まっかちん.Web / アラビヤン焼きそばファン倶楽部 / ESSAY / LINK / フラットな地球 / Photography. Blog*/ 記事INDEX

最近のコメント

アーカイブ


« 2018年04月 | メイン | 2018年06月 »

▼2018年05月31日

おとこのこ妻に悶える

 ヤバいもんを見てしまった…。

 何がヤバいって、サンデーのWebサイトで時間限定無料公開(このエントリ書いている時点で48時間と書いてある)されている「おとこのこ妻」というマンガで、これは何かに目覚めそうw。

 考えてみれば、ちっちゃくて気立てが良くてかわいくて、そしておとこの娘…なんて、世の男性にしてみればまさに理想を具現化した妻【パートナー】なんですよ。
 そもそも実物の女はつきあうと色々めんどくせーしすぐ調子にのるし銭湯一緒に入れないし連れションもできないじゃん(笑)
 それがおとこの娘をパートナーにすればそんな心配も無い(?)わけで、近頃おとこの娘のマンガが他でも流行っているのもわかります。みんなもうエロなんてどうでもよくてただ癒されたいんだよね。

 この主人公のユキちゃんですが、元々女装が趣味って訳でもないみたいで、夫のコーさんがそういう趣味なので付きあってあげてるみたいですね。それもまた献身的でいいじゃないっすか。ちなみにユキちゃんは6話で男性用の銭湯へ夫と普通に入っていますので、普段女装しているからといって、他の男性に身体を見られるのがイヤだとかそういう面倒くさい属性もないようです。ちなみにこの回ではユキちゃんのぽぽぽ…ぽこーち(爆)がチラッと見えますので、男の娘フリしていて実は女!なんてガッカリなオチもないみたい。

 一応彼等は「結婚している」と言い張っていますが、かといって今の同性結婚を認めない制度と闘うとかなんだとか、そういうめんどくさい事も考えている訳ではなく、単に好きだから一緒にくらしているというスタンスなのもさっぱりしていて良い。結婚のきっかけになったエピソードも単純ながらなかなか感動する展開で、不覚にもちょっと泣きそうになりました。

 近頃は、カミングアウトとかダイバシティとか多様化だとか、この手の同性愛を巡るエピソードは、油断するとやや面倒くさい方向に行きがちではありますが、こういう純粋に好きな人同士がくっついてイチャイチャしてるって作品は、なんだか心が洗われるような爽やかな感動と、あとちょっとヤバい方面の嗜好が刺激されて、実に至高の読書体験でありました。
 アマゾンのレビューを読んでいても「自分はLGBTに対して…」的なイカついこと考えていたであろう人達が撃沈されていく様がたくさん投稿されていて実に草です。

 無料公開が終わったらKindle版買うかw。

おとこのこ妻(1)/クリスタルな洋介

マイオーディオライフ2018

 オーディオ趣味で一番楽しいのは、他人の部屋をみること?だったりします。

 ただまぁ…実際にはいきなりオーディオファイルの方の家へ押しかけて「音聴かせて下さい!」なんて言える訳もありませんし、となると普通では、お友達でオーディオに凝っている方の家を見つけて、そこへたまに遊びに行くという経験しかできないのです。
 それと、ちょっとアレですけど、あまり親しくない他人のオーディオ部屋に行くと、どうしても「褒める」以外の反応ができなくなるってのもありますし。

 そんな方にピッタリな本が、この「マイオーディオライフ2018」です。

 オーディオのプロ(例えばライターなど)の方にとっても、オーディオ部屋の取材というのは結構大変なようで、古くは五味康祐氏による「オーディオ巡礼(季刊ステレオサウンド)」や、菅野沖彦氏によるレコード演奏家訪問(季刊ステレオサウンド)、長岡鉄男氏の「オーディオクリニック(FMファンとか色々)、その他オーディオユーザーへのお宅訪問記なんてのはいくつかありましたが、記事や特集の数としてもあまり多くはありません。
 それと、ハイエンダーな前記2つは別としても、ほとんどは「クリニック」や「アドバイス」目的の訪問記だったりして、となるとどうしても現状の音に不満を持っている人がメインになってしまい、その人が何を思ってこんなオーディオ(失礼)にハマってしまったのかがやや見えにくいのが残念でした。

 ちなみに、長岡鉄男氏のオーディオクリニックは、今でも単行本を自分の教科書にしていて、年に1度くらいは読み返します。改めて彼の記事を読み返してみると、ほとんどの事例で余計なインシュレータやアクセサリを外すということをやっていて、世間にある「長岡派はすぐに鉛のインシュレータとかおもりをアンプに載せたがる」って印象と真逆なのが面白い…って、話がずれました。

 ということで、この山本さん(面識ございますのでさん付けで呼ばせて頂きますが)によるオーディオムック、既にシリーズ3冊目になります。1冊目については「マルチフォーカスチューニング」というクリニック形式をとっていますが、2〜3冊目はよりユーザーの訪問記風になっています。
 ヒガミではないですが、ステレオサウンドの「レコード演奏家〜」までいってしまうと、庶民とはあまり縁のない雲の上の世界の話って気になりますが、このシリーズの本で紹介されている方達は、もっと普通のオーディオ好きな方…といったラインを狙っている印象。
 個人的に、オーディオユーザー訪問記は「専門誌よりも一般紙(BRUTUSなど)で紹介されている記事の方が面白い」と感じていたのですが、このオーディオライフのシリーズはそのラインにも近くて、マニアックすぎない、でもオーディオ好きが伝わってくるという実にバランスが良い訪問記で、読んでいてとても面白い。
 中には「とてもじゃないが真似できない」って人も登場しますが、それでも皆さん、それぞれの生活の中でオーディオを楽しんでいて、そうそう…そういう人達が普段どんな環境で音を聴いているのか“出歯亀”させて頂くのが一番楽しいんだよ〜なーんて思いながらページをめくっています。

 もちろん、オーディオ専門誌におけるマニアックな記事も大切だと思うのですが、それに比べて今も昔もオーディオ雑誌からは、オーディオが好きになった生活というのが中々みえてきません。なので、今オーディオに興味がない人でも、この本で「オーディオが好きになった結果」を体験してみるのは楽しいのではないかと。

 著者の山本さんは、Webでオーディオとの生活を公開されていますが、文章が決してオーディオ一辺倒でないのが、実にリアルなオーディオライフという感じで面白いです。
 そういえば、山本さん自身もステレオサウンドNo.138号で、菅野沖彦氏によってレコード演奏家としての訪問を受けています。あの記事にはまだパーペチュアルのDACがあったりと懐かしい。マイオーディオライフとは立場が逆なので、山本さんのオーディオ観に興味がある方はそちらの記事もお勧めです。

 ちまなみに、私も個人的に今まで色々な方の部屋のオーディオを体験させて頂きましたけど、その度に「いい音だなぁ」とか「これはちょっと…」など感想は色々ですが、それと同時にほぼ100%感じる事は「はやく家に帰って自分のオーディオ聴きたい」だったりします。
 これは音を聴かせてくれた人のオーディオが自分より上か下かという事ではなく、やはりなんだかんだで完全に自分の好みだけで機材を調達しセッティングした音というのは自分にとって一番馴染むということかもしれません。ただ、他人の音を聴いてから少し音の軌道修正をしてみようか?なんて思ったりすることはよくあります。それと自分が知らなかった世界…機材や音楽その他セッティング方法などを知ることができるのは、やはり楽しい体験です。

 そんな風に他人のお部屋におじゃましている気分で、自分の家の音を聴きながらパラパラとページをめくるのがこの本の正しい読み方かも。続刊(があれば)も期待しています。

https://farm2.staticflickr.com/1741/27536456457_619bff5650_m.jpg
↑本書は出版社様より贈呈頂きました。
何故かは読んでみてのお楽しみ。

iPhone7 Plus


▼2018年05月29日

しょせん体育会系のやること

 えーと、皆さんテレビや新聞の報道にのせられすぎてはいませんか?

 日大アメフト現役選手がコーチ全員の退陣を望む理由 気絶するまで殴るコーチの暴力:J-CSATテレビウオッチ

 もちろん、これが本当だとしたら、暴力を命令した日大監督とコーチ陣は絶対悪ですよ、許せません。

 でもね…、
 コーチに「殴れ!」と命令されて人殴ります?
 というか、他人から命令されて下級生殴りますか?
 例えば会社で上司から命令されて新入社員殴りますか?

 ニュースから知るレベルの情報で、この一連の報道を見る限り、監督やコーチも立派な犯罪者ですが、末端の部員だってヤクザ組織でいうチンピラ同様でしょ。何被害者ぶってるの?
 というかこれを見ていた生徒はどうして警察に届けないんですか?バカなの死ぬの?ってレベルですよね。この国の「体育会系」に対する甘さというか犯罪奨励ぶりって本当になんなんでしょう?

 これが仮に、例えば大学の漫画研究部員の生徒が顧問の先生の命令で下級生をぶん殴った…なんてニュースがあったら、みんな部員がかわいそうなんて言いますか?やはりこういう趣味の人達は頭おかしいって言うし報道するでしょう。でもそれが当たり前なんですよ。

 色々なところで何度も書いていますが、この国の体育会系なんてハッキリいって犯罪者予備軍ばかりじゃん。統計取れば、もう法律で全国の学生運動部は活動禁止にすべきレベルの犯罪発生率なんじゃないかと思うんですけど、なんでみんなこういう体育会系が大好きなんでしょう。自分にとっての奴隷がほしいから?

 もう一度いいますけど、試合に出られなくなるとか、たかが就職で不利になるとか、大学を退学になるかもなんて脅されただけで、意味もなく他人に暴力振るえます?私には無理ですよ、どう考えても。

 既にそういうことを天秤に考えるってだけで、上から下まで隅から隅まで体育会系の連中は異常な集団だとしか思えません。これが本当なのかどうかわかりませんけど、本人達が証言しているので本当である可能性は高いです。だとしたら日大アメフト部の生徒に同情とかちょっと違うのでは?

 体育会系の上下社会とかいいますけど、本当にガバナンス…いや彼等には「国の法律を守る」って意識が皆無ですよね。そういう集団をアメフトなんぞに復帰させるよりも、まずは日本の法律を守るってことから再教育した方がいいと思いますが。

▼2018年05月28日

モラルの時代

 モラルという言葉の意味ですが、Googleで検索すると「倫理。道徳。習俗。また、生き方に対する真剣な反省。」と出てきます。
 ということで、例えば最近気になるCMとして人材斡旋会社のこのCM。

 キャリトレCM放送が始まりました!:ビズリーチ

 鈍感な人は気が付かないかもしれませんが、例えばアメリカだと履歴書に年齢を記載させることを禁止しています。年齢どころか性別や顔写真も不可です。
 こういった文化はまだ日本では根付いていませんが、おそらく10年位したら徐々に浸透してくるような気がします。一部では「アメリカでは日本と違って解雇が楽だし」なんていう人もいるかもしれませんが、今の日本国内で行われている“肩たたき”みたいな解雇をしたら速攻訴えられます。
 アメリカでは雇用主が従業員を解雇する権利は認められていますが、それには従業員の勤務成績がわかる客観的なパフォーマンス評価などが必要になります。日本みたいに「なんかアイツ気に入らないからクビにしよう」なんてノリで従業員クビにしたら、弁護士事務所からとんでもない額の賠償金を含んだ起訴を起こされるリスクがあります。

 話を戻しますが、上記の人材斡旋会社のCM、日本だと法律には違反していないですが、モラル的にどうかと言われると…おそらく今は過渡期なのかもしれません。個人的にはあと数年後に同じ内容でCMを流したらネットとかで叩かれそうな気がします。最近では日本の企業でもダイバシティーが問われるようになりましたから、年齢で採用の脚切りを行う事は、本当に新卒の採用以外だと許されにくくなってくるのでは?
 というか本来は「新卒採用」なんてのがそもそもナンセンスなのですが、この習慣は日本企業の中だと割としぶとく生き延びそうな気もします。

 もっとも、年齢をネタにするリスクや社会的風潮は、当然このCMを作成する側も熟知しているはずで、それでもこういう線を攻めるCMを敢えて放送する意味は、企業の側に「若い人だけを採用したい」という意思が強いからではないかと。結局の所「モラル的にどうなのかな?」などと眉をひそめるCMの多くは、顧客がそういう「モラル的にどうかな?」という状況を欲しているからでしょう。

 もちろん、上記人材斡旋会社のCMは例に出しただけで、そんなCMは世の中に溢れています。過度に射倖性を煽るCMや、パチンコのCM、美容系や健康系のCM…まぁ、法律違反ではないけど、こんなこと言っていいの?みたいなCMはテレビを見ているとよく見たものでした(過去形なのは最近のことはよく知らないから)

 ということで、やたらと前振りが長くなりましたが、昨今でモラルといえば例の日大のアメフト部。
 ここで自分がネタにする必要なんてないほど、色々なところで話題沸騰!みたいですが、「モラル」という点で考えてみると、関西大学のQBを潰しにいった選手は、実行犯ではありますが、後の謝罪会見などをみると「モラル」的には世間から許されたのかな?という印象。
 逆にいうと、日大の監督を初めとする一癖も二癖もありそうな面々…は、実行犯ではないし、今のところ犯行を指示したという証拠がある訳ではないですが、社会的にもモラルに反した行動をとり続けているため、世間では許されていない感じですね。
 
 別に日大のコーチ陣の肩を持つつもりはないですが、この一件、モラル的な要素を排除した状態で、彼等が確実に犯した罪はなんだろう?という視点から1度考え直してみても良いかもしれません。

 他人にモラルばかりを問うのも結構ですが、モラルの意味「倫理。道徳。習俗。また、生き方に対する真剣な反省。」とは、他人に求めるものではなく、あくまでも自己が目指すべき姿であるべきだと思いますので。

▼2018年05月24日

基礎から始める大砲のおはなし

P5241233 考えてみれば「大砲」をきちんと紹介した本ってもの凄く少ないのです。海外ではよくわかりませんけど、そもそも「砲兵」の役割をきちんと紹介している本は日本語だと少ないのでは?

 どうしても日本のグノタさんは、兵器のスペックを丸暗記したり「レオパルト210式どっちが強い?」みたいな部分ばかりに関心が強すぎるようですので、それらを支えるシステムや、大砲・砲兵部隊・工兵に関する資料はあまり目にすることができません。

 戦場における大砲の役割は?というと、もちろん時代によってもある程度変化しますが、最大の役割は敵の中に突破口を作ることにあります。
 第二次世界大戦時には、ドイツ軍の電撃戦が持てはやされたせいか、大砲を運用する砲兵の役割はイマイチ地味な印象になりましたが、逆にドイツ軍がソビエト軍を潰せなかった理由のひとつが、ドイツ軍における砲兵戦力の不足です。ソビエト軍は伝統的に砲兵戦力を重視していて、大量の大砲で敵陣を広く制圧した後に大軍で突撃するというのを、陸上戦闘の基本ドクトリンとしていました。
 結果…かどうかはともかくとして、ドイツ軍はソビエト軍が放つ雨あられのような砲撃に進軍を阻まれ、だんだん身動きが取れなくなってゆきます。

 近代戦ではそういった陸上戦力に対する支援任務を、大砲から航空戦力へとシフトさせていったのですが、現代戦ならともかくとして、第二次世界大戦時の航空機では、天候が悪化すると出撃できませんし、また陸上兵力の進軍に合わせて前線で飛行場などを整備する必要があったり、当時のドイツ軍だとバルバロッサ作戦初期のまだ準備がしっかりしていた状況ならいざ知らず、ソビエトの広い国土では、冬の天候悪化や春の泥濘地、伸びきった補給線などの悪条件が重なり、ドイツ軍の航空機は当初計画されていた通りの航空支援任務を果たせなかったようですね。

 それはさておき、この本は「砲兵」というより、まさに「大砲」を趣味とする人達向けに書かれている薄くない同人誌で、底本はソビエトの砲兵向け教本みたいですが、大砲が何故飛ぶか?から始まり、大砲の歴史や仕組み、そして実際どのように打って当てるのかまで、実に詳しく解説してあります。
 一般ウケはしなさそうですが、こういうのこそ、まさしく「同人誌」って感じですばらしい。考えてみれば大砲を主役にした本って日本ではあまり存在しなかったのでは?

 大砲の本といえば、かつては村田蔵六が最新の砲術書に萌えていたり、高野長英が三兵答古知幾を訳して捕まったりしたシーンが、みなもと太郎の風雲児たちで後半のクライマックスとして描かれていますが、これらの本は日本の近代化のために多いに役立ったジャンルの筈なのです。ただ、現代の華やかな兵器達に比べると、趣味のジャンルとしても確かに地味な印象ですね。

 本書は一般書籍ではなく同人誌なのでアマゾンなどの一般書店では買えません。こちらのサイトから買えます

P5241236
↑趣味としての大砲w、内容は文字びっしり系です。

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital ED 12-40mm F2.8 Pro

中世日本海の流通と港町

P5241229 高いです!ハッキリいって研究職でもない私のような凡人が買うには高い…けど仕方ないですよね、一般書籍ではなく研究書なので。でも私にはこの本を買わなければならない理由があったのです!

 もっとも、買うにしても急ぎではなかったのですが、最近調べてみるとアマゾンからは正規の在庫が消え始めたので、ボチボチ手にしておかないと在庫終了かなと。
 一応古本屋さんでも探したのですが見当たりませんでしたし、下記の理由からきちんとリアルな本屋さんで購入することにしました。

 実はこの本、既に読んでいます。
 で、何処で読んだのかというと丸善の店内(笑)

 面白そうな本だなと思って店内にあるベンチで読み始めたら止まらなくて、その場で約2時間…3時間は経っていないと思いますが、最後まできっかり読んでしまいました。それもあわてて速読で読んだという訳ではなく、途中スマホのGoogleマップなどを使いながら紹介されている地域の地形を確認したりして、なかなか味わい深く読破させて頂いたのですが、さすがにちょっと悪いかなと。
 それと、この本で紹介されてた地域については、別な本なども参照してもう少し調べてみたいと思っていた、というのもありますので、同じ書店で買い直した(?)次第。

 内容としては、日本海側中世港町についての研究成果。私好みなのは、それぞれの地域について景観についての記述が多目なこと。
 この本の内容では、丹後府中以西、中国地方の港町はまだ現地を見た事がありませんが、石見温泉津などは是非現地を訪れて景観を確認してみたいものだと思いました。

 私の読書生活にとって、これらの交通・物流を初めとする人やもの、または軍勢などの移動や生活については主要なテーマのひとつでもあり、このような内容の本については、ついついお金をつぎ込んでしまいますね。
 私の読む本のラインナップを見ると「ひょっとして歴史や民俗学好き?」みたいに思う人もいるかもしれませんが、実のところは、そういう動機で本を選んでいるのではなかったりします。

P5241232
↑越中氷見について。こういう図をハァハァいいながら眺めています。

OLYMPYS E-M1 + LUMIX G 20mmF1.7

中世日本海の流通と港町/仁木 宏・綿貫友子(編集)

野良ネコの寝床

https://farm1.staticflickr.com/878/42263287632_055e6afee7_m.jpg 昨日の夜は結構雨が降っていて、傘を差しながら自宅に戻ると、ガレージの中にある私の車の屋根で野良ネコが寝ていました。

 このネコは野良とはいっても、どうやら近くの工場で餌をもらっているようで、食事には苦労していないようですが、寝床については…暖かくなると私のMGFの屋根で寝るようになります。冬の間は何処で寝ているのか?

 確かにオープンカーの幌の上は、ネコにとっては適度に柔らかくて更に涼しいハンモックみたいなものでしょうし、寝心地は良いんだろうなぁ。
 私が家に帰ってきて自転車をガレージにしまっている最中でも、逃げもせず横になったまま。顔を近づけてじっと見ると「ニャ!」と挨拶だけは返してくれますが、悪びれるところがありません。

 たまに頭をなでてあげたりすると気持ちよさそうに目を細めたりするのですが、一応自宅にもネコがいますので、触った後は必ず石鹸で手を洗うようにしています。
 私も動物好きではありますので、おしっこされたりしない限り、寝床として使う分には容認中。

 で、この写真の恐ろしいところは、このネコがクロネコだってことw。お腹の内側に一部白い毛はありますけど、その部分の抜け毛だけでこんな量なのか(笑)

iPhone7 Plus


野良猫の拾い方/東京キャットガーディアン

 

人類はポイントに支配されました

E6150962.JPG 知らない間にポイントに支配されている今日この頃です。

 昨今、買い物をするとよくわからない間にたまってゆくポイント。
 【point】という単語を辞書で調べてみると、尖った道具の先、先端、突き出た先端、目盛りなどの点、評価としての単位…などなど、いろいろな意味がありますが、おかいものでもらえる「ポイント」は、このなかの評価単位という意味になるのかな?

 個人的に「貯めよう!」と思って貯めているポイントは、ヨドバシカメラのゴールドポイントカードだけです。おそらくこのエントリを書いている時点で5,000ポイントくらい貯まっているはずでラッキーと思いがちですが、逆にいうとヨドバシカメラで5万円は買い物しているって結果でもありますので、何とも微妙なところ。

 その他のポイントも、特に望んでいない割には人並みに貯まりますが、貯めてるって意識がありません。クレジットカードに付与されるポイントは、大体半年〜1年単位で現金のキャッシュバックに使ってしまいますし(カード請求金額から相殺されるしくみ)アマゾンでもらえるポイントは、電子書籍を買うと勝手にポイントから使われるので、もらった事も使ったことも意識せず消えていっています。

 他、タワーレコードのポイントや、ディスクユニオン…はポイントではないか、これらレコード店のポイントは、使いもせず適度に貯まって適度に失効(ポイント有効期限が1年らしい)しているようです。たまにメールで「○月○日に○ポイントが失効します」なんてお知らせが来ますが、その段階でCD1枚注文できるくらいポイントがあれば何か買います。そうでなければ無視かな。

 それと、自分でも全くよくわからないところで貯まっているポイントと言えば、有名なCCCTポイントですかね。
 私はお買い物でTポイントカードなんて呈示することは全くないのですが、携帯のソフトバンク経由なのかなんなのか?何故かよくわからないうちに貯まっていて、このエントリ書いている現在では万円いってます。その中には期間限定ポイントなんてのもあるので早目に使ってしまいたいのですが、う〜む、何買おうかな?CDでも注文しようか。

 世の中にはポイント長者なんて言葉もありますけど、そういう意味ではヨドとTポイントだけで既に1.5万円もの財産(?)を持っているのですから、私も長者とは言えないにせよ、ポイント小金持ち…くらいは名乗っても良いのか。
 あ、思い出しましたが、Suicaの引き落としに使っているJR東日本のビューカードも、確かポイントが1万円弱貯まっていたはずなので、そろそろキャッシュバックで使ってしまおうと思っていたのでした。

 ということで、普段ポイントを稼ごうとか全く考えていない私ですが、たまーに貯まったポイントで無駄遣いできたときなどは、妙に嬉しいですね。
 一部には「ポイントをもらう代わりに個人の買い物履歴をガッツリ抜かれているんだぜ」なんて心配をする人もいるようですが、今の世の中はクレカで買い物するだけで履歴なんてガッツリ抜かれていますから、心配しても仕方がない気もします。

 あ、でも私の場合、コンビニなど普段の買い物でTポイントカードを呈示することはないので、CCCに抜かれている私の買い物履歴は、TSUTAYAでのレンタル記録と、ヤフーショッピングでの買い物履歴くらいかな?

 中には(特に女性に多いですが)、大きな財布の中に様々なポイントカードを入れて持ち歩き、支払いの度に逐一ポイントカードを呈示するような人もいますけど、マメだなぁ…と思います。あまり真似したくはありませんが。

OLYMPUS E3 + Zuiko Digital ED 50mm F2.0 Macro



▼2018年05月23日

武蔵小杉の思い出

 恥ずかしながら武蔵小杉…というか隣の新丸子でちょっとの間異性と暮らしていたことがあります。
 東横線に乗って新丸子駅に降りると、なんというかあまり冴えない感じの駅前で、駅のガード下にあるスーパーで食材買い、マンションにある狭いキッチンで、あまり手間もかからず美味しそうでもない料理を作って食べたりしていました。
 新丸子駅のガード下には小さな東急ストアがあったのですが、ちょっと歩けば武蔵小杉の駅があり、駅前にはイトーヨーカドーマルエツがあって、そっちの方が大きなスーパーだったので、初日以降の食料品はそちらまで買いに行きました。駅からの移動も、優等電車が止まる武蔵小杉駅まで歩いていました。

 当時の武蔵小杉駅は一応優等列車が止まる駅ではありましたが、新丸子同様イマイチ冴えない感じの駅で、例えていうなら東武伊勢崎線の草加駅みたいな雰囲気(つってもわからんかw)南部線との乗換駅ではありましたが、まぁ…用がない人は降りないだろうな。
 駅の西側にはスーパーマーケットや団地がありましたが、東側はNECだったかキヤノンだったかの工場があるだけで人は住んでいません。その工場の奥には武蔵野線が走っているのが見えて「東横線と武蔵野線って結構近いところを走っているんだな」なんて思ったものです。

 季節は冬で、滞在中大雪になった日があり、早朝になんとなくひとりでベッドを抜け出し、雪景色を見に多摩川沿いまで散歩に出かけたことがありました。雪が積もった新丸子の街を抜け、多摩川河川敷を散歩した後に丸子橋を渡ってみると、その先には高級住宅街が広がっており「そっか、ここは田園調布か」なんて気が付きました。そして田園調布入り口付近を適当に散歩して、新丸子のマンションに戻りました。
 その時は、なんだか川を挟んだだけなのに、わかりやすく言えばお金持ちの街と庶民の街できっかり別れているなぁ、なんて思いましたし、その割にはこの新丸子〜武蔵小杉の一帯って、電車で都心に出るのも楽そうだし、街中もあまり混雑していないし、実は暮らしやすいゾーンなのかも…などと考えたりしたものでした。

 タワマン住民が過酷な生活に悲鳴…「買わなきゃよかった」と後悔するワケ:日刊SPA

 タワマン買ってる人には全く同情しませんけど、最近よく見るムサコ(ムサコはニワカで昔からの住民は“コスギ”と呼ぶらしい)大混雑のニュースを目にする度に、あの一体ののんびりした雰囲気を思い出し、そしてあの辺りに昔から住んでいた人達にとっては、大規模な再開発もある意味災難であったのかもと思ったりもします。

 その後武蔵小杉駅と新丸子駅で降りたことはありませんが、今、武蔵小杉と新丸子付近に出かけても、あの何となく冴えないけど居心地が良さそうな雰囲気はもうないんだろうなぁ。

▼2018年05月22日

栗城史多さんの死

 なんだかんだで死なないんじゃないかなぁ…とは思っていましたが。

 栗城史多さん、エベレストで死亡。事務所が発表「遺体となり発見されました」:HUFFPOST

 死なないんじゃないかなぁ、と思っていた理由は、頂上に達することはおそらくないからなぁ…という意味です。

 彼についての話は、われらがへなちょこ登山部の中でも昔から話題になっていて「登頂できるレベルに達していない」という事は知識として知っていました。なので時折チャレンジの話が話題になる度に「まだ頑張ってるんだな」ってくらいには思っていました。
 でも「あれ?でもエベレストって最近ではしっかり装備を調えれば比較的誰でも登頂できるのでは?」なんて思う人もいるかもしれません。

 栗城史多という不思議2:森山編集所

 上記は友達が教えてくれた記事です。
 栗城さんが登頂できるレベルに達していない、そしてチャレンジしていることがどれだけ無謀なのかって理由がわかりやすく書いてあります。

 で、栗城さんが亡くなって、スポンサーであった企業から追悼コメントが出ています。

 登山家 栗城史多さんを応援しています:グリコ

 その他、リクルートサイバーエージェントなども彼をスポンサードしていたようです。

 もちろん、これらの企業は善意、あるいはCSR活動などの一環で栗城さんを支援していたんでしょうし、そこは批判されるべきなのかわかりませんけど、いわゆる一流の登山家の人の「アレは無理」といっている声をもう少し真摯に受け止めていたら、こういった無謀な登山への支援活動も事前に打ち切られていたかもしれませんし、栗城さんも命を落とさずに済んだのかもしれません。

 チャレンジしたことに意義はあったのかもしれませんが、それは死なないことが大前提です。死んでしまった以上、このプロジェクトは美化されるべきではなく、今後このように無謀なチャレンジを防止する意味においても、または企業が支援活動として冒険に資金を出す意味においても、しっかりと議論されるべきかと私は思いました。

▼2018年05月21日

命の価値

 この歳になってちょっと昔のティーン向けSF小説やアニメなどを見ると、命の価値って昔と今では違うんだなぁ〜と思う時があります。

 例えば、割と有名な日本人の巨匠(といわれる?)作家のSF作品の中でも、シリーズが進むにつれて大量に人が死ぬ描写が増えてきたりするのですが、改めて思うとそれらを悲劇としてじゃなくてギャグみたいなノリで書いてるんですよね。主人公の美少女2人がちょっとしたミスで惑星を吹っ飛ばすなんてエピソードもあったりして、現在のノリだとちょっと引く(私は昔でもちょっと引いていた)んじゃないかと思うんですけど、少なくとも世間ではそういうのもギャグの1つとして認識されていました。

 人間ではありませんが、昔の円谷作品である「恐竜探検隊ボーンフリー」というテレビ番組も、シリーズ一作目は「恐竜を保護する」といったドラマなのですが、シリーズが進むにつれてなんとなく恐竜が死ぬエピソードが増えてきた感じで、その続編となる「恐竜大戦争アイゼンボーグ」では既にサブタイトルに「戦争」って文字が入っている事から察するように、恐竜軍団との殺し合いになっていました。そういえば「エイリアン」という映画もシリーズ二作目には「今度は戦争だ!」なんてキャッチがついてたっけ?

 というように、1980年代頃の時代とは、何故かこういったメディア作品で「命」の価値がかなり低下していた時代だった気がします。大ヒットしていた映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」だって、メインクルーみんな特攻で死んじゃいますし(続編では何事もなかったかのごとく生きていますが)、その数年後に放送されたアニメ「伝説巨神イデオン」では、知的生命体全て死亡…もっともヤマトとイデオンは命の代償についてかなりねちっこく描写されていましたから、命が軽いって訳でもないかな?

 命は尊い!人の命は地球1つよりも重い!なんて考え方って、実はそんなに昔からあった訳ではなく、古い文学を読んでいると、割と人の命というか、死については淡々と書いている描写も多いです。考えてみれば人の死を見るのが珍しくなかった時代ですからね。それこそ戦争にでもなれば大量に人の死体を目撃することになりますし、人の死についても当然ながら現代よりも冷静な事象として受け止めていたでしょう。
 逆にいえば、一生の間にほとんど人の死…それも病室などではなく屋外でののたれ死になどを目にする機会がない今の先進諸国の人達にとっては、人の命の重さというか、人の命の価値というモノがよくわからないってのが本当のところではないかと。

 以前もどこかで書いた記憶がありますけど、例えば江戸時代、勝海舟の父親である勝小吉が書いた本には、記憶で書き起こしますけど、笑い話としてこんな一文があります。

 「生まれた子供が死にそう?どうせ死ぬなら速く死んだ方がトクだ」

 これは今の価値観でいうと非人道的というかかなりひどい考え方ではあると思うのですが、冷静になって考えてみると、あの頃の時代の人の命とはまさに労働力そのもので、生きて労働に従事して富を生み出すことが命の価値でした。そのため子供にある程度の育成コストをかけてから死なれるよりも、生まれてからまだほとんど育成コストを投じていない時期にサッサと死んでくれれば、当然無駄な育成コストをかける必要もなく、夫婦は次の子作りに移れるって話でもあり、ここには「人の命」を冷静に実用品として捉えていた時代背景が想像できる訳です。

 こういう細かいエピソードの他、国家による徴兵制度なんてのも、命を実用品として捉えている故の話でしょう。よく戦後に書かれた小説では、息子宛に政府から赤紙が届いて、母親はなくなく息子を戦地に送るなんて悲劇のエピソードがありますが、これは戦後社会向けに作られたエピソードである事が多く、当時の価値観ではもちろん悲劇ではあったでしょうがある意味みんなそうしていたわけです。
 息子が自分の意思で戦地に赴くのならいざ知らず、他人に強要されて戦争に行くとか、今のように人の命が無限大に近いインフラ的価値を持つ世の中だと到底容認されない判断でしょうが、これは人の命に対する価値観が今と違うとしか言いようがありません。

 そういえば、昔の陸戦でよくあった、戦場でも兵隊を機関銃の前に突撃させるなんてやり方、兵士の命を大事にするとかしないとかそういう意味でもなく、今ではそんなアホな作戦たてませんよね。これも「人の命なんてほっとけば生えてくる」みたいな価値観が根底にあったから、単一の陣地攻略戦で数百人死んでもあまり気にしなかったのでしょう。
 もちろん今では兵隊の命は貴重なモノですし、それよりも工業化によって、人の命を差し出すくらいなら、改良された兵器を投入する方がずっとコスト安なので、人道的な見地とは別な視点でも、そういう無駄に人の命を捨てるようなやり方はしません。これも冷静に書くと、現代は命の価値が大多数の工業製品を上回っている社会構造故の話かと。

 いろいろな時代の小説、あるいはノンフィクションなどを読むとき、大体私は結構その時代の人の命の価値について考えます。そうでないと価値が読み解けない文章も意外と多いですし、また逆に、今の時代って少なくとも命を失いたくない人にとっては、割と最高な時代なのかもとしみじみ思ったりもします。

バポナの季節

 週が明けて少し涼しくなってきましたが先週は暑かったですね。今週も後半から暑くなるらしいのですが、熱くなり始めると悩まされるのが虫。

 私の家の立地はかつて湿地帯だった場所を埋め立てた住宅地なので、暖かくなるとすぐに蚊が発生します。特に自宅のガレージは伝統的に蚊が多く、クルマに乗ろうとガレージに入って車のドアを開けてエンジンをかけるまでの短時間で蚊に刺されたりもします。奥には通勤用の自転車も置いてあるのですが、毎日ではないにせよ、ほんの1分未満の滞在でも蚊が緊急出動してきて刺されたりすることがあります。

 玄関の軒先にできた蜂の巣などは割と放置な私ですが、蚊は不快。なのでいろいろと殺虫剤を試してはいたのですが、やはりガレージという半屋外みたいな場所なので、市販の殺虫剤ではほぼ効果がありません。

 そんな中、別荘のある千葉県鹿嶋市のホームセンターで見つけた殺虫剤、正確には殺虫プレートですが、アース製薬のバポナ・殺虫プレート。数年前までは薬剤師の許可と身分証明書の呈示がないと買えなかったみたいですが、ここ数年規制が緩和されたようで、身分証明書の呈示は必要なくなりました。今でも一応薬剤師からではないと買えないようですが、鹿嶋市のホームセンターでは、カゴに山積みで売られている製品を普通に買うことができました(ただし売り場近くにいた薬剤師さんから「注意してね」と声はかけられましたが)
 当初は別荘内で使おうと思っていたのですが、パッケージにある解説文を見ると、さすがに一般家屋屋内はマズそうだと思い、持って帰って自宅のガレージで使用する事に。

 これがまた効果てきめんで、今まではほんの1分で数カ所指されていた蚊が、夜間にガレージで長時間作業をしていても、まったく蚊にさされないという事態に!スゲーなと思いつつも、やはり屋内で使わなくて良かったかなと思いました。
 ちなみにこのプレートの成分は、虫が忌諱するという生やさしい成分ではなくハッキリ生体を殺す効果があるようです。なので中にある薬剤が塗布されている黄色いプレートには絶対に手を触れるなと書いてありますし、密室で使用した場合は鳥や子猫などは死ぬ場合もあるみたい。もちろん人間に対しても危険です。

 ガレージで使ってとても良い効果が得られたので、翌年も購入しようと思って探してみると、都市部のホームセンターではどうも売っていないようで、ネットで販売店を検索して近所の大手ドラッグストアまで買いに行きました。そこのお店でも店頭には陳列しておらず、薬剤師の人に商品名を伝えると棚の奥から出してくるという感じです。やはり都市部ではここまで強力な殺虫剤は必要ないのかな?人家が密集しているような場所ですと、自分の家だけではなく、周辺への影響も考える必要があります。

 効果はおよそ2ヶ月程度。ただし私の家で使う分には、シーズンはじめに設置するだけで通年効果がありました。以前は晩秋でも蚊が発生していましたけど、このバポナのお陰で蚊の発生自体が抑えられているのかな?

 使いどころには注意ですけど、ガレージのように普段人がいない場所、密閉されてない箇所で虫に悩まされている人には、お勧めの殺虫剤です。尚、屋内での使用はお勧めしません。特に食器がある部屋では食器の洗浄が必要になるようです。

▼2018年05月20日

腰がいたい

 この週末はいろいろと歩く機会が多くて、ちょっと腰が痛い今日この頃ですが、実のところ今までの私は、肩こりや腰痛に悩んだことがありません。
 こういう話をするとたいていの人が驚くのですが、逆にいうと、肩こりや腰痛ってそんなにメジャーな病気(病気ではないけど)だったんだなとこっちが驚きます。

 もちろん、今も腰が少し痛いですし、山などに行って重い荷物を背負った後は肩だって人並みに痛くなります。ただ、世間一般でいう肩こりや腰痛って、そういう因果関係がハッキリしている痛みは含めないみたいです。
 なので、私も当然それらの部位を酷使すれば肩だって腰だって痛くなりますが、そういうのは理由がハッキリしているので、数日で直ります。今回の腰が痛い症状も、2〜3日すれば治るでしょう。

 別に私は健康に気を使って生きているわけではありません。食べものだってどちらかというと不健康ですし、体重管理も全くしていないので、今までの人生は痩せたり太ったりしています。今はおふとりさまモード(笑)なので、昔買った服を着るために少し痩せようかなんて思っていますが、痩せようと思って痩せた経験もありません。特に何も管理せず、痩せたり太ったりします。

 もちろん筋トレみたいな事もしません。運動は…自転車に乗ることが好きですが、いわゆる通勤時のママチャリ以外では、乗らない時は数ヶ月乗らない時もありますし、ふと毎週のように100km以上走ったりしたり、こちらも適当。

 適当と言えば睡眠時間もかなり適当で、最近では逆にしばらく飲酒を控えたせいか、毎晩の睡眠時間が3〜4時間って日が続きました。飲酒したりするとたっぷり8時間は寝たりしますので、どっちが健康なのかわかりません。

 そういえば、目についてもおそらく同年代の人よりは苦労してないようで、さすがに最近は老眼気味かなぁ?なんて細かい作業するときに実感したりしますが、それでもアナログカートリッジの針先を肉眼で磨いたりするので、世間でいうところの老眼にはまだまだ遠い感じ。

 なんか自分の肉体の健康自慢みたいになってきましたけど、改めて思うと、世間一般の人達が感じる肉体の衰えよりも、今のところ自分はそのペースが少し遅いみたい。こういうことって今だと「老人力」が足りないなんて言うのかな?ま、そんな感じです。

 そんな中で若い頃に比べて劣化したなと実感できるのが、走る事が苦手になりました。もちろん今までの人生で走る事が得意だったことはないのですが、そういう意味ではなく、10代の頃に走っていたのと同じフォームが多分今ではできません。少しおっとりした感じの走り方になっているような気がします。

 それと視力の一部…計測する視力そのものもここ数年下がってきてはいますが、そういう意味の視力ではなく、目のダイナミックレンジがかなり狭くなった気がします。昔は暗闇の中でも見えたモノが、ここの所は黒一色に塗りつぶされている雰囲気。これは主に夜間に自動車を運転したりすると実感しますね。ヘッドライトで照らされていない部分の認識力が若い頃に比べると全然落ちました。また、暗順応にかかる時間も長くなりました。

 ここまで書いてふと思い出しましたけど、自分は若い頃(20代前半)に、MTBでのダウヒルで鎖骨粉砕で全治3ヶ月なんていう大怪我をしていますけどそれでも肩こりないですね。
 今でも鎖骨ではなく肩の骨に金属のプレートが入っているはずですが、あまり違和感もないのでそのままです(いちおう弱い異物感はある)。撤去するには全身麻酔の手術が必要になるなんていわれてますし、気にならなければ一生そのままで良いともいわれています。ひょっとしてこれが肩こり防止によい影響があったりするのかな?

老人力/赤瀬川原平

たまには時事問題でも

 昨日街を歩いていたら、共産党系の人が駅前で署名活動を行っていました。その横の演説を聴いてみると「北朝鮮との話し合いは、韓国とアメリカだけで行われ、アメリカでは拉致被害者が帰ってきた!安倍政権は拉致被害者を取り返せないどころか話し合いすら無視されている!まさに安倍無能政治が〜」みたいな事を言っていて、理論の飛躍ぶりがすごいなと思いました。というか理論になってない?
 そういえば、その署名活動も面白くて、署名のお願いで手を出すのは必ず老人相手、それもハキハキ歩いていない系のご老人ばかりで、若い人や中年、同じ老人でも背骨を立てて普通に歩いているような老人には全く署名をお願いしない。多分そういう人からは無視されるだけってのがわかってるんでしょうね。

 先日発表されていた政党支持率調査で、野党はもはや多くても数パーセント、中にはゼロカンマみたいな政党だらけになってしまい、これで少しは野党もおとなしくなるかとおもいきや、それは間違いで、組織というのは支持率が減れば減るほど先鋭化します。

 例えば現在野党第一党の立憲民主党ですが、ちょうど5%の支持率です。これはおおよそ20人に1人が立憲民主党を支持しているという割合。イメージでいうと、たとえば学校のクラス…私の時代はおおよそ40人ひとクラスでしたが、そのなかで2人だけの仲の良いグループがあるという意味です。それだけならそれでいいのですが、その2人はいつもずっと2人でいて、さらに2人だけクラスに溶け込もうとせず独自の世界を作っている…そういう人達っていましたよね。
 これが2人でなにやら楽しそうな事をしているなら、自然と仲間は増えていきます。2人が3人…いずれかは10人以上になるかもしれません。でもずっと2人だけ…何故かというと2人だけでしか理解できない事をしているからです。イメージとしては既にこの国の最大野党とは、普通の人から見ると、もはやそういう人達なのかと。

 もちろん、これがクラスの少数派グループでしたら、別に彼等の活動にはなにも生産性を求められないのでずっと2人だけで全然構わない訳です。ただ政治家は違います。彼等は自分達が考えている政治、政策を広く国民に理解してもらう事が仕事な訳で、いつまでも2人きりのままではいけないわけです。でも、ずっと2人でやってきたことだから、普通の大多数の人達が考えていることがわからない、理解できない。なので、どんどん自分達の世界に没頭してゆくしかありません。その結果、ますます一般の人からすると理解できない世界へ潜っていく…。
 繰り返しますが、これがクラスのグループならなんの問題もありません。問題があるのは彼等が「政治」という仕事をしているから。一部少数派の人達だけが納得する価値観を追い求めても仕方ない訳ですし、そういう価値観が必要だとするなら、大勢の人にそれを理解してもらうのが彼等の仕事。別に少数派の意見がダメと言っている訳ではない、ただ、少数派の意見を大多数のひとに伝える努力をしないのであれば、政治家としてやっていく意味はありません。
 今の野党ってこんな感じですね。カルト同然で彼等が何を考えて何を目指しているのか、普通に生きている人には理解できなくなりました。かといって政治家の仕事を辞めたくはないので、そういう普通じゃない人達を相手にして、そういう人達を喜ばせないと、例え最下位だろうと選挙に受かりません。つまり、完全に政党として議席を失うまでは、支持率が下がれば下がるほど、普通の人には理解しがたい事を言い続けるようになるのです。私は残念ながら凡人なので、国会を平然とサボリながらも与党議員への任命責任だの疑惑だのを追求し続ける精神がわからないのですが、これは当然です。逆にその精神が理解できるような人じゃないと、現在の野党の支持者にはなれないのですから。

 そういえば愛媛県の方でアイドルが自殺したそうです。自殺の理由については色々ありそうなのでよくわかりませんが、そもそも18歳以下で就学中の未成年をアイドルとして働かせる側に問題はないのか?
 大学時代ならいざ知らず、私が高校生だった頃はアルバイトにも規制が入っていて、家庭の事情(ハッキリいえば貧乏な場合)か、夏休みなどの長期休暇中に限り、学校へ出勤日や時間などを申請を出してようやくアルバイトが認められました。もっとも普段から勝手にアルバイトしてる生徒もいて、たまにバレて停学食らってる人もいましたが、まぁ…原則として学校側は生徒が外で働くことを管理していた訳です。今の時代がどうなっているのか知りませんけど、当時で就学中に普段からアイドルなんてやってたら、まず確実に退学くらいにはなっていたと思います。

 この自殺のきっかけとなった事務所とのやり取りが公開されていますが、こちらが良いか悪いかの判断は別にして(もちろん悪い以外にないわけですが)、社会に出て賃金をもらうというのはある程度の責任も背負うわけで、その楽しさも恐ろしさも理解できない年齢の子供には、アルバイトなどの時間給仕事ならともかく、こういった契約事前提の仕事は原則させるべきではないというのが私の考え方。もしやらせるなら、出勤日や出勤時間、賃金計算などを100%保護者が管理し、更に学校などの行政機関に届けるくらいの決まりがあった方がいい。仕事中は保護者の立ち会いを義務付けるとかね。
 それでも(それでないからか)今の世の中には、平成の時代になっても未成年のアイドルが山ほどいます。何故なら未成年は金になるから…言い方を変えればロリコンやショタコン、人が成熟する前の二次成長直後の姿に価値を見いだす人が大勢いるからです。その一方で未成年のポルノやエロメディアへでの仕事は絶対に許せないなんて正論吐いている人もいるわけですが、彼等は中学生や高校生の少女がステージの上でミニスカートひらひらさせて踊ってる姿に対しては何も感じないのでしょうか?
 これは、この国の遊郭の伝統ってのもあるかもしれません。まだ一般常識を知らない年齢の子供を契約で縛り付けて商売の道具にする、この国の芸能界ってのは昔の遊郭時代からやっていることは変わらないのかな?

 年端もいかないアイドルにうつつを抜かすくらいなら、年端がいった(?)アニメ声優にうつつを抜かすことの方が絶対に健全なはずなのですが、何故かこの国ではAKBファンは健全、声豚(声優ファン)はネクラで不健全みたいな印象があるようです。
 私から言わせると、そんなに未成年の少年少女が好きなら二次元で我慢してろ!と思うのですが、これも不思議ですがこういった二次元のエロ・セクシー漫画は自治体によっては規制の対象になっています。いい歳した大人が未成年のアイドルのファンでいることは微笑ましく、いい歳した大人がごちうさとかのファンであることはキモい。この風潮も変ですよね。

 まぁ、未成年アイドル市場というのは、芸能事務所やそれらと共生しているマスメディア、テレビ局にとっても立派な収益源ですから、末端で実在の未成年が自殺しようと規制の対象とする事はあり得ないんでしょう。実在する人間の二次成長期直後の身体が好きな人達って、この国には男女問わず沢山いるみたいですから、商売としても止められません。
 どうしても実在の未成年アイドルがほしいのなら、行政の許可制にして担当弁護士や専門の第三者機関への登録を義務付けるなど、彼等を守るための施策はいくらでもやれそうな気がしますが、それらの業界にはそんな自浄作用もないんでしょうね。

▼2018年05月17日

個人サイトで文章を読むこと

 私は日本でインターネットの商用サービスが始まった直後(本当言えば商業化前にも少々)からインターネットに触れていますが、当時はあれほど様々な情報が溢れていると思っていたインターネットが、近頃どうも知りたいことにたどり着きにくくなった印象。

 おまえの検索スキルが未熟だからだ…と言われればそうなのかもしれませんが、例えばこのブログでよくネタにしているような古いオーディオ機器の情報なども、昔はいろいろな人が色々な場所でホームページを掲載していて話題にしていた気がするのですが、最近ではそういった個人サイト自体が激減していますし、業者がSEOなんてアホなテクニックを使うようになってから、特に日本語での情報の場合、古いオーディオ機器の情報はオークションページのキャッシュばかりがヒットします。

 それと、これはオーディオとは関係ないのですが、近年はページ辺りの情報が激減していますよね。
 例えば私のこのブログは、昔はさほどでもなかった気がしていますが、今ではページ辺りの文字量がかなり多い方なのではないかと思いますし、Googleの管理ツールだと「モバイル向けに最適化されていません」などと警告が出たりします。つまり文字が小さすぎるらしいです。本当はモバイルなんて言っていますが、もっと老眼の人に配慮せよ…なんて意味なのかも?近頃はインターネット利用者も平均年齢上がってるし。

 そういえば、一時期若い女性達の間でもブログ書くのが流行っていたときもありましたね。今ふり返るとスゲー時代だったなと思いますが、あの時代のやたらと改行が多くて読みにくい文章も、今となっては懐かしい。そういう人達は今どこにいるのか?というと、みんな閉じられたSNS内に活動場所を移したなんて話もありますが、いくつかそういったSNSに参加している自分の見解だと、そもそも情報発信に興味を失ったってことのような気がします。逆にTwitterやインスタグラムなどを使って、情報の発信というより垂れ流しを行う人は増えた気がしますが(自分も好きですけどw)

 一時期は世界中の原語で最もブログで公開されている文字数が多いと言われていた日本語ブログも、今となってはすっかり閑古鳥(?)、自分の仲間内を見回すだけでも、ブログという形式で外部に情報を発信している人はほぼ皆無になってしまいました。まーブームってのはそんなモノなので仕方ないのですが、ちょっと淋しい気もします。

 これは英語圏でも程度の差はあれども同じような傾向のようで、昔は「なんじゃこりゃ!」と思いながらも、読み慣れないアルファベットを必死で追っていたようなページも結構ありましたが、今ではそういうサイトもあまりないですね。
 ただ、情報入手という視点だけでいうと、フォーラム形式のサイトは海外の場合オープンで公開されている場所も多く、そういった所で古い機械や怪しげな情報を得る機会は案外多いです。逆に日本語の掲示板形式のページは、ほとんどが非公開なのか、検索などで引っかかってくることがほとんどありません。みんなどこに行っちゃったのか?

 私は文章を読むことが苦にならないタイプの人間なので、むしろ検索で引っかかったページが細かい文字で埋め尽くされていると嬉しいと感じる方なのですが、ページを制作する側のトレンドはというと、近年のWebサイトは、写真やイラストを大きくして、文字は必要最低限…むしろなくてもいい、なんて方向に行っているようで、世の中の大多数のwebサイトがそっちの方向になってしまったら、自分はインターネット止めるかもな…なんて思ったりもしています。

 そういう中でしつこくこの文字が小さくて読みにくいブログを更新し続けるって道もありますが、何度も書いている通り、私がこのブログというかWebサイトを公開している理由は、インターネットで得られた情報に対して少しでも何か恩返しをすべきかと考えているからであって、私がネットを利用しなくなればそういう意味もなくなります。大した金額でもないですけど、こうやってネット上にサーバー借りてるのだってタダではないですしね。

 本来、ネットワークの基本理念とは情報の共有だったような気もするのですが、今ではそういうのを基本と考えている私のような人間が、今ではネット上でも老害扱いされる時代なのかもしれません。
 これも時代の流れなので仕方ないですけど、インターネットを使って、自分が全く知り得なかった情報にたくさん触れられたあの時代は、ちょっと懐かしくもありましたというおはなし。

シューマン共振発生装置をお借りしました

P5171150 “シューマン共振”という言葉があります。ひとことでいうと、地球の大地と大気の電離層の間を空洞と捉えた場合の固有振動。この数値には解釈によって1次2次3次など色々ありますが、大体は最低周波数である7.8Hzを指すようです。

 この数値、ヲデオ的(自作スピーカーな人的)にいえば、地球の大気が持つfo(エフゼロ)となりますかね。地球を密閉型キャビネットと捉えれば、fo以下の低音は出ない(発生しても地球規模で振動が伝わらない)こととなり、逆にいえば地球の大気の中で万遍なく伝わる最低の音(周波数)が7.8Hzとなります。

 これらの音(電磁波)の主な発生源といえば、地球上で絶えず起きている雷で、それらが発生させる音(電磁波)の中で、7.8Hzの周波数、もしくは倍数を持つ振動だけが、固有振動(共振)数として減衰せず地球の大気を駆け巡ります。他の帯域のエネルギーは、地球の大気環境下では共振しないために減衰、もしくは吸収されてしまい、発生源からの距離に乗じてエネルギーが弱まり、地球全体には到達しません。

 ここまでが科学の話。

 ここから先は科学的には証明されていない話ですが、この7.8Hzという周波数は、絶えず地球の大気を駆け巡っているため、私たち地球の生物に対して大きな影響を与えているとのこと。
 逆にいえば地球の生命は、この7.8Hzという波を絶えずゆりかごの振動のように感じて生きているため、これが不足すると精神が不安定になったり、体調が悪化したりするそうです。
 その7.8Hzのシューマン共振を補完してあげようというのが、この“シューマン共振発生器”となります。

 シューマン共振発生器と言えば、私たちヲマニがまず思い出すのはアコリバのこれ。発売当初はハッキリいって物笑いの種でしかありませんでしたが、意外と効果アリ!みたいな証言も多く、最近ではむしろオーディオアクセサリというより、その手の人達の中で、手軽に買えるシューマン共振発生装置として需要があるようです。確かに定価はともかくとして実売2万円前後ならこの手の機械としては高いモノでもありません。

 ただ、見た目を気にしなければ、この手の製品はもっと手軽に入手可能です。効果としては本当に7.8Hzを発生しているのであればどっちも変わらないと思いますし、逆に綺麗なケースに入ったオシャレ(?)な製品がほしければアコリバって手もあるでしょう。この手の部屋に設置する機器は、インテリア性っても重要なポイントなので。

 私が今回お借りしたのは、上記のモノよりはるかに安く、アメリカのebayで仕入れた送料込みで$30くらいのモノ…らしいです。基板丸出しのスタイルではありますが、大きさも小さいので、設置場所を工夫すれば特に気にならないと思います。

 一応、本機を使うと音質向上…というか、音が変わるという効果があるようで、その他にも熟睡できるとか肩こりが治るとか体調の調整にも役立つらしいです。ただ、こちらを貸してくれた友人によると「オーディオの音は変わるのはわかったけど頭が圧迫されるようで気分が悪い」との事だったので、個人差があるのかもしれません。
 それか、本当にシューマン共振を補完する機械だとするなら、もともとそれらの波を不足なく浴びることができる地域と、鉄筋コンクリートや様々な振動、電磁波で毒されている都会では当然効果も違ってくるでしょう。元から7.8Hzを感じられる場所で同じ周波数の波を発生させると、理屈では共振で周波数が変わってしまいますからね。

 で、自分の部屋で一晩使ってみました。
 まずはオーディオ的な効果があるのかないのか…、ハッキリいってよくわかりませんw。気のせいかちょっと音がスッキリしたようにも思えましたが、この程度だとプラセボかも。
 なら、体調的にはどうか?と言われると、一応装置を布団の上1m程度の場所に設置して寝てみましたが、確かにスッキリ眠れた気もしないでもない。でも、これも一晩の検証ではわかりませんね。
 それに、この手の装置のレポートでよくある「電源を入れると明らかに辺りの空気が変わった!」とか「よくわかりませんが何か出てるのが実感できた」みたいな事は全くありませんでしたので、自分の身体はどうも鈍感にできているのか(笑)
 まぁ…この手の方向に敏感過ぎる身体をもっていてもロクな事はないので、それはそれでいいのですけど、もう少し使ってみて何か変化がありましたら、またエントリ立てます。

 このシューマン共振発生器についてのエントリ書いていて思いだしたのは、星野之宣/サーベルタイガーという本に収録された「ユニコーンの星」という短編SF。この話は人間が惑星エデンという未知の星に調査のため上陸した際、乗員は絶えずその惑星が発生させる不気味な低音に晒され、だんだん精神が崩壊してゆくという話です。
 地球の生命体は元々地球が発生させている低音がある環境で暮らしているため、その音が気にならないそうですが、エデンではその音(周波数)が違うために地球の生命は精神に異常をきたすとのこと。それこそが地球でいう“シューマン共振”の音なのでしょう。
 人類が将来惑星探査に出かける際は、アコリバの低周波発生装置が必需品になるのかな?

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital ED 12-40mm F2.8 Pro


▼2018年05月14日

Cyrus PSXの謎

P5141130 謎という訳ではないのですが、ふとPSXがないCyrus Twoの音は記憶しとくべきかなと、まずはPSXを取り外した状態でさらっと音楽を聴いてみて、その後、PSXを接続した状態に戻してみました。

 昨日のエントリでは書き忘れましたが、Cyrus TwoにPSXを接続するためには、Cyrus Twoの中身も弄らなければなりません(だから単体に戻すのが面倒と書いています)
 弄るって程でもないのですが、PSXを接続する際はCyrus Twoの基板上にあるFS1とFS2のヒューズを外す必要があります。場所は写真中央ちょい左側に見えるヒューズソケットがそれです。規格は250V/F4A。FはFast、つまり速断タイプのヒューズです。
 それとは別に、Cyrus Twoのメインヒューズは100V/120環境下では250V/T2.5A、PSXのメインヒューズも同じ環境下で250V/T4Aが指定されており、こちらのTはTime-lagという意味で、溶断まで時間差があるスローブロータイプのヒューズとなります。

 ちなみにFS1とFS2のヒューズを外さずにPSXを接続すると、アンプか電源…どちらかの基板上にあるヒューズが飛ぶ…もしくは基板上のパーツに深刻なダメージを与えるそうで、このPSXが入手時、基板上にあるヒューズが2本とも切れていたのは、誤った接続のせいだったのかもしれません。一説によるとCyrus Two側のインレットに電源ケーブルを接続してメインスイッチをONにしなければ大丈夫という話もありますが、わざわざ試す必要はないと思います。

 この変更は本来ユーザー自身での作業が許されている部分ではなく、マニュアルには販売店を通してサービスに依頼せよとの指示があります。
 もっとも今時Cyrus TwoとPSXを日本国内で入手した人は、既にサービスに依頼できる状況ではないと思いますので、該当部分のサービスマニュアル、テキスト起こしを掲載してみましょう。スペルミスがあったらゆるして。

Cyrus Two - PSX Modification

1. Disconnect the Cyrus Two amplifier from the mains and leaved discnnected overnight.

2. Remove all interconnect and loudspeaker cables.

3. Carefully remove the ground nut situated close to the phono inputs at the rear of the amplifier.

4. Carefully remove the two case securing screws/bolts located on the back of the unit. Then remove the two or four which are located on the sides of the amplifier close to the front panel.

5. With the amplifier in front of you gentfy lift the back of the case to an angle of approximately 45 degrees then gently pull the, case towards you.

6. You will now be able to see the circuit board. There are two glass fuses located near the mains transformer (See Diagram) these need to be removed. Using the Allen key -- hook the short end under one end of the fuse and lift, once. the fuse has been lifted remove it from the fuse holder, Remove the other fuse in the same way.

7. At the rear of the amplifier you will see the PSX socket, this is normally blanked off using either a plastic disc or a rubber bung in either case remove the item so that the socket is clear and ready to accept the PSX lead.

8. Replace the case by inserting the front under the front panel and then lower the case to its normal position.

9. Replace all the case screws/bolts. Do not force any of the screws/bolts as this may cause damage to both the case and chassis, in this event remove and refit the case ensuring all holes are aligned.

10. Replace ground nut.

11. Connect lead from the PSX to the Cyrus two PSX socket.

12. Connect interconnects and loudspeaker cables, double check all connections.

13. Connect mains leads .

14. Ensure "Cyrus Two volume control" is set to minimum and that the listen selector is set to mute.

15. Turn on both the "Cyrus Two" and PSX.

16. Select a source and listen.

 必要な方は上記の手順をしっかり守って作業して下さい。もちろん自己責任だし、私は情報を開示しているだけで作業を推奨している訳ではありません。責任は全く取れませんが、特に事故を防ぐために「1」は重要です。

 で、話を戻しますと、Cyrus Twoを単体のプリメインに戻すためには、再びカバーを開けて基板上のヒューズを再装着する必要があります。

 この状態で音を聴いてみると…あれ?以外といいのでは??思ったよりも音が劣化しないというかPSX駆動の状態と差がない気がします。
 う〜む…と思って、しばらくしてから再びCyrus Twoのカバーを開けてヒューズを引っこ抜いて、PSXから電源を供給してみたら、これはすごい!やっぱり全然違う!!音のレンジも広がるし特に驚くのがステレオ空間がグンと前後に広がること。やっぱり比較してしまうと当たり前だけど全然違いました。
 Cyrus Two単体に戻したときは、その前にPSX駆動の状態を聴いていなかったから「あれ?以外とイけるのでは?」と思ったのかも…いや確かにCyrus Twoの音は単体でもイけているので、この感想も間違いではないのですが。

 ということで、Cyrus Two単体の音を聴いたことある人は案外いると思いますが、PSX駆動を比較した文章ってあまり見たことない気がしましたので、ちょっと書いてみました。

 くれぐれもアンプ側の基板上にあるヒューズ引っこ抜く前にPSXつながないでね(とくにアンプ側の電源がONの状態で電源ケーブルをインレットへ差し込まないで)!どちらかがぶっ壊れますよ。

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital ED 12-40mm F2.8 Pro

▼2018年05月13日

Cyrus TwoとPSX

P5131124 もう10年20年前でしょうか…都内の某高級オーディオ店で、状態があまりにもアレなので処分する寸前というCyrus Twoを何かを買ったオマケということもありタダ同然の値段で仕入れてきました。
 その状態といえば、見た目がボロボロ(というかこの時代のネクステル塗装の機械はみんなそう)ということと、電源ボタンが死んでいること。電源ボタンについては単にスイッチを動かすプラ製のパーツが折れていただけだったので、基板上でスイッチを直接ONにして電源ケーブルをつないだら音が出ました。

 その音は、LINNやNaim等のプリメインと違い、ちょっと乾いた感じの音だったのですが、他の英国製小型アンプ同様、スピーカー駆動力と空間表現は実に素晴らしく、メインシステムとしては使っていませんでしたが、時折取り出しては音を出して、そのブリティッシュサウンドを堪能していました。

 このCyrusのアンプには、強化電源のPSXというモデルがあります。
 「強化電源」という考え方は、あまり日本のオーディオメーカーだと聞かない商品なのですが、海外製品の場合は割とオーソドックスなアップグレード手段として認知されています。
 同じイギリスのメジャー所だと、LINNの場合はアナログプレーヤー用のLINGOという強化電源、Naim Audioの場合だとSNAPSやHi-Capといった強化電源など。もちろん音質向上効果はその価格以上の価値があるのですが、いうなればただの電源、どうもこのジャンルの製品は日本のオーディオメーカーでは定着しなかったようです。

 Cyrus Two用の強化電源PSXは、ボディの中身半分を占めるのでは?という巨大なトランスから、DC+36Vと-36V(だったかな?)とグランドを供給して、Crysu Twoを駆動します。
 PSXからの電源でCyrus Twoを駆動している場合、Cyrus Two側の電源ケーブルは必要ありません。インレットから電源ケーブルを抜いてしまってもCyrus Twoは動作します。ただ、内蔵フォノイコだけはCyrus Two側の電源から供給されますので、アナログレコードを聴く場合は電源ケーブルを接続する必要があります。逆にいえばPSXから電源を供給されている状態のCyrus Twoは、その内部電源の全てを内蔵フォノイコライザーのみに使う事になりますので、アナログレコード再生において劇的な音質向上効果が得られるようです。一説によると「レコードは腰を抜かすほど音が良くなる」とか。

 このPSXは、ジャンク品を数千円で入手したモノ。私が所持しているCyrus Twoとちょうど釣りあうかのごとく、筐体はボロイ感じでむしろ私的には好ましい(笑)
 ジャンク品とのことで当初はCyrus Twoに接続しても音が出なかったのですが、調べると基板上のヒューズが2本切れていました。なのでそちらを交換して再び電源を入れたら、今度はメインヒューズが瞬断。いわゆるヒューズ内の導線が破裂するように切れたという状態で割と重症。どこかで回路がショートしてるのかな?と、テスターでいろいろ追っていくと、トランスからの出力線で一箇所ショートしていまして、それを再接続して電源を投入してしばらくしたら、今度は筐体の一部が千切れて落下し、それが基板上でショートしてまたメインヒューズを飛ばすなんてミスをしてしまいました。なのでそういった事故を防ぐため、筐体上部、穴が開いた部分を内側からアルミ製パンチングメタルで塞いで使っています。
 
 音質はどうなんでしょうね。
 最近Cyrus Twoの音を単体で聴いていなかったので、実はあまり良く分からないのですが、以前よりも音がハキハキしてパワーが出ているような気がしますので、おそらく音も向上しているのでしょう。少なくとも現状では、比較のためにCyrus単体で聴いてみるのがが面倒くさいくらいいい音が出ていますので、PXSの効果は出ているんだろうと思います。見た目はかなりボロボロですが、音は実に気持ちが良い。

 日本におけるCyrusは、同じくコンパクトな英国製プリメインアンプでも、LINNやNaimに比べてマイナーではありますが、その音の魅力は引けを取るものではありません。他の英国アンプの音が割と湿り気を持ったイメージの中で、Cyrusのこのカラッと乾いたキャラクターを持った音もハマると他に代えがたい音であり、日本でCyrusのファンが少ないことは、ちょっと残念な気がします。

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital ED 12-40mm F2.8 Pro

▼2018年05月06日

間々田のジャガマイタ

P5050455 栃木県小山市間々田にはジャガマイタという奇祭がある!

 というのを、ススメ!栃木部の19話で知ったのですが、なかなかすごそうなマツリだなと思って、ちょうど祭りが連休中の5月5日に開催されるとのことで、カメラを担いで見に行ってくることにしました。

 家からは、東武伊勢崎線を延々と北上して、清和という駅で下車、そこからブロンプトンに乗って会場である間々田八幡宮を目指します。途中は適当に北関東の風景を堪能しながら、クルマでは入ることがはばかられるような裏道を攻めて、八幡宮に到着したのは正午頃。
 駐輪場にブロンプトンを置いて、まずは八幡宮本殿の方に向かいます。そこには水飲みの儀をまえに一丁目から七丁目まで七匹の蛇が勢揃いしていました。

P5050389 一丁目から七丁目までそれぞれの蛇には個性があるそうですが、とにかく人が多くてあまりきちんと見ることができませんでしたが、にしても竹籠?と草でできた蛇は迫力満点です。

 蛇よせと修祓式が終わり、いよいよ祭りのクライマックス!水飲みの儀へと入るのですが、その間に栃木県知事やら国会議員やら地元の名士やらの挨拶が長いこと長いこと…。こういう所で名を売るしかないのもわかりますが、もう少しなんとかならないのかと。

 そして、長ったらしい挨拶も終わって、13:30頃からいよいよ水飲みの儀が始まります。それが一番上の写真。池の周りは既に見物客がぎっしりで、私はちょっと離れた場所から望遠レンズで狙います。

 荒ぶる男達が池に入ってヘビの口を沈め、勢いよく頭を上げて水を飛ばします。元気の良い蛇は見物客から拍手を受けていました。

 水飲みが終わるとそのまま蛇を担いで「ジャーガマイタ!!ジャガマイタ」と声を出しながら市街地を練り歩くそうで、そちらの方は見られなかったのですが、その時玄関に蛇を招き入れた家は、厄除けと家内安全の御利益があるとか。

 なんたって蛇のディディールが面白かったですし、祭りとしても見ていて面白い。来年はもう少し早めに行って、良い場所を確保して見てみたいと思いました。世の中にはいろいろな奇祭があるものなんですね〜。


OLYMPYS E-M1 + Zuiko Digital ED 50-200mm F2.8-3.5 / M.Zuiko Digital ED 7-14mm F2.8 PRO

ススメ! 栃木部 1/一葵さやか
栃木の祭り/柏村祐司

▼2018年05月02日

本と電子化(主にKindle)について

 本は紙じゃないと味わいがない…みたいな意見がかつてはありましたが(いまでもある?)、私の場合は昔から本の電子化にはポジティブな気持ちでした。さすがにCD-ROMで販売されていた時代のよくわからない電子書籍やケータイ小説には手を出しませんでしたが、アマゾンがKindleフォーマットの電子書籍を販売し始めた頃から、徐々に自分で買う本は電子化にシフトしています。
 ただ、欲しい本の全てが電子化されている訳でもないので相変わらず紙の本も買いますが、本エントリで後述する特別な理由がなければ、ここ数年はKindle版を購入しています。

 Kindle端末については、日本での初代(?)Kindleから、Oasisのwi-fi、そしてOasisの3Gモデルと私はそれなりに使ってきました。移動中はKindle端末の他、iPhone等のスマホでも本を読みますし、自宅ではiMacでどーんとフル画面にしてマンガを読んだりもします。こういう使い方だとやはり電子書籍は便利ですね。
 問題は将来に渡ってAmazonという会社のサービスが存続してくれるか?という話ではありますが、例えKindle版だけで出版された本があっても、社会的には誰かがアーカイブしてくれているでしょうし、私個人の話でいうと、多分生きている間はそういった心配をする必要もないのではないかと。

 電子書籍で最大のメリットは、やはり保管場所がほぼ不要(ゼロではない)ことでしょう。
 というか、巷で本好きを自称している方が電子書籍に反対している理由がその辺でよくわからなかったりするのですが、蔵書場所の問題は、本をよく読んで買っている人にとっては割と深刻な悩み。
 自分の場合は通称奥の院(書庫兼倉庫部屋)を持っているので、蔵書場所については普通の人(?)よりもちょっぴり恵まれているかなと思うのですが、それでもスペースは慢性的に足りていません。書庫の整理でいうと、奥の院を使い始めてからも既に3回ほど大がかりな在庫整理(売却)を行っています。それでもなかなか本を置いておける場所というのは充分なスペースが確保されれている訳でもなく、机の回りには、しまう場所も無い読みかけの本が積み上がったりしている状況。
 それも電子化されていれば、蔵書スペースは実質ゼロです。今までKindleで買った本が読み放題やマンガを除いても既に数百冊ありますが、これが奥の院に収まった時の場所を考えると、電子書籍って省スペースでいいなーと思います。過去に買った本を探すときも、本棚散らかさないで済むしね。

 Kindleの本で不満なのは、ラインナップが漫画や小説、そしてビジネス書…ビジネス書の場合は割と流行り物系のすぐに店頭から消えるような(ようにに見受けられる)内容の本に偏っていること。そして残念ながら私が欲しいと思うジャンルの本はラインナップが乏しいです。
 巷で「Kindleで読書ライフ満喫しています!」系のブログを見ても「みんなビジネス書大好きだよね〜」としか思えないブログが多く、この辺はもう少し日本の出版社がちゃんとした本(?)も積極的に電子化してくれないとなぁ…なんて思っています。

 私はKindle Unlimitedのサービスにも加入したりしていますが、ここのラインナップも正直かなり微妙で、公開されている本を見る限り、一般的な読書家にはあまりお勧めできません。上記で書いたように、ビジネスが書大好きでいつもキャッチアップとかアグリーとか頭の中で唱えてるような人ならいいのかもしれませんけどね。

 まー読み放題で公開されている本なんて、基本は内容に普遍的な価値があまりないモノ、普遍的に価値があるモノは金出して買えってことなんでしょうから仕方ないのかも知れません(もちろん私にとって価値がないだけで価値を感じている人もいると思います)

 私にとってのアンリミテッドは、コマンドマガジンと、オーディオ系の雑誌が定期的に公開されていること。それと1ヶ月に2〜3冊は読んでもいいかも?って本がある事かな。特にコマンドマガジンは一冊4,000円弱の値段で、ゲーム付という事もあり書店で中身を確認できない仕様なので、購入前の内容確認と、バックナンバーの記事を1ヶ月に1〜2度漁るだけで元はとれます。これがなくなればアンリミテッド解約すると思います。
 それとたまにキャンペーンで公開される漫画を読みあさったり…数ヶ月前には期間限定無料公開で「ミナミの帝王」を50巻位まで一気に読みましたけど、おかげでAmazonのオススメがミナミの帝王で埋め尽くされてしまって邪魔w。

 電子化もそうですが、最近では「紙の本を所有すること」をなるべく止めるようにしています。具体的にはKindle化されていない本は図書館で借りるということ。もちろんお金が助かるというメリットもありますが、メディアとしての紙の本はもういいかな?なんて思い始めている面も大きいです。電子化されていない本はとりあえず借りて読んで、手元に置いておきたければ購入する。それでいっかなと。

 それでも電子化もされていなくて、図書館にもない本というのは意外とありますので、そういう本は仕方がなく買ったりするのですが、コンテンツとしての本は電子化されている本の方がずっとハンドリングもいいし読みやすいし、更に使い勝手でも、Kindle本の場合はワンタップで気になる文章をクラウドにメモで残すことができますし、個人的には既に紙の本は紙で印刷されているメリットを感じません。
 ただ、出版社にとっては全て電子化オンリー、もしくは全てを電子化する訳にもいかないでしょうし、あまり部数の出ない研究書などは、もはや小売りではなく公費による公共図書館や学費購入の売上で生計立ててる出版社も多いみたいなので、そういうエンドの消費者に対するサービスにはあまり積極的でない出版社も多いんだと思います。ま…これも出版価値の多様性といえばそうかもしれないので仕方がないのかもしれませんけどね。

 ちなみに、最近ではあまりブログのネタにもしなくなりましたが、ここ1週間程度で読了した本です。漫画や雑誌は含めていません。

 1:電撃戦という幻(上)【図書館より借覧・非電子本】
 2:電撃戦という幻(下)【図書館より借覧・非電子本】
 3:入門・ブローデル【図書館より借覧・非電子本】
 4:忘れえぬ歳月【図書館より借覧・非電子本】
 5:エドワード・ルトワックの戦略論【Kindle版】
 6:絶滅の人類史【Kindle版】
 7:異世界にドラゴンを添えて【Kindle版】
 8:海民と日本社会【Kindle版】
 9:自分探しと楽しさについて【Kindle版】
 10:戦国の合戦【Kindle版】

 GW中なのでここ数日は比較的読んでいる方です。逆に1ヶ月でほぼ本を読まない時期もあったりします。
 こうやってみると、割と専門書的な本ほど電子化されていませんし、逆にいうと電子化してほしい本は、リストの上の方にある専門的な本だったりします。なんたって厚いし重いし。
 ただ、そういうジャンルの本ほど、電子化に否定的な読者が多いんだろうな…というのも理解もできますけどね。

 Kindleの本は、大体いつも10冊以上は並行的に読書しています。本のこういう使い方が容易なのがKindle化された本、最大のメリットですね。本を並行的に読むことに抵抗がある人って結構多そうですが、私の場合はKindleがない時代から、持ち歩く本と自宅で読む本、風呂場で読む本、そしてトイレで読む本など、あちこちに本を置いて並行的に読んでいたので、今ではKindleOasisとiPhoneを持ち歩けば、既に所有している本を色々な場所でつまみ読みできるのが嬉しいです。

 このエントリには特にオチがある訳でも無いのですが、GW中で籠もって本を読んでいる最中なので、何となく本についてちょっと書いてみたくなりました。

P4270182
↑漫画ですが「キャッチー・イン・ザ・ライム」が面白かったです。

OLYMPUS E-M1 + LUMIX G 20mm F1.7 II

▼2018年05月01日

TRIO KA-800

P4300231 毎度無駄遣いをしています。最近ではとにかくアンプが楽しくて、色々と聴いてみたい欲求がうずうずしているので仕方がない。

 今回のお題はTRIO KA-800。毎度お馴染み鹿嶋に行く途中の千葉県内のドフで、ジャンク棚に並んでいるのを発見。メモで「音出しOK」と書いてあったし、値段も「壊れててもいっか」と思えるほど安かったので、一応レジで通電させてもらい、SP端子にテスター当ててみるとDC電圧は100mvをちょっと越える程度だったので、なんとかなるかな?と思って購入。トリオのこのシリーズのアンプは、例えジャンクでなくても前面パネルがないとかふたがちゃんと閉まらないとか色々あったりしますが、この個体は奇跡(?)的に前面パネルも問題ないし、全体がとてもキレイでした。

 トリオのこの時代のアンプといえば、バシュタールの惨劇でお馴染みのシズマドライブ…じゃなかった、シグマドライブです。技術的な点については私の怪しげな知識で説明するよりググって頂いた方が確実ですが、簡単に説明しますと「アンプのNFB(ネガティブフィードバック)回路をスピーカーユニットにまで拡大した」という技術です。
 アンプからスピーカーに送り出される信号は、スピーカーが駆動することによって逆に発生する信号により歪められます。そのためスピーカーから逆起歪をコントロールするための配線をもう一組引いて、そのフィードバックから得られた歪みを補正して正しいスピーカーに送り出す…なにやら禅問答みたいな解説になりましたが、通常はアンプの中身で行っているNFB回路をスピーカーユニットも含めた1つの回路として補正するという技術。
 当時のトリオ、名前が変わったケンウッド初期のアンプにはこのシグマドライブを搭載した機種が多く、アンプの後ろを見ると通常のSP±接続端子の他に、端子の回りが斜線で囲まれたシグマ用の接続端子があったものでした。

 メーカーではこのシグマドライブ搭載アンプにはシグマ専用スピーカーケーブルを同梱していたりしたものですが、専用ケーブルでなくても、普通のSPケーブルを2組用意すれば問題なく使えます。
 スピーカー側には二組のケーブルをパラレルで接続してアンプ側は通常のSP端子とシグマ用端子に分けて接続、シグマ側のケーブルについてはメインのSPケーブルとは違う簡易的なケーブルでも問題ないそうです。私も実物を見たことがないのですが、メーカー純正のシグマドライブ用ケーブルも、シグマ側はやや細かったようなので、敢えてメインのスピーカーケーブルより少し細目のケーブルを選ぶのもチューニングなのかもしれません。

P4300229 鹿嶋に持ち込んで早速動作チェック。まずはふたを開けて軽くエアダスターでホコリを飛ばしますが、内部にはほとんどホコリの付着がありませんでした。
 とりあえずしばらく通電してからアイドル電流を調整します。規定値は51mVだそうですが、調整しても30mV弱にしかならなかったので、とりあえずその辺りで左右電圧を揃えます。その後はスピーカー端子のオフセット電圧調整。
 調整はどうやらシグマを含んだSP端子Aではなく、シグマがないB端子で行うようで、オフセット調整後に計測すると左右80mV程度あった電圧を、保護回路をカチカチ言わせながらもなんとか20mV程度にまで下げました。その後ふたを閉めてしばらく音出ししていると、右側だけ50mV程度に上がりましたが、そこで止まったので由としましょう。パーツ交換を含めたメンテナンスでも行わない限りこの手の調整はなかなか規定通りにならないものですし、SP端子のDC電圧もおよそ100mV以下でしたら特に問題はありません。ただ、マイナス側に振れると良くないようですね。
 ちなみにアンプのオフセット調整のつまみはかなりシビアな上に、この手の中古品では大体は右に回そうが左に回そうがあまり法則性もなくガツンと電圧が上がったり下がったりします(この状態でスピーカーつないでたら壊すので注意)。電源オフの状態で適当につまみをぐりぐり回してガリを取ってから一度元の位置に戻して、通電後はドライバーでちょいと触るくらいの感覚でやるのがコツ。それでも電圧はコロコロ上下しますので、ある程度下がったら様子を見て安定したところで妥協するしかありません。メンテもされていない古いアンプのDC電圧なんてどうせそんなに下がりません。
 繰り返しになりますが、規定値ピッタリ(0Vなど)にしたければパーツ交換を含めたメンテを行わない限り無理。私のような素人ではここまでが精一杯ですね。それと感電には注意してね。緊張して基盤に汗とか垂らさないように。

 ちょっと話が横道に逸れましたが、調整後にテスト用スピーカーをつないでしばらく通電+音出し。問題なさそうなのでYAMAHA NS-1cにまずは普通に接続、音色に問題なさそうなことを確認してからシグマ接続してみました。

 音の印象としては、調整しながらぐぐって見つけた瀬川冬樹氏によるテスト記事の印象そのもの。普通の接続では普通の音(悪くはなかった)でしたが、シグマ接続だととても面白い音になりました。記事にもある“打音の衝撃的な切れこみ、パワー感”はとても個性を感じて気持ちが良いです。アコースティックな楽器、ピアノなどではやや硬質な印象ですが、こういうモノかな?って気もします。

 このKA-800、筐体はプラ製で薄く、軽く、とても安っぽい見た目なのですが、これでも定価は64,800円もした訳で、当時から重量級であったサンスイのAU-607と同じ価格帯で売られていました。もちろんKA-800の安っぽい筐体には理由があり、ボディに磁性体の採用を極力排除したそうです。そのため天板こそ金属ですが、その他は底面も含めてプラ製です。まるでミニコンポのパーツみたい。

 シグマドライブの効能ですが、ちょっとしたトラブルというかミスからその効果を確認することができました。というのも、スピーカーに接続した際右側のシグマ側だけきちんとSP端子に固定されていなかったようで、音を聴いているとたまにバランスというかF特が変化します。初めはラウドネススイッチや、バス・トレブルのつまみが接触不良でも起こしているのかと思ってぐりぐりつまみを動かしたりしましたが、右側だけやはり音が不安定なので、念のためスピーカー裏のSPケーブルを確認してみると、右側のシグマ側のケーブルが端子にうまくはまっていなくて、配線が浮いたように不安定になっていたという始末。あらま?と思って再接続、すると安定した音になりましたので、やはりちゃんとネガティブフィードバックして信号を変えてるんだなとちょっと感心。

 改めて確認すると、全ての端子でガリも何もなく、スライダ式のプリセットボリウムと、メインのボリウムボタンもちゃんと生きています。ボリウムボタンの電球だけは切れていましたが、ここは交換するか…あるいはちゃんと動いているので放置でもいいかな?あの大きなボタンが常時発光していると、ちょっと視覚的にうるさそうです。

 ちなみに「メインのボリウムボタン」という言い方をしましたが、このアンプのボリウムはちょっと変わっていて、スライダー式のレバーで音量を調整できるのですが、その横のボリウムボタンを押すとすぐにミュート状態になります。その後またボリウムボタン押したり、または1度電源を切っても電源投入後にこのボリウムボタンを押すと、あらかじめセットしてあった位置まで自動的にボリウムが上がるという仕組みです。スライダーの位置は動きません。このレバーは本体に「プリセットレベル」と英文で表記されています。
 このスライダーですが、内部では紐とプーリーでメインボリウムの位置を動かしているようで、頻繁に動かしているとそのうち切れそうな気がします。そうなるとプーリー外して紐を掛け替えてと…意外と直すの面倒くさそう。なるべく音量は固定のまま使った方がいいのかもしれません。

 私は長い間海外製のアンプを使い続けていたせいで、どうしても国産のアンプは「無個性・目方でモノ売ってる」みたいな意識をずっと持っていたのですが、最近ではこうやって古いB級アンプを適当に使ってみると、昔の国産オーディオも色々がんばっていて個性があったんだな〜と思い直しています。

 それと、スピーカーやソース機器をとっかえひっかえすると訳がわからなくなってきますが、それらを固定して、こうやって色々なアンプで遊んでいると、本当に色々な音があって楽しい。今まで聴いた曲もまた違った視点を発見できたりしてとても面白いです。

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital ED 12-40mm F2.8 Pro

« 2018年04月 | メイン | 2018年06月 »