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▼2013年10月14日

【にゃんぱす】埼玉県小川町へ行ってきました【速報】

 今期秋アニメも始まりましたね。
 そんな中、のんのんびよりというアニメがありまして、どうやらそれが「埼玉県小川町」を舞台(実際は市内の学校をモデルにしているのみ)…と、某Facebookで話題になりまして、だったら見てこようかなぁ…と。

 で、実は何故小川町とうキーワードに反応したかというと、別な理由もあったのですが、それはあとで。

 さて、雲ひとつない日曜日の朝8:00前、ブロンプトンを折り畳み東武伊勢崎線の(スカイツリーラインなんて呼ぶもんか)草加駅から羽生駅まで行き、秩父鉄道に乗り換えて埼玉県の寄居町までいきます。そこからブロンプトンに乗って小川町へ走る予定。
 羽生駅の秩父鉄道ホームでは丁度急行電車が停車中でしたので、運賃の他200円払って急行に乗車。寄居駅には11:00過ぎに到着しました。さーて、観光の始まりです。当日は本当に色々とたっぷり楽しみましたよ。


● SL見たのん!

 寄居に行く途中、石原駅で見てしまったのです!対向列車待ちの駅停車中に、SLのC58と客車編成をデキ100が牽引回送してすれちがってゆく姿を!そうか…今日はSL運転日なんだね。つことで、ネットで時刻表を調べたら、SL列車は寄居駅を11:00に出発する予定。よし、SL見ちゃいましょう。

 つことで、SLタイムまで寄居市街を一回り散歩します。寄居町は秩父盆地につながる荒川沿い、秩父山地と上武山地が丁度平野部に達する辺りに開けています。今も昔も交通の要所となっており、特に昔は秩父盆地への入り口として栄えました。街並みを見ると、その面影が至る所に散見出来ます。
 ただ、駅前のLIFEは閉店したままになっており、交通の主役が水運から鉄道、そして自動車と移り変わる中で、市街の風景は徐々に変化しているようです。

 そんな寄居町ですが、実は歴史マニアにとってもよいところ。こんな交通の要所ですから、当然ながら城跡も沢山残っていたりします。現市街の外れにある鉢形城跡を筆頭に、市内から見える山のピークは残らず城跡ともいえる状態になっており、花園城猪俣城、金山要害山城、虎ヶ岡城、仲山城、天神山城などなど…無傷では秩父へ抜けられない程の城っぷりです。
 特に寄居から秩父へ抜ける街道の入り口にある花園城は、比高(麓からの高さという意味)80m前後で寄居市内を見下ろしています。

 てな具合に市街地と回りの山々を見て歩いているうちに時間となりました。早速寄居駅手前にある踏切付近で待機。すると「ボォーーーーッ!」という汽笛と共に、来ましたよ来ましたよ貴婦人ことC58様が!SLって相変わらず迫力がありますのん!

R0312015.JPG↑C58-363!その美しい姿から「貴婦人」の通り名もあるyo!

 特にC58は、タンク式ではなくテンダー式(後ろに水と石炭車を牽引している形式)の本格SL!格式ありますねぇ。
 関東では真岡鐵道C11C12は両方ともタンク式なので、テンダー式SLはなかなか見ることができません。真岡鐵道所有の9600形は、確か営業運転してなかったと思うし。

 あと、電車と違って客車ってのは、乗車してみるとわかるけど、静かでいいんだよね。床下にモーターなどの動力部分が全くないので、特に列車の後ろの方だと、駆動振動が全くない。これは是非一度体験してみた方がいいと思います。


● 坂道登ったのん!

 つことで、SLと寄居市街と景観を堪能した後は、いよいよ小川町方面に出発!普通に行くと、国道254号線を経由するのですが、折角自転車なのに、国道走ってもつまんない。あまり標高が高くない山を登ったり下ったりと、なるべく小さな道を通って小川町へ向かいます。
 で、その途中、私は見てしまったのです。雷電山などという、現在育成中の第六駆逐隊に所属する、雷ちゃん電ちゃんのダブルネームという大変な山を!さすがに登山しようとは思いませんでしたが、山の周りは一周してみるかなと。

 まずは県道273号線に入り、雷電山の西側にある峠に向かいます。反対側からロードレーサーが数台下ってきていますので、自転車乗りには有名な道なのかもしれません。
 私もブロンプトンで坂道を登りますが、ブロンプトンの登りって実は大変なのん!あるところまでの傾斜なら、ブロンプトンでもちゃんとクランクの回転を標高に変換出来るのですが、なんせ下のギアが少ないブロンプトン、傾斜が一定を超えると、思いっきりペダルを踏みつけるしかなくなります。コレが辛い…本当に。
 つことで、ひいひいイイながら峠を登り、そろそろ登り切ったかな?と思ったところでまた見てしまったのです!林道への分岐を。更にその林道の先には「雲河原」などというなんだか魅力的な地名まで。…いやいや、ここまで登るので既に大汗かいてます。これ以上はもうミリ!…って、あれぇ?何故か私の手足は思考を無視し、分岐路を左に入り林道雲河原線方面へ、ひぃ。

 で、ひぃひぃいいながらブロンプトンで登ってきましたよ。フレーム割るかチェーン千切れるかみたいな勢いでペダル踏みつけてましたからね。死にそう。
 峠の頂上には四幡神社という神社がありました。そこを少し下っていくと雲河原地区です。

R0312107.JPG↑雲河原地区、ピアノの音が聞こえるのどかな集落

 ちょっと驚いたのは、こんな山の上に結構な集落が会った事。雲河原とか、何かの広場のことを指す地名かと思っていたら、ちゃんと人が住んでいました。失礼ながら、何でこんな山の上に?って感じ。
 近くの家で誰かがピアノのレッスンをしていたみたいで、ピアノの生音が集落内に響き渡っています。いい感じだなぁ…。それと、集落内には雷電山登山口もありましたが、さすがにそこはスルー。ちょっとした秘境を見て充分満足したし、時間も13:00時を過ぎていますので、山を下りることにしました。

 下りはこれまた結構な距離があり、正直こんなに登ってきたかなぁ…と思う位長かったです。カーブの要所要所には「自転車でのスピード出しすぎに注意」みたいな看板もアリ、サイクリストの方も良く訪れる道なんでしょう。私が走っているときには誰ともすれ違いませんでしたが。

 下ってから、先程の県道273号線へ合流し、小川町市街へと向かいます。さて…ここからが本番!


● お城を見たのん!

 そうなんです。何故小川町というキーワードにビビッときたか、で、何故アニメ1度見た程度で聖地巡礼しちゃうのか。その理由は、小川町にある青山城が目的だったからです。

 青山城とは、小川町の仙元山近くにあった山城です。
 この山城は、比高160mを誇り、かつて交通の要所であった小川町に入る街道を見下ろす形でそびえています。当然今は城跡なので、麓から城の佇まいは全く見受けられないのですが、城跡そのものは比較的保存状態が良く、メインとなる第1曲輪から、第2、第3曲輪まで、そしてそれらの間にある堀切などがハッキリとわかるそうです。

 今まで「山城」というモノについて現地に出かけたことがなかった私は、一度見物に行ってみたいなぁ…と、前から漠然と思っていたのです。そのタイミングで、アニメのんのんびよりが始まりましたからね、こりゃもう行くっきゃナイト!です。

 雲河原方向から下ってきた私は、青山城西側からアプローチすることにしました。登山道入り口には仙元山登山口と書いてあり、青山城跡まで50分とありました。ブロンプトンを置いて早速登山開始!

 前半は結構急な登山道をはぁはぁ言いながら登ります。その後傾斜が緩やかになり、仙元山尾根に達すると、山頂方面と青山城方面への分岐があります。分岐を右に進めばすぐに青山城跡です。結局てっぺんまで20分程度で登ってきました。50分はかからないんじゃないかなぁ。

R0312141.JPG↑沢山撮ったけどこの写真しか人工物っぽく見えない

 私のコースだと、まずは第3曲輪からとりつくことになります。曲輪手前と奥にある堀切を超えて登ると、青山城の中枢、第1曲輪です。
 第1曲輪は結構な広さがあり、木や雑草を除去すれば、100人程度は余裕を持って野営できそう。そこから北側の小口…こちらは退却路なのではないかと推測。そして南西の第2曲輪。こちらの堀切は結構深く、ロープが張られていました。

 今の青山城跡からは眺望がありませんが、現代の山と違って昔の山は継続的に植林がなされていませんでした。そのため、禿げ山や低層樹木で覆われた山が沢山あったのです(変な話ですが「艦これ」ブームの昨今、旧日本海軍艦艇が内地で停泊してる写真を見たら、背景の山に注目してみて下さい。結構禿げ山が多いです)
 その時代を考えながら周りを見渡すと、こちらの山城は鎌倉街道を攻め上る軍勢に対しての守り…もしくは補給路監視の為に作られたのではないかと想像出来ます。また、近隣にある小川町市街が全く見下ろせないのもポイントで、もし小川町防衛のために築かれた城なら、隣の仙元山へ築城するのに決まっているのです。こういう、明確な戦術目的を持っている城というのは、なかなか見ていて為になります。

 関東で都心近郊にあり、JR八高線、東武東上線で気軽に行ける本格的山城跡なので、興味がある方は是非出かけてみるといいと思います。やはり歴史は現地を見ないとねぇ。

 その後は、ササッと青山城跡をもうひとまわりして、山を下ります。結局往路・復路合わせて1時間程度の滞在でした。満足満足…。そうそう、城跡の写真については、こちらの「旦那さまと私」というブログがとても良くまとまっていますのでご参考に。


● 下里分校跡見たのん!

 で、最後にようやく聖地巡礼っぽいネタを。こちら、アニメの人気次第でこの先アレな人達が大勢訪れる観光スポットになるかもしれない、小川小学校・下里分校の跡地です。

 跡地と言いつつ、校舎も校庭もちゃんと残っています。
 廃校になったのは2003年らしく、その後は教育施設として利用されているそうです。春には桜の名所として有名なのですが、この先、アニメの聖地として有名になれるかな?

R0312171.JPG↑小川小学校下里分校なのん

 ちなみに、アニメ「のんのんびより」に登場する学校は、小川町のこの小川小学校下里分校がモデルになっていますが、舞台は小川町ではないようです。というか、この分校から、ちょっと遠いですが歩いて行ける距離にはコンビニだってありますし、牛が道路を歩いている事もありません。ただ、付近にはヤギがいて、度々イノシシも出現するようです。あと、まむし注意って看板が至る所にあったな。

 ついでに言うと、第1話で出てきた学校の裏山、もし小川町のこの場所が舞台だとしたら、その山は今登ってきた青山城跡になってしまう訳で…それはそれで萌えますけど、やっぱり違うみたいですね。

R0312193.JPG↑下里分校と青山城…ってのはウソ、逆光で撮れなくて青山城はもっと左

 学校跡地には、懐かしのジャングルジム、鉄棒、そして校長先生が上に立っておしゃべりする朝礼台などがあって、大分日も傾いてきた中、のんのんとまったりとした時間を過ごすことができたのでした。

 その後は、一度下里分校跡を西に行き、小川町の農村部の光景を堪能。里山とそれに隣接した畑や田んぼなどが織りなす素晴らしい景観を味わった後、日が暮れてきたので小川町市街へ戻ります。


● いやいや、ウチが住んでるのに、田舎のわけないじゃない?

 つことで、小川町中心部は、私が生活している東京都に隣接した埼玉県地区に比べると、首都並みに栄えた街wでした。日も暮れてきたのであまり街並みは堪能できなかったのですが、なかなかいい感じの雰囲気を持った場所ですね。古くは街道と水路が集まる交通の要所として栄えていたそうですが、市街の構造を見てもそんな雰囲気が多分に残っています。
 今は和紙の里としても有名ですが、カタクリやオオムラサキの街としてもアピールしているようです。

 そこから、ブロンプトンを畳んで、東武東上線の快特に乗って家へ帰ります。お疲れさまでした。しかし…色々と遊びまくった一日だったなぁ。とてもよい休日でした。

R0312095.JPG↑当然小川町内のバスは2時間に1本という事はないのでした
RICOH GR

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