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▼2008年09月03日

核軍縮

 世界の核軍縮論と、日本の核軍縮論がいまいちかみ合っていないように思える訳は、おそらく「核兵器を少なくしたい」という動機がまるで違うからなんだと思う。
 私が思うに、おそらく今の核保有国達は、手持ちの核兵器を削減したいとは思っていても、完全放棄したいとは思っていないはず。また、ロシアはともかく、中国やインド、パキスタンなどはもっと手持ちの核兵器を増やしたいと望んでいるだろう。

 「核軍縮、思い強くなった」…広島でG8議長会議」:読売新聞

 日本国内においては、核兵器の肯定論は、もはや考える事も許されないような雰囲気だが、それでも核兵器が世界の戦争を防止してきたという現実は認識すべきだろう。
 太平洋戦争で広島と長崎に原爆が投下されなければ、第三の世界大戦は必ず起きていた。これは、ちょっと冷静になって戦後の冷戦と世界地図を分析すれば容易に推測できる事だ。核兵器がなければ朝鮮戦争は長期化、泥沼化していただろうし、キューバ危機など…というか、キューバ革命事態がアメリカによって潰されていただろう。おそらく朝鮮戦争と同時に、ドイツ分断が火種となって、新たな世界大戦が起きていたのではないか。
 また、もっとリアルな問題として、世界が第一次、第二次大戦当時と同様な国際バランスを保ち続けていたら、今の成人男性達は必ず兵役に取られているだろうし、また、男性の命を無駄遣いするあの悪夢の時代から世界は脱却できていなかったと思う。
 そういう意味で、むしろ戦後、いま生きている特に日本の男性達は、むしろ核兵器の存在によって、兵役にも取られず、戦争で死ぬ危険性もなくなった、という言い方もできる。ひょっとしたら、私たちは核兵器の存在に感謝しなければならない…かもしれないのだ。

 核保有国の核兵器削減議論は、保有コストを削減したいから必要以上の核を削減したいわけであって、国家の安全保障で必要とされる最低限+αの核兵器を手放す事はあり得ないだろう。
 というか、仮に今…神様でも何でもいいが…が、世界の核兵器を一瞬で消してしまったら、世界は再び大戦渦にまき込まれると思う。戦争の指導者達が直接核ミサイルで蒸発する危険性がなくなれば、彼らは前線で大量の命が消費される事にも関心がなくなる。国家の威信のためには、兵士の命など安上がりだと感じるようになるかもしれない。
 皮肉な事にこの考え方は、現代の日本において「会社発展のためには個人の我慢と犠牲はやむを得ない」という形で立派に受け継がれている。

 誤解されぬよう(誤解されても結構だけど)付け加えると、私は核兵器の削減に反対しているわけではない。ただ、世界の戦争システムは、もはや「核」のみの放棄はあり得ないという認識は、少なくとも持つべきであろう。
 近代国家において核の完全放棄は、イコール現在の国家システムと安全保障の改革(革命というべきか)を伴わなければ実行不可能な段階にある。
 改革は少しずつ冷静に行わなければならない。現代のEUという考え方は、新たな国家システムとしての可能性があるように思う。

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