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▼2006年08月28日

鉄分補給:鹿島鉄道編

最近疲れている。鉄分が足りない。昔なら鉄分補給には“鉄骨飲料”といった飲み物があり、気軽に失われた鉄分を補給することができたのだが、鉄骨飲料無き後、鉄分はおのおのが自分で補給していかなければならない。ということで、本日は鉄分をたっぷりと補給するために、茨城県の鹿島鉄道にやってきた。ここでのんびりして、元気を付けて帰ろう。現地に到着後、早速石岡駅で一日乗車券1,100円ナリを購入。これで鹿島鉄道一日乗り放題。

 鹿島鉄道とは、茨城県石岡市から鉾田市を結ぶローカル線。第三セクターなのかどうなのか、私もよく知らない。ただこの時勢、周辺自治体からの援助は受けているみたいだ。この鹿島鉄道の歴史は意外と古く、今年で開通から70周年を迎えるとのこと。当初は石岡市から常陸小川駅まで、その後霞ヶ浦を航行している船への連絡のため、浜駅まで延長、その後鉾田駅まで延長された。当初は貨物鉄道としての役割も多く、昭和の終わり頃までは周辺にある自衛隊百里基地への燃料輸送にも利用されていた。

 ドライブでこちらの方には良く来るのだが、この鹿島鉄道を訪れて乗車するのは今回で2回目。前回の経験から、個人的にこの鉄道で思い出すのは、女子高生の白いぱんてぃ~(笑)だったりする。というのも、前回鹿島鉄道にやってきたときは、丁度女子高生の登校ラッシュに合い、車内は女子高生臭でプンプン。それだけならいいのだが、当時の女子高生達の間では、ギリギリまでたくし上げた超ミニスカートとルーズソックスが大流行しており、どうやら自宅から駅まではそのスタイルでやってくるのだが、その格好が校則で厳しく制限されているため、学校の近くで着替えというか、腰でたくし上げている制服のスカートをはき直して、足のルーズソックスを普通のソックスに履き替えるといった事をしていたらしい。そしてその着替え場所が鹿島鉄道の列車の中という訳。私と私の友人は、もわんもわんする女子高生臭に、ちょっぴり嬉しいながらもあえいでいたのだが、等の女子高生達は、私達の存在はないものとして、スカートをばばっとまくりあえげたりおろしたりして、校則ファッションに着替えられていた。正面を見ても横を見ても、女子高生の白や水色のぱんてぃ~だらけで、さすがにちょっと怖くなったな。後から思うと貴重な体験ではあるけどさ。
 ただ、本日は休日の昼下がりのため、そんなことはなく、列車は静かに走り出した。私の他の乗客は、女子高生二人と女性が1人、あと男子高校生1人だった。ま、時間も時間だしこんなもんでしょう。

 出発してから30分くらい、列車は常陸小川駅に到着。乗ってきた列車はこの駅で折り返しのため、私はこの駅で下車する。駅を降りてまず目に付くのが、静態保存されているDD901。愛称はカバさん。この機関車は、かつて鹿島鉄道が貨物輸送に使われていたときの主力機関車。鹿島鉄道(以下「かしてつ」)全盛期には、長編成の旅客列車も就役していたらしい。早速近くに行ってじっくり見てみる。この車両はこの常陸小川駅に放置してあったものを、ボランティアの方がきちんと清掃してペンキを塗り直しているとのこと。その為、外見だけを見ると、今にも走り出しそうな迫力に満ちている。この常陸小川駅は、この車両だけではなく駅舎も見物。改札を出て駅の裏手に回ると、かつて貨物鉄道として栄えていた「かしてつ」の面影を堪能することができる。石造りの大きな倉庫、そして貨物ホームを覆うように建てられた木造の荷物置き場、そしてその柱の木からは、腐り止めのアブラの臭いが漂っている。なんだか懐かしい雰囲気。
 次の列車が来るまで1時間くらい空きがあるので、駅周辺を散策することにする。まず、案外広い駅前ロータリーには、タクシーが一台、その隣の駅前駐車場は、かしてつを利用する人ならタダで使っていいそうだ。そして駅前にはお菓子屋が一軒。お店らしいものはここしかない。そしてそのお店もなにやら和菓子屋みたいな雰囲気で、気軽にお菓子を買い食いをして食べるような雰囲気の店ではなかった。
 駅前通りを進んでいくと、これまた中途半端に古風な建物をした「小川タクシー」という会社が見える。乗務員の控え室は窓全開になっており、なかで数人の運転手がたばこをふかしながら扇風機にあたっていて、なにやら懐かしいような感じ。そしてその斜め向かいには、総木造建築の旅館がある。かつての商人宿だったのだろうか。こういう観光名所も賑やかな繁華街もない街の宿に泊まってみて、なんもすることないな~と思いながら、持ってきた本をちょっと読んでみるのだがすぐに飽きてしまい、それからiPodで音楽を聴いてみるのだが、いまいちなので止めて、畳の上に横になりながら天井を見つめて、結構古い建物だよなぁ…なんて思いながらボーッと一日が過ぎていく…そんな旅行をしてみたいな、などと妄想してしまった。

 その後列車の到着時刻が近づいたので駅に戻る。戻ってから改めて駅をじっくり観察すると、「がんばれかしてつ」とか「みんなでつかおうかしてつ」といった地元住民の自作ポスターが多数貼ってある。そう、この鉄道はいま廃止の危機に瀕しているのだ。
 そして駅舎を観察。駅舎自体も結構古いが、乗務員室の中で使われている机や金庫も恐ろしい位のアンティーク。下を見るとなんだか床に同化しているようにも見えて、この駅の歴史を感じさせる。また、この日の常陸小川駅では何故かスズメバチが頻繁に徘徊しており、歩いている途中に頭にゴツンとぶつかったりもした。その後ベンチで座っているときも、あたりをブンブンしながら飛び回っており、なかなかスリリングな列車待ちタイムを過ごすことができた。

 そんなこんなで、終点鉾田行きの列車が到着。さてのんびりと鉾田まで行きますかね…と思ったら、なんと車内は満員。TX八潮駅登り7:55分発の普通列車並みといえば混雑ぶりが想像できると思う。え?想像できない(笑)。まあ、とにかく休日の地方ローカル線にはあるまじきラッシュの中で、鉾田駅に向かった。
 列車は常陸小川駅を出ると、すぐに霞ヶ浦の脇に出る。ここからの風景は「かしてつ」の車窓でもベストに近い景色だと思う。う~ん、このラッシュさえなければなぁ…と思っていたら、しばらく先の浜駅で乗客の半分以上が降りてしまった。なにかのツアーだったみたいだね。大分空いた車内だが、それでもボックスシートは相席。私の前には、宿帰りと思われる小学生女子が、ゲームボーイアドバンスに夢中になっていた。その何となくのどかな雰囲気の中で、わたしも居眠りしてしまった。ぐう。

常陸小川駅から40分くらいだろうか。列車は鉾田駅に到着。折り返しの列車は30分後くらいに出発するので、その時間内で市内見物に出かける。今日の私の目的は、この鉾田駅である映画館の存在を確認すること。早速足早に市外メインストリートに向けて歩き出した。
 この鉾田市の町並みを眺めていると、かつては栄えていたんだろうなという雰囲気が伝わってくる。裏通りを歩いていると、ひょっこりとモダンな形の喫茶店跡が出てきたりして面白い。また、時計・宝飾店が多いというのも特徴。かつては北浦の水運で栄えた時代の跡が、市内のあちらこちらにある。
 お腹が減ったので、運河沿いにある自家製パン屋さんで「クリームB」とかいう名前のパンを購入。お金を払うときに店のおばさんが「なに?鉾田市の写真を撮りに来たの?」と話しかけてくれた。私は「いえ、鹿島鉄道に乗りに来たんですよ」と答えると、「わたしも“かしてつ応援団”メンバーなのよ」とのこと。う~ん、地元に愛されてるな、かしてつ。
 その後、市内を歩いていて本屋を発見。早速入ってみると、通常の雑誌類もおいてあるのだが、「鉾田市史」といった分厚い本が何冊も普通においてあったのがちょっとびっくりだった。この時代の波に取り残されてる感がたまらん。こういう頑固な本屋って好き。奥には地方の本屋にありがちな文具店が併設されていて、眺めてみるとパイロットの古い万年筆やシャーペンが無造作に売られており、分かる人にはお宝もあるのかな?なんて思いながら店を後にした。

 そして今回の目的地、鉾田市の宝来多座に到着。この映画館は表通りに面しておらず、運河側に入り口があったりするという男らしい映画館。建物こそそんなにクラシカルではないが、こういった雰囲気を持った映画館ってあっという間に無くなったよね。これは結構貴重な映画館だと思う。
 私の野望としては、将来好きな女と二人で何となく鉾田市に遊びに来て、そして市内にあるなんの変哲もない旅館(鉾田市も常陸小川同様、商人宿風の旅館が何軒かある)に泊まってのんびりした後、夕方散歩がてらに見つけたこの映画館で、東京ではこっ恥ずかしくて見ね~よなぁ~、というような、べたべたな恋愛映画を見てみたい。そして館内には私達二人と、あともう一人くらい暇つぶしのオッチャンなんかがいたりする。ボーッとしながら映画を見た後「意外に良かったよね」「ん、よくわかんないな」なんて話をしながら旅館に戻り、また二人でボーッとする…なんて旅を実現させてみたい。そう、派手な観光地に行くだけが旅じゃないのだ…なんて妄想はここまで。

 石岡行きの列車出発時刻が近づいたので、あわてて鉾田駅に戻る。すると鉾田駅前では、お祭りの御輿が出ていた。ちょっとだけ眺めた後、列車に乗って石岡へ出発した。

 ゴトゴトと列車に揺られながらしばらくすると、玉造駅に到着。ここでは上下線の入れ替えがあるので、しばらく待機となる。そしてなんとなく列車前方を眺めていたら、おお!キハ600系ではないか。思わず列車を飛び降りて、再びやってきたキハ600系に乗って鉾田駅に向かう。えへへ、こういうオールドタイマーな車両って、なかなか乗車できないからね。そして10分後くらいに列車は鉾田駅に到着。今回の折り返しは15分後くらいに出るので、駅の回りと車両をじっくり観察することにした。

このキハ600系とは戦前に作られたモノ。鹿島鉄道にはキハ601と602が在籍しており、昭和11年と12年に製造された車両だとのこと。当初は国鉄で使われていたのだが、昭和42年に鹿島鉄道にやってきたらしい。車両をじっくり観察すると、例えばドアのプレス面や窓ガラスのサッシ枠、そしてアブラの臭いがする木製の床などに、昭和というか戦前の臭いを感じる事ができる。こんな古い車両に追加料金無しで乗れるんだもんなぁ。鉄道っていいよなぁ。
 この車両はテツの人にも人気があるらしく、駅の回りにはテツの方々が何人かいて写真を撮っておられた。ニコンのデジタル一眼を二台首から下げている人は記者さんか何かなのかな。他には女子テツ“鉄子”もいて、コンパクトデジカメに本格三脚という、ちょっとちぐはぐなスタイルで写真を撮っておられた。というか、こういう時男ってダメだなぁ…と感じてしまう。別に高価なカメラと交換レンズを買い揃えて写真撮るだけが能ある行為じゃないんだよなぁ。私は男女間の性格の違いのほとんどは、生まれてからの学習効果、つまり後天的なものだと思うのだが、こういった機械ものを武装しないと気が収まらない部分というのは、先天的男女間の違いなのかもと思ったりする。ま、そんなことはどうでもいいのだが。

 そして、日が落ちかかった夕方、列車は石岡駅に向かって走り出した。車内にはエアコンが付いていたのだが、私は何となく近くの窓を全開にして、外の風にあたることにした。ちょっと迷惑かなと思ったのだが、しばらくして前の方に座っていたおばあちゃんも窓を開けて風にあたり出したので、ちょっと安心。最近窓を全開にして乗ることができる鉄道ってのも少なくなったよなぁ。というか、こんな日はエアコンなんて付けずに、窓を開けてるだけでも充分涼しい上に気持ちいいのにね。
 車内には親子連れと地元民と思われる方、そしてテツ数人の合計10人くらいが乗っていたかな?休日の夕方上り路線としては、なかなかの乗車率だと思う。

 この「かしてつ」が、現在廃止の危機にあることは上で書いた。廃止についての理由はやはり赤字問題。なんでも、航空自衛隊百里基地への燃料輸送がトラックに切り替わったため、その分の年間約1億円の売上げが見込めなくなり、存続の危機に瀕しているとのこと。ただ、今日この「かしてつ」に乗った限りでは、前回の「くりでん」とは比較にならないくらい多くの人が列車を利用していた。また沿線の女子校登校時間には、大変な状態になることも前記したとおりである。そしてバスへの切り替えといっても、始発駅の石岡付近は、朝と夕方には慢性的な交通渋滞に悩まされており、そんな中でも定時運行可能な鉄道の必然性は市民にとっても高いはず。そしてこれも「くりでん」で感じたことなのだが、その廃止に至る為の金額があまりにもしょぼい事。つか、年間1億円なんて、道路行政の予算を考えれば端数みたいなものでは?地方にはあれだけ必要のない道路をジャンジャン作るクセに、何故鉄道へ年間1億円の補助ができないのであろうか?累積赤字?そんなことを問題にするなら、山奥にある立派な道路の経済効果をきちんと数字で算出したことがあるのか?大規模な林道を一本建設しなければ、計算上それだけで「かしてつ」規模の鉄道は100年以上維持できるのだ。
 一度失われた鉄道は、よほど苦労しない限りは戻ることがない。そして、そういった田舎には、クルマを使うことのできない人達が沢山住んでいる。そういった人達の交通手段というものを、行政の方はきちんと考えたことがあるのかな?どうせ道路系の土建屋からの献金のことしか考えていないんだろうけどよ。

 ま、そんなことを考えながら、夜の石岡駅に到着しました。乗客もとちゅうからちょこちょこ乗ってきて、結局20人くらいにはなったんじゃないかな?とにかく、適当に色々あって楽しい旅でした。今度は途中の妄想を実現するため、恋人でも作ってまた来てみたいですね。

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