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▼2012年02月29日

大阪の国歌問題

 大阪府に続いて大阪市でもついに施行されましたね。少し下品な言い方をすれば「ざまぁみろアホ教師共が」って感じです。

 私は日本には思想の自由があると思っています。だから、別に個人が君が代に反対しても国旗がイヤだと発言しても一向に構わないと思います。その点では反国歌・反国旗派の方々の主張には、賛成はしませんが、ま…勝手にしてね。と考えます。

 ただ…教育現場で組織的にそれをやるとなると、話は別で、絶対に許せません。

 許せないと言ってもね、別に左翼思想から卒業できない教師達の一部が、勝手に君が代斉唱時に起立しなかったり、国旗掲揚を無視するとか、その程度なら別に問題にならなかったんじゃないかと思うんですよ。
 つか、そんな人間イチイチ見つけ出してつるし上げる程、みんな暇でもないし、多くの日本人は、私も含めて、そこまで国歌や国旗に思い入れはありません。正直どうでもいい問題ですし、日本はそういう教師達が目指している全体主義国家ではないので。

 ただ、そういう学校という教育の場所で、組織的反日活動を行ったり、勤務中に趣味の政治活動のビラ撒きしたり、あまつさえ子供達に反日洗脳教育を施して「思想・信条の自由」とかほざいたり…それは到底許せるものではありません。
 つかね…よく言われますけど、民間企業で勤務中に政治活動やったりしたら、即クビですよ。勿論、そういう覚悟でやっているのならそれはそれである種尊敬しますが、どうせそんな覚悟もないんでしょ。

 自分達は勤務中に好き勝手に政治活動を行い、子供達に「反国歌・反国旗」という洗脳教育を行い、それでいて給料と退職金はよこせとか、どう考えても教師達の方が頭おかしいでしょ。
 つか、自分に子供がいたとして、学校の教師がそんな反日思想を子供に吹き込んでいたら、即怒鳴り込みに行きますよ。もちろん、子供が勝手に勉強して「反日」になったのなら、ちょっと苦々しくは思うかもしれませんが、それはそれで仕方ないと思いますが。

 Twitterでも書きましたが、この問題、本当に個人の信念として、個人の範囲で勝手に反対して、卒業式等の国歌斉唱の現場で、勝手にふてくされて座っていただけなら、世間も騒がなかったと思います。繰り返しますが、それを組織でやって、調子に乗っていたのがマズかった。

 「今の教育方針が気にくわない!」「間違っている!」と思うなら、何も知らない子供達を洗脳するなどという卑怯なマネを止めて、きちんと法律の手続きに基づいて、教育方針の法律・教育要綱を変えましょう。時間はかかるかもしれませんが、法律を変えるためには、広く皆さんに理解してもらう努力をするしかありません。そのルールを破って勝手に正義面している人間は、その辺で盗んだバイクで走り出しているDQNと同じ。

 不良ばっかりの学校は、校則もどんどん厳しくなって、過ごしにくくなっていくでしょ。それと同じです。それを「思想・信条の自由」とか逆ギレして…、今時の学校教師達は、一般的生徒よりも精神年齢低くなっているのでしょうか。

 あ…そうそう、世界広しとはいえ、ラブソングを「国歌」にしている国は日本くらいだ、って事もお忘れなく。思い入れやとある時代の象徴論などを語り始めると、また別な側面もありますが、単に「国歌」として詠むだけなら、周辺諸国を含め、ここまで平和的な歌を歌う国家も、なかなかないと思います。

コメント

>盗んだバイクで走り出しているDQNと同じ。
実際同じだと思いますよ。
彼等(教師達)は、学卒で、社会に出ず学校という特殊な環境に移行するわけですから。
多分、子供達を洗脳しているという意識はないでしょうね。
(もちろん、すべての教師に当てはまるわけではありません)

学校という超閉鎖的空間には、本当に問題があると思いますね。
転校とか転入とか簡単にできるようになれば、
状況が変わるのに…って思う問題が、学校には大過ぎだと感じています。

あと、本来社会人である筈の教師は、学校というサンクチュアリにいることで、
自分達が社会人だと思いながら、非社会人化する事実を認識できないんでしょうね。

個人的には、人として欠陥を持たない公立学校教師は、1/100位じゃないの?と感じています。
いや、あくまでも個人的にですが…(笑)。

日本人には心がない。それは、自己の理想を示す構文 (未来時制) が日本語にはないからである。
心がなければ、自分もない。滅私奉公の世界である。
個人は、世間で決められたことを行っているので、作法・法律が重要になっている。
人々は、自分の恣意 (本音) を作法・規則 (建前) の中にしのばせて実行する。
そして、作法・法律の名のもとに自己の行為を正当化している。
我が国においては、作法・法律は個人の理想を実現するための手段とは考えられていない。
理想・意思の実現がなくて恣意 (私意・我儘・身勝手) の実現がある。恣意は得体の知れないものである。
意思には文章・文脈があり、恣意には文章・文脈がない。
意思 (will) のない社会は、あたかも子供の社会のようである。
心から「悪い」と思うことを「悪い」と発言することは難しい。
それには根拠がないからである。日本語には、'あるべき姿' を盛り込むための構文 (未来時制) が欠如しているからである。

日本人には心がない。それは、自己の理想を示す構文 (未来時制) が日本語にはないからである。
心がなければ、自分もない。滅私奉公の世界である。
個人は、世間で決められたことを行っているので、作法・法律が重要になっている。
人々は、自分の恣意 (本音) を作法・規則 (建前) の中にしのばせて実行する。
そして、作法・法律の名のもとに自己の行為を正当化している。
我が国においては、作法・法律は個人の理想を実現するための手段とは考えられていない。
理想・意思の実現がなくて恣意 (私意・我儘・身勝手) の実現がある。恣意は得体の知れないものである。
意思には文章・文脈があり、恣意には文章・文脈がない。
意思 (will) のない社会は、あたかも子供の社会のようである。
心から「悪い」と思うことを「悪い」と発言することは難しい。
それには根拠がないからである。日本語には、'あるべき姿' を盛り込むための構文 (未来時制) が欠如しているからである。

http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/03/post_a8c2.html
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/

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