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▼2013年09月09日

War and Logistics

 戦争については、マニアック受けするジャンルである故に、大勢の人が色々な視点で語っているようです。この語り口にもブームというか、流れみたいな物があり、昨今良く語られる事が「兵站・ロジスティクス」かなぁ…と思ったりしています。

 ロジスティクス=兵站=後方と訳してしまうことは誤りである…と言うのは、軍事評論家の故、江畑謙介氏が何度も主張されていた言葉ですが、確かに軍隊における「兵站」はロジスティクスに含まれますが、ロジスティクスは兵站である、と認識してしまうことは正しくはないようです。
 近年、日本語辞書における「兵站」は、ロジスティクスの事である、といった表記がされていますが、そもそも日本でロジスティクスという概念が本格的に広まったのは、戦後の話となりますので、例えば第二次世界大戦における日本軍の補給活動を「兵站」と呼び、そのままロジスティクスの解釈をかぶせてしまうことは、間違いなのです。

 日本国内で「ロジスティクス」という概念を初めて本格的に取り入れた組織は、ヤマト運輸が最初だといわれています。宅急便需要などで高まる個人向け輸送業務や、物流のスピードアップ・効率化を高めるために、輸送という概念から一歩広げた視野で、オペレーションを見直そうという動きだったようです。
 それは、集荷してきた荷物をどのようなルールで物流センターにまとめ各地へ配送するか。また、そのルートは何を選択するべきか。そして、それを運用・管理するためのシステムには何が必要か。更に、それを実現するための会社はどのような組織が最適か?など、輸送に関わる全ての部分を根本的に見直そうという試みでした。
 その結果、ヤマトの宅急便は、日本全国を全てカバーできる小口発送体制を築きます。
 私達の世代だと、従来の郵便小包がより便利で早く安い宅急便に置き換わってゆく様を記憶している人もいるかもしれません。とにかく、宅急便が築き上げたロジスティクスは、日本人の生活を変える程のインパクトがありました。
 またヤマト運輸は、自社が築きあげたロジスティクスの概念とノウハウを、他社に販売する事業も行っています。

 話を戦争に戻しますと、軍隊におけるロジスティクスは、ヤマト運輸における物流の他に、生産・調達・そして消費などをコントロールする概念が追加されます。
 つまり、軍隊において日々消耗する物資、弾薬や燃料、そして食料…また実戦となれば人員も消費の対象となりますが、それらを製造・手配し、無事に現場へ届け、また、必要なくなった物資や修理品(人も含まれる)を、修復場所へ送り届けなければなりません。

 よく、軍隊を表す言葉として「完全に独立した運用が可能な組織」といった言い方がされます。例えば、軍隊に似た組織としては警察などがありますが、警察は場合によって武力を行使することがあっても、それらを使う為の武器、弾薬、燃料、そして食料など、警察組織が独自に調達できる能力はありません。警察が警察力を行使するためには、それをサポートするための政府組織、並びに必要物資を調達できるための社会秩序がなければ機能しないのです。

 しかし、軍隊は違います。
 例えば東日本大震災などの災害時に自衛隊が派遣される理由は、燃料や食料が自由に調達できない地域において、彼等の行動をサポートするための、燃料補給や食糧輸送の体制を、全て組織内で解決できる体制を持っているからです。このように軍隊とは、補給支援が期待できない現場にいきなり派遣されても、それらを遂行するための人員をちゃんと有している集団なのです。故に独立した行動が可能な組織だと言われます。

 この、完全に独立した軍隊の行動、全てをサポートする概念が軍事におけるロジスティクスとなります。なお、この先の文章では前記を踏まえた上で、「ロジスティクス=兵站」と扱うこととします。

 ちなみによくある「素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る」という言葉は、ニワカを卒業したてのグノタがドヤ顔で語りたがるセリフですが、私からするとこの言葉から受けがちな解釈は正しくないのです。

 何故なら、戦争というのは国家の意思の発動であり、戦略がなければそもそも戦争は発生しません(もちろん、歴史にはよくわからない理由で発生した戦争もありますので、国家における戦略は戦争に必須ではないとも言えますが、例外的だと思います)
 この戦略も誤解されがちな言葉ではあるのですが、狭義の意味で使われる場合を除き、国家における戦略という言葉は戦争遂行を意味するものではありません。戦略とは、国家が何を目的に行動するのかを定義する言葉であり、そこには当然戦争も含まれますが、戦争以外の概念も多く内包しています。こちらの言葉も英語の「strategy」に「戦」という文字を与えてしまった故に誤解されやすい部分かもしれません。

 故に、国家が戦争に突入するためには、まず戦争に至るまでの戦略があり、その結果戦争に突入するにあたり、作戦を立案し兵站を整えるのが正しいのです。戦略の上位、または同級の概念に兵站はありません。

 また、第二次世界大戦でアメリカを初めとする連合国が勝利を収めたのは、兵站による勝利である…という解釈にもちょっと意義を唱えたくなります。
 なぜなら、戦争の局面において、枢軸国を陥れた結果については、やはり連合国の作戦ありきだと思うのですね。作戦と兵站は、タイヤの両輪…いや、ドライバーとタイヤみたいなモノで、どちらが欠けても走り出しません。

 例を挙げると、ドイツ軍のUボートにおける群狼作戦。
 ドイツは戦争に勝利するため、アメリカによる資源の乏しいイギリスへの海上輸送を妨害し、イギリスを飢えさせる通商破壊作戦に出ました。
 もちろん、アメリカは膨大な資源を元に、イギリスがドイツに負けないための兵站計画を練り実行します。しかし、ドイツUボートの通商破壊作戦は当初非常に効果的で、大西洋を渡る大量の輸送船団に比べると、非常に少ないと言えるだけの潜水艦で、圧倒的とも言える戦果を挙げてゆきました。事実、この戦果があと数ヶ月続けば、イギリスは完全に干上がったとも言われていて、そうなればブリテン島はドイツ軍に蹂躙されていたかもしれません。
 この圧倒的に不利な状況を救ったのは、兵站ではありません。あるアメリカの技術者が考え出した超短波レーダーの発明であり、それを航空機や駆逐艦に搭載して運用する作戦でした。
 この超短波レーダーを使う事により、以前は事実上探知が不可能だった、夜間に潜望鏡震度で航行しているUボートを捉えられるようになり、対潜哨戒機や、駆逐艦におけるUボート撃破率は飛躍的に上昇しました。結果、大西洋通商船団は安全が確保され、イギリスは国家破綻の状況を抜け出して、後の適切な兵站により、ドイツ軍へ反撃を行えるだけの余力を得られるようになります。
 繰り返しとなりますが、これは兵站の勝利ではありません。ひとつの作戦が国家を救った例となります。

 同じ考察は、太平洋戦争でも言えると思います。
 まず、戦争の転換点となったミッドウェイ作戦ですが、これはアメリカ必勝の戦闘ではありません。もちろん、日本軍の暗号無線を解読した事など、アメリカ軍有利だったという局面もありますが、それは結果論であり、暗号解読と言っても、当然ながら日本艦隊全ての全容を把握した訳でもありませんし、また、その段階でその暗号解釈が正しいとの確信もありませんでした。
 いくつかの幸運・不幸が重なり合い、日本機動部隊は壊滅してしまった訳ですが、その結果、日本は南太平洋全域での制海権を失い、兵站がボロボロになっていった訳です。しかし、もちろん日米の兵站に優劣はあったにせよ「日本軍は兵站を考えていなかった」という考え方は、客観性をもった分析ではないと私は考えます。
 仮にミッドウェイで日本軍が勝利していれば、逆に南太平洋での補給線に苦労するのはアメリカ軍だった訳です。もちろん、基本的な国力という点で日米は相当差がありますので、アメリカ軍が補給に苦労するのはどれくらいの期間なのか、今となっては判りませんが、これらの前提条件をすっ飛ばして、太平洋戦争は日本に兵站がなかったから負けた…というのは、結果しか見ていない分析だと感じます。そしてアメリカ軍が優秀な兵站術を遺憾なく発揮できた理由は、当然ながら作戦によっての勝利があればこそとなります。

 逆に兵站で戦争に勝ったと言える例も挙げておきましょう。
 1853年から56年の間に行われたクリミア戦争は、作戦よりも兵站の差が勝利を決定づけたと言えるかもしれません。
 当初はロシアとトルコが主立った交戦国だったのですが、ロシアがダータネルス、ボスポラス海峡の利権を得た辺りで、イギリスとフランスが参戦。状況は一変します。
 まだ帆船が主流だったロシアに対して、自由に航行が可能だった蒸気船で艦隊を編成していたイギリスとフランスは、気象に左右されにくい艦隊運用が可能となり、海上でロシアに対して優位を得ます。
 また陸上でも、クリミア半島のセヴァストーポリ要塞に立て籠もったロシアに対し、イギリスとフランスは鉄道など産業革命の恩恵を得た補給システムをフルに用いて、前線に兵隊と物資を滞りなく送り続けます。両軍とも終わりが見えない消耗戦を繰り広げた末、ロシアは籠城線という優位に立ちながら、結局敗退してしまいました。
 時の皇帝ニコライ一世は、鉄道は農奴革命の元として嫌っており、自国内に鉄道網を敷設することを極度に嫌っていて、そのため近代的な兵站が不可能だったとも言われていますね。

 ということで、色々と意見はあると思いますが、「戦いは数だよ兄貴!」や「兵站は勝利を決する」などという言葉は、文章でいうところの「見出し」であって、それが戦争の本質だと考えてしまうのはいささか早計かな、と思うのです。

 また、日本で戦争を語る人達の多くは、プロも素人も何故か「日本を弱く考えよう」という病気にかかっている人が多く、そのため日本が苦手だった部分こそ、実は戦争に勝つ為の重要ポイントである、という極端な考え方をする人も多いような気がします。
 確かに、太平洋戦争時、兵站=ロジスティクスの運用において、日本軍がアメリカ軍に劣っていたのは事実だと思います。しかし、俗に言う「日本に兵站はなかった」というのは間違いで、本当に兵站の概念がなければ、開戦当初に南太平洋からインド洋までの広大な地域に戦線を拡大することはできませんでした。それに、中国、満州などの大陸への進軍も不可能だったはずです。

 勝った要因を分析することは正しい事ですが、勝ち馬に乗った分析は、将来においてまた過ちを犯すでしょう。

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