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▼2009年05月10日

子供ネタで1つ

 荒れそうなので今まで黙っていたけど、例えば一歳児の命を救うために、みんなから募金を集めて数億円費やすのと、そこはキッパリ諦めて、2年後位に新しい子供を作るのと、社会的には一体どっちが効率的なんだろうかと。

 も1つ、命の価値として、わずか数年しか生きていない子供の命と、何年も生きてきて定年を迎えた老人の命って、どっちの価値があるんだろうか。
 人にもよるけど、それだけ長い間生きていれば、その間に培った技術や知恵は、社会的にも失うのが惜しいという面もあると思うのだが、テレビドラマや映画、アニメでもそうだけど、年端のいかない子供の命を救うために老人が犠牲になる…ってエピソードは割と多いよね。

 例えば、歴史や民俗史の本などを漁ると、割と江戸時代までの日本人は命についての感覚がドライで、なんかの町人による話で、子供が病気にかかった際、「どうせ死ぬのなら早いほうがいい」なんて言ってる話もあったりした。

 このエピソード、現代人の感覚で言うと「子供がかわいい故の冗談、子供を苦しみから解放してあげたい親の気持ち」なんて解釈を無理矢理されたりするのだが、江戸時代以前(地方では戦前まで)で割と盛んに行われていた、人身売買や間引きの現実、あるいはその他の風俗を垣間見る限りでは、これは「子供がかわいい故…」なんて意味ではなく、無邪気に言葉通りの意味なんだろうな…なんて感じる。

 いや、だからといって何をどうこうすべきだという話ではないんだけどさ。これ以上書くと怒り出す人が出てきそうなのでやめときますけど。

コメント

荒れちゃうなら自分も便乗して。
なんだかんだで日本は余裕があるんでしょうね。
切羽詰まった状況では、足手まといは置いていくしかないでしょうし。
咄嗟の判断もあるでしょうが、助けられる時は助けられるし、どうあがいても助けられない時もあるし。
目の前で次々人が死んで行くのを見て育っている人のリアルな判断って言うのは、よっちさんの書いた感覚に近いのではないかと。

本当は5人兄弟だけど2人は生まれてすぐに死んでるから…なんて話はうちの父親も酔うたびの十八番ですから、ほんのちょっと前までは出産もその後生き残ってくれる事も賭けだったはずです。
子供が一人もいなくなってしまった。反対にみんな元気だ、養えない!はあっておかしくない話しですよね。

そんな環境で育った方達にとっては、生死は喜んだり悲しんだりする事ではありますが、非日常ではなくいつあってもおかしくないと覚悟している事なんでしょうね。

なのでそういった事が当たり前では無い今の日本は十分に裕福なんだ。さあさあもっと頑張れ俺以外の日本人!

ってまとめでイイですか?

たしかに、誰でも必ず訪れる「死」なのに、
今の日本では、日常で「死」を見ることがないですね。
目の前でリアルに人が死ぬことを見ないで済むのは、ありがたいことなんですが。

まぁ…特になんかの結論を出そうとして書いたエントリーではないので(笑)。

一応本職なんで、自論をちょっとだけ。

1億で不幸にして亡くなった貧しい家の子どもの心臓買って移植しても10年は持たないんだよね、実際。

子どもの脳死の判定は非常にクリティカルだし、判定する側のバイアスの加減でどうにでも解釈できる危険もある。それに子どもは結構リカバリーする例もあるんだよ。

病気はすべて治るわけではないし、死は必然。残された時間を有意義に。

こんな事、なかなか言えないね。

一人の命の重さは、その人を前にすると語れるものではありませんが客観的にはいくらでも軽く出来てしまいますよね。それが人間の怖いところです。
白人はこの辺をドライに見ていますが、今の日本人は「目の前の人」と同化してしまうので制度論になったときに、にっちもさっちも行かなくなってしまっています。
これからは「コストで割り切る」ことが必要になってくるでしょうね・・・
私は、別に危ない事は無かったのですが、妻が出産のときに「最悪は母体を優先する」旨は妻にしっかり言いましたw
もし、なんかあったときには大事な決断ですから、夫婦でしっかり考えておくべきだと思っていましたので。

う~ん、確かに命の現場にいる人と、
命が生まれる場所に立ちあった人の言葉は重いな。

実際にそういった現場に立ち会わないと、
私の考えなんて所詮空論でしかないんだろうしなぁ。

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