショックだった。

 よくわからない。


6:企業や人々がマネーゲームに走りすぎた結果、バブルが発生した。

 原因と結果、どちらが先かわからない。


7:モノが売れなくなったのは、人々が物質的な豊かさより、心の豊かさを求めたからだ。

 あまりにも抽象的だし、そんなデータはおそらく無い。


8:日本においては、少年の凶悪犯罪が昔に比べてかなり増加している。

 まるでウソ。少年犯罪というか、日本における凶悪犯罪は他国から比較すると異常なレベルで低下している。


9:ミネラルウォーターは水道水より美味しい。

 おいしさについては主観が混じるので何ともいえないが、少なくとも日本の水道水は市販のミネラルウォーターよりもはるかに厳しく安全性が規定されている。


10:マイナスイオンは人間の身体にいい効果をもたらす。

 現時点でこんなの真面目に信じてる人達は、オウム真理教を信じている連中と何も変わらない。科学的根拠はなにもない。


 繰り返しますが、私がつけたコメントは正解ではありません。正解は本書を読むというより、自分で調べてみましょう。
 世の中で報道されている、あるいは入ってきた情報全てについて、自ら裏をとり調査する事は物理的に不可能ですが、それでも、繰り返し報道される事象について少しでも興味や疑問を持った場合は、可能な限り自分でも調べてみるという姿勢が大事なんでしょうね。

 つことで、本書についてはこれから読んでみたいと思います。

よなかの散歩/角田光代

2011040601.jpg 実は川上弘美が好きなのである。で、どうしてこんな書き出しで始めるのかというと、本屋さんで「川上弘美」の新刊が出てないかなーと探す度に目につくのが、この「角田光代」だったりするのだ。どっちも「か行」だしね。

 つことで、今日も本屋で「か行」の棚を見ていて、何となく目について買ってしまった本。著者は同い年だよ自分と。

 読んでいて面白いなーと思ったのが「愛と恐怖」という章。こんな自分でも、いままでに数回は人を愛した気分になった事もあり、そのときに思った事は確かに「愛とは悲観に属する」って事。だってもう、心配で心配で仕方ないもの。愛する人が交通事故に遭っていないか、駅でホームから転落してないか、階段ですっ転んで大怪我してないか…。変な話、そんな事ばかり考えていた事が、自分の人生の中で何度かあった。この共感を得られた事は、本書を読んで最大の成果でもある(笑)

 他、美人である事が既に無駄である美人ってのは、確かにそういう人結構いるよね。自分の場合、美人さんってのはどうも苦手なのだが、そういう美人であることが無駄…人ってのはワリと好き。残念ながらそういう無駄な美人ってのは、その無駄に気づいた人の手に既に落ちている事が多いのだけれども、たとえそういう関係にならない人だとしても、やはり美人の人とお話しするのは素直に嬉しい…というか、つまり自分はズボラな人とウマが合うのかもしれないなー。

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▼2011年03月26日

野宿入門/かとうちあき

2011032601.jpg 野宿…いいよね〜。そういえば最近してないなぁ。

 なぁーんて思いながらサクッと読みました。ホント、いいですよね、野宿。キャンプじゃなくて野宿ってのがいいよね。自分も昔はよくやりました。真っ暗の田舎道でもう眠くて仕方ない!って時に、車を停めて速攻テントを張って寝てみたら、バス停の前に寝ていたとかそんな事もありました。あと、夏なんかは道の駅の芝生部分でマット敷いて寝たりとかね…。
 野宿までは行かないけど、酔っ払ったときは公園や駅で寝たり、初めての海外旅行時にもしっかりと酔っ払って町中の道路脇で寝たりと、外で寝る事には昔からあまり抵抗感のない自分です。ただまぁ…都内住宅地の公園に寝たいとはあまり思わないけどね。

 他にも「寝袋を手に入れたら大人になった気がした…」とか、そんな気持ちもよくわかります。野宿、またしたいなぁ。

 ちなみに著者が主宰する「野宿野郎」という公式サイトはこちら

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野宿入門/かとうちあき

▼2011年02月13日

ナマズの幸運/川上弘美

20110213_01.jpg 川上弘美のエッセイを読むと、なんだか踊りたくなる。それも本格的な踊りではなく、机に座ったまま手をフラフラと適当に振ってるような…そんな感じ。

 東京人という雑誌に連載されているエッセイをまとめた単行本、ようやく3巻が発行された。早速買って読んでみる。

 以前だと4/5は本当のこと…という話だったが、本書ではもう少し本当のことの成分が増えているそうである。なんとなくダラッとしたい休日のお供に是非。

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▼2011年01月04日

世界全戦争史/松村 劭

20110104_01.jpg 本屋で見つけた時は、その厚さに「なんかのギャグかよ」と思ったのだが、手にとって読んでみるとその内容に引き込まれた。

 A5版で2664ページ、古代から去年まで、世界で起きた戦争についての概略を延々と語っている本。ただし、その切り口は、単なる歴史絵巻ではなく、今と未来に通じる力強い主張を感じる、質の高い思想書とも読める。著者の松村 劭については、「ナポレオン戦争全史」という本を以前読んだことがあるのだが、日本人が書く戦争に関する本の多くが、ある種感情的な通念から抜けきらない主張が多いのに対し(通念を否定する訳ではない。ただ、ごちゃ混ぜになっているのが多い気がする)、事実とその論考が割とすっきりと清々しい印象があった…と記憶している。
 ただ、その後「戦術と指揮」という本を読んだ時は、ちょっと違うかな…みたいな印象があったのだが。

 もちろん、こんなボリウムの本を、一気に初めから最後まで読むつもりはない。机の脇に置いてチビチビと楽しんでいくつもり。ちなみみ松村 劭氏については、ちょうど一年前の2010年1月、鬼籍に入られたとのこと。アマゾンのレビューでもあったが、こんなボリウムでこんなページ数という無茶ぶりは、生前に発刊を急いだ結果なのかもしれない。この荒っぽい編集業も、ある種いい味を出していると思う。

 ちょっと高価かもしれないが、歴史で起きた戦争を俯瞰するベーシックな資料として、戦争や歴史に興味がある人は、本棚に入れておくといいかもしれない。

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▼2010年12月31日

父が子に語る世界歴史/ジャワハルラール・ネルー

20101231_01.jpg 久しぶりの良書に出会ったという感じ。ジャワハルラール・ネルーとは、インドの初代首相。これは、そのネルーが刑務所から娘に送った歴史の話を綴った本だ。

 歴史の話というよりは、これは1人の人間が織りなす小説…あるいは物語といっていい。様々な歴史話の中に、家族のことや娘の思い出などがちりばめられており、著者の家族への思いに心を打たれる。

 歴史的な視点からも、インド人から見た歴史話というのが、私達日本人や西洋人が語る歴史とは若干トーンが違っていて興味深い。

 全8巻とのことで、読み通すにはそれなりに時間も金もかかるが、それでもゆっくりと長い時間をかけて読み続けてみたい、親から娘への、家族の物語である。

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▼2010年12月05日

ハムサラダくん/吉田忠

20101204_04.jpg 副題に「藤子不二雄物語」とあるが、内容はまんが道とはちょっと違う。漫画家を目指す少年二人の物語として読むべきなのかもしれない。

 子供の頃「コロコロコミック」で連載していたのを何度か読んだことがあるが、通して読んだことはなかった。本屋さんに売っているのをみて思わず購入。上下巻セットで買ってきた。

 早速読んでみると、あぁ…こんな話だったんだと知ってとても興味深い。アメリカ帰りの漫画家ってのがなんだか笑わせるが、ま、そういう時代だったのでしょう。上巻は比較的事実(?)に則って描かれているが、下巻のエピソードは割と自由奔放になっている。オリジナル性という事でも、下巻の方がおもしろいかもしれない。

 広くお勧めするべき作品でもないけど、本作品が、子供の頃記憶の片隅に残っている人にとっては、なかなか楽しめる漫画だと思う。あの時代は色々熱かったんだな。

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▼2010年12月01日

ネットで成功しているのはやめない人たちである/いしたにまさき

 タイトルに惹かれて購入。いや…というか、このタイトルだけで本書に金を出す価値があるのかもしれない。内容はおまけみたいなもん…と言うのは失礼か?

 著者の「いしたにまさき」氏は、本書を執筆するに当たり、所謂アルファブロガー達にアンケートを送っている。内容のネタバレっぽい感じもするが、折角なんで、自分も勝手にそのアンケートに答えてみようと思う。なんたって、私もインターネット上で文章を発表し続けて既に10年以上経つ人間だ。それくらいの資格はあるのではないか(笑)

1.お名前
 よっち

2.twitter ID
 flatearth_blog

3.ご自分のWebサイト、ブログなど
 ここ

4.一番好きなWebサイト(Webサービスも含む)とその理由
 Tumblr:情報の凝縮感がすごい

5.初めて見た時に一番衝撃を受けたWebサイト(Webサービスも含む)とその理由
 ODiN:ロボットが自動的にWebサイトの情報を拾って、それを検索結果として出力するという発想がすごいと思った。このサービスに触れた瞬間、従来のディレクトリ検索サイトは終わったと感じた。サービス開始はグーグルより後か前かわからないけど、自分にとってのロボット検索エンジンはこちらが初体験。とにかく興奮した。

6.ネットで情報発信する際に一番必要な個人スキルはなんでしょう?
 書きたいという思いを封じ込めない事

7.あなたがネットで情報発信する際に心がけていることは?
 ブログ以前は、世界にたった1人でもこの情報を求めている人がいるかも…と思ったら、躊躇なく書く事。ブログになってからは、あえて個人の主観、他人にとって役に立たないユニークな文章を心がける事。

8.あなたがネットでの活動を続ける事とができた理由はなんでしょう?なぜ続いたのでしょう?
 活動してる…という意識を持たない事。

9.あなたがネットで活動を続けてきたことで、収入に変化はありましたか?
 ネットでの活動は関係ないと思うが、収入については着実に下がってます(笑)

10.収入に変化があった場合、それは活動を初めてどれ位経ってからですか?
 ネットが原因での変化はないので無回答。

11.ブログなどのアクセス数を増やす工夫をしていますか?
 ブログ以前はしていた。ブログになってからはむしろ減らす努力をした時期もあった。

12.ツイッターのフォロワーを増やす工夫をしていますか?
 全くしていない…というか、リアル友達以外自分からフォローした人は数える程しかいない。

 ま、私の解答を見ても大して役に立たないと思うんだけど、世間に名の通ったアルファブロガーさん達の解答なら興味があるだろう。本書にはその解答に対する分析…というか感想かな…収録されている。
 それと、ネット界でのエッジな人達との対談。なるほど…確かにおもしろくはあるけど、やはり本書の価値はこのタイトルにあるなと、読後に改めて思った。

 ネットでの成功というコンセプトに興味がない人たちにも、じゃあ…今のネット社会というのは、どういった人たちによって支えられているの?というポイントに対する理解の一助として、本書は役立つと思う。
 そう、みんなマーケティングとかソーシャルとか集合知とか、そんな大層な事を考えながらネットで情報を発信している訳ではない。その感覚にピンとこない人達には、特にお勧めなんだけど、逆に言えば、本書を読んだからといってそういう感覚が理解できるようになるとも思えない。この感覚は結局、ネットサーフィンをやめて、ネットの海に飛び込んでる人達にしか理解できないのだろう。理解できたからって偉い訳でもないけど。

 ちなみにこのいしたにまさき氏。なんとOLYMPUS E-1を愛用してるんだってさ!。それだけで、自分の中での彼に対する高感度はかなりアップしています(笑)

▼2010年11月14日

15分あれば喫茶店に入りなさい/斉藤 孝

 普段ビジネス書は殆ど読まないし。特にこの「○○なさい」系の本はあまり好きになれないので読まないのですが、この本についてはつい「あ…普段自分がやっていることに近いかな」と思って買ってしまいました。

 かくいう私も、最近仕事での外出が増え、待ち合わせ時間がずれたり余ったり、あるいは約束場所に、時間よりも少し早めに着いてしまったときは、遠慮なく喫茶店…というか、今風にはカフェですね…に入ります。本書の通り15分時間があれば入ってますね。そこでコーヒーを飲みながら、MacBookProでメールの確認や、訪問先についての情報収集。その必要がないときはネットサーフィンや、場合によってはこのブログを更新していることもあります。

 また、それ以外でも、休日に仕事をしなければならないときは、家で仕事をせず、積極的にカフェへと出かけます。仕事をする場所としては、スターバックスがいいですね。大体2時間前後仕事をしてから、気分転換に一度お店を出て、しばらくしてまた別な店舗に入るという状況です。ちなみにスタバだと、レシートを持参すれば、当日に限り、違う店舗だとしても、2杯目のコーヒーが100円で飲めますのでとても便利です。ある程度仕事がたまっているときには、一日に数回スタバをはしごするという事もあります。

 何故スタバで仕事をするの?と思う方がいるかもしれませんが、これは本書でも書かれているとおり、ズバリ「自宅だと仕事がはかどらない」からです。自宅には自宅というだけあって、自分が好きなもの、仕事に関係ないもの、時間を潰すものなどが溢れています。それらの誘惑を断ち切って、仕事を始めるモードに切り替えるためには、やはりある程度時間がかかるものです。それなら…仕事以外の事がほぼできない自室外に移動してしまえばいい…。本書の著者がカフェで仕事をするのと、ほぼ同じ動機で私もカフェで仕事をすることが多いです。

 特に新規の企画を考える場所として、休日…特に午前中のカフェは非常に適した場所だと思います。休日の午前中という高揚感と、カフェという開かれた場所での緊張感と自由な雰囲気が混じり合ったあのココロの状態が、新しいことを考え出すのに適しているんでしょうね。そうやって、早起きしてカフェで一仕事をこなした日は、結果として午後も有意義に遊んだりして過ごせることが多いと思います。逆に午前中ダラダラと布団の中で過ごしてしまった休日の午後は、例え遊びだろうと、何となく身の入り方に差が出るような気がしますね。

 つことで、カフェで仕事をする快感を経験したい人に本書はおすすめです…と言いたいのですが、一つだけ反対意見を書いてみます。
 この「斉藤 孝」という著者は、電車の中もオフィス化して色々やるべきと提言していますが、私としては、そこについては正直微妙です。本書の中で「電車の中でiPodで音楽を聴いている人は仕事ができない人…」なんて言っていますが、私からすると、特急列車みたいな環境ならともかく、普段の電車の中で仕事の資料をチェックしていたり、電車の中で英会話テープを必死で聴いている人の方が、仕事時間とその他の切り分けができない、だらしない人間という印象を持ちます。
 以前、軍事関係の本で読んだことがあるのですが、「優秀な兵士は、少しでも時間があれば穴を掘って眠ろうとする」とありました。私の場合も、かなり意識して、電車の中では仕事をしませんし、仕事のことも考えませんし、iPodで音楽を聴くか、あるいは可能な限り眠ろうと努めています。電車内の読書については、確かに意外と集中できる…という効能について理解はしますが、それでも仕事をしている日は、可能な限り睡眠時間に充てます。それこそ、乗車時間が15分どころか5分でもです。

 この手のビジネス書で良くある基本姿勢として、空いた時間を有効に…などと書いてあることが多いですが、本当に空いた時間は、例え昼間であっても、可能な限り休息時間に充てた方が、仕事の集中力に良い傾向があると私は思っています。いい加減「24時間戦えますか?」みたいなコンセプトの失敗は認めるべきでしょう…という点が、本書を読んでいて唯一気になった点でしょうか。

▼2010年11月07日

もうひとつの国へ/森山大道

 途中まで読んでそれっきりになっていた本。間にレシートが入っていて、日付を見たら2009年10月17日に購入したらしい。

 大道氏の文章は、非常にザックリとしていて切れ味が鋭く、また、己が写真家であることを止めない文章が素晴らしい。ちょっと有名になったからって、門外漢のコメントを恥じらいもなく発言する、自称大御所達とは大違いだ。

 自分は大道氏のような生き方はできないし、するつもりもないけど、いつまでも自分に慢心せず、現場に生きる…というか、現場以外をまるで考えていないような写真家としての生き方にあこがれる。

 彼の著作は、続けて何度も読みふけようとは思わないが、なにか思った時には、他の文章も読んでみよう。

▼2010年09月21日

まんがサイエンスXII/あさりよしとお

100921-02.jpg まさか続刊が出るとは思ってもいなかったまんがサイエンス。本屋さんに寄ったら新刊として売っているのを見て、びっくりして買ってきた。いや…びっくりせんでも売ってるの見付けたら買ってくるけどさ(笑)

 学研の科学が廃刊になった今、どっかでひっそりと連載続けて欲しいけど、無理な話か。12巻のこれが、正真正銘最終巻になるのかな。

 内容はめっちゃお勧めです。ヲタっぽい絵はさておき、科学の不思議さと偉大さと凄さを、わかりやすく味わえます。

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まんがサイエンス12/あさりよしとお

▼2010年09月20日

崩れ/幸田 文

 「新潟県は崩れの多いところだときく。」とある章の書き出しだが、この文章がさっぱりと無着色で素晴らしいと思った。

 この本は、作家の幸田文が、とあるきっかけで目にした静岡県と山梨県境にある「大谷崩れ」をみて衝撃を受け、全国の名だたる崩れを見て歩くという異色の取材記録。こんな題材でこんな本が出ているのか…というのも面白いが、その文体がまたさっぱりと透明で、今の私達が良く目にするような、無用なアオリや誇大表現がないのが美しい。
 また、そのさっぱりとした書き方が故に、崩れという自然がもたらした「異質」な空間がより不気味に感じられる。この手のルポに良くあるような、取材地の地図や写真が一切記載されていないというのが、逆に想像力をかき立てられるのかもしれない…。
 とはいいつつ、本書で紹介されている崩れは、1〜2カ所を除いて、私も全て見に行ったことがある場所ばかりなので、こういう言い方はちょっとズルいかもしれない。

 青く美しい山道をゆくと、とたんにその傷口というか、内蔵をさらけ出すように出現する崩れ、確かにその異質な風景は、文学の対象となっても良かったものだと思うが、私が知る限りでは、崩れを、このような文体でまとめてある記録は、他にないような気がする。

▼2010年09月12日

電撃戦・グデーリアン回想録(上)

100912-05.jpg ようやく買えた。始めに買おうとしてから、もう10年越しくらいになるんじゃなかろうか。

 「電撃戦」とは、ご存じの通り、第二次世界大戦でドイツ軍が用いた兵法・傭兵術を指す。ドイツ語では「ブリッツ・クリーク」、直訳すると稲妻の戦争とでもいうのか。その後世界各国の陸軍傭兵術に多大な影響をもたらした言葉。
 その「電撃戦」を考案した、ハインツ・グデーリアン、本人による回想録。書籍としては新しい物ではないのだが、重版されると何故か品切れになることが多く、本屋で見かけて「あ、後日お金下ろしてきて買おう」とか思っているうちに、買えなくなってしまい、古本市場では高値になっている…というのを数回繰り返した。
 今回ようやく購入できたのは、今年の春に重版されたもの。上巻のみで4,800円(税抜)だから、下巻も買うと、一万円近くの本になってしまうな。

 注意すべきは、本書が「電撃戦」についてを解説した本ではないという点。あくまでもグデーリアン回想録であって、その課程においてドイツ装甲師団の創設と運用、そして敗北までを描いているに過ぎない。だとしても、本書が「電撃戦」そのものを研究する為の一級の資料なのは間違いない訳だが。

 本書を読んで意外なのは、第二次世界大戦での破竹の快進撃!と思われていた、ドイツ軍によるポーランド・フランス侵攻についても、当事者達からするとあの成功は薄氷を踏む思いであったという点。私達はどうしても、ドイツ軍序盤の大成功を知った上で当時の歴史を考察してしまうので、意外な気になってしまうのだが、それがまた別の視点から見ると、当たり前かもしれないが、全く違った印象だというのが面白い。これはなかなかエキサイティングな回想録だ。

 ついでなので「電撃戦」そのものについて簡単に解説してみる。従来の陸軍戦闘というのは、騎兵などという一部の例外はあったにせよ、展開する敵軍に「面」で当たるというのが主流であり、その為軍団は広く横に戦線を築き、同様に対峙している敵に対峙するというのが基本スタイルだった。その傭兵術を一変させたのが「電撃戦」。機械化された機動力を持つ部隊が、敵陣に対して面で当たるのではなく、正面を突破した後は楔のように縦に深く進行して敵を混乱させ、混乱後の部隊は後続部隊が掃討するというスタイル。今考えるとそんなにうまくいくのか?なんて気もしないでもないが、当時は完全機械化された師団をもつ軍隊はドイツしかいなかったので、楔のように進行した機械化部隊の行動を止められる機動力を持った部隊が存在せず、とても高い作戦効果を発揮した。
 ちなみにというか、皮肉というか…その「電撃戦」のスタイルを最も忠実に受け継いでいたのが、第二次世界大戦でドイツに国家崩壊寸前まで追い詰められていた、当時のソ連である。ドイツに勝利した戦後のソ連陸軍は、師団ではなく大隊規模である程度単独で行動出来る戦闘グループを多く組織し、NATO軍正面を突破した後はそのまま深く敵陣内に食い込み、戦域(シアター)を混乱させて叩くというドクトリンを持っていた。
 ここでもそんなにうまくいくのかと思うのだが、それに対するNATO軍の戦術は「ディープ・ストライク」という、航空機を運用した立体的な蹂躙攻撃…ま、いいや、話がずれてきた。つまり、その「電撃戦」を考案し、実際に運用したグデーリアンは、長きにわたり陸上用兵の父であるような扱いをされてきた訳で、そのグデーリアンの回想録が常に市場で品薄気味なのは、如何なものか…とも思ったりする。

 他、与太話だが、第二次世界大戦では極東の太平洋でも全く新しい軍隊の運用術が生まれている。それは日本海軍が考案した、正規空母を集中して運用する「機動部隊」という考え方で、この新しい戦い方が、かつての主力戦艦を第一線の場から退かせた…というのが、なんだか皮肉。ちなみに「機動部隊」は、後に英語で「タスクフォース」と訳された。

 余談ばかりになってしまったが、とにかく、こういう戦史を知ることは歴史を知ることにつながると思うので、興味のある方は高価ですが是非是非。特に近代史は、このような一次資料に近い当人の証言が聞けるチャンスが多く、世間での評価と当人の証言のギャップなんかを楽しんでみるのもまた一興だ。特にミリタリマニアでは「ドイツの科学力は世界一ィィィ」とか言ってる人が多いので、そういう浮かれた人達にも是非読んで頂きたい本デス。

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電撃戦(上)グデーリアン回想録/ハインツ・グデーリアン 本郷 健

日本海の孤島・飛島/粕谷昭二

100912-04.jpg まだ読んではいないのだが、とりあえず購入報告というか、自分用のメモだな。

 飛島というのは、山形県に属する日本海に浮かぶ孤島。鳥海山の中腹からとてもよく見える島で、渡り鳥の中継地として、あるいは日本海側海上交通の中継地として、それなりに栄えてきた歴史ある島。本書では、その飛島の今と昔、そして未来に渡る課題などを紹介している。

 こういう1地域にターゲットを絞ったドキュメンタリーというのは昔から大好きで、関連の民俗学系書籍を一冊読むよりも、かつての日本の暮らしや文化などがとてもよくわかる気がする。そして、その付近の人達、地域の人達のつながりを知ることにより、日本の歴史というのが、中央の歴史以外にも生々しく存在していたんだなという興味を引き立てられる。

 まだ序文とその先くらいしか読んでいないのだが、早く読みたい。

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「崩壊地ブック」と土木系LOVE

100912-03.jpg 「崩壊地ブック」なる同人誌が出ているらしいことをデイリーポータルのこの記事で知った。早速買ってみようと思い、秋葉原にあるCOMIC ZINという同人誌ショップへ。「崩壊地ブック」「崩壊地ブック2」を買ってきて、お値段1,260円だったかな。安いものだ。

 実は、崩壊地とか、治山事業とか、砂防ダムとか、蛇腹籠工とか、法面とか…ま、そういうキーワードには昔から反応はしていて、例の「大谷崩」ネタの記事を読み始めたときも「あぁ…日本三大崩壊地ね」なんて自然に読めてしまったくらいだ。残念ながら大谷崩には行った事がないのだが、稗田山崩れは何度か見に行ったことがあったりする。

 つことで、何が言いたいのかというと、家には案外こういう関係の資料が多いという事。昔林野庁関係の仕事をしていたせいか、この手の刊行物の編集を何度かやっていて(というか「やるやる!」と名乗り出たというのが正しい)、20代の一時期は、このような治山事業に萌えていた時期がありましたよ…で、家にはこういう資料もあるんだぜ!なんて自慢話をちょっとしたくなったなというお話でした(笑)

 ちなみに私は「ダム」とかも確かに好きなんだけど、そっちは「治山萌え」と、ややベクトルが違うような気がするんだよね。こんな違い、興味ない人にとっては、どうでもいいことでしょうけど。

 う〜ん、また日本各地の「崩壊地」、見に行きたくなってきたな。

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▼2010年07月04日

すてきな切手本「切手帖とピンセット/加藤郁美」

100704-02.jpg 本屋さんで見つけて衝動買いしてしまった本。タイトル通り、様々な切手のデザインが紹介されている本ですが、その中でも本書は「1960年代前後の東欧〜アフリカ諸国」など、ちょっと珍しい世界の切手に焦点を当てているように思えます。新鮮なデザインの切手がカラーで数多く紹介されていて、眺めているだけのつもりでも、ついつい見入ってしまう、とても面白い本です。

 それはさておき、本書の中の文章で気になる部分がありました。それは、この本の中でコメンテーターが戦後デザインについて語っている部分。「戦後デザインのピークは1959年から1964年くらいまで」という説です。何故気になったかというと、私もその主張には大いに賛同できてしまうからです。

 本書では「世界中で戦争に明け暮れていた時代がようやく落ち着いて、10年位のタイムラグがあった後の1960年前後は、デザイナや職人達が希望を持って新しいアイディアを試した時代。そしてその時代、世界は戦争の傷跡から回復し、消費者の財力も付いてきたいいタイミングだった」と語っています。それが1980年代になってしまうと、デザインの意味が変わってきてしまい「本当によいものを届けるためのデザインが、既に持っているものを更に買わせるためのデザインに変質してしまった」ということ。確かにそうかもしれません。

 この文章を読んで、私が学生の頃に受けたマーケティングの講義で、講師が一番始めに語った言葉を思い出しました。それは、

「マーケティングで、良い商品をより多くの販売に結びつけることは可能ですが、どんなに優れたマーケティング手腕を用いても、悪い商品を多く売ることはできません。それがマーケティングの限界であることを覚えておいて下さい。」

 という言葉。今までこのような現場で働いてきて、この言葉は私の中でベーシックなマーケティング・企画の基礎理論としてずっと心に留めてきていました。

 しかし、とはいいつつも、今の時代では決して良い商品でないものを、強引なプロモーションで消費者に押しつけるような手段が増えてきたようにも感じています。それをマーケティングというくくりで語ってしまっていいのかは判りませんが、そんな事を思いながら、本書の「本当によいものを届けるためのデザイン…」という下りを読むと、妙に心に残ってしまいます。

 あまり同業者とのつきあいが多くない私ではあるのですが、それでも以前デザイナと語り合ったとき、もっと早く生まれて1960年代にデザイナとして活躍したかった…と言っていた人は何人かいました。彼等はきっと、あの時代「良いものをより良いデザインでお客様の元へ」という、シンプルで力強い、ストレートなデザインの力を信じられた時代の良さを、本能的に感じ取っていたのかもしれません。

 後半は本書の内容とは関係ない文章になってしまいましたが、今からちょっと古い時代…デザインがデザインとして自由に力を発揮できた時代の記録としても、とても面白い本です。
 購入するときは、下にアマゾンのリンク貼ってしまいましたが、直販で買うとオマケ付きなのでおトクかも。内容が気になる人には中身全184頁のプレビューなんてのもありますね。web副読本アクセス・ワードってのは、自分は本屋さんで買ったのでもらってませんけど、ほしかったなぁ。

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▼2010年06月06日

iPadショック/林 信行

100606-01.jpg せっかくiPad買ってみたので、1冊位はあいぱど本でも…と思って買ってみた本。さすがにiPad発売からすぐに発売された本のせいか、内容についてはちょっと薄いなと思った。

 ただ、まぁ…iPadを買って、この端末が世間でどんな期待を受けていて、また、どの方向を目指しているのかという、現時点での指針を俯瞰するにはいい本だと思う。少なくとも、急に沢山発売された、雑誌大の薄っぺらいHow toにすらなっていないムック本よりはマシだと感じる。

 内容についての感想は特にない。というのも、普段からiPadやiPhoneの情報をネットで漁っている人にとっては「どっかで読んでる」内容がほとんどだから…故に、私みたいな人には「iPad事情のまとめ本」、という位置づけに留まった。

 なんだかいい評価がないな…という感じのエントリになってしまったが、そんな訳ではなくて、読んでいる最中はそれなりに面白かったし、ふむふむと感じた部分もある。かといって「この本で初めて知った!」という内容があった訳でもなかったかなぁ。
 ただ、iPad関係で断片化された情報を頭で整理するには役に立つ。もちろん「iPadってなに?」と思っている人にとっては、ややビジネス寄りの内容ではあるが、なかなか面白い。そんなに濃い話でもないので、サクッと読めると思う。ある種正しいビジネス書の姿…って、結局なんだか否定的な感じで結んでしまったような気もするが(笑)

 繰り返し読むような本でもないので、もしどなたか読みたいという方がいれば、ネットでこんなこと言っていいのかわかりませんが、手持ちの本、差し上げます。条件は「手渡し可能」「読み終わったら周りの興味ありそうな人にあげちゃって」の2点です。ブックオフとか禁止(笑)。応募者多数の場合は、適当に渡しやすい人から放流しちゃいますのであしからず。

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▼2010年05月25日

関東水陸交通史の研究/丹治健蔵

 古本屋さんで見つけたので買ってきた。古本といっても4,000円もしましたけどね。ま、新品の6割引だから得ではあるんだけどさ。
 で、多分通して読み終える事は無い…か、かなり先のことだと思うので、全て読んでもいないのにエントリ立てちゃいます。

 本書の内容としては、タイトルの通り。関東圏における、水陸交通…というか、内陸の物流と言ってしまって差し支えないだろう…についての研究記事をまとめたモノ。まだ本書の内容について全て目を通した訳ではないが、おおよそ利根川水系と江戸川水系、あと、茨城県と千葉県…常陸国近辺の物流史についての研究記事が掲載されている。
 対象とする読者層が、一般の読書人というより、モロ研究者向けなので、記述内容のハードルは高く、正直私も通して全て読むつもりはないのだが、それでも、当時の運送契約、積み荷についての契約書類、そして運送料金についての覚え書きなど、ふと疑問に思ったときに、参照できるベーシックな一次資料からの転載が多いのが特徴。つまり、一般書と違って初めから最後まで通して読む…という用途の本ではないんだなと、そんな感じ。

 数年前までは、江戸側と利根川水域について、あの景色と集落の関係、そして歴史について興味があり、何度もクルマで現地をドライブして、雰囲気を感じ取っていたものだが、最近は江戸川水系についてはともかく、利根川の、特に取手以降の下流域については、あまり訪れていない気がする。
 時間と余裕を見て、クルマだけではなく、自転車でそれらの土地をゆっくり回って、当時の内陸水運の息吹を、もっと濃く感じてみたいものだと思っている。

▼2010年05月24日

江戸東京を支えた舟運の路/難波匡甫

 かつて江戸東京を支えた利根川内陸水運に関する本。このシリーズの続編となる。

 かつて、北国から江戸に運ばれる米や特産物は、海路でそのまま東京湾に入ってくるのではなく、1度千葉県銚子で川船に積み替えられ、そこから利根川をさかのぼり、江戸川を経由して江戸に入る…といったルートが一般的であった。何故なら当時の鹿島灘、九十九里浜沖の海路は難所とされ、遭難事故が多発していたからだ。
 実際、その海域で不意に沖に流され、黒潮の流れに乗ってしまい、沈没は免れても、遙か北まで漂流してそのまま帰らぬ人となった船乗りは多い。遭難した場所こそ違えど、江戸時代、ロシアに渡りエカテリーナ女帝に拝謁した大黒屋光太夫も、黒潮に乗り、カムチャツカまで流されている。

 それはさておき、北国からの荷物の殆どが、利根川と江戸川水系を利用して江戸入りする訳だから、当時の川の賑わいは、想像以上のものであったろう。現存する写真で、明治に入ってから、今の千葉県松戸市近辺で江戸川を撮影した写真があるのだが、大小様々な川船が浮かんでいて、たいそうな賑わいである。そんな時代もあったのだ。

 その利根川水系内陸水運だが、江戸中期に起きた浅間山の噴火以降、火山灰が川に堆積し、大型船の通行が困難になり、徐々に衰退してゆく。他にも、房総沖を航海する安全なルートが開かれたりして、利根川水系内陸水運の地位は徐々に下がっていった。
 それでも、今と違い、中・短距離の輸送手段として、やはり川を使った水運は盛んであり、明治に入ってからも、上流の回航困難な関宿をパスする目的で利根運河が掘られたりして、川はそこを利用する運送業者や旅客船などで賑わい、今の人気のない利根川の姿とは全く違う様相を呈していた。

 本書では、そのかつての内陸水運のコースを、可能な限り川から辿っている。現在の巨大な堤防で隔離された河川上から、かつての川の足跡を感じることは難しいみたいだが、それでも現在のスーパー堤防の外側には、わずかながらも、水運で栄えた町の栄光を見つけることが出来る。

 以前も書いたと思うが、現在の日本は、あまりにも水上交通の利便性を忘れきってしまっていると感じる。もちろん、時間にも正確で天候に左右されにくいトラック運輸が、物流の主力を担う現実は変わらないだろうが、そんな今でも、河川を利用した物流ネットワークというスタイルは、なんかしら利用できる余地があると思える。本書を読んで、そんな事を感じた。

▼2010年05月16日

戦争の世界史/W.マクニール

 戦争について、古代から現代(本書は冷戦が終了していない時点で書かれた)までをまとめた本。ただ、一般の戦記書と違うのは「戦争」という事象を、その当時の社会システムや技術から生み出され、変化してきた…という視点で一貫していて描いていること。

 例えば、古代における社会システムと、青銅器や鉄器などの発明から引き起こされた戦争の姿、また、その後の中国社会、そしてヨーロッパにおける戦争ビジネス、そして新たな科学力が引き起こした戦争の変化、国家総動員制、単一の国家でコントロールできなくなりつつある戦争、そして凶悪な核兵器を持った現代では、地球規模の強力な国家単位が生まれないと、もはやこの状態をコントロールすることは不可能である…という結び。
 ざっと書いてしまうと当然の事の羅列にも思えるが、その中で書かれているエピソードは、どれも戦史マニアをうならせるモノであり、また、個々の時代ごとにおける「戦争」が、1つの流れとして、自身の中で再構築できるような構成になっている。これは読んでいて非常に快感だった。

 後書きにもあるが、何故幕末の日本では最新の洋式大砲に歯が立たなかったのか。そして何故西国の有力藩はこぞって「反射炉」を作ったのか…なども、本書を読むとなるほどと理解できる。

 また、人力や馬で遠征可能な範囲が、かつての国家において軍事的に影響力を及ぼせる範囲であったのが、様々な技術革新により、その影響力をどんどんと広げてゆくことが可能となり、ナポレオン時代以降の西欧は、もはや戦争によって歴史が作られたというより、新しい技術により戦争と歴史が作られたと考えた方がいいような状況だとも…。
 ちなみに、戦争によって「最新技術」が生み出されるようになったのは、十九世紀末の海軍における造艦テクノロジー競争以降だというのは、なにやら意外。それ以前の大砲や銃などのテクノロジーは、全て民間の企業が、開発済みの最新技術を国家に提供していた状態だったそうだ。

 他にも細かいことを書いていればキリがないのだが、とにかく、軍事マニアや戦史マニアにとって、本書はやや高価ではあるが、絶対にお薦めの本だと断言する。
 私もとりあえず1度読み終えたが、まだまだ全然理解が足りない。机の近くにおいて、事があれば、何度も読み返そうと思っている。

▼2010年04月27日

スーパーカー誕生/沢村慎太朗

100427-01.jpg 伝説のスーパーカー研究書、「スーパーカー誕生」が、奇跡の1,000部限定重版

 初版発刊当時は「給料日になったら絶対買おう」と思っていたのだが、あっという間に市場から姿を消してしまい、その後、古本はアマゾンで3万円なんてバカげた値付けがされていたおかげで買うことが出来なかった。
 幸い内容については、隣町の図書館にあったので、借りて一読はしたのだが、それでもこんなに濃い研究書は是非手元に置いておきたい!と思っていた。そんな中、今回の重版は本当に待ちに待ったもの。高価ではあるが、自動車…特にスパーカーについて何らかの興味を持っている人は、絶対読んだ方がいい。

 内容は、デ・トマソ・ヴァレルンガからスタートし、ランボルギーニ・ディアブロまで。おおよそ車種別にテキストは別れているが、従来のスーパーカー本にあるような、単に1車種のスペックとエピソードを羅列するだけではなく、その開発に至る経緯と時代背景が巧みに織り交ぜられている。

 私達は、どうしても「スーパーカー」という商品を、伝説めいた言葉で飾ってしまうことが多い。もちろん、その魅力的なスタイリングや、卓越した性能(性能については最近その“張り子”が暴かれ始めているが)は、私達に夢とロマンを与えてくれるし、その結果商品が伝説めいたエピソードに埋もれてしまうのもやむを得ない事かもしれない。実際メーカー側もそういった側面を肯定している節もある。
 ただ、実際に自動車メーカーが作る自動車は、どんなモノでも、売るべき顧客を設定し、マーケティングを行い、販売台数×販売価格から想定した、開発費用とコスト管理を行って世に出される「商品」である。本書では、それらスーパーカー達とその成り立ちを、現地での取材リソースを元に、極めて冷静に語っている。

 内容については、ある程度自動車に対する知識がないと辛いかも知れないが、それでも頑張って読み進めれば、スーパーカーという極めてエキセントリックな商品と、なぜあの時代はスーパーカーだったのか、が理解できると思う。そして、何故現在の高性能車達は「スーパーカー」と呼ばれないのか、についても何となく理解できる気がする。

 個人的には、簡単な図ではあるが、登場車種達についてのエンジン・クラッチ・デフレンシャル・トランスミッションの搭載見取り図が記されているのが素晴らしいと思った。自動車におけるこれらの搭載位置と、地上からの高さは、スペックを語る上でも、非常に重要な情報だ。

RICOH GR Digital


▼2010年04月11日

カワウソと暮す/G・マクスウェル

100411-01.jpg スコットランドの人気のない入江、そこで著者が、短い間ながらも、カワウソのミジと暮らしたドキュメント。ミジビルとの出会いと、生活、そして唐突な別れを、割と淡々と(というように読める)描いている。

 本書で描かれるカワウソの生態は、人と動物にとって本当に理想的な関係にも思える。それはこの人気のないスコットランド、という土地であることも関係するのだろうが、日本でもカワウソが全国各地に生きていた頃は、このミジビルの様なカワウソが、私達の生活圏の中で一緒に暮らしていたのかも知れない。

 カワウソは、肉食動物の為か、あまり人間を恐れない。恐れないどころか好奇心を持って近寄ってくることも多かったという。本書でも、この自由奔放に人と暮らすカワウソの生態は、まるでファンタジーのよう。

 数は少ないが、口絵で収められている数点の「ミジビル写真」も素晴らしい。カワウソに興味を持っている人以外にも、動物好きな方に広くお勧めできる本だ。ただ、残念ながら、現在では入手がやや困難。

RICOH GR Digital



▼2010年02月22日

Brompton Bicycle

 ようやく届いた謎の洋書「Brompton Bicycle」。注文したというエントリを書いたのがこの頃だったから、約3ヶ月待たされたのか…。

 届いてみると、当然ながら洋書「かに文字」なので、私には何がなにやらさっぱりです(笑)

 内容としては、世界のフォールディングバイクの歴史、ブロンプトンのプロトタイプから誕生まで、そして各モデルの変遷。またブロンプトン以外のフォールディングバイクについても紹介されていて、なかなか面白い。

 文字ばかりではなく、写真も豊富なので、ブロンプトンがお好きな人にとっては、洋書の入門としても良いのでは?かわいいお値段だし。

 今なら即納みたいですよ。

港町のかたち—その形成と変容/岡本哲志

 交通の歴史に興味を持っている。昔の人たちが、何を考え、何を求めて、世界を駆け巡っていたのか。そしてその足跡は今でも残っているのか…そんな事をよく考える。

 本書は、そんな日本の交通史の中で、かつては大量輸送の花形であった、海運で栄えた街の足跡を辿るという本。面白いのは、この手の現地調査ではその現地に入るまでの交通手段にはあまりこだわりがない事が多いが、本書については可能な限り海の側から訪れ、また海の側から街の景観を確認していること。

 かつての水運と言えば、海もそうだが、日本は河川の水運も盛んだった。私がちょうど子供の頃は、近くに流れる川を利用して、海から大量の木材をプライウッドの工場に運び込んでいる姿をよく見た。牽引しているのは、焼き玉エンジンを搭載した「ポンポン船」そして牽引している材木の上には、鳶のようなおじさん達が、器用にくるくる回転する材木の上を歩き回っていたものだ。そんな風景も、私が大人になることには、すっかり消えて、川からは人の流れが消えた。

 同じ事が海にもいえると思う。大規模なコンテナ船やタンカー、フェリーなどは就航していても、もっと身近で小回りのきく交通手段、運送手段として、水辺は漁業を行っている人以外には「利用されない」空間になった。関西での事例は余りよく知らないが、特に関東以北では、人と海の距離感は、だいぶ離れてしまっているように見える。東京湾なんて内海なんだし、本当はもっと細かく旅客船が就航していてもよいような気もするのだが…。

 そのように、かつて交通の要所として栄えた日本の港町は、今では多くが、小規模な漁業港としてのみひっそり生き延びているのがほとんどだ。しかし、そのある種都会の喧噪から隔離され、穏やかにも見える港町は、陸上交通が主流になる前は、物流の拠点として、新しい物や情報であふれていた都会だったのである。

 近代社会が、納期が天候などの要因で左右されやすい、近・中距離海運から撤退しつつあるのも理解できるが、逆に言えば、そのような必要性の薄い用途において、もっと水運を積極的に利用できる社会というのは、創造できるのではないか。本書を読んでそんなことを思った。

▼2010年02月21日

創るセンス・工作の思考/森博嗣

 ミステリ作家、森博嗣のエッセイ。本屋さんで立ち読みしてみて、面白そうなので買ってみた。

 早速読んでみたのだが、この本のような考え方は、工作する人だけではなく、クリエータやプログラマにも身につけてもらいたいなと思う。

 私も子供の頃は、工作少年だった。家の周りは、丁度新興住宅地、工業開発地に囲まれていて、建設中で放置されている材木やトタン板など(放置していたのではないかも知れないが)、様々な素材を拾って、色々なモノを作った。
 子供だから設計図とか考えずに、思いつきで、のこぎりで切ったり釘打ったりという、工作と言っていいものか判らないレベルだったが、それでも楽しかった。また、家の中では、厚紙やノリ、セロテープなどを使って色々おもちゃも創った。本書の中にある「厚紙と輪ゴムで創った、自動販売機のおもちゃ」も、すぐに作れと言われても無理だが「あ…こんな方法かな…」とは何となくはイメージできる。というか、動作の仕組みを考えるのもそうだが、厚紙のあの素材感や強度など…そういう部分でのイメージが出来るのは、やはりそのような工作の経験があったからだろう。

 話はちょっと変わるが、真面目な人生を送っていないような私でも、たまに人から相談を受ける事がある。「デザイナになりたい」「Webディレクタになりたい」そういうときの私の答えはまず「なればいいじゃん」である。

 デザイナになりたいと思うのなら、その瞬間から、色々な作品を作ればいいし、Webディレクターになりたければ、自分でサイトを立ち上げて、そのサイトをセルフディレクションすればいい。幸い、今ではPCもデジカメもブロードバンド回線も無料のサイト開設に使えるストレージも、とても低いコストで手に入る。私がWebサイトを作り始めた前世紀とは大違いだ。

 こんなに恵まれた環境で、自らの意志で創造活動をスタートできないというのなら、陳腐な言い方をしてしまうと「あなたには向いていない」ということなのだろう(もっとも、その質問で「デザイナとして食べていきたい」「Webディレクタとして収入を得たい」というなら、また解答は別になる。私だってまだ判らない)

 最近はプログラマについても同じような事を感じる事が多い。私自身はコードを全く書けないし、そもそもプログラムなんて書こうと思った事もないのだが、それでも「こんな機能をもつプログラムを作りたい」という要望に対して難しいというプログラマに「このデータのこの部分を取り出して、それをキーにしてこの形でまとめ直して、その後必要なデータを抽出して…」みたいに実現可能な概念を提示するという事が多い。その概念を教わると「なるほど」と納得して、彼等はコードを書き始めるという感じ。

 このような事が出来るから自分は偉い、とか言うつもりはないけど、それでも彼等に対して感じてしまうのは、最初の一歩…つまり「創り始める」という思考のプロセスが訓練されていないんだな…ということ。以前もツイッターでつぶやいたのだが、こういった仕事をやりたいという人は、それこそ自分のセンスやアイディアを自ら出力したくて仕方ない人達かと思っていたのだが、最近はそうでもないようだ。

 私はビジネス書をほとんど読まないが、世の中の評判や、本屋さんでのタイトルを見る限りでは、「与えられた課題を如何に効率的にこなすか」という情報に偏りすぎている気がする。
 そうではなく、やはり仕事の基本は、自ら何かを創り出して、それで報酬を得る事ではないのかと、こういう仕事を続けてきた私はそう思っている。

 本書は、物作り系エンジニア向けに書かれたと思える文体だが、その考え方は、全ての仕事をしている人にとって役立つものだと思う。どんな状況でも、どんな年齢になっても、想像力は常に鍛えよう。

▼2010年02月11日

新・井沢式日本史集中講座「鎌倉・新仏教」編/井沢元彦

 井沢元彦による、日本史の本。彼の著作は別に好きという訳ではないのだが、この「日本史集中講座」のシリーズのみは読み続けている。
 それは、読み進めるのが非常に簡単な上、他の本では難解で理解しにくい「日本人の宗教」について、分かりやすく解説してあるからだ。

 私達は日本人を「無宗教である」と教えられてきたし、また、今でも私達日本人は「無宗教である」と思い込んでいる。でも、井沢氏によれば、それは間違いで、私達日本人のベースには、古代から延々と「言霊信仰」と「和」があり、その上に外国から入ってきた仏教やキリスト教などをアレンジして用いている…という考え。

 確かに、日本人による「言霊」の扱いは、論理性を欠いているなと感じる。葬式や結婚式で言ってはいけない言葉から、会社組織の会議でも「潰れるとしたら…」という言葉は「不吉で不穏当」として言葉で発したがらない。また「話し合えば判る」というのも、「話し合う」事を真っ向から否定する人は日本人ではほぼいない。実際は話し合う必然性があるから話し合う訳で…「話し合う」という意味をすっ飛ばして「話し合いは大事」などと言っている。冷静になって考えてみれば、これらの理不尽な行動は、ある種の宗教観に支配されている行動だとしか思えない。

 そんな事を、このシリーズでは延々と書いてあります。文章は非常に読みやすいので、今までこのような本を読んでいなかった人でも、楽しく読み進められる筈です。

FREE/クリス・アンダーソン

 サブタイトルは「無料からお金を生み出す新戦略」となっている。

 世の中のサービス…特にデジタル系の、複製のためのコストが限りなくゼロに近いものは、何らかの手段で遅かれ早かれ、重力に惹かれるかのごとく、無料化の流れには逆らえない、との事。それならいっそのこと無料に…なんて話も書いてある。
 個人的には、こういった「無料化」の流れというスタイルについて、最近色々考えていた事もあり、なかなか興味深い記述が多かった。

 読後、デジタルで提供されるコンテンツが無料化の流れに向かっているのもそうだけど、、同時に、デジタルの世界は、仕事の「ワークシュア」を先鋭的に実現しつつある世の中なのかな…なんて気もしました。

 ちなみに本書には日本語の公式サイトもあるのですが、微妙にこの著者が言いたかった事と、趣旨がズレているような気もします。

▼2010年02月07日

黒船前夜/渡辺京二

 副題は「ロシア・アイヌ・日本の三国志」。著者は「逝きし世の面影」で有名な渡辺京二。後書きには「逝きし世の…」の続編となる「日本近代素描」シリーズの2巻目にしようとしたが、思いとどまった…とある。

 本書で語られる時代は、ベニョフスキーの書簡事件から、ゴロウニン事件まで。その間に起きる、日本とアイヌ、そしてロシア三国の動きや思惑を明らかにしてゆく。

 旧世代の幕末史でよく語られる「黒船のショック」と、始めて見る異人に慌てふためく日本人…というステレオタイプのイメージは、最近になりだんだんと否定されつつあるが、本書においても、見知らぬ外国人に対して冷静な判断で対応する徳川時代の日本人が活き活きと描かれており、また、同じく旧世代のアイヌ史でよく語られてきた、内地(本州に住む日本人)の人間に一方的に搾取されるアイヌ人という、またステレオタイプなイメージについても警鐘を与えているように見える。少なくとも、徳川時代のアイヌ人は、幕府から一方的に支配されるだけの存在ではなかったという事のようだ。

 このゴロウニン事件の後、日本とロシアの通商交渉は一旦休止し、もう少し時代が下った時に、アメリカからはペリー、ロシアからはプチャーチンが、ほぼ同時に日本を目指し、タッチの差でペリーの恫喝外交が実を結ぶという結果になった。その時どさくさ紛れに通商条約を結んだ列強の中で、たった一つ、いわゆる「不平等条約」を押しつけなかったのがロシアであったらしい。

 本書に登場する日本人とロシア人達の姿を見ると、もし江戸幕府の開国がロシアからスタートしていたら、その後の幕末史と昭和史は、もっと穏やかな時代だったかも知れない…などという幻想を抱きたくなってしまう。
 本書を始め、当時の時代について書かれた書物を何冊か読むに当たり、日本人とロシア人は、いつの日かイデオロギー的対立を乗り越え、心の底から笑い会える仲になる日が来るのではないかと思っちゃうね。

黒船前夜/渡辺京二
日本俘虜実記(上)/ゴロウニン

ベッドサイトの読書灯、ヤマギワ・STEM RAY・SS393N|Conran HIGH-LIGHT

100207-01.jpg ずっと、ふとんの中で読書する事が夢だったのです。

 でも、私の部屋でふとんが敷いてあるエリアは、あまり室内照明も明るくなくて、なおかつ、寝る時に照明を消すには、布団から出て、奥の院脇にあるスイッチ(奥の院とは私の部屋の更に奥にある秘密の部屋を消しに行かなければならない…。となると、せっかくいい感じで眠くなったのに、また目が覚めてしまう…ので、寝る前の読書が、あまり思うように出来なかったのでした。

 いっそのこと、部屋の照明をリモコン化しようかな…なんて思っていたのですが、そんな中、色々とインテリア照明を探していたら、私の琴線にビビッとキタのがこのランプ。ヤマギワから発売されている「STEM RAY」というシリーズ、「Conran HIGH-LIGHT」ともいうようです。その新型モデルでは、サンヨーのエネループ単三を2本入れる充電式となっており、ますます物欲が…。ということで、シリーズの中で「集光レンズ付き」という、オリジナルよりも若干照射範囲が広がっているSS393Nをゲットしてきました。

 早速寝る前に使っているのですが、なかなかいいですね!ふとんの中での読書っていうのは…。
 今まではホテルに泊まったとき位しか「おふとん読書」ってした事なかったのですが、これからは、ちょっと眠れない夜でも、気軽にその時間を読書にあてる事が出来ます。

 更にこのライト、充電式の為、電源のないところにでもサクッと移動させる事が出来て、とても便利です。ライトのアーム部分は、フレキシブルに曲がりますので、自分のお好みの場所を明るくする事が出来ます。ダイキャスト製のテトラ風台座は、適度な重量感があり、安定性も抜群!見た目もカッコいいしね。

 ちょっと無理して難点を上げてみると、内蔵エネループ電池を取り外すとき、ドライバで台座裏側にある+ネジを3本外さないと電池蓋が開きません。急に電池が切れた時など、気軽に電池交換が出来ないのが残念。もっとも、電源アダプタつないで充電していればいいのですが、マニュアルによると、本体でフル充電するには約6時間かかるとの事なので、急に電池が切れて、なおかつ電源がないところで使いたいときは、ちょっと面倒かもね。それと、この製品にはエコポイントとか付かないんですかね。総務省さん。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro

▼2010年02月06日

海と非農業民

 数年前に亡くなられた、網野喜彦についての評論集。網野喜彦に関わった人達が色々な文章を寄せている…という構成だが、逆にそのような論文をまとめたモノの故に、網野学の入門としてもとても判りやすくなっている。

 網野氏が、どんなプロセスで「常民」という定義を始めて、それを「百姓は農民ではない」という有名な思想に昇華してゆくのか…。本書を読んだだけでは、当然まだまだ情報量が不足しているが、網野氏のどんな著作から読み始めてゆけばいいのか…という指標にはなると思う。

 最後の章「日本の歴史をよみなおす」の英訳版を作るに当たり、百姓を「peasant」と訳すのを禁止した…というのも面白い。代わりに使われた言葉は村民・町民を表す「villager」という言葉だそうだ。

 本書には「第1回常民文化研究講座」の際に行われた網野氏の講演を収録したCDが付属している。そっちはまだ聞いてないです(笑)

海と非農業民―網野善彦の学問的軌跡をたどる/神奈川大学日本常民文化研究所

湿原のアラブ人/ウィルフレッド・セシジャー

 アラブ人と湿原…というキーワードは、あまり結びつかないように感じるのではないだろうか…。私も書店でこの本のタイトルを読んだ時「あれ?」と思ったものだ。

 かつて、人類文明誕生の地と言われた、チグリス・ユーフラテス川に挟まれた下流は、広大な大湿原地帯だった。本書は、そのその大湿原地帯を訪れ、一緒に現地人と生活を共にしたイギリス人による、1960年代に書かれた記録。
 そのイラク地方にある広大な湿原地帯の旅行記を読んでいると、なにやらこの旅行記が、地球以外の架空の世界の話に思えてしまう。

 その貧しくも豊かで、時に生きる事に真剣であったその「アマダン」と呼ばれる部族と、彼等が住んでいた湿地帯は、現在この地球上に存在しない。何故なら、フセイン政権時代のゲリラ掃討プロジェクトで、川の水を人工的にせき止めてしまい、広大な湿地帯を全てを干上がらせてしまうという暴挙に出たからだ。

 旅行記としても大変面白いし、また、世界にはこういう場所も存在したんだ…という記録としても、貴重な資料だと思う。

湿原のアラブ人/Wilfred Thesiger

▼2010年02月05日

コンテナ物語/マルク・レビンソン

 現在世界中で当たり前のように行われているコンテナ輸送。そのアイディアはとあるトラック運転手出身のマルコム・マクリーンが企画し成功させたシステム。そのコンテナ輸送前夜のアメリカ海運業界と、コンテナ輸送によって、世界の海運…流通が変わってゆく様を追った本。

 考えてみれば、日々の暮らしを支えている重要な「コンテナ」というシステムについての歴史をまとめてある本は少なかったと思う。

 私たちの荷物が盗難にも遭わず、無事に世界中を駆け巡ることができるのは、この「コンテナ」というシステムのおかげなんだよね。流通の効率化についてもそうだが、荷物が途中で盗難に遭わない…というのも、コンテナ輸送の優れたポイント。

 タイトルを見ると、やや堅い内容にも思えるが、読み物としても、ドラマチックにポイントがまとめられているので、とても読みやすい。
 そして、こういう普段は地味な縁の下の力持ち系の情報をまとめた本って、理由はよくわからないけど、読むとなんだかワクワクしてくる。お勧め。

▼2010年01月18日

軍事とロジスティクス/江畑謙介

 軍事に関する「ロジスティクス」を「後方」と訳してしまうのが、そもそもの誤り…。そんな書き出しから始められる、主にアメリカ軍の最新ロジスティクスの実態を、詳細に調べ上げた本。元は経済誌に連載されていたそうだが、実際、軍事知識の本というより、物流システムに興味がある人の方がおもしろく読めるかもしれない。

 自分のエントリを参照するのもおこがましいけど、


 という現実にフォーカスを当てているのが興味深い。アメリカ軍が世界最強であるのは、何もステルス爆撃機やイージス艦を持っているだけではないという理由が見えてくると思う。むしろ本書は、非軍ヲタの方にこそ、物流システムの最前線事例として、お勧め。

▼2009年12月15日

ハンナ・アーレント「責任と判断」

 これからプレゼンなんだけど…ま、その前に本屋さんに寄ってちょっと買ってしまった本。

 ハンナ・アーレントとは、ドイツ出身のアメリカ人思想家。公と個についての独特な解釈が面白いのだが、正直理解するのに難解だと評判。私も若い頃、何かの本に手を出した記憶があるが、正直内容なんて全く覚えていない。

 で、なんで急に彼女の思想に注目しだしたのかというと、ミーハーな理由だが、週末に寄ったカフェ・プロントで配っているフリーペーパーで、ガンダムの富野由悠季監督へのインタビューが出ていて「最近ハンナ・アーレントを読み始めたのだが、難解で全く読み進められない。もっと若いうちに読んでおけば良かった」みたいなことを言っていたから。確かに彼女の思想の一部は、ガンダムで富野監督が言いたくてもうまく表現できなかったあのもどかしさに通じるモノがあるかも…と思って、昨日概略を記した新書を読み、今日本屋に寄ったら、この「責任と判断」というテキストがとても面白そうに思えたので、買ってみたという訳。

 もちろん、まだ全ては読み終えていないが、確かにガンダムファンは読んでみると面白いかもしれない。彼女の思想を読んでみると、ファースト後半からVガンダムに至る、富野監督の苦悩がなんとなく重なってくるような気すらする。

 「戦争犯罪はその特異性から再犯率が非常に低い上に、彼等はその個の意志を持って犯罪に荷担した訳ではない、社会に彼等を裁く権利は…」みたいな考え方。あるいは「どんな独裁政府でも、全ては“合意”なしでは成り立たず、また“合意”できるのは成人であり、そこに“服従”してしまうのは子供である」みたいな(かなり意訳…間違ってるかも)等の彼女の思想は、若い身空で、ガンダムとかイデオンとかダグラムとか…そういうめんどくさい人間模様のアニメに付き合ってきた、私たちの世代の方が、より分かりやすく心に染みるのかも…なんて思ったりもした。

▼2009年10月11日

“超”格差社会韓国

 とあるブログでこの本の書評を読み、ちょっと面白そうだなと思って、私も買ってみてざっくり読んでみた。

 読後の感想つぃては、韓国に生まれなくてよかったなという…。

 私たち日本人も、いわゆる「高度経済成長時代」に、様々な犠牲を払ってきたし、また、いろいろなモノを失ってきた。
 それを前提と考えても、今の韓国社会が、人を幸せにするシステム…というか、思想で運営されているのではないんだなと思った。私たち日本人も、よく認識しておいた方がいいかも…。

 しかし…このブログでも何度か書いていますけど、国家は何を目的に運営されるのか、じっくり考えた方がいいかも。国家は経済成長のために存在するシステムじゃないんだと、みんなでもっと気がつかないとね。

▼2009年08月13日

新訳・蘭学事始/杉田玄白:著・長尾 剛・新訳

 以前岩波文庫だったと思うが、蘭学事始は読んだことがある。これは、杉田玄白が、当時オランダ語の辞書も何もない状態から翻訳を開始した「解体新書(ターヘル・アナトミア)」にまつわる翻訳現場や出版にまつわる思い出話をまとめた本。実際、この本は当時出版された訳ではなく、私家本として若干流通したに過ぎず、またその私家本を元に少量の肉筆本が伝わっていただけだという。
 そしてこの本を、明治時代初期になって、偶然、福沢諭吉が神田の古本屋で発見し、歓喜しながらそれを印刷して出版するのだが、それまでは既に江戸時代末期の時点で、読みたくても読めない「幻の本」扱いになっていたらしい。今の私たちは、福沢諭吉が偶然古本屋でこの本を発見してくれたおかげで、当時の面影を知ることが出来るのである。

 で、今回の「新訳」版だが、これは私たちが普段目にする日本語に近い状態で全体を書き直してある本。なので非常に読みやすく、内容も理解しやすい。岩波文庫版も現代訳には変わりないのだが、やはり使われている日本語が厳つくて、理解しやすいとは言えない。研究目的でもなければ、本書を読んだ方が内容は理解しやすいと思う。

 本文を読んだ後、訳者の解説で「玄白の世渡り上手さ」を指摘している部分があるが。そこにでている「江戸時代当時の人達による自然な徳川幕府への信頼感」という下りはとても共感できるモノであった。今の歴史書の中には、江戸時代当時の庶民意識をどうしても「被支配者階級」であること前提に書かれている書物も多いが、おそらく江戸時代におけるお上への意識は、私たちがいまの自民党政権に感じている思いと、そう大差はないと思う。

▼2009年08月12日

コーチャンフォーに行ってきました

090812-01.jpg 北海道に行った時は、いつか行ってみたいと思っていた郊外型の書籍を中心とした複合チェーンコーチャンフォー。一部書籍マニアというか、書店マニアの方達には有名な店舗で、かなりマニアックな品揃えなどが特徴らしい。

 郊外店なので、前回鉄道で北海道に行った際は立ち寄ることが出来なかったのだが、今回はルート途中にある札幌市内「ミュンヘン大橋店」に寄ることができた。

090812-02.jpg まず店内に入ると、その圧倒的な広さにビビる。もちろん店舗面積では、都内の大型書店の方が大きいのかもしれないが、これだけの床面積が単一フロアになっていると圧巻。実際の品揃えをチェックしても、大量の本が並んでいる。
 で、在庫を見て思うのが、都内の大型書店とちょっと違い、なんだか「返本をきちんとしてない感じ」みたいな良さ(笑)。なんだか判りにくいかもしれないが、ちょっと古めの最近書店の店頭では見なくなった本が、そのまま置かれていたりする。

 本やフロアからCDのフロアに移動してみると、コレもまたびっくりな広さ。特に驚いたのが、ジャズやクラシック、イージーリスニングなど、ポップス系以外の売り場面積が広いという事。在庫の量と種類はともかくとして、クラシックコーナーの広さなんて都内のタワレコ並み。詳しく並んでいる商品はチェックしなかったが、タワレコとは違い、マニアックな輸入盤が多数並んでいるのではなく、国内盤を丁寧に在庫してある感じだった。

 とにかく、道内の人達は、こういった充実した本屋とCDショップが、夜12時まで車で気軽に行ける場所にあるというのが、非常にうらやましい。是非関東方面へも進出してほしいが、そういう無理な業務拡大を行うと、経営に無理が来そうなので、道内限定でもいいから、末永く商売を続けていってほしいなと思う。

 北海道を車で移動する機会がある人は、一度訪れてみては如何?

RICOH GR Digital

▼2009年07月31日

ちょっと感心した書評

 確かに人間にはそんな面があるのかもね。

 人間性の心理学」:誰が得するんだよこの書評

 このエントリの書評記事には感心したけど、元の本は読もうと思わないな(笑)

▼2009年06月22日

無趣味のすすめ/村上龍

 割と当たり前のことを淡々と書いている本。だからこそ意味もあるし「力業」なのかどうかはともかく、その文章に力を感じるのだろう。

 そう…。失敗なんて何の価値もない。失敗しない人生を送れれば、それに越したことはない筈。不可能だとは思うが、当たり前の事実である。