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▼2018年02月16日

オリンピックとナショナリズム

 オリンピックになると、毎回必ず誰かがこういう事言い出すんだけどね(笑)

 五輪、国別でなく「個人参加にすべき」 作家・森博嗣の提言に「正論」の声も:Yahoo!ニュース

 というか、森博嗣がまたブログ復活してたのもちょっとびっくりしたけど。これも炎上狙ったエントリーか(笑)

 そういえばかつてホリエモンも似たようなことを言ってたな。確かに「日本人が活躍したからって無条件に喜ぶのはおかしい」なんて話は理屈としては理解できるけど、そもそもはどっちも「違和感を感じる」というレベルの意見。当然「日本人が活躍したから喜んではいけない」なんて話ではもちろんない訳だけど、確かにみんなで盛り上がってる中でこうやって水を差されたら、実生活では友達減りそう…って気もする(笑)

 もっとも、逆の見方をすればオリンピックは「アマチュアの祭典」であるが故に、それら参加選手のドメインが重視されるのも仕方がないともいえるのかもしれない。
 大多数の分野のアマチュア選手は、プロで活躍するほど知名度がないし、また選手としての技量も(もちろん人によって違うが)、大筋ではプロ>アマチュアの序列になるはず。まー今のオリンピックにおけるアマチュアリズムとは?なんて考えると面倒くさい話になるが、とにかくアマチュアを卒業できて、その先プロとして強くなれば、競技スタイルにもそれぞれ個性が出てくるので、そこに憧れて選手個人のファンになるという人は増えてくる。
 逆にアマチュアではまだ選手としての技量も個性も花開く前なので、それぞれの何を見てファンになればいいか、あるいはプレイスタイルのどこをみて憧れればいいのか…その部分がまだわかりにくい、というか差が小さい。それでもなんとかしてその競技を観戦したい人は、仕方なく感情移入できるわかりやすい共通項を探す、それが国別だったり出身地別だったりするのだろう。
 つまり、自国の選手や出身地が近い競技者を応援するということは、ある意味、対象となる選手の評価がまだ定まっていないからという言い方もできるし、少なくとも見た目や振る舞いで応援したり応援しなかったりというケースよりはずっとフラットで民主的な応援方法ともいえないくもない?

 高校野球も同じようなもんだよね。自分は高校野球とかサッパリ興味がない(というかどちらかというと嫌い)けど、アレで盛り上がっている人のほとんどは、選手個人を見ているのではなく、参加している高校生が所属する学校を見ている訳で、こちらは毎回夏になっても「地元高校の勝利を無条件で喜ぶのは間違っている」なんてウザいこと言う人が少ないのは、オリンピックよりも参加選手がアマチュアっぽいからだろうか?
 そして、高校野球で大活躍した生徒は、ドラフトなんかで指名されたりして、その頃はもうその選手が何処の高校出身なんて気にしてる人はほとんどいなくなる。
 野球でアマチュアからプロへ転職すると、観客の興味は所属高校ではなく選手個人へとシフトする。もっともプロ野球やJリーグについては集団スポーツのため、所属チームという新たなドメインが生まれる訳だが、そこに参加する選手は、出身地も出身国さえもバラバラだけど、そのチームのファンが応援してくれるし、ファンの数は国籍や出身地ではなく、主に個人の成績で増減する。

 オリンピックの応援が国別で盛り上がるのは、むしろ参加選手からすればありがたいことの筈で、逆にそういった背景がなければ一部コアなファン以外は観戦すらしないと思う。少なくとも今現在、フィギュアスケートやスキー競技、カーリングやスノーボード競技がテレビのゴールデンタイムでのメインコンテンツで視聴者を集める競技ではない(最近は羽生人気でゴールデンタイムでのフィギュア中継が度々あるようだが)。オリンピックで行われている競技のほとんどは、みんなオリンピックだから見ている訳で、ほとんどの人は普段からそのスポーツが好きで観戦している訳ではない。
 もちろん普段から大好きで競技の結果や情報を追いかけている人も中にいるだろうが、そういう人は多分応援する選手も、同じ国籍の日本人だから…という安易な理由で応援していないだろう(と思う)が、絶対数はとても少ない。

 オリンピックを観戦している一般客は、むしろオリンピックの競技そのものには大して興味がなくオリンピック自体を国同士の争いとして楽しんでいる。これを歪んだ愛国精神として批判することもできるが、まー国家そのものの意味がわかりにくくなってる今、ドメスティックな感情をこういう場で発散していると考えれば、あながち悪い事でもないのでは?
 そもそも近代オリンピックの始まりが国別対抗戦である訳だし、オリンピックにおいて国別の参加スタイルを否定するなら、各競技のワールドカップとか見ればいい訳だしね。

 普段さほど興味がないから、同じ国や出身地の選手を見つけて応援する。これはある意味その競技を観戦する人の初心者向け応援スタイルな訳で、そういえば、大相撲では力士紹介で必ず出身地のアナウンスが入るっけ?あれはむしろ相撲初心者向けに誰を応援すればいいかのきっかけを与えるサービスともいえるし、私は行ったことないけど、銀座にある白いバラというキャバレーも店の前に「あなたの郷里の娘を呼んでやって下さい」なんて看板があったりするのも初心者向けサービス。どっちもファンになったり何度も通ったりする課程で、出身地よりも選手としての個性や人柄が判断されることになる訳で、そこでそのスポーツ観戦にハマるかもしれないきっかけを否定されてしまうと、多分オリンピックというか、一部のスポーツ以外は観戦する人がいなくなってしまう気がする。

 ということで、まーどうでもいい事を延々と書いてきましたけど(笑)、そもそもオリンピックとは国対抗で応援して盛り上がるというコンテンツな訳で、ここを否定されてしまうと、多分近代オリンピックは日本の国体並みに誰も見ないイベントになっちゃうだろう。
 もっとも、世界がもっともっと融合化して、みんな自分の出身国なんて、今でいう出身県並みに気にしなくなれば、今のスタイルでのオリンピックも消滅してゆくに違いない。実際、先進諸国の国民では、自国にオリンピックを誘致なんて昔ほど盛り上がらなくなってきてるしね。

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